1 :
ボズ:
たとえば、戦争などで死者が大勢でる国では日常の死はニュースにもならない。
日本のように医療進歩や衣食住の充実で人が死ににくくなると、生きていて当たり前の感覚になっていく、すると死というものがものすごく衝撃的に思える。だから命の尊さについての感覚がどんどん加速していく。些細なことでも命を脅かすものは国家的問題に思えてくる。
この生きていてあたりまえという感覚の加速によって生きているという実感が希薄に感じられるようになるだろう。
精神はちょっとしたことでダメージを負い、自ら命を絶つ選択も重みがなくなるのかもしれない。先進国の末路というのは実は悲惨なのか?
タクシードライバーが必死で考える真理の探究HPより一部
2 :
少年法により名無し:2006/12/20(水) 14:37:27 O
弱い奴はどんどん逝けばいい
何も遺らないから
3 :
少年法により名無し:
>>1 先進国といっても、人材や物的資源が豊富な国は、いくらでも立ち直れる。高望みしなければ。
日本のように、資源乏しい国が技術立国として先進国入りしたものの、優秀な人材の海外流出、生産拠点の海外移転による技術のパクられ等、もう日本は秀でたところがない。
交換できるものがなければ、外貨取得もできない。
赤字国家が、名目だけは経済大国とおだてられて後進国に援助を行い、一見先進国のようでいて、実は国内では自殺者増加が止まらない現実。
未来は、明るくはないな。