■アイシールド21■33rd down

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226DB完全版の村田コメント(1)
ぼくにとって少年漫画とはドラゴンボールのことでした(←太字のタイトル)

僕は幼少期、親からマンガを買いあたえられるという事が、全くといっていい程ありませんでした。
(TVアニメもみせちゃくれません)

そんな中で、僕がわずかに触れる機会のあった漫画が、友達が持っていた単行本『ドラゴンボール』。
比喩的表現でも何でもなく、僕の知る少年漫画は『ドラゴンボール』しかなかったのです。

そして漫画家となった今読み返すと、「多感な時期にわずかに触れた少年漫画がこの作品
だったことが、いかに幸せな事だったか」つくづくかみしめるのです。

6歳ぐらいの頃、初めて読んだ時の衝撃は大変なものでした。
まず打ちひしがれたのは、その絵の美しさ、格好良さ、かわいさ、緻密さ、月並ですが
「あぁ、こんな上手く絵が描けるようになりてぇ〜」とまず思いました。その後18年間、
想いは変わらず今に至ってます。もう恋焦がれてると言っていいです。クレイジーです。
こんな事いっていいのか判りませんが、作画を生業にしている今も、鳥山漫画のサルマネの域から
一歩も外に出ていない事を自認しています。仕方ないんです。僕の原点であり、理想ですから。
227DB完全版の村田コメント(2):03/04/16 19:34 ID:c/MS0MDk
中学の時、周りから「お前の絵、ドラゴンボールそっくりじゃん」と言われ、
意識的に鳥山作品を遠ざけた時期もありました。暫くして画風も劇画調になり、いい加減、
鳥山タッチも忘れただろうと思っていた頃、いざ連載がはじまってみると、
たちまち「ドラゴンボールのマネ」と言われた頃のタッチに戻ってしまいました。

もうこれは、ひれ伏す他ありません。そりゃ、開き直りもするってもんです。
僕の根っこに、いかに深く『ドラゴンボール』の影響が刻まれているか思い知らされた次第です。
多分これから先も、僕は鳥山先生の絵を理想に掲げ、仕事を続けて行きます。
そして恐らく、これから先も『ドラゴンボール』を呼んで漫画家を志す人は、いつもどこかにいるはずです。

僕の人生を変えたこの名作のパワーは、いつの時代にも絶対通じるものですから。