ザクが男塾に入ってから1年が経過した。課外授業は毎日行われ、技術の習得に貪欲なザクは真綿
が水を吸い取るように、ぐんぐん技を吸収していった。
とはいえ、やはり『機』も『気』もその奥は深く、ザクはこの1年間基礎技術の習得にいそしむばかりで
あった。とても奥義の習得にまでは至らない。
そんなある日、ザクは江田島に呼び出され、もはや使われなくなった3階建ての木造の廃校の前へと
姿を現した。割れずに残っている窓ガラスは一枚たりともなく、壁は腐り、所々板がはがれている。
――こんなところで一体、何をしようというのだろう?
ザクは辺りを見回した。ふと気がつくと、足元に江田島平八が立っていた。
――塾長、いつのまに……
「この校舎は取り壊すことになった」江田島は唐突に話しを切り出す。
「だが、経済的に苦しい我が男塾では取り壊しの費用さえ捻り出すことが出来ん。そこでだ、貴様への
奥義伝授のついでとして、わし自らがこれを解体することにした」
――奥義、伝授?
「いかにも。これからわしが見せるは『気』を使った奥義中の奥義。たかだか数年で習得できるとは思っ
てもいないが、これから幾年も幾年も修行を重ねることで必ずや習得してみせい。……ザクよ、さがれ」
江田島の言葉に従い、ザクは数歩後ずさりする。一体どんな技を繰り出すというのだろうか。
この校舎を、ただ一撃の技で壊そうというのか?
江田島は腰を低く落として上体をひねり、右腕を大きく後ろへ引いた。そして、フォー、フォーと大きく息
を吸い、吐く。息を吸い、吐く。
江田島の生命エネルギーが拍動しているようにザクは感じた。そして江田島が叫ぶ。
「見よザク!これが奥義『千歩気功拳』である!!」
江田島が右拳を繰り出すとともに、そこから唸りをあげて巨大な青白い気の拳が放たれた。千歩気功
拳は木造校舎に直径10mもの大穴を開け、校舎は音を立てて崩れ落ちていった。
――すごい。これが『気』の力なのか。
「この『千歩気功拳』は習得するに並みの天才で10年、このわしでさえ3ヶ月を費やす技である。だがザク
よ、貴様は出来るだけ早く、そして確実にこの技を身につけねばならない」
江田島は崩れる校舎からザクへと向き直った。
「ザク、範馬勇次郎への憎悪はいまだ消えていないな?」
突然の問いだった。だがその言葉に、ザクの体内のオイルは沸騰せんばかりに熱くたぎる。久々に耳
にした『範馬勇次郎』の言葉に、脳は焼けついた。
――当然です!あいつは、あいつは……くそっ、あいつは俺のすべてを奪ったんだッッ!!
「そうだ。彼奴を倒すために貴様は男塾の門戸を叩き、入塾したのである。その気持ちを忘れないまま、
貴様に聞いてもらいたい話がある」
ザクは桃色から赤に変わった単眼で江田島をにらみつけた。
――何です?
「今より30年後、地球を未曾有の危機が襲うと中国の古文書に記されている。『真苦露西手意』。それが
災厄の名である」
――真苦露西手意……
「天変地異が世界中を襲い、それに乗じて世界制服をもくろむ悪魔どもが次々と台頭する。まさに世界の
終末時代の到来である。そしてその『真苦露西手意』の鍵となる男が、あの範馬勇次郎なのである」
――勇次郎ッッ!!
口元の排気口から「フー」と、吐息に似たものが漏れる。
――塾長、分かりました! その『真苦露西手意』とやらが起きた時、俺に勇次郎を倒せとおっしゃるの
ですね!
「いや」江田島は首を横に振った。「違う」
――違う、と申しますと?
「わしはな、ザク。貴様には『真苦露西手意』そのものに立ち向かう、世界の救世主となってほしいのだ」
ザクは当惑した。復讐のみを考え生きてきた俺が、世界の救世主に?
――どういうことです?塾長。
「近い未来、『真苦露西手意』に抗うために多くの戦士達が生まれるとの事も古文書に書かれている。
その戦士の中にはザクよ、お前も含まれておる。各々の戦士達は、己が敵と闘うことで手一杯という状態
になるだろう。そうならざるをえないのだ。だがザク、お前のその力は打倒範馬勇次郎のみに用いられる
には余りにも強大すぎる。……自己再生、自己進化。ノヴァが造り上げたイマジノスボディの力をもって
すれば、『真苦露西手意』の刻に現れる数々の敵どもを葬ることが出来るのではないかとわしは考える。
ザクよ、来る時にはその力をもってして悪鬼どもと闘ってはもらえんか?」
1拍、間が空いた。それからザクがこぼす。
――俺に、世界を救えとおっしゃるのですか?
「貴様ならば可能である」
口元の排気口から空気が漏れる。ザクは右手を胸の前にあげ、握った。
――冗談じゃない。俺は範馬勇次郎を倒すためだけに修行を重ねているだけだ!俺は、俺はただ死ん
だみんなの仇をとりたいだけなんだ!『真苦露西手意』など知ったことか!
「このッ」
江田島平八が跳んだ。垂直に、17メートルを。
「馬鹿者がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
繰り出された右の鉄拳がザクの左頬に深々とめりこむ。常識的な鋼材をはるかに凌ぐ硬度を持つイマ
ジノスボディさえも容易に破壊する一撃だった。
痛覚が存在しないために痛みは感じなかったが、ザクは確かに頬を殴られたような感覚をおぼえた。
突き刺さった拳を引き抜き、江田島は身を翻して着地する。その表情は憤怒に歪んでいた。
ザクは大きくひしゃげた頬に手をあて、江田島を見下ろす。
――塾長……
「貴様には分からんのか!『真苦露西手意』が起きてしまえば、貴様らファミコンウォーズのような悲劇が
世界各地至る所で引き起こされるのだぞ!!」
その言葉に、ザクはハンマーで直に脳を殴られたようなショックを受けた。
――俺達の身に起きたことが……世界中で引き起こされる?
「そう、世界中でである」
江田島は腕を組み、厳格な面持ちで答える。
「だからこそわしは、残酷な運命を背負わされた貴様なればこそ、『真苦露西手意』に立ち向かえると
考えたのである。分かるな?ザクよ」
――俺は……
頬にあてた手を目の前に持ってくる。微かに震えていた。
――俺はどうすればいいんだ?塾長の言うとおりに闘うべきなのか?誰か、誰か教えてくれ!
『お前の……』
ザクは、はっとした。今、確かに聞こえた。サムスの声が。俺を後押しする、死んだ皆の声が。
『お前の正しいと思った道を歩めばいい。私達が望むのは、それだけだ』
震える手を握り、ザクは決意した。分かった。俺は範馬勇次郎を倒す。だが、それだけじゃない。
サムス達とはもう生きては会うことはできない。だけど、もうこれ以上俺達のような悲劇の犠牲者は出し
ちゃあいけないんだ!
ザクは江田島を見下ろした。
――塾長、俺は決心したましたよ。勇次郎は倒す。だが、『真苦露西手意』も阻止する。きっとそれが俺
の運命なんだ。
江田島は満足げに笑みを浮かべ、うなずいた。「決心してくれたか」
ザクはヒートホークを天高く掲げ、自身の心に誓った。
――人知を超えて荒れ狂うのが運命ならば、俺はそれに抗う!人の心と機械の体と刃で!