結局いじめられる奴が悪い その8

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38争 ◆KwFLatptgM
友人関係を装ってはいるが、いじめグループに入りいじめを回避しているだけだから、
主犯の暴走、およびいじめ構造を何ら解決していないので、いつ自分が
標的になるかわからない。むしろ、いじめという歪んだ心理を満たすには、いままで
安心していた人間を突き落とす方がより相手を傷つけることができて面白いし、
危険なゲームのスリルは高まりその状況は主犯の世界観によりふさわしいものとなる。
安心のない地獄の日常は、彼、彼女の人生のみに起きたことであってはならないわけだ。
お前らもいっしょに苦しめ。強い奴が絶対なんだ。逆らう奴はつぶすぜ。
俺らはそうされてきたんだ、これが現実ってもんだろ、ということ。
しかも自身の権力を示し、他の者により強い忠誠を誓わせることができるので、この主犯の
配下にあったものが、あっさりいじめの対象になる。もともと本能的に偽の友情であることは
主犯はわかっている。それがさらにいらだちを募らせる。手下をある日から攻撃対象とする
ことは、主犯にとって何重にも都合のいいことなのだ。(人として見事にダメになって行く
一方ではあるが)あらゆる歪んだ主犯の目的に合致する。ゆえにこれは標的を変えながら、
繰り返し行われる。まるで小さな独裁国家の様相である。とはいっても閉鎖性、
権力者の歪んだルールの絶対視、まわりの追従、無批判、そして弱者、裏切り者への
容赦ない攻撃など、要素は同じである。

では、どうするか。この逆のことが行われればいいのである。