1 :
少年法により名無し:
●このスレにレスしようと考えている小犯新人住人さんへ●
まぁこんな感じですわ。このスレは自演房が元々自分でスレ立てて。存在しない住人を
作って加害者への罵詈雑言被害者への同情を一日中書き込み、作られた流れに感化された
少年犯罪板新人さんがレスし始めると今度は逆の事をして煽り、反応を面白がる。
それが病みつきになって立て続けてる真性キチガイスレッド。
住人が居ない上にID不可視をいい事に自演し放題(4年以上)
訳の分からん住所を加害者の所在だTELだと書き込みしてはイタズラ電話やらビラ貼りを
煽り、影で面白がる。
終いには加害者降臨ごっこやら探偵ごっこ。
煽りに都合のいいようにガセ情報ネット中に書きまくり。
このコンクリ自演房が架空住人を作って人気スレに見せ掛けているのが判明したのが去年の
9月。
http://makimo.to/2ch/tmp5_youth/1126/1126178367.html スルーしても何してもやめやしねぇ。
とりあえずこのスレに書かれることは何も信用するな・・・。
何か書く時は絶対にsageて書け。
自演があげまくるから少しでも自演の架空住人と見分ける目安になる。
※ ※ ※ 自演嵐の主な特徴 ※ ※ ※
(新人さんは必ず読んでね。嵐は他のスレにも出張するよ)
特徴)あちこちにコンクリスレを立てて好奇心を引こうとする
(最終的には自演しやすい少年犯罪板へ誘導)
特徴)「お前加害者か?」「お前○○(加害者の名前)か?」等のレスパターンが好き。
特徴)トリップHNが大好き
特徴)芝居がかった鼻息の荒いレスが多い
特徴)架空住人を作ってスレの95%を一人で埋める(ライフワーク)
特徴)加害者100人をやたら誇張 !
特徴)被害者に同情するレスも付けスレ住人を増やそうとする。
特徴)悪戯電話を要求するのが好き
特徴)関係者、情報通を装って妙な事を言い始める
(酷い時には日代わりで関係者を降臨させる事もある)
特徴)話にガンダムを絡めることがある。
特徴)有り得ない非常識さを晒すことがある
特徴)レスの前半の話と後半が繋がらない時がある。
特徴)面倒になるとコピペ (粘着し始めるとスレと無関係なコピペが増えてくる)
特徴)土日祭日平日関係なく一日20時間自演。
特徴)(荒らす時は)自分で自分を攻撃するレスを付け
『みんながやってる』
ように見せスルーを困難にする。
特徴)初心者を装ったレスで質問してくる。
特徴)古いアニメネタが多い(80年代後半〜90年代、集英社アニメ化作品が多い)
特徴)age房である
特徴)自身が管理人と思われるガセ情報発信サイトへ誘導する
PC向け
http://myweb.kingnet.com.tw/aoi102/no1.html ケータイ向け
http://myweb.kingnet.com.tw/aoi104/0kt12.htm ※基本的に幼稚だが時間と量にモノをいわせてガセや釣りの種まきをする。
◎このスレに頻繁に書き込まれる嘘 ◎
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
●レイプに参加した加害者は100人もいる。
(加害者があちこち自慢してた為、拉致を知っていた人が100人もいたというだけの話)
http://ppcfan.at.infoseek.co.jp/backstage/20030415.html ●被害者が『ゴキブリ』『ウンコ』を食べさせられた。
●加害者が飲み屋で「本当はもっと色々やった」と自慢してたという話
●暴走族わら人形が関わっていた(暴走族わら人形は30年近く前1976年9月9日に解散している)
https://orange.mynethost.com/~usr126795/nenpyo.html ●裁判記録の一部が残酷過ぎてスミで塗りつぶされていた。
●加害者の父もレイプに参加していた。
●スマイリー菊池や飯島愛が事件に関係している(菊池聡という加害者は存在しません)
(飯島愛は被害者の顔に落書きした女性とイニシャルが同じ事から流れたガセ)
●遺体からオロナミンCの瓶が2本発見された云々 (発見されたのは,あくまで「ドリンクビン」です)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/josikousei.htm ●被害者は処女だった(ソース無し)
●その他多数
自演の狙いは新人です。ガセを真に受けたり、煽りに乗ることのないようお願いします。
ホントはこんなレスもしたくない・・ : | スレそのものが釣り!
|
∩___∩ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ: | とにかくだなぁ
/ ● ● | (=) | 小犯コンクリスレにレスする
| ( _●_) ミ _ (⌒) J )) | こと=自演を喜ばす事だから
彡、 |∪| ノ < コンクリスレは2ch
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ | に沢山あるから
\ ヽ / ヽ / | レスしたい新人は
\_,,ノ |、_ノ | そっちに行ってくれ
/ | \________
私は、ある学校で少年が一人の少年を袋たたきにして傷害を負わされた。と言う事
実を知りました。この犯罪少年らは、示談が成立しこの馬鹿息子らを庇うためにその
馬鹿親らがお金を出して金でこの事件を解決してしまったのです。被害者の親も金が
貰えることから今後の事もあり示談成立ということになり警察への被害届を取り下げ
たと聞いています。こんな事をしていたら加害者の少年らはまた同じ事を繰り返すで
しょう。加害者の少年らは、すでに暴力団と同じくらい凶暴で冷淡でまた少年で在れ
ば人を殺しても大した処分を受けないと言うことも既に知っています。ですから、少
年の健全育成等とアマちゃんな事を言って居たのではこの様な少年犯罪は後を絶たな
いのです。少年も16歳になったら成人と同じ刑罰を受けて10年でも20年でも刑
務所に入り、最高刑では死刑にも服すことを考えるべきです。はっきり言って日本の
警察官もそうですが司法手続き事態が手むるいです。何が任意捜査が基本だ!外国で
は全て逮捕で臨みます。悪い奴に大人でも子供でも全て強制捜査で臨まなければ舐め
られるに決まっています。まずは、少年らに、怖さを植え付けなければ今後この様な
悲惨な結果は収まらないでしょう。いや、更に増加すること間違い無しです。何しろ
今の少年らは怖いもの知らずですから、確かに学校でも公道でも何も怖いものはあり
ません。在るとしたら暴力だけなのです。今の犯罪少年らは、暴力が一番怖いので
す。先輩に怖いすぐ暴力を勝てない者が居ればどんな命令が下ろうと服従します。ま
た、どんなりっぱな大人が命令しても暴力を振るわず口だけで言っていれば馬鹿にし
て従いません。これが、今の少年らの本能です。今となっては、昔ながらの年上を上
まう様な風習は全て消されどれだけ暴力で人を屈服させられるかということが彼らの
価値観なのです。ですから、少年らは、獣と同じ弱苦肉強食の世界が常に頭にあり、
戦争と同じ暴力で全ての物を屈服させる世界が常に頭にあるのです。ですから、これ
からの少年犯罪には、かなりの大鉈を振るわなければ確実に凶悪化しその発生率も急
上昇するでしょう。私の施策としては、先ほども言った16歳以上の少年に対する成
人と同じ司法手続きを用いる。
私には、8歳と4歳の娘が居ります。私にもこういった悲しみが訪れないとも限りま
せん。裁判では、いつも加害者の人権を守る旨のことを言いますが、被害者や、遺族
に対しては言及していないように感じます。殺された人は、過去のものであるから、
もう人権を主張する意味が無いとでも言っている気がしてしまいます。
この少年に対して、無期懲役が妥当かどうかに対して、皆さんは色んな意見があるかと
思います。私個人は、死刑でないのならば、アメリカの様に懲役50年、100年と
言ったとてつもない懲役刑があってもよいのではと思ってしまいます。人の寿命から
みて、奥さんの残り50年、長女の70年以上の人生を奪ったのですから・・・。
少年法では、未成年者の将来のためを考慮し、氏名を公表しない等と記されているそ
うですが、それも犯罪の内容によって適用するかどうか検討が必要では?と思いま
す。子供のうちなら、悪い事をしても少年Aで済むから、無茶をするなら今のうちだと
思っている子供も、中には居るのではと思ってしまいます。特にこの事件の少年は友
人に当てた手紙に、「無期懲役で、死刑にならなかった。7年もすれば出所できる。自
分は勝った。」と書いたそうです。この2年の歳月で何を学んだのでしょう。
私は、もう大人になり、父親となったので、親としてからの視点でしか見れなくなって
おります。子供の視点から見たときに、この事件はどのように写るのでしょうね。そ
して、この判決について、どのように感じるのでしょうね。
先日、テレビ朝日のニュース番組でこの事件の判決について取り上げていたのを見
て、その判決内容にやるせなさを覚え意見を述べさせて頂きます。
判決は、「初犯であり、殺人の計画性も無く、更正の可能性が無いわけではない」と
して、死刑の求刑に対して、無期懲役でした。
私は、1999年の事件発生当時、このニュースを見たとき、「ひどい事件だな。気
の毒だな。」位の感想しか持っていませんでした。しかし、今回のニュースを見たと
き、言いようの無いやるせなさを覚えました。
まず、事件の内容が残酷すぎると思います。
8 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 01:18:28 O
>>1 乙 風化させない為に…のうのうと暮らしている加害者一味を糾弾する為に…
頑張ろう
今、死刑反対の論陣を張る人と代用監獄反対、起訴前弁護制導入推進をする人は少な
からず重なっています。一連のオウム報道やなんかを考えた時に、オウムは死刑にし
ろ!という人間に限って「オウムだから代用監獄も可、別件逮捕も良い」と言い出す
人間がとても多いんです。要するに、自分に都合のいい結論が出ないとどこまでもそ
れを出させて死刑にしよう、という考え方が相当に多いんです。少なくとも、死刑肯
定論がこういう死刑論しかないのなら私は未来永劫肯定には回らないでしょう。今回
は明白だ!という人もいますが、戦後の冤罪事件を見てまでこの論拠を振り回すのは
おかしいとしか私には思えません。
しかし、「人は最もおぞましく、素晴らしい生き物であり、そのために死刑が必要で
はないのか」と言うものはなかなかぐぐっと引き付けられるものがあるのは事実で
す。下手に犯罪が減るとか、そういう論を振り回すよりはるかにいい死刑論だと思い
ます。人は罪を償わなければいけません。そして、そのために命と言うのが有り得な
いことなのか、死刑と言うのは本人に一切の人間性を認めないという事ではないので
はないか、と感じることは非常に大きいです。
しかし、所詮裁いているのが人である限り、そのような行いをさせてしまっていいの
か…とも思います。人間なんかにそういう窮極の刑罰をする資格があるのか、とも。
現段階ではないと断言できます。ろくな努力をしていないのが明白であるからです。
>「被害者の皆さんが犯人に求めているのは適切な贖罪だとずっと思ってきました
が」とありますが、本当にそうなんですか?適切な贖罪てどんな贖罪ですか?被害者
の方々は、本当にそう感じているとお思いですか?
死刑、これはここでもよく話題になります。そして、私自身迷ってます。ファッショ
ンで反権力やってる時はこれに関して逃げてましたが。
私が現在否定に回る理由として最大の理由はやはり冤罪の可能性の重さです。また、
冤罪をなくす努力が行われていない、と言う点も挙げる必要があります。戦縺A多く
の冤罪が生まれ、その度に死刑台から生還する人を考えた時、死刑を肯定したくない
です。勿論、それでも断罪しなければならないケースはあるのかもしれません。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
と言われました。(自分が息子にここまで殴られてみたらどうですか?と言いたかっ
たが、あまりのセリフに返す言葉を失いました。加害者の親も処罰したいという心理
がわかりました。)退学になってもなお、娘が泣きわめいて男の先生の同情をかった
から、うちの息子が悪者にされて、退学になったとも言われました。この親にしてあ
の息子あり!です。
それからしばらく2人の交際は続き、(DVの女性は逃げられなくなっていくらしい)
まわりのみんなにつきあいを反対され、娘もだんだんとひどすぎることに気づき、
娘から彼に別れをきりだしました。
その日の深夜3:30娘の寝ている部屋の窓をたたく音で、私が目を覚ましました。
娘はぐっすり寝ていました。様子を見に行くと、私に気づき人影はさっと消えまし
た。
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。甲山事件でも、被疑者のYさんの子供は級友達が懲役何年と
か言ってるのを聞かされてきたわけです。社会的抹殺は死刑と一緒である、という点
をどう考えましょうか。確かに、社会を啓発してこの点を解決するのが必要であるこ
とは大賛成ですし、そのための努力を惜しむべきではないでしょう。しかし、言った
ように、部落差別が何十年たってもなくなっていないことを考えると、これはあまり
にも酷ではないでしょうか。人と言うのは、差別をしたい生き物だと思うんですよ。
部落が江戸時代に作られた理由や現代のいじめの構造を見るとそう思います。そし
て、きちんと罪を償った本人<償いが足りないのなら刑法を改正すればいいでしょ
う>はおろか家族に人生の大半を棒に振らせて、50年先か70年先かそれ以前に実
現するかさえ分からぬ啓発を待て!これはあまりに酷ではないでしょうか。せめて啓
発が成って、そういう事が起こらないようになるまで待つべきではないでしょうか。
例え報道各社や国から損害賠償や慰謝料を何十億円もらったって人生の破壊は治らな
いんです。むしろもらうとその金で家を建てたとか言う誹謗中傷さえ来るのです。被
害者の皆さんだって、犯人やその家族に10億円払ってもらえれば殺人を許す気にな
るとか、そういう事ではないでしょう?
さらに、これだけの犠牲を家族に払わせる危険性が高いにもかかわらず、公益性に疑
問があることを指摘しなければなりません。スウェーデンで匿名報道になった前と後
で犯罪率<特に凶悪犯罪>に差異は見えません。まあ日本ぐらい徹底的に用のないプ
ライバシーまで明かす報道をすれば減るのかもしれませんが…。また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。
また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。また、堺通り魔事件実名報道容認大阪高裁判決でも写真
掲載や実名公表が公益のためになるとは、それどころか記事の価値増大に役立つとさ
え決してみとめられていないわけです。まあ認めたら判決を批判するんでしょうけど
ね。旧少年法でも<現在も残っていたと思いますけど>、明らかに公益につながる、
例えば指名手配の時などでは公表が認められていたんです。
あと、有罪確定後の判決がひどくない、これは一応表層だけ見るとそう思いますが、
この裏がある、と私は思います。要するに、被疑者段階から言いたい放題書いてし
まったために、裁判段階だと書くことがなくなってしまうだけだと思うんです。報道
各社にとってこの手の報道の目的はもはや利潤追求くらいになっています。だから、
日本の長期にわたる裁判が終わるころには事件なんか風化してしまい、書いても儲か
らない。だから有罪判決後にはあまり書かないんだと思います。薬害エイズなんか
も、事件発覚当時の方が裁判の時より騒がれていて、刑事裁判になったことを忘れて
いた!と言うのが事実であることを告白します。私は電車で学校に通う身ですが、電
車内の吊り広告の類を見るとそう思います。今でも裁判で騒ぐのはそれこそオウム裁
判ぐらいでしょう。だから、被疑者段階での報道がなくなって有罪確定後のみの報道
になっても、公益のこの字もない不倫疑惑だの何だのが書き立てられるだけなのでは
ないでしょうか。まあこんな推測は私の方が外れていればそれに越したことはないん
ですが・・・。
また、価値観の問題と言うことですが、確かにキリスト教的な価値観ですよね、人権
とかも。そしてキリスト教は、十字軍、魔女狩りなど行って他宗派を徹底的に攻撃す
ると言う面がありました。ただ、人が裁いてはいけないと言うのがなぜかと言うと、
もし人と人とが平等であるとするならば、裁く者は裁かれる者より優位でなければい
けませんよね。でなければ裁くことは出来ません。勿論、誤審、必要以上の重罰の可
能性も人間が裁くなればこそです。誤審も容認される!なんていくら宗派を超えたっ
て認めるわけにはいきません。
また、平等と言う価値観は日本的ではないかもしれま
せんが、今否定する人がいるでしょうか。有罪判決が出た人とは平等ではないかもし
れませんが、そもそも無罪を推定されている以上自供しようが証拠があろうがやはり
普通の人であり、平等なわけです。
私は、あくまでキリスト教の価値観の中でも、平等とか、冤罪、残虐な罰防止とか、
皆さんに受け入れやすい主張で十分人が人を裁くことの本来的なおかしさを追及でき
ると思うんです。勿論、それは裁くな!と言うことではなく、それに謙虚になれ、と
言うことです。刑法と言う考え方自体が集団ヒステリーのようなものですから、それ
を全部否定することは出来ません。だからといって、謙虚になれないのにそれでも裁
くのを強行して欲しくないです。裁くからにはその心構えを忘れて欲しくないし、冤
罪を生まないための努力はギリギリまで尽くすべきだし、それが出来ないなら集団ヒ
ステリーの限度を超えているでしょう。
因みに、人権の定義は国によって異なるとか、東洋に人権は合わないとか言う考え方
は、今日本で台頭してきた考え方ですよね。浅野教授からしてみれば「議論する気も
起きない独裁者や社会科学に無知な学者の考え方で、今まで繰り返し批判してきた」
そうですが、私としてはそういう考え方とは本気で事を構えなければならないと思い
ます。人を人として扱うとか、そういう基本的に賛同を得られる部分から出発すれば
大丈夫だと思うんですけどね。
なお、人権がキリスト教的と言いましたが、これは今の人権派にも綿々と良くない部
分も受け継がれています。他にひどく攻撃的なのです。かュ申す私が小田教授らに敬
称無しなどと言うことをやりました。自分で表してしまったわけです。人権派と言う
ものがすぐに攻撃的になり、他者を攻撃するために人権侵害もいとわぬ!と言う状態
になる可能性があると言うことを覚えておいて欲しいと思います。
それから、他の掲示板に行ってという発言はよした方がいいと思います。ここには昔
の私の意味のない発言はおろかそれ以上に、私でさえ批判するような人権派だか人権
屋だか荒らしだか分からない文章も掲載されています。私の投稿が一方的に不掲載と
されたことは一度もないです。
14 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 01:21:15 0
>>2〜
>>5は荒らしてる奴らです
いくら荒らしても何度でもスレ立っててやる
覚悟しろ
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
娘は元彼からDVを受けていました。殴られて意識不明になり、記憶喪失、失語におち
いりました。救急車で病院に運ばれ、医者から連絡をもらいました。「今のところ命
に別状はありませんが、頭を打っているので今後どうなるかはわかりません。」もう
頭の中は真っ白でした。病院に駆けつけ、娘の顔をみるまでは訳がわからなくなって
いました。私が病院に着くころには、娘の意識は戻っていました。しかし、声がでな
いうえに、記憶喪失になっていて、親の顔はわかるけれど、自分が高校生であるとい
うことさえわからない状態でした。とても事情を聞くどころではありません。
娘に付き添っていた彼に聞くと階段から落ちたとのことでした。一緒にいなかったの
かと尋ねたら、娘の悲鳴を聞いて駆けつけたと・・・。その時はまさか彼が加害者だ
なんて思いもしませんでしたから、彼のウソにだまされたうえに、付き添ってくれた
お礼まで言ってしまいました。(娘もこのやりとりは聞いていましたが、意識がある
というだけで、理解していたかは怪しい。)死人に口なしとはいいますが、生きてい
ても話せないこともあるのです。
学校内のできごとで、(彼は同級生だった)あとで先生から聞いた話で、非常階段の
ような、普段生徒はあまり利用しない階段であること。第一発見者が彼であること。
他に目撃者はいないこと。を知りました。入院している間にすこしづつ快復したもの
の、階段から落ちた部分の記憶はどこかへ行っていました。声も時々発しましたが、
言葉にならず、こちらの言うことにうなずいたり、50音の表を指差しての要求でし
た。それも幼児のようでした。今時の女子高生ですから、携帯電話がないと過ごせな
かったのに、携帯電話ってなに?と真顔で聞かれた時は言葉を失ってしまいました。
入院中に病院の売店で買った雑誌、クロスワードパズルを一緒にやりながら、徐序に
娘は単語を思い出していきました。
でもまだしゃべれません。退院時に、脳外科としてはもう異常がなく、あとは精神科
か心療内科の問題だからそちらに通院するようにと言われました。(その病院にはそ
ういう科が無かった)彼は毎日見舞いに来ているし、娘は彼が来ると機嫌がいいし
(幼稚園児のようで感情は見ているとわかる。その上辛い過去には自らフタをしてし
まった。)こんな被害者と加害者もいるのです。これで娘が命を失っていたら事実は
わからないままだったでしょう。
若いということは(当時高1・15歳)快復も早く、1ヶ月もするころには元気に
なっていました。言葉も戻りました。彼とはつきあっていたので、かばっていて、本
当のことはまだ私にはわかりませんでした。
ところが、次々いろんなことが起こるのです。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
然るに、それを受刑者の人権を無視した悪事であるかのように考えて除外してしまったならば、刑罰を定める意味が
無くなってしまうのである。
言い換えるなら、犯罪者に対する処罰を軽微な形で済ますことが、社会にどれだけ悪影響を及ぼすことになるか…
ということに意を注がなければ成らぬということであって、社会との関連の方が「犯罪者個人の人権の擁護」などという事よりも、
遙かに重要なことなのである。
そういう誤りを正さずにいるところから、親も子も一緒(平等)だ… 先生も生徒も一緒(平等)だ…
と考えるような悪平等の思想が生まれてきて、社会の秩序が乱れてくるのである。
余談ながら申せば、親子や師弟などの関係は、人権という面からみれば共に平等の扱いを受けるべき同等の存在では
あるが、その人間関係の上からみれば「人間としての平等」ということを超えた厳然たる差別があるのであるから、
幼少の頃からその差別を教えなければ成らぬのである。
それを教えず、たゞ人間としての平等という面ばかりを教えるところから、社会の秩序が乱れ、統制がとれなくなって、
学級崩壊のような社会問題が引き起こされて来ることになるのである。
余談は扨措き、上述したように犯罪者の人権擁護だの更生だのと温情をかけることは、一見、慈悲深い崇高な心のように
受け取られがちであるが、そんなものは慈悲でも何でもなく、単なる甘やかしであり、社会を一層混乱におとしいれるだけの
無分別な行為であるに過ぎないのである。
この度の少年の起こした犯罪にしても、十二歳といえば、やって善い事と、悪い事の判断くらいはできる年齢なのだから、
たとえ十歳の子供といえども、犯した罪に対しては相応の責任を取らせるべきなのである。
そうしなければ少年法の温情主義を逆手にとって、ゲーム感覚そのまゝに犯行におよぶ少年が後を絶たない事に
なってしまうのである。
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
少年法という稀代の悪法に守られて悪ガキがやりたい放題、其れを阻止すべき警察官が似非人権屋の横槍で手足をもがれ、拳銃を取り出しただけで、懲戒免職させられる(長野県警)始末では、犯罪者の高笑いだけが響く世の中に成ります。
まったくもってその通り。少年法は未成年者の犯罪の免罪符になっている。
少年法が適用されるのは小学校低学年までで十分。イギリスでは10歳から大人の法律が適用、実名報道もされる。
それと同時に似非警察官・裁判官ばりのテレビ局も規制する必要がある。
これらテレビ局はいまや殺人などをじゃんじゃん放送する犯罪ゲームセンターに成り下がっている。
こんなテレビ局に犯罪者を糾弾・非難する資格などないのだ。
自分たちの放送する番組は視聴率稼ぎ、金儲けのために表現の自由を悪用して逃げ回り、自分たちはすべて正しいかのごとく振舞っている。
よくゲームの内容が残虐だからと言って自治体で年齢制限を要求するがテレビに関しては全くそのような動きはない。普通はゲーム以上に身近なテレビこそ規制されるべき存在のはずだ。
いくらゲームを規制しようともテレビで犯罪をじゃんじゃん流している以上、ゲーム規制など効果があるはずがない。
今、日本の家庭はゲームがなくてもテレビ局という「犯罪ゲームセンターを何の危機感もなく受け入れている」ことを認識しなければならない。
賛成です。
でもメディアで犯罪情報の垂れ流し、これは見落としていました。
そういえば、以前にTVドラマを参考にした犯罪があったと記憶しています。
メディア規制法で犯罪に関する番組等を規制するようにする必要が
そろそろ必要ではないかと思います。
そして、メディアの番組の中から参考にした犯罪が出た場合は、そのメディアも
同罪として罰を受けるようにしたらいかがでしょうか。
犯罪のヒントを垂れ流し、その結果については知らん振りのメディアも問題があることを認識させるために重要なことだと思います。
少年事件の背景をよく見つめていくことは、大切なことだと思います。
少しでも犯罪を少なくしていくには、事件の背景を分析して、事件を誘発しにくくするということと、
起こしてしまった事件については、起こした罪に相応の罰を受けて責任をとるという両方が大切で
あると思われるからです。
私は、この掲示板に投稿されている皆さんが感じられていることは、両面が大切なのだが、
相応の罰を受けるということおいて、まだまだ不十分であるということだと推察致します。
『追い詰められた子供は、弱い者だとされる人(例えば、社会的に「弱者」だと認知されているような
ホームレスの方、より小さな子供、少女)に刃を向けます。自分に刃を向ければ・・・それは自傷行為
であるリストカットや薬物の過剰摂取になります。それを外に向ければ・・・
それが人であるならば殺人・暴行・いじめになるのでしょう。』
この部分は本当にその通りだと思うのですが、追いつめられたからといって、
他人に刃を向けてもよいという理由は何一つなく、正当化される理由は何もないということなのだと
思います。
また、いじめというのも状況によって、十分に犯罪だと思いますので、いじめの被害者がまた
加害者になるという悪循環を立つためには、小さな罪のうちに厳しく指導及び処罰されて、
絶対してはならないものだという認識をさせる必要があると思います。
私は、いじめのせいで不登校になったり、転校を余儀なくされている生徒がいるとうことを、
報道等でなされている現状から、この部分においても、現状では加害生徒に甘いことが、
次の犯罪を誘発することにつながっていると思うのです。
『そんな切羽詰っている子供に「死刑は必要」としてもあまり意味はないのではないでしょうか。
「自分なんかどうなってもいい、死んでも良い」そこまで自分の価値を否定する子供が、
「死刑があるから・・・殺人はやめておこう」と思うでしょうか?』
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
* 被害者感情・犯罪者処遇
「少年犯罪被害当事者の会」(武るり子代表)の少年犯罪などについて話し合う集会「WILL(ウィル)」が、
過日、大阪市内で開かれた。これを報道したN新聞では「埼玉県で一九九五年八月、少年五人に暴行を受け
死亡した高校一年生(当時十五歳)の姉は『警察に捕まったことを勲章にする少年がいるが、少年でも一線を
越えればただの犯罪者』と怒りをあらわにした」と伝えている。
加害者が誰であれ、凶悪犯罪の被害者の気持ちはまことに無念極まりない。それがとりわけ、加害者が未成
年者の場合には、さらに弥増す。ただでさえ加害者に対する被害者感情が軽視される司法手続きの中、未成年
だからだという理由で、即ち保護の対象・責任能力の未熟といった論理から、加害者(少年)に対する刑事罰が
省かれたり、不当に低い量刑が与えられるからである。こうした状況はまた、加害者が精神障害者の場合にも、
ほとんど同様に当てはまる。心神喪失あるいは心神耗弱といった加害者の責任能力の欠如から、加害者は刑事罰を
免除され、被害者側はひたすら泣き寝入りするほかないのである。
数年前、乗用車運転中の娘が未成年者運転のトラックに追突され、一歩間違えば生死にも関わる車両大破の
事故にあった。が、相手方保険会社と弁護士は、当該車両と同種同格の中古車を購入することも叶わぬ低額の
賠償金を提示し、ご不満なら裁判でもどうぞ、と言うだけでとりつく島もない。初めは頭を下げていた加害者もやがて
私たちに罵声さえ浴びせてくるようになった。警察の事件処理を調べたところ、驚いたことに、あっと言う間に不起訴処分に
終わっていた。これが相手側の態度をいっそう不遜にした大きな要因でもあったろう。被害者が突き放される
状況の中で、致し方なく当方も弁護士に依頼し相応の賠償金を取り立てるに及んだが、その間一年余り、
加害者側と司法のあり方に対する不条理感は実に耐えがたいものであった。たかが交通事故被害であっても、
そこからもたらされる怒りと無力感は、経験した者でなくては容易に判らぬ。ならば、刑事罰が回避される<少年>や
<精神障害者>の加害によって重大な被害を受けた被害者及び被害者遺族の思いはいかばかりであろうか。
大学を出てしばらく、家庭裁判所で調査官職に就いていたときの<話>である。
私しが感じる日本の法律は本当に時代遅れとしかいうしかありません。近年、日本の犯罪も欧米化して来て、
今までの日本のアマチョロイ法律で何が裁けるのでしょうか?少年法も何が少年法なのでしょうか?少年、少女が
犯罪を起こしても軽く、少年院でも行っておいでぇーみたいな刑で本当に罪を犯した者が反省するのでしょうか?
私しはアメリカに住んでいて本当に感じるのが、少年でも大人でも罪は罪!!私の知り合いの彼氏は16歳で覚醒剤を
やって捕まりました。それも初犯です。友達と遊び半分でやったのがバレて。そんな彼は1年半の実刑を受けました。
何処の州か忘れたけど、警官に銃を1発発した少年(弾は警官に当りませんでした)は実刑7年で今、その刑を受けてる
最中でしょう。日本の刑って本当に軽いと思いませんか?それに罪を犯した者の更正を先に考え過ぎてませんか?
人を殴って殺して、1.2年で社会復帰してもいいのですか?あと、日本は元々刑が軽すぎるから、みんな平気、
平気って思っていませんか?私しも若い時は悪かったですよ。バイクを盗んだり、万引きもしたり、でも、頭の中で大丈夫、
大丈夫っていつも思っていました。だって日本の刑って甘いから。友達の旦那さんも覚醒剤で捕まった時、初犯だったので
実刑は免れたし。悪いことをしたら罰する。それ相当の罪をしたらそれ相当の刑を受けるのは当たり前のことですよ。
若い若い、更正の余地があるって言っていたら、みんな罪を犯しても罰することなんて出来ないですよ。アメリカに来て、
私は本当に御利口になったと思いますよ。この国は自由な国だけど、自分の責任の重さを本当に感じますよ。
車で人をひいて殺してしまった人なんて、次の日には囚人の洋服を着て、TVに映っていたし、責任能力っていうのは少年、
少女にもあるはずでしょう?15,16歳で何が悪いとか悪くないってわからないものなのかな?私の旦那はアメリカ人で、
小さい時から、悪いことをしたら刑務所に行くんだよと親に教えられてきたし、学校でも悪いことをしたら罪になると
教えてこられたし、もっと日本の親も罪に対する教育をした方がいいし、学校でも犯罪についてもっと教えていいと思うな。
少年法は罪を犯した者に甘すぎるよ。死んだ人間やその家族のことなんて全然考えていないよ。
25 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 01:26:37 0
このスレ埋めるのに後12時間頑張ってくれ
荒らしさん
犯罪は発展途上国型と成熟社会型という大きな2つの分類がある。食うため、
生きるために物を盗んだり人を殺すのが、発展途上国型だ。
これに対し、成熟社会型とは社会の行き詰まりから来る矛盾が原因の犯罪だ。
当然、現在の少年犯罪は後者である。
つまり、今の時代、子供たちば将来に対するサクセスストーリーを描くことすらできないのだ。
しかし、そんな現実を生きていかねぱならない。そこで何を考えるかといえば、
他者と同質化することである。ガキのころから"護送船団方式"の社会にどっぷりつかっている
といってもいいだろう。周囲の目を過剰に意識し、群れから排除されないことがすぺてに優先する。
そのためには犯罪さえも辞さない。沖縄の事件がその典型である。
すべては小さな組織内での保身。それが成熟社会型犯罪の傾向なのだ。
しかし、ここでより重要視すべきは、実は少年犯罪自体は減少傾向にあるという点で・ある。
殺人などの凶悪犯罪に隈れば、現在は終戦直後の10分の1。
世界的に見ても、最野蛮国のアメリカが日本の10倍なのは人口から換算して当然としても、
オランダやスウェーデンに比べても半分以下だ。これは異常なことであり、欧米の学者の中には
「日本はどうしてこれだけ犯罪が起こらないのかを研究すべきだ」という意見まであるという。
今の日本の若者は犯真も犯せないほどバフ一ダウンしており、
それが結果 的に社会の停滞につながっているということなのである。
若者がこれほど腑抜けになってしまったことに は明快な理由がある。
それは団塊の世代と呼ばれる一団があまりに元気がよすぎるからであろう何かにつけて
「俺たちが若いころは・・」と昔を自慢されるのだから、下の世代はたまったもんではない。
知らず知らずのうちにエネルギーを吸い取られて、社会全体が疲弊してしまったことは否めない。
極論すれば、少年犯罪も多いが社会に活力がある状態と、犯罪も少ないが社会も停滞
するのとではどっちがいいかという問題となる。今回の2つの事件を擁護するつもりは毛頭ないが、
俺の意見は断然、前者である。昭和30年代の不良高校生は、喧嘩は自分と同等ないし、
より強い者を打ち倒すことで精神的充足感を得ていたという。
27 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 01:28:08 O
◆◇人生の多くの時間をこんな事に費やさなきゃいけないなんて、気の毒な奴だ。 ご苦労 ご苦労 (笑)
私は現在の悪いことをした人間がやったもん勝ちみたいの世の中は悲しく変更が
急務だと思います。特にこの前刑法改正法案が国会に
提出されることになったそうですが、まだ妥当性を欠いた法改正だと思います。
というのは例えば集団強姦にしても下限が2年から3年に引き上げられたのですが、
果たしてそれで国民一般の方感情を満たしていると思っているのか非常に疑問です。
長い時間議論を重ね謝金や人の労力を考えるとこの改正にかかり大きな予算が動いていると
思います。その結果が1年の差というのでは能力無い人間の集まりと言わざるを得ません。
一番感じるのは先ほども少し述べましたが、一般国民の法感情と法改正にかかる専門家との
意識の莫大な乖離です。本当に常識ある人間が改正に携わってるとは思えません。
無能力であり常識を欠いた人間の集まりではないでしょうか。刑法が作成されたのは戦前であり、
いわゆるdueprocess法律の手続きが整っていないときの話でした。フランキー堺が主役で
あったドラマ「貝になりたい」のようにろくに犯罪をしたという証拠もないのに警察官がでっち上げ
で捜査を行い、それが判決になったあまりに妥当性を欠いた部分がありました。ところが現在では
凶悪犯罪が激化し、警察の捜査も現在の刑事ドラマにあるような、脅しのようなやり方の捜査は
実際ほとんどなく、不祥事を起こす一部の警察官のみが違法な捜査をしているのが実情です。
つまり今の刑法は現在の実情には全く合わないものであるわけです。
凶悪犯罪がさまざまと移り変わる中で、何十年も刑法の改正が行われないのは異常としか
言い様がありません。それを一部の専門家が気づいているのかは非常に疑問ですが、
相当の能無しといえるのではないでしょうか。少し言葉が汚くなりました。現在の刑法の根本は
社会の秩序維持と加害者の応報にあります。応報であるからこそ被害者を除外した冷静な裁判を
目指しているのでしょうが、本当に被害者は全く除外すべきなのでしょうか。
民事訴訟においては当事者主義が中心に据えられ双方の意見が重要視されます。
同じようにとはいいませんが、根本は被害者の気持ちではないかと思われます。
過ちを犯した人に対して死んでしまえというのが被害者の親族の率直な願いでしょうが、
そこまでいかないまでも、過ちを犯した人間に対して相当な量刑を課し、
責任をとるというのは普通の常識人からすれば反論の余地はないのではないでしょうか。
つまり今の法律では妥当な量刑は得られず、また出所してきても前科のプライバシーで
守られます。なぜ加害者はこんなに人権が保護されるのでしょうか。それはひとえに被害者の
気持ち意識からあまりに裁判官等が乖離しているからでしょう。親族でなければ自ら死刑を
はじまとした重罰を課したくないのが本音かもしれません。しかしそれでは司法界に携わる
プライドはどこへ行ったのかと思います。実際死刑はなかなか執行されないらしいです。
最後の法務大臣の押印もなかなかされないのもありますが、裁判官もやはりよほどの犯罪者
でない限り判決したくないのもあるのでしょう。しかしそれこと被害者の気持ちを度外視している
といえるのでしょう。私はどんどん死刑をしろと言っているのではありません。あまりに妥当性を
欠いた量刑を改革し加害者に相当な責任を負わせるべきと言っているのです。また裁判は
やはり被害者のためにあると思います。今の裁判制度からは考えられないですが。
やはり根本は被害者のためにあるのではないでしょうか。確かにだからといって違法捜査や
誤審は断じて許されませんが、それと妥当性ある判決相当な責任をとらせることは
別個なことなのです。またわたしはルールをたくさん作り日本をがんじがらめにしようとなんて
思っていません。要は最低限のルールは必要ではないか。特に凶悪犯罪をしているのだから。
わたしは今国民の法感情と法律家の意識を少しでも埋められるように司法界を目指しています。
少年法も全て少年だから保護されるのは常識的におかしいと思います。
法律家は国民の常識がたまに間違っているようなことを述べますが、
私は間違っているのは法改正に携わる専門家であると信じています。
少しでも被害者の人権を守る暖かい世の中にしていく必要があるのではないでしょうか。
被害者はいまだに捜査においてもマスコミの取材においても第二の被害にあうことが多いと
思われます。被害者が一番守られるべきなのに。何かがおかしいと考えるのが常識人の
常識でしょう。
どの少年犯罪も いや、全ての犯罪者に言える事は『反省で戻る命無し』です。
ふと、PCを持った時犯罪関連を興味本意で見ました。あれこれ目にして気分が悪くなり
ました。犯罪行為の内容では無く、自分の興味本意な感情に気分が悪くなりました。
これ程までに辛く悲しく無念な人生の幕引きとなった被害者はもとより、その御家族に
ひどく失礼な興味という感情を持った事、まずはお詫び致します。
私にも、二人のまだ幼い子供がおります。とても愛しいです。しかし私自身親の愛情に
恵まれぬ環境に育ち、決して順調な養育環境や精神衛生を保てぬ中生きてまいりました。
しかし今だ一度たりとも人を傷つけた事はありません。そんな私からすれば今何故これ程までに
少年犯罪が増え、また普通の家庭や普通の子と言われる人が償いきれぬ凶悪かつ残虐な
行為の果ての殺人を事も無げに容易く犯すのか理解出来ません。
昔の盗みは食うや食わずの生活の果てや、殺人も理不尽な処遇の結果が大半でした。
しかし、いかなる事情の答えであっても全ての罪に言い訳は無いと思います。
私の子供が同じ不幸にあったなら地の果てまでも追い掛けて同じやり方で加害者を殺すと
思いましたふとそんな情景を4歳の息子の寝顔に重ねて見ました。物書きである想像力が災い
して余りにリアルに映像化された無惨な我が子が浮かんだ瞬間吐きそうになりました。
心臓の奥がキリで突かれた様に痛み息を吸う事さえ辛くなりました。
これが現実ならば復讐出来る気力などなく簡単に精神を病み壊れて現実逃避しか
出来ないと思いました。それを今現実に受け止めて日々をお暮らしの被害者の御家族の心情は、
何を以てしても想像もつかない程辛く厳しいものです。そして次に浮かんだのは加害者が本当に
更正してまともな感覚を取り戻し罪を悔やんだなら各施設を出た後生き続ける気持ちが有るなんて
全く理解出来ない。死にたくなるだろう。気が振れるだろう。自分の恐ろしさに気付き、
被害者の痛みや苦しをありありと感じたら謝り、反省してもどうにもならないと思い死を
自ら選ぶだろう。
誰も反省してない。加害者は反省しても命は戻らず、悲しみと苦しみは消えない。
よく「被害者遺族」というものを盾に法曹批判をする人がいるが、
遺族つまり「家族」の絆って、一般に思われてるほど絶対的なものなのだろうか?
家族なんて恋人と違い、好きな相手を選んでくっついているものじゃない(配偶者は例外)。
子どもだって、どんな人間に育つか分からないままとりあえず生んで育てているものだ。
ここまで偶発的な人間関係に、言われるほど強固な絆なんてものがあるか疑問。
確かに犯罪被害者の遺族は普通「犯人が憎い」と口にするが、逆にマスコミの前で
「別に憎んでませんよ。俺は被害者と仲良くなかったし」なんて堂々と言える人間がどこにいる?
家族愛なるものがないとはもちろん言わないが、マスコミはそれを利用して
「法曹」や「最近の若者」への差別意識を煽り、過激なことを言ってみせて儲けているだけだろう。
だいたい、裁判に時間がかかることと遺族の気持ちは本当に関係があるのか。
マスコミの本音は「判決というイベントを、大衆が飽きる前にやって欲しい」んだと思う。
裁判が長く続くことはむしろ被告人にとって嫌なことの方が多いし、
日本では一般人が思ってるほど引き伸ばし戦術ってのは(刑事では)使えない。
1・無実の人間を罪人として告発したり、無実の人間を裁判中ないし報道過程において責めた場合
2・無実の人間を警官が捕まえた後、取調べ等で人権無視な行動をとった場合
3・無実の人間を犯罪者として訴えた検察官
4・悪し罪人を無罪にしようと行動する弁護士
5・善悪の判断が出来ず結果的に冤罪を課した判事
6・冤罪者を犯罪者のレッテルを張り報道した報道機関
これら全てに責任が伴う。
責任の取り方は罪の大小に寄り様々。謝って済めばそれで良し。
済まなければ金銭や物品で賠償、謝罪広告の掲載、被害者側が加害者側をリンチにかける(やれれば一番いいが)等で
受けたダメージを償わないとならないシステムを構築すべき。
これにより
警察も取り調べの過程に於いて被疑者の人権を立てるし
検察官や裁判官や弁護士もよくよく調べた上行動をするし
報道機関もワイドショー的、日刊ゲンダイ的な報道を慎むし
それに伴い一般市民も根拠の無い噂だけで人に悪しきレッテルを張り迫害しなくなる。
事件などを起こしたり、不登校・引き篭もりなどに至る経緯というものがあると思います。
まったく普通の子供たちが事件を起こすワケはありません。
僕も、色々経験してきましたが、ある程度の歪んでしまった感情・性格の闇の部分が作られる
のは、中学校に入ってからだと思います。僕の場合も、中学校の時にクラスと馴染めずに、
そのはけ口として、何か学校以外の生活とか趣味を見出そうとしました。
小学校の時には学校に馴染めなかったり、授業について行けなくても、まだそれぞれの生徒の
自我があまり無いので、いじめや非行や、思い通りにならない自分の学校生活から逃げるための
歪んでしまった闇の部分は芽生えたりしないと思います。無邪気というものが、まだあると思います。
しかし中学校になると、ある程度の自我が芽生えるし、小学校の長い間続いた環境からも急に離
れ、全然違う雰囲気に置かれます。もちろん、そのまま普通に学校生活に馴染んでいくような、明
るい子や、安定した家庭環境の子、自分を認めてくれる人を持った子らは不自由はあっても、何と
か卒業し、就職、高校、大学、専門学校などを目指してゆくものだと思います。しかし、暗い感じの
性格で友達ができない、勉強・運動について行けない、集団生活について行けない、家庭環境が安
定していない子らは、どうしても、普通の生活は出来ないんだと思います。クラスの中に、元気で、
いわゆる態度の悪い子らが多い場合も、そのクラスの中で弱気な子は必ず、いじめられ、
不登校になったり、歪んだ性格が形作られてしまうんでしょう。問題なのは、そういう、普通の学校
生活が送れない子たちが、つねに少数だということです。
もちろん、教師も親も、万能では無いですから、最終的にはその子自身が何とかしないといけないんです。
非行も不登校も引き篭もりもいじめも、暴行事件や、殺害事件なども、つねに少数の立場
に置かれた子が、今の自分の嫌な状態から、脱出したくて、やってしまうんでしょう。
大多数が学校生活をうまく、楽しく送れている中で、自分だけがうまく学校生活を送れない、
これはどうしようも無い苦痛・絶望です。
しかも、「中学校は、行かないといけない」という大前提のようなものが、どうしてもあるので、
これは教師や親などは察する事はムズかしいでしょう。
少年犯罪・・・・我が家の場合死に至る事もなかったし被害に遭ったのも主人と大人です。
が、ものすごく警察にも腹が立ったし・法に対しても。。。。
残業して自転車で帰宅途中の主人をお酒を買うお金が欲しい・・・という理由から少年7人が自転車で追いかけてきて主人を殴りました。
主人は自力では帰ってこれたものの顔面骨折で手術となりました。
が、殴った相手の事は皆目わからない。
警察に連絡を入れても教えられないが補導はしましたというのみ。
れからしばらくして、一通のFAX。
3人の加害者のうちの一人の弁護士でした。
こちらは加害者の年齢・名前・住所もわからないのに・・・・
主人は入院中にて話し合うことはできないとの旨を弁護士の留守番電話に入れましたが、
それ以降1度も連絡はありませんでした。
もう一人の加害者の親も来ていたようですが私の留守中で手紙が入っていました。
息子は反省し今大学受験にむけて頑張ってます。と・・・・余計に腹が立って・
腹が立って3人目・・・・・いまだに誰だか不明のまんまです。
その時警察に電話を入れ、どうしてこちらは加害者のことは何も教えてもらえないのに向こうは
我が家のこと、名前・電話・住所・職業・家族構成を知っているのか??
おかしい!!と言いました。
その時の返答は、相手はあなた達に謝りたいと言ってきたし弁護士さんだったから教えましたよ。
何かそれがいけませんでしたか??でした。
謝りたい??弁護士が???
何かおかしくないですか??と尋ねると、その警察の方・・・・・怒っていいました。じゃぁ、教えませんよ!!ガシャン
もちろん、弁護士さんにも相談にいきました。
本にも書いてあったのですが、用意で仕事ができません。が、入院でかなりの間仕事を
休んでいたのでこれ以上は無理だと判断し、裁判はあきらめました。
今、思うと本当に熱心になってくれる弁護士さんに出会っていたら・・・・・
持っていないものの勝ちですものね〜
やったら必ず勝つよ。でも、賠償金を取りたてるのはあなた達だよ。それでもする?
相手は未成年でしょう〜??
親は保護責任には問えないよ。
と・・・・・お願いしに行くほど悲しくなるばかり
絶対におかしい!
今私は学校(高校)でディベートの授業をやっていて、議題が「刑罰の対象年齢を下げる
べきだ」です。私はその反対派で、いろいろ資料を読みました。そこで私が感じたこと。
非常に難しい問題だな、ということ。どの人の言い分もよくわかります。賛成派も反対派も中立も。
でも気になったのは、多くの人が一面だけを見て意見していること。そこでちょっとその人たちに、言いたいです。
一番怒りをおぼえたの。少年で犯罪(特に人殺し)を犯した子は、一生娑婆に出てくるな、という
意見。それでは、一回でも過ちを犯した人は死ねと言っているようなもの。それはあまりにも
ひどすぎます。遺族としてはもっともな意見だけど、心が狭すぎる!!
私は被害者の遺族にはなっていないけれど、被害者にはなりました。
そのせいで長い間、精神がおかしくなるほど苦労しました。でも不思議と犯人に対する恨みとかは
ありません。むしろあわれに思ってます。犯人には犯人なりの理由があったのだと思います。
少年犯罪にしても、少年たちは、家庭が崩壊しているだとか、抑圧をうけているだとか、
居場所がないだとか。加害者の事情を知ればなるほどと思います。私もそんな環境に育ったなら、
犯罪者の仲間入りをしていたかもしれません。
少年でも大人と同様に扱え、ということについて。子供はあらゆる面において、
大人と区別されて扱われているのに、刑罰に関してだけ大人と同じというのはおかしいと思います。
子供は精神面において、身体面と同様、まだ成長過程にあります。最近の子供は早熟だと言う人がいますが、私は反対だと思います。
成長してないから、善と悪、悪戯と犯罪の区別がついていないんです。それがきちんとわかってて
分別ついた人なら、こんな残虐な犯罪は犯しません。大人でも精神面で子供の人は大勢います。
そんな子供大人になるために、未熟な少年はしっかりと親や地域の人々が大人にしてやるべき
です。少年院でも半分くらいは反省に効果があるみたいですが、結局はきちんと更生できない
場合が多いので、親だけではなく、周りの人々が協力し合っていくことが大切だと思います。
法律にたよるよりも、まず自分たちが積極的に関わっていくことが必要だと思います。
生意気言っちゃってごめんなさい。でも「私」というひとりの「子供」のひとつの見解です。
加害者擁護派の論法は、
1. “子どもには判断能力がない、従って責任能力が無く、大人によっていかなる場合も保護され
るべき存在だ”、
2.“権利と責任は一体だ”ということです。“命の愛の掟”における論議で見たとおり、“価値の返済”
に関しては、それらの論法が一切通用しないことを誰もが理解できるはずですが、これらの欺瞞と
矛盾についても、述べることにしましょう。
1.については、わが民法に、子どもという存在への現代社会の考えや姿勢が示されています。
すなわち満20歳に満たない者は、未成年者という限定的な意味での子ども(子どもという
言い方には、色々な意味があることに注意)とされています。前述の婚姻適齢と異なるのは、
これが人間の成長段階のうち、生物学的部分より社会的部分に大きな比重を置いているから
でしょう。民法における未成年者の“保護”の意味は、“金銭面の利益・不利益を伴う法律行為に
ついて、親権者などの法定代理人の同意が必要であり、その過程を経なかった行為については
後で取り消すことができる(同4条2項)”ということです。
つまり損得について判断する能力(意思能力)には一定の社会的経験その他が必要であり、
それは大人でも個人差や困難が伴うが、大人は公共の福祉の範囲で自己責任に基づいて、
それを行なうしかない。しかし、子どもにも個人差があるにせよ、その差は一目瞭然で判るもので
もない。損得に関する判断能力があろうとなかろうと一律・一般的に子どもを、また“相手をも”
保護するための規定が必要だということになる。“保護”とは本来このような意味です。
だから、同4条から6条にかけて、ひもつきでない経済利益を得るだけの法律行為には、
親の同意などは必要なく、また日常の買い物や家業の手伝いなどの軽易な経済行為については、
責任ある自立が許され期待されてもいます。
子どもは、加害者擁護派が言うように、“すべての決定権を我々大人が担保しなくてはならない”
ほど無能な存在だとは、子どもたち自身思っていない(その判断でさえ擁護派は認めずに、
自分たちの考えを“子どもの視点”とするのでしょうが)でしょう。もし、それほど無能な存在で、
しかも獣以下のことをするほど危険であれば始めから外に出すわけにはいきません。
民法の冒頭である通則には、権利と義務には信義と誠実が伴わなければならないということ、
権利の乱用は許さないということが警告されています。そしてその延長として、
同19条から20条にかけて、“行為無能力者に騙された者の保護”もちゃんと規定されています。
経済利益に関して騙された者が保護されるなら、命という最大の価値を理不尽に残虐に奪われた
者に関して、最も手厚い保護が行なわれ、奪った者やその保護者には返済と処罰が科されるのは
法理からも当然のことです。また、善なる心の性向を持つ人間でさえあるなら誰でも
判ることですが、“保護”には次の意味も含まれる。つまり邪悪さと無関係な本来の子どもは、
邪悪さを実行し、擁護する勢力(未成年者を含む)から護られなければならない。
真に善良な大人も、邪悪さを実行する勢力から護られなければならない。それが義務を護る市民・
国民としての当然の権利だということです。そうでなければ、この社会は存続することができない。
ちなみに犯罪が“命の返済”に関わらない場合でも、大人と子どもを問わず、
“価値の返済”の観点がもっと重視されるべきだと思います。続発する犯罪が被害者と社会に
もたらす損失をその責任者に、損失と責任の程度に応じて支払わせる手立てが必要です。
罪を犯した者の償いが、経済循環のなかに適正に組み入れられることが望ましい。
子どもの場合は当然、責任は保護者と一体で考えられる必要があります。
失われたすべての価値が、可能な限り元どおりにされなければならない。
矯正は罪を犯した者の魂の価値を取り戻すことです。充分な償いに伴って充分な矯正が
図られなければ、更生が被害当事者と社会に認められるはずがありません。
2.については、“権利と責任とは一体”とは、先の民法通則にもあるとおり、
“権利も義務も誠実に、良心と責任をもって、行使し履行しなければならない”という意味です。
ところが、加害者擁護派は、既に見たように、“制限のない権利をくれなければ、
物を盗もうと、強奪しようと、誰をどんなやり方で殺そうと、責任は取らなくていいはずだ”
という意味で、使っています。まさに、まともな大人の言うこととはどうしても思われない、
魂の邪悪さと幼稚さ、つまりそのような心の性向から来る信念なのではないでしょうか。
命の愛と血の涙を見ている人、つまり行動と発言に責任感のある人たちが、それらを無視し、
軽視する論理・論法に、一瞬とまどうのは解らないでもありません。いきなり拳骨を浴びせられ
れば、まともな人なら目を白黒させるのは当たり前。まして刃物でグサリとなれば、覚めない悪夢。
どうしても解らないことがいくつかあります。なぜ人は悪を選ぶのかということ。環境は一分の理。
環境のために、例えばレ・ミゼラブルのジャン・バルジャンのように、極度の貧困により家族のため
パンを盗まざるを得なくとも、彼は良心と涙を忘れてはいなかった。本質的に善なる心の性向を持
つ者は、例え不条理のために大きな罪を犯そうとも、値しない相手を選ぶはずがない。罪の瞬間で
さえその心には愛への大きな飢えと悲しみ、良心の灯火が宿っていたはず。卑劣なやり方で理
不尽な罪を犯すはずもない。罪を犯した後の行動も卑怯なものであるはずがない。涙の味、涙とは
何であるか真に知っている者なら、他者の涙、まして血の涙が分からないはずがない。
不条理ゆえの罪人なら、罪悪感のなさ、図太さ、幼稚さからではなく、良心を捨てていないという
意味において“正々堂々”としているはず。奪ったものの返済も当然に理解するはずです。
また、邪悪さを擁護する勢力、身勝手な一方向からしか見ることのできない人々が、なぜこれほ
ど多いのかということ。そして、命の愛と血の涙を無視し、軽視することだけで既に誤っている彼ら
の論理に、なぜ法律家、教育者さえその矛盾を明らかにしようとしないのかということです。
そんなことさえできないのか?なぜ?
私事かもしれませんが、私自身は大した教育など受けていません。みなが貧しかった時代に育
ち、ある事情で、極貧とは言えないまでも惨めさも味わった。教育に関して私に影響を与えた人間
など誰もいない。少なくとも親身に私を導いてくれたという意味では、いない。私は自らを教育した
。人知れず悩み、苦しみ、数々の屈辱も味わい、心に穴が開くほどに、考えた。人は私を教えな
かった。(私はいかなる宗派にも属したことがないが)目と目があった聖書(簡単なことさえ本当に
理解している人は少ない。その奥行きは世界よりも深い)が私を教えた。そして、自然から、反面
的な意味も含めて人から学んだ。
刑法というような法律は、社会の治安と秩序を維持する為にこそ必要なものなのであるから、
法を犯した者を裁くには、常に社会との関連のなかで裁かなければ成らないのであって、現状のように
違反者個人の人権とか更生とかいう面にだけ目を向けていたのでは駄目なのである。
過失や情状の酌量にあたいするような犯罪者は兎も角、故意に犯行に及んだ者に対してまで、
その人権の擁護や更生を優先するあまり、社会に悪影響を及ぼすような裁きをなす現状のごとき司法官の態度は
、明らかに間違っているのである。
よって司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
余談は扨措き、上述したように犯罪者の人権擁護だの更生だのと温情をかけることは、一見、慈悲深い崇高な心のように
受け取られがちであるが、そんなものは慈悲でも何でもなく、単なる甘やかしであり、社会を一層混乱におとしいれるだけの
無分別な行為であるに過ぎないのである。
この度の少年の起こした犯罪にしても、十二歳といえば、やって善い事と、悪い事の判断くらいはできる年齢なのだから、
たとえ十歳の子供といえども、犯した罪に対しては相応の責任を取らせるべきなのである。
そうしなければ少年法の温情主義を逆手にとって、ゲーム感覚そのまゝに犯行におよぶ少年が後を絶たない事に
なってしまうのである。
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
また、この度の少年犯罪の場合も然うであるが、このような犯罪が生じた場合、すぐに犯人の精神状態が問題にされ、
精神鑑定が実施されることになる。 その結果、精神に異常がみとめられ、犯行当時に善悪の判断ができない状態にあった
となると、途端に犯した罪を法律で裁くことが出来なくなって無罪になるという扱いも、納得のいかないところである。
精神の錯乱によって善悪の判断がつかなかったのだから仕方がないと言うのなら尚のこと、善悪の判断もできぬ精神異常
者を野放しにする事の危険性は、判りそうなものではないか…
一見、常人と区別しがたい精神異常者が、すれ違いざまにいきなり刃物を取り出して襲い掛かって来たとしたら、誰がそれを
避けられるであろうか…
少年犯罪・・・
きっと、昔からトップニュースにはのぼらなくとも少年の犯す犯罪はたくさんあったはずですよね。
でも、昔とは犯罪の質が変わった。近年の少年による犯罪の質の変化について、私なりに色々と
考えをめぐらしています。その根本的原因は何なのか。
もちろん様々な要因があるだろうと思います。そしてその要因の一つに、「映像の変化」というものが
考えられる様な気がします。
私は何年か前に少年という枠をはずれたばかりですが、4歳になる娘がいます。その娘を見ていて思います。
娘が発する言葉や娘の見るアニメやCM。その全てが私の幼少時と変わりすぎている、と。ほんの20数年前の
私が幼少の頃は、アニメで殺しあうものや血が飛び散るものはほとんど見れませんでしたし、CMで下着姿はもちろん、
キスシーンは見れませんでした。ゴールデンの時間に罵倒が飛び交う番組や、自殺をテーマにしたドラマは
全く見れませんでした。しかし今現在は・・・。当たり前の様に見ることができます。聴くことができます。
普通に生活をしているだけで、この様に親としては避けたい情報が娘の記憶として保存されていってしまっています。
インターネットや映画、ビデオにゲーム。今後、娘の周りには余りある程の情報が溢れてくるわけですが、
こういうものを皆さんはどう思われますか?映画の内容も映像も随分変わりました。視聴者が物足りないからです。
”映像や情報が溢れてくると、物足りなくなる。だから実際に行動にうつしたくなる。”この事実が非常に
切実な要因になっているような気がしてなりません。
ゲームももちろん変わりました。映像がリアルになりすぎてしまっています。モンスターを倒して進んでいく
かわいい英雄が、人間を切って、殴って進んでいく、しかもどの人間もリアルな映像なのです。
このようなものを仮に毎日見ていたら、物足りなくなるかもしれません。未熟な想像力の少年達ならば。
まあ、成人していたとしても、未発達な想像力の持ち主はたくさんいるのかもしれませんが。
このような映像を規制する法律ってないんでしょうか?R指定位ですか?
