尾田栄一郎は今年で27歳。
中学、高校時代、周囲にはマンガのほか、ゲームや映画、ビデオなども溢れていた。
ゲームクリエイター、映画監督など、夢は広がっていったはずだ。
なぜマンガ家を目指すことになったのか?
尾田に改めて問う。
「映画だと公開して終わったブームが終わる。ゲームもそう。
だけど、マンガは一本のヒット作があれば、連載開始から終了まで、
ものすごく長い期間ブームが続く。
その間ずっと、ひとりの作者が大勢の読者を“振り回す”。
そんな可能性を秘めたマンガ家の力ってものすごいな、と感じていました」
尾田栄一郎自身、あるマンガ家に存分に振り回された。
そのマンガ家とは、『DRAGON BALL』の鳥山明である。
「中学時代、学校がつまらないと思っていても、
明日がジャンプの発売日だと思うとそれだけでうれしかった。
『DRAGON BALL』でクリリンが死んだときは、学校中が大事件でした。
現実のニュースなんかより大事件。
だれかがジャンプ持って『クリリンが死んだーっ!』って、廊下を走り回っていた(笑)。
そこまで人の気持ちをつかんで、
揺さぶってしまう鳥山明というマンガ家はなんてすごいんだ、って、
強烈なあこがれを持ったんです」
鳥山明へのあこがれは、マンガ家への夢を喚起させてくれただけではなく、
尾田の作風にも微妙なるヒントを提供した。それは動物だ。
『ONE PIECE』の物語中や、トビラ絵の中にも、奇妙な動物たちが数多く登場する。
「鳥山明先生の絵は衝撃的でしたね。なんて絵がうまいんだろうと。
なかでも、鳥山先生の描く動物に惹かれた。
キャラクターの指の先まで、完ぺきに意識が行き届いている。
ボクは、もともと動物や恐竜を描くのが好きだった。
小さいころ、
近所のおばちゃんに買ってもらったこの恐竜図鑑がいまだに捨てられないんですよ。
もしかしたら、この本がボクの絵を描き始めた原点なのかもしれない……」
年季を感じさせるその本には、なるほど、
最近つけたらしい付箋がページのそこここに貼られていた。
子ども時代に手に入れ、何度も模写した恐竜図鑑を、現在も大事に扱い、
仕事にまで使っている。
やはり彼は特別な人物、マンガ家になるべくしてなった人物である。
尾田栄一郎は成長し、将来の職業というものを、まじめに意識し始める年ごろとなった。
「中学三年生のころ、はじめて本格的にマンガを描いてジャンプに応募したんです。
二回目に応募したときに最終選考に残って、
ジャンプから『ネーム送ってみてよ』っていう電話があって……。
でも、そのときネームの意味がわからなかった(笑)」
ネームというのはマンガ用語である。
通常マンガ家は、下描きの前にネームを描く。
マンガ家ごとにどの程度まで描きこむかは差があるものの、
ノートなどにページごとのコマ割り、ストーリーの流れ、
ふきだしとセリフなどを描く作業である。
それを編集者が見て、チェックをし、修正を加えてから、下描きに取りかかるのだ。
「ネームを描かなくちゃいけない、というめんどくささが当時は信じられなくて、
そのままになっていたんですが、手塚賞に入選してからですね、
お話を考えられなければ、マンガ家になれないと気づいたのは」
その後、本格的に編集担当についてもらうことになる。17歳のときだ。
「ネームの描き方とか、マンガの基礎を教えてもらって。
そのころの自分って、まだ好きな絵を描ければいいというレベルだったんですよね。
話がおもしろいかなんて、あまり気にしてなかった。
絵がうまければ、マンガ家になれると思ってた」
そして、尾田栄一郎は最初の壁にぶつかる。
「ショックだったのは、周りの受賞者に比べて、自分は絵がヘタだって気づいたこと(笑)。
これまでの絵を見返して、なんてヘタなんだろうって思った」
だがそれくらいの壁で、尾田栄一郎はマンガ家の夢をあきらめない。
「その後、なんとなく大学の建築学科に入ったんですけど、
こんなのマンガ家になるのになんの役にも立たないんじゃないかと思えてきて、
19歳で中退しました。
上京して、さっさとマンガ家の下積みを始めようと……」
東京でのマンガ家になるための生活が始まった。
