1 :
作者の都合により名無しです:
鳥山さんは闘う相手だった 冨樫義博
この龍球通信の鳳が私だそうですが、褒め称える大合唱はたくさんあっただろうから、
それに声を揃えて一緒に大合唱をする気は、ぼくにはないです。
要するに、鳥山さんを親だと言っている連中に比べてずっと深く、
関わっているんだと思います。
闘わなきゃいけない相手で、尊敬して神棚に置いておく相手ではなかった。
鳥山さんにとっては、全然相手にならないものだったかもしれないけど。
やはりこの職業をやっていくときに、あの人は特別だと言って聖域にしておいて仕事をすることはできませんでした。
まずぼくが鳥山さんの影響を強くうけたという事実がある。
大学生のころのぼくは、まんがの中では彼の作品が一番好きでした。
アラレの最初のころの彼のまんがが持っていた悲劇性は、子ども心にもゾクゾクするほど怖くて、
魅力がありました。アラレも悟空も、基本的に悲劇性を下敷きにしていたでしょう。
悟空は後期になって変わってゆくけど・・。
それから、自分でまんがを描かなくてはいけないと思ったときに、
自分にしみこんでいる鳥山さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。
ぼくは全然真似した覚えはないし実際似てないんだけど、描いたものが鳥山さんに似ていると言われました。
それは非常に屈辱感があったんです。
模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。
それに、鳥山さんに似ていると自分でも認めざるをえなかったとき、
箪笥の引き出しにいっぱいためてあったらくがきを全部燃やしたりした。
全部燃やして、さあ新しく出発だと心に決めて、基礎的な勉強をしなくてはとスケッチやデッサンを始めました。
でもそんなに簡単に抜けだせるはずもなくて・・。
2 :
作者の都合により名無しです:2006/06/29(木) 15:20:38 ID:KupEQxOB0
本当に抜け出せたのは、レベルEのころですね。幽遊白書を終えたころに、ひとつの別の流れがあったから、
その中で自分なりの方向を漫画家として作っていけばいいとわかった
漫画家としてというのは、キャラクターを自分の持ち物にすることではなくて、
それをどうやって動かすかとかどうやって演技を表現するかという、
動きを追求することのほうが自分にとって問題になっていったから、
いつの間にか絵がだれかに似ているかということはどうでもよくなっていきました。
それに、影響といえばぼくはまず、てんで性悪キューピットのころから、
山田風太郎先生から荒木先生に流れてきた一種の伝統のようなものの影響下にあると思うし、
他にも白土三平の考え方に影響を受けたり、そういうことは無数にありました。
ほかにも、福島鉄次という「砂漠の魔王」を描いた人には、一時期鳥山さんよりも激しくマイっていましたから。
3 :
作者の都合により名無しです:2006/06/29(木) 15:22:02 ID:KupEQxOB0
ぼくが、いったいどこで手塚さんへの通過儀礼をしたかというと、彼の後期の漫画を何本か読んだときです。
漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる「サンドランド」や「カジカ」という作品では、
それらが持っている安っぽいペシミズムにうんざりした。
かつて鳥山さんがアラレの初期のころ持っていたペシミズムとは、
質的に違うと思って−あるいはアラレのころはぼくが幼かったために安っぽいペシミズムにも
悲劇性を感じてゾクゾクしただけかもしれない。
その辺はもう確かめようがありませんが。要するに、残骸がそこにあった。
いくつかある小さな引き出しの中で昔使ったものを開けてみて、
ああこういうものもありましたよ、と出してきて作品に仕立てたという印象しかなかったんです。
意図的に敵を作り出し、それで感動させようという鳥山明の”神の手”を感じました。
−それは、「カジカ」や「ネコマジン」へと一連につながるものです。
昭和年代の作品では作家のイマジネーションだったものが、いつの間にか手管になってしまった。
これは先輩から聞いた話ですが、「ドラゴンボール」の製作で鳥山さんが
挿入するエピソードとして、孫悟空が地球最強のピッコロ大魔王を倒した跡に宇宙からの戦士が現れる
という話を主張したという。けれどなぜその敵が存在しなくてはならないかという理由は、
ないんです。
ひと言「そのほうが感動するからだ」と鳥山さんが言ったことを伝聞で知ったときに、
もうこれで鳥山明にはお別れができると、はっきり思いました。
ぼくの鳥山明論は、そこまでで終わりです。
そのあと、アニメも通して彼がやったことは何も評価できない。
劇場版の仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。
いちいちそれを言葉に挙げていうのはしんどいから言いませんが、
「激突!100億パワーの戦士たち」も、何だこの映画と思ってみていた。
「燃え尽きろ!!熱戦・烈戦・超激戦」も、冒頭で銀河を破壊してしまうあたりあたりに、破綻を感じました。
それまでさんざんセルが一所懸命太陽系を破壊する云々やっていて、
何が銀河だと思って、その辺に鳥山さんの虚栄心の破綻を感じたんです。
4 :
作者の都合により名無しです:2006/06/29(木) 15:23:39 ID:KupEQxOB0
全体論としての鳥山明をぼくは”今日自分たちが仕事をやる上での流れを作った人”としてきちんと評価してい
るつもりです。だから、公的な場所では「鳥山明」と彼のことを書いていました。
ライバルではなく先達ですから。「伊藤博文」と書くのと同じで過去の歴史として書いた
とにかくそういう評価は間違ってないつもりです。
だけどドラゴンボール後期以降に関してはこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが
これまで鳥山さんが喋ってきたことというのは、みんな間違いです。
なぜ、そういう不幸なことがおこったかと言えば、鳥山さんの初期の
まんがをみればわかるように、彼の出発が手塚治虫だったからだと思います。
そこに彼は独自のストーリー性を持ち込んだ。
持ち込んだけれど、世界そのものは手塚治虫にものすごく影響されたまま作られ続けた。
結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。
だから、「アトム」を超えなきゃいけないとか「雨降り小僧」を超えなきゃいけないとか、
そういう強迫観念からずっと逃れられなかったとしか思えない−ぼくなりに解釈すれば。
興味としてみればわかるんです。趣味でやったんだと思えば・・・・。
ネコマジンを見て天皇崩御のときより”昭和”という時代が終わったんだと感じました。
彼は猛烈に活動力を持っている人だったから、人の三倍やってきたと思う。
漫画家として天寿をまっとうされたと思います。
5 :
作者の都合により名無しです:2006/06/29(木) 17:29:07 ID:zlliQ6eAO
うはwwwwwwww
6 :
作者の都合により名無しです:2006/06/29(木) 17:31:20 ID:pI7j7smf0
まともに原稿もあげれらない奴が何を偉そうにヌカしてんだかw
あのなぁ、
>>3で手塚氏の名前が残っているぞ。
元の発言者誰だっけ。
うまい改変だが、所々意味不明な部分があるなw
あげ