私は声を大にして、映像や情報を規制することに、もっと政府は敏感になるべきだと思うのですが。
何かが起きてからその原因をあれやこれやと考え、結局何一つ改善されない。
私自身、20年も前、専門家といわれる人たちが、実際こう言っているのを聞きました。「日本人は特別な民族であり、
現実と虚構の区別くらいちゃんとできるから、暴力番組にもビデオなどにも影響されない。
アメリカみたいな規制は考えなくていい」私は、その時、「この国はおそらくそのうち地獄を
みることだろう」と思いましたが、残念ながら、そのとおりになってしまいました。精神分析や教育理論、
法律その他の専門家の意見も参考にはなるのでしょうが、それに支配されるべきではありません。
正しい場合もあるかもしれませんが、彼らほど間違いを犯し、またそれを認めなかった人種もないのですから。
オカルトじみて強欲を秘めたものは論外として、良識に叶う原因と結果の法則を無視すべきではありません。
優先すべきは、社会と個人のあり方を共に問い直し、良識に叶った予防措置を講じることです。原因は、
ひとつだけではないでしょう。大人社会自体が、情報や事件など醜い有様を呈していること、子どもを
食い物にする大人も多いこと、そんななかでも真剣にあるべき教育に努めない親が多いこと、
子どもといえど容易に悪魔になりうることを認めず、実際に犯罪を犯してもなお本人と親の責任を
問わず甘やかす仕組みを改善しなかったこと、数えればきりがありません。状況を放置しているうちに、
しつけがきちんとしている親にとってさえ悪影響を排除することが困難なほど、状況は悪化してしまった世の中で、
少年が幼稚なまま大人の醜さだけ身に付けて、犯罪に走ることが不思議なことでしょうか。犯罪の責めは、
本人と親、社会のいずれもが負わなければなりません。親と社会全体の責任とは、犯罪に応じてふさわしい罰と
自覚を本人に与えること、犯罪を生み出さない社会をつくることに渾身を傾けることです。
犯人の個人的な特徴や生い立ちに関する報道や受取り方については、注意が必要です。本質は何かを
忘れてはいけません。犯人が、学校の成績がいいとか悪いことは犯罪と関係はありません。
また見かけは大人しいとか、元気とか陰気とかいったことも。真面目に目的を持って頑張った結果、
例えば優秀な成績の子が、印象だけで犯罪予備群と思われたら、その子と日本の将来は一体どうなるのでしょう。
インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。だって、
殺されちゃった4歳の子は、もう、おとうさんにもおかあさんにも会えないんだからね。」と言いました。
息子がどこまで理解できているのかはわかりません。でも、話しながら、本当に、そうであってほしいと、
犯人には死ぬまでずっと苦しんでほしいと強く願いました。
犯罪を犯した少年のうち、十四歳以上二十歳未満を「犯罪少年」、
十四歳未満を「触法少年」という。「犯罪少年」は当然少年刑務所にブチ込まれるところだが、
つい最近まで、少年法に「刑事処分可能年齢は十六歳以上」という特例があったため、
たとえ犯罪少年であっても、それ未満の少年は罪を問われることはなかった。
「つまり、十六歳未満の犯罪はチャラになるんだ」
平成九年(1997)、この特例を逆手にとった凶悪犯罪が起こった。
神戸連続児童殺傷事件である。
当時十四歳だった犯人の少年は、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」なる奇怪な名を語り、
いたいけな三児童を殺傷、うち一人を小学校の前にさらし首にした。
少年は逮捕され、医療少年院に送られたが、この秋、この社会へ帰ってくる予定である。
事件後、少年法改正が論議され、平成十三年(2001)の改正少年法では、「刑事処分可能年齢は
十四歳以上」に引き下げられた。
ところがこの規定も、平成十五年(2003)七月に長崎幼児殺害事件を起こした十二歳の犯人には、
適用されることはない。
「犯人に適用できないなら、その親を市中引き回しの上打ち首にすればいい」
鴻池祥肇(こうのいけよしただ)防災担当相がそんなことを言って批判されたが、少なくとも被害者
の親は、それ以上に憤慨していることであろう。
七月には、沖縄でも少年たちによるリンチ殺人事件が起きた。
また東京では、少女四人が身勝手極まりない男の最後の晩餐(ばんさん)の犠牲になる事件も発生した。
被害少女の一人が言ったという。
「私たちが悪いんです」
とても被害者の言葉ではないが、彼女らは自分たちが「危ない橋」を渡っていたことに気付いたのであろう。
うまい話にはリスクが付きものである。
大人は信用できないものである。
初めからそう思っていたほうが無難である。
特に「信じろ」などと強制する大人ほど信じられないヤツはいない。
大人を信用してはいけない。
だからといって、無視しろと言っているわけではない。
良きにせよ悪しきにせよ、自らの手本とするのである。大人をよく観察し、分析し、習得すべきものは吸収し、いらないものは切り捨てるのである。
44 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 01:38:53 O
●お前はバカな奴さ。あの時、匿名で救急車か110番して少女を救ってれば、こんな事にならなかったのによ。一生頑張ってろアホ!人生は長いぞ●
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
また、この度の少年犯罪の場合も然うであるが、このような犯罪が生じた場合、すぐに犯人の精神状態が問題にされ、
精神鑑定が実施されることになる。 その結果、精神に異常がみとめられ、犯行当時に善悪の判断ができない状態にあった
となると、途端に犯した罪を法律で裁くことが出来なくなって無罪になるという扱いも、納得のいかないところである。
精神の錯乱によって善悪の判断がつかなかったのだから仕方がないと言うのなら尚のこと、善悪の判断もできぬ精神異常
者を野放しにする事の危険性は、判りそうなものではないか…
一見、常人と区別しがたい精神異常者が、すれ違いざまにいきなり刃物を取り出して襲い掛かって来たとしたら、誰がそれを
避けられるであろうか…
そんな危険な人物は、たとえ一生涯を費やそうとも、精神の異常が完治するまで完全に社会から隔離しなければ成らぬの
である。
今の世の中は麻薬や覚醒剤によって精神が錯乱している人間や、ホラー映画や俗悪なコンピューターゲームなどの悪影響を
受けて、邪悪な心の世界に陥ってしまった精神異常者が至るところに存在するのであるから、いつ何どき危害を加えられない
とも限らぬのである。
けれども、そのような精神異常者が事件を起こしたとしても、彼らの行為は犯罪とは見なされず、刑罰を科される事がない。
仮令、一時的に医療機関に送られる事にはなっても、事実上は無罪放免に等しい扱いになるのであって、以後、
医師の判断により数年を経ずして社会に復帰してくるのである。 こんなバカげたことを放置しておくのは、明らかに
国の落ち度なのであるから、国民は同志を募り、団結して此のような状況を放置している国を告訴して、責任を追及すべきだと
思うのだが…
それは兎も角、本当に加害少年の更生を願うのなら、罰を免除して遣るのではなく、犯した罪の重さを認識させ、
それを償わせて、心からなる更生の道を歩んでいく人間になるよう教育してやる事こそが、正しい裁きであるように思いますが
、皆様はどうお考えでしょうか?
擁護派の方々はここに来られる人も、メディアに出てこられる人も、話を聞いてると分かるのですが、
”痛み”を非常に忌避しています。
変革には痛みを伴うのは必死、しかしそれを受けるのも、与えるのも避けたい。
議論のパターンとしては相手の意見を封殺、もしくは有耶無耶にし聞こえの良い理想論を唱えるのが常です。
(大半の人がここで何となく納得させられてしまいます)そして絶対と言えるほど対処法を提示しません。
最後には、責任を個人から集団へ拡散させる発言で締めくくります。
結果、現状維持に陥ります。
↑ 結構この事に気づいていない人が多いんですよ。
彼らの意見を通すと必ずと言っていいほどこの結論に陥ります。
まぁ、本人たちに聞いても否定されるでしょうが。
彼らは未成年を罰するという事に抵抗があるというより、”個人が権力によって罰せられる”事に酷くアレルギーを
感じている、そんな印象を強く受けます。
勿論未成年加害者を案ずる持ちも無いわけではないでしょうが、殆どイデオロギーからの行動が本音でしょうね。
何が言いたいのかと言いますと、彼らに未成年加害者の凶悪さや、被害者の悲惨さ、法改正云々を語っても
あまり意味がないと言うことです。
何度も議論されてきた方々は、もうお気付きかもしれません。
そんなことを何度真摯に訴えようが、馬耳東風なんですね。
擁護派は何でこんな事が理解できないんだ?と首を傾げていた方々が多いでしょう。
未成年犯罪者の気持ち、私には分かるような気がします。
ただ、もちろん全ての件に関して、と言うわけではありません。
私は現在、成人している学生の身です。時代が変われば、子供達の気持ちも
変わりますから、私の年代とは、違うのかもしれません。
ですが、私は小学校時代。俗に言う小学校上級生の間に虐待を受けていたと感じる
時期があったのです。
それゆえに、犯罪に走ってしまう、子供の気持ちが・・・正確には気持ちではない
のかもしれ
ません。走ってしまった理由が分かる・・・これも言葉として適切とは思えません。
言葉にするのは難しいですね。私が20数年生きてきた中での経験を元に、
なんとなく感じとってしまったこと。と言う感じです。
どんなことがあったかって言うと、ある日、あの時、あの場所でーーー私の家族に
不幸なことが起こったんですね、これが。(途中は省きます。身内の恥をさらすようで
嫌なので)
結果、どうなったと言うと、父親は外に愛人を作り、週に2〜3回は家を留守に、
母親はその怒りを私にぶつけるようになりました。父親には腕力ではかなわなかったらし
いのでね。
色々あって、塾にもいかされていました。
さて、どうですかね? 小学校高学年の多感な時期、ほとんど毎日塾にいかされながら、
家に帰っては暴行を受け、両親におまえの父・母とは暮らしていけない。離婚する。
と愚痴をこぼされて生きていました。
リストカット。あれも、やろうと何遍も手首にカッターを当てました。まぁ、幸いにして
臆病者だったので、切れませんでしたが。
塾にいかされながら、と書きましたが、これも嫌だ!と言う度に殴られるので、御話しになりません。
いつしか、私立の中学校にいくのが当たり前だと思ってました。
ですが・・・なんなんでしょうね。六年生のある日、両親が正気に戻ったのか・・・
私に悪いと思ったのか・・・
何があったのかは分かりません。ただ、とにかく二人に心境の変化があったのは確か
なんです。
私はその日、いつものように塾にはいきたくない!私立の中学にはいきたくない!と親に泣きながら反発しました。
さて、何を言いたいかと言うと、現在の日本で親と言う立場にいる(もしくはそれに相応す
る年齢)人間の精神の未熟さです。
低すぎますよ・・・はっきり言って。
読んでる方もそうは思いませんか?ここの掲示板にも書いてありますが、公式の場でそぐ
わない発言をしている人が多いですよね。
今の私が、当時、父と母の年齢だったなら、絶対にどちらの立場でも譲歩していました。
もしくは、相手を納得させることができたでしょう。まぁ、私は男ですから、女性の気持ちが
100%理解できるとは言いませんけど。
ところで、過去ひどい扱いを受けた人間が他人に関して、寛容になると言う事象を知ってい
ますか?
私もそれに漏れないようです。他の人に比べると、そうですね、古き良き日本人らしさ、で
すか?と言うよりも人間として、できて当たり前のことをやっているつもりです。
簡単な所でいうと、電車の中での席の譲り合い、とかです。
あれは・・・なんなんでしょうね。大人と呼ばれる年齢の人が、私は立ったのを見たことが
ないのですが。逆に髪を金髪に染めてる人やら、ピアス空けてるのやら、バカップルやら
が譲ってるのはよく見ます。
年齢の低い人が譲るべき、ですか?そうではありませんよね?
私は、40代だろうが、50代だろうが、譲ると思いますよ。例え、疲れてようが、腰が
痛かろうがね。なんで、どうして、こんなことができないんでしょうね?
私が見ていることで判断しているだけですから、他の大人達はそうでないのかもしれ
ませんが。
こんなことを見たり、経験したりで思うのですが、現在の大人達は他人に対する思い
やりにかけていませんか?我が子に対しても、同じではないですか?
今日は、仕事で疲れた。なんて言って、子供のことをおろそかにしていませんか?
子供の頃、生き物を飼った経験が多くの方にあると思いますが、生き物を育てるのはとても
大変です。それをちゃんと生かしていれば、子育てをおろそかにすることなどできないはず
だと思うのですが・・・。
心ない飼い主が増えた。なんて言われる昨今では、無理ないのかもしれませんね。
『そうだな、悪いことだな。じゃあ、君達が大人になった時に、偉くなってそれを直してくれ』
人間の手になるもの、あるいは人間がゆがめてしまったものには、言うまでもなく
作為・不作為を問わず常に誤りや不完全さを伴います。本当に誠実な人は、そのこ
とを先ず認め、そして必要な範囲の現実全体を直視する過程で確認されあるいは
予想される諸々の問題を解決しようとします。いかなる分野・立場の人であろうと、そ
の姿勢を欠くことじたい既に、考えるための基本的な資格を失っています。これはき
わめて大事なことです。
人間は、言葉の生き物です。それは、法律家など専門家といわれる人々にしても全
く同じです。そして自分自身で、また他者とともに人間全体の関心対象について考え
るための基本の言葉はあくまで、万人に通用する普通の言葉です。専門家といわれ
る人々が使う専門用語と呼ばれる特殊な言葉は、対象をより厳密に深く追求する場合
に限って有用です。その分を超えると、専門用語はむしろ危険性を生じます。普通の言
葉の定義では対応できない場合にのみ、専門用語の定義が必要なのです。専門用語や
自分たちだけに通用する虚構の論理を、人々を煙に巻き、自らをも欺くために使うことは
、傲慢さと愚かさの為せる業です。まして、そういった職業的利害や面子、付き合いなどを
、人の命や愛、正義、財産などゆるがせにできないことより優先させるようなことは、むしろ
邪悪さから来ると言ってもよいほどの許されない業です。真に専門家と呼ばれるに値する
人なら、そのことを常に深く意識しているはずです。このこともきわめて大事なことです。
さて、少年犯罪に拘わらず、現実の犯罪の細かな態様は、千差万別という表現をも超え
るほどです。被害者と加害者、訴える側と訴えられる側という一つひとつの構図の裏には
、愛と憎しみ、血と涙、悲しみや苦しみ、身勝手な論理や残忍さやゆがんだ喜びや狂気(未
熟さとの区別は不可能)などの複雑な要因が関わり、最終的には、必ずしも単純ではない
善と悪との闘いという問題に戻っていきます。犯罪に関わる処罰と償いと更生の問題には、
一律的外形要因のみによるのではなく、容易に見えるとは限らない、隠れた要因にまで可
能な限り踏み込んで当たらなければなりません。そして、その解決は、被害側の救済と加
害側の処罰と償いと更生が、“正義の天秤”上で釣合いを保たない限り
人間の手になるもの、あるいは人間がゆがめてしまったものには、言うまでもなく
作為・不作為を問わず常に誤りや不完全さを伴います。
ところで、“行為と罪と罰”、またそれらの関係とは何でしょうか?ある行為は罪と
みなされ、別の行為は罪とみなされないのは、なぜでしょうか?人間は、顕在意識
と潜在意識という二つの意識領域を持っています。そして、それらの領域は、知情意
などの働きを司ります。これらの働きが人間の行為を生み出します。数え切れない人間
の行為のなかには、直接・間接に他者の心と身体または財産を損傷し、あるいは命を
奪う効果を持つものもあります。ある行為が実際にそれらの結果を生んだ場合、行為者
の意識のありようによって罪の程度が分かれます:1.そのような結果に至らしめる明確な
目的意識をもって、為された場合―故意犯。犯行に至るまでの準備や犯行の経過から
みて、その間に明確な目的意識は見出されないにも拘わらず、望ましくない結果を避け
ようとする当然の努力も見出されない場合―未必の故意犯。行為経過において、いかな
る目的意識も見出されないが、もし行為者が、自らの立場と善良さと責任に基づく可能な
限りの注意を払っていたなら、望ましくない結果を避けることができたであろうと推測され
る場合―過失犯。行為経過において、社会通念上も実際の精査に基づく判断によっても、
不可抗力としかみなされない場合―原則無罪。(このような場合でも、遺族は行為者に対
して恨みを抱くのは無理からぬことであり、旧約聖書において、そのようなときのために神
は“逃れの町”を設けられたとある)
ところで人間の行動を司るのは、狭い顕在意識領域より、むしろ遥かに広大な潜在意識
領域であり、両者の間には明確な境界が無いのですから、本来は双方の領域における意
思によって罪が問われなければなりません。そうでなければ、催眠術犯罪という特殊なケ
ースを含め、悪の巧妙さと多様性には充分に対抗できません。それにも拘わらず、精神、
特に潜在領域については、人間は一般に認められた知識をいまだ殆ど持たないので、結
果とともに自律的な意思能力や証明を重視する近代法では、心身喪失者や心神耗弱者、
一定年齢以下の犯行者などを罪に問えないとするわけです。
大多数が学校生活をうまく、楽しく送れている中で、自分だけがうまく学校生活を送れない、
これはどうしようも無い苦痛・絶望です。
ところで、“行為と罪と罰”、またそれらの関係とは何でしょうか?ある行為は罪と
みなされ、別の行為は罪とみなされないのは、なぜでしょうか?人間は、顕在意識
と潜在意識という二つの意識領域を持っています。そして、それらの領域は、知情意
などの働きを司ります。これらの働きが人間の行為を生み出します。数え切れない人間
の行為のなかには、直接・間接に他者の心と身体または財産を損傷し、あるいは命を
奪う効果を持つものもあります。ある行為が実際にそれらの結果を生んだ場合、行為者
の意識のありようによって罪の程度が分かれます:1.そのような結果に至らしめる明確な
目的意識をもって、為された場合―故意犯。犯行に至るまでの準備や犯行の経過から
みて、その間に明確な目的意識は見出されないにも拘わらず、望ましくない結果を避け
ようとする当然の努力も見出されない場合―未必の故意犯。行為経過において、いかな
る目的意識も見出されないが、もし行為者が、自らの立場と善良さと責任に基づく可能な
限りの注意を払っていたなら、望ましくない結果を避けることができたであろうと推測され
る場合―過失犯。行為経過において、社会通念上も実際の精査に基づく判断によっても、
不可抗力としかみなされない場合―原則無罪。(このような場合でも、遺族は行為者に対
して恨みを抱くのは無理からぬことであり、旧約聖書において、そのようなときのために神
は“逃れの町”を設けられたとある)
ところで人間の行動を司るのは、狭い顕在意識領域より、むしろ遥かに広大な潜在意識
領域であり、両者の間には明確な境界が無いのですから、本来は双方の領域における意
思によって罪が問われなければなりません。そうでなければ、催眠術犯罪という特殊なケ
ースを含め、悪の巧妙さと多様性には充分に対抗できません。それにも拘わらず、精神、
特に潜在領域については、人間は一般に認められた知識をいまだ殆ど持たないので、結
果とともに自律的な意思能力や証明を重視する近代法では、心身喪失者や心神耗弱者、
一定年齢以下の犯行者などを罪に問えないとするわけです。
真剣に考え、予防措置を講じることが必要です。
私自身、20年も前、専門家といわれる人たちが、実際こう言っているのを聞きました。「日本人は特別な民族であり、
現実と虚構の区別くらいちゃんとできるから、暴力番組にもビデオなどにも影響されない。
アメリカみたいな規制は考えなくていい」私は、その時、「この国はおそらくそのうち地獄を
みることだろう」と思いましたが、残念ながら、そのとおりになってしまいました。精神分析や教育理論、
法律その他の専門家の意見も参考にはなるのでしょうが、それに支配されるべきではありません。
正しい場合もあるかもしれませんが、彼らほど間違いを犯し、またそれを認めなかった人種もないのですから。
オカルトじみて強欲を秘めたものは論外として、良識に叶う原因と結果の法則を無視すべきではありません。
優先すべきは、社会と個人のあり方を共に問い直し、良識に叶った予防措置を講じることです。原因は、
ひとつだけではないでしょう。大人社会自体が、情報や事件など醜い有様を呈していること、子どもを
食い物にする大人も多いこと、そんななかでも真剣にあるべき教育に努めない親が多いこと、
子どもといえど容易に悪魔になりうることを認めず、実際に犯罪を犯してもなお本人と親の責任を
問わず甘やかす仕組みを改善しなかったこと、数えればきりがありません。状況を放置しているうちに、
しつけがきちんとしている親にとってさえ悪影響を排除することが困難なほど、状況は悪化してしまった世の中で、
少年が幼稚なまま大人の醜さだけ身に付けて、犯罪に走ることが不思議なことでしょうか。犯罪の責めは、
本人と親、社会のいずれもが負わなければなりません。親と社会全体の責任とは、犯罪に応じてふさわしい罰と
自覚を本人に与えること、犯罪を生み出さない社会をつくることに渾身を傾けることです。
犯人の個人的な特徴や生い立ちに関する報道や受取り方については、注意が必要です。本質は何かを
忘れてはいけません。犯人が、学校の成績がいいとか悪いことは犯罪と関係はありません。
また見かけは大人しいとか、元気とか陰気とかいったことも。真面目に目的を持って頑張った結果、
例えば優秀な成績の子が、印象だけで犯罪予備群と思われたら、その子と日本の将来は一体どうなるのでしょう。
社会では処罰年齢の引き下げを望む声もあります。しかし、こればかりはどこまで引き下げればいいのか・・・
たとえ5歳の幼児でも、生まれたばかりの赤ちゃんを殺すことはできます。それなら、
5歳の幼児を裁判所に立たせるのか、刑事罰を与えるのか・・・というところまで行きます。
被害者の方々の怒りは、波紋のように広がり、社会の怒りへと発展します・・・
感情と理論が行き違い、ひずみを生んでいきます。
ある政治家が、殺人を犯した少年の親を「市中引き回しの上、打ち首に処するべきだ」と
発言しました。処罰を厳しくし、見せしめに極刑にすれば、少年犯罪は少なくなるのか・・・
感情を度外視して考えれば、処罰を厳しくする前にすることが沢山あるように思えます。
例えば、犯罪の元凶が社会やコミュニティにあるとして、犯罪を未然に防ぐ社会作りをするという考え方です。
今の社会は、少年を恐れる大人たちで溢れています。私も、少年が怖い。町では決して目を合わせないようにします
「叱れない大人が多いからだ」という意見もあります。しかし、今の「不良」と呼ばれる少年には叱りは逆効果です
。注意したがために、暴行を受けた・・・・という話は後を絶ちません。
では、どうするべきなのか・・・
ニューヨークはここ数年で犯罪が激減しました。これは、市を上げて「ブロークン・ウィンドウ理論」を
実践したからだと言われています。一枚の窓のガラスが割れているいだけ、壁に落書きがされているだけで、
その近辺には犯罪者が集まってきて、最終的には殺人などの重犯罪が起きてしまう・・・という理論です。
重犯罪をなくすために、まず徹底的に落書きを消していったそうです・・・
これが、少年犯罪、ひいては大人の犯罪にも当てはまるのではないかと想います。
少年の万引きや喫煙といった軽犯罪は暴走行為や暴行へと発展し、最後には殺人に行き着きます。
暴走族員は暴力団員へとエスカレートします。
ですから、まず、万引きや喫煙を「徹底的」に排除するという方法で、とにかく少年の軽犯罪をなくすのが
先決だと想います。これは、国が率先しまず学校や親の教育から始めなければならないでしょう。
少年犯罪が起こると、どうしてもその残虐性がクローズアップされますが、その根元は小さな軽犯罪なんだと想います。
いじめ、万引き....・・・・・・
「いじめはした人間が悪い」これはいつの時代も未来永劫普遍の価値観であると思っております。
加害者、また、その加害者を永きに渡って養育してきた親や学校、事実を歪曲した報道、警察、
これ全て鬼畜でありこの世の中で生きる価値、少なくとも「健康で文化的な最低限度の生活」を
保障されるに足る価値はないと率直に感じております。
少年法により軽い罪で社会復帰し、また、再び通常の社会生活を送らせることに価値は
まったくないと思います。無期懲役で十分ではないでしょうか?
懲役であれば作業等で少しは役に立ちますし、社会から隔離しておくことで再犯は確実に
予防できます。そしてなによりこういった少年犯罪加害者予備軍への見せしめとして社会へ、
いうなれば「児童の健全な育成」に貢献できると思っています。法によって物事の道理が規定
できないのであれば法としての役目は全くございません。書籍の中であげられたどの事件に
おきましても「落とし前がつかなくなった社会」に対しての無力感を感じさせられるばかりです。
私が卒業しました福岡県立太宰府高校におきましても在学中いじめの問題があり、
いじめ主犯格とその数人が停学処分を受けました。いじめこそしなくはなりましたが、
その後もこのときの連中の態度は一向に改まることはなく、被害者の生徒は学校の片隅で
背中を丸めた学生生活を余儀なくされておりました。書籍のような命にかかわる大きな事件に
ならなかったことを考えれば、この状況はまだ許せるのかもしれませんが、悪いことをした人間が
「犯した罪と等価値の罰」に対してけじめをとったかということが常に私の胸中にささくれのように
残っております。私が卒業しすでに15年以上経過しておりますが今の世の中、ことこのいじめの
問題につきましてはなんら根本的な解決策が講じられていないものと痛感します。
大人の嫉妬社会がそのまま刷り込まれた「子供のいじめ問題」、まずは大人自身が他人に
嫉妬することなくよりよく生きることができるよう努めるべきであると思っています。
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
子供はいろんな環境の中学び成長しています。
家族が10あれば、10様の生活、躾、教育があることでしょう。
しかしながら、その中から不幸にも犯罪に手を染める人間が出てきてしまいます。
犯罪が一度発生すると、その行為者は法的に処罰を受け反省を求められたり、また、反省の余地がなければ極刑に処せられるのは当然の社会行為です。
その行為者が未成年だから軽くしてやるとか、許すとかはどう考えてもおかしい。
学校の中に於いて校則違反で厳しくするとか、温情で処置するとかなどと、社会の中の法律を同等に見ている人が多いことに驚きを隠せません。
悪意を持って行った身勝手な犯行が、自動車事故等の過失によって発生した加害者の受ける罰より軽いのが理解できないと言うことです。
乱暴にも交通事故と比較しましたが、まだ交通事故は保険によって賠償もなされます。
その上に、過失に応じて懲役も科せられます。
しかし、今のままでは少年犯罪は法があって無いようなものとしか言いようがない。
少年が犯ろうと、成人が犯ろうと罪は同じ、刑罰も同じが本当じゃないですか。
ただ、少年犯罪は成人犯罪と区別して行かなければならない事は罪を暴き刑を科すだけでなく、
その背景を厳密に調査し、原因を解明し、次の犯罪を防ぐべく教育のあり方、社会の中の少年のあり方を考える事が必要だと思うのですが。
みんな子供はもともと良い子ばかりと言っている人もいらっしゃいましたが、どんな悪いと言われる大人も、もともとそんな子供のうちの一人だったと思うのですが?
年齢で境をもうけ犯罪を区別するのは、正常とは思えない。
もし、低年齢の犯罪を考える時、その意志があったか無かったか、善悪の区別が付いたかつかなかったか、それを、裁判等で明らかにする方が現実的じゃないのかと思います。
長くなりましたが、これからどんどん犯罪の低年齢化が進みそうな中、生ぬるいことばかり言っていたら、混乱した怖いあれた社会になってしまうのでは。
最近の子供達を見ていると少し恐怖を覚えるのは私だけでしょうか?
私は正確に調べたわけではありませんが凶悪犯罪で未成年によるものが年々増えているように思
えてしかたありません。しかもその内容があまりに残虐すぎます。
私個人としては未成年の犯罪が起こるたびに、かつて東京都の綾瀬で起こった
58 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 02:08:23 0
荒らしてるのが湊だったら、おまえ今京都に住んでるんだって?
京都が穢れるから早く出ていってくれない?
僕は殺人を犯した罪人に人権はいらない、極刑もやむをえないと考えます。確かにこの意見には反対を思う人も
多いと思いますが殺された人の人権についても考えて欲しいです。殺された人は誰だって死にたくなかったわけだし
これからの人生をもっと楽しみたかったはずです。そんな人々の生きる権利をほんの些細な理由で奪った犯人には
当然それ相応の罰が必要です。
僕には夢があります、大きな夢です、僕はあるとき死ぬのが怖いと思いました。それは何故か?
それは死ぬと言うことで自分の夢が断たれるからです。僕は一回そのせいで一種のヒステリーのようなものに
陥ったことがあります。そのとき僕は本当に悩みました死の恐怖に自分が飲み込まれそうになり溢れんばかりの
絶望感が頭を支配します。精神的にかなり参りました。今考えるとそういった経験が逆に命の大切さを僕に教えて
くれることになったと思います。逆にこういう事件を聞くと本当に心が痛みます、と同時に怒りの感情が現れます。
犯人の少年たちに「お前ら殺された人の気持ち考えたことあるんか!!」と怒鳴り散らしたくなります。そういった
被害者を供養する意でも犯人の極刑はやむをえません。
マスコミ等が少年法についていろいろ騒ぐため少年たちは少年法の存在を知り悪用に走る。ということは少年法を
改正し殺人→極刑とすればそのことについて当然マスコミ等が触れる、そうなればマスコミを通じてまた人を殺したら
極刑になると言うのが少年たちに伝わる。少年犯罪は減る。この意見を聞いてこれでは暴れる少年たちをただ法律と
言う名の鎖で縛り付けているだけだと感じる人も多いだろう、しかし生まれたときから殺人→極刑と言う意識を一般常識と
して埋め込めばなんら問題は無いだろう単純な考えだが的は得ていると思う。
もちろんこれはあくまで僕の考えであって反論も認めるしむしろ反論してくれるほうが嬉しい。
僕みたいな中学生がこんな偉そうなこと言うのは10年早いとか言われそうだけど最終的に言いたいのは命の
尊さを知れと言うことだ、命は尊く少なくともそんな些細な理由で奪っていけない、奪ったものにはそれ相応の償いを
してもらう、何もそれは少年犯罪に限ったことじゃない。そしてできれば死について深く考え悩んで欲しい
まさに、「人権」を唱える弁護士は、悪の化身でしかない。
目には目を、そういうつもりはありませんが、犯罪者の人権のみを主張する「人権擁護」派にうんざりします。
犯罪者にも人権はある、当然です、しかし被害者にも人権はあるし、東洋の文化は、死者の人権を決して軽るんじては
きませんでした。しかし、かの自称「文化人」達は、死んだ者はしかたがないと言わんばかりです。
人権の最たるものは、人の命です。民主的な人権擁護の社会は、この「人の命」がもっとも大切にされなければ
ならないし、決して犯してはならない、これは人類の昔からの不文律です。
だから、犯罪者の人権といえども誰も犯すことはできないと言うのが彼らの主張ですが、不文律を守れない者の
存在を許すことができるのだろうか、たとえ子供でも!
泥棒のはなしではないし、交通違反のことでもない、「汝殺す事なかれ」、3つの子供であっても教えなければなら
ないことであるし、破ることは許されるべきではない!
「人権擁護」派は、犯罪者の人権を擁護し、少年犯罪者や「精神病」犯罪者の人権を擁護することで、人の命を
軽んじている。すべてではないが、少年犯罪や衝動殺人は、些細な・自己中心的な理由から人殺しが行われていることに
問題があるのであって、悩みや葛藤の中で行われてほとんどない。
しかるに、かれらはその犯罪者の葛藤を言い立てる、人を殺して何も感じなければ、鬼畜である。
少年法は改正されるべきだ、それは命を奪う事に対しては、一切の免責をしてはならない、子供にペットの動物を
殺して良いと教える親がいるだろうか、分からない子供がいるだろうか、「理論」とやらを唱えるから分からなくなる、
物事はそんなに難しくはない。
人の命は山よりも重い、故人はそう言った、彼らは「人権擁護」派ではなかったかもしれないが、人の命と大切さを説いた、
頭をかいてすむことではないのだ。
償わなければならない!
自動車事故で人を死なせた加害者が、墓参りをする。聞いたことはある。
しかし、殺人者は、少年であることや心神耗弱を理由に、無罪を勝ち取ること、人権派弁護士が加害者にさせていることは
こうした「償い」である。
加害者は、人の命の大切さを思うのだろうか、確かに自分の命だけは大事にするかもしれない。
東京の中野富士見中学の鹿川君が,盛岡駅で首を吊った事件.これは当時,悲惨ないじめ事件として話題になりましたが,
ところが,ご両親が訴えた裁判では,一審判決で『成長過程のエピソード』として敗訴。次の東京高裁では覆されたものの,
人の命の尊さを教えるべき教師が『葬式ごっこ』の悪ふざけに荷担していたことを追及しないのが『法の番人』なのか,
と思わせられる奇妙な判決です.教師は法律上の有資格者です.特別な責任を課せられているわけですから,
そういった教師から教員免許を剥奪するくらいの判決をするのが,司法の任務です.
それから,山形マット殺人。山形県新庄市の中学で起こった,マットに巻かれて児玉有平君が亡くなった,いや殺された
事件.容疑者として捕まった7人のうち4人が仙台高裁で無実を主張事件は驚くことに『少年の冤罪事件』として注目を
浴びることに.無論彼らを真犯人と断定することは出来ないかも知れないが,だからといって亡くなった児玉君のことを
問題にせずに捕まった少年の行為だけが世間の注目の的となるのは事件の経過としては通常とまったく異なる
扱い.事件の真相追及は本来,被害者の権利回復のために行われるものであるはず.ところが学校で起こった事件に
関してはこの点があいまいにされやすい.マットが勝手に動いて人を巻き込むなどということはありえないのだから
児玉君の死は誰かの行為による被害であるはず.その加害者が誰かということを明らかにするという当然の目的を
逸脱してまで冤罪性のみを追及するマスコミは『子どもの権利のために』平気で他の子どもの権利を犠牲にしている.
大阪梅田の阪急百貨店で山形県の食品のイベントがあったとき,たまたま新庄から来た店の人にこの事件について
たずねたところ,本当に嫌な顔をして『あれは事故』と言い切っていた.
今の犯罪被害者支援活動は果たして,こういう人を救済するのでしょうか?
そもそも『犯罪』とは何でしょうか.『法に触れる行為』というのが最も一般的な定義と思われます.が,
実際の日常生活では,法に触れるすべての行為が犯罪とみなされるとも限りません.
(例えば,事故にかかわらない信号無視とか,18歳の学生の飲酒とか)駅に行くと『痴漢は犯罪』,人里離れた山中の
道路には『不法投棄は犯罪』と書かれてあります.
釈迦の弟子にアングリマーラという人がいた(麻原の弟子にも同名の人がいたが)。
彼は、釈迦の弟子になる前には、殺した人の指を切り取り、首飾りにしていたほどの
殺人鬼であったという。彼が托鉢にでると、村の人は石を投げつけたという。彼の前
身を知っていたからである。しかし、深く仏道に帰依する彼の姿をみて、長い時間の
後には村人も石を投げるのをやめ、釈迦の弟子の一人として受け入れるようになった
という。
「更生」という言葉をきくと、このアングリマーラの説話を思い出す。口をぬぐっ
て、過去の犯罪を誰にも知られないまま、幸せになるのが「更生」なのだろうか。そ
んな疑問がいつもあるからである。
少年法にある犯罪少年の名前や身元特定についての報道を禁じる規定の背景には、ど
うも犯罪少年が、犯罪を周囲に知られないまま平穏に社会に復帰すればいい、という
考えがあるようである。昭和44年、進学校サレジオ高校で同級生の首を切った少年
は、現在は弁護士として幸せに暮らしているという。少年法の考えからいけば、こん
なのは200%の更生かもしれない。また、「殺したS君の分も長生きして幸せにな
ります」といった栃木リンチ殺人の被告H・Kの発言、これも少年法でいう更生の理
念をふまえたと考えれば、案外まっとうな発言なのかもしれない。
単純な財産犯などでは、こんな考え方でもよいのかもしれない。「何年も前に万引
きが見つかり目をまっかにして泣きはらしていた少年が、今はよいパパになってい
る。よかったね。」というように。
しかし、殺人や後遺症の残る障害事件などでは、犯人はその後、過去の犯罪行為に
は口をぬぐって幸せに暮らしています、よかったねですむのだろうか。少なくとも遺
族や被害者にとってはやりきれないところだろう。
更生とは、単に人生をやり直し二度と犯罪行為を犯さないということだけではなく、
取り返しのつかない被害を与えたという重荷を背負いながら、長い時間をかけて被害
者や社会につぐないをつづけていくことではないか。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
少年犯罪はヤリ得を生んでいます。
このヤリ得は、次の犯罪を誘発します。
これを防ぐには、刑法を厳しくすることも大切ですが、なかなか法律を変えることは
大変で、法律家も保守的なものらしいです。
正義について研究しているアメリカの哲学者ジョン・ロールズをとりあげた『現代
思想の冒険者たち23 ロールズ──正義の原理』(講談社)という本があります。
そこで、少年犯罪の刑事裁判としての甘さを、民事事件の損害賠償請求で補うことを
徹底化することも一策ではないでしょうか。
もちろん、お金で悲しさ、悔しさを補いきれないことも事実でしょう。
しかし、少年が少年であるが故に罰が甘いなら、その責任は親、あるいは将来のその
少年自身にあるのではないでしょうか。
多くの言論人たちは、「価値観の絶対化だ」といって正義を批判します。
親や少年自身に損害賠償請求をしてください。
そうすればヤリ得を考え、法を厳しくしたがらない人も法を厳しくすることを考える
と思います。ここが重要です。
刑事裁判の欠陥を民事裁判で補った判例は、沼津のイジメ恐喝自殺事件や、先日も、
女性の殺人放火事件でもあります。
多くの少年犯罪被害者が、一斉に少年の親や少年自身に損害賠償請求をすれば、他人
に無関心な人達に衝撃を与え、世論が動きます。
賠償請求の目的をはっきり明言して、請求すれば、少年法改正に一役割します。
それが次の少年犯罪被害者の賠償請求や闘う気迫につながり、ヤリ得は減り、少年犯
罪減少にもつながると思います。それが目的です。
人を殺した子供は、やがて大人になり、結婚して子供をつくります。
人殺しの親は孫の顔を見ます。
殺された親は、子を失い、孫も失うのです。こんな理不尽が当たり前に通してはいけません。
加害者は一生を犠牲にして、被害者に償うのです。
自動車事故でさえ、一生を捧げて償っているではありませんか(保険に入っていない場合)
あくまで、甘すぎる少年法に抗議するためです。
ヤリ得させてはいけません。泣き寝入りもいけません。
また、ただ刑罰を重くしろと叫んでいるだけでも物足りません。
加害者の一生は、被害者に捧げられるべきなのです。この辺りの法律は整っていると
思います。
少年犯罪に対する司法の対応において、私が一番疑問に思っている事は、加害者の
人権のみが不当なほど保護されているという点で
す。「少年には未来があるから守らなければ!」とでも、賢い自称・人権派の方々は
思っていらっしゃるのかな?私に言わせれば、それ
こそただの自己満足としか思えない。ならば、殺されたり、傷害を受けた者には人権
はないのか。特に少年同士の事件の場合、報道機関
もニュースソースの不足に困るのか、被害者の交友関係とか私生活の部分を面白おか
しく書き立てる傾向が強いですね。最近では「神戸
の酒鬼薔薇聖斗事件」の時それを強く感じました。これでは、どちらが被害者かわからない状態ですね。
「信賞必罰」この概念で少年法を改正しない限り少年犯罪の凶悪化を止める事は不
可能でしょう。極論を言えば未成年の時に10人殺し
ても20才になれば犯罪記録は処分され、書類上は「前科なし」となるのですから。
戦後の「日本国憲法」施行後、未成年の時に起こし
た刑事事件で死刑になったのは「連続ピストル射殺事件」で5人を殺害した永山 則
夫(死刑執行済み・犯行時19才だった。)ただ一
人なんですから。未成年者の場合、他人を2〜3人殺害しても死刑を求刑される事は
ほぼ100%ないでしょう。実名を報道される事も
なく、どんなに凶悪な犯罪を起こしても死刑になる事はない。これでは、「悪い事は
未成年の間にどんどんして下さい。」と奨励してる
ようなものです。江戸時代に5代将軍 徳川 綱吉が発布した「生類憐れみの令」と
同じぐらいの悪法ですね。これからは、現行の少年
法は「未成年者憐れみの令」とでも呼びましょうか。
実例をひとつ、私の昔の顔見知り(あまりにも性質が悪すぎるので間違っても知り
合いなどとは呼びたくない。)「H」としておきま
しょうか。彼の場合、借金癖というか寸借詐欺の常習犯だったのです。何回も警察に
検挙されてもやめない、いや一種の習性みたいにな
ってしまっていたんです。親しい人間相手でも平気で寸借詐欺を繰り返していまし
た。Hを見て私は思いました、「世の中には社会生活に先天的に向かない奴がいるんだなあ。」と。
私は正確に調べたわけではありませんが凶悪犯罪で未成年によるものが年々増えているように思
えてしかたありません。しかもその内容があまりに残虐すぎます。
私個人としては未成年の犯罪が起こるたびに、かつて東京都の綾瀬で起こった「女子高生コ
ンクリート詰め殺人事件」が常に思い出されます。当時私は高校生でしたので被害者や加害者と
ほぼ同年齢でした。「同年代の人間がそんな酷いことをするのか」とショックを受けました。
しかし、当時報道された事件の内容はあまり詳しいものではなかったかと思います。
私の憶測になりますが、その内容があまりに残虐すぎて、当時報道できる範囲をはるかに超えてい
たためだと思います。また事件を掘り返すことにより被害者とその遺族をさらに苦しめることを避けたとも思えます。
ですが、一般はおろか被害者の遺族でさえ加害者の顔も名前も知らないのが現状で、今現在も
それについては全く変わっていないようです。
少年少女加害者の更正後、社会に復帰する弊害にならないよう法が定められているのは分かり
ます。ですが、昨今の凶悪犯罪を思い返すと率直に「更正などするはずがない」と思ってしま
います。それに被害者の遺族の立場で考えれば「更正などして欲しくもない」と思ってしまいま
す。私の主観的な意見なので
ですが、あまりに残虐な手段によって人権を侵害して更正などする権利などはないと思えて仕方ありません。
それと、少年少女の責任能力に関しては、現在においては十分にあると思います。現在では
沢山の情報が色々な手段で入手でき少年少女の思考能力は十分に善悪を判断できるレベル
ではないでしょうか。過去に起こった数々の事件でも加害者は十分に大人のレベルで物事の善
悪を判断できたのではないかと思います。年齢だけで判断してしまうのはナンセンスに思えて仕
方ありません。「性的な欲求」「ストレス」「家庭内の不和」など衝動的な原因はあっても、それが
決して犯罪に結びつくとは思えません。これまでに起こっている凶悪犯罪はほとんど計画的と
言えるのではないでしょうか
加害者が被害者に被害を加える際それによって被害者はどうなるか?ある程度予測がつい
ているケースがほとんどです。この時点で既に衝動的ではなく計画的だと思えます。
67 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 02:25:25 O
荒らしは寝ないでガンガレ〜
幾つかの事件の概要を拝見させていただき、ここしばらく寝付けません。
悲しみ、悔しさ、憎しみ、後悔、いろんな感情が入り乱れます。でもきっと毎日のようにおこる事件
に流され、だんだんに過去の記憶へと変わっていくのだと思います。被害に合われた当事者の方だ
けが、いつまでも癒えぬままに、ずっとそこで止まってしまったはずです。もうたわいも無く笑うこ
とも奪われたのではないでしょうか。
せめて早期に法の改正をと願ってやみません。私は死刑でも軽いと思っています。命を奪ったの
だからという理由の元で死刑になるのですから、死に対して納得もできるでしょう。しかし理由無く
命を奪われた方の無念はそんなもので補えるはずもありません。
死刑廃止論などを唱える方もいます。しかし大半は死刑肯定といいます。ではなぜすぐに変わら
ないのでしょう。もし未成年者の死刑など法の改正をした場合に何か不備が生じて、皆その責任を
負うのが嫌だから、少しずつ様子を見ながらしか事が進まないのでしょうか。
誰を守るための法律なのでしょか。実験のように、誰かがまた尊い命を奪われなければ変えてい
くことが出来ないのでしょうか。
いっそのこと「殺人者は全て死刑」と大々的に法を改正して、どう変わるか見てみたらいいのにと
投げやりに考えてしまいます。
それから・・これは一案ですが、被害者の方の寄付をインターネットのトップページで行うように、
どこかの企業に協力を要請してみてはいかがでしょうか。被害者の方が金銭的にも不利な立場
におられると最近になって知りました。無知ですいません。しかし私のように知らない人が大勢居
ると思います。逆に言うと、犯罪者へは税金が使われていると言うこともご存じない方はおられる
のではないでしょうか。
津波の募金で、欧米では一週間足らずで、日本国家の支援以上の金額の募金が集まったと新聞
か何かで読んだことがあります。その理由は募金への呼びかけの徹底にあったと。中でも私が
驚いたのは、ネットのトップページに募金の呼びかけがあり、クリックするだけで、100円ないし300
円程度の募金が出来るという手軽さが要因になっていると。
日本ではヤフーが募金を呼びかけたりはした
私は現在の悪いことをした人間がやったもん勝ちみたいの世の中は悲しく変更が
急務だと思います。特にこの前刑法改正法案が国会に
提出されることになったそうですが、まだ妥当性を欠いた法改正だと思います。
というのは例えば集団強姦にしても下限が2年から3年に引き上げられたのですが、
果たしてそれで国民一般の方感情を満たしていると思っているのか非常に疑問です。
長い時間議論を重ね謝金や人の労力を考えるとこの改正にかかり大きな予算が動いていると
思います。その結果が1年の差というのでは能力無い人間の集まりと言わざるを得ません。
一番感じるのは先ほども少し述べましたが、一般国民の法感情と法改正にかかる専門家との
意識の莫大な乖離です。本当に常識ある人間が改正に携わってるとは思えません。
無能力であり常識を欠いた人間の集まりではないでしょうか。刑法が作成されたのは戦前であり、
いわゆるdueprocess法律の手続きが整っていないときの話でした。フランキー堺が主役で
あったドラマ「貝になりたい」のようにろくに犯罪をしたという証拠もないのに警察官がでっち上げ
で捜査を行い、それが判決になったあまりに妥当性を欠いた部分がありました。ところが現在では
凶悪犯罪が激化し、警察の捜査も現在の刑事ドラマにあるような、脅しのようなやり方の捜査は
実際ほとんどなく、不祥事を起こす一部の警察官のみが違法な捜査をしているのが実情です。
つまり今の刑法は現在の実情には全く合わないものであるわけです。
凶悪犯罪がさまざまと移り変わる中で、何十年も刑法の改正が行われないのは異常としか
言い様がありません。それを一部の専門家が気づいているのかは非常に疑問ですが、
相当の能無しといえるのではないでしょうか。少し言葉が汚くなりました。現在の刑法の根本は
社会の秩序維持と加害者の応報にあります。応報であるからこそ被害者を除外した冷静な裁判を
目指しているのでしょうが、本当に被害者は全く除外すべきなのでしょうか。
民事訴訟においては当事者主義が中心に据えられ双方の意見が重要視されます。
同じようにとはいいませんが、根本は被害者の気持ちではないかと思われます。
過ちを犯した人に対して死んでしまえというのが被害者の親族の率直な願いでしょうが、
重大な非行・犯罪の発生を促進あるいは阻止する条件を、三つのレベルにわけて考えることが、
非行・犯罪発生の原因を探るために有効だと思う。主体的条件のレベル、
発生の直接契機(きっかけ、引き金)あるいは阻止の契機(引き留め)のレベル、
実行への方法や道具のレベルの三段階である。
第一に非行・犯罪の主体的条件である存在意味喪失感は小さくなっていない。
第二に非行・犯罪発生の直接の契機となる葛藤と孤立は少なくなっていない。[11]
第三に、上のような条件や契機があって非行・犯罪実行に近づいたとしても、それを実行するため
の道具を獲得できなければ、実行は成功しない。非行・犯罪実行方法としてのイメージや言語、
実行手段としての凶器などの道具によって、非行・犯罪の発生件数も質も変わってくる。
犯罪イメージや言語の情報はあふれている。今後もしも銃器が容易に手に入るようになったら、
凶悪犯罪発生は急増するであろう。
常識的感覚的凶悪化論ではなくて、少年の非行・犯罪について、もっと詳細な情報を整理する
必要がある。
ところが七〇年代になって、高校進学率は九〇%を超え、高度経済成長も終わる。
経済的豊かさは、実現されれば当然の日常となり、高校卒業も当たり前のことになる。
他方では、過剰な生産と過剰な消費が自然環境と社会を蝕みつつあり、そういう事態がハッキリ
してきたのに、どうすることもできない。社会の次の課題、歴史の課題が、見えなくなる。
青年が参加するに足る価値ある社会が見えなくなる。見通しを失った青年の新たな苦しみが、
ここから始まったのである。
家庭で子どもたちの役割がなくなったことも、存在意味喪失感をもたらしているに違いない。
一世代前までは、ほとんどの家庭で、子どもは一〇歳にもなれば家族生活を支えるために
どうしても必要な仕事を割り当てられていた。その仕事を子どもは嫌々やっている場合でも、
自分が必要とされ、当てにされているんだと感じたし、親から喜ばれれば、存在の充実を感じた
であろう。しかしいまや、子どもは愛情の対象ではあっても、役立たずであり、厄介者である。
しかも進路・職業選択は制度的形式的条件からすれば自由になっているのに、
偏差値という幻想の怪物ににらまれて心も体も動きがとれなくなっている。
少年法という稀代の悪法に守られて悪ガキがやりたい放題、其れを阻止すべき警察官が似非人権屋の横槍で手足をもがれ、拳銃を取り出しただけで、懲戒免職させられる(長野県警)始末では、犯罪者の高笑いだけが響く世の中に成ります。
まったくもってその通り。少年法は未成年者の犯罪の免罪符になっている。
少年法が適用されるのは小学校低学年までで十分。イギリスでは10歳から大人の法律が適用、実名報道もされる。
それと同時に似非警察官・裁判官ばりのテレビ局も規制する必要がある。
これらテレビ局はいまや殺人などをじゃんじゃん放送する犯罪ゲームセンターに成り下がっている。
こんなテレビ局に犯罪者を糾弾・非難する資格などないのだ。
自分たちの放送する番組は視聴率稼ぎ、金儲けのために表現の自由を悪用して逃げ回り、自分たちはすべて正しいかのごとく振舞っている。
よくゲームの内容が残虐だからと言って自治体で年齢制限を要求するがテレビに関しては全くそのような動きはない。普通はゲーム以上に身近なテレビこそ規制されるべき存在のはずだ。
いくらゲームを規制しようともテレビで犯罪をじゃんじゃん流している以上、ゲーム規制など効果があるはずがない。
今、日本の家庭はゲームがなくてもテレビ局という「犯罪ゲームセンターを何の危機感もなく受け入れている」ことを認識しなければならない。
賛成です。
でもメディアで犯罪情報の垂れ流し、これは見落としていました。
そういえば、以前にTVドラマを参考にした犯罪があったと記憶しています。
メディア規制法で犯罪に関する番組等を規制するようにする必要が
そろそろ必要ではないかと思います。
そして、メディアの番組の中から参考にした犯罪が出た場合は、そのメディアも
同罪として罰を受けるようにしたらいかがでしょうか。
犯罪のヒントを垂れ流し、その結果については知らん振りのメディアも問題があることを認識させるために重要なことだと思います。
「子供」がいないと言う事は、「子ども」や「その親」に対し、冷静な見方をすることも事実です。
事件が発覚する度に「私(親)は知らなかった」「うちの子は悪くない」「うちの子を信じてる」
とただ繰り返す、親たち、、、以前の黒磯の事件では、殺人に手を下した餓鬼(子どもと言え
ません)の親(公務員)がテレビで「殺された、、君が一番の被害者でうちのお子様は二番目の
被害者です。うちのお子様は気の弱い子です。これから裁判で真実を明らかにすれば判ります。」
と信じられない事を言っています。被害者の遺族は必ずと言って損害賠償請求を起こします。
通常、判決はそれなりの金額の支払いを本人やその親に命じます。
しかし、何人の餓鬼や親が支払うのでしょう。本人が月々僅かな金額を30−40年無利息払い、
親は自己破産、はまだ良いほう、知らん顔で払わない、行方不明の例が多いと聞いた事があります。
裁判所はその回収に対し、何の責任も持ちません。
先ほどの黒磯の例はどうなったのか知りません。
しかし、「」の事を言う親なら、多分払わないでしょう。
「うちのお子様の全ての罪がなくなる出所後の更正とこれからの将来に金が掛かるので、
賠償は払えない」とこう来るような気がします。
すぐにでもしてもらいたい法の改正は難しいと思います。せめて、その親の財産を差し押さえ、
被害者に対し払わせたい。そして、足りない部分は本人に何年掛けても支払わせたい。
そうすれば、せめて、守るものがある親にだけにでも警告になるのではないのではないでしょうか?
もうひとつ、、追加です。事件が起こると必ずその学校の担任、教頭、校長が入れ替わり出てきて
オウムのように同じ事を繰り返します。「まったく気づきませんでした。遺憾です。
以後はこのような悲しい事件は二度と云々、、と これは明らかに嘘をついていると思います。」
ただ、世間を騒がす(世間が騒ぐ)凶悪事件を起こす少年、少女は、その多くは歯止めが
かかりません。罪を犯した少年、少女は、家庭、学校などの社会的要因に大きく影響され、
凶悪犯として“追いやられて”います。彼、彼女らが追いやられる前に、我々社会で、
事前に守ってあげなければならないと、そしてそれが我々の義務であると、自分は思っています。
起きる前に
『追い詰められた子供は、弱い者だとされる人(例えば、社会的に「弱者」だと認知されているような
ホームレスの方、より小さな子供、少女)に刃を向けます。自分に刃を向ければ・・・それは自傷行為
であるリストカットや薬物の過剰摂取になります。それを外に向ければ・・・
それが人であるならば殺人・暴行・いじめになるのでしょう。』
この部分は本当にその通りだと思うのですが、追いつめられたからといって、
他人に刃を向けてもよいという理由は何一つなく、正当化される理由は何もないということなのだと
思います。
また、いじめというのも状況によって、十分に犯罪だと思いますので、いじめの被害者がまた
加害者になるという悪循環を立つためには、小さな罪のうちに厳しく指導及び処罰されて、
絶対してはならないものだという認識をさせる必要があると思います。
私は、いじめのせいで不登校になったり、転校を余儀なくされている生徒がいるとうことを、
報道等でなされている現状から、この部分においても、現状では加害生徒に甘いことが、
次の犯罪を誘発することにつながっていると思うのです。
『そんな切羽詰っている子供に「死刑は必要」としてもあまり意味はないのではないでしょうか。
「自分なんかどうなってもいい、死んでも良い」そこまで自分の価値を否定する子供が、
「死刑があるから・・・殺人はやめておこう」と思うでしょうか?』
少年事件の背景をよく見つめていくことは、大切なことだと思います。
少しでも犯罪を少なくしていくには、事件の背景を分析して、事件を誘発しにくくするということと、
起こしてしまった事件については、起こした罪に相応の罰を受けて責任をとるという両方が大切で
あると思われるからです。
私は、この掲示板に投稿されている皆さんが感じられていることは、両面が大切なのだが、
相応の罰を受けるということおいて、まだまだ不十分であるということだと推察致します。
その後もこのときの連中の態度は一向に改まることはなく、被害者の生徒は学校の片隅で
背中を丸めた学生生活を余儀なくされておりました。書籍のような命にかかわる大きな事件に
ならなかったことを考えれば、この状況はまだ許せるのかもしれませんが、悪いことをした人間が
74 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 02:55:50 O
昼ねしたら寝れねー。
加害者の荒しへ…最近この事件を知り、他のサイトでもこの事件の加害者を糾弾&晒ししてるから無駄無駄無駄 プッ
おまいらの悪事は決して消えないんだよ!
75 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 04:21:21 O
なんや、もう終りか?アラシは3時前に寝たらしい
76 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 04:28:29 O
ちゃんと交代で荒らしてサーバーに負荷かけまくらなきゃダメじゃないか!
さっさとアク禁になりんさい!
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
懲役であれば作業等で少しは役に立ちますし、社会から隔離しておくことで再犯は確実に
予防できます。そしてなによりこういった少年犯罪加害者予備軍への見せしめとして社会へ、
いうなれば「児童の健全な育成」に貢献できると思っています。
78 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 05:11:52 0
79 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 07:02:59 0
今日も荒らしの10倍の量、手軽にチェーンメルします。
みなさんも、よろしくお願いします。
荒らしは、ここに張り付いて必死になってろ。
---------------チェンメ推奨------------------------
1989年、一人の少女が41日間に渡り拉致、監禁、強姦、拷問、殺害され、
その遺体がコンクリート詰めになって発見される凶悪事件がありました。
2006年現在、主犯をのぞき全員出所してます。
自分の大切な人が同じ目に遭遇したらどうしますか?
それを考えながら少年法を見直すメールです。
犯人と事件の詳細
http://www.geocities.jp/zenbo2005/ これを許せない人は URLを貼って、知人・友人にメール転送して下さい。
80 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 07:12:27 O
てか、コピペ馬鹿をみんなで通報しない?
81 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 07:41:09 0
>>80 通報したい。どこに通報したらいいのか教えて下さい?
皆さんの意見等を拝見して賛成反対いろんな思いが脳裏に渦巻きます。
子供はいろんな環境の中学び成長しています。
家族が10あれば、10様の生活、躾、教育があることでしょう。
しかしながら、その中から不幸にも犯罪に手を染める人間が出てきてしまいます。
犯罪が一度発生すると、その行為者は法的に処罰を受け反省を求められたり、また、反省の余地がなければ極刑に処せられるのは当然の社会行為です。
その行為者が未成年だから軽くしてやるとか、許すとかはどう考えてもおかしい。
学校の中に於いて校則違反で厳しくするとか、温情で処置するとかなどと、社会の中の法律を同等に見ている人が多いことに驚きを隠せません。
悪意を持って行った身勝手な犯行が、自動車事故等の過失によって発生した加害者の受ける罰より軽いのが理解できないと言うことです。
乱暴にも交通事故と比較しましたが、まだ交通事故は保険によって賠償もなされます。
その上に、過失に応じて懲役も科せられます。
しかし、今のままでは少年犯罪は法があって無いようなものとしか言いようがない。
少年が犯ろうと、成人が犯ろうと罪は同じ、刑罰も同じが本当じゃないですか。
ただ、少年犯罪は成人犯罪と区別して行かなければならない事は罪を暴き刑を科すだけでなく、
その背景を厳密に調査し、原因を解明し、次の犯罪を防ぐべく教育のあり方、社会の中の少年のあり方を考える事が必要だと思うのですが。
みんな子供はもともと良い子ばかりと言っている人もいらっしゃいましたが、どんな悪いと言われる大人も、もともとそんな子供のうちの一人だったと思うのですが?
年齢で境をもうけ犯罪を区別するのは、正常とは思えない。
もし、低年齢の犯罪を考える時、その意志があったか無かったか、善悪の区別が付いたかつかなかったか、それを、裁判等で明らかにする方が現実的じゃないのかと思います。
長くなりましたが、これからどんどん犯罪の低年齢化が進みそうな中、生ぬるいことばかり言っていたら、混乱した怖いあれた社会になってしまうのでは。
最近の子供達を見ていると少し恐怖を覚えるのは私だけでしょうか?
