♪♪マターリで小班雑談♪♪第50章

このエントリーをはてなブックマークに追加
896箪笥二ゴン ◆dldi7T7NRA
相手のことを会話で理解することはできるのだろうか?
たとえば「相互理解」など可能なのだろうか?
「理解」は意味に集中するのだろうか?
私ははそうは思わないのです。
会話は意味を作り出し、生成していく積極的な作業形態です。
会話によって、笑い、喜び、悲しみ、怒り、
または、真実が、判断が、決断が呼び起こされる形態です。
世界を構築し、閉じていた世界に時が流れ、展開していく。
それが会話の意味なのです。
私たちの、この語り合いたいという要求は、
もしかすると、そういう人間の本能の、
その余剰から生まれたのかもしれませんね。
理解、とは「人」を理解することではなく
ただ「言葉」を理解することだと思います。
直感的には、意味を知るだけのことだと思います。