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少年法により名無し:
【的場事件】
昭和33年3月28日、池田は大石寺の境内で、大石寺の所化頭である的場正順師に対するリンチ集団暴行事件を引き起こした。
この事件は、日蓮正宗宗門に対する威嚇・威圧のために池田氏が、側近の星野義雄登山部長らの青年部員と立案、実行したもので、
大石寺内事部で修行している所化・小僧を統括する立場にある所化頭の的場師を、大石寺境内を流れる潤井川の水に沈め、暴行を加えたというものである。
事件があった日は、戸田先生の病状はさらに悪化し、理境坊の2階にふせっておられました。
小泉隆理事長らは戸田先生を東京の病院へ移送するために帰京していました。
そうした大石寺に突然、池田が腹心である北条(浩・後に理事長、会長)や森田(一哉・現理事長)、秋谷(栄之助・現会長)、星野登山部長らを連れて登山してきたのです。
池田は重篤の戸田先生を理境坊に見舞うこともなく、いきなり「これから所化頭の的場を徹底的にやっつける。
彼は大変素行が悪い、小僧さんをいじめる、こんなことではこれから学会員の子弟は僧侶に志願しなくなってしまう。
だから断固として粛正するのだ」と言って、大石寺の内事部に押し掛け、「的場を出せ」と怒鳴り散らし、
3時間後に、出てきた的場師を六壷において大勢で吊るし上げたのです。
その後、的場師を潤井川の川原へと連行していき、自ら裸になった的場師を青年部員に担ぎ上げさせて冷たい水の中に頭を何回も押し込ませたのです。
午前8時に始まり午後5時に終わった一連の暴行事件の指揮をとった池田の形相は、これまで誰にも見せなかった険悪なものでした。