て、焼き討ちや差別、やる奴が悪い、と言うのは簡単ですし、何よりその通りだと
思うんですが…。まあ差別はともかく、焼き討ち!なんてことは日本では起こらない
でしょう。<集団で家を取り巻いて罵声を浴びせる連中はいるようですが>しかし、
外に出てくると拒絶反応を示してしまう、これが社会ですよね。匿名報道が市民的支
持を得ているスウェーデンでも、名前が知られたために家族が差別するケースは実在
しているそうですし、今実名報道が始まれば受け入れるのではないか、前回も挙げた
トシュテン・カーシュ氏の言葉です。
確かに、そういう事が起こらない社会なら実名報道してもいいでしょう。しかし、そ
れが実現できるでしょうか。そんな社会は私たちの生きている間には実現しないだろ
う、と言ったのは例によって浅野教授でした。例えば、部落差別の問題は、戦前から
全国水平社があって、戦後は日弁連や政府が本格的に差別撤廃に乗り出しました。そ
うして、「表向きは」差別がほとんどなくなりました。しかし、まだまだ根っこの問
題は深いものです。結婚差別などは今だってなくなっていません。アメリカでも、性
犯罪者の実名を公表する一部の州では焼き討ちが発生していると耳にします。
これでは、きちんと罪を償って出てきた人が差別されるのは当然でしょう。また、
「ニュース性のある犯罪だけが報道で暴きたてられ、殺人でもニュース性のない事件
は見過ごされる」と言う矛盾はどう解決するんでしょうか。例えば、麻薬を吸っただ
けでワイドショーにあれやこれやと叩かれた芸能人の息子さんとか、隼君の業務上過
失致死事件とかも、被害者問題に一石を投じる結果となったにせよ、その他のより大
きな犯罪<殺人や傷害致死など>に比べれば罪と比べて騒がれすぎだと思います<遺
族の皆さんには不快感お許し願いたい>。制度を設ければその矛盾は解決するかもし
れませんが…。
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。
子供に本来教えなければいけないことを学校も親も教えていません。親は自分の子供に有利な事だけしか考えずに
悪いことを自覚できない子に育てています。これはある意味子供が社会的に出世してもその子は年老いた
親を邪魔者扱いにし、自分に有利なことしか考えられない子供になります。そう育てたのは当の親です。
それぐらいのことは親はわかっているべきです。あるケースで小学生高学年ぐらいの子が私にぶつかるふりをして
蹴りを入れてきました。そしてうす笑うを浮かべ自分の父親の腕をしっかり抱いていました。これは強い父親を見方に
付け手を出されないように計算して取った行動です。もし私が中高生であればその子が1人になったときに集団で
暴行を加えているかもしれません。これは中高生レベルであれば相手が卑怯者で正義はこちらですから徹底的に
やるでしょう。しかしやられた子供がもし親の躾で『謝れない子供』あったならどうでしょう。暴行を加えている少年達の
理由は『こいつが悪いんだ』とさらに正当化し、暴行はエスカレートするでしょう。これは被害者の方々ことでは
ありませんので誤解無きようお願いしますが、暴行を受けた側にも極わずかでしょうが発生因子があることもあるのでは?
こういった因子も加害者、被害者、オブザーバーを含め参加するべきと思っています。またテレビのニュースでも手口を
紹介し犯罪を増加させているように思います。いい例がバイクでの引ったくりです。発生件数に対し検挙率が低すぎるのです。
(成功率の高さを報道しています)こうすればつかりません。こうやれば逃げ切れます。複数でやれば加害者意識が無くなり、
俺は何もしてない、○×君がやったなど責任転換をする。その親も子供の社会的将来を守ることだけしか考えてません。
全て大人が正さないといけないと思います。この戦いを代表して戦って頂いている方々を私は応援しますので
頑張ってください。 追伸、もし私の子供がそのような状況に合えば、私は何のためらいも無くその少年を拉致して
発狂するまでの長い苦痛を与えた後殺害します。私の人生で子供だけが全てですので状況経過を待つほど人間が
出来ていませんし、そんな十字架を背負って生きようとは思いません。おい!日本!こういった心境を我慢され戦って
おられる人に耳をもっと傾けろ!
10〜15年前なら殺人事件そのものが驚愕することであり、理由なき犯行は考え
られなかったと思います。
しかし、物質的に豊かになり一律に教育を受けれる中で、子供達の取り巻く環境は
大きく違います。親達の世代そのものが豊かな時代に生まれ育った中で、子供達に思
いやりや善悪の判断の仕方、そういった心の成長時に一番必要なことを教えることの
できる親が大人がどれだけいることでしょう。残念ながら現在の教育制度では出来て
ないですし、我々もそういった心の教育に時間を費やした記憶がないと思います。そ
んな学校の状態では「死」や「生」に対してリアリティーがなく、そういった大事な
体験、経験数の圧倒的に少ない子供達だらけです。
少年法をさらに厳しくする必要はあると思います。加害者に対する更正を促す法律
ではなく、犯罪を犯したらどのようになるのか、それを掲示するためにも大人達と同
じ法律に近づけるべきです。ゲーム感覚で犯罪を犯した子供を保護することが彼らに
とって本当に良いことだとは思いません。現代にはミスマッチです。
それと同時に重要なのは今の学校教育にもっと心の教育、哲学などを取り入れるべ
きだと考えます。人として生きることそのものの意義と誇りを子供達に教えていかな
ければ、凶悪犯罪は増える一方だと思います。
ゆとりゆとりと叫ばれてますが、ゆとりをとって失われる教育内容は体験、課外授
業、道徳だったりと一番あの世代に必要なことが削られるのです。必然的にそうなっ
てしまう受験中心の学習ばかりでは、「心」を失った子供達が出来るのは当然だと思
います。犯罪を犯す子供達を作り出している原因に我々大人達も関わっていることを
忘れてはいけないのでは・・・。子供達に対して、明るい未来、ビジョンを示し生き
ていくことがどんなにすばらしいことか、そしてそれがどんなに難しいことか、自分
一人で生きてるのではなく、家族や社会に自然に、生かされているのだという自覚を
もった大人も少なく、また子供達にそのことをきちんと伝えているかどうか社会や地
域全体で取り組まなくてはいけない問題だと思います。閉塞感漂う社会を作り出して
しまったのは大人たちなのです。
ひとつの命を消してしまった罪を、「少年院2年」で償えるのでしょうか?
そして、それだけで社会に戻ってきた少年を本当の意味で社会が
受け入れられるのでしょうか??
「加害少年」にとっては、社会が与える罰のほうが、法律が与える罰よりすいぶん重いはずです。
暖かく迎えよう・・、罪は償ったのだから・・そう社会に感じさせるには
それ相応の罪の償い方があるように思えてなりません。
どんなに、仮名や匿名で報道されても社会は本人の特定など簡単に
してまいます。それゆえに、仮名、匿名にするのでしょ。
法律や親の愛情がそれを阻害しているのが現状ではないでしょうか?
私にも子供がいます。近頃はただただ「人を傷つけない子」に育ってくれれば
いいと思うようになりました。
自分の子はかわいい。だけど、万がいち人を傷つけた時、正当な罰を受けて
欲しい、でないと、社会からもっと重い罰を与えられるような気がしてならないのです。
順番でいくと親は子より先に死にます。その時、その子が社会からの罰を受け続けて
いたとしたら、死んでも死に切れません。
ならば、自分達、親が少しでも子供の盾になってあげられる間に正当な罰を受けて
欲しい。少しでも親が守ってやれる間に・・
そう思うのはまちがいなのでしょうか?
「被害者のご遺族」が「被害者の方達」に感じる愛情の深さと、「加害少年の親」が
「加害少年」の感じる愛情になんの違いも無いのは判るつもりですし。
自分の子供が重い罰を受けるのは、親にとって非常につらく、できるなら
その罰から我が子を救い出したいのも判るつもりです。
ですが・・社会は法律より甘くはないのです。
皆さん建前は奇麗事のように、「加害少年を受け入れなければ」とか「更正の可能性」
少年犯罪の場合、「加害少年の人権」、「被害者、遺族の人権」・・等、
成人の犯罪より「人権」という言葉があふれています。
私は「加害少年の人権」の中には正当に罪を償う人権も含まれていると思うのです。
それを、「更正」という言葉に隠して、正当に罪を償わせないほうが
よほど「人権侵害」にあたるのでは・
「少年法」という法律がある限り、その範疇で罰を受けるべきなのでしょうが
はたして、本当に正当な償いであるとは到底思えないのです。
19歳以下を保護する少年法… 14歳以下は刑事処分なし…
前々から思っていたのですが、犯罪者を保護してどうするのでしょうと思います。
なぜ、暴走族は20歳になると暴走行為をやめるのでしょう?それは、未成年者なら、
名前を公表される事も無く保護されるからです。今回の長崎の事件もそうですが、14歳以下なら人を
殺しても刑事処分されないんだと思って事件を起こす少年が出ないと言い切れるでしょうか?
確かに犯罪者の人権はある程度守らなければならないでしょう。警察官の暴行や復讐などあるかもしれません。
しかし、殺人と言うものは被害者にとってはこれから生きることを強制的に奪われた、最強の人権侵害ではないでしょうか?
こんな殺人を犯した人間が生きていて、更に、何年かして社会に復帰しているかと思うと街も歩きたくありません。
良く考えてください、隣を歩いている人間が人殺しかもしれないのですよ… しかも、彼らは人間を殺すと言う一線を
超えているのです。
いつも思うのですが、少年法改正反対やら死刑反対している人たちが居ますが、彼らの愛する人が未成年者に暴行、
強姦され無残にばらばらにされ海や川、さらにはダンボールに詰められ自宅や学校・会社に送られてきても、
その人たちは「少年だから、死刑は反対だから」と言えるのでしょうか?
掲示板にもハムラビ法典の引用が間違っていると書かれていましたが、私は過失致死以外の”人殺し”は
全て死刑でいいと思っています。人を殺したら自分の命で償えと思います。
仮に、道路交通法が改正されて10Km/h異常のスピード違反は死刑となったらどうなるでしょうか?
恐らく、スピード違反はいなくなるでしょう。死刑は犯罪の抑止力とは必ずしもならないとの意見もありますが、
逆に100km/h以上のスピード違反までは取り締まらないとなったらどうですか? 恐ろしいことになるでしょう。
私は刑の重い軽いに関わらずスピードは必ず守ると反論するあなた、それでは実際に40km/hの道を40km/hで
走っていますか?コンビニや駐車場に入る為に歩道を横切る時に一時停止していますか?
警笛鳴らせの区間で警笛を鳴らしますか?
住所が変わったら更新前に免許証の住所訂正に警察署に出向きますか?
もし、これらの行為の罰則が死刑だったら… みんな守るでしょうね…
よって司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
刑法というような法律は、社会の治安と秩序を維持する為にこそ必要なものなのであるから、
法を犯した者を裁くには、常に社会との関連のなかで裁かなければ成らないのであって、現状のように
違反者個人の人権とか更生とかいう面にだけ目を向けていたのでは駄目なのである。
過失や情状の酌量にあたいするような犯罪者は兎も角、故意に犯行に及んだ者に対してまで、
その人権の擁護や更生を優先するあまり、社会に悪影響を及ぼすような裁きをなす現状のごとき司法官の態度は
、明らかに間違っているのである。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
元々、法を犯し、守られるべき人間としての権利を自ら放棄した者の人権を守るために、被害者や社会の人々が
不利益を受けなければ成らないような現状は本末転倒であり、即刻、改められなければ成らない事なのである。
今日の日本国憲法の下では、人間は誰でも平等に生きる権利があり、法によって誰もが平等の扱いを受けることが
出来るように守られているのであるが、それは社会という場で共同生活を営む我々が、自ら憲法に定めた約束事であり、
法律というものを遵守する前提のもとに、与えられる権利なのである。
それなのに法を犯した者も、犯さぬ者も同等の権利を認めている現状は、法を遵守している一般国民に対し、
甚だしい不平等を押し付けているのである。
別言するなら「法を遵守する者と、犯した者」とを分かたずに、同等の権利を認めるなどということは、平等という
理念を根底から解し損ねた間違いなのである。
そういう誤りを正さずにいるところから、親も子も一緒(平等)だ… 先生も生徒も一緒(平等)だ…
と考えるような悪平等の思想が生まれてきて、社会の秩序が乱れてくるのである。
余談ながら申せば、親子や師弟などの関係は、人権という面からみれば共に平等の扱いを受けるべき同等の存在では
あるが、その人間関係の上からみれば「人間としての平等」ということを超えた厳然たる差別があるのであるから、
幼少の頃からその差別を教えなければ成らぬのである。
それを教えず、たゞ人間としての平等という面ばかりを教えるところから、社会の秩序が乱れ、統制がとれなくなって、
学級崩壊のような社会問題が引き起こされて来ることになるのである。
然るに、それを受刑者の人権を無視した悪事であるかのように考えて除外してしまったならば、刑罰を定める意味が
無くなってしまうのである。
子供たちを少年法で守らず、成人と同じ刑法で裁き、闇雲に刑務所に入れてみても何時かは出てきます。
その時、罪を繰り返しては本末転倒です。成人を刑務所に入れることでペナルティーを科すのだとしたら、未成熟な
子供に同じ手段で同じ効果が期待できるでしょうか。
事実成人の再犯率でさえ、かなりの数字です。
十代、二十代にただ刑務所に入れて、刑務官に育成の責任を一手に負わせるのは不合理です。
また、子供たちに殺人はいけないと教え込むことは我々の子供時代よりも簡単かも知れません。これだけの
情報を処理している彼らにとって、殺人さえ犯さなければいいのかと断言できるでしょうか。
成人した者にとっても、殺人罪と傷害致死罪の区別を正確に理解している人は少ないのではないでしょうか。
殺人はあってはならないと思います。しかし問題の根底は、罰則の軽重だけでは説得力もないのです。
我々大人は、子供たちに夢を語れるでしょうか。
犯罪に手を染めた子供、染めようとしている子供に、将来の夢を描かせられるでしょうか。
良い学校、良い会社、良い結婚。それだけを念仏のように繰り返すだけの時代は終わりました。
犯罪に手を染めることの無意味さを理解させるには、その正反対にある社会が魅力ある場所でなくてはなりません。
正直者が損する時代を作り、小手先のビジネスの為にモラルを棄てたのは、間違いなく我々大人です。
子供たちが、懸命に努力した結果、失敗に終わったことを悲しんだりしていませんか。努力を褒めましたか。
結果主義の大人社会に、早いうちから子供を参加させても、いい結果は出ないと思います。
少年法の検討は必要だと思いますが、撤廃は反対です。
そして同時に、子供たちにもっと大人がきっかけを作らなくてはならないと思います。
大卒のフリーター。特に夢があるわけでもなく、何となく選んでしまう先に、犯罪に手を染める若者もいるのだと思うのです。
夢をもつ意味を大人も一緒に考えていくことが、少年犯罪の糸口になると思います。
殺人はどうして、悪いのでしょうか。幼い時には虫を平気で殺し、動かなくなった死骸をみて、罪悪感を学んだのでは
ないでしょうか。もちろん、殺人によって悲しむ遺族の方の気持ちを逆なでするつもりもありません。
子供たちを少年法で守らず、成人と同じ刑法で裁き、闇雲に刑務所に入れてみても何時かは出てきます。
その時、罪を繰り返しては本末転倒です。成人を刑務所に入れることでペナルティーを科すのだとしたら、未成熟な
子供に同じ手段で同じ効果が期待できるでしょうか。
事実成人の再犯率でさえ、かなりの数字です。
十代、二十代にただ刑務所に入れて、刑務官に育成の責任を一手に負わせるのは不合理です。
また、子供たちに殺人はいけないと教え込むことは我々の子供時代よりも簡単かも知れません。これだけの
情報を処理している彼らにとって、殺人さえ犯さなければいいのかと断言できるでしょうか。
成人した者にとっても、殺人罪と傷害致死罪の区別を正確に理解している人は少ないのではないでしょうか。
殺人はあってはならないと思います。しかし問題の根底は、罰則の軽重だけでは説得力もないのです。
我々大人は、子供たちに夢を語れるでしょうか。
犯罪に手を染めた子供、染めようとしている子供に、将来の夢を描かせられるでしょうか。
良い学校、良い会社、良い結婚。それだけを念仏のように繰り返すだけの時代は終わりました。
犯罪に手を染めることの無意味さを理解させるには、その正反対にある社会が魅力ある場所でなくてはなりません。
正直者が損する時代を作り、小手先のビジネスの為にモラルを棄てたのは、間違いなく我々大人です。
子供たちが、懸命に努力した結果、失敗に終わったことを悲しんだりしていませんか。努力を褒めましたか。
結果主義の大人社会に、早いうちから子供を参加させても、いい結果は出ないと思います。
少年法の検討は必要だと思いますが、撤廃は反対です。
そして同時に、子供たちにもっと大人がきっかけを作らなくてはならないと思います。
大卒のフリーター。特に夢があるわけでもなく、何となく選んでしまう先に、犯罪に手を染める若者もいるのだと思うのです。
夢をもつ意味を大人も一緒に考えていくことが、少年犯罪の糸口になると思います。
私の夢は、弁護士です。来年始めての司法試験に向け勉強している身です。
何故、犯罪者の弁護をするのか。弁護士という仕事に疑問を持つ方もいらっしゃると思います。
先日テレビの番組で、本村さんが、アメリカテキサス州の死刑囚犯行時20才未満の死
刑囚と面会し彼は死刑の判決を受けて反省しもう2度と犯罪を犯さない自信がある。
と言っていました。そしてその死刑囚に対する死刑は番組放送時もう執行されていた
ということ。
確か今年テキサス州で犯行時17才の死刑囚に対する死刑が執行されたというニュース
が入ってきました。このことは国際的に大きく非難を浴びていますが・・・・
更正の期待をかけ犯罪者を生かしておくのか、死刑判決を宣告させ反省し慟哭をさせ
るのか、どちらが正しいのか、僕は正しい答えなんてないと思います、数学のような
ものと違って答えは一つではありません。
死刑については廃止するべきか存続するべきかいくつかの意見があります。
人の貴重な生命を奪ったものを死刑にしてやむを得ない、死刑は凶悪犯罪の防止に役
立っている。被害者や遺族の感情を考えると死刑は実行するべきである。
反対意見としては死刑は人の貴重な生命を奪うことなので、どのような場合でもさけ
るべきである。
死刑は凶悪犯罪の抑止力となっていない。
死刑は間違いが判明しても取り返しがつかない(冤罪)
死刑にするよりも、更正させて社会に奉仕させるべきである。
この冤罪については日本では死刑確定後再審によって無罪になった事件は4件あります。
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件、この事件で無罪になった人たちは30年
以上にわたる獄中生活を強いられました。
彼らのこの間の時間はどうしてくれるんでしょう。
それ以外にも再審請求中の名張ぶどう酒事件や1審で死刑判決を受け先日(7月15日)控
訴審が結審した冤罪事件の鶴見事件
(控訴審判決は10月30日)があります。それ以外にも今まで何人の人が無実の罪で死刑
判決を受けたでしょう。(執行されてしまった人も何人いるのか)
冤罪の現因として見込み捜査、不当な別件逮捕、代用監獄(国際的に批判を受けてい
る)自白強要の取り調べ、取り調べ期間の長さ
自白中心型裁判などがあります。この日本の刑事司法の現状を何とかしてほしいです。
死刑は冤罪の可能性が絶対になければ必要だと思いますが、今の日本の刑事司法の現
状では冤罪を生む可能性は十分あります
神奈川県の24歳の僧侶が、暴走族集団に襲われ殺された。
直接の死因は、頭を鉄パイプのようなもので強打したことが原因らしい。
これは警察の取締りが甘いせいだ。
近年の暴走族は、狂暴化しており、他人を殺すことなど平気でやるようになっている。
ところが、警察の取り締まりは十分に行われていないし、検挙されたとしても、軽
い処罰で済まされてしまう。
特に未成年の場合には、異常ともいえるほどの甘い処罰で終わる。
このために抑止効果がなく、狂暴化が進行している。
殺された24歳の僧侶と暴走族集団グループとには、何の関係もなく、ただ徒歩で通行していたところを襲撃された。
前途有望な若者の未来を奪った罪は大きい。
それに聖職者を殺害したり、侮辱したりすると、地獄に落ちるとされているし、特
に罪悪が大きいといわれている。
バイクについては、特定の公共利用以外は、全面的に製造販売を禁止するべきだ。
未成年にはバイクの運転をさせないなどの対策が必要である。
また暴走族に襲撃された場合にも助かるために、事前にいろいろな対策を取るべき
だし、武器の携帯も許可するべきだ。
正当防衛の教育を行い、不当に自分もしくは、他人の生命が脅かされた場合には、
相手の命を奪っても、罪には問われないことを周知徹底するべきである。
また正当防衛の適用を広範囲に認め、自分の身を守る自由を確保しなければならない。
何よりも、無能な警察以外の民間の治安維持組織の設立が必要であろう。
それは、警備会社ではなく、組織的な公益のための活動で、権限も与えるべきだ。
アメリカでは、そういう組織があるし、公的権限も与えれており、しかも多くはな
いが、補助金も支給されている。
日本でもそういうことを導入するべきだ。
神奈川県開成町の24歳の僧侶が、暴走族集団に襲撃されて殺された事件で、犯人
らしき少年が自首してきた。
またしても17歳の未成年であった。同じ神奈川県に住む、小田原町の17歳の少年
が、母親に連れられて警察署に出頭してきた。
ただしこの少年一人だけが犯人ではなく、他にもいたはずだ。
これで一挙に解決に向かうだろうが、もはや殺された僧侶は生き返ってこない。
94 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 09:52:09 0
最近、コンクリスレの消費が異常に速いな・・・・
95 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 10:08:07 O
96 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 10:18:24 0
早速荒らされてるな。とてもいいことだ。
なぜ殺害しなければならなかったのかわからない。
自分達が、集団で暴走行為をしていたので、徒歩で通行していた被害者が、口頭で注意したのかもしれない。
違法行為を指摘され、叱られたので逆上して襲ったのだろう。
この暴走族集団は、バイクだけのグループではなく、乗用車も含めた10台以上の規模だった。
人数は不明だが、要するに10人以上ということになる。
最近の警察は、暴走族対策をきちんとしない。
見て見ぬふりをして放置する。
住民が通報しても、対応しないで、無視することもある。
未成年が犯人であることが多いので、検挙しても、まともに処罰ができず、すぐに釈放される。
初犯の場合は、口頭注意ぐらいだ。
人を傷つけたり、物を破壊した場合には、それなりに捜査もするが、そうでないと
きには、泳がせておくことが多い。
つまり次の犠牲者が出るのを待っている状態だ。
死人が出ないと何もしないのが警察だ。
こんなことでは安心はできない。
すべての暴走族メンバーの個人情報を全面公開し、住民が被害にあわないようにして欲しい。
暴走族に対して直接抗議したくなるのは人情ですが、非常に危険な行為です。
いくら抗議しても、説教をしても、従順に言うことを聞くような連中ではありません。
迷わず警察に通報しましょう。
嘘の110番通報をすると処罰されますが、事実である限り通報するのは違法ではありません。
ただしできるだけ110番通報ではなく、地元の管轄する警察署に直接通報したほうが良いです。
110番通報すると都道府県の警察本部に繋がりますが、結局そこから地元の警察署
に連絡が行くだけのことであり、同じことです。
もちろん緊急事態のときには110番通報するべきです。
何が緊急事態になるのかという判定が難しいのですが、明らかに危機的状況のときです。
ひき逃げや当て逃げを目撃したときにも通報するべきです。
自分の住居を管轄する警察署の電話番号だけは知っておきましょう。
暴走族と直接交渉をすると、たとえその場では制裁に成功したとしても、仲間を集
めて復讐されることは確実です。
暴走族というものは、いじめ犯罪者のようなもので、やることは強暴ですが、卑怯
で、どんな汚い手口でも使用します。
Yahoo掲示板に載ってました、ある非行少女の話ですが、
彼女らの、自己中心的で周りの他人すらばかにした考え方をしている実態を知ってもらいたくて、転載します。
(その少女の親?からの発言より)
>万引き・カツアゲについてはどうしてやったらいいのか迷うところなんです。
>結婚に反対されること等では伝わらないと思います。
>そんな親のいる相手は選ばない。で一笑に付されるような気がします。
>結婚も失敗だったら別れればいいぐらい軽く考えているので
(直面することになればそうは思わないでしょうが)。そういう感覚は別に構いませんが。
皆さん、これを聞いてどう思いますか?
「前科持ちになったって、女だし世間は甘く見てくれるわ。
男なんか、ちょっといい顔してSEXやらせたら、ホイホイと結婚するところまで簡
単にだましおおせるものよ。
うっかり出来ちゃったら、相手の男ちょっとゆすっったらオドオドしてお金出してく
るし、かなり利用できていいかも。
さんざん搾り取ってから、子供なんかおろしちゃえばいいし。
とにかく、私の前科持ちの過去を理由に、結婚に反対するやつらが悪いんだよ。
あはははは〜。」という人を人とは思わない、世間をなめてる態度がみえみえだと思
いませんか?
前科持ちの少女って、所詮性根腐りきってるヤツなんです。
大人に成ったって、ちっとも良くはなりませんよ。
それどころが、大人の「ズベ公」として、一生立ち直れずに、悪女街道まっしぐらに
なることがほとんどだと聞きます。
これも、日本社会が犯罪少女に対し少年のそれよりもはるかに
甘すぎる政策や世間の目があるのではないでしょうか?
女は前科持ちになることでの社会的な立場でのリスクは男のそれよりかはるかに少ない。
仮に就職できなくても、風俗業界に身をやつすことがまだ「最後の選択」として残さ
れているし、「男にこびを売る」という女の武器で比較的簡単に結婚に持ちこめる
し、それによって戸籍も洗える(名前を変えられる)し、それによって「過去」を抹
殺して生きていける。
(まぁ、彼女らにしたら風俗業界にいく事自体、一般企業への就職と同じ位軽いこと
に思ってるんでしょうが)
こんな理不尽を許していいですか?
「被害者遺族」というものを盾に法曹批判をする人がいるが、
遺族つまり「家族」の絆って、一般に思われてるほど絶対的なものなのだろうか?
家族なんて恋人と違い、好きな相手を選んでくっついているものじゃない(配偶者は例外)。
子どもだって、どんな人間に育つか分からないままとりあえず生んで育てているものだ。
ここまで偶発的な人間関係に、言われるほど強固な絆なんてものがあるか疑問。
確かに犯罪被害者の遺族は普通「犯人が憎い」と口にするが、逆にマスコミの前で
「別に憎んでませんよ。俺は被害者と仲良くなかったし」なんて堂々と言える人間がどこにいる?
家族愛なるものがないとはもちろん言わないが、マスコミはそれを利用して
「法曹」や「最近の若者」への差別意識を煽り、過激なことを言ってみせて儲けているだけだろう。
だいたい、裁判に時間がかかることと遺族の気持ちは本当に関係があるのか。
マスコミの本音は「判決というイベントを、大衆が飽きる前にやって欲しい」んだと思う。
裁判が長く続くことはむしろ被告人にとって嫌なことの方が多いし、
日本では一般人が思ってるほど引き伸ばし戦術ってのは(刑事では)使えない。
1・無実の人間を罪人として告発したり、無実の人間を裁判中ないし報道過程において責めた場合
2・無実の人間を警官が捕まえた後、取調べ等で人権無視な行動をとった場合
3・無実の人間を犯罪者として訴えた検察官
4・悪し罪人を無罪にしようと行動する弁護士
5・善悪の判断が出来ず結果的に冤罪を課した判事
6・冤罪者を犯罪者のレッテルを張り報道した報道機関
これら全てに責任が伴う。
責任の取り方は罪の大小に寄り様々。謝って済めばそれで良し。
済まなければ金銭や物品で賠償、謝罪広告の掲載、被害者側が加害者側をリンチにかける(やれれば一番いいが)等で
受けたダメージを償わないとならないシステムを構築すべき。
これにより
警察も取り調べの過程に於いて被疑者の人権を立てるし
検察官や裁判官や弁護士もよくよく調べた上行動をするし
報道機関もワイドショー的、日刊ゲンダイ的な報道を慎むし
それに伴い一般市民も根拠の無い噂だけで人に悪しきレッテルを張り迫害しなくなる。
「氏か育ちか」を考えてみよう。氏は遠くの原因であって、その人の正当化の理由ではない。育ちは近くの原因である。実際その人となりは遠くの
原因と近くの原因の混合である。では、この二つは原因に分解できるか。力学の変化はその原因を局所的に分解できるが、変異の原因は分解できない。
したがって、ある人をその氏と育ちに分解することはできない。これは「氏か育ちか」という問いそのものが無意味なことを意味している。実際の人為選択の
問題は自然と人為の混合である。したがって、そこに自然と人為の区別ができなくなることを不可避的に想定しなければならない。心理的な利己性、利他性と
進化的なそれらの間での区別ができないことは、人為選択に対して基本的な事柄である。このことをまとめると次のようになる。
1.進化的、心理的な利己性、利他性は概念的には独立している。
2.人為選択の際の利己性、利他性は心理的な性質である。
3.その性質が自然、人為の選択の過程を通じて進化的な利己性、利他性に影響する。
4.その結果、進化的、心理的な利己性と利他性は実際には互いに区別できなくなる。
この結論に一概に悲観する必要はないのかもしれない。区別は重要でないという統一的な視点を採用するなら、当然の結果であろう。
西脇与作『現代哲学入門』慶應義塾大学出版会、2002年、326-327頁
性差を無くしたら、結果的に貴女達女性陣も、私達男も、お互いがしんどくなるだけですよ。そんな無理
を自分や私達に押しつけるよりも、互いの得意分野で得意な事を発揮し、互いの不得手な分野を補って助
け合って生きる方がよっぽど幸せに楽しく満足のゆける人生になると思いませんか?もういいかげんに、
自分達、女性自身を不幸にするヒステリー運動はおやめになったほうが、貴女達も幸せで満足した人生が
送れると思いますよ。果たして貴女達の運動をしている女性の何%が「女に生まれて良かった」と思えて
いるのでしょうか? 生まれながら持っている自分の性をなくそうなどと運動する方達が自分の性を謳歌
できているとはとても思えません。今現在の性を謳歌できているなら、性差をなくそうなどとアホな運動
をするはずが無いでしょうからねえ。
それは、1993年(平成5年)3月1日に、東京都調布市の京王線調布駅南口で起きた暴行・
傷害事件であった(調布駅前事件と呼ばれている)。
この事件は、全く別件で補導されて取調べ中に、友人と一緒にこの事件をやったと供述した
とされ、同年5月3日に主犯格と準主犯格の2人の少年を逮捕。その後、捜査官は、
主犯格とされる少年に「もう一人が自白したぞ」と言って「自白」させるとともに、
準主犯格とされる少年には主犯格の少年が自白したぞと言って「自白」させたのである
(切り違え尋問である)。その後、この事件で五人の少年を逮捕した。
少年たちは、少年審判までには最初に別件取調中に自白した少年を除いて全員否認に転じた。
東京家庭裁判所八王子支部において、1人は非行事実なし不処分決定を受けたが、
五人は非行事実をやったと認定されて少年院送致の判断を受けた。
その後、東京高等裁判所に対する抗告が認められて、東京家庭裁判所八王子支部に差し戻され、
うち1人は非行事実なし不処分となったが、それ以外の3人については、
警察は大々的な補充捜査を行って、東京高等裁判所の判断を覆して検察官送致とされ、
非行事実なし不処分とされた少年を含めて、傷害罪等で東京地方裁判所八王子支部に起訴された。
この事件は、その後、起訴の有効性が争われて、最終的には起訴時少年だった被告について
起訴が無効であるとして公訴棄却となり、それ以外の4人の被告についても検察官が起訴を
取り消して公訴棄却となって終了している(服部朗・佐々木光明編『少年法ハンドブック』
〔明石書店〕373頁以下参照)。
少年事件については、少年に付添人が選任される割合は極めて低い。平成11年のデータでは
、全体の4.4パーセントの少年にしか選任されていない。
ただ、この割合は昭和63年から年々少しずつ増加している(最高裁判所事務総局家庭局
「家庭裁判所事件の概況(二・完)−少年事件−」法曹時報53巻1号53、54頁)。
増加傾向にあるのは、弁護士会が当番弁護士制度を実施していることと関係があるように思われる。
これは、成人事件の場合に国選弁護人制度があり、起訴後の被告人にほとんど弁護人が
選任されている実例と比較するとこの4.4パーセントという数字がいかに少ないかが良く判る。
TVに出たある作家が、小さな子どもたちがみんなで一人の子を殴ったり蹴ったりした理由を、「悪い奴をこらしめただけ」と
言った事を引用し、その後で、文学は悪を受け入れ、共存するテーマで満ちている、許すことを知らなければいけない、
と言っていました。私は首をかしげました。この作家は、一体何を言おうとしているのだろう?少年犯罪の動機は正義感に
よる悪の処罰だ、悪をみんなが許せば少年犯罪は無くなる、また少年犯罪の加害者も許されるべきだとでも言いたいので
しょうか?この例で、リンチの被害者(何かの容疑がかけられている者、ホームレスの人など)と加害者と、どちらが悪であるか
が判らないこと自体、異常であるはずなのに。圧倒的な悪はいざ知らず、通常の悪は、決まって自分のほうに分があると見て、
相手を殺し、傷つけます。その裏には、物欲、肉欲、ゆがんだ正義感など利己的な想いの満足があります。本質をすり替えて
はいけません。私たちは、善の文学を愛しますが、巧妙に悪を擁護する文学など必要としません。
また、物性科学の生産分野で世界的な成果を挙げたある人がTVで、エントロピー増大の法則という物理の概念を引き合いに
出して、子どもたちや親のエネルギー状態を安定させる、つまり大学受験を全廃すれば、事態は改善されるという持論を
力説していました。しかし、最も安定したエネルギー状態が望ましいというのなら、意志も努力も捨てて運と成り行きに
任せ、果ては荒廃するに任せ、すべてを無に帰してしまえばいいということになります。何事によらず価値ある成果は、
エントロピー増大の法則ではなく、意志と不断の努力が少しの偶然を呼び込んだ結果のはずですが。
現在の大学受験などには、本来の教育とかけ離れている状態やゆがんだ競争が含まれているのはその通りですが、
それでも、ある種の競争自体は、必要でしょう。要は、人間として最低限の倫理的価値観(それこそが価値観の本質)
さえ備わっており、それぞれの天分と役割に応じて力を尽くしているなら、その結果の優劣そのものを階級的に扱うのは
、間違っているということです。しかし、自らの心のあり方や本当に大切なものについて、一人で考える時間や環境さえ
極めて少ないような現在の状況は、確かに異常だと思います。
善と共感に基づいて」に続いて
すべての犯罪と無縁の社会、ましてこれからの日本と世界を担わなければならない少年たちが、犯罪に関わることのない
社会を作るために、事態はもはや一刻の猶予も許されない状況に至っています。誰が何をどうすればいいのか。
すべての人が謙虚に原点に帰って、被害者側と加害者側の扱い及び社会と個人のあり方について、見直すべき時が
来ています。時には、これまでの思い込みや立場をすべて清算してでも、有効な対策を講じることが必要です。
一言で言えば、このような事件が起きた時、被害者と家族の苦しみと悲しみを、我が事のように感じて涙を禁じえ
ない人ばかりであれば、解決を阻む障害はありません。
何より事件そのものが起きないでしょう。最大の障害は、見かけはどうであれ内心では、被害者側への共感に立っ
た問題解決への自分自身の関わりを痛感していない人々があまりに多いということだと思います。
このような世の中になった最も大きな要因は、家庭を始めとする大人社会が全体として、子どもたちにある
べき模範を示してこなかったことにあります。人間にとって本当に大切なものは何か?命と愛。愛と命。
命を愛し慈しみ、共感によって一つの命が他の命と結びつき、人間の命全体が大きな一つの命となる。
そのような命の一つとして、自己と他者の命を愛し守り、時には、そのために自分の命をも顧みず、
愛する者の命を通して生きる。それが人間の人間たるゆえんなのだと思います。人間として本当に大切なものを
大人自身が理解し、子どもに自らの生き方とことばを通して教えることが必要なのです。人間としての
基礎を学んだ子どもは、自ら判断する力や責任感などを身につけています。もし、僅かでも命としての愛を
持っている人は、人を殺すことのいけない理由が解らないなどという邪悪な問いは発しません。人間としての
基礎を学んだ子どもは、勉学の必要なことも自覚し、ちゃんとした目的をもって努力することでしょう。その結果、
個人差があったとしても、本当に力を尽くした結果なら、みんなが等しく親と国の宝でしょう。本来の人間は、
自己と他者全体にとって価値ある何かを生み出す力を、少なくとも一つは持っていますから
花を育てるように、
それぞれの性質に応じて忍耐をもって育てるなら、いつか立派に咲き誇ることでしょう。あるべき社会とは、
各自がそれぞれの天分と役割に応じて力を尽くし、尊重しあいながら、一つの身体のように存在する形だと思います。
そうでない社会は、ゆがみと矛盾を増大させ、何時の日にか終焉を迎えることになります。
悲しいことに現実の社会は、ゆがみと矛盾に満ちています。人間としての基礎の不十分さは、
通信手段等の発達等を通して、むしろゆがみを増大させてきました。不正は、社会の至るところに広がっています。
一方、不正や過ちを認める良心や潔さは、社会のどこを探しても、消え残った雪ほどにしか見つかりません。
確かに、このような社会に生まれた子どもたちは、むしろ不幸かもしれません。しかし、そのことも、善悪についての
理解の程度も、その他のことも、子どもによる凶悪な犯罪の免罪符には、なりえません。その理由を示す前にまず
、キーポイントとなる罪と罰の関係、そしてそれが年齢とどういう関わりを持つのかということについて、
考えなければならないでしょう。
人間社会を維持するためには、ルールが必要だということに反対する人は、そういないでしょう。では、
社会を維持するとは、一体どういうことなのでしょうか?社会全体のルールがなかった時代には、年齢に拘わらず、
心身と財産つまり個人の権利を誰かが傷つけられた時、傷つけた側への個人的報復がなされてきました。
目には目、歯には歯というバランスが、自然法として適用されてきました。宗教上の根源的な理由を別にすれば、
それが罪に対する罰の本来の理由でしょう。しかし、そのバランス自体は道理に叶っているものの、
法に基づく国家が形づくられると、個人的報復に任せることは、争いの原因などへの誤解や過剰な報復の連鎖や
社会不安を生むことへの懸念から、国家が被害者の裁く権利を奪い取る形態に変わりました。もともと権利を奪っ
たのですから、国家には公平な裁判をする大きな責任が生まれました。それと共に国家の関心事、
つまり本来の報復に加え、社会秩序への影響、被害者側と社会への償い、更正と社会復帰、事案間の判決内容の
バランスなども加わりました。しかし、国家といえども、実体は誤りを犯す人間の集まりです。
少年自身の問題
最近の少年非行は、 低年齢化、 凶悪化、 集団化の傾向が顕著で、 社会のルールを守ると
いった規範意識に欠けているケースや、 自己中心的で被害者の気持ちを考えないケースが
目立っています。遊ぶ金欲しさからゲーム感覚でひったくりやおやじ狩りなどと言われる強盗
を行うなど、 その傾向が顕著にみられます。また、感情を言葉にして表現する力が弱まっている
ことがあげられ、他人とのコミュニケーションが苦手なことから、イライラや不安が非行となって
現れることもあります。
家庭の問題
子どもの人格形成や人間関係の構築において、 家庭が最も重要な役割を果たすと考えられ
ています。しかし最近では、 家庭での親と子のふれあいが少なくなるなど、
親子の関係が希薄になってきているという指摘もあります。自分の子どもが飲酒・喫煙等の
不良行為を行っても、 それを知らなかったり、 黙認している親が見受けられます。
まず家庭において、 善悪の区別や社会のルールを守ることなどについて、
幼児期から親がしっかりとした躾を行っていくことが大切です。
友達が変わってくる。 (親としては、 ちょっと気になる友達と遊ぶようになった。)
夜遊びをして帰宅が遅くなったり、 無断外泊をするようになる。
行き先を言わずに外出をする。
落ち着きがなくなり、 親を避けたり、 口数が少なくなる。
服装や髪型が派手になる。
金遣いが荒くなったり、 買い与えた覚えのない物を持っている。
表情が暗くなり、 急にふさぎ込んだり感情が不安定になる。 逆に今までになく陽気になったりすることもある。
学校の成績が落ちてくる。
何だか今までとは違うという感じがする。
事は少年問題だけには限らないと思います。今日の日本の閉塞感は、殆どが形なき不安から来ているの
ではないでしょうか。善良な価値観の目を覆うような欠如、倫理性を欠いたままでの匿名社会の広がり、
将来を託すべき世代の広範な変質、外国人犯罪の多発、予想と理性の枠外にある犯罪の頻発、経済不安、
テロ国家と勢力の不安、巨大地震の不安…。すべての犯罪とルール違反に対して、毅然と対応すべきです。
職業としてそれを取り締まる立場にある警察等も、良識ある国民のための責任感に満ちた組織として、
無理な手械足枷を取り払い
-動機無き犯罪の正体-
犯罪に走ってしまう少年の場合、心の奥深くにあるそうした内的経験に対する「怒り」
や「人間不信」の感情が非常に強くあるのですが、前述したような理由から、その感
情は何年もの間、本人の心の中でくすぶっていることが多いといえるでしょう。
そして、思春期に入り、抑えてきた怒りや人間不信がある時ささいな事をきっかけに
して、爆発してしまいます。これが俗に言う「キレる」です。
幼い頃からずっとおとなしく「良い子」だった子でも、ある時突然キレ、犯罪行為にまで
至ってしまうのは、そういう心のメカニズムからです。
しかも、それが十何年貯めに貯めてきた怒りなわけですから、噴き出してくるもの
は相当な勢いがあるはずです。彼らの犯罪の手口の残忍さは、このあたりにあるの
かも知れません。
そして、ここで重要なのは、犯罪の「動機」に関してです。
怒りの原因ともなった「心の傷」は、して欲しかったことを、してもらえないためにでき
た傷であったり、して欲しくないことをされたことによってできた傷であると書きました。
何かをされたこと(イジメや暴力など)によってできた傷は、因果関係がはっきりしてい
るようですが、本人が心の奥底に封じ込めていたり、明確に自覚できていなかったり
するので、必ずしも被害者がその経験と関係ない場合が少なくありません。また、
何かをされなったことによってできた傷というのは、もともとその原因が存在しないた
めに、こちらは因果関係が特定できないのです。ないものは探せないというのが道理
といえそうです。
従って、犯罪の動機が特定できず、「動機無き殺人」などといわれるのもこのためで
す。そして少年自身も、自分の心のそういう状態を自覚することができないので、何
故、自分が犯罪を犯したのかわからないし、聞かれても答えられないのです。
しつこく聞かれれば、何か答えるでしょうが、その答えは「人を殺してみたかった」と
言う風に真実が語られていないことが多いのです。
場合によっては、長い間の辛い経験から、心の動きが本来のように機能しなくなり、
その結果、善なる心が動かなくなり、怒りと人間不信だけが激しくうごめいている。
第1条 少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された者及び少年法
(昭和23年法律第168号)第56条第3項の規定により少年院において刑の執行を受ける者
(以下「少年院収容受刑者」という。)を収容し、これに矯正教育を授ける施設とする。
《改正》平12法142 第2条 少年院は、初等少年院、中等少年院、
特別少年院及び医療少年院とする。2 初等少年院は、心身に著しい故障のない、
14歳以上おおむね16歳未満の者を収容する。3 中等少年院は、
心身に著しい故障のない、おおむね16歳以上20歳未満の者を収容する。
4 特別少年院は、心身に著しい故障はないが、犯罪的傾向の進んだ、
おおむね16歳以上23歳未満の者を収容する。ただし、16歳未満の者であつても、
少年院収容受刑者については、これを収容することができる。《改正》平12法1425
医療少年院は、心身に著しい故障のある、14歳以上26歳未満の者を収容する。
6 少年院は、収容すべき者の男女の別に従つて、これを設ける。但し、医療少年院については、
男女を分隔する施設がある場合は、この限りでない。
第3条 少年院は、国立とし、法務大臣がこれを管理する。
2 法務大臣は、少年院を適当に維持し、且つ、完全な監査を行う責任を負う。
第4条 少年院の矯正教育は、在院者を社会生活に適応させるため、
その自覚に訴え紀律ある生活のもとに、左に掲げる教科並びに職業の補導、
適当な訓練及び医療を授けるものとする。
1.初等少年院においては、小学校及び中学校で必要とする教科
2.中等少年院及び特別少年院においては、初等少年院で必要とする教科、
更に必要があれば、高等学校、大学又は高等専門学校に準ずる教科
3.医療少年院においては、養護学校その他の特殊教育を行う学校で必要とする教科
2 少年院の長は、在院者を、前項の矯正教育に関係のない労働に従事させてはならない。
第5条 少年院の長は、在院者に対する矯正教育のうち教科に関する事項については、
文部科学大臣の勧告に従わなければならない。
《改正》平11法1602 少年院の長は、前条各号に掲げる教科を修了した者に対し、
修了の事実を証する証明書を発行することができる。
第6条 在院者の処遇には段階を設け、その改善、進歩等の程度に応じて、順次に向上した
取扱をしなければならない。
但し、成績が特に不良なものについては、その段階を低下することができる。
第7条 少年院の長は、在院者が善行をなし、成績を向上し、又は一定の技能を習得した場合には、
これに賞を与えることができる。2 前項の賞は、証明書、記章等の賞票又は特別外出等の
殊遇とする。但し、少年院の長は、法務大臣の承認を経て、他の賞を与えることができる。
3 ひとたび与えた賞は、いかなる場合にも、これを没取してはならない。
第8条 少年院の長は、紀律に違反した在院者に対して、左に掲げる範囲に限り、
懲戒を行うことができる。
1.厳重な訓戒を加えること。
2.成績に対して通常与える点数より減じた点数を与えること。
3.20日を超えない期間、衛生的な単独室で謹慎させること。
2 懲戒は、本人の心身の状況に注意して、これを行わなければならない。
第8条の2 在院者が矯正教育を受けるに際して、けがをし、又は病気にかかつた場合において、
これによつて死亡したとき、又はなおつたとき身体に障害が残ることが明らかなときは、
法務省令の定めるところにより、手当金を与えることができる。
2 在院者が死亡した場合の手当金は、死亡した者の遺族に与える。
第9条 少年院の長は、在院者の所持する金銭、衣類その他の物を領置したときは、
これを安全に保管しなければならない。 第10条 少年院の長は、
矯正教育の便宜その他の理由により在院者を他の少年院に移送する必要があると認めるときは、
その少年院所在地を管轄する矯正管区の長の認可を得て、これを移送することができる。
2 前項の規定により在院者(少年院収容受刑者を除く。次項、第11条及び第12条において同じ。)
を他の少年院に移送した場合においては、移送した少年院の長は、
速やかに、本人を送致した裁判所にその旨を通知しなければならない。
《改正》平12法1423 第1項の規定により在院6月以上の在院者を他の少年院に移送した場合に
おいては、移送した少年院の長は、すみやかに、その少年院所在地を管轄する
地方更生保護委員会にもその旨を通知しなければならない。
第10条の2 少年院収容受刑者は、16歳に達した日の翌日から起算して14日以内に、
監獄に移送しなければならない。ただし、その期間内に刑の執行が終了すべきときは、
この限りでない。《追加》平12法142 第11条 在院者が20歳に達したときは
、少年院の長は、これを退院させなければならない。但し、送致後1年を経過しない場合は、
送致の時から1年間に限り、収容を継続することができる。2 少年院の長は、前項の場合に
おいて、在院者の心身に著しい故障があり、又は犯罪的傾向がまだ矯正されていないため少
年院から退院させるに不適当であると認めるときは、本人を送致した裁判所に対して、その収
容を継続すべき旨の決定の申請をしなければならない。3 前項の申請を受理した裁判所は、
その審理にあたり、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的知識を有する者及び本人を
収容中の少年院の職員の意見をきかなければならない。4 裁判所は、本人が第2項の状況に
あると認めるときは、期間を定めて、収容を継続すべき旨の決定をしなければならない。但し、
この期間は23歳を超えてはならない。5 裁判所は、少年院の長の申請に基いて、
23歳に達する在院者の精神に著しい故障があり公共の福祉のため少年院から退院させるに
不適当であると認めるときは、26歳を超えない期間を定めて医務少年院に収容を継続すべ
き旨の決定をしなければならない。6 第2項から第4項までの規定は、前項の場合にこれを準用
する。7 少年院の長が裁判所に対し、在院者の収容を継続すべき旨の決定の申請をした場合に
は、第1項の規定にかかわらず、裁判所から決定の通知があるまで収容を継続することができる。
8 少年院の長は、在院者が裁判所の定めた期間に達したときは、
これを退院させなければならない。 第12条 少年院の長は、在院者に対して矯正の目的を達した
と認めるときは、地方更生保護委員会に対し、退院の申請をしなければならない。
2 少年院の長は、在院者が処遇の最高段階に向上し、仮に退院を許すのが相当で
あると認めるときは、地方更生保護委員会に対し、仮退院の申請をしなければならない。
「インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。だって、
殺されちゃった4歳の子は、もう、おとうさんにもおかあさんにも会えないんだからね。」と言いました。
息子がどこまで理解できているのかはわかりません。でも、話しながら、本当に、そうであってほしいと、
犯人には死ぬまでずっと苦しんでほしいと強く願いました。
19歳以下を保護する少年法… 14歳以下は刑事処分なし…
前々から思っていたのですが、犯罪者を保護してどうするのでしょうと思います。
なぜ、暴走族は20歳になると暴走行為をやめるのでしょう?それは、未成年者なら、
名前を公表される事も無く保護されるからです。今回の長崎の事件もそうですが、14歳以下なら人を
殺しても刑事処分されないんだと思って事件を起こす少年が出ないと言い切れるでしょうか?
確かに犯罪者の人権はある程度守らなければならないでしょう。警察官の暴行や復讐などあるかもしれません。
しかし、殺人と言うものは被害者にとってはこれから生きることを強制的に奪われた、最強の人権侵害ではないでしょうか?
こんな殺人を犯した人間が生きていて、更に、何年かして社会に復帰しているかと思うと街も歩きたくありません。
良く考えてください、隣を歩いている人間が人殺しかもしれないのですよ… しかも、彼らは人間を殺すと言う一線を
超えているのです。
いつも思うのですが、少年法改正反対やら死刑反対している人たちが居ますが、彼らの愛する人が未成年者に暴行、
強姦され無残にばらばらにされ海や川、さらにはダンボールに詰められ自宅や学校・会社に送られてきても、
その人たちは「少年だから、死刑は反対だから」と言えるのでしょうか?
掲示板にもハムラビ法典の引用が間違っていると書かれていましたが、私は過失致死以外の”人殺し”は
全て死刑でいいと思っています。人を殺したら自分の命で償えと思います。
仮に、道路交通法が改正されて10Km/h異常のスピード違反は死刑となったらどうなるでしょうか?
恐らく、スピード違反はいなくなるでしょう。死刑は犯罪の抑止力とは必ずしもならないとの意見もありますが、
逆に100km/h以上のスピード違反までは取り締まらないとなったらどうですか? 恐ろしいことになるでしょう。
私は刑の重い軽いに関わらずスピードは必ず守ると反論するあなた、それでは実際に40km/hの道を40km/hで
走っていますか?コンビニや駐車場に入る為に歩道を横切る時に一時停止していますか?
警笛鳴らせの区間で警笛を鳴らしますか?
住所が変わったら更新前に免許証の住所訂正に警察署に出向きますか?
もし、これらの行為の罰則が死刑だったら… みんな守るでしょうね…
直接の当事者でなくても、善と共感に基づく心の持ち主でさえあるなら、他者の気持ちを、
想いにおいては正しく理解できると思います。ですから、想いの大きさなどにおいては、当事者の方々に
遠く及ばないものの、被害を受けた方や愛する者を奪われた家族の方々の想いを理解できます。しかし、
その悲しみの原因を作った者の気持ちは、全くと言っていいほど理解できません。人はすべて、
共感できない者の弁護や支持をすることはありません。「共感できないのは、努力が足りないからだ」と、
ある人々は言うかもしれません。しかし、その指摘は少なくともこの場合に限っては、ごまかしに過ぎません。
対象は、善がどうしても(善を悪、悪を善と言いくるめる、呪われた人々は別として)共感できない行為と相手なのです。
加害者とその立場を擁護する現況への怒りのあまり、つい感情を爆発させる人もいます。
しかし、それがたとえ立場を忘れた言い過ぎであったとしても、冷静ということを、人間としてのぬくもりと
道理を持たないことと勘違いしている人たちほどに、責められるべきではないでしょう。
事の本質はこういうことだと思います。命と愛という人間にとっての最大の人権を、
理不尽に踏みにじられるという許しがたいことが行なわれた。そしてそれを行なった者が、子どもの
年齢と顔を持っているというだけで、その責任を問われず、被害者に優先する人権を持っているとみなされている、
ということです。
性同一性障害という症例の人々の戸籍における記載を訂正できる法案が国会で可決されました。
それならどうして、年齢と顔だけで子どもの心を既に失っている者が、許されない一線を越えても、
子どもとして扱ってよいのでしょうか。(グリム童話にもそのテーマのものがありますが) 正義とは、
命と愛を守ること、そしてそれを踏みにじった者には、それが誰であろうと、制裁が加えられるべきだということです。
その制裁には、踏みにじった者の命を奪うことも含まれます。その血はその者の頭に帰します。
報復も制裁も慈悲に欠けているし、根本的な解決にならないから止めるべきだという偽りの論理に
惑わされてはいけません。憐れむべき者を憐れみ、憎むべき者を憎むべきです。
もちろん、犯罪へのしかるべき罰と同時に、それを生み出す要因となる社会と個人のあり方についても、
真剣に考え、予防措置を講じることが必要です。
私自身、20年も前、専門家といわれる人たちが、実際こう言っているのを聞きました。「日本人は特別な民族であり、
現実と虚構の区別くらいちゃんとできるから、暴力番組にもビデオなどにも影響されない。
アメリカみたいな規制は考えなくていい」私は、その時、「この国はおそらくそのうち地獄を
みることだろう」と思いましたが、残念ながら、そのとおりになってしまいました。精神分析や教育理論、
法律その他の専門家の意見も参考にはなるのでしょうが、それに支配されるべきではありません。
正しい場合もあるかもしれませんが、彼らほど間違いを犯し、またそれを認めなかった人種もないのですから。
オカルトじみて強欲を秘めたものは論外として、良識に叶う原因と結果の法則を無視すべきではありません。
優先すべきは、社会と個人のあり方を共に問い直し、良識に叶った予防措置を講じることです。原因は、
ひとつだけではないでしょう。大人社会自体が、情報や事件など醜い有様を呈していること、子どもを
食い物にする大人も多いこと、そんななかでも真剣にあるべき教育に努めない親が多いこと、
子どもといえど容易に悪魔になりうることを認めず、実際に犯罪を犯してもなお本人と親の責任を
問わず甘やかす仕組みを改善しなかったこと、数えればきりがありません。状況を放置しているうちに、
しつけがきちんとしている親にとってさえ悪影響を排除することが困難なほど、状況は悪化してしまった世の中で、
少年が幼稚なまま大人の醜さだけ身に付けて、犯罪に走ることが不思議なことでしょうか。犯罪の責めは、
本人と親、社会のいずれもが負わなければなりません。親と社会全体の責任とは、犯罪に応じてふさわしい罰と
自覚を本人に与えること、犯罪を生み出さない社会をつくることに渾身を傾けることです。
犯人の個人的な特徴や生い立ちに関する報道や受取り方については、注意が必要です。本質は何かを
忘れてはいけません。犯人が、学校の成績がいいとか悪いことは犯罪と関係はありません。
また見かけは大人しいとか、元気とか陰気とかいったことも。
世間でも問題視されているように、私も以前から少年法の存在に疑問を感じています。
法律の専門的な知識があるわけではありませんし、多分に感情的になっていることは自分でもわかっていますが、
なぜ「少年だから」という理由だけで、罪に問われないのか?それが不思議でなりません。
今回のニュースを見て、人を殺しておいて、「逮捕」ではなくて「補導」だなんて、絶対変だと思いました。
少年法は、絶対に改正すべきです。
どう改正すればいいのか?素人の私にはわかりませんが、少なくとも今回の12歳だって、
「人を殺してはいけない」ということは理解できる年齢ですよね?明らかに年齢は引き下げるべきだと思います。
じゃあ8歳はだめだけど7歳ならいいのか、とかそういう議論になるのでしょうが、少なくとも、現行のままではおかしすぎます。
中には自暴自棄になって犯罪を犯す人間もいるでしょうが、高校生にもなれば「少年だから罪にならない」と
思って罪をおかす人間も多いでしょう。「場合によっては死刑もありうる」ということになれば確実に少年犯罪は
減ると思います。
鴻池氏の発言が問題視されていますが、確かにあのような立場の人が公の場ですべき発言ではなかったのかもしれません。
でも、「犯人が少年だからという理由だけで罪にならないのなら、その犯人を監督すべき立場である親が
代わりに責任をとれ」と思う人間は多いのではないでしょうか?多くの人は世間に向かって発言する術を持たないのですから、
彼がああいう発言をしたことで、インチキ人権主義者(被害者やその家族の人権を全く無視して加害者の
人権ばかりを守ろうとする人々を私は敢えてこう呼びたいと思います)に、「普通」の人の気持を少しでも
わかってもらえたらと思います。
山口で親子が殺害された裁判で、裁判官が「裁判は復讐の場であってはならない」と言ったそうですが、
私は「裁判は復讐の場でなくてはならない」と思います。法律が、裁判が復讐してくれなかったら、
被害者やその家族はどうすればいいのでしょう?自分で仇討ちしなくてはならないのでしょうか?
あの裁判官は、もし自分が被害者の側に立ったら、それでも同じことが言えるのかしら?
少年犯罪の凶悪化に対応するため、警察庁は11日、これまで成人の容疑者に限ってきた
公開手配の対象を、19歳以下の少年にも広げることを決め、全国の警察本部に通達した。
犯行が悪質で再犯の恐れが高い場合には、似顔絵や身体的特徴を公表できるとし、
顔写真や氏名も『例外だが、全く公開しないわけではない』(警察庁少年課)としている。
同庁は、個別のケースごとに、公開捜査の必要性があるか都道府県警と協議して判断すると
している。
容疑者の特徴を公表し、市民から情報提供を求める公開捜査について、同庁は、
1998年の通達で、凶悪犯罪や社会的反響の大きい事件などを対象とし、
原則として容疑者が成人のケースに限るとしたが、少年事件に関する基準は示していなかった。
このため、容疑者が明らかに少年だったり、少年の可能性が少しでもあったりした場合には、
公開捜査はほとんど行われていなかった。
しかし、今月9日に公表された政府の青少年育成施策大綱に、『人権保護と捜査上の
必要性を勘案して、少年事件の公開手配のあり方の検討を行う』との文言が盛り込まれたことを
受け、警察庁は今回の通達で、『必要かつ適切と認められる場合には、例外的に許される』との
考え方を示すことにした。
公開が許されるケースは、犯行手段が悪質なうえ、再犯の恐れが高く社会的不安を与えた事件の
うち、公開以外に容疑者逮捕の方法がない場合とし、想定される犯罪としては、
連続殺人や連続婦女暴行事件などを挙げている。公開する情報の内容はケースバイケースで
判断するとしているが、氏名や顔写真の公開もあり得るとしている。
また、容疑者の身元が明らかでない少年事件の場合でも、防犯カメラなどに映った写真や似顔絵、
身体的特徴、音声など、捜査で得た資料を公開する。ただ、容疑者が14歳未満の触法少年の
可能性がある時には、防犯カメラの映像を似顔絵に変えるなどの配慮もするとしている。
2000年6月に岡山県で高校3年の少年が金属バットで高校の後輩や母親を殺傷した事件では、
県警は、逃走した少年を指名手配したものの氏名や顔写真は明らかにしなかった。
今年7月に長崎市で12歳の少年が4歳の男児を殺害した事件でも、
少年の姿をとらえた防犯カメラの映像は公開されなかった。
山口で親子が殺害された裁判で、裁判官が「裁判は復讐の場であってはならない」と言ったそうですが、
私は「裁判は復讐の場でなくてはならない」と思います。法律が、裁判が復讐してくれなかったら、
被害者やその家族はどうすればいいのでしょう?自分で仇討ちしなくてはならないのでしょうか?
