機動戦士Zガンダム TV版vs.劇場版

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952通常の名無しさんの3倍:2008/12/21(日) 19:11:23 ID:???
君たちみんなおもしろいな
953通常の名無しさんの3倍:2008/12/21(日) 22:27:01 ID:???
1では、旧画と新画のギャップが大きすぎてギャグかと思ったくらいだったが
2、3と行くにつれて落差が小さくなったような気がする。
新たに作ったシーンとかもあったりするけど、そういうのも意外と上手い。
しかし、昔のアニメを今作るって、どういう気持ちで作業していたんだろう。
954通常の名無しさんの3倍:2008/12/21(日) 23:46:02 ID:???
最後にロザミアの霊体が出て来てビックリした!>新薬
955通常の名無しさんの3倍:2008/12/22(月) 00:38:56 ID:???
気が小さいな
956通常の名無しさんの3倍:2008/12/22(月) 07:37:41 ID:???
おまえら馬鹿ばっかりだな、結論はTV版最高、劇場版は黒歴史www
957通常の名無しさんの3倍:2008/12/22(月) 17:49:46 ID:???
TV版も駄作だが一応カミ壊し貫いたからな
新訳はそれすらない種にすら劣る真駄作
958通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 03:01:09 ID:???
ふむ、初志貫徹でギレンを殺すアムロが見たいわけだな?
959通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 16:11:20 ID:???
今「星を継ぐ者」を見てるんだけど、サラの声優が「恋人たちよ」と違う
わざわざ鳴り物入りで女優を起用したのに何故?

960通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 19:02:38 ID:???
>>959
なぜだろう
それはだれにもわからない
961通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 19:14:37 ID:xknFn8PA
【マスコミ】 テレビ局、パチンコCM・宗教CMを解禁するも振るわず…バラエティ離れで始めたドキュメンタリーもコケ気味★7
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1230018643/l50
962通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 22:48:18 ID:???
「よ」はいらないと思うよ
963富野かく語りき:2008/12/23(火) 22:58:38 ID:???
●Zガンダム 創作の秘密より
戦いに疲れ、ニュータイプになりそこなったカミーユが
自己閉塞するというようなテーマでは、
現実の暮らしのなかでおなじような体感をして、
それぞれの人生を送っている青年たちには、
自閉させるツールとして消費させられるだけと感じたのだ。

ぼくは、そのような若者たちに足場を半歩ずらすことを提案したくなったのである。
そうすれば、突破できる道も拓けるのではないか、
というメッセージを旧作の物語を利用して提供できないだろうか、と考えたのだ。

作業は、カミーユという主人公が出会う事件、出会う人、体験する戦闘経験をとおして、
心になんらかの糧になるものを感じられる少年と考えて、
彼の人生を追いかけてやるだけのものにした。

そのために、大団円がどうなるか分からないまま分からないまま
全体構成をやり直していったのだが、
そこで得られた結果は、かるい病気など吹き飛ぶような当たり前のものになって、
自分ながら舌を巻いたものだ。

この仕事によって、ぼく自身、少しだけ足場をずらすことによって、
もう妄想は抱かないですむだろうと想像できるようになって、
ありがたいと感じるようになった。

●以下はZとは関係が無いが…「ターンエーの癒し」より
学ぶということは、他者をとりこむことで、自己に他者を投影することである。
となると、自己はひとりではないし、また、
他者が自己のものを学んでくれて、吸収してくれるなら、
そこにも自己がいることになる。
これは、多重人格論ではなく、このように統合されているという認識が強固であれば、
専制的な意志の統合とはちがうものになる。
これはかなり長いあいだ誤解されるだろうが、
統治論とか管理ではないかたちのニュータイプ化として認識される時代はくるだろう。
964通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 23:02:21 ID:???
TV版はおかしな展開多くて笑った
シュールなギャグアニメだと思ったら負けw?
前半のジェリドかっこいい

劇場版は商品としての利益率高そうw
カツが右から無断出撃して左から無断出撃するシーン削除
エマ「カツウゥ〜」削除
ジェリドの活躍シーン削除
カツ、カミーユ救済アニメだね

初代ガンダムもリメイクしたら面白いと思うなあ
シャアの搭乗モビルスーツがパワーアップして
アムロはニュータイプに目覚めず戦死
シャア救済アニメ
こんなガンダムが見たいw
965通常の名無しさんの3倍:2008/12/23(火) 23:07:27 ID:???
ブルーレイBOX買った人いる?
ハードがないんでまだ買ってないんだが、ブックレットの富野メモが
LDボックスのものより内容が充実してたら、BOXだけ先に買っておこうかな。
966通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 02:18:52 ID:???
DVDの時にはそんな豪華なものは入っていなかったので
未だにLDのブックレットを捨てるに捨てられない
967通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 08:39:04 ID:???
>>963
>カミーユという主人公が出会う事件、出会う人、体験する戦闘経験をとおして、
>心になんらかの糧になるものを感じられる少年と考えて、
>彼の人生を追いかけてやるだけのものにした。

お禿さん、ソレあんたのスタイルじゃないからww
まだしも皆殺しイデオンのが人物ドラマとしても評価高いよ
出来ない事は無理してやらない事だ
968通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 11:15:41 ID:???
その富野語を翻訳すると
宮崎アニメが世間に認知されてることを富野なりに考えた結果
オレもああなりたい、取りあえずハッピーにしてみようかな
正直、そうだろ
969通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 12:06:06 ID:???
そうだろうな
宮崎は万人が受け入れるが
禿ときた日にゃキモヲタしか釣れないからな
970通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 20:56:41 ID:???
新訳Z最高
971通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 20:57:22 ID:???
新訳版が一番面白い
972通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 20:58:17 ID:???
ブルーレイ高洲だよ
973通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 20:59:41 ID:???
ΖダムA三号 
質問者…Ζ三部作を通して観て、人の人との会話だったり肉体的な接触 
肌と肌のとの触れ合いということをもの凄く大事にしてると思ったのですが 
逆にNTという言葉が出てきません。これは監督自身の「Ζ」における 
精神的な触れ合いから肉体的な触れ合いに変化したのではないでしょうか? 