まず尾田栄一郎は、さまざまな連載マンガ家のアシスタントを経験することとなる。
特に『るろうに剣心』の和月伸宏のアシスタントをしたときに知り合った仲間たちとは、
現在でも深い交流があるという。
「いまでも連載の合間にちょっと集まって、ワイワイ語り合ってます。
経験上、アシスタントには二種類のタイプがいるんですよ。
マンガについて、語る人と語らない人。
『るろうに剣心』のアシスタント仲間は、みんな語るタイプの人たち。
マンガに関して熱く語り合って、みんなプロのマンガ家になった」
その仲間たちとは、
『シャーマンキング』を現在も週刊「少年ジャンプ」で連載中の武井宏之、
『ノルマンディひみつ倶楽部』に続き、
新作『グラナダ―究極科学探検隊―』の連載がスタートしたいとうみきお、
そして若くして亡くなった『少年探偵Q』のしんがぎん、といった面々だという。
「こういうことをやったら読者はこう思うだろう、というようなマジメなことから、
なんで子どもはうんこが好きなのか、ということまで、一晩中真剣に語り合ってましたね。
うんこには、なんか子どもの好きな要素があるんじゃないかと(笑)。
それを分析して、自分で解釈したら、そういう要素をマンガに出せる」
この時代のことを話す尾田栄一郎は、これまでにも増して目が輝いていたように思えた。
その仲間の中では、暗黙のルールがあったという。
マンガ論を語りはするが、自分の描いた原稿は決して見せたりはしない。
相手に見せるのは、雑誌の掲載されたとき、のみだ。
「本当は見せたいんだけど、載らないと見せられない。
だからがんばれた、というのもあるかもしれないですね。
競争相手がいないと、つまらないですから」
中間たちが次々に連載をスタートさせる中、
尾田栄一郎は読み切り作品は何作か載ったものの、
連載が掲載されるまでには至らなかった。
「あのころは本当に編集部に対して怒ってましたね。
とにかく載らない時期が2年ぐらい続きました。
読み切りが掲載されない理由も、うすうすは解っていたんです。
それは連載できるようなキャラクターのいるマンガじゃないから。
ボクは、読み切りは読み切り向けのマンガがあると思ってたから、
必死にそれを描いていたんです。
いま考えると、編集部の考え方に反抗していたんですよね。
そしてことごとくボツ。
実は中学時代から考えていた『海賊マンガ』という大ネタがあった。
大ネタだから週刊連載に、とその当時から考えていました。
だから、読み切りで海賊ネタをやるのはイヤだった。
でも、最後の最後に、苦しくて出してしまった。大人の世界に負けたんです(笑)」
もし海賊マンガがボツをくらったら、その先なにをしていいか、
わからなくなっただろうと尾田栄一郎は当時の心境を語ってくれた。
それほどまでに、彼にとって海賊マンガは特別なものだったのだ。
その読み切り海賊マンガ『ROMANCE DAWN』は読者の人気を獲得し、
ついに『ONE PIECE』の週刊連載は始まることとなる。
まずは、週刊連載のためのキャラクター・ルフィが用意される。
「ルフィに関しては長いつきあいになると思ったんで、
長い時間でもつきあえるヤツを主人公に持ってこなきゃいけない。
だから、ボクの中でいちばん作りこまずに、自然に描けたキャラクターがルフィなんです。
でも、作りこまなかった分、本当の姿も模索していた。
ウソップ編になってやっと、『あ、こんなヤツなんだ』と気づいた。
ウソップがクラハドールを殴って、
その後に子どもたちと一緒になって『ばーか!!』って言った。
そのときはじめて気がつきました。『あ、ルフィって子どもなんだ』って(笑)。
連載当初から17歳という設定が頭の中にあって、
冒険好きの少年ととらえて描いてきたんです。
理屈でゴチャゴチャキャラクターというものを考えていたんですね。
ルフィはボクの想像する子どもを描けばいんだと……。それで自由になりましたね」
それ以降は、放っておいても、ルフィは動き、しゃべり、笑い、怒るようになっていったという。
もしかしたら、ルフィは子ども時代の尾田栄一郎自身なのだろうか?