あの裁判官は、もし自分が被害者の側に立ったら、それでも同じことが言えるのかしら?
「インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。
子供が逮捕されてまず1日目はショックで何も考えられなかったのですが2日目からは「やっと安心しておいと
おける所にいるんだから自分をまず考えてみよう」と思い3日目にやっと「お酒をやめよう、逃げては駄目だ」と
それだけしか考えられなかったのですが、この逮捕は子供がなにかを私に教えてると思い考え続けました。
そんな事がなければ分からなかったのですが、子供が非行に走ったのは絶対に親の責任です。なぜなら子供と
対等に話してないからです。
「親の気持ち」だけを話しているからなのです。
私はいつもいつも親の気持ちだけで話し、押しつけ、怒り、そして「なんでわかってくれないのだろう??
なんでこんなに悩んでるのに!!」と自分だけが悩んでると思いこんでしまい自分だけが苦しいと勘違いを
してしまい目の前の事だけで精一杯になり半分以上子育てを放棄してしまいました。現実や子供の叫びから
逃げてしまいました。
ですから子供は当たり前のように坂を転がり落ちてしまい、少年院に行きました。
もちろん、自分の更正、子供の更正はありましたが、捜査が終わったと警察から電話があった時に、
家に人がいて100%の謝罪は出来なかったのですが(二,三日後に100%の謝罪ができなかった事を謝罪しました)
「とにかく謝罪をしたい」と思い電話をして謝罪をしました。
その後も連絡がとれる被害者の親の方にも連絡をし、もちろん会ってくれる人達には会って謝罪をさせて頂きました。
その中で、この事件の事は自分が知っている限りは被害者の親の方達に話しましたし、もちろん審判の日にちや
結果など「知りたい」と言う被害者の親の方達には連絡をいれ結果を言いました。
その後、弁償や慰謝料などでなかなか上手くは(被害者の方の意思に添うような)いかなかったのですが、
誠心誠意(弁護士を入れて話しては?という意見も貰いましたが子供の罪は自分の罪です。
自分の子供が勝手に恐喝をしたのですから私の出来る限り自分で謝罪を続けたかかったのです)
自分なりに考え最後までやらせて貰いました。
もちろん少年院の仮退院の日も被害者の方達に連絡をしました。
その後も「本人と謝罪をさせて頂けないか」と連絡もしました。
私は、ある学校で少年が一人の少年を袋たたきにして傷害を負わされた。と言う事
実を知りました。この犯罪少年らは、示談が成立しこの馬鹿息子らを庇うためにその
馬鹿親らがお金を出して金でこの事件を解決してしまったのです。被害者の親も金が
貰えることから今後の事もあり示談成立ということになり警察への被害届を取り下げ
たと聞いています。こんな事をしていたら加害者の少年らはまた同じ事を繰り返すで
しょう。加害者の少年らは、すでに暴力団と同じくらい凶暴で冷淡でまた少年で在れ
ば人を殺しても大した処分を受けないと言うことも既に知っています。ですから、少
年の健全育成等とアマちゃんな事を言って居たのではこの様な少年犯罪は後を絶たな
いのです。少年も16歳になったら成人と同じ刑罰を受けて10年でも20年でも刑
務所に入り、最高刑では死刑にも服すことを考えるべきです。はっきり言って日本の
警察官もそうですが司法手続き事態が手むるいです。何が任意捜査が基本だ!外国で
は全て逮捕で臨みます。悪い奴に大人でも子供でも全て強制捜査で臨まなければ舐め
られるに決まっています。まずは、少年らに、怖さを植え付けなければ今後この様な
悲惨な結果は収まらないでしょう。いや、更に増加すること間違い無しです。何しろ
今の少年らは怖いもの知らずですから、確かに学校でも公道でも何も怖いものはあり
ません。在るとしたら暴力だけなのです。今の犯罪少年らは、暴力が一番怖いので
す。先輩に怖いすぐ暴力を勝てない者が居ればどんな命令が下ろうと服従します。ま
た、どんなりっぱな大人が命令しても暴力を振るわず口だけで言っていれば馬鹿にし
て従いません。これが、今の少年らの本能です。今となっては、昔ながらの年上を上
まう様な風習は全て消されどれだけ暴力で人を屈服させられるかということが彼らの
価値観なのです。ですから、少年らは、獣と同じ弱苦肉強食の世界が常に頭にあり、
戦争と同じ暴力で全ての物を屈服させる世界が常に頭にあるのです。ですから、これ
からの少年犯罪には、かなりの大鉈を振るわなければ確実に凶悪化しその発生率も急
上昇するでしょう。私の施策としては、先ほども言った16歳以上の少年に対する成
人と同じ司法手続きを用いる。
私には、8歳と4歳の娘が居ります。私にもこういった悲しみが訪れないとも限りま
せん。裁判では、いつも加害者の人権を守る旨のことを言いますが、被害者や、遺族
に対しては言及していないように感じます。殺された人は、過去のものであるから、
もう人権を主張する意味が無いとでも言っている気がしてしまいます。
この少年に対して、無期懲役が妥当かどうかに対して、皆さんは色んな意見があるかと
思います。私個人は、死刑でないのならば、アメリカの様に懲役50年、100年と
言ったとてつもない懲役刑があってもよいのではと思ってしまいます。人の寿命から
みて、奥さんの残り50年、長女の70年以上の人生を奪ったのですから・・・。
少年法では、未成年者の将来のためを考慮し、氏名を公表しない等と記されているそ
うですが、それも犯罪の内容によって適用するかどうか検討が必要では?と思いま
す。子供のうちなら、悪い事をしても少年Aで済むから、無茶をするなら今のうちだと
思っている子供も、中には居るのではと思ってしまいます。特にこの事件の少年は友
人に当てた手紙に、「無期懲役で、死刑にならなかった。7年もすれば出所できる。自
分は勝った。」と書いたそうです。この2年の歳月で何を学んだのでしょう。
私は、もう大人になり、父親となったので、親としてからの視点でしか見れなくなって
おります。子供の視点から見たときに、この事件はどのように写るのでしょうね。そ
して、この判決について、どのように感じるのでしょうね。
先日、テレビ朝日のニュース番組でこの事件の判決について取り上げていたのを見
て、その判決内容にやるせなさを覚え意見を述べさせて頂きます。
判決は、「初犯であり、殺人の計画性も無く、更正の可能性が無いわけではない」と
して、死刑の求刑に対して、無期懲役でした。
私は、1999年の事件発生当時、このニュースを見たとき、「ひどい事件だな。気
の毒だな。」位の感想しか持っていませんでした。しかし、今回のニュースを見たと
き、言いようの無いやるせなさを覚えました。
まず、事件の内容が残酷すぎると思います。
今、死刑反対の論陣を張る人と代用監獄反対、起訴前弁護制導入推進をする人は少な
からず重なっています。一連のオウム報道やなんかを考えた時に、オウムは死刑にし
ろ!という人間に限って「オウムだから代用監獄も可、別件逮捕も良い」と言い出す
人間がとても多いんです。要するに、自分に都合のいい結論が出ないとどこまでもそ
れを出させて死刑にしよう、という考え方が相当に多いんです。少なくとも、死刑肯
定論がこういう死刑論しかないのなら私は未来永劫肯定には回らないでしょう。今回
は明白だ!という人もいますが、戦後の冤罪事件を見てまでこの論拠を振り回すのは
おかしいとしか私には思えません。
しかし、「人は最もおぞましく、素晴らしい生き物であり、そのために死刑が必要で
はないのか」と言うものはなかなかぐぐっと引き付けられるものがあるのは事実で
す。下手に犯罪が減るとか、そういう論を振り回すよりはるかにいい死刑論だと思い
ます。人は罪を償わなければいけません。そして、そのために命と言うのが有り得な
いことなのか、死刑と言うのは本人に一切の人間性を認めないという事ではないので
はないか、と感じることは非常に大きいです。
しかし、所詮裁いているのが人である限り、そのような行いをさせてしまっていいの
か…とも思います。人間なんかにそういう窮極の刑罰をする資格があるのか、とも。
現段階ではないと断言できます。ろくな努力をしていないのが明白であるからです。
>「被害者の皆さんが犯人に求めているのは適切な贖罪だとずっと思ってきました
が」とありますが、本当にそうなんですか?適切な贖罪てどんな贖罪ですか?被害者
の方々は、本当にそう感じているとお思いですか?
死刑、これはここでもよく話題になります。そして、私自身迷ってます。ファッショ
ンで反権力やってる時はこれに関して逃げてましたが。
私が現在否定に回る理由として最大の理由はやはり冤罪の可能性の重さです。また、
冤罪をなくす努力が行われていない、と言う点も挙げる必要があります。戦縺A多く
の冤罪が生まれ、その度に死刑台から生還する人を考えた時、死刑を肯定したくない
です。勿論、それでも断罪しなければならないケースはあるのかもしれません。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
と言われました。(自分が息子にここまで殴られてみたらどうですか?と言いたかっ
たが、あまりのセリフに返す言葉を失いました。加害者の親も処罰したいという心理
がわかりました。)退学になってもなお、娘が泣きわめいて男の先生の同情をかった
から、うちの息子が悪者にされて、退学になったとも言われました。この親にしてあ
の息子あり!です。
それからしばらく2人の交際は続き、(DVの女性は逃げられなくなっていくらしい)
まわりのみんなにつきあいを反対され、娘もだんだんとひどすぎることに気づき、
娘から彼に別れをきりだしました。
その日の深夜3:30娘の寝ている部屋の窓をたたく音で、私が目を覚ましました。
娘はぐっすり寝ていました。様子を見に行くと、私に気づき人影はさっと消えまし
た。
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。甲山事件でも、被疑者のYさんの子供は級友達が懲役何年と
か言ってるのを聞かされてきたわけです。社会的抹殺は死刑と一緒である、という点
をどう考えましょうか。確かに、社会を啓発してこの点を解決するのが必要であるこ
とは大賛成ですし、そのための努力を惜しむべきではないでしょう。しかし、言った
ように、部落差別が何十年たってもなくなっていないことを考えると、これはあまり
にも酷ではないでしょうか。人と言うのは、差別をしたい生き物だと思うんですよ。
部落が江戸時代に作られた理由や現代のいじめの構造を見るとそう思います。そし
て、きちんと罪を償った本人<償いが足りないのなら刑法を改正すればいいでしょ
う>はおろか家族に人生の大半を棒に振らせて、50年先か70年先かそれ以前に実
現するかさえ分からぬ啓発を待て!これはあまりに酷ではないでしょうか。せめて啓
発が成って、そういう事が起こらないようになるまで待つべきではないでしょうか。
例え報道各社や国から損害賠償や慰謝料を何十億円もらったって人生の破壊は治らな
いんです。むしろもらうとその金で家を建てたとか言う誹謗中傷さえ来るのです。被
害者の皆さんだって、犯人やその家族に10億円払ってもらえれば殺人を許す気にな
るとか、そういう事ではないでしょう?
さらに、これだけの犠牲を家族に払わせる危険性が高いにもかかわらず、公益性に疑
問があることを指摘しなければなりません。スウェーデンで匿名報道になった前と後
で犯罪率<特に凶悪犯罪>に差異は見えません。まあ日本ぐらい徹底的に用のないプ
ライバシーまで明かす報道をすれば減るのかもしれませんが…。また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。
また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。また、堺通り魔事件実名報道容認大阪高裁判決でも写真
掲載や実名公表が公益のためになるとは、それどころか記事の価値増大に役立つとさ
え決してみとめられていないわけです。まあ認めたら判決を批判するんでしょうけど
ね。旧少年法でも<現在も残っていたと思いますけど>、明らかに公益につながる、
例えば指名手配の時などでは公表が認められていたんです。
あと、有罪確定後の判決がひどくない、これは一応表層だけ見るとそう思いますが、
この裏がある、と私は思います。要するに、被疑者段階から言いたい放題書いてし
まったために、裁判段階だと書くことがなくなってしまうだけだと思うんです。報道
各社にとってこの手の報道の目的はもはや利潤追求くらいになっています。だから、
日本の長期にわたる裁判が終わるころには事件なんか風化してしまい、書いても儲か
らない。だから有罪判決後にはあまり書かないんだと思います。薬害エイズなんか
も、事件発覚当時の方が裁判の時より騒がれていて、刑事裁判になったことを忘れて
いた!と言うのが事実であることを告白します。私は電車で学校に通う身ですが、電
車内の吊り広告の類を見るとそう思います。今でも裁判で騒ぐのはそれこそオウム裁
判ぐらいでしょう。だから、被疑者段階での報道がなくなって有罪確定後のみの報道
になっても、公益のこの字もない不倫疑惑だの何だのが書き立てられるだけなのでは
ないでしょうか。まあこんな推測は私の方が外れていればそれに越したことはないん
ですが・・・。
また、価値観の問題と言うことですが、確かにキリスト教的な価値観ですよね、人権
とかも。そしてキリスト教は、十字軍、魔女狩りなど行って他宗派を徹底的に攻撃す
ると言う面がありました。ただ、人が裁いてはいけないと言うのがなぜかと言うと、
もし人と人とが平等であるとするならば、裁く者は裁かれる者より優位でなければい
けませんよね。でなければ裁くことは出来ません。勿論、誤審、必要以上の重罰の可
能性も人間が裁くなればこそです。誤審も容認される!なんていくら宗派を超えたっ
て認めるわけにはいきません。
また、平等と言う価値観は日本的ではないかもしれま
せんが、今否定する人がいるでしょうか。有罪判決が出た人とは平等ではないかもし
れませんが、そもそも無罪を推定されている以上自供しようが証拠があろうがやはり
普通の人であり、平等なわけです。
私は、あくまでキリスト教の価値観の中でも、平等とか、冤罪、残虐な罰防止とか、
皆さんに受け入れやすい主張で十分人が人を裁くことの本来的なおかしさを追及でき
ると思うんです。勿論、それは裁くな!と言うことではなく、それに謙虚になれ、と
言うことです。刑法と言う考え方自体が集団ヒステリーのようなものですから、それ
を全部否定することは出来ません。だからといって、謙虚になれないのにそれでも裁
くのを強行して欲しくないです。裁くからにはその心構えを忘れて欲しくないし、冤
罪を生まないための努力はギリギリまで尽くすべきだし、それが出来ないなら集団ヒ
ステリーの限度を超えているでしょう。
因みに、人権の定義は国によって異なるとか、東洋に人権は合わないとか言う考え方
は、今日本で台頭してきた考え方ですよね。浅野教授からしてみれば「議論する気も
起きない独裁者や社会科学に無知な学者の考え方で、今まで繰り返し批判してきた」
そうですが、私としてはそういう考え方とは本気で事を構えなければならないと思い
ます。人を人として扱うとか、そういう基本的に賛同を得られる部分から出発すれば
大丈夫だと思うんですけどね。
なお、人権がキリスト教的と言いましたが、これは今の人権派にも綿々と良くない部
分も受け継がれています。他にひどく攻撃的なのです。かュ申す私が小田教授らに敬
称無しなどと言うことをやりました。自分で表してしまったわけです。人権派と言う
ものがすぐに攻撃的になり、他者を攻撃するために人権侵害もいとわぬ!と言う状態
になる可能性があると言うことを覚えておいて欲しいと思います。
それから、他の掲示板に行ってという発言はよした方がいいと思います。ここには昔
の私の意味のない発言はおろかそれ以上に、私でさえ批判するような人権派だか人権
屋だか荒らしだか分からない文章も掲載されています。私の投稿が一方的に不掲載と
されたことは一度もないです。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
娘は元彼からDVを受けていました。殴られて意識不明になり、記憶喪失、失語におち
いりました。救急車で病院に運ばれ、医者から連絡をもらいました。「今のところ命
に別状はありませんが、頭を打っているので今後どうなるかはわかりません。」もう
頭の中は真っ白でした。病院に駆けつけ、娘の顔をみるまでは訳がわからなくなって
いました。私が病院に着くころには、娘の意識は戻っていました。しかし、声がでな
いうえに、記憶喪失になっていて、親の顔はわかるけれど、自分が高校生であるとい
うことさえわからない状態でした。とても事情を聞くどころではありません。
娘に付き添っていた彼に聞くと階段から落ちたとのことでした。一緒にいなかったの
かと尋ねたら、娘の悲鳴を聞いて駆けつけたと・・・。その時はまさか彼が加害者だ
なんて思いもしませんでしたから、彼のウソにだまされたうえに、付き添ってくれた
お礼まで言ってしまいました。(娘もこのやりとりは聞いていましたが、意識がある
というだけで、理解していたかは怪しい。)死人に口なしとはいいますが、生きてい
ても話せないこともあるのです。
学校内のできごとで、(彼は同級生だった)あとで先生から聞いた話で、非常階段の
ような、普段生徒はあまり利用しない階段であること。第一発見者が彼であること。
他に目撃者はいないこと。を知りました。入院している間にすこしづつ快復したもの
の、階段から落ちた部分の記憶はどこかへ行っていました。声も時々発しましたが、
言葉にならず、こちらの言うことにうなずいたり、50音の表を指差しての要求でし
た。それも幼児のようでした。今時の女子高生ですから、携帯電話がないと過ごせな
かったのに、携帯電話ってなに?と真顔で聞かれた時は言葉を失ってしまいました。
入院中に病院の売店で買った雑誌、クロスワードパズルを一緒にやりながら、徐序に
娘は単語を思い出していきました。
でもまだしゃべれません。退院時に、脳外科としてはもう異常がなく、あとは精神科
か心療内科の問題だからそちらに通院するようにと言われました。(その病院にはそ
ういう科が無かった)彼は毎日見舞いに来ているし、娘は彼が来ると機嫌がいいし
(幼稚園児のようで感情は見ているとわかる。その上辛い過去には自らフタをしてし
まった。)こんな被害者と加害者もいるのです。これで娘が命を失っていたら事実は
わからないままだったでしょう。
若いということは(当時高1・15歳)快復も早く、1ヶ月もするころには元気に
なっていました。言葉も戻りました。彼とはつきあっていたので、かばっていて、本
当のことはまだ私にはわかりませんでした。
ところが、次々いろんなことが起こるのです。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
然るに、それを受刑者の人権を無視した悪事であるかのように考えて除外してしまったならば、刑罰を定める意味が
無くなってしまうのである。
言い換えるなら、犯罪者に対する処罰を軽微な形で済ますことが、社会にどれだけ悪影響を及ぼすことになるか…
ということに意を注がなければ成らぬということであって、社会との関連の方が「犯罪者個人の人権の擁護」などという事よりも、
遙かに重要なことなのである。
そういう誤りを正さずにいるところから、親も子も一緒(平等)だ… 先生も生徒も一緒(平等)だ…
と考えるような悪平等の思想が生まれてきて、社会の秩序が乱れてくるのである。
余談ながら申せば、親子や師弟などの関係は、人権という面からみれば共に平等の扱いを受けるべき同等の存在では
あるが、その人間関係の上からみれば「人間としての平等」ということを超えた厳然たる差別があるのであるから、
幼少の頃からその差別を教えなければ成らぬのである。
それを教えず、たゞ人間としての平等という面ばかりを教えるところから、社会の秩序が乱れ、統制がとれなくなって、
学級崩壊のような社会問題が引き起こされて来ることになるのである。
余談は扨措き、上述したように犯罪者の人権擁護だの更生だのと温情をかけることは、一見、慈悲深い崇高な心のように
受け取られがちであるが、そんなものは慈悲でも何でもなく、単なる甘やかしであり、社会を一層混乱におとしいれるだけの
無分別な行為であるに過ぎないのである。
この度の少年の起こした犯罪にしても、十二歳といえば、やって善い事と、悪い事の判断くらいはできる年齢なのだから、
たとえ十歳の子供といえども、犯した罪に対しては相応の責任を取らせるべきなのである。
そうしなければ少年法の温情主義を逆手にとって、ゲーム感覚そのまゝに犯行におよぶ少年が後を絶たない事に
なってしまうのである。
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
少年法という稀代の悪法に守られて悪ガキがやりたい放題、其れを阻止すべき警察官が似非人権屋の横槍で手足をもがれ、拳銃を取り出しただけで、懲戒免職させられる(長野県警)始末では、犯罪者の高笑いだけが響く世の中に成ります。
まったくもってその通り。少年法は未成年者の犯罪の免罪符になっている。
少年法が適用されるのは小学校低学年までで十分。イギリスでは10歳から大人の法律が適用、実名報道もされる。
それと同時に似非警察官・裁判官ばりのテレビ局も規制する必要がある。
これらテレビ局はいまや殺人などをじゃんじゃん放送する犯罪ゲームセンターに成り下がっている。
こんなテレビ局に犯罪者を糾弾・非難する資格などないのだ。
自分たちの放送する番組は視聴率稼ぎ、金儲けのために表現の自由を悪用して逃げ回り、自分たちはすべて正しいかのごとく振舞っている。
よくゲームの内容が残虐だからと言って自治体で年齢制限を要求するがテレビに関しては全くそのような動きはない。普通はゲーム以上に身近なテレビこそ規制されるべき存在のはずだ。
いくらゲームを規制しようともテレビで犯罪をじゃんじゃん流している以上、ゲーム規制など効果があるはずがない。
今、日本の家庭はゲームがなくてもテレビ局という「犯罪ゲームセンターを何の危機感もなく受け入れている」ことを認識しなければならない。
賛成です。
でもメディアで犯罪情報の垂れ流し、これは見落としていました。
そういえば、以前にTVドラマを参考にした犯罪があったと記憶しています。
メディア規制法で犯罪に関する番組等を規制するようにする必要が
そろそろ必要ではないかと思います。
そして、メディアの番組の中から参考にした犯罪が出た場合は、そのメディアも
同罪として罰を受けるようにしたらいかがでしょうか。
犯罪のヒントを垂れ流し、その結果については知らん振りのメディアも問題があることを認識させるために重要なことだと思います。
少年事件の背景をよく見つめていくことは、大切なことだと思います。
少しでも犯罪を少なくしていくには、事件の背景を分析して、事件を誘発しにくくするということと、
起こしてしまった事件については、起こした罪に相応の罰を受けて責任をとるという両方が大切で
あると思われるからです。
私は、この掲示板に投稿されている皆さんが感じられていることは、両面が大切なのだが、
相応の罰を受けるということおいて、まだまだ不十分であるということだと推察致します。
『追い詰められた子供は、弱い者だとされる人(例えば、社会的に「弱者」だと認知されているような
ホームレスの方、より小さな子供、少女)に刃を向けます。自分に刃を向ければ・・・それは自傷行為
であるリストカットや薬物の過剰摂取になります。それを外に向ければ・・・
それが人であるならば殺人・暴行・いじめになるのでしょう。』
この部分は本当にその通りだと思うのですが、追いつめられたからといって、
他人に刃を向けてもよいという理由は何一つなく、正当化される理由は何もないということなのだと
思います。
また、いじめというのも状況によって、十分に犯罪だと思いますので、いじめの被害者がまた
加害者になるという悪循環を立つためには、小さな罪のうちに厳しく指導及び処罰されて、
絶対してはならないものだという認識をさせる必要があると思います。
私は、いじめのせいで不登校になったり、転校を余儀なくされている生徒がいるとうことを、
報道等でなされている現状から、この部分においても、現状では加害生徒に甘いことが、
次の犯罪を誘発することにつながっていると思うのです。
『そんな切羽詰っている子供に「死刑は必要」としてもあまり意味はないのではないでしょうか。
「自分なんかどうなってもいい、死んでも良い」そこまで自分の価値を否定する子供が、
「死刑があるから・・・殺人はやめておこう」と思うでしょうか?』
神戸市須磨区児童殺傷事件を起こした少年が、年内にも医療少年院を出るという。小学生の頭部を切り取り、
小学校の校門の前に置くという残虐きわまりない事件を起こし、6年間で退院というのは、やはりどう考えてもおかしい。
本当に治療が進んでいるのでいるのか疑問である。これほどの事件を起こしているのであるから、
最低医療少年院で26歳(現罪の法律の限界の年齢)までは、退院させてはいけない。少年の心の
治療だけでなく、このような事件を起こしたことの反省をして、出てくるというのであれば、最低でも30年くらいは
社会に出してはいけないと思う。生きていれば、悩みもあるが喜びもまたやってくる可能性がある。生きていら
れることの感謝を思えば当然である。最低そのくらいの期間反省してでてきてもらわなくては、社会的に認められ
ないと思う。だいたい一部の弁護士や加害少年の人権を声高に言う知識人は、社会通念というものに対して無知
であるか、応報感情はよくないし野蛮であるという蔑視を持っている。被害者の苦しみなどそのような人々にはわからない。
このような少数派にかき回され、罪のない多くの人々が泣き寝入りしている世の中を正すべく行動起こすときが
来たと強く思う。
何故このような世の中になってしまっているか考えてみると、やはりその背景に死刑反対を主張する、
声の大きな少数派の存在に気がつく。朝原被告や宅間被告でさえ、死刑にしないということは、そのような残虐な人々の
命を国が守り続けることを主張している。このような主張を持つ人々は、ほとんどの人が、少年法改正にも反対であった。
これらの人々は、善悪というものを曖昧にする、高等な理論を身につけ、刑罰の持つ応報の部分を巧みに否定する。
このような人々にミスリードされてはいけない。刑罰の目的については、法律の専門家のなかでも意見の相違は多少
あるようであるが、基本的に刑罰は応報であると考えられているのである。今のように、加害者への刑罰があまりに
軽ければ、アメリカのように報復の殺人が起こらないとも限らない。
加害者の身勝手な理由で、他人の命を奪う事件が多発している現在において、死刑反対とは断じて容認できないと
思う。このような流れは必ず少年法を再び緩味なものにし、いっそう被害者の立場をつらいものに変えていくと思われる。
山形のマット殺人事件について(私がもっとも頭にきている事件です。これについては個別事件として意見を述べます)。
考えなくてもわかると思いますが、1人でマットにロール状になりしかもうまく立つことができるでしょうか。まずムリですよね。
どう考えても誰かが児玉君をマットに頭から突っ込ませるしかありません。(他にも方法はあるが要は1人では出来ない。)
その時の児玉君の気持ちを考えてください。昔、自分もマットに巻かれその上に何人も友人たちに乗られたことがあります。
とても苦しくて窒息死しそうになりました。友人たちはふざけ半分だったと思いますが私は必死でした。
そうです、山形の事件もたぶん、いじめをしながらふざけていたのでしょう。だから「本当に死ぬなんて思ってもいなかった。
こんなことで自分の人生が台無しにされてたまるか。」
と思ったのでしょう。そして全員で口裏を合わせて知らぬ顔をしているのだと思います。
こんな人間たちが日本を背負っていくのでしょうか。
あと、少年たちの親も結局は「もし、子どもがかかわっていると損害賠償をしなければならないからそんなの関係ない
ことにしろ」と子どもに言いふくめたに違いありません。私は一体誰が犯人なのか本人はもちろんのこと、同級生、親、
学校は知っていると思います。
それをみんなして口をつぐんでいるにすぎないのではないでしょうか。被疑者たちはいま大学生になっている人間もいると思います。
1人の人間の人生を台無しにした奴らが何が大学だ、ふざけるのもいいかげんにしろ。といいたいです
第二に少年法について
私は少年法は勉強したことがないのでよくわかりませんが、基本的には自己責任が大原則です。
アメリカのように凶悪犯罪については成人と同様に扱っている州もあると聞きました。日本の少年犯罪凶悪化の
最大の要因は、親の教育能力の低下となんの抑止力にもならない軽い刑によると思います。少年たちは自分たちが
どんなに悪いことをしても新聞にも載らないし、1年から2年ですぐに社会復帰できることを知っているのです。
だから成人になる前にやりたいほうだい、他人の迷惑など顧みず傍若無人な行動をとるのです。だって少年法が
極甘な法律になっているのだから彼らの言い分からすれば当然かもしれません。
犯罪ではありませんが最近の10代の
連中の行動は目に余るものがあります。
@電車内でジュース等を飲み、その空き缶を電車内にわざと置いていくやつ。女性もいます。
(ただ、おじさんもいます)
そして、注意するとすぐに逆ぎれする。
A祭りに集団で押し寄せ大騒ぎをする。やはり注意すると逆ぎれする。
等数えきれないくらのものがあります。私は第二点の結論としては少年法は厳罰化すべきであると思います。
それにプラスして両親に対する刑事的責任も
追求できるようにすべきです。
監督不行き届けがあると思います。具体的には殺人及び傷害致死については成人同様に扱うべきです。刑事事件
として扱える年齢も満12歳以上にすべきです。徹底的にワルガキどもは駆除すべきです。更正なんかしなくてもいいと
思います。あと親についてですが子どもを育てる資格のない親が余りにも多すぎるのではないでしょうか。まず、
親からして犯罪者だったり社会的なルールの守れない最低人間である場合です。この場合は当然ごとく子どもも
同じような人間になります。こういう親に限って、「子どもが悪さをして先生にしかられると、逆ぎれして怒鳴り込んで来ます。
自分の子どものやったことを棚に上げて他人を攻めます」。わたしはもっと先生は子どもをしかりつけるべきだし、
それでもきかないときには出席停止を含めた断固たる措置を取るべき。教育委員会もマスコミなんかに遠慮せず
学校側を擁護すべきだと思います。今の小学生はいったどうなっているのでしょうね。
髪の毛は茶色、教師に悪態をつく。弱いものしか相手にしない。おちつきがない。昨今、自由とか平等とかが叫ばれて
います。しかし、子どもの学校生活に自由なんか必要でしょうか。学校は勉強するところであるとともに、集団生活の
場でもあります。つまり、自宅同様のわがままなんか通用させてはいけないのです。髪も黒で十分、なにも染める
必要性なんかないんです。それを子どもの自由を制限するのかと文句を言う馬鹿な親がいる。
そういう親は大体金髪(日本人)である。最低!長くなってすみません要は子どもが悪くなったのは両親の責任が
非常に大きいことを言いたかったのです。だからこそ、両親に対する刑事責任も追及できる制度の確立が必要で
あると思うのです。
はじめまして。私は家裁調査官をめざす学生です。
私は少年は少年法によって保護されるべきだと思っていました。(今でもその考えは変わっていませんが)しかし、
最近の少年犯罪の残虐性は大変遺憾に思います。
ここにはやはり少年法を撤廃すべきとの意見や現行少年法に対する不満、意見などが多数あげられていますね。
そんな皆様に一言だけ申したいのですが、当然皆様の意見やご指摘はごもっともで少年法は私も改正が必要だとは
思います。しかし、撤廃は反対です。
確かに、少年の残虐な事件は最近目にあまるものがあります。しかしそれでも更正の余地は残されているのです。
更正の余地がある限り少年を更正させるべきだと私は思います。かれらには確かに責任もあり大人と変わらない知能も
有しているでしょう。
しかし彼らの多くは多感な時期にあり変化の激しい時期でもあります。それだけ、更正の余地があるという事です。
なんでもかんでも処罰すれば良いわけではありませんしね。被害者感情を考えると心苦しいのですがそれでも私は
少年は少年法によって守られるべき存在だと思います。審判も非公開が妥当だと思います。ただ、被害者の
身内だけは傍聴もできる様になればいいのですけど。現在の様なマスコミがいる限り公開には絶対反対です!
それともう一つ、これはお願いなのですが回りに少年院に行った事のある人がいたら少年院から出てきた少年を
差別しないで下さい。せめて、挑発したり邪魔しないで下さい。
彼等の中にはしっかり反省している人間が大勢いるのです。しかも社会に復帰したばかりで社会に溶け込むのが
彼等にとって非常に難しく気持ちも高ぶっています。彼等はこれから自分の犯した犯罪と被害者の事を一生に
わたり背負って生きていくのです。「あたりまえだ」とおっしゃる方もいるでしょうが彼等にとっては大変な事なのです。
考えてみて下さい15、6歳で人を殺した事を背負って生きていくのも大変な事です。被害者の方がツライのは
よくわかります。しかし、せめて更正しようとしている人間の邪魔をしないで下さい。お願いします、彼等も人間なのです。
罪を罰することさえ放棄した大人の
無責任さも、少年犯罪の大きな原因の一つだと思います。子どもを罰することにためらいがあったとしても、
親や擁護する人々も含めて社会全体は、遅ればせながら、時には涙を飲んでも罰する必要があるのです。
あなたの無責任は、子どもの無責任とつながっているのです。もう一度言います。原則として、罪には罰が伴います。
その上で特に考慮すべき点があれば、責任をもって考慮すればいいでしょう。殺人が、原則として無罪などというのは、
無法社会そのものです。文明国ではありません。問題には、種々の要素がからんでいますから、
理由と責任の所在を明らかにしたバランス表のようなものが不可欠でしょう。そうでないと、
判断に当たった人間の恣意に流れるおそれが多分にあります。また確かに、加害者であるからといって、
人権をまったく失ったわけではありません。新たな便乗犯罪の被害者になっても何も言えないわけではないのです。
何事につけ、バランスと良識に欠け、分がよくなれば、したい放題をして、すべてをぶち壊すどうしようもない
人々がいますから、気をつけなければいけません。
事は少年問題だけには限らないと思います。今日の日本の閉塞感は、殆どが形なき不安から来ているの
ではないでしょうか。善良な価値観の目を覆うような欠如、倫理性を欠いたままでの匿名社会の広がり、
将来を託すべき世代の広範な変質、外国人犯罪の多発、予想と理性の枠外にある犯罪の頻発、経済不安、
テロ国家と勢力の不安、巨大地震の不安…。すべての犯罪とルール違反に対して、毅然と対応すべきです。
職業としてそれを取り締まる立場にある警察等も、良識ある国民のための責任感に満ちた組織として、
無理な手械足枷を取り払い、質量ともにいっそうの犯罪抑止力にならなければならないでしょう。
人間として最低限必要な倫理性が、指導的立場にある者はもちろんとして、社会全体に行き渡るようにすることが、
道理を弁えた人々から始まる国民多数の合意事項となるようにしなければなりません。道理を弁えない人々が多
数派となれば、もう回復力はありません。まだ道理を弁えることのできる人々が、今のうちに自分の生き方を含めて真剣
に取り組まないと、巨大地震など不測の事態が起きても絶望的な無法状態となり、対処しようがありません。
真剣に考え、予防措置を講じることが必要です。
私自身、20年も前、専門家といわれる人たちが、実際こう言っているのを聞きました。「日本人は特別な民族であり、
現実と虚構の区別くらいちゃんとできるから、暴力番組にもビデオなどにも影響されない。
アメリカみたいな規制は考えなくていい」私は、その時、「この国はおそらくそのうち地獄を
みることだろう」と思いましたが、残念ながら、そのとおりになってしまいました。精神分析や教育理論、
法律その他の専門家の意見も参考にはなるのでしょうが、それに支配されるべきではありません。
正しい場合もあるかもしれませんが、彼らほど間違いを犯し、またそれを認めなかった人種もないのですから。
オカルトじみて強欲を秘めたものは論外として、良識に叶う原因と結果の法則を無視すべきではありません。
優先すべきは、社会と個人のあり方を共に問い直し、良識に叶った予防措置を講じることです。原因は、
ひとつだけではないでしょう。大人社会自体が、情報や事件など醜い有様を呈していること、子どもを
食い物にする大人も多いこと、そんななかでも真剣にあるべき教育に努めない親が多いこと、
子どもといえど容易に悪魔になりうることを認めず、実際に犯罪を犯してもなお本人と親の責任を
問わず甘やかす仕組みを改善しなかったこと、数えればきりがありません。状況を放置しているうちに、
しつけがきちんとしている親にとってさえ悪影響を排除することが困難なほど、状況は悪化してしまった世の中で、
少年が幼稚なまま大人の醜さだけ身に付けて、犯罪に走ることが不思議なことでしょうか。犯罪の責めは、
本人と親、社会のいずれもが負わなければなりません。親と社会全体の責任とは、犯罪に応じてふさわしい罰と
自覚を本人に与えること、犯罪を生み出さない社会をつくることに渾身を傾けることです。
犯人の個人的な特徴や生い立ちに関する報道や受取り方については、注意が必要です。本質は何かを
忘れてはいけません。犯人が、学校の成績がいいとか悪いことは犯罪と関係はありません。
また見かけは大人しいとか、元気とか陰気とかいったことも。真面目に目的を持って頑張った結果、
例えば優秀な成績の子が、印象だけで犯罪予備群と思われたら、その子と日本の将来は一体どうなるのでしょう。
社会では処罰年齢の引き下げを望む声もあります。しかし、こればかりはどこまで引き下げればいいのか・・・
たとえ5歳の幼児でも、生まれたばかりの赤ちゃんを殺すことはできます。それなら、
5歳の幼児を裁判所に立たせるのか、刑事罰を与えるのか・・・というところまで行きます。
被害者の方々の怒りは、波紋のように広がり、社会の怒りへと発展します・・・
感情と理論が行き違い、ひずみを生んでいきます。
ある政治家が、殺人を犯した少年の親を「市中引き回しの上、打ち首に処するべきだ」と
発言しました。処罰を厳しくし、見せしめに極刑にすれば、少年犯罪は少なくなるのか・・・
感情を度外視して考えれば、処罰を厳しくする前にすることが沢山あるように思えます。
例えば、犯罪の元凶が社会やコミュニティにあるとして、犯罪を未然に防ぐ社会作りをするという考え方です。
今の社会は、少年を恐れる大人たちで溢れています。私も、少年が怖い。町では決して目を合わせないようにします
「叱れない大人が多いからだ」という意見もあります。しかし、今の「不良」と呼ばれる少年には叱りは逆効果です
。注意したがために、暴行を受けた・・・・という話は後を絶ちません。
では、どうするべきなのか・・・
ニューヨークはここ数年で犯罪が激減しました。これは、市を上げて「ブロークン・ウィンドウ理論」を
実践したからだと言われています。一枚の窓のガラスが割れているいだけ、壁に落書きがされているだけで、
その近辺には犯罪者が集まってきて、最終的には殺人などの重犯罪が起きてしまう・・・という理論です。
重犯罪をなくすために、まず徹底的に落書きを消していったそうです・・・
これが、少年犯罪、ひいては大人の犯罪にも当てはまるのではないかと想います。
少年の万引きや喫煙といった軽犯罪は暴走行為や暴行へと発展し、最後には殺人に行き着きます。
暴走族員は暴力団員へとエスカレートします。
ですから、まず、万引きや喫煙を「徹底的」に排除するという方法で、とにかく少年の軽犯罪をなくすのが
先決だと想います。これは、国が率先しまず学校や親の教育から始めなければならないでしょう。
少年犯罪が起こると、どうしてもその残虐性がクローズアップされますが、その根元は小さな軽犯罪なんだと想います。
いじめ、万引き....
「いじめはした人間が悪い」これはいつの時代も未来永劫普遍の価値観であると思っております。
加害者、また、その加害者を永きに渡って養育してきた親や学校、事実を歪曲した報道、警察、
これ全て鬼畜でありこの世の中で生きる価値、少なくとも「健康で文化的な最低限度の生活」を
保障されるに足る価値はないと率直に感じております。
少年法により軽い罪で社会復帰し、また、再び通常の社会生活を送らせることに価値は
まったくないと思います。無期懲役で十分ではないでしょうか?
懲役であれば作業等で少しは役に立ちますし、社会から隔離しておくことで再犯は確実に
予防できます。そしてなによりこういった少年犯罪加害者予備軍への見せしめとして社会へ、
いうなれば「児童の健全な育成」に貢献できると思っています。法によって物事の道理が規定
できないのであれば法としての役目は全くございません。書籍の中であげられたどの事件に
おきましても「落とし前がつかなくなった社会」に対しての無力感を感じさせられるばかりです。
私が卒業しました福岡県立太宰府高校におきましても在学中いじめの問題があり、
いじめ主犯格とその数人が停学処分を受けました。いじめこそしなくはなりましたが、
その後もこのときの連中の態度は一向に改まることはなく、被害者の生徒は学校の片隅で
背中を丸めた学生生活を余儀なくされておりました。書籍のような命にかかわる大きな事件に
ならなかったことを考えれば、この状況はまだ許せるのかもしれませんが、悪いことをした人間が
「犯した罪と等価値の罰」に対してけじめをとったかということが常に私の胸中にささくれのように
残っております。私が卒業しすでに15年以上経過しておりますが今の世の中、ことこのいじめの
問題につきましてはなんら根本的な解決策が講じられていないものと痛感します。
大人の嫉妬社会がそのまま刷り込まれた「子供のいじめ問題」、まずは大人自身が他人に
嫉妬することなくよりよく生きることができるよう努めるべきであると思っています。
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
子供はいろんな環境の中学び成長しています。
家族が10あれば、10様の生活、躾、教育があることでしょう。
しかしながら、その中から不幸にも犯罪に手を染める人間が出てきてしまいます。
犯罪が一度発生すると、その行為者は法的に処罰を受け反省を求められたり、また、反省の余地がなければ極刑に処せられるのは当然の社会行為です。
その行為者が未成年だから軽くしてやるとか、許すとかはどう考えてもおかしい。
学校の中に於いて校則違反で厳しくするとか、温情で処置するとかなどと、社会の中の法律を同等に見ている人が多いことに驚きを隠せません。
悪意を持って行った身勝手な犯行が、自動車事故等の過失によって発生した加害者の受ける罰より軽いのが理解できないと言うことです。
乱暴にも交通事故と比較しましたが、まだ交通事故は保険によって賠償もなされます。
その上に、過失に応じて懲役も科せられます。
しかし、今のままでは少年犯罪は法があって無いようなものとしか言いようがない。
少年が犯ろうと、成人が犯ろうと罪は同じ、刑罰も同じが本当じゃないですか。
ただ、少年犯罪は成人犯罪と区別して行かなければならない事は罪を暴き刑を科すだけでなく、
その背景を厳密に調査し、原因を解明し、次の犯罪を防ぐべく教育のあり方、社会の中の少年のあり方を考える事が必要だと思うのですが。
みんな子供はもともと良い子ばかりと言っている人もいらっしゃいましたが、どんな悪いと言われる大人も、もともとそんな子供のうちの一人だったと思うのですが?
年齢で境をもうけ犯罪を区別するのは、正常とは思えない。
もし、低年齢の犯罪を考える時、その意志があったか無かったか、善悪の区別が付いたかつかなかったか、それを、裁判等で明らかにする方が現実的じゃないのかと思います。
長くなりましたが、これからどんどん犯罪の低年齢化が進みそうな中、生ぬるいことばかり言っていたら、混乱した怖いあれた社会になってしまうのでは。
最近の子供達を見ていると少し恐怖を覚えるのは私だけでしょうか?
私は正確に調べたわけではありませんが凶悪犯罪で未成年によるものが年々増えているように思
えてしかたありません。しかもその内容があまりに残虐すぎます。
私個人としては未成年の犯罪が起こるたびに、かつて東京都の綾瀬で起こった
僕は殺人を犯した罪人に人権はいらない、極刑もやむをえないと考えます。確かにこの意見には反対を思う人も
多いと思いますが殺された人の人権についても考えて欲しいです。殺された人は誰だって死にたくなかったわけだし
これからの人生をもっと楽しみたかったはずです。そんな人々の生きる権利をほんの些細な理由で奪った犯人には
当然それ相応の罰が必要です。
僕には夢があります、大きな夢です、僕はあるとき死ぬのが怖いと思いました。それは何故か?
それは死ぬと言うことで自分の夢が断たれるからです。僕は一回そのせいで一種のヒステリーのようなものに
陥ったことがあります。そのとき僕は本当に悩みました死の恐怖に自分が飲み込まれそうになり溢れんばかりの
絶望感が頭を支配します。精神的にかなり参りました。今考えるとそういった経験が逆に命の大切さを僕に教えて
くれることになったと思います。逆にこういう事件を聞くと本当に心が痛みます、と同時に怒りの感情が現れます。
犯人の少年たちに「お前ら殺された人の気持ち考えたことあるんか!!」と怒鳴り散らしたくなります。そういった
被害者を供養する意でも犯人の極刑はやむをえません。
マスコミ等が少年法についていろいろ騒ぐため少年たちは少年法の存在を知り悪用に走る。ということは少年法を
改正し殺人→極刑とすればそのことについて当然マスコミ等が触れる、そうなればマスコミを通じてまた人を殺したら
極刑になると言うのが少年たちに伝わる。少年犯罪は減る。この意見を聞いてこれでは暴れる少年たちをただ法律と
言う名の鎖で縛り付けているだけだと感じる人も多いだろう、しかし生まれたときから殺人→極刑と言う意識を一般常識と
して埋め込めばなんら問題は無いだろう単純な考えだが的は得ていると思う。
もちろんこれはあくまで僕の考えであって反論も認めるしむしろ反論してくれるほうが嬉しい。
僕みたいな中学生がこんな偉そうなこと言うのは10年早いとか言われそうだけど最終的に言いたいのは命の
尊さを知れと言うことだ、命は尊く少なくともそんな些細な理由で奪っていけない、奪ったものにはそれ相応の償いを
してもらう、何もそれは少年犯罪に限ったことじゃない。そしてできれば死について深く考え悩んで欲しい
まさに、「人権」を唱える弁護士は、悪の化身でしかない。
目には目を、そういうつもりはありませんが、犯罪者の人権のみを主張する「人権擁護」派にうんざりします。
犯罪者にも人権はある、当然です、しかし被害者にも人権はあるし、東洋の文化は、死者の人権を決して軽るんじては
きませんでした。しかし、かの自称「文化人」達は、死んだ者はしかたがないと言わんばかりです。
人権の最たるものは、人の命です。民主的な人権擁護の社会は、この「人の命」がもっとも大切にされなければ
ならないし、決して犯してはならない、これは人類の昔からの不文律です。
だから、犯罪者の人権といえども誰も犯すことはできないと言うのが彼らの主張ですが、不文律を守れない者の
存在を許すことができるのだろうか、たとえ子供でも!
泥棒のはなしではないし、交通違反のことでもない、「汝殺す事なかれ」、3つの子供であっても教えなければなら
ないことであるし、破ることは許されるべきではない!
「人権擁護」派は、犯罪者の人権を擁護し、少年犯罪者や「精神病」犯罪者の人権を擁護することで、人の命を
軽んじている。すべてではないが、少年犯罪や衝動殺人は、些細な・自己中心的な理由から人殺しが行われていることに
問題があるのであって、悩みや葛藤の中で行われてほとんどない。
しかるに、かれらはその犯罪者の葛藤を言い立てる、人を殺して何も感じなければ、鬼畜である。
少年法は改正されるべきだ、それは命を奪う事に対しては、一切の免責をしてはならない、子供にペットの動物を
殺して良いと教える親がいるだろうか、分からない子供がいるだろうか、「理論」とやらを唱えるから分からなくなる、
物事はそんなに難しくはない。
人の命は山よりも重い、故人はそう言った、彼らは「人権擁護」派ではなかったかもしれないが、人の命と大切さを説いた、
頭をかいてすむことではないのだ。
償わなければならない!
自動車事故で人を死なせた加害者が、墓参りをする。聞いたことはある。
しかし、殺人者は、少年であることや心神耗弱を理由に、無罪を勝ち取ること、人権派弁護士が加害者にさせていることは
こうした「償い」である。
加害者は、人の命の大切さを思うのだろうか、確かに自分の命だけは大事にするかもしれない。
144 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 14:14:06 O
これって荒らしなの?
釈迦の弟子にアングリマーラという人がいた(麻原の弟子にも同名の人がいたが)。
彼は、釈迦の弟子になる前には、殺した人の指を切り取り、首飾りにしていたほどの
殺人鬼であったという。彼が托鉢にでると、村の人は石を投げつけたという。彼の前
身を知っていたからである。しかし、深く仏道に帰依する彼の姿をみて、長い時間の
後には村人も石を投げるのをやめ、釈迦の弟子の一人として受け入れるようになった
という。
「更生」という言葉をきくと、このアングリマーラの説話を思い出す。口をぬぐっ
て、過去の犯罪を誰にも知られないまま、幸せになるのが「更生」なのだろうか。そ
んな疑問がいつもあるからである。
少年法にある犯罪少年の名前や身元特定についての報道を禁じる規定の背景には、ど
うも犯罪少年が、犯罪を周囲に知られないまま平穏に社会に復帰すればいい、という
考えがあるようである。昭和44年、進学校サレジオ高校で同級生の首を切った少年
は、現在は弁護士として幸せに暮らしているという。少年法の考えからいけば、こん
なのは200%の更生かもしれない。また、「殺したS君の分も長生きして幸せにな
ります」といった栃木リンチ殺人の被告H・Kの発言、これも少年法でいう更生の理
念をふまえたと考えれば、案外まっとうな発言なのかもしれない。
単純な財産犯などでは、こんな考え方でもよいのかもしれない。「何年も前に万引
きが見つかり目をまっかにして泣きはらしていた少年が、今はよいパパになってい
る。よかったね。」というように。
しかし、殺人や後遺症の残る障害事件などでは、犯人はその後、過去の犯罪行為に
は口をぬぐって幸せに暮らしています、よかったねですむのだろうか。少なくとも遺
族や被害者にとってはやりきれないところだろう。
更生とは、単に人生をやり直し二度と犯罪行為を犯さないということだけではなく、
取り返しのつかない被害を与えたという重荷を背負いながら、長い時間をかけて被害
者や社会につぐないをつづけていくことではないか。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
近年、正義を否定する言論人たちは、大概「『正義』は価値観の絶対化だ」という
文脈で正義の概念を批判します。しかし、実は正義とは、価値観の絶対化にはあたら
ないのです。
正義について研究しているアメリカの哲学者ジョン・ロールズをとりあげた『現代
思想の冒険者たち23 ロールズ──正義の原理』(講談社)という本があります。
(この本を書いた川本隆史氏という人は、東大で博士号をとった文学博士だそうです)
この本によると、ロールズが言う「正義」とは、良心の自由(←ここでは信仰の自
由のことを表す)、思想の自由、政治的自由、言論や集会の自由といったものを、平
等に人々に分配することが「正義」なのだそうです(これはロールズの「正義の二原
理」の一原理目)。
このことはこの本の裏表紙のカバーにかかれていますし、本のなかのあちこちにも書
いてあります(290ページなど)。
つまりロールズは「正義は『信仰の自由』『思想の自由』を平等に人々に分配する
ものである」としているのです。
多くの言論人たちは、「価値観の絶対化だ」といって正義を批判します。
しかし、ロールズが言うように「信仰の自由」「思想の自由」を平等に与えるのが正
義だとなると、正義は価値観の絶対化にはあたらないでしょう。正義否定論者の言い
分は、やっぱり筋がとおらないといえます。
多くの今の言論人は、このことを知らないで正義否定論を世に広めてしまい、結局
は少年犯罪の遠因を作ってしまったのではないでしょうか。
いま出ている『週間金曜日』という雑誌で、宮崎駿氏と筑紫哲也氏の対談がのって
います。この二人は、ここでまた正義否定論をとなえています。この批判も、「『正
義』は価値観の絶対化だ」というような文脈の批判です。ロールズの正義の原理を考
慮すれば、この2人の意見はおかしいことがわかります。
国民的映画監督の宮崎駿氏がこういうことをいわれると、この意見が青少年、ひい
ては社会全体に与える影響はおおきいでしょう。なので、これは問題ではないでしょ
うか。
とにもかくにも垣東の娘に危害があっちゃイカンな。
とにもかくにも垣東の娘に危害があっちゃイカンな。
うん そんなことは被害者もご遺族も望んでないでしょう
少年犯罪に対する司法の対応において、私が一番疑問に思っている事は、加害者の
人権のみが不当なほど保護されているという点で
す。「少年には未来があるから守らなければ!」とでも、賢い自称・人権派の方々は
思っていらっしゃるのかな?私に言わせれば、それ
こそただの自己満足としか思えない。ならば、殺されたり、傷害を受けた者には人権
はないのか。特に少年同士の事件の場合、報道機関
もニュースソースの不足に困るのか、被害者の交友関係とか私生活の部分を面白おか
しく書き立てる傾向が強いですね。最近では「神戸
の酒鬼薔薇聖斗事件」の時それを強く感じました。これでは、どちらが被害者かわからない状態ですね。
「信賞必罰」この概念で少年法を改正しない限り少年犯罪の凶悪化を止める事は不
可能でしょう。極論を言えば未成年の時に10人殺し
ても20才になれば犯罪記録は処分され、書類上は「前科なし」となるのですから。
戦後の「日本国憲法」施行後、未成年の時に起こし
た刑事事件で死刑になったのは「連続ピストル射殺事件」で5人を殺害した永山 則
夫(死刑執行済み・犯行時19才だった。)ただ一
人なんですから。未成年者の場合、他人を2〜3人殺害しても死刑を求刑される事は
ほぼ100%ないでしょう。実名を報道される事も
なく、どんなに凶悪な犯罪を起こしても死刑になる事はない。これでは、「悪い事は
未成年の間にどんどんして下さい。」と奨励してる
ようなものです。江戸時代に5代将軍 徳川 綱吉が発布した「生類憐れみの令」と
同じぐらいの悪法ですね。これからは、現行の少年
法は「未成年者憐れみの令」とでも呼びましょうか。
実例をひとつ、私の昔の顔見知り(あまりにも性質が悪すぎるので間違っても知り
合いなどとは呼びたくない。)「H」としておきま
しょうか。彼の場合、借金癖というか寸借詐欺の常習犯だったのです。何回も警察に
検挙されてもやめない、いや一種の習性みたいにな
ってしまっていたんです。親しい人間相手でも平気で寸借詐欺を繰り返していまし
た。Hを見て私は思いました、「世の中には社会生活に先天的に向かない奴がいるんだなあ。」と。
幾つかの事件の概要を拝見させていただき、ここしばらく寝付けません。
悲しみ、悔しさ、憎しみ、後悔、いろんな感情が入り乱れます。でもきっと毎日のようにおこる事件
に流され、だんだんに過去の記憶へと変わっていくのだと思います。被害に合われた当事者の方だ
けが、いつまでも癒えぬままに、ずっとそこで止まってしまったはずです。もうたわいも無く笑うこ
とも奪われたのではないでしょうか。
せめて早期に法の改正をと願ってやみません。私は死刑でも軽いと思っています。命を奪ったの
だからという理由の元で死刑になるのですから、死に対して納得もできるでしょう。しかし理由無く
命を奪われた方の無念はそんなもので補えるはずもありません。
死刑廃止論などを唱える方もいます。しかし大半は死刑肯定といいます。ではなぜすぐに変わら
ないのでしょう。もし未成年者の死刑など法の改正をした場合に何か不備が生じて、皆その責任を
負うのが嫌だから、少しずつ様子を見ながらしか事が進まないのでしょうか。
誰を守るための法律なのでしょか。実験のように、誰かがまた尊い命を奪われなければ変えてい
くことが出来ないのでしょうか。
いっそのこと「殺人者は全て死刑」と大々的に法を改正して、どう変わるか見てみたらいいのにと
投げやりに考えてしまいます。
それから・・これは一案ですが、被害者の方の寄付をインターネットのトップページで行うように、
どこかの企業に協力を要請してみてはいかがでしょうか。被害者の方が金銭的にも不利な立場
におられると最近になって知りました。無知ですいません。しかし私のように知らない人が大勢居
ると思います。逆に言うと、犯罪者へは税金が使われていると言うこともご存じない方はおられる
のではないでしょうか。
津波の募金で、欧米では一週間足らずで、日本国家の支援以上の金額の募金が集まったと新聞
か何かで読んだことがあります。その理由は募金への呼びかけの徹底にあったと。中でも私が
驚いたのは、ネットのトップページに募金の呼びかけがあり、クリックするだけで、100円ないし300
円程度の募金が出来るという手軽さが要因になっていると。
日本ではヤフーが募金を呼びかけたりはした
私は現在の悪いことをした人間がやったもん勝ちみたいの世の中は悲しく変更が
急務だと思います。特にこの前刑法改正法案が国会に
提出されることになったそうですが、まだ妥当性を欠いた法改正だと思います。
というのは例えば集団強姦にしても下限が2年から3年に引き上げられたのですが、
果たしてそれで国民一般の方感情を満たしていると思っているのか非常に疑問です。
長い時間議論を重ね謝金や人の労力を考えるとこの改正にかかり大きな予算が動いていると
思います。その結果が1年の差というのでは能力無い人間の集まりと言わざるを得ません。
一番感じるのは先ほども少し述べましたが、一般国民の法感情と法改正にかかる専門家との
意識の莫大な乖離です。本当に常識ある人間が改正に携わってるとは思えません。
無能力であり常識を欠いた人間の集まりではないでしょうか。刑法が作成されたのは戦前であり、
いわゆるdueprocess法律の手続きが整っていないときの話でした。フランキー堺が主役で
あったドラマ「貝になりたい」のようにろくに犯罪をしたという証拠もないのに警察官がでっち上げ
で捜査を行い、それが判決になったあまりに妥当性を欠いた部分がありました。ところが現在では
凶悪犯罪が激化し、警察の捜査も現在の刑事ドラマにあるような、脅しのようなやり方の捜査は
実際ほとんどなく、不祥事を起こす一部の警察官のみが違法な捜査をしているのが実情です。
つまり今の刑法は現在の実情には全く合わないものであるわけです。
凶悪犯罪がさまざまと移り変わる中で、何十年も刑法の改正が行われないのは異常としか
言い様がありません。それを一部の専門家が気づいているのかは非常に疑問ですが、
相当の能無しといえるのではないでしょうか。少し言葉が汚くなりました。現在の刑法の根本は
社会の秩序維持と加害者の応報にあります。応報であるからこそ被害者を除外した冷静な裁判を
目指しているのでしょうが、本当に被害者は全く除外すべきなのでしょうか。
民事訴訟においては当事者主義が中心に据えられ双方の意見が重要視されます。
同じようにとはいいませんが、根本は被害者の気持ちではないかと思われます。
過ちを犯した人に対して死んでしまえというのが被害者の親族の率直な願いでしょうが、
重大な非行・犯罪の発生を促進あるいは阻止する条件を、三つのレベルにわけて考えることが、
非行・犯罪発生の原因を探るために有効だと思う。主体的条件のレベル、
発生の直接契機(きっかけ、引き金)あるいは阻止の契機(引き留め)のレベル、
実行への方法や道具のレベルの三段階である。
第一に非行・犯罪の主体的条件である存在意味喪失感は小さくなっていない。
第二に非行・犯罪発生の直接の契機となる葛藤と孤立は少なくなっていない。[11]
第三に、上のような条件や契機があって非行・犯罪実行に近づいたとしても、それを実行するため
の道具を獲得できなければ、実行は成功しない。非行・犯罪実行方法としてのイメージや言語、
実行手段としての凶器などの道具によって、非行・犯罪の発生件数も質も変わってくる。
犯罪イメージや言語の情報はあふれている。今後もしも銃器が容易に手に入るようになったら、
凶悪犯罪発生は急増するであろう。
常識的感覚的凶悪化論ではなくて、少年の非行・犯罪について、もっと詳細な情報を整理する
必要がある。
ところが七〇年代になって、高校進学率は九〇%を超え、高度経済成長も終わる。
経済的豊かさは、実現されれば当然の日常となり、高校卒業も当たり前のことになる。
他方では、過剰な生産と過剰な消費が自然環境と社会を蝕みつつあり、そういう事態がハッキリ
してきたのに、どうすることもできない。社会の次の課題、歴史の課題が、見えなくなる。
青年が参加するに足る価値ある社会が見えなくなる。見通しを失った青年の新たな苦しみが、
ここから始まったのである。
家庭で子どもたちの役割がなくなったことも、存在意味喪失感をもたらしているに違いない。
一世代前までは、ほとんどの家庭で、子どもは一〇歳にもなれば家族生活を支えるために
どうしても必要な仕事を割り当てられていた。その仕事を子どもは嫌々やっている場合でも、
自分が必要とされ、当てにされているんだと感じたし、親から喜ばれれば、存在の充実を感じた
であろう。しかしいまや、子どもは愛情の対象ではあっても、役立たずであり、厄介者である。
しかも進路・職業選択は制度的形式的条件からすれば自由になっているのに、
偏差値という幻想の怪物ににらまれて心も体も動きがとれなくなっている。
とにもかくにも垣東の娘に危害があっちゃイカンな。
156 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 17:47:02 O
だからどうでもイイんだってば、特に二女。
普通の女子が酷い目に会うより同情されないのは確かだろ
157 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 17:56:38 O
155:秋葉系1号◆A0tIfw/K7U :2006/03/20(月) 17:42:53 0 [sage]
とにもかくにも垣東の娘に危害があっちゃイカンな→とにもかくにも忘れたころに娘の話を持ち出すのはいつもこの依存カスなんだよな ぷっ
『追い詰められた子供は、弱い者だとされる人(例えば、社会的に「弱者」だと認知されているような
ホームレスの方、より小さな子供、少女)に刃を向けます。自分に刃を向ければ・・・それは自傷行為
であるリストカットや薬物の過剰摂取になります。それを外に向ければ・・・
それが人であるならば殺人・暴行・いじめになるのでしょう。』
この部分は本当にその通りだと思うのですが、追いつめられたからといって、
他人に刃を向けてもよいという理由は何一つなく、正当化される理由は何もないということなのだと
思います。
また、いじめというのも状況によって、十分に犯罪だと思いますので、いじめの被害者がまた
加害者になるという悪循環を立つためには、小さな罪のうちに厳しく指導及び処罰されて、
絶対してはならないものだという認識をさせる必要があると思います。
私は、いじめのせいで不登校になったり、転校を余儀なくされている生徒がいるとうことを、
報道等でなされている現状から、この部分においても、現状では加害生徒に甘いことが、
次の犯罪を誘発することにつながっていると思うのです。
『そんな切羽詰っている子供に「死刑は必要」としてもあまり意味はないのではないでしょうか。
「自分なんかどうなってもいい、死んでも良い」そこまで自分の価値を否定する子供が、
「死刑があるから・・・殺人はやめておこう」と思うでしょうか?』
少年事件の背景をよく見つめていくことは、大切なことだと思います。
少しでも犯罪を少なくしていくには、事件の背景を分析して、事件を誘発しにくくするということと、
起こしてしまった事件については、起こした罪に相応の罰を受けて責任をとるという両方が大切で
あると思われるからです。
私は、この掲示板に投稿されている皆さんが感じられていることは、両面が大切なのだが、
相応の罰を受けるということおいて、まだまだ不十分であるということだと推察致します。
その後もこのときの連中の態度は一向に改まることはなく、被害者の生徒は学校の片隅で
背中を丸めた学生生活を余儀なくされておりました。書籍のような命にかかわる大きな事件に
ならなかったことを考えれば、この状況はまだ許せるのかもしれませんが、悪いことをした人間が
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
懲役であれば作業等で少しは役に立ちますし、社会から隔離しておくことで再犯は確実に
予防できます。そしてなによりこういった少年犯罪加害者予備軍への見せしめとして社会へ、
いうなれば「児童の健全な育成」に貢献できると思っています。
皆さんの意見等を拝見して賛成反対いろんな思いが脳裏に渦巻きます。
子供はいろんな環境の中学び成長しています。
家族が10あれば、10様の生活、躾、教育があることでしょう。
しかしながら、その中から不幸にも犯罪に手を染める人間が出てきてしまいます。
犯罪が一度発生すると、その行為者は法的に処罰を受け反省を求められたり、また、反省の余地がなければ極刑に処せられるのは当然の社会行為です。
その行為者が未成年だから軽くしてやるとか、許すとかはどう考えてもおかしい。
学校の中に於いて校則違反で厳しくするとか、温情で処置するとかなどと、社会の中の法律を同等に見ている人が多いことに驚きを隠せません。
悪意を持って行った身勝手な犯行が、自動車事故等の過失によって発生した加害者の受ける罰より軽いのが理解できないと言うことです。
乱暴にも交通事故と比較しましたが、まだ交通事故は保険によって賠償もなされます。
その上に、過失に応じて懲役も科せられます。
しかし、今のままでは少年犯罪は法があって無いようなものとしか言いようがない。
少年が犯ろうと、成人が犯ろうと罪は同じ、刑罰も同じが本当じゃないですか。
ただ、少年犯罪は成人犯罪と区別して行かなければならない事は罪を暴き刑を科すだけでなく、
その背景を厳密に調査し、原因を解明し、次の犯罪を防ぐべく教育のあり方、社会の中の少年のあり方を考える事が必要だと思うのですが。
みんな子供はもともと良い子ばかりと言っている人もいらっしゃいましたが、どんな悪いと言われる大人も、もともとそんな子供のうちの一人だったと思うのですが?