富野…おっしゃるとおりです。だからそれ以上説明する気がありません。 
ただ、だからと言ってNT論から距離をおいたということではないんです。 
むしろNTとはこういうものなんだと確定できました。 
僕は旧作Ζはお化け映画みたいでイヤだなという印象があったんですが 
今回の映画はお化け映画にはなってないはずです。 
実際にはお化けのシーンは旧作の量をそのまま使ってるのにもかかわらず 
印象は違うはずです。それはNTというお化けの部分をポジティブに転化 
できたからなんです。 


974通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:00:18 ID:???
■ギャザー・スタイムという概念の導入 
(注:ギャザー・スタイムとは、ニュータイプという概念を一歩進めたもの。 
他者との共鳴だけでなく、精神的に他者と完全な一致を見ることを表現しようとしていたようだ。 
この概念は、結局「Z」では採用されず、わずかにZのバイオセンサーに名残をとどめる。) 
しかし、人と同化すると言うことが、人の能力の拡大であるとは思えないという反論に対して、 
どのように対処するのか? 
他者をとり込む技術的な解決策がどこにあるのか? 
とり込まれた側の主権というものがどのようになるのか? 
主権論で言えば、肉体を持った人であるからこそ、任意の認識を具有する事ができるのであって、 
そうでない人の存在というものは、偏向したものとして存在するわけであって、 
反物質的でありすぎるという懸念を解消する事はできないのではないのか? 
死を待たなければ、ギャザー・スタイムが完決しないとなったとき、 
故意に殺人を犯すというプロセスが産まれ出よう。 
劇的でいいのだが、そこにのみ焦点を合わせるという訳にはいかない。 
大体、ギャザー・スタイムの概念の至る処は、愛なんだ、 
という結論さえも用意する事ができるわけで、それでは"ヤマト"と同じでしかない。 
この前提を回避する方法というものが、設定されなければ、 
ゼーター・ガンダムの意味はないわけだ。 
84.3.12 

■ゼーター・ガンダム=逆襲のシャア= 
これを置いた時のゼーター・ガンダムはどうなる。 
これが第二のニュータイプ論。ギャザースタイムになるのだろうが、 
この為には、もう少し時間が必要な気がする。 
手をつなぎあう人の共感論なのだから。 
現実と照らし合わせた場合のシリアスなアピールがどの部分にあるのか? 
ドラマナイズしてゆく場合の、共感はどこにあるのか? 
なにが、一般受けするものなのか、という原点の模索は、注意深くされなければならない。 
しかし、ここまで吐き出した時に、俺はどこに行くのかという不安がある。 
大丈夫だという安心感は、所詮自慰なのだから…。 
84.5.21 

ΖガンダムLDBOX富野メモより 
975通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:01:29 ID:???
Ζガンダムというマシーンに内臓された機能は人の心の力というものに   
敏感だったのだろう。カミーユの意思が集中することで、その性能は   
パワーアップを遂げているのである。   
それは怨念を込めた刀のようなもの…相手を切れば、その使い手も引き込まれる力である   
シロッコには理解などできるはずがない。物理世界の極限状態で生活したからこそ   
彼の価値観はこの世の現象に囚われてた   
シロッコの認識は、人の限界を示したのかもしれない。   
カミーユが発現させてる力は、人の心の集まったもの、意思の力である   
それは人が使いこなしては良い「力」ではないのだから…。   
Ζノスタルジア   

カミーユはNT能力を超えて念動力でジオの動きを止めて勝利する   
新しい力を持った若者が新旧の強大な力を合わせ持った強大な力を持つシロッコに   
思いの強さだけで勝利してしまう。それはあまりにも現実的ではない   
またラストカミーユが命を捨てて得た力だとしても死が描かれ続けてたΖでは   
ファンタジーになってしまう   
現実認知のテーマにするにはカミーユは精神崩壊しなければならない   
カミーユはそのための犠牲であり天使なのだ   
全富野仕事集より   

自我を開放し他人の意思を共有することは   
けして幸福ではない。人はそこまで他人の介入に耐えれない   
それでもカミーユはNTの才能を先鋭化させ続け   
死者の魂とまで感応し、自分の精神に取り込んでいってしまう   
無制限に他者を取り込んでいけば、必然的に自我の枠組みは軋み、揺らぎ、崩壊する   
人はNTであることに耐えられない   
カミーユ・ビダンはNTとして正しく能力を拡大していったため崩壊した   
Ζヒストリカ11号   

AM カミーユというキャラクターが非常に感情移入しにくかったですよね。   
    アムロ、フォウとかの人気が比較的高いということも、逆にいえば彼らを   
    通すとカミーユが見えてきたからだと思うんです。   
    まずカミーユの設定のねらいを聞かせてください   

富野 カミーユというのはパート2ものを作っていく上での基本なんです   
    最初からわかんないキャラであれ以上にはならないキャラだったんです。   
    その意味でかなり予定どうりです。現実にはみんなわけわからないとこで   
    ゴチャゴチャやってるよねということ。そのキャラをずーと引きずるしかなかった   
    ようするに人の限界っていうのはこんなもんだよ。   
    いくらカミーユのNT能力が最も凄くても人間なんてそんなもんです。   
    だからカミーユは気が触れるしかないんです   
    ここは一歩も踏み外してないし、こういうふうにしか作れなかった   

AM  NTは戦争を終結させる能力はないですよね   
    
富野 そう、はなっからないんです。   

AM  そのあたりがあまりにリアルすぎて悲しみのカタルシスばかりが強かったようですが。   

富野  それもなかったんじゃないかな事実ばかりがダダダってきちゃうと   
     悲しんでいられないですよ、ていうとこまでやってるつもりだし。   
     カタルシスがあるわけがない   

976通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:02:31 ID:???
「学ぶということは、他者をとりこむことで、自己に他者を投影することである。 
となると、自己はひとりではないし、また、他者が自己のものを学んでくれて、 
吸収してくれるなら、そこにも自己がいることになる。 
これは、多重人格論ではなく、このように統合されているという 
認識が強固であれば、専制的な意志の統合とはちがうものになる。 
これはかなり長いあいだ誤解されるだろうが、 
統治論とか管理ではないかたちの 
ニュータイプ化として認識される時代はくるだろう。」(「ターンエーの癒し」より) 


977通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:04:00 ID:???
http://cecilpla.up.seesaa.net/image/10A1B21.jpg
■最高のニュータイプ、カミーユ    
富野由悠季監督はカミーユを「最高のニュータイプ」だという。    
これは「戦闘能力ではなく」、広大なジャブローでレコアの居場所を特定するなどの    
随所で見せる感受性の評価だ。とくに最終決戦ではその能力で死者の思念を受け入れシロッコ圧倒した。   
978通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:04:56 ID:???
人物列伝の解説 248ページ      
カミーユ・ビダン 〜精神崩壊から戦うことを忘れた最強のNT〜      
NTとして最強の力を得ながらもその反動により精神を崩壊させた      
ジュドーは病院に運び込まれようとするカミーユに出会い、言葉に言い表せないものを感じる。      
それは精神崩壊したカミーユの身体の中に閉じ込められた彼の魂だった。      
全てを失ったかに見えたカミーユだったが肉体という牢獄にその魂が囚われているように奥底で眠っていたのだった。      
最強のニュータイプと言われたカミーユが完全復活を遂げた時に彼の望むものはありふれた日常だろう      

