結局いじめられる奴が悪い その7

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631少年法により名無し
積極的に弱いものいじめをする人間、それに抵抗を感じないどころか楽しく感じる
人間というのは、もともと人間関係、抱いている世界観でそれが常識となっている場合が多い。

いちばん多いのが家庭内において親からの理不尽なしつけと称した体罰をうけたり、
あるいは育児放棄され愛情をほとんど全く注がれなかったなど、彼らがすでに幼少期より
家庭内等における被害者になっている場合。つまりもともとはいじめられる側で、
やられたことを弱者へ向けてやりかえしているわけだ。
いじめの程度も被害者としての程度に比例するが、先生がいじめに加担して歯止めが緩む、
もっと悪い奴と結託して暴走するなどの他の要素が次々にくわわると、
いとも簡単に重大な事態に発展する。重大事件ではたいがい複合的要因が見つかっている。
(もちろんそうした体験者が全員いじめに走るわけではなく、
自傷行為や薬などに向かうケースもあるし、逆に指導者や友人に恵まれるなどして、
それをきっかけに自立的に立ち直るケースも多い。いずれにしても人生において
自己を肯定し大切にする安心感を得られていない段階では、破壊的行為に走りやすい)

もともと誰かを思いやったり、相手の立場になって考え行動するなどということを
自分自身がしてもらってきていないから、その常識がないし、 やろうとも特に思わない。
むしろ弱者には自分がされてきたこと以上の苦しみを与え、そのことで無意識のうちに
自分の人生に起きたことを正当化し、自らいじめている者よりはマシなものにしようとする。

つまり、弱い奴はやられて当然だろ、これが現実だ、お前らも苦しめ、俺らだって
やられてきてんだ、こんなもんじゃないぜ、というのが行動原理。
かつて自分がされてきたように些細な理由をみつけだして、あるいはあからさまに、
いらいらしているからという理由だけで、溜め込んだ憎悪を弱者に向けて思う存分叩き付ける
という虐待行動を執拗に続ける。閉鎖的でいじめに対して防止策をもたない学校環境は、
まさにそうした行為をするに実に適していると言える。