女子高生コンクリート詰め殺人事件(本スレ)66

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30少年法により名無し
 事件後、池田は1人で理境坊の2階にあがって行き、しばらくして降りてくると、下で待っていた北条、森田、秋谷らに対して
「戸田先生が、追撃の手をゆるめるなといわれた」と、さらに宗門を攻撃するよう戸田先生が指示したかのように告げたのです。
しかし戸田先生は、所化・小僧さんを、「この中から将来の猊下がお出ましになるんだ」と言って、毎年、理境坊に招待し、御本尊様の前の上座に並ばせ、
自らは下座から、1人1人に恭しく新調の衣を差し上げるほど、若い修行中の僧侶を大事にされていました。
 ですから戸田先生が僧侶暴行事件の報告を受けて、「追撃の手をゆるめるな」などと発言されるはずがありません。
 実際、戸田先生を4月1日、東京の病院に移すため付き添った小泉隆理事長に対して戸田先生は
「猊下に申し訳ない、猊下に申し訳ない」と何度も繰り返しながら、下山されていったのです。
 後に小泉は私に「あの豪毅な戸田先生が、あの時はまるで子どものように、
何回も何回も『猊下に申し訳ない』と謝られていた。どうしてなんだろう」と語りました。
小泉は事件当日、東京に行っており不在でしたので、池田が引き起こした暴行事件を知らなかったのです。

●また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。(戸田会長・昭和30年12月13日、関西本部入仏落慶式)
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唯授一人の法水写瓶を信仰の根本だと考えていた戸田会長が「衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。」などと発言するはずがない。
もし、そんなことを発言していたとすれば、会員に対する指導と正反対となり、妄語の罪を形成する。世法上も信仰上も許されない大罪となってしまう。
現在の創価学会は日顕上人を、衣の権威で、学会員を奴隷のように扱い、切り捨てた「天魔」と非難しているが、
『人間革命』第12巻の戸田発言は、まるで今日の創価学会の主張を先取りするような内容になっている。
この『人間革命』第12巻が執筆、刊行されたのは、日蓮正宗が創価学会を破門した後の平成4年から5年にかけて。
おそらく池田は戸田会長の言を利用して、創価学会の日蓮正宗攻撃を正当化しようとしたのだろう。