ガンダム人物列伝 P212      
車の中に寝かされていたエゥーゴのニュータイプ、カミーユ・ビダンは      
精神崩壊を起こしていたにもかかわらず、ジュドーに手をさしのべる。      
その手を握ったことから、ジュドーはニュータイプへと覚醒していく。      
カミーユにわずかに残っていた人を信じたいという思いが、純粋なジュドー      
の心に触発され、その力をジュドーに託したのだ。      

主人公のカミーユはそんな数え切れない哀しい現実を目の辺りにし、激しく傷つきながらも       
ひたすら戦い続ける。しかしそのカミーユが戦い続ける理由はTV版と、新訳Zとして20年の       
時を経て公開された劇場版とでは大きく異なる。TV版のカミーユは不条理な現実を憎みながら       
そこに優しさと正義感の刃を闇雲に突き立てる。そしてそのまっすぐな怒りは傍観者の立場から       
人間の命をチェスの駒のように動かす最も憎むべき敵シロッコを討つがシロッコの呪わしい言葉       
通りカミーユの正気は失われ、Ζの最終回はアニメ史上稀にみる救いのないラストシーンとなる。       
しかし新訳Ζのカミーユは哀しい現実をひとつひとつ咀嚼し、それを強い意志へと変えながら戦い       
続ける。親を目の前で殺され、心が通じた女性フォウとは残酷な形で引き裂かれ、仲間達を次々と       
失い、それでも未来を切り開こうとし続けるカミーユを、存在そのものがあまりにSF的だと言って       
しまうことは簡単だ。しかし、そもそもニュータイプという概念が登場して以降のガンダムは、       
放っておけば滅んでしまう人類にとって唯一の希望となるような「未知の進化」を描いた物語である。       
シロッコを倒したあと、カミーユが精神的にも肉体的にも生還し、愛するファを       
しっかり抱きしめる喜びを噛み締める新訳Ζのラスト。カミーユが最強のニュータイプだとするならば       
彼には、このような希望に満ちた結末が待っていても良いはずである。       
CUT2007年11月号35ページより(10/19発売)       
979通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:05:49 ID:???
ガンダム「ニュータイプ」27年目の帰結 
「覚醒」という言葉は魅力的な響きを持つ。人の進化形として「ニュータイプ」 
という概念を提示し続けるアニメ「機動戦士ガンダム」のファンの心に「覚醒」への 
憧れが潜んでいることは疑いようがない。かつてオウム真理教信者も、 
修行で覚醒したとする自分にニュータイプの姿を重ねたという。 

今年三月に公開された劇場版「機動戦士ΖガンダムV星の鼓動は愛」で昭和54年に 
始まったガンダム一連のシリーズが一つの区切りを迎えた。 
第一作の登場人物が活躍する物語が計七本の映画にまとまったのと、 
ニュータイプの概念に作者の手で変更が加えられたという二つの意味である。 
後者はもしオウム信者が十年前にこの映画を見る機会があったら、相当困りそうな変更だ 
人の意思を感知して、物事をあるがままに理解できるのがニュータイプの能力だが 
それに加えて「身近な人を大切にできる」という要素も加わったから。 
これではサリンは撒けなくなってしまう。 


980通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:06:20 ID:???
発狂から抱擁へ 

第一作が主人公・アムロの覚醒の物語だったのに対し 
続編の「Ζガンダム」は既に覚醒した少年、カミーユが主人公。 
そこで原作・総監督の富野由悠季はニュータイプの行き着く先に 
「発狂」という結末を用意した。 

物語は政治抗争を絡めて複雑に展開するが、ここではニュータイプ 
の描き方だけに注目する。 
仲間が次々と死んでいく残酷な戦場で、鋭敏すぎるカミーユは、 
最後に死者たちの霊と一体となり、最強の敵を倒す。 
同時に、心は死者の側に行き、精神崩壊してしまう。 
駆けつけた幼馴染の少女・ファが幼児退行したカミーユを発見して物語は終る。 

今年三月公開公開の映画版はTV版の内容を「新訳」と称して再構成したもので 
ほぼ同じ展開にもかかわらず、富野は「発狂」ではなく「抱擁」をラストに置いた。 
カミーユは死者の側には行かず、ファを抱きしめ、霊魂ではなく現実に抱きしめられる 
女性がいてくれることの喜びに溢れるのだ。 
この改変の意味するところを考えるに当たって、少し回り道をしてみたい。 

子供向けアニメで「発狂」という展開はありえないが富野は「伝説巨人イデオン」でも 
女性キャラクターをの一人は発狂させている。 
理知的な科学者だったシェリルは、同じ宇宙船に乗っていた妹が流れ弾で死んだことを 
契機に精神のバランスを崩す。目立たない妹をほとんど無視してきた彼女は 
死なれた後に「姉らしいことを何もできなかった」と泣き、酒に溺れるのだ。 
身近な人間を抱きしめられるときに抱きしめなかった後悔が、シェリルを苦しめる。 
更なる悲劇で発狂に至るのだがここでは触れない。 
カミーユに視点を戻すと「新訳」の「抱擁」はおそらく多くの人間がシェリルの悔恨を 
カミーユなら回避できるという希望が映された描写であると気づく。 
ニュータイプの能力によってである。 

981通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:06:52 ID:???
消えた台詞 

単なるラストの差し替えではなく、この「抱擁」に至るまでに 
富野はテレビ版の台詞を細かく改変している。 
面白いのは、カミーユが戦場で敵に向けた「呪詛」と「自嘲」が 
ことごとく削られていることだ 

「暗黒の世界に帰れ」 「お前は生きていてはいけない人間なんだ」 
「ここからいなくなれ」 
「NTも結局何もできなのさ。できることといったら、人殺しだけみたいだな」 
これらは全て消えた台詞である。 
呪詛と自嘲のないカミーユは発狂せず、優しいラストにたどり着く 

ニュータイプそのものの発想について富野は、素人にいきなりロボットを操縦させる 
理由付けだったことをインタビューで明かしている。 
いわば作劇上の方便だが、宇宙でロボットの操縦席に一人いるという絶望的に孤独 
な状況で、離れた人の意思や声が自分の中に流れ込んでくるというニュータイプの 
能力描写は、絵空事の超能力とは一線を画す説得力と、啓発する力があった。 
しかし「Ζ」以降の作品は、第一作で見事に登場したニュータイプという概念を、 
作り手とファンが引きずるような格好で制作されたきた。 
後続の作品で第一作を超える評価を得たものはない。続いた背景はプラモデルなど 
「ガンダム」の名前だけで一大産業に膨れ上がったスポンサー事情である。 
富野が「新訳」で見せた改変は作家としての意地だ 