年齢で境をもうけ犯罪を区別するのは、正常とは思えない。
もし、低年齢の犯罪を考える時、その意志があったか無かったか、善悪の区別が付いたかつかなかったか、それを、裁判等で明らかにする方が現実的じゃないのかと思います。
長くなりましたが、これからどんどん犯罪の低年齢化が進みそうな中、生ぬるいことばかり言っていたら、混乱した怖いあれた社会になってしまうのでは。
最近の子供達を見ていると少し恐怖を覚えるのは私だけでしょうか?
162 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 18:43:35 0
完全にイってる
キモ
て、焼き討ちや差別、やる奴が悪い、と言うのは簡単ですし、何よりその通りだと
思うんですが…。まあ差別はともかく、焼き討ち!なんてことは日本では起こらない
でしょう。<集団で家を取り巻いて罵声を浴びせる連中はいるようですが>しかし、
外に出てくると拒絶反応を示してしまう、これが社会ですよね。匿名報道が市民的支
持を得ているスウェーデンでも、名前が知られたために家族が差別するケースは実在
しているそうですし、今実名報道が始まれば受け入れるのではないか、前回も挙げた
トシュテン・カーシュ氏の言葉です。
確かに、そういう事が起こらない社会なら実名報道してもいいでしょう。しかし、そ
れが実現できるでしょうか。そんな社会は私たちの生きている間には実現しないだろ
う、と言ったのは例によって浅野教授でした。例えば、部落差別の問題は、戦前から
全国水平社があって、戦後は日弁連や政府が本格的に差別撤廃に乗り出しました。そ
うして、「表向きは」差別がほとんどなくなりました。しかし、まだまだ根っこの問
題は深いものです。結婚差別などは今だってなくなっていません。アメリカでも、性
犯罪者の実名を公表する一部の州では焼き討ちが発生していると耳にします。
これでは、きちんと罪を償って出てきた人が差別されるのは当然でしょう。また、
「ニュース性のある犯罪だけが報道で暴きたてられ、殺人でもニュース性のない事件
は見過ごされる」と言う矛盾はどう解決するんでしょうか。例えば、麻薬を吸っただ
けでワイドショーにあれやこれやと叩かれた芸能人の息子さんとか、隼君の業務上過
失致死事件とかも、被害者問題に一石を投じる結果となったにせよ、その他のより大
きな犯罪<殺人や傷害致死など>に比べれば罪と比べて騒がれすぎだと思います<遺
族の皆さんには不快感お許し願いたい>。制度を設ければその矛盾は解決するかもし
れませんが…。
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。
子供に本来教えなければいけないことを学校も親も教えていません。親は自分の子供に有利な事だけしか考えずに
悪いことを自覚できない子に育てています。これはある意味子供が社会的に出世してもその子は年老いた
親を邪魔者扱いにし、自分に有利なことしか考えられない子供になります。そう育てたのは当の親です。
それぐらいのことは親はわかっているべきです。あるケースで小学生高学年ぐらいの子が私にぶつかるふりをして
蹴りを入れてきました。そしてうす笑うを浮かべ自分の父親の腕をしっかり抱いていました。これは強い父親を見方に
付け手を出されないように計算して取った行動です。もし私が中高生であればその子が1人になったときに集団で
暴行を加えているかもしれません。これは中高生レベルであれば相手が卑怯者で正義はこちらですから徹底的に
やるでしょう。しかしやられた子供がもし親の躾で『謝れない子供』あったならどうでしょう。暴行を加えている少年達の
理由は『こいつが悪いんだ』とさらに正当化し、暴行はエスカレートするでしょう。これは被害者の方々ことでは
ありませんので誤解無きようお願いしますが、暴行を受けた側にも極わずかでしょうが発生因子があることもあるのでは?
こういった因子も加害者、被害者、オブザーバーを含め参加するべきと思っています。またテレビのニュースでも手口を
紹介し犯罪を増加させているように思います。いい例がバイクでの引ったくりです。発生件数に対し検挙率が低すぎるのです。
(成功率の高さを報道しています)こうすればつかりません。こうやれば逃げ切れます。複数でやれば加害者意識が無くなり、
俺は何もしてない、○×君がやったなど責任転換をする。その親も子供の社会的将来を守ることだけしか考えてません。
全て大人が正さないといけないと思います。この戦いを代表して戦って頂いている方々を私は応援しますので
頑張ってください。 追伸、もし私の子供がそのような状況に合えば、私は何のためらいも無くその少年を拉致して
発狂するまでの長い苦痛を与えた後殺害します。私の人生で子供だけが全てですので状況経過を待つほど人間が
出来ていませんし、そんな十字架を背負って生きようとは思いません。おい!日本!こういった心境を我慢され戦って
おられる人に耳をもっと傾けろ!
10〜15年前なら殺人事件そのものが驚愕することであり、理由なき犯行は考え
られなかったと思います。
しかし、物質的に豊かになり一律に教育を受けれる中で、子供達の取り巻く環境は
大きく違います。親達の世代そのものが豊かな時代に生まれ育った中で、子供達に思
いやりや善悪の判断の仕方、そういった心の成長時に一番必要なことを教えることの
できる親が大人がどれだけいることでしょう。残念ながら現在の教育制度では出来て
ないですし、我々もそういった心の教育に時間を費やした記憶がないと思います。そ
んな学校の状態では「死」や「生」に対してリアリティーがなく、そういった大事な
体験、経験数の圧倒的に少ない子供達だらけです。
少年法をさらに厳しくする必要はあると思います。加害者に対する更正を促す法律
ではなく、犯罪を犯したらどのようになるのか、それを掲示するためにも大人達と同
じ法律に近づけるべきです。ゲーム感覚で犯罪を犯した子供を保護することが彼らに
とって本当に良いことだとは思いません。現代にはミスマッチです。
それと同時に重要なのは今の学校教育にもっと心の教育、哲学などを取り入れるべ
きだと考えます。人として生きることそのものの意義と誇りを子供達に教えていかな
ければ、凶悪犯罪は増える一方だと思います。
ゆとりゆとりと叫ばれてますが、ゆとりをとって失われる教育内容は体験、課外授
業、道徳だったりと一番あの世代に必要なことが削られるのです。必然的にそうなっ
てしまう受験中心の学習ばかりでは、「心」を失った子供達が出来るのは当然だと思
います。犯罪を犯す子供達を作り出している原因に我々大人達も関わっていることを
忘れてはいけないのでは・・・。子供達に対して、明るい未来、ビジョンを示し生き
ていくことがどんなにすばらしいことか、そしてそれがどんなに難しいことか、自分
一人で生きてるのではなく、家族や社会に自然に、生かされているのだという自覚を
もった大人も少なく、また子供達にそのことをきちんと伝えているかどうか社会や地
域全体で取り組まなくてはいけない問題だと思います。閉塞感漂う社会を作り出して
しまったのは大人たちなのです。
166 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 20:12:26 0
被害者の命を還せ!
被害者の命を還せ!
被害者の命を還せ!
ひとつの命を消してしまった罪を、「少年院2年」で償えるのでしょうか?
そして、それだけで社会に戻ってきた少年を本当の意味で社会が
受け入れられるのでしょうか??
「加害少年」にとっては、社会が与える罰のほうが、法律が与える罰よりすいぶん重いはずです。
暖かく迎えよう・・、罪は償ったのだから・・そう社会に感じさせるには
それ相応の罪の償い方があるように思えてなりません。
どんなに、仮名や匿名で報道されても社会は本人の特定など簡単に
してまいます。それゆえに、仮名、匿名にするのでしょ。
法律や親の愛情がそれを阻害しているのが現状ではないでしょうか?
私にも子供がいます。近頃はただただ「人を傷つけない子」に育ってくれれば
いいと思うようになりました。
自分の子はかわいい。だけど、万がいち人を傷つけた時、正当な罰を受けて
欲しい、でないと、社会からもっと重い罰を与えられるような気がしてならないのです。
順番でいくと親は子より先に死にます。その時、その子が社会からの罰を受け続けて
いたとしたら、死んでも死に切れません。
ならば、自分達、親が少しでも子供の盾になってあげられる間に正当な罰を受けて
欲しい。少しでも親が守ってやれる間に・・
そう思うのはまちがいなのでしょうか?
「被害者のご遺族」が「被害者の方達」に感じる愛情の深さと、「加害少年の親」が
「加害少年」の感じる愛情になんの違いも無いのは判るつもりですし。
自分の子供が重い罰を受けるのは、親にとって非常につらく、できるなら
その罰から我が子を救い出したいのも判るつもりです。
ですが・・社会は法律より甘くはないのです。
皆さん建前は奇麗事のように、「加害少年を受け入れなければ」とか「更正の可能性」
少年犯罪の場合、「加害少年の人権」、「被害者、遺族の人権」・・等、
成人の犯罪より「人権」という言葉があふれています。
私は「加害少年の人権」の中には正当に罪を償う人権も含まれていると思うのです。
それを、「更正」という言葉に隠して、正当に罪を償わせないほうが
よほど「人権侵害」にあたるのでは・
「少年法」という法律がある限り、その範疇で罰を受けるべきなのでしょうが
はたして、本当に正当な償いであるとは到底思えないのです。
19歳以下を保護する少年法… 14歳以下は刑事処分なし…
前々から思っていたのですが、犯罪者を保護してどうするのでしょうと思います。
なぜ、暴走族は20歳になると暴走行為をやめるのでしょう?それは、未成年者なら、
名前を公表される事も無く保護されるからです。今回の長崎の事件もそうですが、14歳以下なら人を
殺しても刑事処分されないんだと思って事件を起こす少年が出ないと言い切れるでしょうか?
確かに犯罪者の人権はある程度守らなければならないでしょう。警察官の暴行や復讐などあるかもしれません。
しかし、殺人と言うものは被害者にとってはこれから生きることを強制的に奪われた、最強の人権侵害ではないでしょうか?
こんな殺人を犯した人間が生きていて、更に、何年かして社会に復帰しているかと思うと街も歩きたくありません。
良く考えてください、隣を歩いている人間が人殺しかもしれないのですよ… しかも、彼らは人間を殺すと言う一線を
超えているのです。
いつも思うのですが、少年法改正反対やら死刑反対している人たちが居ますが、彼らの愛する人が未成年者に暴行、
強姦され無残にばらばらにされ海や川、さらにはダンボールに詰められ自宅や学校・会社に送られてきても、
その人たちは「少年だから、死刑は反対だから」と言えるのでしょうか?
掲示板にもハムラビ法典の引用が間違っていると書かれていましたが、私は過失致死以外の”人殺し”は
全て死刑でいいと思っています。人を殺したら自分の命で償えと思います。
仮に、道路交通法が改正されて10Km/h異常のスピード違反は死刑となったらどうなるでしょうか?
恐らく、スピード違反はいなくなるでしょう。死刑は犯罪の抑止力とは必ずしもならないとの意見もありますが、
逆に100km/h以上のスピード違反までは取り締まらないとなったらどうですか? 恐ろしいことになるでしょう。
私は刑の重い軽いに関わらずスピードは必ず守ると反論するあなた、それでは実際に40km/hの道を40km/hで
走っていますか?コンビニや駐車場に入る為に歩道を横切る時に一時停止していますか?
警笛鳴らせの区間で警笛を鳴らしますか?
住所が変わったら更新前に免許証の住所訂正に警察署に出向きますか?
もし、これらの行為の罰則が死刑だったら… みんな守るでしょうね…
よって司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
刑法というような法律は、社会の治安と秩序を維持する為にこそ必要なものなのであるから、
法を犯した者を裁くには、常に社会との関連のなかで裁かなければ成らないのであって、現状のように
違反者個人の人権とか更生とかいう面にだけ目を向けていたのでは駄目なのである。
過失や情状の酌量にあたいするような犯罪者は兎も角、故意に犯行に及んだ者に対してまで、
その人権の擁護や更生を優先するあまり、社会に悪影響を及ぼすような裁きをなす現状のごとき司法官の態度は
、明らかに間違っているのである。
子供たちを少年法で守らず、成人と同じ刑法で裁き、闇雲に刑務所に入れてみても何時かは出てきます。
その時、罪を繰り返しては本末転倒です。成人を刑務所に入れることでペナルティーを科すのだとしたら、未成熟な
子供に同じ手段で同じ効果が期待できるでしょうか。
事実成人の再犯率でさえ、かなりの数字です。
十代、二十代にただ刑務所に入れて、刑務官に育成の責任を一手に負わせるのは不合理です。
また、子供たちに殺人はいけないと教え込むことは我々の子供時代よりも簡単かも知れません。これだけの
情報を処理している彼らにとって、殺人さえ犯さなければいいのかと断言できるでしょうか。
成人した者にとっても、殺人罪と傷害致死罪の区別を正確に理解している人は少ないのではないでしょうか。
殺人はあってはならないと思います。しかし問題の根底は、罰則の軽重だけでは説得力もないのです。
我々大人は、子供たちに夢を語れるでしょうか。
犯罪に手を染めた子供、染めようとしている子供に、将来の夢を描かせられるでしょうか。
良い学校、良い会社、良い結婚。それだけを念仏のように繰り返すだけの時代は終わりました。
犯罪に手を染めることの無意味さを理解させるには、その正反対にある社会が魅力ある場所でなくてはなりません。
正直者が損する時代を作り、小手先のビジネスの為にモラルを棄てたのは、間違いなく我々大人です。
子供たちが、懸命に努力した結果、失敗に終わったことを悲しんだりしていませんか。努力を褒めましたか。
結果主義の大人社会に、早いうちから子供を参加させても、いい結果は出ないと思います。
少年法の検討は必要だと思いますが、撤廃は反対です。
そして同時に、子供たちにもっと大人がきっかけを作らなくてはならないと思います。
大卒のフリーター。特に夢があるわけでもなく、何となく選んでしまう先に、犯罪に手を染める若者もいるのだと思うのです。
夢をもつ意味を大人も一緒に考えていくことが、少年犯罪の糸口になると思います。
殺人はどうして、悪いのでしょうか。幼い時には虫を平気で殺し、動かなくなった死骸をみて、罪悪感を学んだのでは
ないでしょうか。もちろん、殺人によって悲しむ遺族の方の気持ちを逆なでするつもりもありません。
子供たちを少年法で守らず、成人と同じ刑法で裁き、闇雲に刑務所に入れてみても何時かは出てきます。
その時、罪を繰り返しては本末転倒です。成人を刑務所に入れることでペナルティーを科すのだとしたら、未成熟な
子供に同じ手段で同じ効果が期待できるでしょうか。
事実成人の再犯率でさえ、かなりの数字です。
十代、二十代にただ刑務所に入れて、刑務官に育成の責任を一手に負わせるのは不合理です。
また、子供たちに殺人はいけないと教え込むことは我々の子供時代よりも簡単かも知れません。これだけの
情報を処理している彼らにとって、殺人さえ犯さなければいいのかと断言できるでしょうか。
成人した者にとっても、殺人罪と傷害致死罪の区別を正確に理解している人は少ないのではないでしょうか。
殺人はあってはならないと思います。しかし問題の根底は、罰則の軽重だけでは説得力もないのです。
我々大人は、子供たちに夢を語れるでしょうか。
犯罪に手を染めた子供、染めようとしている子供に、将来の夢を描かせられるでしょうか。
良い学校、良い会社、良い結婚。それだけを念仏のように繰り返すだけの時代は終わりました。
犯罪に手を染めることの無意味さを理解させるには、その正反対にある社会が魅力ある場所でなくてはなりません。
正直者が損する時代を作り、小手先のビジネスの為にモラルを棄てたのは、間違いなく我々大人です。
子供たちが、懸命に努力した結果、失敗に終わったことを悲しんだりしていませんか。努力を褒めましたか。
結果主義の大人社会に、早いうちから子供を参加させても、いい結果は出ないと思います。
少年法の検討は必要だと思いますが、撤廃は反対です。
そして同時に、子供たちにもっと大人がきっかけを作らなくてはならないと思います。
大卒のフリーター。特に夢があるわけでもなく、何となく選んでしまう先に、犯罪に手を染める若者もいるのだと思うのです。
夢をもつ意味を大人も一緒に考えていくことが、少年犯罪の糸口になると思います。
私の夢は、弁護士です。来年始めての司法試験に向け勉強している身です。
何故、犯罪者の弁護をするのか。弁護士という仕事に疑問を持つ方もいらっしゃると思います。。。。。。。
先日テレビの番組で、本村さんが、アメリカテキサス州の死刑囚犯行時20才未満の死
刑囚と面会し彼は死刑の判決を受けて反省しもう2度と犯罪を犯さない自信がある。
と言っていました。そしてその死刑囚に対する死刑は番組放送時もう執行されていた
ということ。
確か今年テキサス州で犯行時17才の死刑囚に対する死刑が執行されたというニュース
が入ってきました。このことは国際的に大きく非難を浴びていますが・・・・
更正の期待をかけ犯罪者を生かしておくのか、死刑判決を宣告させ反省し慟哭をさせ
るのか、どちらが正しいのか、僕は正しい答えなんてないと思います、数学のような
ものと違って答えは一つではありません。
死刑については廃止するべきか存続するべきかいくつかの意見があります。
人の貴重な生命を奪ったものを死刑にしてやむを得ない、死刑は凶悪犯罪の防止に役
立っている。被害者や遺族の感情を考えると死刑は実行するべきである。
反対意見としては死刑は人の貴重な生命を奪うことなので、どのような場合でもさけ
るべきである。
死刑は凶悪犯罪の抑止力となっていない。
死刑は間違いが判明しても取り返しがつかない(冤罪)
死刑にするよりも、更正させて社会に奉仕させるべきである。
この冤罪については日本では死刑確定後再審によって無罪になった事件は4件あります。
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件、この事件で無罪になった人たちは30年
以上にわたる獄中生活を強いられました。
彼らのこの間の時間はどうしてくれるんでしょう。
それ以外にも再審請求中の名張ぶどう酒事件や1審で死刑判決を受け先日(7月15日)控
訴審が結審した冤罪事件の鶴見事件
(控訴審判決は10月30日)があります。それ以外にも今まで何人の人が無実の罪で死刑
判決を受けたでしょう。(執行されてしまった人も何人いるのか)
冤罪の現因として見込み捜査、不当な別件逮捕、代用監獄(国際的に批判を受けてい
る)自白強要の取り調べ、取り調べ期間の長さ
自白中心型裁判などがあります。この日本の刑事司法の現状を何とかしてほしいです。
死刑は冤罪の可能性が絶対になければ必要だと思いますが、今の日本の刑事司法の現
状では冤罪を生む可能性は十分あります。。。。。
この連続長文カキコしてる香具師、もはや神の領域に到達してるといえる。
神奈川県の24歳の僧侶が、暴走族集団に襲われ殺された。
直接の死因は、頭を鉄パイプのようなもので強打したことが原因らしい。
これは警察の取締りが甘いせいだ。
近年の暴走族は、狂暴化しており、他人を殺すことなど平気でやるようになっている。
ところが、警察の取り締まりは十分に行われていないし、検挙されたとしても、軽
い処罰で済まされてしまう。
特に未成年の場合には、異常ともいえるほどの甘い処罰で終わる。
このために抑止効果がなく、狂暴化が進行している。
殺された24歳の僧侶と暴走族集団グループとには、何の関係もなく、ただ徒歩で通行していたところを襲撃された。
前途有望な若者の未来を奪った罪は大きい。
それに聖職者を殺害したり、侮辱したりすると、地獄に落ちるとされているし、特
に罪悪が大きいといわれている。
バイクについては、特定の公共利用以外は、全面的に製造販売を禁止するべきだ。
未成年にはバイクの運転をさせないなどの対策が必要である。
また暴走族に襲撃された場合にも助かるために、事前にいろいろな対策を取るべき
だし、武器の携帯も許可するべきだ。
正当防衛の教育を行い、不当に自分もしくは、他人の生命が脅かされた場合には、
相手の命を奪っても、罪には問われないことを周知徹底するべきである。
また正当防衛の適用を広範囲に認め、自分の身を守る自由を確保しなければならない。
何よりも、無能な警察以外の民間の治安維持組織の設立が必要であろう。
それは、警備会社ではなく、組織的な公益のための活動で、権限も与えるべきだ。
アメリカでは、そういう組織があるし、公的権限も与えれており、しかも多くはな
いが、補助金も支給されている。
日本でもそういうことを導入するべきだ。
神奈川県開成町の24歳の僧侶が、暴走族集団に襲撃されて殺された事件で、犯人
らしき少年が自首してきた。
またしても17歳の未成年であった。同じ神奈川県に住む、小田原町の17歳の少年
が、母親に連れられて警察署に出頭してきた。
ただしこの少年一人だけが犯人ではなく、他にもいたはずだ。
これで一挙に解決に向かうだろうが、もはや殺された僧侶は生き返ってこない。
なぜ殺害しなければならなかったのかわからない。
自分達が、集団で暴走行為をしていたので、徒歩で通行していた被害者が、口頭で注意したのかもしれない。
違法行為を指摘され、叱られたので逆上して襲ったのだろう。
この暴走族集団は、バイクだけのグループではなく、乗用車も含めた10台以上の規模だった。
人数は不明だが、要するに10人以上ということになる。
最近の警察は、暴走族対策をきちんとしない。
見て見ぬふりをして放置する。
住民が通報しても、対応しないで、無視することもある。
未成年が犯人であることが多いので、検挙しても、まともに処罰ができず、すぐに釈放される。
初犯の場合は、口頭注意ぐらいだ。
人を傷つけたり、物を破壊した場合には、それなりに捜査もするが、そうでないと
きには、泳がせておくことが多い。
つまり次の犠牲者が出るのを待っている状態だ。
死人が出ないと何もしないのが警察だ。
こんなことでは安心はできない。
すべての暴走族メンバーの個人情報を全面公開し、住民が被害にあわないようにして欲しい。
暴走族に対して直接抗議したくなるのは人情ですが、非常に危険な行為です。
いくら抗議しても、説教をしても、従順に言うことを聞くような連中ではありません。
迷わず警察に通報しましょう。
嘘の110番通報をすると処罰されますが、事実である限り通報するのは違法ではありません。
ただしできるだけ110番通報ではなく、地元の管轄する警察署に直接通報したほうが良いです。
110番通報すると都道府県の警察本部に繋がりますが、結局そこから地元の警察署
に連絡が行くだけのことであり、同じことです。
もちろん緊急事態のときには110番通報するべきです。
何が緊急事態になるのかという判定が難しいのですが、明らかに危機的状況のときです。
ひき逃げや当て逃げを目撃したときにも通報するべきです。
自分の住居を管轄する警察署の電話番号だけは知っておきましょう。
暴走族と直接交渉をすると、たとえその場では制裁に成功したとしても、仲間を集
めて復讐されることは確実です。
暴走族というものは、いじめ犯罪者のようなもので、やることは強暴ですが、卑怯
で、どんな汚い手口でも使用します。
Yahoo掲示板に載ってました、ある非行少女の話ですが、
彼女らの、自己中心的で周りの他人すらばかにした考え方をしている実態を知ってもらいたくて、転載します。
(その少女の親?からの発言より)
>万引き・カツアゲについてはどうしてやったらいいのか迷うところなんです。
>結婚に反対されること等では伝わらないと思います。
>そんな親のいる相手は選ばない。で一笑に付されるような気がします。
>結婚も失敗だったら別れればいいぐらい軽く考えているので
(直面することになればそうは思わないでしょうが)。そういう感覚は別に構いませんが。
皆さん、これを聞いてどう思いますか?
「前科持ちになったって、女だし世間は甘く見てくれるわ。
男なんか、ちょっといい顔してSEXやらせたら、ホイホイと結婚するところまで簡
単にだましおおせるものよ。
うっかり出来ちゃったら、相手の男ちょっとゆすっったらオドオドしてお金出してく
るし、かなり利用できていいかも。
さんざん搾り取ってから、子供なんかおろしちゃえばいいし。
とにかく、私の前科持ちの過去を理由に、結婚に反対するやつらが悪いんだよ。
あはははは〜。」という人を人とは思わない、世間をなめてる態度がみえみえだと思
いませんか?
前科持ちの少女って、所詮性根腐りきってるヤツなんです。
大人に成ったって、ちっとも良くはなりませんよ。
それどころが、大人の「ズベ公」として、一生立ち直れずに、悪女街道まっしぐらに
なることがほとんどだと聞きます。
これも、日本社会が犯罪少女に対し少年のそれよりもはるかに
甘すぎる政策や世間の目があるのではないでしょうか?
女は前科持ちになることでの社会的な立場でのリスクは男のそれよりかはるかに少ない。
仮に就職できなくても、風俗業界に身をやつすことがまだ「最後の選択」として残さ
れているし、「男にこびを売る」という女の武器で比較的簡単に結婚に持ちこめる
し、それによって戸籍も洗える(名前を変えられる)し、それによって「過去」を抹
殺して生きていける。
(まぁ、彼女らにしたら風俗業界にいく事自体、一般企業への就職と同じ位軽いこと
に思ってるんでしょうが)
こんな理不尽を許していいですか?
「氏か育ちか」を考えてみよう。氏は遠くの原因であって、その人の正当化の理由ではない。育ちは近くの原因である。実際その人となりは遠くの
原因と近くの原因の混合である。では、この二つは原因に分解できるか。力学の変化はその原因を局所的に分解できるが、変異の原因は分解できない。
したがって、ある人をその氏と育ちに分解することはできない。これは「氏か育ちか」という問いそのものが無意味なことを意味している。実際の人為選択の
問題は自然と人為の混合である。したがって、そこに自然と人為の区別ができなくなることを不可避的に想定しなければならない。心理的な利己性、利他性と
進化的なそれらの間での区別ができないことは、人為選択に対して基本的な事柄である。このことをまとめると次のようになる。
1.進化的、心理的な利己性、利他性は概念的には独立している。
2.人為選択の際の利己性、利他性は心理的な性質である。
3.その性質が自然、人為の選択の過程を通じて進化的な利己性、利他性に影響する。
4.その結果、進化的、心理的な利己性と利他性は実際には互いに区別できなくなる。
この結論に一概に悲観する必要はないのかもしれない。区別は重要でないという統一的な視点を採用するなら、当然の結果であろう。
西脇与作『現代哲学入門』慶應義塾大学出版会、2002年、326-327頁
性差を無くしたら、結果的に貴女達女性陣も、私達男も、お互いがしんどくなるだけですよ。そんな無理
を自分や私達に押しつけるよりも、互いの得意分野で得意な事を発揮し、互いの不得手な分野を補って助
け合って生きる方がよっぽど幸せに楽しく満足のゆける人生になると思いませんか?もういいかげんに、
自分達、女性自身を不幸にするヒステリー運動はおやめになったほうが、貴女達も幸せで満足した人生が
送れると思いますよ。果たして貴女達の運動をしている女性の何%が「女に生まれて良かった」と思えて
いるのでしょうか? 生まれながら持っている自分の性をなくそうなどと運動する方達が自分の性を謳歌
できているとはとても思えません。今現在の性を謳歌できているなら、性差をなくそうなどとアホな運動
をするはずが無いでしょうからねえ。
それは、1993年(平成5年)3月1日に、東京都調布市の京王線調布駅南口で起きた暴行・
傷害事件であった(調布駅前事件と呼ばれている)。
この事件は、全く別件で補導されて取調べ中に、友人と一緒にこの事件をやったと供述した
とされ、同年5月3日に主犯格と準主犯格の2人の少年を逮捕。その後、捜査官は、
主犯格とされる少年に「もう一人が自白したぞ」と言って「自白」させるとともに、
準主犯格とされる少年には主犯格の少年が自白したぞと言って「自白」させたのである
(切り違え尋問である)。その後、この事件で五人の少年を逮捕した。
少年たちは、少年審判までには最初に別件取調中に自白した少年を除いて全員否認に転じた。
東京家庭裁判所八王子支部において、1人は非行事実なし不処分決定を受けたが、
五人は非行事実をやったと認定されて少年院送致の判断を受けた。
その後、東京高等裁判所に対する抗告が認められて、東京家庭裁判所八王子支部に差し戻され、
うち1人は非行事実なし不処分となったが、それ以外の3人については、
警察は大々的な補充捜査を行って、東京高等裁判所の判断を覆して検察官送致とされ、
非行事実なし不処分とされた少年を含めて、傷害罪等で東京地方裁判所八王子支部に起訴された。
この事件は、その後、起訴の有効性が争われて、最終的には起訴時少年だった被告について
起訴が無効であるとして公訴棄却となり、それ以外の4人の被告についても検察官が起訴を
取り消して公訴棄却となって終了している(服部朗・佐々木光明編『少年法ハンドブック』
〔明石書店〕373頁以下参照)。
少年事件については、少年に付添人が選任される割合は極めて低い。平成11年のデータでは
、全体の4.4パーセントの少年にしか選任されていない。
ただ、この割合は昭和63年から年々少しずつ増加している(最高裁判所事務総局家庭局
「家庭裁判所事件の概況(二・完)−少年事件−」法曹時報53巻1号53、54頁)。
増加傾向にあるのは、弁護士会が当番弁護士制度を実施していることと関係があるように思われる。
これは、成人事件の場合に国選弁護人制度があり、起訴後の被告人にほとんど弁護人が
選任されている実例と比較するとこの4.4パーセントという数字がいかに少ないかが良く判る。
TVに出たある作家が、小さな子どもたちがみんなで一人の子を殴ったり蹴ったりした理由を、「悪い奴をこらしめただけ」と
言った事を引用し、その後で、文学は悪を受け入れ、共存するテーマで満ちている、許すことを知らなければいけない、
と言っていました。私は首をかしげました。この作家は、一体何を言おうとしているのだろう?少年犯罪の動機は正義感に
よる悪の処罰だ、悪をみんなが許せば少年犯罪は無くなる、また少年犯罪の加害者も許されるべきだとでも言いたいので
しょうか?この例で、リンチの被害者(何かの容疑がかけられている者、ホームレスの人など)と加害者と、どちらが悪であるか
が判らないこと自体、異常であるはずなのに。圧倒的な悪はいざ知らず、通常の悪は、決まって自分のほうに分があると見て、
相手を殺し、傷つけます。その裏には、物欲、肉欲、ゆがんだ正義感など利己的な想いの満足があります。本質をすり替えて
はいけません。私たちは、善の文学を愛しますが、巧妙に悪を擁護する文学など必要としません。
また、物性科学の生産分野で世界的な成果を挙げたある人がTVで、エントロピー増大の法則という物理の概念を引き合いに
出して、子どもたちや親のエネルギー状態を安定させる、つまり大学受験を全廃すれば、事態は改善されるという持論を
力説していました。しかし、最も安定したエネルギー状態が望ましいというのなら、意志も努力も捨てて運と成り行きに
任せ、果ては荒廃するに任せ、すべてを無に帰してしまえばいいということになります。何事によらず価値ある成果は、
エントロピー増大の法則ではなく、意志と不断の努力が少しの偶然を呼び込んだ結果のはずですが。
現在の大学受験などには、本来の教育とかけ離れている状態やゆがんだ競争が含まれているのはその通りですが、
それでも、ある種の競争自体は、必要でしょう。要は、人間として最低限の倫理的価値観(それこそが価値観の本質)
さえ備わっており、それぞれの天分と役割に応じて力を尽くしているなら、その結果の優劣そのものを階級的に扱うのは
、間違っているということです。しかし、自らの心のあり方や本当に大切なものについて、一人で考える時間や環境さえ
極めて少ないような現在の状況は、確かに異常だと思います。
善と共感に基づいて」に続いて
すべての犯罪と無縁の社会、ましてこれからの日本と世界を担わなければならない少年たちが、犯罪に関わることのない
社会を作るために、事態はもはや一刻の猶予も許されない状況に至っています。誰が何をどうすればいいのか。
すべての人が謙虚に原点に帰って、被害者側と加害者側の扱い及び社会と個人のあり方について、見直すべき時が
来ています。時には、これまでの思い込みや立場をすべて清算してでも、有効な対策を講じることが必要です。
一言で言えば、このような事件が起きた時、被害者と家族の苦しみと悲しみを、我が事のように感じて涙を禁じえ
ない人ばかりであれば、解決を阻む障害はありません。
何より事件そのものが起きないでしょう。最大の障害は、見かけはどうであれ内心では、被害者側への共感に立っ
た問題解決への自分自身の関わりを痛感していない人々があまりに多いということだと思います。
このような世の中になった最も大きな要因は、家庭を始めとする大人社会が全体として、子どもたちにある
べき模範を示してこなかったことにあります。人間にとって本当に大切なものは何か?命と愛。愛と命。
命を愛し慈しみ、共感によって一つの命が他の命と結びつき、人間の命全体が大きな一つの命となる。
そのような命の一つとして、自己と他者の命を愛し守り、時には、そのために自分の命をも顧みず、
愛する者の命を通して生きる。それが人間の人間たるゆえんなのだと思います。人間として本当に大切なものを
大人自身が理解し、子どもに自らの生き方とことばを通して教えることが必要なのです。人間としての
基礎を学んだ子どもは、自ら判断する力や責任感などを身につけています。もし、僅かでも命としての愛を
持っている人は、人を殺すことのいけない理由が解らないなどという邪悪な問いは発しません。人間としての
基礎を学んだ子どもは、勉学の必要なことも自覚し、ちゃんとした目的をもって努力することでしょう。その結果、
個人差があったとしても、本当に力を尽くした結果なら、みんなが等しく親と国の宝でしょう。本来の人間は、
自己と他者全体にとって価値ある何かを生み出す力を、少なくとも一つは持っていますから
182 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 22:50:10 0
コピペ飽きた。しかも逆効果
自分の腕や足、直火で焼け!!
早くやれ!早くやれ!
どんなに痛いか、必ず報告すること。
花を育てるように、
それぞれの性質に応じて忍耐をもって育てるなら、いつか立派に咲き誇ることでしょう。あるべき社会とは、
各自がそれぞれの天分と役割に応じて力を尽くし、尊重しあいながら、一つの身体のように存在する形だと思います。
そうでない社会は、ゆがみと矛盾を増大させ、何時の日にか終焉を迎えることになります。
悲しいことに現実の社会は、ゆがみと矛盾に満ちています。人間としての基礎の不十分さは、
通信手段等の発達等を通して、むしろゆがみを増大させてきました。不正は、社会の至るところに広がっています。
一方、不正や過ちを認める良心や潔さは、社会のどこを探しても、消え残った雪ほどにしか見つかりません。
確かに、このような社会に生まれた子どもたちは、むしろ不幸かもしれません。しかし、そのことも、善悪についての
理解の程度も、その他のことも、子どもによる凶悪な犯罪の免罪符には、なりえません。その理由を示す前にまず
、キーポイントとなる罪と罰の関係、そしてそれが年齢とどういう関わりを持つのかということについて、
考えなければならないでしょう。
人間社会を維持するためには、ルールが必要だということに反対する人は、そういないでしょう。では、
社会を維持するとは、一体どういうことなのでしょうか?社会全体のルールがなかった時代には、年齢に拘わらず、
心身と財産つまり個人の権利を誰かが傷つけられた時、傷つけた側への個人的報復がなされてきました。
目には目、歯には歯というバランスが、自然法として適用されてきました。宗教上の根源的な理由を別にすれば、
それが罪に対する罰の本来の理由でしょう。しかし、そのバランス自体は道理に叶っているものの、
法に基づく国家が形づくられると、個人的報復に任せることは、争いの原因などへの誤解や過剰な報復の連鎖や
社会不安を生むことへの懸念から、国家が被害者の裁く権利を奪い取る形態に変わりました。もともと権利を奪っ
たのですから、国家には公平な裁判をする大きな責任が生まれました。それと共に国家の関心事、
つまり本来の報復に加え、社会秩序への影響、被害者側と社会への償い、更正と社会復帰、事案間の判決内容の
バランスなども加わりました。しかし、国家といえども、実体は誤りを犯す人間の集まりです。
184 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 22:55:36 O
一生やる予定?ご苦労さん(笑)
-動機無き犯罪の正体-
犯罪に走ってしまう少年の場合、心の奥深くにあるそうした内的経験に対する「怒り」
や「人間不信」の感情が非常に強くあるのですが、前述したような理由から、その感
情は何年もの間、本人の心の中でくすぶっていることが多いといえるでしょう。
そして、思春期に入り、抑えてきた怒りや人間不信がある時ささいな事をきっかけに
して、爆発してしまいます。これが俗に言う「キレる」です。
幼い頃からずっとおとなしく「良い子」だった子でも、ある時突然キレ、犯罪行為にまで
至ってしまうのは、そういう心のメカニズムからです。
しかも、それが十何年貯めに貯めてきた怒りなわけですから、噴き出してくるもの
は相当な勢いがあるはずです。彼らの犯罪の手口の残忍さは、このあたりにあるの
かも知れません。
そして、ここで重要なのは、犯罪の「動機」に関してです。
怒りの原因ともなった「心の傷」は、して欲しかったことを、してもらえないためにでき
た傷であったり、して欲しくないことをされたことによってできた傷であると書きました。
何かをされたこと(イジメや暴力など)によってできた傷は、因果関係がはっきりしてい
るようですが、本人が心の奥底に封じ込めていたり、明確に自覚できていなかったり
するので、必ずしも被害者がその経験と関係ない場合が少なくありません。また、
何かをされなったことによってできた傷というのは、もともとその原因が存在しないた
めに、こちらは因果関係が特定できないのです。ないものは探せないというのが道理
といえそうです。
従って、犯罪の動機が特定できず、「動機無き殺人」などといわれるのもこのためで
す。そして少年自身も、自分の心のそういう状態を自覚することができないので、何
故、自分が犯罪を犯したのかわからないし、聞かれても答えられないのです。
しつこく聞かれれば、何か答えるでしょうが、その答えは「人を殺してみたかった」と
言う風に真実が語られていないことが多いのです。
場合によっては、長い間の辛い経験から、心の動きが本来のように機能しなくなり、
その結果、善なる心が動かなくなり、怒りと人間不信だけが激しくうごめいている。
第1条 少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された者及び少年法
(昭和23年法律第168号)第56条第3項の規定により少年院において刑の執行を受ける者
(以下「少年院収容受刑者」という。)を収容し、これに矯正教育を授ける施設とする。
《改正》平12法142 第2条 少年院は、初等少年院、中等少年院、
特別少年院及び医療少年院とする。2 初等少年院は、心身に著しい故障のない、
14歳以上おおむね16歳未満の者を収容する。3 中等少年院は、
心身に著しい故障のない、おおむね16歳以上20歳未満の者を収容する。
4 特別少年院は、心身に著しい故障はないが、犯罪的傾向の進んだ、
おおむね16歳以上23歳未満の者を収容する。ただし、16歳未満の者であつても、
少年院収容受刑者については、これを収容することができる。《改正》平12法1425
医療少年院は、心身に著しい故障のある、14歳以上26歳未満の者を収容する。
6 少年院は、収容すべき者の男女の別に従つて、これを設ける。但し、医療少年院については、
男女を分隔する施設がある場合は、この限りでない。
第3条 少年院は、国立とし、法務大臣がこれを管理する。
2 法務大臣は、少年院を適当に維持し、且つ、完全な監査を行う責任を負う。
第4条 少年院の矯正教育は、在院者を社会生活に適応させるため、
その自覚に訴え紀律ある生活のもとに、左に掲げる教科並びに職業の補導、
適当な訓練及び医療を授けるものとする。
1.初等少年院においては、小学校及び中学校で必要とする教科
2.中等少年院及び特別少年院においては、初等少年院で必要とする教科、
更に必要があれば、高等学校、大学又は高等専門学校に準ずる教科
3.医療少年院においては、養護学校その他の特殊教育を行う学校で必要とする教科
2 少年院の長は、在院者を、前項の矯正教育に関係のない労働に従事させてはならない。
第5条 少年院の長は、在院者に対する矯正教育のうち教科に関する事項については、
文部科学大臣の勧告に従わなければならない。
《改正》平11法1602 少年院の長は、前条各号に掲げる教科を修了した者に対し、
修了の事実を証する証明書を発行することができる。
187 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:10:02 0
スレ潰し必死だね(笑
第6条 在院者の処遇には段階を設け、その改善、進歩等の程度に応じて、順次に向上した
取扱をしなければならない。
但し、成績が特に不良なものについては、その段階を低下することができる。
第7条 少年院の長は、在院者が善行をなし、成績を向上し、又は一定の技能を習得した場合には、
これに賞を与えることができる。2 前項の賞は、証明書、記章等の賞票又は特別外出等の
殊遇とする。但し、少年院の長は、法務大臣の承認を経て、他の賞を与えることができる。
3 ひとたび与えた賞は、いかなる場合にも、これを没取してはならない。
第8条 少年院の長は、紀律に違反した在院者に対して、左に掲げる範囲に限り、
懲戒を行うことができる。
1.厳重な訓戒を加えること。
2.成績に対して通常与える点数より減じた点数を与えること。
3.20日を超えない期間、衛生的な単独室で謹慎させること。
2 懲戒は、本人の心身の状況に注意して、これを行わなければならない。
第8条の2 在院者が矯正教育を受けるに際して、けがをし、又は病気にかかつた場合において、
これによつて死亡したとき、又はなおつたとき身体に障害が残ることが明らかなときは、
法務省令の定めるところにより、手当金を与えることができる。
2 在院者が死亡した場合の手当金は、死亡した者の遺族に与える。
第9条 少年院の長は、在院者の所持する金銭、衣類その他の物を領置したときは、
これを安全に保管しなければならない。 第10条 少年院の長は、
矯正教育の便宜その他の理由により在院者を他の少年院に移送する必要があると認めるときは、
その少年院所在地を管轄する矯正管区の長の認可を得て、これを移送することができる。
2 前項の規定により在院者(少年院収容受刑者を除く。次項、第11条及び第12条において同じ。)
を他の少年院に移送した場合においては、移送した少年院の長は、
速やかに、本人を送致した裁判所にその旨を通知しなければならない。
《改正》平12法1423 第1項の規定により在院6月以上の在院者を他の少年院に移送した場合に
おいては、移送した少年院の長は、すみやかに、その少年院所在地を管轄する
地方更生保護委員会にもその旨を通知しなければならない。
189 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:15:31 O
あん時、匿名で警察にハガキ出すか、匿名で110番しときゃ、お前もこんなコピペ荒らししなくて済んだのによ。どうしようもないバカな奴だ。ひと思いに楽になれや。
190 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:19:17 0
普通、女の子が怪我したのを偶然見ても「可哀想に」って思うのが人間。
自分が人間じゃないってわかるよね?
第10条の2 少年院収容受刑者は、16歳に達した日の翌日から起算して14日以内に、
監獄に移送しなければならない。ただし、その期間内に刑の執行が終了すべきときは、
この限りでない。《追加》平12法142 第11条 在院者が20歳に達したときは
、少年院の長は、これを退院させなければならない。但し、送致後1年を経過しない場合は、
送致の時から1年間に限り、収容を継続することができる。2 少年院の長は、前項の場合に
おいて、在院者の心身に著しい故障があり、又は犯罪的傾向がまだ矯正されていないため少
年院から退院させるに不適当であると認めるときは、本人を送致した裁判所に対して、その収
容を継続すべき旨の決定の申請をしなければならない。3 前項の申請を受理した裁判所は、
その審理にあたり、医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的知識を有する者及び本人を
収容中の少年院の職員の意見をきかなければならない。4 裁判所は、本人が第2項の状況に
あると認めるときは、期間を定めて、収容を継続すべき旨の決定をしなければならない。但し、
この期間は23歳を超えてはならない。5 裁判所は、少年院の長の申請に基いて、
23歳に達する在院者の精神に著しい故障があり公共の福祉のため少年院から退院させるに
不適当であると認めるときは、26歳を超えない期間を定めて医務少年院に収容を継続すべ
き旨の決定をしなければならない。6 第2項から第4項までの規定は、前項の場合にこれを準用
する。7 少年院の長が裁判所に対し、在院者の収容を継続すべき旨の決定の申請をした場合に
は、第1項の規定にかかわらず、裁判所から決定の通知があるまで収容を継続することができる。
8 少年院の長は、在院者が裁判所の定めた期間に達したときは、
これを退院させなければならない。 第12条 少年院の長は、在院者に対して矯正の目的を達した
と認めるときは、地方更生保護委員会に対し、退院の申請をしなければならない。
2 少年院の長は、在院者が処遇の最高段階に向上し、仮に退院を許すのが相当で
あると認めるときは、地方更生保護委員会に対し、仮退院の申請をしなければならない。
「インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。だって、
殺されちゃった4歳の子は、もう、おとうさんにもおかあさんにも会えないんだからね。」と言いました。
息子がどこまで理解できているのかはわかりません。でも、話しながら、本当に、そうであってほしいと、
犯人には死ぬまでずっと苦しんでほしいと強く願いました。
19歳以下を保護する少年法… 14歳以下は刑事処分なし…
前々から思っていたのですが、犯罪者を保護してどうするのでしょうと思います。
なぜ、暴走族は20歳になると暴走行為をやめるのでしょう?それは、未成年者なら、
名前を公表される事も無く保護されるからです。今回の長崎の事件もそうですが、14歳以下なら人を
殺しても刑事処分されないんだと思って事件を起こす少年が出ないと言い切れるでしょうか?
確かに犯罪者の人権はある程度守らなければならないでしょう。警察官の暴行や復讐などあるかもしれません。
しかし、殺人と言うものは被害者にとってはこれから生きることを強制的に奪われた、最強の人権侵害ではないでしょうか?
こんな殺人を犯した人間が生きていて、更に、何年かして社会に復帰しているかと思うと街も歩きたくありません。
良く考えてください、隣を歩いている人間が人殺しかもしれないのですよ… しかも、彼らは人間を殺すと言う一線を
超えているのです。
いつも思うのですが、少年法改正反対やら死刑反対している人たちが居ますが、彼らの愛する人が未成年者に暴行、
強姦され無残にばらばらにされ海や川、さらにはダンボールに詰められ自宅や学校・会社に送られてきても、
その人たちは「少年だから、死刑は反対だから」と言えるのでしょうか?
掲示板にもハムラビ法典の引用が間違っていると書かれていましたが、私は過失致死以外の”人殺し”は
全て死刑でいいと思っています。人を殺したら自分の命で償えと思います。
仮に、道路交通法が改正されて10Km/h異常のスピード違反は死刑となったらどうなるでしょうか?
恐らく、スピード違反はいなくなるでしょう。死刑は犯罪の抑止力とは必ずしもならないとの意見もありますが、
逆に100km/h以上のスピード違反までは取り締まらないとなったらどうですか? 恐ろしいことになるでしょう。
私は刑の重い軽いに関わらずスピードは必ず守ると反論するあなた、それでは実際に40km/hの道を40km/hで
走っていますか?コンビニや駐車場に入る為に歩道を横切る時に一時停止していますか?
警笛鳴らせの区間で警笛を鳴らしますか?
住所が変わったら更新前に免許証の住所訂正に警察署に出向きますか?
もし、これらの行為の罰則が死刑だったら… みんな守るでしょうね…
194 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:23:24 O
年々、お前らウジ虫への攻撃はひどくなるぜ。もう無理して生きるな。楽になれよ。
195 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:26:03 O
自分でも、もう分かってんだろ。。この人生は失敗だった…って。痛いよお前。
196 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:32:56 0
2ちゃんねるにて犯行に関わったとのたまう怪人物たち
浅野 コウジ → 千葉県松戸市幸田1丁目に在住。被害者に暴行、強姦に参加した。
中野で目撃情報(キャバクラの呼び込み)あり。
風貌は口の下に銀のピアスが有り、前歯がほとんどない。
ゲーセン&動物虐待が好きでいつも同じ服を着ている。
西沢裕司◆g3ABDh/dQk と名乗る。
木立 龍介 → 東京都大田区蒲田8丁目在住。神作のバイク仲間。
zvp00704のIDでオークションにて俳優の偽造サインを販売していた。
2ちゃんねるで犯行自慢した過去あり。サノディン ◆SANOBidPPE と名乗る。
岩澤 寛之 → 神奈川県横須賀市林4丁目在住。○イヤルホスト逗子店勤務? ホストとの情報も。
DDTという草野球チームにいたが、宮野の知り合いということで追放。
nobody_rides_for_free99の名でオークションにてコピーソフト販売。
◆V4T.oU6rRs ◆jvBtlIEUc6 のトリップ使用
197 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:34:22 O
長時間張り付いて長文コピペ…
正体&過去の鬼畜の所業を隠したくて必死だな!
198 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:34:57 0
アメリカの判例で殺人事件の被害者の遺族が釈放された犯人を殺しても裁判で無罪になった例がある。
加害者に報復して場合は心神耗弱という事で罪を軽くしてやるといいと思う。
加害者が報復を受けるようになると犯罪は少しは減ると思うんだけどね。
199 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:35:26 0
チェンメみて、ここに来ました。
犯人が、今どこでパソコンに向かっているかと考えると
恐ろしくて発狂しそうです。
200 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:39:21 0
コピペ休んで鏡みてみな。
おまえがやったんだ。
おまえがやったんだ。
おまえがやったんだ。
201 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:40:40 O
>>199 ご苦労!チェンメみんなで送信しまくろう。
もちろん、犯罪へのしかるべき罰と同時に、それを生み出す要因となる社会と個人のあり方についても、
真剣に考え、予防措置を講じることが必要です。
私自身、20年も前、専門家といわれる人たちが、実際こう言っているのを聞きました。「日本人は特別な民族であり、
現実と虚構の区別くらいちゃんとできるから、暴力番組にもビデオなどにも影響されない。
アメリカみたいな規制は考えなくていい」私は、その時、「この国はおそらくそのうち地獄を
みることだろう」と思いましたが、残念ながら、そのとおりになってしまいました。精神分析や教育理論、
法律その他の専門家の意見も参考にはなるのでしょうが、それに支配されるべきではありません。
正しい場合もあるかもしれませんが、彼らほど間違いを犯し、またそれを認めなかった人種もないのですから。
オカルトじみて強欲を秘めたものは論外として、良識に叶う原因と結果の法則を無視すべきではありません。
優先すべきは、社会と個人のあり方を共に問い直し、良識に叶った予防措置を講じることです。原因は、
ひとつだけではないでしょう。大人社会自体が、情報や事件など醜い有様を呈していること、子どもを
食い物にする大人も多いこと、そんななかでも真剣にあるべき教育に努めない親が多いこと、
子どもといえど容易に悪魔になりうることを認めず、実際に犯罪を犯してもなお本人と親の責任を
問わず甘やかす仕組みを改善しなかったこと、数えればきりがありません。状況を放置しているうちに、
しつけがきちんとしている親にとってさえ悪影響を排除することが困難なほど、状況は悪化してしまった世の中で、
少年が幼稚なまま大人の醜さだけ身に付けて、犯罪に走ることが不思議なことでしょうか。犯罪の責めは、
本人と親、社会のいずれもが負わなければなりません。親と社会全体の責任とは、犯罪に応じてふさわしい罰と
自覚を本人に与えること、犯罪を生み出さない社会をつくることに渾身を傾けることです。
犯人の個人的な特徴や生い立ちに関する報道や受取り方については、注意が必要です。本質は何かを
忘れてはいけません。犯人が、学校の成績がいいとか悪いことは犯罪と関係はありません。
また見かけは大人しいとか、元気とか陰気とかいったことも。
203 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:49:12 O
↑長いので読みません。
204 :
少年法により名無し:2006/03/20(月) 23:51:49 O
もうあきらめて富士の樹海でも行きな。
205 :
199です:2006/03/20(月) 23:52:50 0
202 ← 早速、書いて来た。こわい何これ、狂っている
世間でも問題視されているように、私も以前から少年法の存在に疑問を感じています。
法律の専門的な知識があるわけではありませんし、多分に感情的になっていることは自分でもわかっていますが、
なぜ「少年だから」という理由だけで、罪に問われないのか?それが不思議でなりません。
今回のニュースを見て、人を殺しておいて、「逮捕」ではなくて「補導」だなんて、絶対変だと思いました。
少年法は、絶対に改正すべきです。
どう改正すればいいのか?素人の私にはわかりませんが、少なくとも今回の12歳だって、
「人を殺してはいけない」ということは理解できる年齢ですよね?明らかに年齢は引き下げるべきだと思います。
じゃあ8歳はだめだけど7歳ならいいのか、とかそういう議論になるのでしょうが、少なくとも、現行のままではおかしすぎます。
中には自暴自棄になって犯罪を犯す人間もいるでしょうが、高校生にもなれば「少年だから罪にならない」と
思って罪をおかす人間も多いでしょう。「場合によっては死刑もありうる」ということになれば確実に少年犯罪は
減ると思います。
鴻池氏の発言が問題視されていますが、確かにあのような立場の人が公の場ですべき発言ではなかったのかもしれません。
でも、「犯人が少年だからという理由だけで罪にならないのなら、その犯人を監督すべき立場である親が
代わりに責任をとれ」と思う人間は多いのではないでしょうか?多くの人は世間に向かって発言する術を持たないのですから、
彼がああいう発言をしたことで、インチキ人権主義者(被害者やその家族の人権を全く無視して加害者の
人権ばかりを守ろうとする人々を私は敢えてこう呼びたいと思います)に、「普通」の人の気持を少しでも
わかってもらえたらと思います。
山口で親子が殺害された裁判で、裁判官が「裁判は復讐の場であってはならない」と言ったそうですが、
私は「裁判は復讐の場でなくてはならない」と思います。法律が、裁判が復讐してくれなかったら、
被害者やその家族はどうすればいいのでしょう?自分で仇討ちしなくてはならないのでしょうか?
あの裁判官は、もし自分が被害者の側に立ったら、それでも同じことが言えるのかしら?
207 :
裁判記録より:2006/03/21(火) 00:04:07 0
被告人らは、そもそも見ず知らずの女性を拉致し、強姦等を行い、
凌辱行為に及ぶことに、何ら抵抗感を有していなかったばかりか・・・
何ら抵抗感を有していなかったんだ? いまの気持ちは?
