商売【繁盛】の噂

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285これ置いておきますw
事態は重要な局面を迎えた。8月18日(月)離婚届受理。
ついに法律上も別れてしまった。
ことの発端は2001年の忘れもしない4月13日(金)の翌日、
オーバードースしてしまったことだ。
息絶えようとしている私を妻は唖然としてながめていたのだろう。
そのまま救急病院へ。 3日間意識不明でICU泊まりだ。
意識レベル3の300、挿管反射もない、助かっても障害が残るかもしれない、
悪性症候群のおそれも控えていた。  

当時子どもは6才、4才ともに男児だ。6才の子はいつかぽつりとこぼした。
「父ちゃんが薬をたくさん飲んじゃうからだ。」
返す言葉はない。
それまで平穏とまでは言えぬが何とか夫婦と子ども二人の生活を送っていたのだ。
それを一瞬で失ってしまった。
肺炎と腎機能障害のために1か月ほど入院した。
その間妻は子育てと、自分の学校生活の合間をさいて面会に来てくれた。
残された最大限の愛情だったのだろう。





286これ置いておきますw:2005/07/01(金) 18:57:32 ID:RrIi5ccx0
しかし、退院すると帰る家はない。
空間がないわけではない。住んでいたアパートの部屋に妻も子どもの姿もない。
必要な家財道具をまとめて、出て行ってしまったのだ。

それから2年半あまり、別居生活が続いた。最初は住所さえ教えてくれなかった。
アパートを教え、電話番号を教え、アパートに上げてくれ、公園で会ってくれて、
次第に二重生活のようなものが始まった。
しかし妻は一向に同居の許可を与えてくれない。
このまま平行線をたどるのか。

今夏、面会を条件に離婚を決意した。妻子を養えない夫に用はない。
書類上離婚することで妻子は種種の経済的支援が受けられるのだ。
来春、卒業と就職を控えた妻への、せめてもの謝罪かもしれない。
経済的余裕ができ就職先の選択に幅が持てればいいなと考えた。
僅かではあるが、私が再度家族を養える力を取り戻せれば、
元のような四人家族生活が帰ってくる。

・・こんなストーカーまがいの事してたら元に戻るのは到底無理だと思うw