発狂という結末に比べ「新訳」の結末は一見、凡庸である。「覚醒」に憧れる向きには、 
この結末をどう受けとめればいいのか戸惑いもあるだろう。 
しかしニュータイプの能力が物事をあるがままに理解する能力ならば、生きてる理由も 
分からず生きてる私たちの、身も蓋もない姿もはっきり見えるはずだ。 
その隣人を抱きしめて肯定することは、決して凡庸なことではない。 


982通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:07:44 ID:???
○新作画、旧作画についての富野由悠季 総監督 発言集 
「ただ、全部新作となると、50カットから20カットにしていくという再構成という作り方では 
なくなるため、元の『Ζ』とはテイストが まったく違ったものになってしまうでしょう。 
「絵はキレイだけど、これはΖじゃないよ」と絶対言われてしまう。 
「 結局、ジジイが好き勝手に作ったんだよね」なんて感想でおしまいですよ。 概ねすべての 
リメイクものと呼ばれる作品がオリジナルに勝てないのは、言ってしまえば、テイストを 
残してるようで実はまったくの新作で、好き勝手にやってるものだからでしょう。 
元の作品のテイストは絶対に元の作品の中にしかないのです。」 

「結局、全部新作にした瞬間にリメイクも何もなくなってしまうのです。すべてを新作カットに 
するかどうかのせめぎあいは何度もありました。でも旧作を残さざるを得なかったのは、 
この作品はダイジェスト版でありリメイク物であり、そして何よりも『Ζガンダム』というのは 
TV版の”あれ”しかないんです。新Ζガンダムを作ったとしても「『新』はさ、よく動いてたよね、 
きれいだよね、だけどあれはさ・・・」という風に絶対言われてしまうでしょう。 
だから古い絵と新しい絵の差があるのだけれど、だからゆえにあの構成ができたのです。」 

「この作品のカミーユはカットカットで違う顔をしている。それでも充分に 
鑑賞できる作品が作れるかもしれないと確信して、今回の作業にかかったんです。 
でも決して我慢できるレベルではないと思います。人によっては、我慢できないくらい 
ひどいかもしれない。それは僕のTV版のときのディレクションで”アニメーターを放任 
し過ぎた”という、仕事の仕方に原因があったのでしょう。この点では申し訳なく思って 
おります。 
その分、この劇場版では新作カットを旧作のイメージに近づける努力をしています。」 
983通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:09:51 ID:???
■月刊マガジン 2006年4月号 イチオシ倶楽部EXTRA 富野由悠季インタビュー

理解はできなくても目の前の現実を直視する‥‥
それが受け入れるということ

――時代を映すキャラクターたちとして、TV版のカミーユは当時言われた“キレやすい10代”として描かれていました。
劇場版のカミーユはそこに対抗する力を持ち得たのでしょうか?

そうです。それは「意思の力とか目的性を持ちましょう」ということではなくて「事態を避けて、ハナから斜交いに見る
なよ」ということです。

“新訳”のコアはどういうことかというと「周りの事象に取り込まれるのではなくて、その事象を自分がきちんと受け止
めていき、そういう現実を学習する・見つめる」ということなんです。そういう訓練をすることによって、それぞれの事
象・事件を体験した時に事態を突破できるのではないかと思ったんです。そしたら見事に“オールドタイプになるのか、
ニュータイプになるのか”ということが見えてくる「物語の完結」を手に入れることができたんです。

それから「ΖGU」(以下「U」)までで不満を持っているような旧ガンダム世代という視聴者もいるわけですが、僕の近
くのその世代の人たちに、まだ未完成の状態でともかく音がついた「ΖGV」(以下「V」)を見てもらいまして、一応、
合格点をいただきました。ただ一つだけ残念なのは「三部作にはなってないよね」という意見も返ってきました。その意
味もよくわかります。「第1部があって、「U」と「V」とで1本、全部で二部作だよね」と言われて自分のスキルを思い
知らされました。「V」が情報量が多くて、クライマックスが1時間40分続くというふうな見え方をしています。そういう
意味ではあまりほめられた映画構造ではないんです。この手の作品を見る人は「おおー!」って1時間40分力を入れて見て
られるんだけども、一般観客には「ちょっと疲れる」という映画になってしまったのがプロとしてとても悔しい。

984通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:10:21 ID:???
――先程おっしゃいました“学習して受け入れていくカミーユ”。TV版ではその「受け入れる」ことにくじけてしまって
いますが、劇場版では「受け入れる」ことができたということですか?

全くそのとおりなんです。若いうちは「受け入れる」ということを「全部を認める」という理解を往々にしてしまうんで
すけれども、そうではないんです。「わからないものはわからないでほっといてかまわない。ただ、そういう事態があっ
たということだけはとりあえず認めなさい」ということです。

くじけるというのは、その事態があった瞬間に、のけぞって鬱に入っていく、自閉していくっていうことなんです。だか
らそうじゃなくて「うん、あった。だけどよくわからない。全部理解なんかできないよ」でいいんです。「全部理解する
必要はないけど見る」という、その姿勢を持って、それを自分の日常の中で維持することができれば、それが力として蓄
えられます。蓄えられると「V」のエンディングでカミーユが示すような未来をつくっていけるかもしれないんです。

――そのカミーユが念頭にあったということが、監督の中では今回の「Ζ」をつくる原動力だったのでしょうか?

もちろん、そうです。今回の企画をいただいた時には、正直ほんとにイヤだったんです。だけど、自分があの当時やろう
としたことをもう一度正確に見つめてみたら、「カミーユをもう一度再起させることはできる」っていうカンだけは働い
たんです。「だったらやる」って言って始めました。

実は、僕はこの“新訳”の仕事(=フィクションの中の現実と事象の整理)をやりきれなくて「おりる、やめる」と思っ
たことがあるんです。大きな節目が2回あって、その時には本気でこの仕事を放りだそうと思いました。

その時に歯止めになったのはやはり“現実”なんですよ。若い連中がスタジオに出入りし始めていて、結局この人たちも
この瞬間に仕事が消えるわけだし、チームも離散する、それを背負えるのか。背負えないんですよね。

だから、そういう現実があることに背中を押してもらうことになって「もうちょっと踏ん張れば見えるかもしれない」と
いうところから「やっぱりできるかも」というところへ“この現実”と直感的にある“カミーユのエンディング”を自分
の机の上に寄せていくという作業をやりました。

だから、鬱屈して思考停止状態になるというのは楽なんだけれども、そうならないでよかったなと思います。「これが現
実なんですよ」ということを、やっぱり若い人に見ていただきたいですね。
985通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:10:53 ID:???
人は一生を輝き続けられるものじゃない
けど無残というわけでもない

