いじめは今の社会にとって必要か否か

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859中村情苦
>>857
wwwわかったよ。もう水洗便所の話はもちださないよ、たぶんWW
アメとムチだっていちいちあげるの結構疲れるんだよ。特に日本はバランスがわからなくなった・・・
ある猫はブクブク太るし、ある猫はたたきすぎて死んだ。そのアンバランスのさいたる例が「教育」
そして「イジメ」。現代に飲み込まれたすべての強者の迷いが具現化したのが「イジメ」である。
だから「イジメ」はアメとムチではないし、だから「イジメ」は必要ではない。
今の強者はアメとムチの使い方もわかっていない。親(家庭内強者)は崩壊し、自分の子を放任(アメ)するか虐待(ムチ)するかである。
「強者はその支配している弱者以上に奴隷である」とはルソーの言葉である。イッポン!?
・・・現代はこれらの要因から個人主義に、自分で自分にアメを与え、自分で自分をムチ打たなければならなくなった。
しかし、人間とは自分に甘いし弱い。そこでお互い確認し合う批判の精神が必要というのが定説(日本の思想に書いてあるのだが、戦後知識人は嫌い)・・・
その定説も崩壊した今、私は人をスポイル(イジメ)するシステムを組み替えなければならないと思う。強ければ勝手に野にでも帰ればよいのだ。
人は弱者だからこそ社会をつくったんだから、その人間の摩擦熱でどうにかしていくしかない。アメは甘い。ムチは痛い。と、もう一度初めに戻って人間の感覚を確認していくしかない。
人をイジメると痛い。そういう感覚がマヒしたのがまさに現代社会なわけだ。