208 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:07:41 O
あきらめて東尋坊でも行ったら?生きてても仕方ないって。
209 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:08:55 O
死ね。死んで詫びろ、クズが。
てめーの頭の悪さが滲み出た顔見るといらいらすんだよ
少年犯罪の凶悪化に対応するため、警察庁は11日、これまで成人の容疑者に限ってきた
公開手配の対象を、19歳以下の少年にも広げることを決め、全国の警察本部に通達した。
犯行が悪質で再犯の恐れが高い場合には、似顔絵や身体的特徴を公表できるとし、
顔写真や氏名も『例外だが、全く公開しないわけではない』(警察庁少年課)としている。
同庁は、個別のケースごとに、公開捜査の必要性があるか都道府県警と協議して判断すると
している。
容疑者の特徴を公表し、市民から情報提供を求める公開捜査について、同庁は、
1998年の通達で、凶悪犯罪や社会的反響の大きい事件などを対象とし、
原則として容疑者が成人のケースに限るとしたが、少年事件に関する基準は示していなかった。
このため、容疑者が明らかに少年だったり、少年の可能性が少しでもあったりした場合には、
公開捜査はほとんど行われていなかった。
しかし、今月9日に公表された政府の青少年育成施策大綱に、『人権保護と捜査上の
必要性を勘案して、少年事件の公開手配のあり方の検討を行う』との文言が盛り込まれたことを
受け、警察庁は今回の通達で、『必要かつ適切と認められる場合には、例外的に許される』との
考え方を示すことにした。
公開が許されるケースは、犯行手段が悪質なうえ、再犯の恐れが高く社会的不安を与えた事件の
うち、公開以外に容疑者逮捕の方法がない場合とし、想定される犯罪としては、
連続殺人や連続婦女暴行事件などを挙げている。公開する情報の内容はケースバイケースで
判断するとしているが、氏名や顔写真の公開もあり得るとしている。
また、容疑者の身元が明らかでない少年事件の場合でも、防犯カメラなどに映った写真や似顔絵、
身体的特徴、音声など、捜査で得た資料を公開する。ただ、容疑者が14歳未満の触法少年の
可能性がある時には、防犯カメラの映像を似顔絵に変えるなどの配慮もするとしている。
2000年6月に岡山県で高校3年の少年が金属バットで高校の後輩や母親を殺傷した事件では、
県警は、逃走した少年を指名手配したものの氏名や顔写真は明らかにしなかった。
今年7月に長崎市で12歳の少年が4歳の男児を殺害した事件でも、
少年の姿をとらえた防犯カメラの映像は公開されなかった。
211 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:11:25 O
俺、こいつらと一緒の足立区なんだよ
消えろ
212 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:12:53 O
2ちゃん来るよりさ、最近流行りの自殺サイト行けば?アンタに似合うぜ。
山口で親子が殺害された裁判で、裁判官が「裁判は復讐の場であってはならない」と言ったそうですが、
私は「裁判は復讐の場でなくてはならない」と思います。法律が、裁判が復讐してくれなかったら、
被害者やその家族はどうすればいいのでしょう?自分で仇討ちしなくてはならないのでしょうか?
あの裁判官は、もし自分が被害者の側に立ったら、それでも同じことが言えるのかしら?
「インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。
214 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:19:08 0
そろそろ、おまえのとこにもメールまわってきた?
確実に日本中に知れわたるな。
お め で と う
215 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:22:21 O
いつ自分の携帯にチェンメ回ってくるか、待ってろや。ビクビクネズミ君。
216 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:23:09 0
自殺は早まらないでね。
全身をオイルライターであぶるのが先。
217 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:29:54 0
死刑廃止して
仇討ち制度復活
218 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:41:05 0
コピペ君もう終わりかい?
219 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:42:51 0
怠けたら、おまえの大好きな鉄アレイで喝いれてやるぞ。
小倉羊羹でも食べてるのか?
220 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:43:38 O
自殺サイト行ったんじゃねえ?
221 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:48:43 0
持久戦で勝ったな
222 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:48:47 0
練炭こうてやる
223 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:49:17 0
順子を本気で愛してしまった男が来ましたよ
オナヌーするときはもちろん順子を想像している
宮野どもから順子を救い出し看病し回復してきたところで二人は愛し始める
まだ傷のうっすら残る順子の肌を舐め舐めし
頭のつむじから足指の先まで丹念に舐め舐めする
まず二人はシックスナインでお互いにイク
そしてSEX
やさしさに包まれたピストン運動
おれが上になり腰を振り順子が上になり腰を振る
それをくり返す
一方的にならないように思いやりに満ちたSEX
最後は激しいデープキスをしながらお互いにイク
224 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:52:32 0
225 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:54:05 0
>>222 頭のおかしいホモ集団の方が良いって言っていたよ。
子供が逮捕されてまず1日目はショックで何も考えられなかったのですが2日目からは「やっと安心しておいと
おける所にいるんだから自分をまず考えてみよう」と思い3日目にやっと「お酒をやめよう、逃げては駄目だ」と
それだけしか考えられなかったのですが、この逮捕は子供がなにかを私に教えてると思い考え続けました。
そんな事がなければ分からなかったのですが、子供が非行に走ったのは絶対に親の責任です。なぜなら子供と
対等に話してないからです。
「親の気持ち」だけを話しているからなのです。
私はいつもいつも親の気持ちだけで話し、押しつけ、怒り、そして「なんでわかってくれないのだろう??
なんでこんなに悩んでるのに!!」と自分だけが悩んでると思いこんでしまい自分だけが苦しいと勘違いを
してしまい目の前の事だけで精一杯になり半分以上子育てを放棄してしまいました。現実や子供の叫びから
逃げてしまいました。
ですから子供は当たり前のように坂を転がり落ちてしまい、少年院に行きました。
もちろん、自分の更正、子供の更正はありましたが、捜査が終わったと警察から電話があった時に、
家に人がいて100%の謝罪は出来なかったのですが(二,三日後に100%の謝罪ができなかった事を謝罪しました)
「とにかく謝罪をしたい」と思い電話をして謝罪をしました。
その後も連絡がとれる被害者の親の方にも連絡をし、もちろん会ってくれる人達には会って謝罪をさせて頂きました。
その中で、この事件の事は自分が知っている限りは被害者の親の方達に話しましたし、もちろん審判の日にちや
結果など「知りたい」と言う被害者の親の方達には連絡をいれ結果を言いました。
その後、弁償や慰謝料などでなかなか上手くは(被害者の方の意思に添うような)いかなかったのですが、
誠心誠意(弁護士を入れて話しては?という意見も貰いましたが子供の罪は自分の罪です。
自分の子供が勝手に恐喝をしたのですから私の出来る限り自分で謝罪を続けたかかったのです)
自分なりに考え最後までやらせて貰いました。
もちろん少年院の仮退院の日も被害者の方達に連絡をしました。
その後も「本人と謝罪をさせて頂けないか」と連絡もしました。
私は、ある学校で少年が一人の少年を袋たたきにして傷害を負わされた。と言う事
実を知りました。この犯罪少年らは、示談が成立しこの馬鹿息子らを庇うためにその
馬鹿親らがお金を出して金でこの事件を解決してしまったのです。被害者の親も金が
貰えることから今後の事もあり示談成立ということになり警察への被害届を取り下げ
たと聞いています。こんな事をしていたら加害者の少年らはまた同じ事を繰り返すで
しょう。加害者の少年らは、すでに暴力団と同じくらい凶暴で冷淡でまた少年で在れ
ば人を殺しても大した処分を受けないと言うことも既に知っています。ですから、少
年の健全育成等とアマちゃんな事を言って居たのではこの様な少年犯罪は後を絶たな
いのです。少年も16歳になったら成人と同じ刑罰を受けて10年でも20年でも刑
務所に入り、最高刑では死刑にも服すことを考えるべきです。はっきり言って日本の
警察官もそうですが司法手続き事態が手むるいです。何が任意捜査が基本だ!外国で
は全て逮捕で臨みます。悪い奴に大人でも子供でも全て強制捜査で臨まなければ舐め
られるに決まっています。まずは、少年らに、怖さを植え付けなければ今後この様な
悲惨な結果は収まらないでしょう。いや、更に増加すること間違い無しです。何しろ
今の少年らは怖いもの知らずですから、確かに学校でも公道でも何も怖いものはあり
ません。在るとしたら暴力だけなのです。今の犯罪少年らは、暴力が一番怖いので
す。先輩に怖いすぐ暴力を勝てない者が居ればどんな命令が下ろうと服従します。ま
た、どんなりっぱな大人が命令しても暴力を振るわず口だけで言っていれば馬鹿にし
て従いません。これが、今の少年らの本能です。今となっては、昔ながらの年上を上
まう様な風習は全て消されどれだけ暴力で人を屈服させられるかということが彼らの
価値観なのです。ですから、少年らは、獣と同じ弱苦肉強食の世界が常に頭にあり、
戦争と同じ暴力で全ての物を屈服させる世界が常に頭にあるのです。ですから、これ
からの少年犯罪には、かなりの大鉈を振るわなければ確実に凶悪化しその発生率も急
上昇するでしょう。私の施策としては、先ほども言った16歳以上の少年に対する成
人と同じ司法手続きを用いる。
私には、8歳と4歳の娘が居ります。私にもこういった悲しみが訪れないとも限りま
せん。裁判では、いつも加害者の人権を守る旨のことを言いますが、被害者や、遺族
に対しては言及していないように感じます。殺された人は、過去のものであるから、
もう人権を主張する意味が無いとでも言っている気がしてしまいます。
この少年に対して、無期懲役が妥当かどうかに対して、皆さんは色んな意見があるかと
思います。私個人は、死刑でないのならば、アメリカの様に懲役50年、100年と
言ったとてつもない懲役刑があってもよいのではと思ってしまいます。人の寿命から
みて、奥さんの残り50年、長女の70年以上の人生を奪ったのですから・・・。
少年法では、未成年者の将来のためを考慮し、氏名を公表しない等と記されているそ
うですが、それも犯罪の内容によって適用するかどうか検討が必要では?と思いま
す。子供のうちなら、悪い事をしても少年Aで済むから、無茶をするなら今のうちだと
思っている子供も、中には居るのではと思ってしまいます。特にこの事件の少年は友
人に当てた手紙に、「無期懲役で、死刑にならなかった。7年もすれば出所できる。自
分は勝った。」と書いたそうです。この2年の歳月で何を学んだのでしょう。
私は、もう大人になり、父親となったので、親としてからの視点でしか見れなくなって
おります。子供の視点から見たときに、この事件はどのように写るのでしょうね。そ
して、この判決について、どのように感じるのでしょうね。
先日、テレビ朝日のニュース番組でこの事件の判決について取り上げていたのを見
て、その判決内容にやるせなさを覚え意見を述べさせて頂きます。
判決は、「初犯であり、殺人の計画性も無く、更正の可能性が無いわけではない」と
して、死刑の求刑に対して、無期懲役でした。
私は、1999年の事件発生当時、このニュースを見たとき、「ひどい事件だな。気
の毒だな。」位の感想しか持っていませんでした。しかし、今回のニュースを見たと
き、言いようの無いやるせなさを覚えました。
まず、事件の内容が残酷すぎると思います。
229 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 00:58:54 0
ほらほら
頑張れ
またスレ立ててやっからな
今、死刑反対の論陣を張る人と代用監獄反対、起訴前弁護制導入推進をする人は少な
からず重なっています。一連のオウム報道やなんかを考えた時に、オウムは死刑にし
ろ!という人間に限って「オウムだから代用監獄も可、別件逮捕も良い」と言い出す
人間がとても多いんです。要するに、自分に都合のいい結論が出ないとどこまでもそ
れを出させて死刑にしよう、という考え方が相当に多いんです。少なくとも、死刑肯
定論がこういう死刑論しかないのなら私は未来永劫肯定には回らないでしょう。今回
は明白だ!という人もいますが、戦後の冤罪事件を見てまでこの論拠を振り回すのは
おかしいとしか私には思えません。
しかし、「人は最もおぞましく、素晴らしい生き物であり、そのために死刑が必要で
はないのか」と言うものはなかなかぐぐっと引き付けられるものがあるのは事実で
す。下手に犯罪が減るとか、そういう論を振り回すよりはるかにいい死刑論だと思い
ます。人は罪を償わなければいけません。そして、そのために命と言うのが有り得な
いことなのか、死刑と言うのは本人に一切の人間性を認めないという事ではないので
はないか、と感じることは非常に大きいです。
しかし、所詮裁いているのが人である限り、そのような行いをさせてしまっていいの
か…とも思います。人間なんかにそういう窮極の刑罰をする資格があるのか、とも。
現段階ではないと断言できます。ろくな努力をしていないのが明白であるからです。
>「被害者の皆さんが犯人に求めているのは適切な贖罪だとずっと思ってきました
が」とありますが、本当にそうなんですか?適切な贖罪てどんな贖罪ですか?被害者
の方々は、本当にそう感じているとお思いですか?
死刑、これはここでもよく話題になります。そして、私自身迷ってます。ファッショ
ンで反権力やってる時はこれに関して逃げてましたが。
私が現在否定に回る理由として最大の理由はやはり冤罪の可能性の重さです。また、
冤罪をなくす努力が行われていない、と言う点も挙げる必要があります。戦縺A多く
の冤罪が生まれ、その度に死刑台から生還する人を考えた時、死刑を肯定したくない
です。勿論、それでも断罪しなければならないケースはあるのかもしれません。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
と言われました。(自分が息子にここまで殴られてみたらどうですか?と言いたかっ
たが、あまりのセリフに返す言葉を失いました。加害者の親も処罰したいという心理
がわかりました。)退学になってもなお、娘が泣きわめいて男の先生の同情をかった
から、うちの息子が悪者にされて、退学になったとも言われました。この親にしてあ
の息子あり!です。
それからしばらく2人の交際は続き、(DVの女性は逃げられなくなっていくらしい)
まわりのみんなにつきあいを反対され、娘もだんだんとひどすぎることに気づき、
娘から彼に別れをきりだしました。
その日の深夜3:30娘の寝ている部屋の窓をたたく音で、私が目を覚ましました。
娘はぐっすり寝ていました。様子を見に行くと、私に気づき人影はさっと消えまし
た。
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。甲山事件でも、被疑者のYさんの子供は級友達が懲役何年と
か言ってるのを聞かされてきたわけです。社会的抹殺は死刑と一緒である、という点
をどう考えましょうか。確かに、社会を啓発してこの点を解決するのが必要であるこ
とは大賛成ですし、そのための努力を惜しむべきではないでしょう。しかし、言った
ように、部落差別が何十年たってもなくなっていないことを考えると、これはあまり
にも酷ではないでしょうか。人と言うのは、差別をしたい生き物だと思うんですよ。
部落が江戸時代に作られた理由や現代のいじめの構造を見るとそう思います。そし
て、きちんと罪を償った本人<償いが足りないのなら刑法を改正すればいいでしょ
う>はおろか家族に人生の大半を棒に振らせて、50年先か70年先かそれ以前に実
現するかさえ分からぬ啓発を待て!これはあまりに酷ではないでしょうか。せめて啓
発が成って、そういう事が起こらないようになるまで待つべきではないでしょうか。
例え報道各社や国から損害賠償や慰謝料を何十億円もらったって人生の破壊は治らな
いんです。むしろもらうとその金で家を建てたとか言う誹謗中傷さえ来るのです。被
害者の皆さんだって、犯人やその家族に10億円払ってもらえれば殺人を許す気にな
るとか、そういう事ではないでしょう?
さらに、これだけの犠牲を家族に払わせる危険性が高いにもかかわらず、公益性に疑
問があることを指摘しなければなりません。スウェーデンで匿名報道になった前と後
で犯罪率<特に凶悪犯罪>に差異は見えません。まあ日本ぐらい徹底的に用のないプ
ライバシーまで明かす報道をすれば減るのかもしれませんが…。また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。
233 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 01:10:38 0
休むな!続けろ
また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。甲山事件でも、被疑者のYさんの子供は級友達が懲役何年と
か言ってるのを聞かされてきたわけです。社会的抹殺は死刑と一緒である、という点
をどう考えましょうか。確かに、社会を啓発してこの点を解決するのが必要であるこ
とは大賛成ですし、そのための努力を惜しむべきではないでしょう。しかし、言った
ように、部落差別が何十年たってもなくなっていないことを考えると、これはあまり
にも酷ではないでしょうか。人と言うのは、差別をしたい生き物だと思うんですよ。
部落が江戸時代に作られた理由や現代のいじめの構造を見るとそう思います。そし
て、きちんと罪を償った本人<償いが足りないのなら刑法を改正すればいいでしょ
う>はおろか家族に人生の大半を棒に振らせて、50年先か70年先かそれ以前に実
現するかさえ分からぬ啓発を待て!これはあまりに酷ではないでしょうか。せめて啓
発が成って、そういう事が起こらないようになるまで待つべきではないでしょうか。
例え報道各社や国から損害賠償や慰謝料を何十億円もらったって人生の破壊は治らな
いんです。むしろもらうとその金で家を建てたとか言う誹謗中傷さえ来るのです。被
害者の皆さんだって、犯人やその家族に10億円払ってもらえれば殺人を許す気にな
るとか、そういう事ではないでしょう?
さらに、これだけの犠牲を家族に払わせる危険性が高いにもかかわらず、公益性に疑
問があることを指摘しなければなりません。スウェーデンで匿名報道になった前と後
で犯罪率<特に凶悪犯罪>に差異は見えません。まあ日本ぐらい徹底的に用のないプ
ライバシーまで明かす報道をすれば減るのかもしれませんが…。また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。
また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。また、堺通り魔事件実名報道容認大阪高裁判決でも写真
掲載や実名公表が公益のためになるとは、それどころか記事の価値増大に役立つとさ
え決してみとめられていないわけです。まあ認めたら判決を批判するんでしょうけど
ね。旧少年法でも<現在も残っていたと思いますけど>、明らかに公益につながる、
例えば指名手配の時などでは公表が認められていたんです。
あと、有罪確定後の判決がひどくない、これは一応表層だけ見るとそう思いますが、
この裏がある、と私は思います。要するに、被疑者段階から言いたい放題書いてし
まったために、裁判段階だと書くことがなくなってしまうだけだと思うんです。報道
各社にとってこの手の報道の目的はもはや利潤追求くらいになっています。だから、
日本の長期にわたる裁判が終わるころには事件なんか風化してしまい、書いても儲か
らない。だから有罪判決後にはあまり書かないんだと思います。薬害エイズなんか
も、事件発覚当時の方が裁判の時より騒がれていて、刑事裁判になったことを忘れて
いた!と言うのが事実であることを告白します。私は電車で学校に通う身ですが、電
車内の吊り広告の類を見るとそう思います。今でも裁判で騒ぐのはそれこそオウム裁
判ぐらいでしょう。だから、被疑者段階での報道がなくなって有罪確定後のみの報道
になっても、公益のこの字もない不倫疑惑だの何だのが書き立てられるだけなのでは
ないでしょうか。まあこんな推測は私の方が外れていればそれに越したことはないん
ですが・・・。
また、価値観の問題と言うことですが、確かにキリスト教的な価値観ですよね、人権
とかも。そしてキリスト教は、十字軍、魔女狩りなど行って他宗派を徹底的に攻撃す
ると言う面がありました。ただ、人が裁いてはいけないと言うのがなぜかと言うと、
もし人と人とが平等であるとするならば、裁く者は裁かれる者より優位でなければい
けませんよね。でなければ裁くことは出来ません。勿論、誤審、必要以上の重罰の可
能性も人間が裁くなればこそです。誤審も容認される!なんていくら宗派を超えたっ
て認めるわけにはいきません。
また、平等と言う価値観は日本的ではないかもしれま
せんが、今否定する人がいるでしょうか。有罪判決が出た人とは平等ではないかもし
れませんが、そもそも無罪を推定されている以上自供しようが証拠があろうがやはり
普通の人であり、平等なわけです。
私は、あくまでキリスト教の価値観の中でも、平等とか、冤罪、残虐な罰防止とか、
皆さんに受け入れやすい主張で十分人が人を裁くことの本来的なおかしさを追及でき
ると思うんです。勿論、それは裁くな!と言うことではなく、それに謙虚になれ、と
言うことです。刑法と言う考え方自体が集団ヒステリーのようなものですから、それ
を全部否定することは出来ません。だからといって、謙虚になれないのにそれでも裁
くのを強行して欲しくないです。裁くからにはその心構えを忘れて欲しくないし、冤
罪を生まないための努力はギリギリまで尽くすべきだし、それが出来ないなら集団ヒ
ステリーの限度を超えているでしょう。
因みに、人権の定義は国によって異なるとか、東洋に人権は合わないとか言う考え方
は、今日本で台頭してきた考え方ですよね。浅野教授からしてみれば「議論する気も
起きない独裁者や社会科学に無知な学者の考え方で、今まで繰り返し批判してきた」
そうですが、私としてはそういう考え方とは本気で事を構えなければならないと思い
ます。人を人として扱うとか、そういう基本的に賛同を得られる部分から出発すれば
大丈夫だと思うんですけどね。
なお、人権がキリスト教的と言いましたが、これは今の人権派にも綿々と良くない部
分も受け継がれています。他にひどく攻撃的なのです。かュ申す私が小田教授らに敬
称無しなどと言うことをやりました。自分で表してしまったわけです。人権派と言う
ものがすぐに攻撃的になり、他者を攻撃するために人権侵害もいとわぬ!と言う状態
になる可能性があると言うことを覚えておいて欲しいと思います。
それから、他の掲示板に行ってという発言はよした方がいいと思います。ここには昔
の私の意味のない発言はおろかそれ以上に、私でさえ批判するような人権派だか人権
屋だか荒らしだか分からない文章も掲載されています。私の投稿が一方的に不掲載と
されたことは一度もないです。
237 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 01:28:41 0
また、平等と言う価値観は日本的ではないかもしれま
せんが、今否定する人がいるでしょうか。有罪判決が出た人とは平等ではないかもし
れませんが、そもそも無罪を推定されている以上自供しようが証拠があろうがやはり
普通の人であり、平等なわけです。
私は、あくまでキリスト教の価値観の中でも、平等とか、冤罪、残虐な罰防止とか、
皆さんに受け入れやすい主張で十分人が人を裁くことの本来的なおかしさを追及でき
ると思うんです。勿論、それは裁くな!と言うことではなく、それに謙虚になれ、と
言うことです。刑法と言う考え方自体が集団ヒステリーのようなものですから、それ
を全部否定することは出来ません。だからといって、謙虚になれないのにそれでも裁
くのを強行して欲しくないです。裁くからにはその心構えを忘れて欲しくないし、冤
罪を生まないための努力はギリギリまで尽くすべきだし、それが出来ないなら集団ヒ
ステリーの限度を超えているでしょう。
因みに、人権の定義は国によって異なるとか、東洋に人権は合わないとか言う考え方
は、今日本で台頭してきた考え方ですよね。浅野教授からしてみれば「議論する気も
起きない独裁者や社会科学に無知な学者の考え方で、今まで繰り返し批判してきた」
そうですが、私としてはそういう考え方とは本気で事を構えなければならないと思い
ます。人を人として扱うとか、そういう基本的に賛同を得られる部分から出発すれば
大丈夫だと思うんですけどね。
なお、人権がキリスト教的と言いましたが、これは今の人権派にも綿々と良くない部
分も受け継がれています。他にひどく攻撃的なのです。かュ申す私が小田教授らに敬
称無しなどと言うことをやりました。自分で表してしまったわけです。人権派と言う
ものがすぐに攻撃的になり、他者を攻撃するために人権侵害もいとわぬ!と言う状態
になる可能性があると言うことを覚えておいて欲しいと思います。
それから、他の掲示板に行ってという発言はよした方がいいと思います。ここには昔
の私の意味のない発言はおろかそれ以上に、私でさえ批判するような人権派だか人権
屋だか荒らしだか分からない文章も掲載されています。私の投稿が一方的に不掲載と
されたことは一度もないです。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
娘は元彼からDVを受けていました。殴られて意識不明になり、記憶喪失、失語におち
いりました。救急車で病院に運ばれ、医者から連絡をもらいました。「今のところ命
に別状はありませんが、頭を打っているので今後どうなるかはわかりません。」もう
頭の中は真っ白でした。病院に駆けつけ、娘の顔をみるまでは訳がわからなくなって
いました。私が病院に着くころには、娘の意識は戻っていました。しかし、声がでな
いうえに、記憶喪失になっていて、親の顔はわかるけれど、自分が高校生であるとい
うことさえわからない状態でした。とても事情を聞くどころではありません。
娘に付き添っていた彼に聞くと階段から落ちたとのことでした。一緒にいなかったの
かと尋ねたら、娘の悲鳴を聞いて駆けつけたと・・・。その時はまさか彼が加害者だ
なんて思いもしませんでしたから、彼のウソにだまされたうえに、付き添ってくれた
お礼まで言ってしまいました。(娘もこのやりとりは聞いていましたが、意識がある
というだけで、理解していたかは怪しい。)死人に口なしとはいいますが、生きてい
ても話せないこともあるのです。
学校内のできごとで、(彼は同級生だった)あとで先生から聞いた話で、非常階段の
ような、普段生徒はあまり利用しない階段であること。第一発見者が彼であること。
他に目撃者はいないこと。を知りました。入院している間にすこしづつ快復したもの
の、階段から落ちた部分の記憶はどこかへ行っていました。声も時々発しましたが、
言葉にならず、こちらの言うことにうなずいたり、50音の表を指差しての要求でし
た。それも幼児のようでした。今時の女子高生ですから、携帯電話がないと過ごせな
かったのに、携帯電話ってなに?と真顔で聞かれた時は言葉を失ってしまいました。
入院中に病院の売店で買った雑誌、クロスワードパズルを一緒にやりながら、徐序に
娘は単語を思い出していきました。
でもまだしゃべれません。退院時に、脳外科としてはもう異常がなく、あとは精神科
か心療内科の問題だからそちらに通院するようにと言われました。(その病院にはそ
ういう科が無かった)彼は毎日見舞いに来ているし、娘は彼が来ると機嫌がいいし
(幼稚園児のようで感情は見ているとわかる。その上辛い過去には自らフタをしてし
まった。)こんな被害者と加害者もいるのです。これで娘が命を失っていたら事実は
わからないままだったでしょう。
若いということは(当時高1・15歳)快復も早く、1ヶ月もするころには元気に
なっていました。言葉も戻りました。彼とはつきあっていたので、かばっていて、本
当のことはまだ私にはわかりませんでした。
ところが、次々いろんなことが起こるのです。
バスケットボールが顔にあたった。といっては鼻骨骨折、両目打撲、丸2日間目が腫
れて開かない。怪しいと思い始めたのはこの時です。学校に問い合わせてみると、体
育の教師から事故の報告は無いというし、整形外科で診てもらったらボールがあたっ
たからといってここまでひどくならないというし・・・。家に帰ってきた時は娘の制
服が血だらけでした。体操着は汚れていない。どう考えても変ですが、娘は口を割ら
ない。児童相談所、警察の相談窓口に相談しましたが、本人が本当のことを言わない
限りどうしようもないと、言われるだけ。学校の対応も冷たいものでした。「2人の
間のことはプライバシーもあるし、警察じゃないから取り調べる訳にはいかない。」
このまま殴られ続けて娘が死んだら、だれが責任とってくれるのでしょうか。
娘に学校をやめさせようか・転校できないものか?とも思いました。でも何故被害者
の娘が逃げ出さなくちゃいけないの?出ていくなら加害者の彼でしょうに!イライラ
した日々は続きました。そして、とうとうある日の放課後、友人達の見ている前で彼
は娘に対して、殴る・蹴るの暴行を加えました。さすがに学校の知るところとなり、
やっと私の訴えが通じたのか、彼は退学になりました。
それまでにも、彼の親に対して娘が殴られた可能性があると告げてきました。息子の
したことを否定しただけでなく、「そんなに殴ったとしたら、殴った手も痛かったで
しょうねえ」
司法にたずさわる者は、犯罪者個人の人権擁護や更生などという事よりも、裁きの結果が社会に与える影響と
いう事の方に重点をおいて考えることが必要だという事を、念頭に置かなければ成らないのである。
人間という者が孤立的な存在で、社会とは全く関わりのない無人島のようなところで独り暮らしをしている存在ならば、
たとえ法を犯そうが何をしようが構わぬのであるが、我々人間はそういう存在ではなく、常に社会という場において共同の
生活を営んでいるのであるから、罪を犯した者は厳しく処罰しなければ法を定める意味がなく、社会の治安や秩序を
維持することも出来なくなってしまうのである。
今日、我が国の司法関係者は、いたずらに犯罪者に温情をかける事で、自らが「如何なる悪人をも許せる心の広い
人間」であるかのような錯覚に陥り、自己満足しているのではないかと思えるような節が見受けられるのであるが、
そういう自画自賛的な自己陶酔によってなされる「犯罪者擁護の温情的判決」が、第二、第三の犯罪者や被害者を
生み出すもとに成っている事実に対しては、まったく目を向けていないのである。
犯罪者には犯罪に見合った厳しい罰を科すことが必要で、たとえ犯罪者が悔悛の情を示したからといって、
たゞそれだけのことで刑罰を軽減するというような温情をかけては成らぬのである。
なぜなら刑罰というものは、犯罪者個人に対する罰であるということ以上に、社会という共同生活の場において
「法を犯した者が受けなければならない罰則である」という面に比重を置かなければ成らぬものであるからだ。
故に、犯罪者がどういう刑罰を受けたかという事を、世間の人々に対して周知徹底させることが必要なのである。
然るに、それを受刑者の人権を無視した悪事であるかのように考えて除外してしまったならば、刑罰を定める意味が
無くなってしまうのである。
言い換えるなら、犯罪者に対する処罰を軽微な形で済ますことが、社会にどれだけ悪影響を及ぼすことになるか…
ということに意を注がなければ成らぬということであって、社会との関連の方が「犯罪者個人の人権の擁護」などという事よりも、
遙かに重要なことなのである。
そういう誤りを正さずにいるところから、親も子も一緒(平等)だ… 先生も生徒も一緒(平等)だ…
と考えるような悪平等の思想が生まれてきて、社会の秩序が乱れてくるのである。
余談ながら申せば、親子や師弟などの関係は、人権という面からみれば共に平等の扱いを受けるべき同等の存在では
あるが、その人間関係の上からみれば「人間としての平等」ということを超えた厳然たる差別があるのであるから、
幼少の頃からその差別を教えなければ成らぬのである。
それを教えず、たゞ人間としての平等という面ばかりを教えるところから、社会の秩序が乱れ、統制がとれなくなって、
学級崩壊のような社会問題が引き起こされて来ることになるのである。
余談は扨措き、上述したように犯罪者の人権擁護だの更生だのと温情をかけることは、一見、慈悲深い崇高な心のように
受け取られがちであるが、そんなものは慈悲でも何でもなく、単なる甘やかしであり、社会を一層混乱におとしいれるだけの
無分別な行為であるに過ぎないのである。
この度の少年の起こした犯罪にしても、十二歳といえば、やって善い事と、悪い事の判断くらいはできる年齢なのだから、
たとえ十歳の子供といえども、犯した罪に対しては相応の責任を取らせるべきなのである。
そうしなければ少年法の温情主義を逆手にとって、ゲーム感覚そのまゝに犯行におよぶ少年が後を絶たない事に
なってしまうのである。
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
少年法という稀代の悪法に守られて悪ガキがやりたい放題、其れを阻止すべき警察官が似非人権屋の横槍で手足をもがれ、拳銃を取り出しただけで、懲戒免職させられる(長野県警)始末では、犯罪者の高笑いだけが響く世の中に成ります。
まったくもってその通り。少年法は未成年者の犯罪の免罪符になっている。
少年法が適用されるのは小学校低学年までで十分。イギリスでは10歳から大人の法律が適用、実名報道もされる。
それと同時に似非警察官・裁判官ばりのテレビ局も規制する必要がある。
これらテレビ局はいまや殺人などをじゃんじゃん放送する犯罪ゲームセンターに成り下がっている。
こんなテレビ局に犯罪者を糾弾・非難する資格などないのだ。
自分たちの放送する番組は視聴率稼ぎ、金儲けのために表現の自由を悪用して逃げ回り、自分たちはすべて正しいかのごとく振舞っている。
よくゲームの内容が残虐だからと言って自治体で年齢制限を要求するがテレビに関しては全くそのような動きはない。普通はゲーム以上に身近なテレビこそ規制されるべき存在のはずだ。
いくらゲームを規制しようともテレビで犯罪をじゃんじゃん流している以上、ゲーム規制など効果があるはずがない。
今、日本の家庭はゲームがなくてもテレビ局という「犯罪ゲームセンターを何の危機感もなく受け入れている」ことを認識しなければならない。
賛成です。
でもメディアで犯罪情報の垂れ流し、これは見落としていました。
そういえば、以前にTVドラマを参考にした犯罪があったと記憶しています。
メディア規制法で犯罪に関する番組等を規制するようにする必要が
そろそろ必要ではないかと思います。
そして、メディアの番組の中から参考にした犯罪が出た場合は、そのメディアも
同罪として罰を受けるようにしたらいかがでしょうか。
犯罪のヒントを垂れ流し、その結果については知らん振りのメディアも問題があることを認識させるために重要なことだと思います。
少年事件の背景をよく見つめていくことは、大切なことだと思います。
少しでも犯罪を少なくしていくには、事件の背景を分析して、事件を誘発しにくくするということと、
起こしてしまった事件については、起こした罪に相応の罰を受けて責任をとるという両方が大切で
あると思われるからです。
私は、この掲示板に投稿されている皆さんが感じられていることは、両面が大切なのだが、
相応の罰を受けるということおいて、まだまだ不十分であるということだと推察致します。
『追い詰められた子供は、弱い者だとされる人(例えば、社会的に「弱者」だと認知されているような
ホームレスの方、より小さな子供、少女)に刃を向けます。自分に刃を向ければ・・・それは自傷行為
であるリストカットや薬物の過剰摂取になります。それを外に向ければ・・・
それが人であるならば殺人・暴行・いじめになるのでしょう。』
この部分は本当にその通りだと思うのですが、追いつめられたからといって、
他人に刃を向けてもよいという理由は何一つなく、正当化される理由は何もないということなのだと
思います。
また、いじめというのも状況によって、十分に犯罪だと思いますので、いじめの被害者がまた
加害者になるという悪循環を立つためには、小さな罪のうちに厳しく指導及び処罰されて、
絶対してはならないものだという認識をさせる必要があると思います。
私は、いじめのせいで不登校になったり、転校を余儀なくされている生徒がいるとうことを、
報道等でなされている現状から、この部分においても、現状では加害生徒に甘いことが、
次の犯罪を誘発することにつながっていると思うのです。
『そんな切羽詰っている子供に「死刑は必要」としてもあまり意味はないのではないでしょうか。
「自分なんかどうなってもいい、死んでも良い」そこまで自分の価値を否定する子供が、
「死刑があるから・・・殺人はやめておこう」と思うでしょうか?』
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
* 被害者感情・犯罪者処遇
「少年犯罪被害当事者の会」(武るり子代表)の少年犯罪などについて話し合う集会「WILL(ウィル)」が、
過日、大阪市内で開かれた。これを報道したN新聞では「埼玉県で一九九五年八月、少年五人に暴行を受け
死亡した高校一年生(当時十五歳)の姉は『警察に捕まったことを勲章にする少年がいるが、少年でも一線を
越えればただの犯罪者』と怒りをあらわにした」と伝えている。
加害者が誰であれ、凶悪犯罪の被害者の気持ちはまことに無念極まりない。それがとりわけ、加害者が未成
年者の場合には、さらに弥増す。ただでさえ加害者に対する被害者感情が軽視される司法手続きの中、未成年
だからだという理由で、即ち保護の対象・責任能力の未熟といった論理から、加害者(少年)に対する刑事罰が
省かれたり、不当に低い量刑が与えられるからである。こうした状況はまた、加害者が精神障害者の場合にも、
ほとんど同様に当てはまる。心神喪失あるいは心神耗弱といった加害者の責任能力の欠如から、加害者は刑事罰を
免除され、被害者側はひたすら泣き寝入りするほかないのである。
数年前、乗用車運転中の娘が未成年者運転のトラックに追突され、一歩間違えば生死にも関わる車両大破の
事故にあった。が、相手方保険会社と弁護士は、当該車両と同種同格の中古車を購入することも叶わぬ低額の
賠償金を提示し、ご不満なら裁判でもどうぞ、と言うだけでとりつく島もない。初めは頭を下げていた加害者もやがて
私たちに罵声さえ浴びせてくるようになった。警察の事件処理を調べたところ、驚いたことに、あっと言う間に不起訴処分に
終わっていた。これが相手側の態度をいっそう不遜にした大きな要因でもあったろう。被害者が突き放される
状況の中で、致し方なく当方も弁護士に依頼し相応の賠償金を取り立てるに及んだが、その間一年余り、
加害者側と司法のあり方に対する不条理感は実に耐えがたいものであった。たかが交通事故被害であっても、
そこからもたらされる怒りと無力感は、経験した者でなくては容易に判らぬ。ならば、刑事罰が回避される<少年>や
<精神障害者>の加害によって重大な被害を受けた被害者及び被害者遺族の思いはいかばかりであろうか。
大学を出てしばらく、家庭裁判所で調査官職に就いていたときの<話>である。
私しが感じる日本の法律は本当に時代遅れとしかいうしかありません。近年、日本の犯罪も欧米化して来て、
今までの日本のアマチョロイ法律で何が裁けるのでしょうか?少年法も何が少年法なのでしょうか?少年、少女が
犯罪を起こしても軽く、少年院でも行っておいでぇーみたいな刑で本当に罪を犯した者が反省するのでしょうか?
私しはアメリカに住んでいて本当に感じるのが、少年でも大人でも罪は罪!!私の知り合いの彼氏は16歳で覚醒剤を
やって捕まりました。それも初犯です。友達と遊び半分でやったのがバレて。そんな彼は1年半の実刑を受けました。
何処の州か忘れたけど、警官に銃を1発発した少年(弾は警官に当りませんでした)は実刑7年で今、その刑を受けてる
最中でしょう。日本の刑って本当に軽いと思いませんか?それに罪を犯した者の更正を先に考え過ぎてませんか?
人を殴って殺して、1.2年で社会復帰してもいいのですか?あと、日本は元々刑が軽すぎるから、みんな平気、
平気って思っていませんか?私しも若い時は悪かったですよ。バイクを盗んだり、万引きもしたり、でも、頭の中で大丈夫、
大丈夫っていつも思っていました。だって日本の刑って甘いから。友達の旦那さんも覚醒剤で捕まった時、初犯だったので
実刑は免れたし。悪いことをしたら罰する。それ相当の罪をしたらそれ相当の刑を受けるのは当たり前のことですよ。
若い若い、更正の余地があるって言っていたら、みんな罪を犯しても罰することなんて出来ないですよ。アメリカに来て、
私は本当に御利口になったと思いますよ。この国は自由な国だけど、自分の責任の重さを本当に感じますよ。
車で人をひいて殺してしまった人なんて、次の日には囚人の洋服を着て、TVに映っていたし、責任能力っていうのは少年、
少女にもあるはずでしょう?15,16歳で何が悪いとか悪くないってわからないものなのかな?私の旦那はアメリカ人で、
小さい時から、悪いことをしたら刑務所に行くんだよと親に教えられてきたし、学校でも悪いことをしたら罪になると
教えてこられたし、もっと日本の親も罪に対する教育をした方がいいし、学校でも犯罪についてもっと教えていいと思うな。
少年法は罪を犯した者に甘すぎるよ。死んだ人間やその家族のことなんて全然考えていないよ
少年法に関する意見はいろいろありますが、少年法に関しては犯罪加害者少年(少女)
に厳罰を望む意見は数多くありますが、反対する意見としては厳罰化は冤罪を呼ぶこ
とや厳罰にすることでは本当の解決にならない。ことがあります。そもそも少年法と
いうのは犯罪加害者少年の更正を計ることを第一の目的にしていることです。もちろ
ん凶悪な事件についてはそれなりの処罰が必要だと思います。
山口県の母子殺害事件について加害者の少年が1審2審ともに無期懲役の判決を受けた
ことについて、被害者の夫の本村さんが少年に死刑を望むことについて、彼(本村さ
ん)は少年に対する恨みだけで死刑を望むわけではないでしょう。少年が死刑の判決
を受けて慟哭し反省することを願っているようです。現在の日本の法律では18才未満
の人間に対する死刑は認められておりません。この事件の加害者の少年は18才を過ぎ
たばかりの時の犯行でした。だとすれば少年の更正を計るのが良いのか、極刑を求め
るのが良いのか判断が分かれるところです。
しかし、僕の考えとしては死刑の判決を受けてから反省し慟哭しても、それは世の中
にとって意味のないことになってしまいます。
先日テレビの番組で、本村さんが、アメリカテキサス州の死刑囚犯行時20才未満の死
刑囚と面会し彼は死刑の判決を受けて反省しもう2度と犯罪を犯さない自信がある。
と言っていました。そしてその死刑囚に対する死刑は番組放送時もう執行されていた
ということ。
確か今年テキサス州で犯行時17才の死刑囚に対する死刑が執行されたというニュース
が入ってきました。このことは国際的に大きく非難を浴びていますが・・・・
更正の期待をかけ犯罪者を生かしておくのか、死刑判決を宣告させ反省し慟哭をさせ
るのか、どちらが正しいのか、僕は正しい答えなんてないと思います、数学のような
ものと違って答えは一つではありません。
死刑については廃止するべきか存続するべきかいくつかの意見があります。
人の貴重な生命を奪ったものを死刑にしてやむを得ない、死刑は凶悪犯罪の防止に役
立っている。被害者や遺族の感情を考えると死刑は実行するべきである。
反対意見としては死刑は人の貴重な生命を奪うことなので、どのような場合でもさけ
るべきである。
死刑は凶悪犯罪の抑止力となっていない。
死刑は間違いが判明しても取り返しがつかない(冤罪)
死刑にするよりも、更正させて社会に奉仕させるべきである。
この冤罪については日本では死刑確定後再審によって無罪になった事件は4件あります。
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件、この事件で無罪になった人たちは30年
以上にわたる獄中生活を強いられました。
彼らのこの間の時間はどうしてくれるんでしょう。
それ以外にも再審請求中の名張ぶどう酒事件や1審で死刑判決を受け先日(7月15日)控
訴審が結審した冤罪事件の鶴見事件
(控訴審判決は10月30日)があります。それ以外にも今まで何人の人が無実の罪で死刑
判決を受けたでしょう。(執行されてしまった人も何人いるのか)
冤罪の現因として見込み捜査、不当な別件逮捕、代用監獄(国際的に批判を受けてい
る)自白強要の取り調べ、取り調べ期間の長さ
自白中心型裁判などがあります。この日本の刑事司法の現状を何とかしてほしいです。
死刑は冤罪の可能性が絶対になければ必要だと思いますが、今の日本の刑事司法の現
状では冤罪を生む可能性は十分あります。
二度と使いたくない言葉だったんですが言います。「被害者と言えども冤罪の人に八
つ当たりをする権利はない!」ということ。私が言ったのもその冤罪に関してのこと
であって、確定してまであーだこーだ言うつもりなど毛頭ないです。少年Aは酒鬼薔
薇ではない!という議論もありますが、例え何らかの形で彼の責任ではないと発覚し
ても、それまで彼のせいと思うのは当然です。それ以前に、冤罪で疑われた人を遺族
が激しく攻撃しても、私は責めません。そして、何より、「被害者自身そんなことを
求めてはいない!」ということを私はしっかり刻み込んでいます。
また、感情を切り離して考えることが必要なこともあります。少なくとも事実認定に
関して言えば感情を排し、冷静かつ客観的な手法が求められるはずです。精神鑑定な
んか要らない!とか、あいつだから別件逮捕しても良いとか、その手の論が冷静だと
はとても思えません。これが世間的常識なのならば、とてもとてもそんなんで人を罰
することは肯定しません。もし、後者のことが罰の中身のことであれば、理解します
が。
確かに自分のことだと言ったら嘘でしょう。ですが、犯人に憤っていないなどと言っ
たことは私は一度もありません。ただ、他の皆さんより怒りが湧きにくいことは否定
しません。
>また、冤罪の事にふれらておられますが、ここで語られているのは、「実際に犯罪
を行った加害者」にたいする事が前提であって 本質から離れた議論だと感じます。
そこにかかる部分とかからない部分があります。報道や捜査段階でのことは全くここ
にかかってくる問題でしょう。そして、そのことの問題の解決がないと罰議論をする
のはおかしな話になってきます。罰の中身に関することは別議論としてきたはずで
す。実際、起訴前弁護制度に賛成してくれる人もいましたよ。そもそも、冤罪でない
ことが議論の前提ではないのですか?前提があやふやだと言われていながらそちらを
振り回すのは乱暴です。
>冤罪発生の危険性は、成人、少年の区別無く 代用監獄、や自白の強要など 別の
場所で議論すべき重大な課題であると考えます。しかしながら、少年犯罪と冤罪につ
いて考えるならば、むしろ 少年法の存在そのものが、事実認定を阻んでいる最大の
制度なのではないですか?
確かにその憤りは健常なものだと思います。憤りの少ない私は異常だと思っていま
す。しかし、そこから来る論が乱暴なんです。
例えば、多くの冷静な皆さんが、被疑者段階での匿名報道に賛成してくれたことを私
ははっきり覚えています。事件と正面から向き合うために必要である、と。しかし、
世論の中には被疑者段階から晒し者としての報道を肯定する人があとを絶ちません。
それが疑われた人間はおろか、被害者や遺族まで不幸にしている、下手をすれば遺族
を責任ある立場にしてしまうことを忘れています。甲山事件に関して調べてはどうで
しょう。皆さんが、こうした事件に関しても考え椹れば、決してあのような結論
が出るものではないと思います。そうではない可能性もないとは思いませんが、少な
くとも、私はそうした事件を考慮に入れて考えている人など「人権派」とされる人以外
に見たことがありません。
そして、私はここで喋っている人、特に継続して喋っている人の多くは冷静である、
と言ってきたはずです。Yahoo掲示板とかで、被害者の代弁をしたような顔で、報道
だけを全面的に鵜呑みにしてさっさと犯人と思った人を断罪することが冷静だ、とは
私には到底思えないのですがね。事件が起こるといきなり500も1000も投稿が
集まる。事件が風化すると何もないように静かになってしまう。これのどこが冷静な
議論なんでしょうか。だから「継続して考える被害者の方が冷静なんじゃないのか」と
言う意見が正しくなってきます。被害者が冷静になれないのは当たり前です。周囲の
我々こそ冷静に物を見なければいけないはずです。それなのにこうでは。
さて、私はこの文章を最後に、ここを去ることを決めました。危険を感じたわけでは
ないです。学業が忙しくなってきたのと、私がインターネット上でのこうした言論空
間に取り込まれかかっているというのがあるからです。早い話が、中毒寸前です。ま
た、既にここでの議論で少なからず私の最初に話したような被害者への皆さんへの
穿った見方を取り払い、ファッション反権力人権屋としての抜け殻を一部なりとも払
うことも出来たかと思っています。勿論、ここのHPと投稿は見続けます。どこかでお
会いすることもあるかも分かりません。
結論から言いますと、私は現在の少年に対する刑法の適用のあり方が正しいとは思
いません。具体的には、より厳罰化を望んでいます。「厳罰化が犯罪の減少にはつな
がらない」という意見もありますが、それはピントのずれた指摘だと思います。犯罪
が減るかどうかではなく、現在の法律が、もはや「悪法」と化しているからこそ、改
められるべきなのです。以前、マスコミ(確かに偏った報道も多い)を通じてではあ
りますが、「少年法?‥‥ああ、子供だから罪にならないってやつね」と言い放つ
「少年」を目にしました。例として極端ではあっても、これが本音でしょう。実際、
罪を犯しても裁かれないという甘えた考えにあぐらをかいて、したい放題するのが
「強さ」だと錯覚している「少年」たちは、巷にいくらでも見ることができます。む
ろん、いったん凶悪犯罪を犯せば、現実は決して甘くはなく、警察の厳しい取調べや
家族にまで及ぶ社会的制裁の厳しさに、世間の怖さを初めて知ることになるのでしょ
う。しかしだからこそ、そこに至る前に抑止する仕組みが必要ではないでしょうか。
それこそが、被害者あるいは加害者となることを未然に防いでくれるのだと思いま
す。そのためにも法律は、「なした悪事は報いをうける」ということを、明確な前提
として示さねばなりません。それが空文でないことを証明する必要があるのです。
「子供だから‥‥」とうそぶいたかの少年も、実際に責任をとらされる人間を見ては
じめて――「強がって人を傷つけたりするのは割に合わないことだ」「子供だから罪
にならないってのは実はウソなんだ」――という現実を知るのです。それにしても、
よくある人権屋の無責任さは噴飯ものです。「きょういくひょーろんか」とかいう肩
書きの連中が言います、「子供たちの主体性を大切に!」。一方でこうも言います、
「まだ少年だから厳罰はいけない」。まったく、自分の行為の責任を自分でひきうけ
る機会を否定しておいて、主体性も何もないだろうに‥‥。誤解のないように言いま
すが、私は人権屋は否定しても人権は否定しません。「基本的人権」は、人類の偉大
なる発明の一つだと考えています。ただ、それは無条件に自然権としてあるものでは
ない――
正義について研究しているアメリカの哲学者ジョン・ロールズをとりあげた『現代
思想の冒険者たち23 ロールズ──正義の原理』(講談社)という本があります。
(この本を書いた川本隆史氏という人は、東大で博士号をとった文学博士だそうです)
この本によると、ロールズが言う「正義」とは、良心の自由(←ここでは信仰の自
由のことを表す)、思想の自由、政治的自由、言論や集会の自由といったものを、平
等に人々に分配することが「正義」なのだそうです(これはロールズの「正義の二原
理」の一原理目)。
このことはこの本の裏表紙のカバーにかかれていますし、本のなかのあちこちにも書
いてあります(290ページなど)。
つまりロールズは「正義は『信仰の自由』『思想の自由』を平等に人々に分配する
ものである」としているのです。
多くの言論人たちは、「価値観の絶対化だ」といって正義を批判します。
しかし、ロールズが言うように「信仰の自由」「思想の自由」を平等に与えるのが正
義だとなると、正義は価値観の絶対化にはあたらないでしょう。正義否定論者の言い
分は、やっぱり筋がとおらないといえます。
多くの今の言論人は、このことを知らないで正義否定論を世に広めてしまい、結局
は少年犯罪の遠因を作ってしまったのではないでしょうか。
いま出ている『週間金曜日』という雑誌で、宮崎駿氏と筑紫哲也氏の対談がのって
います。この二人は、ここでまた正義否定論をとなえています。この批判も、「『正
義』は価値観の絶対化だ」というような文脈の批判です。ロールズの正義の原理を考
慮すれば、この2人の意見はおかしいことがわかります。
国民的映画監督の宮崎駿氏がこういうことをいわれると、この意見が青少年、ひい
ては社会全体に与える影響はおおきいでしょう。なので、これは問題ではないでしょ
うか。
近年、正義を否定する言論人たちは、大概「『正義』は価値観の絶対化だ」という
文脈で正義の概念を批判します。しかし、実は正義とは、価値観の絶対化にはあたら
ないのです。
私はある授業で図書室に行き、読みたい本を選びなさいと言われ一冊の本を手にしま
した。「少年に我が子を殺された親たち」という本でした。
まだ17才で無知な私が偉そうなことは言えませんが、以前から幾度も少年法の矛盾
を深く考えていました。子供から見てもきっと誰から見ても日本の少年法はおかしい
のです。
いつもいつも残酷な事件の報道に怒りを覚え大切な肉親を奪われた人達の心情を思う
のです。
・・・けれどこんな言葉誰でも言えますよね、何の慰めにもならない。お気持ち分か
りますなんて簡単に言ってはいけませんね。だから私に出来ることは事件を知ること
詳しく知ること、そう思い真剣に読みました。先生がその様子を見て言いました「う
ちの生徒のことが載っている」ぱらぱらペ−ジをめくり私に示しました。
全身が冷たくなりました。
私の学校は此花総合高校といいます・・・ご存じですよね名前を変えた此花工業高校
です。武君が殺されるきっかけの場所。
この3年間、文化祭で事件のことをよく知らないまま黙祷を捧げていた自分を振り返
り、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。一年生の時、文化祭の始めに校庭に集まり
ました。皆がワイワイ落ち着かない中、先生が声を張り上げて「静かにしろ」と言い
ました。どうしてそんなに怒っているんだろう・・皆がいつも以上静かになりまし
た。数年前に本校の生徒が、文化祭に来ていた他校の生徒に暴力を受け亡くなるとい
う痛ましい事件が起こりました・・・。(そんなことあったんや)きっと一年生のほ
とんどがその時に始めて知ったのでした。一人の人間の人生が奪われたということ
は、時間と共に記憶からうすれさせてはいけないことなのにやはりそうなってしまう
実態がありました。皆、黙祷を終えた後文化祭を楽しみました。
本を読み進めるうちに他人事でない明日にでも友達が、家族が、自分が巻き込まれる
かもしれない怖ろしい現実に身が震えました。自分の通う学校、教室、通学路、平和
な顔をした風景がほんの数年前に殺害現場になったことを皆知らなければいけない思
い出さないと・・。何も自分の学校の生徒だから、身近だから興味を持ったわけでは
ありません。殺された人達の無念さを痛いほど感じるのです。被害者とも加害者とも
年齢の近い私です。
私は事件を知れば知るほど簡単に文化祭のシステムを変えて他校
の人をよぼうなんて口にしてはいけないんだと強く感じました。多くの生徒が「何故
他校の人を呼べないのか」と口にする。その背景を知ろうともしないで自分たちの欲
求だけ。
きっと平気で人を殺せてしまう人は人間ではなく、更正させる必要も保護される権利
もありません。数年後にのうのうと陽の光を浴び社会の中でたくさんの人生の選択が
出来、いくらでも笑い自分の足で地を踏みしめて歩けるんです。生きていることが全
てなんです命があることが全てなんです。それ以上大切なことなんてないんです。私
は生きていたいし生きていきたい。他人に命を奪われることも他人の人生を奪うこと
もありません。
16才であろうと、また10才であっても人を殺すことがどういうことか判ります、
それがいけないことだなんて誰にでも判ることなんです。人は殴られれば痛い、死ぬ
のは恐い、愛する人を奪われれば悲しくて苦しくて・・・そんなこと人間なら当然判
ることなんです。加害者は一生背中に罪を背負って死ぬまで償わなければいけない。
きっとそうして生きていくんだろうと思っていたのに、この本の中の話を読むと本当
にショックでした。少年法は見直しなんてこと言ってる場合じゃない。根本から作り
直すんです。
友達が言いました「難しい本読んでるね」
何がどう難しいんでしょうね、命の尊さと遺族の悲しみを伝える本のなにが難しいん
だろう。
私は友達に武君の話をしました。話すことで知ってくれるならいくらでも話します同
世代の多くの人に知って貰いたいです。私はあえてたくさんの友人に、この本を見せ
ました。なぜなら「女を取り合って喧嘩になったんちゃうん?」「ナイフで刺され
たって聞いたけど」なんて言うからです。真実を知って欲しかった。ある子は私の手
から本を取り上げてずっと読み続けました。また別の子は「ひどい・・・」声を詰ま
らせ、まスいつも陽気な友人は目を涙でいっぱいにしました。(そうだよ、皆真実を
知って、真実を伝えて、そうしてこの事を胸の中においていて−)
ただの17才の考え事ですが自分の考えを誇れます。
ただ少年犯罪という問題を考えていく上で、少年犯罪だけを切り離して考えることはできないのでは
ないかと近頃考えています。
私は今、仕事で障害を持った子供たちと接しています。
この仕事を始めて今年で3年目になりますが、仕事をしてつくづく感じることは「子どもはいつの時
代も変わらない」ということです。
十代半ばかそれ以降に凶悪犯罪を犯した少年だって、純粋無垢な時代は必ずあったということ
です。
新聞の投稿欄などにも「最近の若者は・・・」という記事はよく目にします。
しかしそんなことを言ったら○阪市職員の厚待遇問題、社○保険庁の年金の無駄遣いなどに代
表される大人のモラルはどう説明するのでしょうか。
4月に起こったJR西○本の脱線事故では、会社の不祥事が次々と問題になり、会社は日本中
から批判を浴びています。
しかし我々はあの痛ましい事故を一つの会社の問題としてでなく、日本社会全体の縮図として
一人ひとりが当事者意識を持ち、真剣に考えていく必要があると思います。
時代の流れと共に代わったのは明らかに子どもを育てている大人であると感じています。
もちろんその大人とて昔は育てられる立場にあった訳ですから問題の根元はもっと過去にさか
のぼると思いますが・・・。
要するに大人が子どもの見本にならなくなったということだとおもいます。
物事の商品化が進み、介護はおろか育児に関しても外注意識が高まってきた昨今。
河合隼雄氏は『父親の力 母親の力』(講談社+α)の中で家庭が家でやるべきことを何もせず、
その役割を学校に押しつけている親の状況を指摘しています。
「子どもの同級生が家に遊びにきたので、おやつをごちそうしたところ、おやつを期待してくるよう
になり、負担でたまらない。うちの子どもも学校でおやつに関して注意を受けたことがないと言っ
ているから、学校から、人の家に行ったときにはおやつを食べないように、という文書を全家庭に
対して出してもらいたい」
258 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 03:00:18 O
まじ加害者やべーよ。やっぱり頭悪いんだな
死ね死ね死ね死ね
259 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 03:01:30 O
垣age
260 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 05:39:32 0
261 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:07:11 0
何、寝てんだ。
情報は休む事なく行き来してるぞ。
葵ページに最新の顔載るの待ち遠しいな。
262 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:15:45 O
何度見ても神作の小倉時代の顔キモいね。てことは今も刑務所の中でキモい顔してんだろうな。仲間のようにいじめられて出所後引きこもればいいのに。死んでくれるのが一番だけどな。
263 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:25:04 0
引きこもっている奴って、母親が目悪くて働けなくなり
図々しいことに生活保護で、好物の焼き肉弁当だか食べて
暮らしてんじゃなかったっけ? そんな楽な生き方はふさわしく
ないな。
264 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:34:11 O
神作はどうせまた養子縁組するよな。前回の改姓は再逮捕後に初めて分かったの?
265 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:37:08 0
>>264 成人してるからもう養子縁組は無理じゃない
考えられるのは、結婚し婿養子になるとか
266 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:54:51 O
結婚して婿養子…それはそれで無理だな。そんな物好きいたら凄い。でも垣東も結婚できたから世の中わからないか…。
267 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:56:44 0
おれが女だったら絶対嫌だ
どうしても結婚しなければならない時は自殺する
268 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 06:56:49 0
>>264 改姓しているのも、事件近くに住んでいたのも、母のスナックも
再犯で始めて知った。周りに事件のことを脅し文句に言っていたん
だから、もっと早くにわかってもよさそうなもんだったんだけどな。
これからは、携帯のチェーンメール等を浸透させて情報収拾しないと
、身が守りきれないな。
269 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 07:16:00 O
譲の再犯のおかげで、他のキチクの名前まで焙り出されたのは痛快。また再犯しろ譲!。次はヤクザをヤッてくれれば一石二鳥。ミーガン法制定の署名はいいアィディアだね。けど法案成立までに数年かかるから、宮野は対象外になる可能性高い。
270 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 08:06:43 0
>>267 湊も破棄されたけど婚約までしていた。
神作も中国人と結婚いていた。
それ以外のヤツも、ちゃっかり結婚して社会に紛れているかもな。
271 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 08:46:28 O
ゆずの人がでてるコンクリート事件のタイトルなんでしっけ?
しかし、私が事故にあったときに、母は何百万という金を出してくれました。
なぜなら、私の体を元に戻すために探し出した病院の検査を受けるため、手術を受けるために、病院を受診するのに
加害者側と加害者保険会社は「転院はできない。転院するのであればお金は払えない」と言ったからです。
交通事故の保険の場合、裁判上でも「特別な治療はできない。
普通の治療を受ける権利はあるが、特別な治療の費用はみる必要が無い」ような決まりになっているというのです。
実際に、後の裁判所でもそう言われました。
だから、母はすべての病院代金を用意する必要があったのです。
父は、私がいつまでもこの事故にとらわれて歩き出せないのが心配で「自分の手で裁判をしなさい」と言いました。
お金の心配はいらない。
すべてのお金は私が出す、と言ってくれました。
裁判には、数百万のお金が必要でしたが、母が出してくれました。
贅沢をせずに貯めたお金を、数千万円・・・・母は使ったことなります。
裁判は不当なものでした。
くやしくて、また、何度も死にたくなるようなひどいものでした。
その点では、少年犯罪被害者と同じだと思います。
なぜ、日本はこのような裁判制度しかないのでしょうか?
