16 :
少年法により名無し:
【 マスコミの「無期判決が見直される可能性が高い」などという報道を鵜呑みにしてはいけない 】
マスコミは、山口母子殺人事件について、「無期判決が見直される可能性が高い」などと報道をして
いるが、たしかに、死刑求刑事件以外の事件(民事含む)では、最高裁で弁論が開かれたら判決が変更
される可能性が高いと言うこともできるが、死刑求刑事件では決してそうではないのである。
検察が死刑を求めた上告した事件で弁論が開かれた例はあまりないため、「検察が死刑を求めて上告した事件
で弁論が開かれれば判決が変更される可能性が高い」ことを示すデータなど全く存在しないのである。
実際、2審無期判決を不服として検察が上告した事案(検事上告審)で最高裁において弁論が開かれるのは
99年以来7年ぶりとなるが、99年には2事件で弁論(国立主婦強姦殺人事件、福山女性殺人事件)が開かれお
り、そのうち国立の事件については、「審理を尽くしても死刑 がやむを得ないとはいえない」として上告棄
却の無期判決、福山の事件については、被告に無期前科があったことを主たる理由に破棄差戻の判決(その後
広島高裁で死刑判決・現在は最高裁で審理中)となっており、判決が分かれているのだ。
ここで、少年の重大事件の刑事裁判の最近の動向をみてみると、94年に起きた連続リンチ殺人事件で3被告に
死刑の判決(05年10月名古屋 高裁)が出るなど、近年、少年の犯罪に対してやや厳罰化の傾向にあることもあ
り、今回の弁論決定で、無期がほぼ決まりかけていた被告にとって不利な状況となったのは確かだが、上記事実
からも、それが破棄差戻につながるとするのは短絡的であり、むしろこの事件の場合は、(判断にあたっては最
大限慎重にならなければならない少年犯罪であり、一方で遺族の本村洋さんは死刑を求める運動を熱心にされて
おられるので)破棄差戻のための弁論と考えるよりも、双方の意見を聞き、被告の元少年に対する死刑の是非の
判断をより慎重に行うための弁論であると考えるほうが賢明である。
17 :
少年法により名無し:2006/03/17(金) 02:07:33 0
また、「無期懲役は軽すぎる」「更生の可能性を過度に考慮した判決だ」などというアナウンサーや
コメンテーターもいるが、「永山基準」に照らして考えると、「死刑が真にやむをえない」とまでは言
えず、無期懲役が相当であるとした1・2審判決は妥当な判決である。
(※死刑は永山基準に照らしあわせて真にやむをえない場合のみ合憲でありその適用ができるとされている。)
その(永山基準に照らし合わせると死刑がやむを得ないとは言えない)理由については、
犯行の動機は身勝手なものであり、犯罪行為自体も残酷で、遺族の被害者感情も大きく、また、
被害者の数及び犯行後の情状については微妙なところではあるが、1・2審判決でも認定されて
いるように、
1)犯行は周到に計画されたものではない
2)被告人には前科がない
3)当時18歳の少年
4)環境の不遇
(ここで、1)及び2)は被告の犯罪性が顕著ではないということを、3)は犯行当時、被告が未熟で
あったことを示し、4)についてはそれが少年の性格に影響を与えたというべき証拠とすることが
できる。)
これら1)〜4)の事実を考慮すると、「死刑が真にやむをえない」とは言うには疑問が生じ、また、
以下のこと(いずれも1審認定、2審追認)からも、永山基準の下で被告人に死刑を科すことはほぼ不
可能である。
・一般予防の見地からも死刑がやむをえないとまでは言えない。
・死刑の判決を下さなければ、過去の死刑事件との量刑の不均衡が生じるということはできない。
18 :
少年法により名無し:2006/03/17(金) 02:08:08 0
だが、それはあくまでも現行の基準の下での話であり、もし最高裁が破棄差戻(※注)の判決を言い
渡すのならば、その判決の中で「死刑の適用基準」を新たに示すということになるだろう。
基準を変更すれば死刑適用もたしかに可能である。
しかしながら、1983年以来、死刑の判断の場において長く定着してきた永山基準を改めることは、従来、
「永山基準に照らし合わせて考えると死刑の選択がやむをないと言わざるえない」場合のみに限って合憲である
とされていた死刑制度について、最高裁がその合憲性(合憲・違憲の境界)を変動的なものとみなすことであり、
その憲法的不安定性から、学者の批判のみならず、死刑制度そのもの正当性に疑問が生じるという結果にもなり
かねず、容易ではないというのが現実である。なお、憲法と人権の関係は本来安定的でなければならない。
したがって、これまでに述べたことより、マスコミの「無期判決が見直される可能性が高い」などという記述
(見解)は法に無知な者の意見であり、実際に被告が死刑になる可能性は高くはないということがわかる。
要するに、マスコミは、同じ少年事件である永山事件で(弁論が開かれ)破棄差戻になった例や、
もん じゅ裁判等の民事訴訟で(弁論が開かれ)破棄差戻になった例に当てはめて勝手に「判決が
見直される可能性が高い」と言っているのだけなのである。
(注※)
この事件の場合、死刑事件であることや少年事件であること、および1・2審では無期懲役の判決となっている
ことから、仮に最高裁が「死刑が相当である」と判断したとしても、破棄自判の死刑判決はありえず、さらに慎重
な審理を尽くさせるため、2審の無期懲役を破棄した上で、高等裁判所に「死刑相当」という意見をつけて差戻
という形となる。