――「V」から「逆襲のシャア」への目配せというのは‥‥。

そんなのは一切しません。それをやってしまえば、つくり手の都合の作品、予定調和の物語になってしまいます。その時
の現実をきちんと描いておけば「『逆襲のシャア』は成立する」というところに落ち着きます。作劇上の不都合はあるで
しょうけど、問題はそんなにないはずです。だから10年前と現在のバランスをとろうなんて考えちゃいけないんです。予
定調和の物語っていのはこれをやってるんです。むしろ、揺れ幅が広いのを、それを1人の人間と考えた時に「あいつは大
きい・小さい」という人物像が見えてくるだけで、現実でも全く同じなんです。おかげで「逆襲のシャア」のアムロとシ
ャアについては彼らの悲劇が見えるんです。

――そう見えてしまうのではという気がしてました。

彼らは学習してないから、結局オールドタイプとして死んでいかなくちゃいけないんです。だけど、1人の人間の揺れ幅と
しては、ひどい人生とは言わないけれども「歳を取るって過酷だな」というふうに見えてくるんです。若い時にはそこま
でのフィーリングは付けられなかったですが、今回の「Ζ」を置いたおかげで「逆襲のシャア」の、大河ドラマとしての
大きなうねりが見えてきたので、全然問題ないというふうに、言い切れるんです。

――“学習するカミーユ”というのが描けたとしたら、シャアとアムロって学習してないことになっちゃうんじゃないか
なって思ったんですが?

それでいいんじゃないんですか。でも、その2人がどうしようもない人間かというと違うんですよ。

天才と言われている人たちは一生、天才としての能力を発揮し得たのか。あるいは、たまたま「大発明をしてしまった」
「大発見をしてしまった」とか、1本だけ小説の大名作を書いて、その後、鳴かず飛ばずで終わるという人。そのほうがほ
とんどです。人生全部をヒーロー・ヒロインをやれるキャラクター・能力を人は持たされてないんじゃないかと僕は思い
ます。
986通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:11:29 ID:???
それは敗北なのかというと敗北ではないんです。人間の一生を光り輝いていられるというのはそうそうあるわけはないん
だから、シャアとかアムロは無残なのかと言えば、僕は無残だとは思ってない。それぞれの間尺の中で頑張ったんですか
ら。ただ、光り輝ききれなかった哀感、それが人生だろうと思います。だから、そういうものを見て妥協するんじゃなく
て「オレは・私は死ぬまで光り輝いてみせる」という目線を持つ努力をすることを学習していただきたいなということな
んです。

シャアなんか特に、組織の長にまで立っていきながら、結局、広い人脈や組織をつくるというところまでいかなかったん
です。それではダメなんです。現実にも起こり得るような話を「ガンダム」の中に放り込んでいくことができたという意
味では、「ロボットもの」ってなめてると損するよという言い方もできます。

今回の「Ζ」の公開などで、初期のガンダム世代の人たち、つまり大人になって今、中堅になってるような人たちと会う
機会がすごく増えました。いやな言い方をしますけれども、出世する人、出世街道にのってる人というのはそういうもの
をやっぱり学習してますよね。だから申し訳ないけど、アニメファンが言ってる「ガンダムが好き」とか「ロボットが好
き」という方向性とは全然違うんです(笑)。20年前「Ζ」をつくる時に、シャアとアムロから入っていったら、肥大し
ていくヒーロー像をつくってしまうんです。若い世代が頑張るから、また新しいヒーローが生まれるかもしれない。だけ
ども20年前の世相でいった時に「こうまで映像世代でアニメ漬けになるヤツもいるのか」ということで「おまえら、この
ままアニメを見続けていたら死ぬぞ」というのを示すためにカミーユをつくったんです。

――成長していくという意味では、アムロとシャアというのはララァが死んだ時点で時間が止まっちゃってるんじゃない
かと。

そういうことはよくあります。女はその部分は全くわかってくれないんだけども、男はバカなんです。僕もそういう経験
がしっかりありますが、それを突破するためにロボットものに身を委ねたという気配もなきにしもあらずです。けれども、
そういう自分の心情を語ることをやっていくと私小説になってしまう。そうしないためにロボットものというジャンルに、
実感したものを全部入れてっていいんじゃないかと思えたんです。
987通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:12:09 ID:???
本気を入れてほしい
“わからないこと”をわかる努力をしてほしい

アニメをつくるとかコミックを描くということで大事なことは、作家の、マンガ家の、ライターのホンネをどこかでわか
ってる人が書いたものが間違いなく作品としては面白いんであって、それを絵ヅラで済ました作品というのはなにをやっ
てもウソになるんです。そういう自覚が20代・30代に足りないんじゃないかなというのが気になるところですね。特にデ
ジタルワークを簡便に利用できるようになればなるほど好き勝手に物語をつくっているという気がします。

――まさに、実感します。

「Ζ」の今回の仕事でも、現場の人にわかってほしいことは「好き勝手にはつくれないんだよ。それだけじゃなくて、そ
の中にあなたがつくり手だったら本気を入れなさいよ」「一般のお客さんというのは絵ヅラだけでは絶対見てくれないよ。
面白がるところは絵ヅラではないからね」と。誤解を恐れずに言うなら、例外はあるんだけれども、絵の上手なマンガで
面白いのはほとんどない。つまり、話を見せるために走ってるから、本来1枚の絵にこだわっていられないはずなんです。
絵と物語の問題というのは見抜いてほしいですね。

――絵が下手であっても「なんでこんなにのめり込んで読めるんだろうな」というのはイコールお話ということですね?

そのお話も作り話が上手に組んであるだけじゃなくて、マンガ家が本気で、自己体験も含めて吐きだしてる部分があるん
です。あの程度名前が出たマンガ家で、初期作品を超えられないという人はたくさんいるわけでしょう。だから、それこ
そさっきの話で、50年傑作が書けたら大変なんですよ(笑)。
988通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:12:49 ID:???
やっぱり人間の持ち物はそれほど多くはない。だけど、プロフェッショナルとしてコンスタントに維持するためにはどう
するかといった時には、結局学習しかないんですよ。どういう学習かというと、自分のわかることを学習していてはダメ
なんです。“わからないことをわかる努力をする”ということをしないといけないんです。

ネット検索の危険なとこは、わかることしか検索してないでしょう。わからないものを検索する技術を身につける、自分
のコアからアバウトに広がる部分を言葉や意識として持てるかという、それをしなくちゃいけない。違う能力・違うもの
と組み合わせていくとか、そういう回路を自分の中で持つ。だから、僕の場合には“異種格闘技”というのはとても大事
なことだというのが実感できました。自分が勉強しなくちゃいけないものはなにかということがわかるんです。

そういう意味で、“異種格闘技”、それから自分の地域性、自分がこういうふうにして大きくなってきたんだということ
を大事にしてあげて、知ったふうな発想のものじゃない物語をつくるということは本当に努力してほしいし、週刊とか月
刊レベルでいうマンガ雑誌のルックスには惑わされないようにして下さい(笑)。

989通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:13:20 ID:???
月刊マガジン 2005年12月号 イチオシ倶楽部EXTRA 富野由悠季インタビュー 

逆算できる面白さが出てきた 

――「恋人たち」というすごくストレートなタイトルでいこうと思われたのはなぜでしょう? 