「違いますよ!ボク、あんなにアホじゃない(笑)。
でも、ボクが思う、理想の子どもみたいなものかもしれないです。
子ども大人にいろいろと押さえつけられて生きている。
でも、ルフィはだれにも押さえつけられない。
そういうことで言えば、みんなの理想かもしれないですね」
子どもだけでなく、大人になったって、生きていく上でつらいことはある。
人間関係や仕事において、上から押さえつけられ、反抗しようにもできないもどかしさ。
だが、『ONE PIECE』の中には、何者も押さえつけることのできないルフィがいる。
『ONE PIECE』のエピソードの終わりにいつも何かしらの爽快感が感じられるのは、
そのせいかもしれない。
このインタビューをすることが決定してから尾田栄一郎に聞きたかったことがあった。
『ONE PIECE』のストーリーは、いったいどこから発想が生まれてくるのであろうか。
「最後の見せ場がどんな絵かが先に浮かぶんです。
落書きノートを月に一冊ぐらいは描くんですけど、そこに描きたいシーンをまず描く。
それが浮かんだら、その絵にどうやって話を持っていくかだけなんです。
だからボクは、中盤でどれだけおもしろくないって言われようが平気なんです。
見せ場には自身があるから。全然怖くない。『最後に見てろよっ!』って(笑)。
だからラストシーンも、もうボクの頭の中では決めてあるんです」
『ONE PIECE』のラストシーン。
日本中のファンが、なにをおいても知りたいことが、すでに尾田栄一郎の頭にはある。
「でもね、この間、落書きノートを見ながら計算したんですよ。
描きたいことをすべて入れていくと、『ONE PIECE』がラストを迎えるまで、
あと20年ぐらいは必要なんです。もちろん、そんなにやるつもりはないですよ。
ほかにもやりたいことありますし(笑)」
これからも、落書きノートは月一冊のペースで増えていくだろう。
それはもちろん、尾田栄一郎の描きたいことが延々と増えていくということでもある。
『ONE PIECE』のラストは、いつ我々の前に現れるのだろうか……。
「それはまだまだ。読者を、がっかりさせるのはイヤなんです。
だから尻切れトンボで終わらせたくない。
忙しいとか、もう描きたくないっていう理由で読者を裏切るのは、マンガ家のエゴ。
『ONE PIECE』は最後がいちばん盛り上がるマンガにします」
そう言うと尾田栄一郎は、仕事へと戻っていった。
時計は、午前6時をとっくに回っていた。
●編集後記
今回は年末進行直前のハードスケジュールの中、
無理を言って時間をとってもらったインタビューであった。
そんな中、まるまる2時間、彼は休むことなく、こちらの質問に丁寧に答えてくれた。
彼のマンガに対する思いは、作品の端々から感じてはいた。
だが実際に話を聞いてみると、こちらの予想以上にマンガが好きで、
なによりマンガを描くことが好きな男だ、ということがひしひしと伝わってきた。
『ONE PIECE』の完結が、いつになるのかは、だれにもわからない。
だが完結を迎えたとき、もう一度、彼に質問したい。
「『ONE PIECE』のラストは、あのとき思い描いていたのとおなじラストですか?」と。