アナスイだが・・・

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このような児玉家に対する妬みや反感も多かった。家の塀には「ころしてやる」と落書きされた。生意気だという近所の老人もいた。児玉家を貶めるための、根も葉もないデマがまことしやかに囁かれた。事件に対して、「あそこの育て方なら当然」という近所の主婦の声もあった。容疑者の身内の子どもたちは、児玉家の玄関前で有平君の妹をとりかこみ、「兄ちゃん殺されてうれしいか」と罵った。第一節で筆者が中学生のために行った代弁は、「いじめ」を「殺し」に置き換えれば、そのまま地元の大人たちにもあてはまる(「現実」には事件の事実関係は、何から何までわからなくなっている。だが、筆者が聞き取りをした地元の人たちの体験構造のなかの「記号」としては、事件は「殺し」である)。
 「遊んでいただけだ」と「やった子どもたち」を弁護する近所の主婦は、有平君の死を「飼っていた虫をうっかり死なせたようなものだ」と言う。「人間の死に重みを感じていない」と記者たちに言われて、彼女は憤懣やるかたない。筆者はよく地元の人から、「せっかくおさまってきたのを、ほじくりかえすな」と言われた。だが「裏切り者」に対する憎悪はもっと激しい。明倫中のある父兄が事件に関して正義派的な発言をした。すると、その妻が学校関係の母親の集まりで執拗な嫌がらせや集団シカトをされた。彼女は、精神的なショックで耳が聞こえなくなってしまった。

(1995年 『季刊 人間と教育』第7号、労働旬報社: p.70−82より)