おっしゃられたとおり、ストレートにいきたいと思ったということです。普通のところにいく回路を見つけるという意識
はすごくしました。で、まとめていく作業の中で「こんなにカップルが出てきてたのか」とか「戦記ものではないんだよ
ね」というのが、自分でもビックリしたことでしたので。これだったら、簡単にいえばグランドオペラ形式にまとめられ
るだろうと考えて、「恋人たち」というサブタイトルをピックアップすることができたのです。 

――観直して「こんなに恋人たちが出てた」というのは、当時は無意識に? 

1年近いシリーズをもたせるためには、エピソードの積み重ねをせざるを得ないし、戦闘プロットものにはイヤでもなるか
らで、それを意識すると「ここまで人物の搦手を使っていた?」と、本当にビックリしたわけです。だって、1年もたせる
ために、半分はしょうがなくやってることです。その「しょうがなく」というマイナス思考があるために「こんな人間関
係を構築してた」という記憶が完全に抜け落ちていたんです。動機が嫌だったから、ほんとに十何年か忘れていたんです。

――大きい記憶として残っていそうですけどね。 

物語を作ると言うことだけに集中していれば、当然そっちの記憶は残りますが、動機が今言ったようなものなので、そう
ではなかったんです。TVの「Ζ」は一番「嫌なものに対して、もっと嫌なものを上乗せして終わらせる」というシリーズ
構成にしましたので、その部分しか記憶がありません。ほんとに自分の中では記憶としては残したくなかったということ
があったので、ことごとく忘れましたね。 

――一旦忘れてしまっていたということで、今回、作業するにあたって、客観的に見れたというのは? 

むしろ驚きのほうが多くて、客観的に見れたということはないんです。コンテにしても、1作目をまとめてる時に、2作目、
3作目のことを、大雑把には把握する努力をするんですけども、あくまでも“大雑把”なんです。人間関係までは見ないま
まで、1作目をやりました。エンディングまでの全部の人間関係とか、ドラマ全部が見えてまとめると予定調和になっちゃ
うという問題があるからです。なるべくうしろを見ないようにという努力をしてはじめました。予定調和にしないために、
先を意識しないという作業を自分の中で一生懸命やっていくから、正直、面白かったですね。作品論で言ったらこれしか
なかったというところに期せずして来たという意味では、ほんとにいい経験させてもらいました。だから「ファースト」
の3部作とはちょっと違いますね。 

――なるほど。 
990通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:13:50 ID:???
この間の夏休みにBS2で「ファースト」のスペシャルやっていただけたんで、僕も全部じゃないんですけど観て‥‥その時
には「恋人たち」の映像が全部頭に入ってたんで「『Ζ』を観る以前の印象と全然違う」と、ものすごくビックリしまし
た。一番の納得というのは、「『ガンダム』って映画6本で一つの作品なんだ」とものすごくよくわかったことです。
「Ζ」を観た上で「ファースト」を観た時、ものすごく面白かったんですよ。「『Ζ』に出てきたあいつらが、こんなに
も若々しくて、こんなにもビビッドで」と。それが「ファースト」だけで観てるときはわからなかったことでした。 

――シリーズ全体で言うと、後に「逆襲のシャア」や小説の「閃光のハサウェイ」があって、それを頭に入れて観ると、一
部しか見えてない時と、俯瞰して見た時の面白さというのが違いますね。 

キャラクターをその世代なりにつくっておくというところでの軸がブレてなければ「物語ってこうも何度も観られるもの
なんだ」と、ちょっとビックリしちゃいましたね。そこまで大観して作っていないわけです。だけど、軸をズラしていな
かったので、逆算できる面白さというのが出てきて、「作品づくりというのはこうか。これが肝か」というのを改めて教
えられたんです。 
991通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:14:27 ID:???
――レコアが今回鮮明になったと思ったんですが、監督の女性観はどういうところにあるんですか? 

これは女性観じゃないんですよ。男に対してと同じことでしかない。レコアのことで言えば「こういう女もいるよね」だ
けです。だけど、コミックとかアニメ関係の仕事をやってる人達のほとんどが「なんでレコアみたいなの出したんです
か」っていう(笑)。今回のスタッフの中にも、むしろレコアが好きだというのもいるので、「レコアが一番まっとうで
すよね。一番あれが当たり前の女で、他のはみんな作り物に近いんだけど」というような意見もあって、その意見が1部、
2部をまとめる上では決定的な武器になりました。鮮明になったというのはおっしゃるとおりで、実はキャラクターをもっ
とハッキリさせるために、新作の部分で、レコアのところの描写だけはいじってしまいました。レコアを押さえて、それ
こそアニメとコミック漬けになってるバカな男どもにわからせるためには、これはやらなくちゃいけない仕事だなと思っ
たのがありますね。「実は一番面白いし、楽しい人かもしれないんだよ」ということです。3部でシロッコのところに行っ
ちゃう女だから、作劇論だけでいえばその動機づけという‥‥「キスして」と言った時に、クワトロがサングラスしたま
まだったんで「もうこいつとはいやだ」って。シロッコのところへ行く決定的な動機づけというのは、あれなんです。 

――なるほど! 

一見、あんな小芝居でですけど、あれがなかったら、3部でのレコア、成立しませんからね。 

――しかも一瞬ためらってる様子が‥‥シャアが「考えてる」という感じがする。 

女の側から見た時だけじゃないんです。男から見ても、そんな素振りした女がいたら「もう、こいつなんか」というふう
にしたつもりです。あのシーンに関しては、コンテが出来上がった時に涙が出るくらいうれしかったもん(笑)それで自分
でもレコアのことがよくわかったしね。その後でシーンを直結して、メカに乗り込むパイロットである女が、シャアを見
てクククッて笑ってる。「私とキスする時にはサングラスはずさないくせにパイロットスーツ着たときにサングラスはず
して」と。それを「もういや!」じゃないんです。クククッて笑ってるだけで。で、ロングシーンでもあの笑い声入れた
んですよね。3部まで観れば、シロッコにというのも説明してないんだけども、レコアとシロッコの関係はわかるはずです。
992通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:15:09 ID:???
――ファなんですが、2ではちょっと存在として薄く見えてしまった部分というのがあったんですけども、監督としては描
きづらい女の子とか? 

