【固定価格】悪質業者 dostore Part39【脳内廃止】

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442名無しさん(新規)
三木和彦の過去
NIFTY-ServeのFGALを仕切り、取り巻きのオンラインソフト作者を巧みに使いながら、学研発行のネットピアという雑誌を発行。
編集者は三木の支離滅裂な文句に耐え切れず、次々と変わっていくが、ブームと学研のお陰で着実に発行を重ねる。
三木の会社「情報管理」は、NIFTY-Serveからの「管理費」と、学研からの編集費により、それなりの経営状態であった。
しかし、三木は「編集プロダクション」ではなく、「出版社」となることを画策する。
NIFTY-Serveのコネを最大限に利用し、何冊かの単行本を発行するが、いずれも「星雲社扱い」であった。
このころ、富士通は「メディアシャトル」というネットワークとCDによるソフト販売を計画。
この話を聞いた三木はソフト集めからCDの雑誌への提供にいたるまで「情報管理」で行うことにより、富士通より多額の報酬を受け取る。
しかし、所詮はオンラインソフト作者しか周囲にいない三木を普通のソフトハウスが相手にするはずもなく、ソフト集めは第一弾から窮地に立たされる。
ソフト集めの担当者は、またしても次々と変わっていく羽目に・・・。
また、雑誌や書籍の編集者は、編集経験がある者ほど、常識とかけ離れた三木の言動に衝突し、常識人であればあるほど間を置かず去っていく。
こうして、素人編集者の集まりと化したネットピア編集部だったが、「その時」は唐突に訪れることとなる。
(つづく)
443名無しさん(新規):04/11/14 17:06:58 ID:vB0tVqyf
三木和彦の過去(2)
それは、インターネットが普及し始め、パソコン通信専門誌が次々とインターネット専門誌へと姿を変えていた頃であった。
ネットピアにも、確実に変革の波が押し寄せようとしていた。だが、紙面にIEやNNの記事が氾濫しようと、パソコン通信を捨てるわけにはいかない。
ここで、三木はいきなりの「ネットピア休刊」を宣言する。それは、これまでさんざん世話になっていた学研の担当者にも事後報告という形で通達された。
学研からの意見はまったく「無視」であった。そして、その休刊号に掲載された「n3(エヌキューブ)発行」の広告・・・しかしながら、このn3という雑誌は
発行されることはなかった。
雑誌が休刊になるということは、収入源が減るということを意味している。もともと出版業界というのは自転車操業をしている出版社が多い。
出版物が発行できなければ、収入にはならないのである。
そして三木は星雲社の中間マージンの削減と、出版社としての権威を求め、取次との直接取引へと発展させようとする。
しかし、東販とコネクションを持とうとするも、業界のルールの厳しさについて行けず、この話は宙に浮いた形となる。
年間数点しか発行できない出版社の先は見えている。とうぜん扱い量は減少の一途をたどった。
だが、またしても三木は「ひらめき」で新しい事業を始める。当時雨後のたけのこのごとく増えていったプロバイダ事業である。
「JONEX」と銘打ったこのサービスは取り巻きを中心に着実に利用者を増やしていた。
しかし、サーバーのメンテナンスと称した三木の設定いじりにより、サービスが停止していることも多く、また、三木の横暴についていけない社員の入れ替えなどにより、
サービスは極めて不安定なものであった。これに止めを刺したのがADSLの普及である。常時接続できないプロバイダなど、存在意義がなくなってしまったのだ。
その後の「情報管理」は、僅かながらも書籍を発行していたが、サイトは閉鎖、連絡も不通となり・・・そして、dostoreへとつながり現在に至るのであった。