私は、医者も「信じられない奇跡」と言うほど、死なず、後遺症も克服して、普通の生活ができる状態に戻りました。
こういう状態の人で、自分の手で裁判をできた人間というのは、稀有だと思います。
少年犯罪被害者の方も、ご本人ではなく、家族の方がされますよね・・・・。
それでも、怒りは尽きないものだと思います。
また、裁判費用、弁護士費用の膨大なこと・・・・。
理不尽で仕方ないと思います。
加害者側には、そのような出費はありえないのに。
なぜ、被害者だけが虐げられなければいけないのでしょう?
私は、あのような酷い状態だった被害者として、本人として生きている稀有な例だと思っています。
これから、何か私と同じように、もしくは、被害者が亡くなってしまって、どうしても被害者の気持ちが分からない状態の世間に、
言葉を伝えていければ・・・・と思っています。
つまり人は本来(ネットやTV鑑賞等に於いては絶対に)自分の感情を他人のせいにはできない。怒りの矛先を少なくとも自分以外の誰かに向けるのは、筋も間も勘も気も思いも見当も御門も違う。
これに気付いていない人同士が互いに鏡となって矛盾を見せ合う行為が「争い」である
従って貴方が誰かに嫌悪感を抱いても、その原因は常に「貴方の持つ固定観念・定義付け」であって「相手」ではない。「生意気だから」「ムカツクから」等といういじめやその報復の言い訳も、全く言い訳にならないということである
そもそも何を見てどんな印象を抱きどう感じるかは個人の自由である。もし貴方がその自由に制限を与えようと(例えば相手に自分の理想を押しつけようと)するから、その瞬間に貴方も不自由(苛立ちなど)を感じる羽目になるのである(人を裁けば自らが裁かれる)
これが「貴方が与えたものを貴方が受け取る」という、この宇宙の仕組み(仏教で言う因果応報、物理学で言う作用反作用)である
逆に言えば、仮に貴方が誰かを怒らせたり悲しませても、相手が自前の了見・価値基準で勝手に感じている事なので、貴方が後悔や自責の念を感じる必要は一切ない
相手が幾ら貴方に罪悪感や劣等感を感じるよう仕向けたとしても上述のように御門違いなので、何ら貴方が自己嫌悪に苛まれるべき理由にならない(これは無論、迷惑を掛けたり失敗しても反省や訂正や改善をしなくて良いという事ではない)
感情自己責任とはいえそれを表現すべきではないという事ではない。感情は自己表現の一つであり自他共に己を知らしむチャンスなので、寧ろ積極的に感じたままを間を置かずに表現すべきである
実際、感情を抑圧する者ほどそれを爆発させやすく、感情の自己責任が取れていない者ほど他者の表現の自由を制限したがる(自分が傷付かなくて済むように)
自称知識人の多くは自覚がないが、「何かを批判・非難する」ということはその対象に関して中途半端な知識しか持っていない証拠である(無知の無知)。これが、批判・非難が一時的表面的解決にしかならず、実態は益々隠蔽され問題が長期化する所以である
私は現在の悪いことをした人間がやったもん勝ちみたいの世の中は悲しく変更が
急務だと思います。特にこの前刑法改正法案が国会に
提出されることになったそうですが、まだ妥当性を欠いた法改正だと思います。
というのは例えば集団強姦にしても下限が2年から3年に引き上げられたのですが、
果たしてそれで国民一般の方感情を満たしていると思っているのか非常に疑問です。
長い時間議論を重ね謝金や人の労力を考えるとこの改正にかかり大きな予算が動いていると
思います。その結果が1年の差というのでは能力無い人間の集まりと言わざるを得ません。
一番感じるのは先ほども少し述べましたが、一般国民の法感情と法改正にかかる専門家との
意識の莫大な乖離です。本当に常識ある人間が改正に携わってるとは思えません。
無能力であり常識を欠いた人間の集まりではないでしょうか。刑法が作成されたのは戦前であり、
いわゆるdueprocess法律の手続きが整っていないときの話でした。フランキー堺が主役で
あったドラマ「貝になりたい」のようにろくに犯罪をしたという証拠もないのに警察官がでっち上げ
で捜査を行い、それが判決になったあまりに妥当性を欠いた部分がありました。ところが現在では
凶悪犯罪が激化し、警察の捜査も現在の刑事ドラマにあるような、脅しのようなやり方の捜査は
実際ほとんどなく、不祥事を起こす一部の警察官のみが違法な捜査をしているのが実情です。
つまり今の刑法は現在の実情には全く合わないものであるわけです。
凶悪犯罪がさまざまと移り変わる中で、何十年も刑法の改正が行われないのは異常としか
言い様がありません。それを一部の専門家が気づいているのかは非常に疑問ですが、
相当の能無しといえるのではないでしょうか。少し言葉が汚くなりました。現在の刑法の根本は
社会の秩序維持と加害者の応報にあります。応報であるからこそ被害者を除外した冷静な裁判を
目指しているのでしょうが、本当に被害者は全く除外すべきなのでしょうか。
民事訴訟においては当事者主義が中心に据えられ双方の意見が重要視されます。
同じようにとはいいませんが、根本は被害者の気持ちではないかと思われます。
過ちを犯した人に対して死んでしまえというのが被害者の親族の率直な願いでしょうが、
275 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 09:16:07 0
はいはい、今日もはじまりました。
鬼畜が生きてる証拠に一日中やってろ。
安心しろ、何度もスレ立ててやるから。
276 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 10:27:12 0
みんな懸命に生きているのに。
弱いものを集団でイジメ、陵辱し
人生を奪う。まるで半島人。サッサと死刑にシル。
そんな馬鹿がのうのうと生きながらえる変な社会。
今日、犯行に及ぶ少年たちは、自分が何を遣っているか充分に心得ており、仮に捕まっても自分が処罰されないくらいの
ことは先刻、承知のうえで犯行におよんでいるのであるから、たゞちに刑法や少年法などの見直しが必要なのである。
我々はもっと現実を直視して、少年法や刑法に対する根本的な見直しを要求する声を発し、法律の改正に向けて世論を
高めていかなければ成らないように思います。
誤った人権思想や人道主義に傾倒し、現実を認識する事のできない司法官や弁護士先生などが目覚めるのを待っていた
のでは、この国は安心して暮らす事のできない犯罪王国になってしまうのであるから、我々一般国民の側から声を発する
事によって、法律のことしか解らぬ司法関係者のエリート意識を打ちやぶり、法律の見直しや裁判制度の改革を迫っていく
べきであろうと考えます。
また、この度の少年犯罪の場合も然うであるが、このような犯罪が生じた場合、すぐに犯人の精神状態が問題にされ、
精神鑑定が実施されることになる。 その結果、精神に異常がみとめられ、犯行当時に善悪の判断ができない状態にあった
となると、途端に犯した罪を法律で裁くことが出来なくなって無罪になるという扱いも、納得のいかないところである。
精神の錯乱によって善悪の判断がつかなかったのだから仕方がないと言うのなら尚のこと、善悪の判断もできぬ精神異常
者を野放しにする事の危険性は、判りそうなものではないか…
一見、常人と区別しがたい精神異常者が、すれ違いざまにいきなり刃物を取り出して襲い掛かって来たとしたら、誰がそれを
避けられるであろうか…
そんな危険な人物は、たとえ一生涯を費やそうとも、精神の異常が完治するまで完全に社会から隔離しなければ成らぬの
である。
今の世の中は麻薬や覚醒剤によって精神が錯乱している人間や、ホラー映画や俗悪なコンピューターゲームなどの悪影響を
受けて、邪悪な心の世界に陥ってしまった精神異常者が至るところに存在するのであるから、いつ何どき危害を加えられない
とも限らぬのである。
けれども、そのような精神異常者が事件を起こしたとしても、彼らの行為は犯罪とは見なされず、刑罰を科される事がない。
未成年犯罪者の気持ち、私には分かるような気がします。
ただ、もちろん全ての件に関して、と言うわけではありません。
私は現在、成人している学生の身です。時代が変われば、子供達の気持ちも変わりますから、私の年代とは、違うのかもしれません。
ですが、私は小学校時代。俗に言う小学校上級生の間に虐待を受けていたと感じる時期があったのです。
それゆえに、犯罪に走ってしまう、子供の気持ちが・・・正確には気持ちではないのかもしれ
ません。走ってしまった理由が分かる・・・これも言葉として適切とは思えません。言葉にするのは難しいですね。私が20数年生きてきた中での経験を元に、なんとなく感じとってしまったこと。と言う感じです。
どんなことがあったかって言うと、ある日、あの時、あの場所でーーー私の家族に不幸なことが起こったんですね、これが。(途中は省きます。身内の恥をさらすようで嫌なので)
結果、どうなったと言うと、父親は外に愛人を作り、週に2〜3回は家を留守に、母親はその怒りを私にぶつけるようになりました。父親には腕力ではかなわなかったらしいのでね。
色々あって、塾にもいかされていました。
さて、どうですかね? 小学校高学年の多感な時期、ほとんど毎日塾にいかされながら、家に帰っては暴行を受け、両親におまえの父・母とは暮らしていけない。離婚する。と愚痴をこぼされて生きていました。
リストカット。あれも、やろうと何遍も手首にカッターを当てました。まぁ、幸いにして臆病者だったので、切れませんでしたが。
塾にいかされながら、と書きましたが、これも嫌だ!と言う度に殴られるので、御話しになりません。
いつしか、私立の中学校にいくのが当たり前だと思ってました。
ですが・・・なんなんでしょうね。六年生のある日、両親が正気に戻ったのか・・・
私に悪いと思ったのか・・・
何があったのかは分かりません。ただ、とにかく二人に心境の変化があったのは確かなんです。
私はその日、いつものように塾にはいきたくない!私立の中学にはいきたくない!と親に泣きながら反発しました。
非行少年の質的分析
法務総合研究所では,最近の非行少年の質的分析を行うため,非行少年に対する意識調査
(以下「非行少年調査」という。),非行少年の保護者に対する意識調査(以下「保護者調査」という。
)及び少年院教官に対する最近の非行少年に関する認識についての調査(以下「少年院教官調査」
という。)を実施した。その結果を踏まえた最近の非行少年の処遇上の留意点は,次のとおりである。
(1) 人の痛みに対する共感性を育てる処遇
日々,非行少年と行動を共にし,その改善・更生に取り組んでいる少年院教官の60%以上が,
最近,非行少年の抱える問題の中身が変化していると感じ,教官の70%以上が,その変化によって
非行少年の処遇が困難になっていると感じていた。そして,多くの教官が処遇において最も困難にな
ったと感じていたのは,「人に対する思いやりや人の痛みに対する理解力・想像力に欠ける」,
「自分の感情をうまくコントロールできない」といった非行少年の感情・情緒に関連する資質面の問題
であった。
他方,近年,被害者やその親族の心情等について一層の配慮を行うことが求められており,
加害者である少年が自らの犯罪と向き合い,犯した罪の大きさや被害者の心情等を認識し,
被害者に誠意をもって対応していくよう指導を一層充実させることが要請されている。
こうした最近の非行少年の資質面での問題や社会からの要請を考慮すると,
加害者である少年が事件を悔い,反省し,償うためには,人の痛みに対する共感性を育てる処遇
を強化する必要がある。そのためには,基本的な生活の安定や考える力を養う訓練を積み重ねた
上で,人に対する信頼感や思いやり等の暖かい心を回復させるために,自分たちの非行やこれに
関連する自らの体験,感情等を見つめ直させ,加害者として人に与えてきた痛みについて考えさせ
ること等に重点を置いた系統的な処遇プログラムを展開していく必要がある。それによって,誠意を
もって被害者と向き合い,謝罪等の適切な対応を行うことが可能となろう。
矯正・更生保護の処遇の現場では,被害者の視点を取り入れた教育等の充実強化が従来にも増
して強調され,非行の反省をさせるだけではなく,社会の中で様々な人たちと対話でき,共に生きて
いけるように
「いじめはした人間が悪い」これはいつの時代も未来永劫普遍の価値観であると思っております。
加害者、また、その加害者を永きに渡って養育してきた親や学校、事実を歪曲した報道、警察、
これ全て鬼畜でありこの世の中で生きる価値、少なくとも「健康で文化的な最低限度の生活」を
保障されるに足る価値はないと率直に感じております。
少年法により軽い罪で社会復帰し、また、再び通常の社会生活を送らせることに価値は
まったくないと思います。無期懲役で十分ではないでしょうか?
懲役であれば作業等で少しは役に立ちますし、社会から隔離しておくことで再犯は確実に
予防できます。そしてなによりこういった少年犯罪加害者予備軍への見せしめとして社会へ、
いうなれば「児童の健全な育成」に貢献できると思っています。法によって物事の道理が規定
できないのであれば法としての役目は全くございません。書籍の中であげられたどの事件に
おきましても「落とし前がつかなくなった社会」に対しての無力感を感じさせられるばかりです。
私が卒業しました福岡県立太宰府高校におきましても在学中いじめの問題があり、
いじめ主犯格とその数人が停学処分を受けました。いじめこそしなくはなりましたが、
その後もこのときの連中の態度は一向に改まることはなく、被害者の生徒は学校の片隅で
背中を丸めた学生生活を余儀なくされておりました。書籍のような命にかかわる大きな事件に
ならなかったことを考えれば、この状況はまだ許せるのかもしれませんが、悪いことをした人間が
「犯した罪と等価値の罰」に対してけじめをとったかということが常に私の胸中にささくれのように
残っております。私が卒業しすでに15年以上経過しておりますが今の世の中、ことこのいじめの
問題につきましてはなんら根本的な解決策が講じられていないものと痛感します。
大人の嫉妬社会がそのまま刷り込まれた「子供のいじめ問題」、まずは大人自身が他人に
嫉妬することなくよりよく生きることができるよう努めるべきであると思っています。
子供の私から見ても今の日本はおかしいと思います。権利は、責任を果たしている人だけに
叶えられるべき特権であって、人として失格な人には与えられるべきモノではありません。
なので、人権は被害者に与えられても、加害者に与えられるべきものではないです。
それなのに、今の日本では、被害者のプライバシーは守られていないのに、
加害者のプライバシーは異常なまでに守られています。普通、逆はあっても、
こんな変なことってありません。
それに、犯人が少年だからって、やっていい事と悪い事の区別くらいつくはずです。
それくらい、一般常識をもっている人なら誰だって分かるはずです。犯人の年齢が、
言い訳になるわけじゃないです。いくら小さい子でも…たとえば、幼稚園児でも…人を殺すこと、
人を傷つけることは悪いと知っているはずです。なのに、十二歳以上の人が、そういう事をして、
「子供だから」という理由で罰せられないのはどうかと思います。
確かに、大人ほど自分の行動や言動に責任は取れないかもしれません。
けれど、いくら子供でも、罰せられるべきことをしたら、きちんとした処罰を受けなければならないと
思います。そうじゃないと、被害者の方も家族も浮かばれないですし、犯人自身の心も育ちません。
罪を償って、自分がしてきたことを見つめなおし、何が悪かったのか、命の大切さを、
もう一回考える必要があるのです。
今の少年法だと、被害者の遺族にさえ加害者の名前などが明かされていないようです。
確かに、世間一般に知らせるのは酷かもしれません。加害者にも、未来がありますし、
将来世間に受け入れられないと、また犯罪に走る可能性があるからです。
けれど、遺族の方にくらい犯人の情報を教えるべきだと思います。遺族の方は、
大切な人を奪われたんです。理不尽な奪われかたをした命、奪った人のことくらい知るべきです。
子供ながら、少し生意気な口を利いているかもしれません。けれど、
私は本当にそう思うのです。私には遺族の方、被害者の方の痛みも苦しみも知りませんし、
第三者の私の意見など、きれいごとに聞こえるかもしれません。
けれど、やりきれない思いを持っているのは自分たちだけではないことを、
少しでも知っていただけたら幸いです。
どの少年犯罪も いや、全ての犯罪者に言える事は『反省で戻る命無し』です。
ふと、PCを持った時犯罪関連を興味本意で見ました。あれこれ目にして気分が悪くなり
ました。犯罪行為の内容では無く、自分の興味本意な感情に気分が悪くなりました。
これ程までに辛く悲しく無念な人生の幕引きとなった被害者はもとより、その御家族に
ひどく失礼な興味という感情を持った事、まずはお詫び致します。
私にも、二人のまだ幼い子供がおります。とても愛しいです。しかし私自身親の愛情に
恵まれぬ環境に育ち、決して順調な養育環境や精神衛生を保てぬ中生きてまいりました。
しかし今だ一度たりとも人を傷つけた事はありません。そんな私からすれば今何故これ程までに
少年犯罪が増え、また普通の家庭や普通の子と言われる人が償いきれぬ凶悪かつ残虐な
行為の果ての殺人を事も無げに容易く犯すのか理解出来ません。
昔の盗みは食うや食わずの生活の果てや、殺人も理不尽な処遇の結果が大半でした。
しかし、いかなる事情の答えであっても全ての罪に言い訳は無いと思います。
私の子供が同じ不幸にあったなら地の果てまでも追い掛けて同じやり方で加害者を殺すと
思いましたふとそんな情景を4歳の息子の寝顔に重ねて見ました。物書きである想像力が災い
して余りにリアルに映像化された無惨な我が子が浮かんだ瞬間吐きそうになりました。
心臓の奥がキリで突かれた様に痛み息を吸う事さえ辛くなりました。
これが現実ならば復讐出来る気力などなく簡単に精神を病み壊れて現実逃避しか
出来ないと思いました。それを今現実に受け止めて日々をお暮らしの被害者の御家族の心情は、
何を以てしても想像もつかない程辛く厳しいものです。そして次に浮かんだのは加害者が本当に
更正してまともな感覚を取り戻し罪を悔やんだなら各施設を出た後生き続ける気持ちが有るなんて
全く理解出来ない。死にたくなるだろう。気が振れるだろう。自分の恐ろしさに気付き、
被害者の痛みや苦しをありありと感じたら謝り、反省してもどうにもならないと思い死を
自ら選ぶだろう。
誰も反省してない。加害者は反省しても命は戻らず、悲しみと苦しみは消えない。
283 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 12:06:23 O
死ぬまでやってろバカ。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
前科持ちの少女って、所詮性根腐りきってるヤツなんです。
大人に成ったって、ちっとも良くはなりませんよ。
それどころが、大人の「ズベ公」として、一生立ち直れずに、悪女街道まっしぐらに
なることがほとんどだと聞きます。
これも、日本社会が犯罪少女に対し少年のそれよりもはるかに
甘すぎる政策や世間の目があるのではないでしょうか?
女は前科持ちになることでの社会的な立場でのリスクは男のそれよりかはるかに少ない。
仮に就職できなくても、風俗業界に身をやつすことがまだ「最後の選択」として残さ
れているし、「男にこびを売る」という女の武器で比較的簡単に結婚に持ちこめる
し、それによって戸籍も洗える(名前を変えられる)し、それによって「過去」を抹
殺して生きていける。
(まぁ、彼女らにしたら風俗業界にいく事自体、一般企業への就職と同じ位軽いこと
に思ってるんでしょうが)
こんな理不尽を許していいですか?
ここまで世間の男たちも、彼女らを甘やかしていいのですか?
こんな女は、所詮ダニみたいに男にパラサイトして、さんざん搾り取った挙句、ボロ
ボロにつぶすだけの迷惑な存在なんです。
就職はおろか、結婚なんてする資格なんてありません!
就職したって、またその職場で他の社員に同様の危害を加える可能性も高いですし、
第1そんなリスク高い女を雇えますか?
下手しなくても、「犯罪少女を雇った会社」という悪評は、あっちこっちに流れます
よ。不況で大変なときだというのに。
ましてや結婚だなんて抜かすことがそもそも間違ってます。
こんな女に結婚されて、身内に入られたらそれこそ親戚一同、みんな間違いなく「村八分」にされます!
それくらい、常識でわかるはずなんですけど、奴ラにはそんなことはちっとも通用し
ないでしょうね。
「相手が悪い。自分は悪くない!」ってうそぶくんでしょうが。
私は、まだ子供をもってはいないですが、もし自分の息子が、こういう前科持ちの
少女と結婚したいといってきたら、彼女の前科内容すべてを話し、いかに彼女が犯罪
を平気でやる卑劣な女なのかをきちんと説明した上で、どんな手を使ってでも二人の
仲をひきさいて、徹底的につぶします。
それが、親としてなら当然の行動でしょう。
286 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 12:40:58 0
同被告人は、自ら進んで被害者に対し暴行、凌辱を加えており、
その態様も被害者の顔面が腫れ上がるまで殴打するなど凄まじいものである。
287 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 12:43:05 O
一生苦しめ、強姦リンチ殺人犯。このウジムシ野郎。一生国民から憎まれろクズ。
今日、私は破防法関連の本と、犯罪報道関連の本を図書館から借りてきました。私は
速読を繰り返して理解する質ですから、精読した、とは言えませんが、読んでいく中
で報道問題と被害者の中でどうしても気になった現象があるんです。
それは報道被害とか、破防法問題とか、何でもかんでも「被害者!被害者!被害者!
被害者!!」と叫ぶ方々です。いや、それが被害者保護<生活の保護、カウンセリン
グなど>が小さいから、その実現をすべきだ、という主張なら大いに理解できます。
ところが、あるのは「人権の勝手な制約や差別」を中心とした「主張」を「被害者を
盾にして」正当化することです。
@報道の段階で、容疑者の名前と抱き合わせて嘆き悲しむ被害者やその遺族を報道
し、容疑者への憎悪を煽るやり方が指摘されています。<岩波ブックレット「犯罪報
道」より>
A冤罪で無罪判決を受けた人が別の件で有罪、無期懲役判決を受けた際のコラムよ
り。
「前の事件の遺族はさぞかし無念であったであろう。NHKラジオで桂敬一氏は本件のO
問題<Oは名字、呼び捨て>を書いたこの欄を批判的に論評していた。だが何度でも
書く。なによりも被害者の人権こそ尊重されなければいけないから「犯罪報道の犯
罪」<浅野健一氏が犯罪報道にスポットを当てた初の本の題名と同じ>などといって
加害者ばかり擁護するのはバランスが取れていない」
<産経新聞、要約>
B松本サリン事件被害者のKさんの家には、「被害者が哀れだ、とっとと吐いたらど
うなんだ」式の嫌がらせ電話がかかってきたと。
などなど。
こうやって、何かあるたびに、人権制約・秩序維持・果ては対被疑者差別の政治的主
張の口実として被害者を担ぎ出す連中がいると思います。将来起こる被害者の人権、
勿論これは擁護されなくてはいけない性格のものであるはずです。ただ、それのため
に現在の人権を制限することはなかなか出来ないし、極論ですがこれによってあなた
たちはそうした疑いからくる人権の制約から守られている、とすら言える訳です。彼
等は、これを覆い隠すために、反対しにくい「被害者」を盾にして、冤罪の無罪判決
などを検察ほどに証拠を持っている訳でさえないのに否定して人格攻撃をするんじゃ
ないでしょうか。
また、例えこれが邪推である、としてもこれは被害者や遺族のためにさえなっていま
せん。ある事件で、いかにも犯人であり、また凶悪であったかをマスコミによって書
かれた<勿論事実無根>容疑者の人に長期の裁判の後無罪判決が下りた後、遺族はほ
とんど何もコメントしなかったと聞きます。私が思うに、今まで怒りの対象としてき
たものを失い、空虚な感情に浸らされていたんではないしょうか。本を読んだ限りで
は、そんな印象を受けました。鈴木さんのおっしゃる通り、拭えない悪意を植え付け
られてしまった遺族達は、おそらくもう出てくることのないであろう真犯人を恨むこ
とも出来ず、心の整理がつかないまま一生葛藤に悩まされるのではないのか、と思い
ます。
そして、前述した似非な被害者派こそ、被害者論を反動からか一方的に切り捨てるよ
うな考え方の一因になってはいないか、と感じます。「被害者・遺族」と言うのは現
実に悲しみをしょっているだけに批判しにくいものです。<それでもくるのは私のよ
うな鈍感<?>な人種くらい、後は何かと言うとすぐ反発したい人、私も?>同情な
らすぐ集まりますし、被害者の人権を言わば印篭のように用いると、黙りこくってし
まう人は多いと思うんです。私は、人権を印篭のように使ってもいい、とは言いまし
たし、それはそれで印篭としての効果を発揮しますが、それならば「加害者」、まし
てや「被疑者」はては「冤罪者」の人権の印篭を叩き切る<要するに、私が言ってき
た被害者以外の者の言い分を一切認めないだけの論拠となる>ような力などないはず
なんです。それなのに、「被害者は泣いているぞ!」と言って「あいつは有罪だろ
う」「被害者が悲しんでるから何をやっても良い」等と言うことの政治宣伝に使われ
てるんです。もし、悲嘆に暮れる被害者と、「俺はやってない!」と叫び、一方で警
察側が提示した<警察・検察だけが証拠となると思っている>証拠を並べられたら…
?。普通「あいつが犯人だろう、なんて悪い奴なんだ」と思いますよ。「まだやって
ないかもしれないから…」と言えるのが理想ですが、そんなのは無茶でしょうね。
で、被害者論そのものを胡散臭く思い…と言うのは、私の気のせいでしょうか。こ
うした扇動がある中では、被害者論を胡散臭く思う方がむしろ普通に思える…と言う
のは私だけでしょうが、胡散臭さを植え付ける原因になる、と思うし、こうした報道
や知識人にも責任の一端がある…と私は思います。
ひょっとしたら、私が以前書いた朝日の被害者問題に関する社説の中にあった被
害者の声とか、破防法問題に関して地下鉄サリン事件の被害者が「松本サリンの被害
者のKは浅野や佐高<佐高信氏>につられて破防法否定に回った」とか言うのは、こ
うしたマスコミに乗せられて、自分達の意見を「作られて」しまったからではないの
か、とも考えられます。要するに、人権屋が政治的な立場のために被害者を切り捨て
ているのと同様、「被害者」をすぐに担ぎ出す知識人やマスコミも、被害者に本心か
らの理解をしている、というよりは過剰な秩序を求めるための道具として使われてい
るのではないか、現にああいう被害者論は被害者のためになっていない、被害者論に
対する誤解や被害者本人にまで苦しみを撒き散らすばかりではないか、と思うので
す。
もちろん中にはそうした考え方から純粋に被害者を守りたい、そのために許せな
い、という人はいるでしょう。ですが、そうした考え方の人には、特に被疑者段階の
場合、ぬきがたい悪意を植えつけ、被害者自身を苦しめる要因になりかねない、とい
う事を考えて欲しい、と思います。
こうやって冤罪攻撃とか、勝手な人権制約、政治的主張を攻撃する者を攻撃する
時に被害者をすぐに担ぎ出す人々を、皆さんはどう思うでしょうか。<なお、今後そ
うやって被害者を政治的宣伝の道具に使っているのに、中身は何もない意見の人がい
るとするならば、そういう人々を「被害者屋」と呼ぶことにします>
スウェーデンは、確かに犯罪率が他より相当高いようですね。<ヨーロッパ連合編纂
の統計より>ここより高いのはアメリカくらいのもので、10万人中の殺人率を見て
みても、スウェーデン7〜9、イギリス2〜3、ドイツ4〜5、となっています。そ
の他犯罪率全体でもスウェーデンは他よりかなり高くなってますね。もっとも、犯罪
全体から見れば凶悪犯罪の率はむしろ小さいとも思いますが・・・。
しかし、高い犯罪率が報道が原因か、と言うのに疑問を呈する余地もまた出てきまし
た。まず、報道が抑止力と「特に」なるであろう凶悪犯罪が増え出したのは1950
年頃<「犯罪報道の犯罪」より>です。スウェーデンの匿名報道は20世紀初頭には
もう一部制度化されてました。いろんな報道改革の節目節目で増えた、と言う事はな
く、ずっと少しずつながら増えてきています。1995年までの殺人率の資料なんか
見ても恐いくらい規則的な感じの増え方です。また、麻薬犯罪に関して言えば匿名報
道の原則から外されていますし、社会的な利益に関わるものであればインサイダー取
引で実名になった例もあります。公人の犯罪<特に、看守に殴られたとか>に関して
言えば日本より厳しいです。害を受ける家族がいない、自供があると言う事で報道し
たケースもあります。少なくとも匿名べったりと言う事ではなく、ゆれているのも今
のスウェーデンの報道の現状のようです。現に、報道評議会で顕名報道が認められる
ケースも増えているそうです。
そして、ここに注意して欲しいのですが、スウェーデンほどではないにしても匿名報
道制をしく<1年以上の拘禁の時で、報道に社会的利益が認められる場合のみ報道、
匿名率は高く、74年までのスウェーデンの報道と同じ水準>隣国フィンランドの犯
罪率は低く、殺人率は上記と同じ統計を見ても日本と大差ない10万人中1人前後。
スウェーデンだけ見れば小田教授やあなたの結論も出るでしょうが、スウェーデンに
準じた<記者はスウェーデンより上品な紙面であると胸を張っているそうだ>匿名報
道をするフィンランドは重大犯罪が多いとは言えない<麻薬なども調べましたがそう
でした>、むしろ少ないくらいですから、制裁報道不在が原因で犯罪率が高い、と言
うのにはやはり賛成いたしかねます。
また、フィンランドもスウェーデンも報道する
場合は、家族に累が及ばぬよう最大限の考慮をしているそうです。
また、実名報道に関してのスウェーデンの方の考え方について、多少ここに記してお
きます。
「私達も日本のマスコミの犯罪報道はひどすぎると思っている」スウェーデン大使館
の書記官
「民主社会の報道機関の使命の一つは、社会における権威や権力者を批判的に観察す
る事にある。<中略>それに対して、公的活動をしていない一般市民に関しては、犯
罪の種類にかかわらず、氏名、写真、出身地が存在すると認められる事はごく稀であ
る。氏名の発表をすれば、刑務所で服役してからの社会復帰を困難にする。<中略>
犯罪に対する処罰は法廷で下されるものであり、新聞が晒し者にすると言う罰はあっ
てはいけない。」スウェーデンの元プレス・オンブズマンであるカーシュ氏
「実際には実名報道したからと言って効果はない。実名報道主義を取り死刑もあるア
メリカの殺人発生率は、スウェーデンの何倍もある。犯罪の多少は新聞の報道スタイ
ルや死刑の有無で左右されるものではない。」スウェーデン警察庁広報官ラーシュ・
イルムスタード氏
スウェーデンの人の意識は警察関係者さえもこんなにも違っているようです。フィン
ランドでもそれは一緒で、「新聞による裁判に反対する」「フィンランドでも昔は、
実名報道の犯罪抑止効果が強調されていた。しかしそれが正しいなら、どの国もどん
どん犯罪が減少していかなければならない。」
そう言えば、無罪率が増えたのと人権派を結び付けてアメリカが犯罪大国になったの
は…と言う小田教授の文言までも見つけました。ふざけています。無実の人間の尊厳
を汚してまでの秩序なんて大嘘もいい所だと思います。<私は無罪判決が出た人間は
どんなに疑わしくても無実と思うようにしていますし、そうあるべきと思います>お
そらくここにいる方の大半は、そういう考え方には反対の事と思っています。
また、憲法の「公共の福祉」は必要を超えた罰を科す理由にはなっていない、と言う
点も、知って欲しいと思います。同じ憲法でも、残虐な刑罰は禁止されてましたね。
最初から公共の福祉の為にあるものを禁止してるんですから「公共の福祉」では残虐
な刑罰は認められないでしょう。犯人側に一切の人権も人間性も認めず、ただただ重
罰を加えることに終始、これほど残虐な事はない、と思いますがいかがですか。いく
ら公共の福祉と言っても、イギリスのように利益に反する疑いのある人間を焼き討ち
にするなどと言うのを肯定していいものでしょうか。一切の人権を犯人側に認めず、
名誉権どころか、出所後の権利さえ危うくするような報道を残虐な刑罰と言わずして
なんと言うのか、と思いました。また繰り返しますが、刑罰はこのことを終えればあ
とはこのことに関しては基本的には不問に付すと言う約束<勿論、再犯すればもっと
重い罪が待っていますが>の下に行われるべきものです。そんな約束違反を社会の側
がしでかす事、肯定してよいものでしょうか。
そもそも、匿名報道は犯罪者には都合がいいと言う事はありません。
前述のカーシュ氏の言う通り犯罪者に与える不利益は刑罰であるべきと言うのが本当
の所です。刑罰以外に私刑を受けない権利は犯罪者の御都合主義でもなんでもありま
せん。彼等にだって、適正な手続を受ける権利くらいは保障されていると考えるべき
です。また本来、もっと厳しい罰を下すべきだ、と言うのはそれを裁いた裁判所か国
会に言うべき事であるのに、何故マスメディアの匿名報道のせいにするんでしょう
か。それこそ本末転倒でしょう。犯罪に見合う不利益と言うのは、刑罰で間に合わな
いほどのものなんでしょうか。日本のように死刑さえある、無期懲役とて制度上は一
生拘禁できる国で。犯罪者の家族や友人まで巻き込んで。勿論連帯責任をさせてでも
防犯と言う「公共の福祉」が優越する、と言う極端な考え方ではよもやない、とお
もっています。
近代では社会は本来個人の権利を擁護する為に存在するものであって諸々の痛みを分
かち合う為に存在するものです。決して防犯の為に国民の人権を報道などの手段で必
要以上なリンチを肯定してまで制限したりするのが社会ではないです。もし防犯のた
めに・・・と言う事なら多分山口の事件の遺族の本村さんも犯人の少年が出てくると同
時に監獄に行かねばならないでしょう<感情はどうあれ、殺すと公言しちゃっている
わけですからね。
294 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 13:33:33 0
裁判記録読みました。被害者が可哀想で可哀想で涙がとまりません。
「もう殺して下さい」と言った彼女の気持ちを思うと、胸が
張り裂けそうです。
さて、焼き討ちや差別、やる奴が悪い、と言うのは簡単ですし、何よりその通りだと
思うんですが…。まあ差別はともかく、焼き討ち!なんてことは日本では起こらない
でしょう。<集団で家を取り巻いて罵声を浴びせる連中はいるようですが>しかし、
外に出てくると拒絶反応を示してしまう、これが社会ですよね。匿名報道が市民的支
持を得ているスウェーデンでも、名前が知られたために家族が差別するケースは実在
しているそうですし、今実名報道が始まれば受け入れるのではないか、前回も挙げた
トシュテン・カーシュ氏の言葉です。
確かに、そういう事が起こらない社会なら実名報道してもいいでしょう。しかし、そ
れが実現できるでしょうか。そんな社会は私たちの生きている間には実現しないだろ
う、と言ったのは例によって浅野教授でした。例えば、部落差別の問題は、戦前から
全国水平社があって、戦後は日弁連や政府が本格的に差別撤廃に乗り出しました。そ
うして、「表向きは」差別がほとんどなくなりました。しかし、まだまだ根っこの問
題は深いものです。結婚差別などは今だってなくなっていません。アメリカでも、性
犯罪者の実名を公表する一部の州では焼き討ちが発生していると耳にします。
これでは、きちんと罪を償って出てきた人が差別されるのは当然でしょう。また、
「ニュース性のある犯罪だけが報道で暴きたてられ、殺人でもニュース性のない事件
は見過ごされる」と言う矛盾はどう解決するんでしょうか。例えば、麻薬を吸っただ
けでワイドショーにあれやこれやと叩かれた芸能人の息子さんとか、隼君の業務上過
失致死事件とかも、被害者問題に一石を投じる結果となったにせよ、その他のより大
きな犯罪<殺人や傷害致死など>に比べれば罪と比べて騒がれすぎだと思います<遺
族の皆さんには不快感お許し願いたい>。制度を設ければその矛盾は解決するかもし
れませんが…。また、何より忘れてはならないのはこんな状態ですから、家族への差別が起こるのは
自明だと思うのです。「匿名報道」学陽書房には、夫の暴力にカッとなって包丁で刺
して死なせてしまった<因みに、詳しい死因は医療ミスらしい>妻の子供が学校の校
長から学校をやめるべきだとあからさまに言われるなど、社会的に随分な制裁を受け
てしまっているんです。
甲山事件でも、被疑者のYさんの子供は級友達が懲役何年と
か言ってるのを聞かされてきたわけです。社会的抹殺は死刑と一緒である、という点
をどう考えましょうか。確かに、社会を啓発してこの点を解決するのが必要であるこ
とは大賛成ですし、そのための努力を惜しむべきではないでしょう。しかし、言った
ように、部落差別が何十年たってもなくなっていないことを考えると、これはあまり
にも酷ではないでしょうか。人と言うのは、差別をしたい生き物だと思うんですよ。
部落が江戸時代に作られた理由や現代のいじめの構造を見るとそう思います。そし
て、きちんと罪を償った本人<償いが足りないのなら刑法を改正すればいいでしょ
う>はおろか家族に人生の大半を棒に振らせて、50年先か70年先かそれ以前に実
現するかさえ分からぬ啓発を待て!これはあまりに酷ではないでしょうか。せめて啓
発が成って、そういう事が起こらないようになるまで待つべきではないでしょうか。
例え報道各社や国から損害賠償や慰謝料を何十億円もらったって人生の破壊は治らな
いんです。むしろもらうとその金で家を建てたとか言う誹謗中傷さえ来るのです。被
害者の皆さんだって、犯人やその家族に10億円払ってもらえれば殺人を許す気にな
るとか、そういう事ではないでしょう?
さらに、これだけの犠牲を家族に払わせる危険性が高いにもかかわらず、公益性に疑
問があることを指摘しなければなりません。スウェーデンで匿名報道になった前と後
で犯罪率<特に凶悪犯罪>に差異は見えません。まあ日本ぐらい徹底的に用のないプ
ライバシーまで明かす報道をすれば減るのかもしれませんが…。また、社会的な制裁
を科す権限等マスコミにはありません。中にはそうやって我が制裁を科さん!なんて
思い上がった連中もいます。また、堺通り魔事件実名報道容認大阪高裁判決でも写真
掲載や実名公表が公益のためになるとは、それどころか記事の価値増大に役立つとさ
え決してみとめられていないわけです。まあ認めたら判決を批判するんでしょうけど
ね。旧少年法でも<現在も残っていたと思いますけど>、明らかに公益につながる、
例えば指名手配の時などでは公表が認められていたんです。
297 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:07:30 0
休んでんじゃねぇ!アラシ
あと、有罪確定後の判決がひどくない、これは一応表層だけ見るとそう思いますが、
この裏がある、と私は思います。要するに、被疑者段階から言いたい放題書いてし
まったために、裁判段階だと書くことがなくなってしまうだけだと思うんです。報道
各社にとってこの手の報道の目的はもはや利潤追求くらいになっています。だから、
日本の長期にわたる裁判が終わるころには事件なんか風化してしまい、書いても儲か
らない。だから有罪判決後にはあまり書かないんだと思います。薬害エイズなんか
も、事件発覚当時の方が裁判の時より騒がれていて、刑事裁判になったことを忘れて
いた!と言うのが事実であることを告白します。私は電車で学校に通う身ですが、電
車内の吊り広告の類を見るとそう思います。今でも裁判で騒ぐのはそれこそオウム裁
判ぐらいでしょう。だから、被疑者段階での報道がなくなって有罪確定後のみの報道
になっても、公益のこの字もない不倫疑惑だの何だのが書き立てられるだけなのでは
ないでしょうか。まあこんな推測は私の方が外れていればそれに越したことはないん
ですが・・・。
また、価値観の問題と言うことですが、確かにキリスト教的な価値観ですよね、人権
とかも。そしてキリスト教は、十字軍、魔女狩りなど行って他宗派を徹底的に攻撃す
ると言う面がありました。ただ、人が裁いてはいけないと言うのがなぜかと言うと、
もし人と人とが平等であるとするならば、裁く者は裁かれる者より優位でなければい
けませんよね。でなければ裁くことは出来ません。勿論、誤審、必要以上の重罰の可
能性も人間が裁くなればこそです。誤審も容認される!なんていくら宗派を超えたっ
て認めるわけにはいきません。また、平等と言う価値観は日本的ではないかもしれま
せんが、今否定する人がいるでしょうか。有罪判決が出た人とは平等ではないかもし
れませんが、そもそも無罪を推定されている以上自供しようが証拠があろうがやはり
普通の人であり、平等なわけです。
私は、あくまでキリスト教の価値観の中でも、平等とか、冤罪、残虐な罰防止とか、
皆さんに受け入れやすい主張で十分人が人を裁くことの本来的なおかしさを追及でき
ると思うんです。勿論、それは裁くな!と言うことではなく、それに謙虚になれ、と
言うことです。
刑法と言う考え方自体が集団ヒステリーのようなものですから、それ
を全部否定することは出来ません。だからといって、謙虚になれないのにそれでも裁
くのを強行して欲しくないです。裁くからにはその心構えを忘れて欲しくないし、冤
罪を生まないための努力はギリギリまで尽くすべきだし、それが出来ないなら集団ヒ
ステリーの限度を超えているでしょう。
因みに、人権の定義は国によって異なるとか、東洋に人権は合わないとか言う考え方
は、今日本で台頭してきた考え方ですよね。浅野教授からしてみれば「議論する気も
起きない独裁者や社会科学に無知な学者の考え方で、今まで繰り返し批判してきた」
そうですが、私としてはそういう考え方とは本気で事を構えなければならないと思い
ます。人を人として扱うとか、そういう基本的に賛同を得られる部分から出発すれば
大丈夫だと思うんですけどね。
なお、人権がキリスト教的と言いましたが、これは今の人権派にも綿々と良くない部
分も受け継がれています。他にひどく攻撃的なのです。かュ申す私が小田教授らに敬
称無しなどと言うことをやりました。自分で表してしまったわけです。人権派と言う
ものがすぐに攻撃的になり、他者を攻撃するために人権侵害もいとわぬ!と言う状態
になる可能性があると言うことを覚えておいて欲しいと思います。
それから、他の掲示板に行ってという発言はよした方がいいと思います。ここには昔
の私の意味のない発言はおろかそれ以上に、私でさえ批判するような人権派だか人権
屋だか荒らしだか分からない文章も掲載されています。私の投稿が一方的に不掲載と
されたことは一度もないです。管理人さんは、一応趣旨に合わない文章の編集、不掲
載を予告していますが、少年法とか被害者の問題に関する意見だったらちゃんと公平
に掲載してくれるわけです。ここは内輪だけが議論する場所ではないと思います。
思ったら私自身さっさとここから去ってしまいます。本当のことを言えば、改正反対
の声の矛盾点にも、例えば0.0027%に過ぎないとかそういう文章にはさすがに
えっ?と思いました。基本方針には一応賛成でも、細部には反対意見があります。
誤解しないで頂きたいのは、「公正な裁判で、公正なやり方で有罪判決がおり、公正
なやり方で量刑が決められたならそれに従ってきちんと罪を償うことが必要である」
ということです。そのために死刑そのものに反対!と言う立場を取り切れないでいる
ことも。社会のせいにして本人の責任はない!と言うのはそれこそ緊急避難とかの場
合のみであって、基本的にはやはり本人の責任でしょう。私がよく浅野教授を出すた
めに?と思われる方もいらっしゃる<現に、よく批判されてますね、特に前回話した
ような掲示板とかには>かもしれませんが、私は彼の人権と報道の理論に対して賛成
するので出しています。彼は死刑には反対の立場を取ってました。彼も人権屋じゃな
いのか?と言われても反論を強硬に出来る立場では私はありません。
「報道被害に自分があっても同じ事が言えるのだろうか」「罪を憎んで人を憎まずと
言う言葉もあるではないか」これ、二つとも彼の言葉です。後者は分脈から見てリッ
プサービス<?>の印象もあったんですが、もし両方本気なら私は前者だけとりま
す。
ただ、全て犯人のせいにして社会の側の顧みるべき点は一切顧みず、罰だけ与えてお
しまい!と言う風潮があるとすればそれには大反対です。社会の側の責任は誰にも問
われませんが、反省して起こらないようにするのは社会のつとめだと思います。た
だ、今まではその点を追及するあまり、犯人側の責任に対してあまりにも甘い状態で
あったことは認めないわけには行かないでしょうね。それでも、反動で全部!にはや
はり異議アリです。ちょうど、少年犯罪の親の責任のようなものです。
同様のことは「粗暴犯のうち少年が占める割合が過去最高になった」という報道にも
当てはまる。少年の粗暴犯の発生率は、三十数年前と比べると半減している。だが、
成人(特に二十代)がそれ以上におとなしくなったため、見かけ上、少年の占める割合
が上がったにすぎない。
「死に至らしめる事件を起こした少年」がここ数年急増している、と報じられるこ
ともある。だが、増加分の大半は「傷害致死」で、多人数がかかわったとされて一網
打尽になる者が増えているのである。1998年でいうと、82%が4人以上の「共
犯」である。
それゆえ、被害者数が激増しているわけではない。私の推計では、被害
死者数は依然として、60年代半ばの4分の1から5分の1にとどまっている。
さらに、警察庁発表などの報道は、減少・沈静化しつつある罪種よりも、増加傾向
にある罪種を強調しがちである。また、「昨年に比べて激増」「過去5年間で最悪」
などと発表されるものは、その直前の時期までさかのぼってみると、やはり現在の方
がはるかに減少していることがよくある。先日、警察庁が今年上半期の非行状況をま
とめ、各紙とも、「凶悪化」という見出しでそれを伝えた(4日付朝刊)。だが、そこ
でも、たまたま殺人が極端に少なかった昨年の数字と比較されているなど、強引な解
釈が目立った。
要は、統計数値や解釈の妥当性に関するチェックが必要なのである。
第2に、ごく例外的に起きる重大事件に対して、不必要なまでに微細に報道し、解
釈しようとする、メディアのあり方が問題である。
かつての報道は、事件の経緯をたどることに重きが置かれ、その背景や動機は簡潔
な紋切り型の表現で片づけられていた。佐賀のバスジャック事件がもし数十年前に起
きていたら、「内向的」で「学校嫌い」で「世間を怨んでいた」というふうに、簡単
に片づけられたはずである。
ところが近年は、ごくまれにしか起きない例外的な事件に対しても、青少年全体の
病理を代表しているのでは、という視点から、細かな詮索や解釈がなされるように
なった。その結果、「いつでも、どこでも、誰にでも」起きてしまうかのような錯覚
が生まれている。しかも、他者には簡単にはわからない「心」の部分を「事件発生の
カギ」とみなすようになったから、どんなに周辺情報を集めてみても、「解決」する
わけがない。不安を募らせるだけである。また個々の事件がもらさず報道されること
で、少年事件が格別増えたような印象をもたらしてもいる。
稀有な事件の報道では安易な一般化は慎むべきだし、事件と関連の薄い情報の氾濫
は、単なる「覗き趣味」にこたえるものでしかない。
302 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:14:12 0
宮野・小倉神作・湊一家・渡辺・垣東・岩井・星
裕史・譲・靖人ます子恒治伸治・恭史・孝一・哲夫・寿一
他加害者は全員梓禰
自薩できないなら身内が頃してやれ
お前らはイキテイテハイケナイノダ
303 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:15:49 0
阪神大震災は笑えた!
死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
阪神大震災は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが震災にあってる間、家でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ神戸まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか知事や市長が自衛隊の救援要請を渋っていたけどさ、
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
今でも仮設住宅に住んでるやつがいるらしいけど、
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところで震災直後はあいつらってトイレどうしてたの?
もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろヘリからの映像はまさに
私は2児の父親ですが、今の少年殺人は明らかにゲームです。それは思春期に入ってくる情報自体が狂っているのです。
昔はやくざ映画を見てなりきっている人がいましたが、やくざ映画は完全に人を殺すシーンで善悪の判断が可能です。
しかし今の漫画(特にヤンキー系)はバットや角材で殴られても死なずに根性を見せて起き上がって戦います。
こんなありえない漫画でインプットされた子供が喧嘩やいじめをし始めたときに手加減ができるのでしょうか?
抑圧された子供も『こうなりたい!自分を表現したい!』と思っていると思います。昔と違い情報が倫理観や影響性も
考えず氾濫している状態で子供だけでなく大人も警察も政治かも毒されて正常な判断ができなくなっていると思います。
確かに少年法は更生を願うもので背景には貧しくってやむにやまれぬ状況や未熟な状態で感情的に犯してしまった
場合に検討されるもので、このようなケースで適応するのは法悪用のなにものでもありません。色々な内容を見ましたが
発生した因子を追求している内容が少ないことに正直驚きです。発生の原因はやはり社会と大人だと思います。
子供に本来教えなければいけないことを学校も親も教えていません。親は自分の子供に有利な事だけしか考えずに
悪いことを自覚できない子に育てています。これはある意味子供が社会的に出世してもその子は年老いた
親を邪魔者扱いにし、自分に有利なことしか考えられない子供になります。そう育てたのは当の親です。
それぐらいのことは親はわかっているべきです。あるケースで小学生高学年ぐらいの子が私にぶつかるふりをして
蹴りを入れてきました。そしてうす笑うを浮かべ自分の父親の腕をしっかり抱いていました。これは強い父親を見方に
付け手を出されないように計算して取った行動です。もし私が中高生であればその子が1人になったときに集団で
暴行を加えているかもしれません。これは中高生レベルであれば相手が卑怯者で正義はこちらですから徹底的に
やるでしょう。しかしやられた子供がもし親の躾で『謝れない子供』あったならどうでしょう。
神戸市須磨区児童殺傷事件を起こした少年が、年内にも医療少年院を出るという。小学生の頭部を切り取り、
小学校の校門の前に置くという残虐きわまりない事件を起こし、6年間で退院というのは、やはりどう考えてもおかしい。
本当に治療が進んでいるのでいるのか疑問である。これほどの事件を起こしているのであるから、
最低医療少年院で26歳(現罪の法律の限界の年齢)までは、退院させてはいけない。少年の心の
治療だけでなく、このような事件を起こしたことの反省をして、出てくるというのであれば、最低でも30年くらいは
社会に出してはいけないと思う。生きていれば、悩みもあるが喜びもまたやってくる可能性がある。生きていら
れることの感謝を思えば当然である。最低そのくらいの期間反省してでてきてもらわなくては、社会的に認められ
ないと思う。だいたい一部の弁護士や加害少年の人権を声高に言う知識人は、社会通念というものに対して無知
であるか、応報感情はよくないし野蛮であるという蔑視を持っている。被害者の苦しみなどそのような人々にはわからない。
このような少数派にかき回され、罪のない多くの人々が泣き寝入りしている世の中を正すべく行動起こすときが
来たと強く思う。
何故このような世の中になってしまっているか考えてみると、やはりその背景に死刑反対を主張する、
声の大きな少数派の存在に気がつく。朝原被告や宅間被告でさえ、死刑にしないということは、そのような残虐な人々の
命を国が守り続けることを主張している。このような主張を持つ人々は、ほとんどの人が、少年法改正にも反対であった。
これらの人々は、善悪というものを曖昧にする、高等な理論を身につけ、刑罰の持つ応報の部分を巧みに否定する。
このような人々にミスリードされてはいけない。刑罰の目的については、法律の専門家のなかでも意見の相違は多少
あるようであるが、基本的に刑罰は応報であると考えられているのである。今のように、加害者への刑罰があまりに
軽ければ、アメリカのように報復の殺人が起こらないとも限らない。
未成年犯罪者の気持ち、私には分かるような気がします。
ただ、もちろん全ての件に関して、と言うわけではありません。
私は現在、成人している学生の身です。時代が変われば、子供達の気持ちも変わりますから、私の年代とは、違うのかもしれません。
ですが、私は小学校時代。俗に言う小学校上級生の間に虐待を受けていたと感じる時期があったのです。
それゆえに、犯罪に走ってしまう、子供の気持ちが・・・正確には気持ちではないのかもしれ
ません。走ってしまった理由が分かる・・・これも言葉として適切とは思えません。言葉にするのは難しいですね。私が20数年生きてきた中での経験を元に、なんとなく感じとってしまったこと。と言う感じです。
どんなことがあったかって言うと、ある日、あの時、あの場所でーーー私の家族に不幸なことが起こったんですね、これが。(途中は省きます。身内の恥をさらすようで嫌なので)
結果、どうなったと言うと、父親は外に愛人を作り、週に2〜3回は家を留守に、母親はその怒りを私にぶつけるようになりました。父親には腕力ではかなわなかったらしいのでね。
色々あって、塾にもいかされていました。
さて、どうですかね? 小学校高学年の多感な時期、ほとんど毎日塾にいかされながら、家に帰っては暴行を受け、両親におまえの父・母とは暮らしていけない。離婚する。と愚痴をこぼされて生きていました。
リストカット。あれも、やろうと何遍も手首にカッターを当てました。まぁ、幸いにして臆病者だったので、切れませんでしたが。
塾にいかされながら、と書きましたが、これも嫌だ!と言う度に殴られるので、御話しになりません。
いつしか、私立の中学校にいくのが当たり前だと思ってました。
ですが・・・なんなんでしょうね。六年生のある日、両親が正気に戻ったのか・・・
私に悪いと思ったのか・・・
何があったのかは分かりません。ただ、とにかく二人に心境の変化があったのは確かなんです。
私はその日、いつものように塾にはいきたくない!私立の中学にはいきたくない!と親に泣きながら反発しました。
307 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:41:13 0
宮野・小倉神作・湊一家・渡辺・垣東・岩井・星
裕史・譲・靖人ます子恒治伸治・恭史・孝一・哲夫・寿一
他加害者は全員梓禰
自薩できないなら身内が頃してやれ
お前らはイキテイテハイケナイノダ
308 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:44:16 O
生きてたって仕方ないんだよ。ウジ虫!
被害者のご家族にも、「もっと子供とコミュニケーションをとっておくべきだった」というご意見をよく耳にしますし、
加害者側であればなおさらでしょう。ところが、その様に思えるのは被害者側だけで、殺人を犯す様な子供など知らない等と、
自分達の育て方を棚に上げて逃げてしまう親御さん達が多いからこその事件ではないでしょうか。この事は、
親の自己啓発に関わるもので、「他力本願、他人のせい」から脱却できずに親になってしまう事は誰にも抑止は
不可能です。
しかも、親とは殆ど話をせず、自分の意見を聞いて賛同してくれる様な仲間達だけと話をし、だから間違ってないと
勝手に判断し、しかもそれなりの年月を過ぎれば少年院から出られる事も知ったうえでの犯行だとしたらどうでしょう。
少年たちは、少年法が甘い事は充分以上に知っていると思います。しかも、少年と少年達とで傷の舐めあいの様な話を
しているという事は、例えるならば、馬鹿と馬鹿が話をして結論が出ないか、もしくは、間違った結論を出してしまうという
事だと思えてなりません。さらに、「育てなおし、ドメスティックバイオレンス、ストーカーetc.」の原因も同様と思われますし、
自己中心的な思考から脱却すべく指導できない親は、親自身が出来ていないからではないでしょうか?今、問題なのは
統計的に少年犯罪が増加、減少という話ではなく、どんな凶悪な犯罪を犯した人間も少年であるがゆえに社会に戻って
きてしまう事だと思うのです。現状の、被害者側の泣き寝入りに近い、しかも一生心につきまとう様な無念さは厳罰を科す
事で抑止していく以外に方法があるとは思えません。成人と同様に刑を与えてる事ではなくても、本当に改心し反省したと
判断できうる論理的な方法により社会復帰の是非を決断する事が望ましいのではないでしょうか。それは、法律というものが
あまりにも画一的に枠に当てはめようとしている弊害だと思いますし、臨機応変さに欠けた穴だらけの法律を改正しようと
しない意図が私には理解できません。神戸の悲惨極まりない事件と族の抗争とが、同じ扱いなのはおかしいでしょう。
社会も学校も家庭も全てが甘く生ぬるく少年少女に都合よくなって来ている事は事実でしょうし、駄目なものは駄目だと
毅然とした部分が我々日本人に欠けてきているように思えてなりません。
私しが感じる日本の法律は本当に時代遅れとしかいうしかありません。近年、日本の犯罪も欧米化して来て、
今までの日本のアマチョロイ法律で何が裁けるのでしょうか?少年法も何が少年法なのでしょうか?少年、少女が
犯罪を起こしても軽く、少年院でも行っておいでぇーみたいな刑で本当に罪を犯した者が反省するのでしょうか?
私しはアメリカに住んでいて本当に感じるのが、少年でも大人でも罪は罪!!私の知り合いの彼氏は16歳で覚醒剤を
やって捕まりました。それも初犯です。友達と遊び半分でやったのがバレて。そんな彼は1年半の実刑を受けました。
何処の州か忘れたけど、警官に銃を1発発した少年(弾は警官に当りませんでした)は実刑7年で今、その刑を受けてる
最中でしょう。日本の刑って本当に軽いと思いませんか?それに罪を犯した者の更正を先に考え過ぎてませんか?
