1 :
名無しさん(新規):
2 :
名無しさん(新規):2006/08/12(土) 06:54:32 ID:FdyJgoA00
<今月の悩めるサラリーマン108>
鬱病で生きる気力がわきません。
本当に時差津も考えています。
気付いたらビルの屋上に立ってることがよくあります。
販売:Fさん(34)
武原「ビルの屋上でさぼってんじゃねーボコボコにするぞ、あホンダらが」
世界チャンピオンのボクサーに面と向かってこんなこと言われたら、恐喝にしか思えんw
4 :
名無しさん(新規):2006/08/15(火) 01:38:32 ID:5dn3NS1E0
何で関西弁もまじっとんじゃ?
竹原はボクシング業界のイチロー的な存在なのに、ガチンコに登場するまでは
知名度がやたらと低かった気がする。
6 :
名無しさん(新規):2006/08/29(火) 14:24:38 ID:a+7HuleJ0
保守age
7 :
名無しさん(新規):2006/08/29(火) 14:29:28 ID:AkDA4DCs0
>>5 世界戦を放送してもらえなかったせいだろう。
録画でローカルチャンネルで放送したんだっけ。
あと竹原自身もびびりでビッグマウス叩けないタイプだった。
キャラがなかったから盛り上がらなかった。
8 :
名無しさん(新規):2006/08/29(火) 14:32:33 ID:AkDA4DCs0
「1995年、「日本人には絶対不可能」とも言われたプロボクシング世界ミドル級王座を獲得。
東洋人初の世界ミドル級王者という不滅の金字塔を打ち立てたものの、
当時の期待の薄さから、世界初挑戦試合は約2000人収容の後楽園ホールでの開催。
テレビ中継もゴールデンタイムでの生中継枠を用意されず、テレビ東京が深夜に録画中継するのがやっとであった。」
「1996年6月24日 、ウイリアム・ジョッピー(米国)を相手に初防衛戦。
試合前の記者会見では挑戦者に
「判定の必要はない。俺がKOで勝つ」「お前みたいなノロマが俺を捕まえられるか!」とボロカスに言われ、
「顔に傷を作って帰ってもらいます」と反論するのが精一杯であった。
試合の方は初回にダウンを奪われた挙句、9回レフェリーストップによるTKO負け。
わずか6ヵ月で伝統の世界王座を手放した。
新王者は「もっと早い回に倒すこともできたけど、わざと試合を引き延ばしたんだ」と余裕のコメント。
"前王者"となってしまった竹原も「試合を止められていなければ倒れていた」と潔く完敗を認めるしかなかった。」
ダメだこりゃw
9 :
名無しさん(新規):2006/08/29(火) 14:36:31 ID:w2/cUo3g0
まあ、それでもミドル級のベルトを獲ったことはとんでもなくすごいことだったがね。
そこらの奴が、フライだのバンタムだののベルトを獲って4〜5回防衛するよりもね。
しかし、タレントになってから幻滅したよ竹原さん。
いくら生活のためとは言え、ガッツさんの足元にも及ばないようなジャリタレになっちまうとは。
ガチンコでも辰吉におちょくられてニヤニヤするしかなかった竹原だし
11 :
名無しさん(新規):2006/09/02(土) 19:24:22 ID:MTFjtegJ0
ボコボコ揚げw
12 :
名無しさん(新規):
「弱い犬ほど元気よく吠えるもんだ!」
と親父をいれて4人にも教えてやれよ