いや、二つ理由があります。ファとカミーユの関係を描くというところに足を踏み入れちゃうと、他のこの手の作品とテ
イストが似てくるかもしれないからという理由が一つ。もう一つの理由はもっと大きくて、他の人物のことがあんまりに
もありすぎて構ってられない。「今、青臭いお前らなんか見てる暇ないよ」というのがあります(笑)それはサラまで含め
てのことです。カミーユ、ファに関しては、完全に伏線としての作動しかさせてません。 

――フォウは? 

フォウはもうあのままです。だから今、石つぶてがガンガン飛んできています(笑)「Ζ」が好きな人って、みんなフォウ
が好きなのね。だから「あれっきり?」とみんな怒っています。自分の中に記憶してあるフォウというものが、ものすご
く肥大化しているのでしょう。演出家としては、レコアのあの笑い声と同じくらいフォウに肩入れしてつくったカットが
あるんですよ。だけど誰もそれに気がついてくれない。新作の部分にちゃんと「『テレビではなかったよ』というのやっ
てるじゃない」というんだけども「あんなもんじゃない」ともうブウブウ(笑)。ブースターを発射してやるために‥‥っ
てあたりですね。僕にとっては、その後にフォウとカミーユの美しい絵が…1秒半しかないんですけど、それができたんで、
これもレコアの笑い声と同じで「ヤッター!」と思ったんですけど、そんなのフォウ・ファンにしてみたらないに等しい
ようです。 

――(笑) 
993通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:15:55 ID:???
でも、ほんとにうれしいなと思います。そういうふうに思い込まれて、なおかつ最後まで観てくれるわけですから。最後
まで見た上で言ってるわけですよ。そういう意味では、一応、映画になってるのかなという気はしてます。 

“ロボットもの”という舞台へのカウンター 

――サラの声が池脇千鶴さん。いわゆる女優というフィールドで普段おやりになってる方については?

それに関しては、僕自身はこの10年間ハッキリ意識したことがあります。声優でも役者願望が強いという意識を持った人
を使うというのを第一義的にしてきましたので、僕の中では例外的なことではありません。サラの声はどうしようかなぁ
と思ってる時に、池脇さんの演技を見て、匂いが違うから、アニメライズされてないところが使えると思いました。あと
はやっていただけるかどうかという先方さんの都合の問題でした。 

――なるほど。 

僕にとっては、ほんとに申し訳ないですけれども、キャスティングって一兵器でしかないわけですから、それで新しいも
のを創る、としか考えません。「前そうだったからこうでいいじゃないか」という言い方で、回顧仕事にしたくないので
す。一見声優の立場に立つと過酷に思えるけど、芸能界論でいえば「20年前のが通用してたらおかしいよね」という感覚
があります。「アニメだから、顔を出さないんだから、まんまでいいじゃないか」と思ってるのでは、迂闊だと思います。
僕はアニメでも芸能界の一ジャンルの仕事であるべきだというふうに思っていますから。それが娯楽のあるべきもので、
年寄り仕事なんか見せられたって面白くないでしょう? 

――「ロボットもの」という枠抜きの、正面切ってのラブストーリーって‥‥。

994通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:16:25 ID:???
僕にはそれできないと思います。というのは、意識してロボットものの専門家になったわけですから、ロボットのような
スペクタクル的なアイテムを取り込んで絵をつくるということが上手になったおかげで、人物だけにカメラを下ろすとい
うスキルがかなり不得手だなと感じています。二人だけの恋愛映画というところには降りられないんじゃないかというの
が、この数年の再確認です。後ろ側にロボットの足が見えてて人物が芝居やってるみたいな絵がつくれちゃうヤツが、ロ
ボットなしになってというと「いけるかなぁ?」と感じています。 

――難しいですか? 

ただ、恋愛映画撮りたいなぁという夢はありますね。やっぱり物語の原点だから。恋愛映画を撮るというのは、結局、女
優を標的にするんでしょうね、監督は。すると「女優に興味が持てるか」というのは僕には自信がない。絵ざまとして女
優を置くことができても、「アップから、バストから、おヘソの穴もわかるように撮った?じゃ次」というのが僕。恋愛
映画は、そこにもう一度「じゃ、そのおヘソの形はどういうものか」と見てる目線がないといけないと思う。 

――「恋人たち」を観て、もしロボットが出ない普通の恋愛だったらどうだったかなと思った部分はあります。 

レコアだけをとり上げれば、そういう部分で可能性があるような気がしますね。でもやっぱりそれは違うんです。“ロボ
ットものという舞台”という、ものすごくハードなものがあるじゃないですか。それに対してハッキリ、カウンターを出
していかないと人物が見えなくなるという恐怖感があるから、あれが出てくるんです。片方がなくなっちゃったらどうな
のかというのは、僕にはわかりません。だから撮ってみたいともおもうんですけれども、自信ないなぁ(笑)。 

――(笑)しみじみと、そんな‥‥。

とっても好きになるような役者さんが2人そろってくれれば‥‥ドラマとしてのね、その機会はなきにしも非ずなんだけれ
ども、あややは思いついても、もう1人、男の子のほうが、今、いると思えないんで‥‥。 

――あややなのかぁ!(笑)
995通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:18:27 ID:???
■トーク 富野由悠季監督×福井晴敏氏(作家)
富野 こんな狭い会場で椅子になんか座ったら見映えが悪い、主催者は素人だ!
福井 劇場版Ζ、一気に見たけど、フィクションというよりドキュメントですね。
富野 そんなこと言われるとショック。この後のVはさらに話がわからなくなるので帰っていいですよ。
本当は完全新画にしたかったけど自分には金を出させる力がない。こんなんじゃ宮崎駿に勝てない。
ただ、宮崎駿はこんなツギハギ映画は作れないだろうから、そういう意味では宮崎に勝ったw
福井 あえて旧画使うのはΖのテイストを残すためじゃなかったの?
富野 それも確かにあるが完全リメイクはオリジナルを超えることが難しいのも事実。
リメイク版キングコングは酷い、リメイクというのは酷くなると決まっている。
福井 カミーユは行動は同じなのに受けとめ方の変化で悲劇的なラストを回避したことでカミーユの魂を成仏できたと思う。
富野 カミーユを救うとか魂救うとかではなく、あくまでエンタメに徹しただけなのと自分の心情がそのまま出たからこうなった。
福井 カミーユ・ビダンは富野監督そのものです(笑)
富野 そうです、僕も今は元気に死ねるんです(笑)。このような作り直せる機会をもらえたのはお客さんのおかげです。