人を殴って殺して、1.2年で社会復帰してもいいのですか?あと、日本は元々刑が軽すぎるから、みんな平気、
平気って思っていませんか?私しも若い時は悪かったですよ。バイクを盗んだり、万引きもしたり、でも、頭の中で大丈夫、
大丈夫っていつも思っていました。だって日本の刑って甘いから。友達の旦那さんも覚醒剤で捕まった時、初犯だったので
実刑は免れたし。悪いことをしたら罰する。それ相当の罪をしたらそれ相当の刑を受けるのは当たり前のことですよ。
若い若い、更正の余地があるって言っていたら、みんな罪を犯しても罰することなんて出来ないですよ。アメリカに来て、
私は本当に御利口になったと思いますよ。この国は自由な国だけど、自分の責任の重さを本当に感じますよ。
車で人をひいて殺してしまった人なんて、次の日には囚人の洋服を着て、TVに映っていたし、責任能力っていうのは少年、
少女にもあるはずでしょう?15,16歳で何が悪いとか悪くないってわからないものなのかな?私の旦那はアメリカ人で、
小さい時から、悪いことをしたら刑務所に行くんだよと親に教えられてきたし、学校でも悪いことをしたら罪になると
教えてこられたし、もっと日本の親も罪に対する教育をした方がいいし、学校でも犯罪についてもっと教えていいと思うな。
少年法は罪を犯した者に甘すぎるよ。死んだ人間やその家族のことなんて全然考えていないよ。
少年法に関する意見はいろいろありますが、少年法に関しては犯罪加害者少年(少女)
に厳罰を望む意見は数多くありますが、反対する意見としては厳罰化は冤罪を呼ぶこ
とや厳罰にすることでは本当の解決にならない。ことがあります。そもそも少年法と
いうのは犯罪加害者少年の更正を計ることを第一の目的にしていることです。もちろ
ん凶悪な事件についてはそれなりの処罰が必要だと思います。
山口県の母子殺害事件について加害者の少年が1審2審ともに無期懲役の判決を受けた
ことについて、被害者の夫の本村さんが少年に死刑を望むことについて、彼(本村さ
ん)は少年に対する恨みだけで死刑を望むわけではないでしょう。少年が死刑の判決
を受けて慟哭し反省することを願っているようです。現在の日本の法律では18才未満
の人間に対する死刑は認められておりません。この事件の加害者の少年は18才を過ぎ
たばかりの時の犯行でした。だとすれば少年の更正を計るのが良いのか、極刑を求め
るのが良いのか判断が分かれるところです。
しかし、僕の考えとしては死刑の判決を受けてから反省し慟哭しても、それは世の中
にとって意味のないことになってしまいます。
先日テレビの番組で、本村さんが、アメリカテキサス州の死刑囚犯行時20才未満の死
刑囚と面会し彼は死刑の判決を受けて反省しもう2度と犯罪を犯さない自信がある。
と言っていました。そしてその死刑囚に対する死刑は番組放送時もう執行されていた
ということ。
確か今年テキサス州で犯行時17才の死刑囚に対する死刑が執行されたというニュース
が入ってきました。このことは国際的に大きく非難を浴びていますが・・・・
更正の期待をかけ犯罪者を生かしておくのか、死刑判決を宣告させ反省し慟哭をさせ
るのか、どちらが正しいのか、僕は正しい答えなんてないと思います、数学のような
ものと違って答えは一つではありません。
単独犯の7割に自殺願望
「最高裁に設置されている家庭裁判所調査官研修所は4日、少年による殺人や傷害致死事件
(未遂を含む)の背景や原因を分析した結果報告書を発表した。
<1>単独で事件を起こした少年は事件直前に“深い挫折感”を抱き、“追いつめられた”心理状態
になっていたことが共通しており、
<2>7割に自殺未遂または自殺願望があった、
という。突然暴力的な行動に及ぶ「キレる」少年が社会問題となっているが、「事件の前には少年
の変化を示す前駆的(前兆)行動がある」と指摘している。
対象になったのは、1997〜99年に起きた13〜18歳の少年による15事件。
家裁調査官のほか学識経験者、教員、児童相談所職員ら外部の専門家など計16人が共同研究
した。
●パターン
まず単独犯の少年10人を以下の3つのパターンに分類した。
1.幼少期から問題行動を頻発していた。
2.表面上は問題を感じさせなかった。
3.思春期になって大きな挫折を体験した。
●共通点
家庭環境や少年の性格などはそれぞれ異なっていたが、どのタイプの少年にも
「観念的な思考が目立ち、現実的な問題解決能力が乏しい」
「自分の気持ちすら分からない」
など共通した特徴もあると指摘。
●前兆行動
深い挫折感や追いつめられた心理から、重大事件の前にホラービデオや暴力的書物
に熱中したり、凶器を所持するなど、「前駆的行動」を起こしていたのに、家庭や学校、
地域社会が気づかなかった、と分析した。
一方、集団事件を起こした少年は、単独犯の少年に比べて、人格的特徴や友人関係などの偏
りが少なく、集団心理が働いて暴行がエスカレートした事例が大半だった。個々の少年の性格
や特徴は、犯行が多人数か2人組が、主犯格か従犯か、などにより異なる。しかし、ほとんどの
少年に共通したのが、「いじめられた体験」で、自分の受けた攻撃を外に転換した、との見方を示
している。
少年犯罪・・・・我が家の場合死に至る事もなかったし被害に遭ったのも主人と大人です。
が、ものすごく警察にも腹が立ったし・法に対しても。。。。
残業して自転車で帰宅途中の主人をお酒を買うお金が欲しい・・・という理由から少年7人が
自転車で追いかけてきて主人を殴りました。
主人は自力では帰ってこれたものの顔面骨折で手術となりました。
が、殴った相手の事は皆目わからない。
警察に連絡を入れても教えられないが補導はしましたというのみ。
れからしばらくして、一通のFAX。
3人の加害者のうちの一人の弁護士でした。
こちらは加害者の年齢・名前・住所もわからないのに・・・・
主人は入院中にて話し合うことはできないとの旨を弁護士の留守番電話に入れましたが、
それ以降1度も連絡はありませんでした。
もう一人の加害者の親も来ていたようですが私の留守中で手紙が入っていました。
息子は反省し今大学受験にむけて頑張ってます。と・・・・余計に腹が立って・
腹が立って3人目・・・・・いまだに誰だか不明のまんまです。
その時警察に電話を入れ、どうしてこちらは加害者のことは何も教えてもらえないのに向こうは
我が家のこと、名前・電話・住所・職業・家族構成を知っているのか??
おかしい!!と言いました。
その時の返答は、相手はあなた達に謝りたいと言ってきたし弁護士さんだったから教えましたよ。
何かそれがいけませんでしたか??でした。
謝りたい??弁護士が???
何かおかしくないですか??と尋ねると、その警察の方・・・・・怒っていいました。じゃぁ、教えませんよ!!ガシャン
もちろん、弁護士さんにも相談にいきました。
本にも書いてあったのですが、用意で仕事ができません。が、入院でかなりの間仕事を
休んでいたのでこれ以上は無理だと判断し、裁判はあきらめました。
今、思うと本当に熱心になってくれる弁護士さんに出会っていたら・・・・・
持っていないものの勝ちですものね〜
やったら必ず勝つよ。でも、賠償金を取りたてるのはあなた達だよ。それでもする?
相手は未成年でしょう〜??
親は保護責任には問えないよ。
と・・・・・お願いしに行くほど悲しくなるばかり
絶対におかしい!
こんな意見は言い古されているのかも知れませんが常々思っていることを書きます。
日本の法律・裁判は「人を裁いて罪を裁」いていないと思います。
特に殺人などの重大犯罪であるほどその傾向があります。
曰く「被告の犯した罪は誠に許しがたいが、その後は深く反省しており更正の余地もある。
よって極刑が妥当とまでは言えない。」神でも無い裁判官が如何にしてその反省が心から
のものか見せかけかを見抜くのかも疑問だが、それより何より反省とか更正とかは犯行後
のことであって例え心底悔いたところで過去は絶対に変えられません。
被害者が生き返るわけでもないのに反省すれば刑が軽くなるというのは全く甘過ぎます。
それから情状を酌量しすぎるのも問題だと思います。
もちろん被害者にも非があるようなケースは十分吟味しなければなりません。
しかし被害者に何ら落ち度の無い通り魔事件などで加害者の「責任能力」が争点になるとい
うのがよく分かりません。数年前19歳のシンナー常習者によって女生徒や母娘が次々と殺
傷された事件の裁判で、弁護側が薬物による心身喪失状態を理由に無罪を主張したのには驚き呆れました。
こんな弁護士にこそ精神鑑定が必要です。私に言わせれば明らかな精神障害者でも健常者
と同様に裁くべきです。責任能力の有無は犯罪者の都合であって被害者には関係ないからです。
「キレちゃってる奴にやられた場合は天災だと思って締めろ」では浮かばれなさ過ぎます。
もっと「人」では無く「罪=起こしてしまった現実」を客観的に裁くべきではないでしょうか。
専門家ではないので間違っている点もあるでしょうが、裁判のニュースを聞いて無力感に襲わ
れることがあまりに多いので私見を述べさせてもらいました。
しかし、実際には少年法により人を殺した少年が保護されています。これって、最初に書きましたが、
暴走族が20歳になったら引退するのと同じで犯罪を助長させていませんか?
言い方が悪いですが実際に「今なら顔も名前も出ないから適当な女をさらってまわしちまうか」と
18の時に言っていた連れがいました。ま〜結局彼は飲酒運転で母親と5歳の子供の乗った軽自動車に
突っ込んで殺してしまい、獄中にいます。それを聞いたときはおめ〜なんか一人で事故って死ねば良かったんだよ
と思いました。
315 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 14:58:11 O
↑死ねば?
少年犯罪・・・
きっと、昔からトップニュースにはのぼらなくとも少年の犯す犯罪はたくさんあったはずですよね。
でも、昔とは犯罪の質が変わった。近年の少年による犯罪の質の変化について、私なりに色々と
考えをめぐらしています。その根本的原因は何なのか。
もちろん様々な要因があるだろうと思います。そしてその要因の一つに、「映像の変化」というものが
考えられる様な気がします。
私は何年か前に少年という枠をはずれたばかりですが、4歳になる娘がいます。その娘を見ていて思います。
娘が発する言葉や娘の見るアニメやCM。その全てが私の幼少時と変わりすぎている、と。ほんの20数年前の
私が幼少の頃は、アニメで殺しあうものや血が飛び散るものはほとんど見れませんでしたし、CMで下着姿はもちろん、
キスシーンは見れませんでした。ゴールデンの時間に罵倒が飛び交う番組や、自殺をテーマにしたドラマは
全く見れませんでした。しかし今現在は・・・。当たり前の様に見ることができます。聴くことができます。
普通に生活をしているだけで、この様に親としては避けたい情報が娘の記憶として保存されていってしまっています。
インターネットや映画、ビデオにゲーム。今後、娘の周りには余りある程の情報が溢れてくるわけですが、
こういうものを皆さんはどう思われますか?映画の内容も映像も随分変わりました。視聴者が物足りないからです。
”映像や情報が溢れてくると、物足りなくなる。だから実際に行動にうつしたくなる。”この事実が非常に
切実な要因になっているような気がしてなりません。
ゲームももちろん変わりました。映像がリアルになりすぎてしまっています。モンスターを倒して進んでいく
かわいい英雄が、人間を切って、殴って進んでいく、しかもどの人間もリアルな映像なのです。
このようなものを仮に毎日見ていたら、物足りなくなるかもしれません。未熟な想像力の少年達ならば。
まあ、成人していたとしても、未発達な想像力の持ち主はたくさんいるのかもしれませんが。
このような映像を規制する法律ってないんでしょうか?R指定位ですか?
私は声を大にして、映像や情報を規制することに、もっと政府は敏感になるべきだと思うのですが。
何かが起きてからその原因をあれやこれやと考え、結局何一つ改善されない。
小学生による銃撃事件や、幼児(!)による幼児殺害事件の発生に至っているアメリカは、
いたずらに豊かさのみを追求してきた人類への警鐘と思えてなりません。
治安の悪化から小学生以下の子供だけで留守番をさせたり、買い物で子供の目を離した親は
逮捕される等々、日本の新聞記事でも紹介されたりしていますよね。
そんなアメリカで5〜6年前に、犬の散歩綱のようなものに子供をつないでスーパーで買い物をしている
親子連れを複数目撃した時は、ただ単に違和感を感じたのですが、先日の長崎の事件を耳にして
日本もじわじわとアメリカの後を追いつつあるような、いやな予感にとらわれました。
6歳が友達を暴行死させた事件は、刑事罰を問える年齢に下限がないフロリダ州で起きました。
犯人は現在、終身刑で服役中だそうです。
記事内容から推察するに、明確な殺意は認められないという理由で、死刑を免れた様です。
当時の年齢では、殺意があったかなかったか、本人も判らなかったのではと思えてなりません。
いづれにせよこの事例は、厳罰化しても少年犯罪は減らないだろうという悲しい示唆を含んでいます。
ただし、フロリダのように、刑事責任を問う年齢を法律で一律に定めるのを廃止するのは大賛成です。
代替として、複数の専門家がケースバイケースで総合的に判断する法制度を望みます。
年齢が低ければ低いほど本人の判断能力の欠如が前提となるため、関連の審議を慎重にやるでしょうし、
判断のための詳細な情報分析のプロセスを通じ、同様な犯罪の再発を防ぐ新たな施策が生まれてくる
可能性は大きいと思います。
情報化、社会での孤立、競争社会の激化、家庭での教育機能の低下、学校教育の荒廃、。。。
これらの因子が複雑にからみあっているのが、先進国の今日です。
物質的に豊かになることを選んで心をどこかにおいてきた代償と、真剣に向き合う時期だと思います。
また、今やらないと手遅れの時期に差しかかってきているようでなりません。
私は2年前、医療事故で夫をなくしました。
結婚12年、夫の病が癒えたなら今度こそ子供をと、思っていた矢先でした。
少年事件のような理不尽な出来事でかけがえのないご家族をなくされた方、お気持ちご察しいたします。
19歳以下を保護する少年法… 14歳以下は刑事処分なし…
前々から思っていたのですが、犯罪者を保護してどうするのでしょうと思います。
なぜ、暴走族は20歳になると暴走行為をやめるのでしょう?それは、未成年者なら、
名前を公表される事も無く保護されるからです。今回の長崎の事件もそうですが、14歳以下なら人を
殺しても刑事処分されないんだと思って事件を起こす少年が出ないと言い切れるでしょうか?
確かに犯罪者の人権はある程度守らなければならないでしょう。警察官の暴行や復讐などあるかもしれません。
しかし、殺人と言うものは被害者にとってはこれから生きることを強制的に奪われた、最強の人権侵害ではないでしょうか?
こんな殺人を犯した人間が生きていて、更に、何年かして社会に復帰しているかと思うと街も歩きたくありません。
良く考えてください、隣を歩いている人間が人殺しかもしれないのですよ… しかも、彼らは人間を殺すと言う一線を
超えているのです。
いつも思うのですが、少年法改正反対やら死刑反対している人たちが居ますが、彼らの愛する人が未成年者に暴行、
強姦され無残にばらばらにされ海や川、さらにはダンボールに詰められ自宅や学校・会社に送られてきても、
その人たちは「少年だから、死刑は反対だから」と言えるのでしょうか?
掲示板にもハムラビ法典の引用が間違っていると書かれていましたが、私は過失致死以外の”人殺し”は
全て死刑でいいと思っています。人を殺したら自分の命で償えと思います。
仮に、道路交通法が改正されて10Km/h異常のスピード違反は死刑となったらどうなるでしょうか?
恐らく、スピード違反はいなくなるでしょう。死刑は犯罪の抑止力とは必ずしもならないとの意見もありますが、
逆に100km/h以上のスピード違反までは取り締まらないとなったらどうですか? 恐ろしいことになるでしょう。
私は刑の重い軽いに関わらずスピードは必ず守ると反論するあなた、それでは実際に40km/hの道を40km/hで
走っていますか?コンビニや駐車場に入る為に歩道を横切る時に一時停止していますか?
警笛鳴らせの区間で警笛を鳴らしますか?
住所が変わったら更新前に免許証の住所訂正に警察署に出向きますか?
もし、これらの行為の罰則が死刑だったら… みんな守るでしょうね…
神戸の事件の時は「特異な事件」と言われていましたが全然、特異なケースではないと思っていました。
どんな子供でも被害者になる可能性だけでなく加害者になる可能性、要素というのは持っているような気がします。
だから、どんなに法律が厳罰化されても、こういった犯罪が全く無くなるという事は悲しいことに有り得ないでしょう。
ただ、今の少年法はあまりにも甘すぎる。
同じ子供でも命を奪われた子供には未来が無いのに加害者である子供には未来がある。それだけでも不公平なのに
少年法はまだまだ被害者よりも加害者の未来を優先している。
そしてそのことを分かった上で犯罪を起こす性質の悪い子供もいる。
14歳という基準は何を基準にしたものなのでしょうか。
14歳未満は凶悪・残虐な犯罪は起こさないと言いたいのでしょうか。
中学生だろうが小学生だろうが犯罪の中身によっては実名公表、顔出しもさせるべきです。
犯した罪の重さを頭ではなく、心と肌で感じさせるべきです。
「報復・復讐」からは何も生み出されないのは確かですがでも殺された被害者と同じくらいの痛みを実際に感じなければ
本当の更正はできない気がします。
子供を持つ母親として、まず自分の子供が被害者になったら、、、と被害者になったときの立場で考えますが、
どんなに愛情をかけて育てても自分の子供が絶対に犯罪者にならないとは言い切れないと思います。
万一自分の子供が長崎の誘拐事件のような事件を起こしたとしたら自分の子供であってもやはり厳罰に処罰して欲しいと
私は思うと思います。
みんな自分の子供は可愛いし、まさか自分の子供は犯罪など起こさない加害者にならないと思ってる親が多いでしょうが、
そういう親に限って子供のことをよく見ていないものでしょう。
なんとか法改正されないものでしょうか。
このままでは犠牲者は減らないでしょう。
14歳未満は逮捕されないということを悪用しようとする子供もまだまだ出てくるでしょう。
そういう犯罪者予備軍である子供たちを野放しにしておかない為にも厳罰化、年齢の見直し、声を大にして訴えたいです。
釈迦の弟子にアングリマーラという人がいた(麻原の弟子にも同名の人がいたが)。
彼は、釈迦の弟子になる前には、殺した人の指を切り取り、首飾りにしていたほどの
殺人鬼であったという。彼が托鉢にでると、村の人は石を投げつけたという。彼の前
身を知っていたからである。しかし、深く仏道に帰依する彼の姿をみて、長い時間の
後には村人も石を投げるのをやめ、釈迦の弟子の一人として受け入れるようになった
という。
「更生」という言葉をきくと、このアングリマーラの説話を思い出す。口をぬぐっ
て、過去の犯罪を誰にも知られないまま、幸せになるのが「更生」なのだろうか。そ
んな疑問がいつもあるからである。
少年法にある犯罪少年の名前や身元特定についての報道を禁じる規定の背景には、ど
うも犯罪少年が、犯罪を周囲に知られないまま平穏に社会に復帰すればいい、という
考えがあるようである。昭和44年、進学校サレジオ高校で同級生の首を切った少年
は、現在は弁護士として幸せに暮らしているという。少年法の考えからいけば、こん
なのは200%の更生かもしれない。また、「殺したS君の分も長生きして幸せにな
ります」といった栃木リンチ殺人の被告H・Kの発言、これも少年法でいう更生の理
念をふまえたと考えれば、案外まっとうな発言なのかもしれない。
単純な財産犯などでは、こんな考え方でもよいのかもしれない。「何年も前に万引
きが見つかり目をまっかにして泣きはらしていた少年が、今はよいパパになってい
る。よかったね。」というように。
しかし、殺人や後遺症の残る障害事件などでは、犯人はその後、過去の犯罪行為に
は口をぬぐって幸せに暮らしています、よかったねですむのだろうか。少なくとも遺
族や被害者にとってはやりきれないところだろう。
更生とは、単に人生をやり直し二度と犯罪行為を犯さないということだけではなく、
取り返しのつかない被害を与えたという重荷を背負いながら、長い時間をかけて被害
者や社会につぐないをつづけていくことではないか。
彼らは少年育成の更生等と綺麗事ごとで罪を清算できるような人間ではありませ
ん。彼らはいかに逃げ道を作るか、そして、いかに自分のいいようにこれからを生き
ていくことししか考えていません。(確信を持って)彼らは弁護士という存在を都合
のいいものとしか考えておらず、裁判官、少年院ではいかにも更生してこれから真面
目に生きていくと言っておきながらしゃばにでれば、もと通りに戻ってしまいます。
以上の事から考えても、人の生命を奪った人間及びそれに近い行為(強姦、監禁等)
を犯した人間には死刑を与えてるべきです。そして実名公表を!!自分のやったこと
は家族、親戚にも迷惑をかけるのだということを絶対しらしめるべき。また、民事裁
判においても彼ら自身に損害請求をおこなうべき。暴走族の行為で迷惑のかかる車
(特に運搬関係)には会社自体彼らの行為で倒産になりかねない。これほど泣き寝入
りしている被害者が多い国は資本国では日本ぐらいではないか?極端なことを言えば
彼らは人間の血が流れていない悪魔といっても過言ではない。こんな悪魔を助長させ
てしまえばそう遠くない将来日本は必ず滅びる。 今の不況、治安の悪化は無責任な
人間(訳のわからない権利意識の高い、協調性のない人間)の増長がもたらしている
部分もあるのではないか?その象徴がいまの少年だと思う。学校でも昔は間違った方
向に行けば、先生が顔を殴ったものだった。いま、それをすれば、親がしゃしゃりで
てきて教育委員会、最悪、マスコミに報道され教職生命がいとも簡単に奪われてしま
ういまの日本。これでは、思い切った仕事ができない先生はあまりにも気の毒である
し、ますます、つけあがる子供が絶対増えてくる。学校のルールを守れない奴に世間
のルールが守れるのか疑問だ。今、日本はすべて(警察、学校等)において悪化の一
途をたどっている。いまこそ、みんなが団結、助け合って日本全体を救わなければな
らない。それには将来を担う少年の健全育成は不可欠である。いまこそ(特に治安の
悪化に手を貸しているとしか思えない一部の弁護士は特に)みんな目をさましてみん
なが笑って生活のできる環境を築いていこう。
322 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 15:22:43 0
2ちゃんねるにて犯行に関わったとのたまう怪人物たち
浅野 コウジ → 千葉県松戸市幸田1丁目に在住。被害者に暴行、強姦に参加した。
中野で目撃情報(キャバクラの呼び込み)あり。
風貌は口の下に銀のピアスが有り、前歯がほとんどない。
ゲーセン&動物虐待が好きでいつも同じ服を着ている。
西沢裕司◆g3ABDh/dQk と名乗る。
木立 龍介 → 東京都大田区蒲田8丁目在住。神作のバイク仲間。
zvp00704のIDでオークションにて俳優の偽造サインを販売していた。
2ちゃんねるで犯行自慢した過去あり。サノディン ◆SANOBidPPE と名乗る。
岩澤 寛之 → 神奈川県横須賀市林4丁目在住。○イヤルホスト逗子店勤務? ホストとの情報も。
DDTという草野球チームにいたが、宮野の知り合いということで追放。
nobody_rides_for_free99の名でオークションにてコピーソフト販売。
◆V4T.oU6rRs ◆jvBtlIEUc6 のトリップ使用
323 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 15:27:59 0
名前:焼き鳥名無しさん 投稿日:2006/03/17(金) 20:08:29 ID:0hZVvtU/
WBCにおいてイカサマ審判を雇ったアメリカを撃破したメキシコに国別人気投票で
投票するスレです。今こそ日本の2ちゃんねらーの力を見せつけましょう
メキシコ選手
「八百長ばかりの国を準決勝に進める訳にはいかなかった」
「子供達に気持ちが強い者が勝つと言う事を伝えたかった」
「日本には是非頑張ってもらいたい」
一人3回まで投票できます。是非あなたの熱い票をお願いします。
目標は日曜日までにベスト10入りを目指します。
http://www.ninki-tohyo.com/direct/country-off/ 出来ればいろんなスレで宣伝お願いします。
43位 1736票 . ... 1.2%
ポルトガル
44位 1641票 . ... 1.1%
中国
45位 1401票 . ... 0.9%
メキシコ
少年犯罪を犯す少年の大多数が他人によって傷つけられた経験があるという新聞
記事を読んだことがあります。
傷つけられた怒りが内在しそれが他者に向かうともかいてありました。
別の否定的な自己イメージを扱った本に自尊心が低く自分を低く評価する親は子ど
もによって自分の価値を証明しようとし、過度の期待をかけ、勉強やスポーツでの成
功をもとめるとかいてありました。こうしたことは子どもにとっておおきなストレスになり
うると思います。
親が低い自己評価をもっているときそれは子どもに精神的に遺伝します。そして低い自
己評価をもつと常に不全感にとりつかれ自分はだれからも好かれていないのではない
かとさえおもうようになります。そう思う人はときに、反社会的な行動に走り、「自分はこう
いうことしているから人にきらわれる、これをやめさえすれば嫌われずにすむ」と、自分に
説得しさえします。おおくの少年の非行はこうしたことが根本にあるのではないか、と私は
思っています。否定的な自己イメージをもつ人は珍しくありません。多くの人はその苦しみ
を紛らわせようと、アルコールやタバコなどに依存します。空腹を感じないのに、食べてしま
うひとは、そのとき食べ物に依存しています。自己評価の低い夫は妻に暴力をふるうことが
あります。それは暴力をふるっても自分からはなれられない妻への依存であるかもしれま
せんし、そうすることで威厳をたもとうとするのかもしれません。いずれにせよその家庭で育
った子は自己評価をたかめることは難しいでしょうし、虐待、DVが連鎖するかもしれません。
うちにたまった感情が他者にむかい、重大な犯罪をおこすかもしれません。心の傷の痛みや
、ネガティブな感情はその場だけのものではありません。そうした感情がうちにたまると、とて
もくるしい思いをします。
個人的な話になりますが、私の祖母は非常に低い自己イメージを持っていました。私の面倒
をみることで自分を満足させようとしていました。夜になるといつも私のところにやってきて、
私が冷えるのを心配して、服をきせようとしました。私は寒ければ自分で服を着ることもでき
ました。祖母は私が寒くないといっても私の意見を無視しました。私の能力は低く評価され、
意見は無視されました。
今でも実家にかえると、私のところに服をもってきます。18歳の少年にたいしてです。
こうしたことは子どもを過保護に育てる親と大差ありません。祖母と親では親のほうが
影響力はつよいでしょう。
他にも様々な祖母のおせっかいから私は低い自己評価を受け継ぎました。小学校に
はいって私はイジメをうけ、不登校になりました。親は無理矢理私を学校にいかせまし
た。中学校にはいって私は万引きをくりかえすようになりました。私にもうすこし力があ
ったら暴力を他人にふるって苦しみから逃れようとしたかもしれません。リンチによる殺
人事件をおこしていたかもしれません。
少年法で少年に重い刑がかせられない理由の一つに、大人より衝動をおさえる能力が
低いというものがあります。大人でさえつらいときアルコールににげたり他人にあたった
りするのに、17,8あるいはそれより幼い子どもが心の痛みからくる破壊的な衝動を抑え
るのは難しいとおもいます。
長崎で事件をおこした少年は、近所の人に「今、何時」とか、何回もきいていたそうです。
それはかまってもらいたいようだった、とテレビでインタビューを受けたひとがいっていま
した。私はその話しを聞いて、とても胸が痛くなりました。
私も人とふれあいがほしくて、小さい頃そういうことをくりかえしていました。自己評価が低
くそういう方法でしかコミュニケーションがとれませんでした。いつも寂しい思いをしていま
した。彼も不健全な環境のもとで育ったようです。
いくら彼がつらい思いをしたからといって、殺人が許されるとはおもいません。被害者の生
きる権利をうばったのです。しかし彼が悪人ともおもいません。彼にどのような刑が相応し
いのかわかりません。死刑でも仕方ないのかもしれません。私は彼に罪を償うに充分な刑
があたえられるのをのぞみます。そして、できるなら彼が心の問題を克服し被害者のかた
に心からの謝罪の念をもってほしいとおもいます。
加害者の親を責めるかたがいらっしゃいますが、彼らも問題をかかえています。家にか
えらず、仕事ばかりしている親は、自分は親として不十分だ、と思っているかもしれません。
私たちは様々な問題をかかえています。そして言い訳をして、めおそむけます。
人間の手になるもの、あるいは人間がゆがめてしまったものには、言うまでもなく
作為・不作為を問わず常に誤りや不完全さを伴います。本当に誠実な人は、そのこ
とを先ず認め、そして必要な範囲の現実全体を直視する過程で確認されあるいは
予想される諸々の問題を解決しようとします。いかなる分野・立場の人であろうと、そ
の姿勢を欠くことじたい既に、考えるための基本的な資格を失っています。これはき
わめて大事なことです。
人間は、言葉の生き物です。それは、法律家など専門家といわれる人々にしても全
く同じです。そして自分自身で、また他者とともに人間全体の関心対象について考え
るための基本の言葉はあくまで、万人に通用する普通の言葉です。専門家といわれ
る人々が使う専門用語と呼ばれる特殊な言葉は、対象をより厳密に深く追求する場合
に限って有用です。その分を超えると、専門用語はむしろ危険性を生じます。普通の言
葉の定義では対応できない場合にのみ、専門用語の定義が必要なのです。専門用語や
自分たちだけに通用する虚構の論理を、人々を煙に巻き、自らをも欺くために使うことは
、傲慢さと愚かさの為せる業です。まして、そういった職業的利害や面子、付き合いなどを
、人の命や愛、正義、財産などゆるがせにできないことより優先させるようなことは、むしろ
邪悪さから来ると言ってもよいほどの許されない業です。真に専門家と呼ばれるに値する
人なら、そのことを常に深く意識しているはずです。このこともきわめて大事なことです。
さて、少年犯罪に拘わらず、現実の犯罪の細かな態様は、千差万別という表現をも超え
るほどです。被害者と加害者、訴える側と訴えられる側という一つひとつの構図の裏には
、愛と憎しみ、血と涙、悲しみや苦しみ、身勝手な論理や残忍さやゆがんだ喜びや狂気(未
熟さとの区別は不可能)などの複雑な要因が関わり、最終的には、必ずしも単純ではない
善と悪との闘いという問題に戻っていきます。犯罪に関わる処罰と償いと更生の問題には、
一律的外形要因のみによるのではなく、容易に見えるとは限らない、隠れた要因にまで可
能な限り踏み込んで当たらなければなりません。そして、その解決は、被害側の救済と加
害側の処罰と償いと更生が、“正義の天秤”上で釣合いを保たない限り
少年犯罪の凶悪化に対応するため、警察庁は11日、これまで成人の容疑者に限ってきた
公開手配の対象を、19歳以下の少年にも広げることを決め、全国の警察本部に通達した。
犯行が悪質で再犯の恐れが高い場合には、似顔絵や身体的特徴を公表できるとし、
顔写真や氏名も『例外だが、全く公開しないわけではない』(警察庁少年課)としている。
同庁は、個別のケースごとに、公開捜査の必要性があるか都道府県警と協議して判断すると
している。
容疑者の特徴を公表し、市民から情報提供を求める公開捜査について、同庁は、
1998年の通達で、凶悪犯罪や社会的反響の大きい事件などを対象とし、
原則として容疑者が成人のケースに限るとしたが、少年事件に関する基準は示していなかった。
このため、容疑者が明らかに少年だったり、少年の可能性が少しでもあったりした場合には、
公開捜査はほとんど行われていなかった。
しかし、今月9日に公表された政府の青少年育成施策大綱に、『人権保護と捜査上の
必要性を勘案して、少年事件の公開手配のあり方の検討を行う』との文言が盛り込まれたことを
受け、警察庁は今回の通達で、『必要かつ適切と認められる場合には、例外的に許される』との
考え方を示すことにした。
公開が許されるケースは、犯行手段が悪質なうえ、再犯の恐れが高く社会的不安を与えた事件の
うち、公開以外に容疑者逮捕の方法がない場合とし、想定される犯罪としては、
連続殺人や連続婦女暴行事件などを挙げている。公開する情報の内容はケースバイケースで
判断するとしているが、氏名や顔写真の公開もあり得るとしている。
また、容疑者の身元が明らかでない少年事件の場合でも、防犯カメラなどに映った写真や似顔絵、
身体的特徴、音声など、捜査で得た資料を公開する。ただ、容疑者が14歳未満の触法少年の
可能性がある時には、防犯カメラの映像を似顔絵に変えるなどの配慮もするとしている。
2000年6月に岡山県で高校3年の少年が金属バットで高校の後輩や母親を殺傷した事件では、
県警は、逃走した少年を指名手配したものの氏名や顔写真は明らかにしなかった。
今年7月に長崎市で12歳の少年が4歳の男児を殺害した事件でも、
少年の姿をとらえた防犯カメラの映像は公開されなかった。
犯罪に走ってしまう少年の場合、心の奥深くにあるそうした内的経験に対する「怒り」
や「人間不信」の感情が非常に強くあるのですが、前述したような理由から、その感
情は何年もの間、本人の心の中でくすぶっていることが多いといえるでしょう。
そして、思春期に入り、抑えてきた怒りや人間不信がある時ささいな事をきっかけに
して、爆発してしまいます。これが俗に言う「キレる」です。
幼い頃からずっとおとなしく「良い子」だった子でも、ある時突然キレ、犯罪行為にまで
至ってしまうのは、そういう心のメカニズムからです。
しかも、それが十何年貯めに貯めてきた怒りなわけですから、噴き出してくるもの
は相当な勢いがあるはずです。彼らの犯罪の手口の残忍さは、このあたりにあるの
かも知れません。
そして、ここで重要なのは、犯罪の「動機」に関してです。
怒りの原因ともなった「心の傷」は、して欲しかったことを、してもらえないためにでき
た傷であったり、して欲しくないことをされたことによってできた傷であると書きました。
何かをされたこと(イジメや暴力など)によってできた傷は、因果関係がはっきりしてい
るようですが、本人が心の奥底に封じ込めていたり、明確に自覚できていなかったり
するので、必ずしも被害者がその経験と関係ない場合が少なくありません。また、
何かをされなったことによってできた傷というのは、もともとその原因が存在しないた
めに、こちらは因果関係が特定できないのです。ないものは探せないというのが道理
といえそうです。
従って、犯罪の動機が特定できず、「動機無き殺人」などといわれるのもこのためで
す。そして少年自身も、自分の心のそういう状態を自覚することができないので、何
故、自分が犯罪を犯したのかわからないし、聞かれても答えられないのです。
しつこく聞かれれば、何か答えるでしょうが、その答えは「人を殺してみたかった」と
言う風に真実が語られていないことが多いのです。
場合によっては、長い間の辛い経験から、心の動きが本来のように機能しなくなり、
その結果、善なる心が動かなくなり、怒りと人間不信だけが激しくうごめいている。
感情に限らず人生で体験する全て(外界)は「体験者がどんな固定観念を持っているか(内界)」を映し出す“鏡”に過ぎない。従って感情的な批判や非難は全て自己矛盾する
例えば、極悪非道な犯罪者に対して「あんな思いやりのない人間がいるなんて信じられない」などと責め立てる人ほど、その罪人の立場を思いやれていないように
何かと差別問題化したがる偽善者の心の中にこそ根深い差別心があるのも同様。内部に矛盾がなければ外部に矛盾を見る事はできない
人は100%、当人が与えた定義付け通りを体験する。「人生は必ずしも思い通りにならない」と定義していれば、正にその通りの(必ずしも思い通りにならない)体験をする
従って、繰り返したくない体験に出会ったら「どんな固定観念がこの体験を見せているのか」「その固定観念は執着に値するのか」と考えてみると良い。原因となっている観念を変えれば、似たような体験をしなくなる(変えなければ似たような体験を繰り返す)
「体験が先で観念が後、という観念」も含めて、常に「観念が先で体験が後」である。常に本人の現時点の固定観念が、過去や環境を定義している
個々人のみならず集団・社会においても観念は具現化する。グループ全体が抱いている観念はそのグループ内で起こる出来事となって現れる。例えば貧困は人々の中にある「飢餓への恐怖」、犯罪は「自己存在の喪失に対する恐怖」が顕在化したものである
全ては必然であり、起こるべくして起こっている。偶然や奇跡、運不運、矛盾、不合理、理不尽、不条理などは、その現象・物事の因果や必然性を理解(説明)できない人が言い訳として用いる概念に過ぎない
同じように「闇」も存在しない。存在するのは「知覚能力の限界」である。同様に「客観」も存在しない。存在するのは「共有された主観」である
真実は「人の数だけ」ある。「真実は一つ」は、数ある真実の中の一つに過ぎない。だからいつの世も「唯一の真実」に拘る人だけが、争いを通して己の矛盾を体験する
以上は、どこかの馬の骨が短い生涯の間に知り得た狭い視野から捻り出した独断と偏見の賜物、即ち単なる個人的主観である。真か否かを判断するのは貴方自身であり、いずれにせよ貴方は貴方が信じた通りを体験する
330 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 15:48:53 0
阪神大震災は笑えた!
死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
阪神大震災は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが震災にあってる間、家でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ神戸まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか知事や市長が自衛隊の救援要請を渋っていたけどさ、
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
今でも仮設住宅に住んでるやつがいるらしいけど、
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところで震災直後はあいつらってトイレどうしてたの?
もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
山口で親子が殺害された裁判で、裁判官が「裁判は復讐の場であってはならない」と言ったそうですが、
私は「裁判は復讐の場でなくてはならない」と思います。法律が、裁判が復讐してくれなかったら、
被害者やその家族はどうすればいいのでしょう?自分で仇討ちしなくてはならないのでしょうか?
あの裁判官は、もし自分が被害者の側に立ったら、それでも同じことが言えるのかしら?
「インチキ人権主義者」の人々は、加害者の更正の機会がどうのこうのと言うけれど、
世間に後ろ指さされることくらいで更正できないのなら、そんな人は最初から更正するなんて無理なのだと思います。
人を殺しておいて自分は生かされているのだからそれで十分ではないですか?
後ろ指さされながら生きる事に耐えられないなら死ねばいい。
彼らにはその選択の自由があります。
でも、被害者には選択の自由はなかったのです。
被害者にだって、これから未来があったのです。それらを勝手に奪っておいて、更正するために世間ぐるみで
協力してくれというのはちょっとムシがよすぎる気がします。
更正できないのなら、最初から加害者にならなければいいでありませんか!!
もし私の子供たちが被害者になったら?
考えたくもないし、考えられないけれど、加害者には、単なる極刑なんかではなく、想像できるありと
あらゆる苦痛を味わった跡で、「死にたくない」と叫びながら死んでいってほしいと願うでしょう。
加害者になったら?
それも考えたくもないし、考えられないけど、そうなることのないように、今から、命の大切さ、
悪いことをしたら必ず罰せられる、ということを教えていきたいと思っています。
今回の事件の後で、息子にも、どこに行っても絶対に私から離れてはいけない、といい聞かせました。
いつも行っているスーパーでお隣の売り場に行ってもいけない、と。
そして今度の事件のことを話しました。気をつけない悪い人は大人だけじゃない、子供にもいる、
犯人は中学校に行っているおにいちゃんだったと言いました。そして、「そのおにいちゃんは、
とても悪いことをしたんだから、ずっとずっと牢屋に入っているんだよ。おとうさんにもおかあさんにも
会えないんだよ。大人になって、おじいさんになって、死ぬまで、ずっと牢屋に入っているんだよ。
私には今年20歳と19歳とまだ小さい子がいますが、馬鹿な親子なので、被害者の親、加害者の親の
両方になってしまいました。
被害者の親になった事は(みなさんのようにとても残酷な辛く悲しい事ではなく、暴行や恐喝や根性焼きなどなど
なのですが)ありますが、自分の子供を殺された訳ではないのですが怒り、や「なんで??」と、とても複雑な思いで
今も民事の方で(刑事事件では、もう裁かれました)裁いて貰おうとしたり、弁護士と一緒に裁判をしている途中の段階です。
その他の件でも、恐喝の方は加害者の子供にも(当時18歳)その親にも会ったり電話で話したりしたのですが、
どうにもならずに私が告訴をして去年少年院に行きました。
でも、やはり謝罪(電話では母親が謝罪するとは言ってたのですが)はなくもちろん弁償もないので今やはり弁護士に
依頼して話してる最中です。
もう1つの根性焼き(煙草での故意にさせた火傷)の親も訳が分からない事を言っているので、
やはり弁護士に依頼して話してる最中です。
成人した加害者、未成年の加害者、そして加害者の親は、みんなちゃんとした謝罪がありません。
形だけの謝罪がある人もいましたが、話しにはなりませんでした。そしてやはり今だに謝罪のない人もいます。
正直、なぜなのか理解が出来ない気持ちで一杯です。
そして、複数の子供を恐喝して(子供が激しい恐喝にあってたので馬鹿だから今度は自分が恐喝を
してしまいました。)加害者の親になったのです。
今は子供も中等少年院を仮退院をして1年になります。
正直被害届が出てとても感謝しました。
「何か絶対にしてる」という確信は私はありましたし、逮捕してもらったのが子供が家でシンナーを
吸ってた時に自分で警察を呼んで逮捕をしてもらったのです。
毎日回りの人に危害を加えてると思い喧嘩もしたし怒鳴りちらして生むんじゃなかった」「出ていけ」など
親では言えない言葉を毎日のようにお酒を飲んで言っていました。
そんな馬鹿な親な私ですが自分でも「どうにかしないと」とは思っていたので被害届をだしてくれた被害者の方達には
本当に感謝をしました。
子供が逮捕されてまず1日目はショックで何も考えられなかったのですが2日目からは「やっと安心しておいと
おける所にいるんだから自分をまず考えてみよう」と思い3日目にやっと「お酒をやめよう、逃げては駄目だ」と
それだけしか考えられなかったのですが、この逮捕は子供がなにかを私に教えてると思い考え続けました。
そんな事がなければ分からなかったのですが、子供が非行に走ったのは絶対に親の責任です。なぜなら子供と
対等に話してないからです。
「親の気持ち」だけを話しているからなのです。
私はいつもいつも親の気持ちだけで話し、押しつけ、怒り、そして「なんでわかってくれないのだろう??
なんでこんなに悩んでるのに!!」と自分だけが悩んでると思いこんでしまい自分だけが苦しいと勘違いを
してしまい目の前の事だけで精一杯になり半分以上子育てを放棄してしまいました。現実や子供の叫びから
逃げてしまいました。
ですから子供は当たり前のように坂を転がり落ちてしまい、少年院に行きました。
もちろん、自分の更正、子供の更正はありましたが、捜査が終わったと警察から電話があった時に、
家に人がいて100%の謝罪は出来なかったのですが(二,三日後に100%の謝罪ができなかった事を謝罪しました)
「とにかく謝罪をしたい」と思い電話をして謝罪をしました。
その後も連絡がとれる被害者の親の方にも連絡をし、もちろん会ってくれる人達には会って謝罪をさせて頂きました。
その中で、この事件の事は自分が知っている限りは被害者の親の方達に話しましたし、もちろん審判の日にちや
結果など「知りたい」と言う被害者の親の方達には連絡をいれ結果を言いました。
その後、弁償や慰謝料などでなかなか上手くは(被害者の方の意思に添うような)いかなかったのですが、
誠心誠意(弁護士を入れて話しては?という意見も貰いましたが子供の罪は自分の罪です。
自分の子供が勝手に恐喝をしたのですから私の出来る限り自分で謝罪を続けたかかったのです)
自分なりに考え最後までやらせて貰いました。
もちろん少年院の仮退院の日も被害者の方達に連絡をしました。
その後も「本人と謝罪をさせて頂けないか」と連絡もしました。
少し前になりますが、夕方のニュースでこんな意見を耳にしました。
それは弁護士のもので、兵庫県で起こった少年と少女による、「タクシー運転手
殺害事件」についてのものでした。
その弁護士は加害者達についてこんな風にコメントしていました。
「この事件はねー、2人で逃避行って感じで、私なんかちょっと胸にきました
けどねぇ。若い頃ってこういう気持ちにになったことがありませんか?
あ、でもやった事は悪い事には違いありませんけどねー。」
主な意見がこんな内容で、しかも笑いながら言っていました。
この発言は『だけ』ではないのでしょうか?
弁護士だからといって全国ネットのニュースでこんなことを平気な顔をして
述べる。そして被害者の家族は少年事件だからと言って、蚊帳の外にされる。
少年事件に直接関わっている人間が加害者側にしかいないのに、これ以上
被害者の何を傷つけたいのか?と思います。
『だけ』が不平等だと言う方や考える方に質問します。
では、被害者だけが、なぜ命が亡くなっているのですか?
なぜ、被害者だけが、これからの人生がないのですか?
反対に生きているのは加害者だけですが、これは不平等ではないのですか?
起こっていることが元々不平等なことなのに、同じ壇上にあげる事自体が
間違っているんですよ。
被害者は殺される前は生きてても、今は亡くなっているから、終わったこと
だから無しにしろというんでしょうか?
前出の弁護士は、どう見ても少年の未来を案じて弁護をしているというよりも
どちらかと言うと、少年に媚びてお金を稼いでいるだけにしか見えません。
私も19歳になったばかりで子供と言われてしまう年齢です。でも、一般的に大人
の年齢の方達の意味もなく子供に媚びる行為が、何とも醜く、信用出来ないもの
か知っています。
少年犯罪者も、媚びる弁護士を見てせいぜい利用することしか考えないのでは
ないですか?逮捕されてすぐに「本人もよく反省しています。」なんて発表が
ありますが、どう考えても胡散臭いです。
犯罪を「若気の至り」風にしか扱わない、少年事件に関わっているすべての法律
や人間に人を裁く資格などないんじゃないでしょうか。
私が生に社会と接している、とは言えないでしょうね。人と付き合う事は苦手です
し、あらぬ疑いをかけられたとあれば相手が先生と言わず誰と言わず逆に怒鳴り返す
くらいしますし・・・。いつも図書室にいるような感じ。もちろん、親しい人とはとて
も親しく付き合っているのですが、そうでない人とのコミュニケーションは苦手、そ
んな人間ですよ、私は。
しかし、不合理な感情を受け止められない、それがなぜか、ここは法の問題だからで
すね。また、そうした感情も見て、心に留めるようにはしております。もちろん、た
だの噴出感情・私的意見を口を極めて非難したりする事は致しません。<もっとも、
以前はやっていた事は認めます>ただ、それが被害者の人権擁護にとっていい事なの
かどうかにはやはり疑問符がつきますね。
法律によって世の中を動かし、必要なら法律を改正する。これって、今の日本の鉄則
でしょう。また、法を第一義に考えなければならないからこそ、ここで、きちんとし
た観点からの議論をしよう、と言っているわけです。もし私の意見に分からない事が
ある、批判がある、そうなのならもっとびしびしと言ってくださって構いません。私
は気に入らぬ論客を悪魔化し・・・<前科はあるな・・・>ともかく、そうする事はしない
様努めますし、そうなっていたらまた指摘してください。
まず断っておきますが、私は別に浅野教授を「尊敬」しているわけではございませ
ん。反対の部分は報道とか破防法問題に関しては見当たらないんですが、国際問題と
なるとそうとは言えない部分もあるので、それだけは覚えといてください。そうそ
う、今度「冤罪−日本の黒い夏」公開されますね。浅野教授と河野さんは「松本サリ
ン事件報道の罪と罰」を共著するなど、結構一緒に行動する事が多いです。しかし、
こうした事を自分の事として考えると、はっきり言って最も現実味があって恐ろしい
ホラー映画のようなものになるのではないか、そう恐れています。冤罪を他人事と考
える人の中には、「制裁報道は民主主義を補完するための「村の掟」として是認され
る」<小林よしのり氏>等と言う事を平気で喋る人もいますね。少年問題も冤罪はよ
り問題となりやすく、以前その番組を見た時の事を投稿した事もありましたね。
人にはそれぞれ意見があって、それは1人1人違うものです。
私にも私の意見があります。賛成されない方もいると思いますが、
私の考えを述べます。
最近の少年犯罪はニュースできいても耳を塞ぎたくなるばかりです。
なぜ、そんな残酷なことが出来るのか私にはどう考えても分かりません。
他人の痛みが分からない人たち。それは少年ばかりではありません。
想像力のなさ、なのです。お腹を蹴ったらどうなるか、頭を金属バットで
殴ったらどうなるか、ナイフで切りつけられたらどのくらい痛いのか、
そういう事を考えることはあるのでしょうか。考えても分からないのか。
他人の痛みは自分の痛みとは違うものだとでも思っているのか。
それとも考えてみようともしないのか。笑いながらリンチができる人たち。
そういうニンゲンを私はどうしても普通の人間、感情をもった人間だと
思うことが出来ないのです。笑いながら人が殺せるなんて本当に
あなたは人として生きてきたのですか?と言いたい。そんな人が
ほんの数年、少年院に入っただけで、普通の人間になるなんて思えません。
私はそんな人には社会に出てきてほしくない。自分の周りはおろか、
大切な家族の周りに近づいてほしくない。一度殺人を犯した者は、
一生その罪を償って、そのためだけに生き続ければいいと思うのです。
生きて自分のしたことを本当に理解してから、絶望のうちに死ねばいいと
思うのです。殺されてしまった人はもう二度と戻ってこないのに、もう二度と
笑うことも泣くこともできないのに、殺した犯人はまたいつか自由の身に
なって、笑ったり泣いたりするのかと思うと、決して納得がいかないのです。許せな
いことなのです。
単なる感情論かもしれません。でも被害者のとっては決して消えることのない感情
でしょう。癒えることのない痛みでしょう。
それを、想像することを。もしこれが自分の家族だったら、と考えたら、
少年法改正に反対することはできないはずです。これでもまだ手ぬるいのです。加害
者の年齢がいくつであっても殺人は殺人として処罰するべきだと私は思います。
家庭のしつけとか親の権威とかといった事については
色々なところで色々な人が語ってますから、重複する事は書きません。
私の見聞したこと、私の知人が見聞したことを書きます。
・私が昨年、自宅のあるマンションのエレベーターに乗っていた時
40歳くらいの男性と10歳くらいの少年が乗ってきました。 2人の会話で親子だとわかりました。
少年は楽しそうに学校での出来事を父親に語っていました。
少年は、自分と友人達がどんなに授業中騒ぎまくり
暴れまくり、先生がどんなに困っていたかを楽しそうに
話していました。父親はそれを「ふーん、そうか」と微笑みながら聞いていました。
・私の知人が自宅で塾をやってます。通ってくる子供達と
休憩時間に色々な話をするそうです。まだ幼い子供達
の話にはやはり「お母さん」のことがよくでてくるそうです。
しかし、何人かの子供の話には「お母さん」という単語が
ほとんど出てきません。かわりにテレビに出てくるタレント
の名前がひんぱんにでてくるそうです。その子達は使う言葉
まで、タレントと同じで、小学校の3,4年生の子供が
深夜のお笑い番組のような言葉で話している様子は、 薄気味悪い、とのことです。
・前にも登場した、他県の高校教師が数年前に体験したことです。
数人の生徒が、たばこを吸っている現場を先生に発見され、停学ということになったそうです。
ところが、その停学の「申し渡し」をするため、親を学校に
呼んだ所、何人かの親は「忙しいから」「具合が悪いから」
と、来ることを拒みました。朝でも夜遅くても昼間でも
そちらの都合に合わせますから、と言っても、あーだこーだ
と理由をつけて拒み続けました。 学校に来た親たちも、・・・
ある親は「停学にされて子供が家にいたら仕事にも行けない。
停学にしないで学校で指導して欲しい」と言い、
ある親は「子供の教育を受ける権利の侵害だから、停学には
反対だ。授業を受けさせながら指導しろ」と言い
ある親は「ほかにもたばこを吸ってる生徒はいっぱいいる
のになぜうちの子だけ罰せられるんだ」と言い
ある親は「先生が校内を巡視していて見つけたというのは
最初から生徒達を疑いの目で見ている証拠だ。
そういう生徒を信頼しない学校が生徒を指導する資格があるのか」と言い、・・・・。
さすがに、このときは校長先生が切れて親たちを一喝したそうです。
そして、そういう言動をとった親たちの実態は、・・・
高校生の子供を連れてパチンコ屋に行き、一緒にパチンコしている母親、
子供の食事も作らず毎晩のように飲みに行く母親、
子供の部屋に入ることもできず、子供が部屋に友人を集めて
飲み会を始めると自分の部屋に閉じこもって布団に潜り込む父親、
口ではきびしいことを言いながら、実際には子供の言いなりになっている両親
生活保護を受けるほど暮らしに困っていながら、子供の
携帯電話の料金(1カ月に6,7万円以上)を黙って払っている親、
・・・・そして、そういう親が年々増加しているのだそうです。
このような「家庭」の有様に共通しているのは
子供から逃げている親、の姿です。
本当に真剣に子供と向き合わず、モノや金や情報を介してしか
子供と接しようとしていない親の姿です。
子供を育てるということは、「子供」の面倒を見るだけでなく
「子供」を「大人」にする、ということです。それは、
とても根気とエネルギーのいる仕事です。
多くの場合、子供に憎まれ、罵られ、攻撃すらされるでしょう。
子供にとって親は、最初に自分の前に立ちはだかる理不尽な大人
でなければならないのです。
そこから逃げ、子供に愛されたがり、いつまでも可愛い子供で
いて欲しいと願う親たちの姿は悲しいものがあります。
子供との楽しい暮らしは親が作り、
子供との苦しい戦いは学校や警察に「外注」?。
子供は定期預金のようなもので、
学校・塾に預けておけば何年後かに
しつけと進学・就職という利子がついて返ってくる?
もちろん、昔と今では家庭の状況も家庭を取り巻く環境も大きく変化しました。
だから、単純に「親が悪い」と言うのことはできません。
家庭の子育てをバックアップする社会環境が必要でしょう。
339 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 16:25:35 O
呪怨
刑罰における感情の肥大化、と言う物は公正な審理の阻害になると考えます<不公正
な裁判になど裁判としての権威も意味もないでしょう>。機械的に裁け、というつも
りでは毛頭ありませんが、<もっとも、機械の方が公正に出来るんなら機械にやって
もらうでしょうが>何度も言うように全ての事情をくみ、その中で軽視されがちで
あった被害者の側の意識を醸成しよう、と言うのが私の考えです。
感情って、刑罰の中でそこまで重視されてさてよいものでしょうか。感情のみに基づ
く刑罰など、リンチに他ならない、と言う私の考え方はさて違っているのでしょう
か。資本主義とか社会主義とか、また民事裁判と違い、人が人を裁く言うなれば神
<ここでは絶対力量者としての神>の領域です。裁くに当たっては裁く者の裁かれる
者に対しての絶対的優越が必要なんですから。もっとも、そんな神は存在してはくれ
ない、かと言ってやらないわけには行かないので人がやるわけですが、そこに踏み入
ろうとする人間が、裁く者、極論すれば神の代理人としての厳格さを忘れ、ただただ
感情のみに走ってその上での判決を出してよいものでしょうか?
とにかく被害者の感情だけ!という人を私は感情派と呼びますし、「被害者、犯人、
社会などのもろもろの利益を複合した上でそうすべきだ」と考え、またそうした攻め
ぎあいの上での意見を述べている人を私は感情派などと呼ぶ事は致しません<被害者
寄りだな、とは思いますがが>。また、逆の場合人権屋<人権「派」ではない>とも
呼びません。そこに多少の違いがあることは当然ですから。議論がまた一段進むだけ
の事です。そうした攻めぎあいが一致した時こそ、私が前回投稿した理想が成立した
時である、と考えております。<なお、「感情派」の反対語を敢えて申すならば、
「人権屋」です。>あと、私が我慢するのはそうした意見を公にして、感情だけを露にして突っかかるよ
うなやり方だけです。もちろん、理知的に見ておかしいと思ったらそう言うでしょう
が。死刑にして欲しいとか、思わない事があるでしょうか。そんな酷な事は私には出
来ません。出来もしない事をやらなかったからと言って非難したりはしません。た
だ、私は皆さん人間なのだから、前述の考え方に身を置く事が出来る、と考えている
のですが違うでしょうか。
341 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 16:31:04 0
(A)宮野 裕史:みやのひろし
S45.4.30生/この事件で唯一服役中だが法務省は
刑期満了前に保釈を検討中。出所に備え養子縁組して改姓予定
東海大附属高輪台高の柔道特待生。身長160cm
(B)神作 譲:かみさくじょう(旧姓は小倉)
S46.5.11生/出所後、再び暴行・監禁
事件を犯し裁判中。「1人殺すのも2人殺すのも同じ」と発言。
埼玉県八潮市中央4
(C)湊 伸治:みなとしんじ
S47.12.16生/自宅に被害者を監禁 渋谷区に潜伏?
父=靖人、 母=ます子、 兄=恒治 (両親は元共産党員)
埼玉県さいたま市南区南浦和3丁目から
千葉県市川市福栄2丁目に転居。現在は京都潜伏?
(D)渡邊 恭史:わたなべきょうじ
S46.12.18生/事件当時 姉は宮野の女
神奈川県横浜市金沢区六浦町在住?
(E)岩井 哲夫:いわいてつお(旧姓は中村)
S47生/酒場でこの事件をおもしろく語る。無反省
(F)垣東 孝一:かきひがしこういち(旧姓は伊原)
S48生/短い刑期のみ、出所後結婚して子供2人、
長女は小学校高学年。2005年2月さいたま市浦和区木崎に転居。
342 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 16:31:51 0
2ちゃんねるにて犯行に関わったとのたまう怪人物たち
浅野 コウジ → 千葉県松戸市幸田1丁目に在住。被害者に暴行、強姦に参加した。
中野で目撃情報(キャバクラの呼び込み)あり。
風貌は口の下に銀のピアスが有り、前歯がほとんどない。
ゲーセン&動物虐待が好きでいつも同じ服を着ている。
西沢裕司◆g3ABDh/dQk と名乗る。
木立 龍介 → 東京都大田区蒲田8丁目在住。神作のバイク仲間。
zvp00704のIDでオークションにて俳優の偽造サインを販売していた。
2ちゃんねるで犯行自慢した過去あり。サノディン ◆SANOBidPPE と名乗る。
岩澤 寛之 → 神奈川県横須賀市林4丁目在住。○イヤルホスト逗子店勤務? ホストとの情報も。
DDTという草野球チームにいたが、宮野の知り合いということで追放。
nobody_rides_for_free99の名でオークションにてコピーソフト販売。
◆V4T.oU6rRs ◆jvBtlIEUc6 のトリップ使用
343 :
少年法により名無し:2006/03/21(火) 16:32:31 0
女子高生コンクリ−ト詰め殺人事件で婦女暴行をした構成員を使う極東会
これが神農道精神?
http://www.geocities.jp/zenbo2005/ 下記2名は本件で懲役にも行っていない
無抵抗の女をよってたかって嬲り殺しにし、のうのうと組織であぐらをかく人非人
星 寿和 → 埼玉在住。 神作(小倉)と今も親しい。
被害者に対し、ライターで足首を炙るなど、数々の暴行、陵辱行為に及ぶ。
現在は暴力団事務所、極東会(新宿)に所属
都築 洋 → 同じく極東会所属。一時期、東とも名乗っていた。足立区綾瀬1丁目に住居。
※裁判記録より抜粋
1 昭和63年12月中旬ころ、被告人4名のほか極青会仲間の
星寿和(当時17歳)が湊伸治の部屋に集まっていた際、
被害者が「家に帰して。何でも言われたことをするから。」
などと哀願したところ、宮野がまず、被害者に命じて全裸になって
音楽に合わせて踊らせ、さらにオナニーをさせた上、続いて、
宮野、星、小倉および伸治において順次長さ30センチメートルくらい
直径3センチメートルくらいの鉄棒の先にコンドームをつけ、これを
被害者の陰部に各数回づつ挿入する行為をし、さらには、伸治および星において、
オロナミンCドリンクのビンを被害者の肛門に、前記の鉄棒を被害者の陰部に
同時に挿入し、また、宮野においてその陰毛をハサミで切るなどして皆で面白がった。
それから、宮野は、被害者に対し、「家に帰ったら母親になんて言うんだよ。」などと詰問し、
被害者が「今まで新宿で遊んでいました。」などと陳弁に努めるや、
「新宿で制服のままそんなに長く遊んでいられるかよ。」
などと言って、星と共に持っていたライターで被害者の足首等を焼き、火傷を負わせた。
※ ※ ※ 自演嵐の主な特徴 ※ ※ ※
(新人さんは必ず読んでね。嵐は他のスレにも出張するよ)
特徴)あちこちにコンクリスレを立てて好奇心を引こうとする
(最終的には自演しやすい少年犯罪板へ誘導)
特徴)「お前加害者か?」「お前○○(加害者の名前)か?」等のレスパターンが好き。
特徴)トリップHNが大好き
特徴)芝居がかった鼻息の荒いレスが多い
特徴)架空住人を作ってスレの95%を一人で埋める(ライフワーク)
特徴)加害者100人をやたら誇張 !
特徴)被害者に同情するレスも付けスレ住人を増やそうとする。
特徴)悪戯電話を要求するのが好き
特徴)関係者、情報通を装って妙な事を言い始める
(酷い時には日代わりで関係者を降臨させる事もある)
特徴)話にガンダムを絡めることがある。
特徴)有り得ない非常識さを晒すことがある
特徴)レスの前半の話と後半が繋がらない時がある。
特徴)面倒になるとコピペ (粘着し始めるとスレと無関係なコピペが増えてくる)
特徴)土日祭日平日関係なく一日20時間自演。
特徴)(荒らす時は)自分で自分を攻撃するレスを付け
『みんながやってる』
ように見せスルーを困難にする。
特徴)初心者を装ったレスで質問してくる。
特徴)古いアニメネタが多い(80年代後半〜90年代、集英社アニメ化作品が多い)
特徴)age房である
特徴)自身が管理人と思われるガセ情報発信サイトへ誘導する
PC向け
http://myweb.kingnet.com.tw/aoi102/no1.html ケータイ向け
http://myweb.kingnet.com.tw/aoi104/0kt12.htm ※基本的に幼稚だが時間と量にモノをいわせてガセや釣りの種まきをする。