ガイア・ギア、Gセイバー、アベニール その4

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231通常の名無しさんの3倍
>>230
ZガンダムLDボックスのライナーに収録されてる富野メモ。84.5.21付けの「ストーリー私案」の最初に出てくる。

『シャア・アズナブルは、兄妹がいた。一卵性双生児とする。体外受精卵をフリージングしていた。
ダイクンの血を受け継いでいた。セイラ・マスは、地球にいる。この条件を克服する方法があるのか?
(略)シャアは、自分が改革者としてまっとうに戦い、死んでいったとする。
ダイクンの遺志を継ぎ、何よりも、人の生き死にのドラマを見ていったときに、ニュータイプの可能性を信じ、
しかし、人がもろく、自分は冷たい人間なのではないか、という不安の中で、新しい恋人なりに抱かれて死んでいくのだろう。
その時に、後事を託す人というのが現れて、それが、第二のシャアなのだという事で、ガンダムUのゼーターへひき継がれるのではないだろうか。
後始末のためのベーター[ママ]ガンダムというのが、必要なわけなのかもしれない。』

この後の展開を構想したストーリー私案でこのアイディアはまったく触れられないが、最後に再び出てくる。

『シャアは、自分の中にあるニュータイプ的なものを道具として使いすぎた、という感覚と、
憧れだけで、その能力を捻出させたという無理さの中で、個人的に敗北を喫してゆく。
パプテマス・シロッコがそのシャアのその動揺というか、逡巡を突くのだ。そのことを口惜しむのは、ハマーン・カーンなのだろうか?
(略)シャアは、ダイクンの遺志を継ぎ、何よりも、人の生き死にのドラマを見ていったときに、ニュータイプの可能性を信じ、
しかし、人はもろく、自分は冷たい人間なのではないか、という不安の中で、ハマーン・カーンの膝の上で死んでゆく。
が、その時、ハマーン・カーンは、まったく別の理由で泣き、その涙を誤解して死んでゆくシャアという構造は、ニュータイプの敗北の象徴である。
その時に、後事を託されるのが、カミーユ・ビダンだとすると、カミーユは、自壊作用を示すかもしれない。
そうなれば、第二のシャアが必要だと言うことになる。フリージング・シャアである。ガンダムV、シーグマ・ガンダムへとひき継がれる。
その時に、これは原題の黙示録的なあつかいとしたい。そして、第二のニュータイプ論へと進むかもしれない。 1984.7.17 A/ 8.4 8.20』

「第二のニュータイプ論」というのは、このメモの別箇所で触れられているギャザー・スタイム(NTの共感を更に進めた他者との同化)のことだろう。
ガイア・ギアの連載開始がZZ終了とほぼ同時のNT87年4月号ということから考えても、Z・ZZで使えなかったアイディアの再利用という面はあったんじゃないかな。