15分くらい質疑応答

富野 学力低下とかの教育問題はそんなに深刻にならなくていい、でもここ15年くらいの間に、我々は大きな決断を迫られる、それが何かはここでは言わないし、言えない。
福井 じゃあ言うな。
富野 元気に死のうという発言で笑いが起こるのは、そういう反応を期待していったのだから別にいいけど、そういう状態になったのは我々の世代のせいだから、元気に死んで見せる。
経済に興味を持っているけど、それ関係の作品を作る気は無い。ただ、経済評論家とかはあてにならんから、信用するな。
映像を作るには技術なんかより社会を知ることが大事だから、技術以外の常識を高めよ。

996通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:20:05 ID:???
■キネマ旬報 2006年3月下旬号 富野由悠季ロングインタビュー 要約版

・10年後、20年後には「Ζガンダム」という作品は一般的に、今回の劇場版を指されるようになる気がします。
・妙で嫌だけど、同時に興味深く思うのは、今回の劇場版「Ζ」は、ここ20〜30年の日本アニメの生成と技術論が一気に
見られてしまう作品でもあるということです。

・「∀」が一方の極としてあるんだから、もう一方の極として「Ζ」を作りきる為には「キングゲイナー」の仕事をやっ
た自分がないと無理だったんです。だから「キングゲイナー」の成り立ちには、「『Ζ』を本気でやるなら、まず『キン
グゲイナー』をやらせろ」という僕の条件がありました。
・カミーユの心性の違いが何なのか、僕にとってのこの20年の推移とシンクロしている部分があるんでしょう。再構成で
もリバイバルでもなくて、位置づけとしては新作だと考えていますから。
・10年前にリメイクのオファーが来た時には、ビジネス的な意味以外に、僕は意味を見いだせなくて頓挫してしまったん
です。新しい心性を手に入れられない限り、絶対に取りかかれないという勘は働いていましたね。

・第3部の中で一番嬉しかった事、驚いた事は、カミーユがヘルメットのバイザーを上げるシーン使えるセリフが組めた事。
同じ局面であっても、受け手の気持ちが違うと、陰から陽に組み直せると知った。
・そのシーンのエマの作画が全部新作にしようと思っていたのに、新作にできなくなってなってしまったのです。下手な
旧画でも、そのまま使わないとこの雰囲気が散逸してしまう。新作で迂闊にキレイにしてしまうと、カミーユのあの表情
が出ないから、旧作のままでしか使えない現実もあって、未だに困っています。
997通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:20:35 ID:???
・カミーユとファの二人が抱き合うシーン自体はとっくの昔に出来ていたのですが、ただ、このシーンにいきなり持って
きても、ついでにハッピーエンドにした程度にしかならないので、どうしようかと考えた。サエグサに中継させるのを思
いつくまでは、本当につらかった。戦いという現実から、映画的なハッピーエンドに強引に落とし込んでいくわけだから。
・二人が抱き合うシーンは「キングゲイナー」をやる前から、その狙いがあればいけるなと思っていました。同時に取っ
て付けたハッピーエンドにならないリアリズムが決定的に欲しかったので、その構築には手間がかかりました。その結果
がサエグサの芝居だったのです。

・こういうラストシーンにしたのは、性愛の社会性を意識したからです。世間に認知されたセックス、男女の組み合わせ
を、客観として描くようにしたわけです。ロボットアニメでもそれができるなら、ガンダムファンも大人になってくれる
だろうからと、それを予定して構成させてもらいました。
・(サエグサの芝居の部分は、誰もが知っている下世話さがある、という質問に対して)下世話なこと、下衆なことの集
大成が人類史を作ってきたんだということを、正確に見つめればいいということです。そこから目をそらしてしまうと、
恋愛至上主義とか浮気とかいうような現象の面白さに囚われて、セックスする快感と、その快感の行き着く先にある種を
継続させるための決定的本能。その本能を把握しないまま現象だけ楽しむのはまずいんじゃないか、ということです。
998通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:21:19 ID:???
・僕自身が60歳になって、死んでいく立場として、世間や若い人たちに対して望んでいることが少しはあります。それは
若い世代を絶望させてはいけない、絶望を売るなんてことはしてはいけない、絶望は個人の問題にしてほしい、といった
ことです。
・自分探しの自己充足って、勝手に死んでいけよってことでしょう? そうではなくて大人というのは、継承していく存
在、種を残していく存在なのだから、子供に次の時代を受け継がせていきたいものなのです。カミーユの自己崩壊を望ん
でいたファンだって、自分の子供にそういう物語を見せたいのか。それは嫌でしょうってことです。

・映画の媒体って、下衆に理解できる部分がないといけないし、下衆に作っても良い。頭に良い奴だけがわかる作品とい
うのは勘弁していただきたい。ロボットアニメというジャンルでさえ、俗悪を脱して下衆に楽しめるところまで来たこと
を評価していただきたい。
・Gacktは三部作を作る上でスプリングボードになってくれました。第3部では彼の「Love Letter」を使うかどうかかなり
迷いましたし、三枝さんにも新しい曲を作ってもらいました。
・映画という媒体には、芸能性、時代性が必要なんです。芸能って、絶えず新しいものを供給して、ミーハーでさえも食
いつかせる素材がなくてはならないんです。
999通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:21:50 ID:???
・「リーンの翼」以降の新作の予定は、まだ何も決まっていません。
・つい最近ふと思ったのは「制作の現状が虫プロ時代の混沌に戻ったんじゃないか」って気がしてるんです。これからの
時代の方法論として、あの時ぐらいの気分で作っていかないと突破できないんじゃないか、という感触です。好きな物、
自分が得意な手法だけやっていてはダメだということです。
・これから何が必要か、僕もまだよくわかっていないんだけど、ハリウッド系のファンタジー大作や「妖怪大戦争」でも
いいですが、あそこには何かが欠落しているように感じるんですよね。もうちょっと根本的に違うところに行く必要があ
るのだと思います。
・「ALWAYS 三丁目の夕日」や「FFZ アドベントチルドレン」等、ああいう映像を作れる技術者集団はいるのだから、あ
の技術を生かして次の映像作品のありようを考えていかなくちゃいけないんです。次の素材、企画論を再考していく必要
がある時代に来ていると思っています。
1000通常の名無しさんの3倍:2008/12/24(水) 21:22:20 ID:???
どっちもいい
10011001
あなたの来るのが遅すぎたのよ・・・
このスレッドはもう1000を超えたわ・・・
  , -v-、
 ( _ノヾ )☆.。.:*・゜    ☆.。.:*・゜
 O ・_ ・ノ)
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