で
ΖダムA三号
質問者…Ζ三部作を通して観て、人の人との会話だったり肉体的な接触
肌と肌のとの触れ合いということをもの凄く大事にしてると思ったのですが
逆にNTという言葉が出てきません。これは監督自身の「Ζ」における
精神的な触れ合いから肉体的な触れ合いに変化したのではないでしょうか?
富野…おっしゃるとおりです。だからそれ以上説明する気がありません。
ただ、だからと言ってNT論から距離をおいたということではないんです。
むしろNTとはこういうものなんだと確定できました。
僕は旧作Ζはお化け映画みたいでイヤだなという印象があったんですが
今回の映画はお化け映画にはなってないはずです。
実際にはお化けのシーンは旧作の量をそのまま使ってるのにもかかわらず
印象は違うはずです。それはNTというお化けの部分をポジティブに転化
できたからなんです。
富野のNT論の回答は
精神的にも肉体的にも体感を得て
それを隣の人を大事にするために活かせる人
それが真のニュータイプの姿だとさ
劇場版ΖΖのジュドーがギャザースイムに覚醒するらしいね
7 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/13(月) 14:53:36 ID:IJ29czdC
ギャザースイム?なんだそれ。
>>7 ギャザースタイムつうのは初期案Ζの企画
カミーユがNTを超えてギャザースタイムに覚醒してシロッコ倒すという話
じゃあギャザースイムって何?
■ギャザー・スタイムという概念の導入
(注:ギャザー・スタイムとは、ニュータイプという概念を一歩進めたもの。
他者との共鳴だけでなく、精神的に他者と完全な一致を見ることを表現しようとしていたようだ。
この概念は、結局「Z」では採用されず、わずかにZのバイオセンサーに名残をとどめる。)
しかし、人と同化すると言うことが、人の能力の拡大であるとは思えないという反論に対して、
どのように対処するのか?
他者をとり込む技術的な解決策がどこにあるのか?
とり込まれた側の主権というものがどのようになるのか?
主権論で言えば、肉体を持った人であるからこそ、任意の認識を具有する事ができるのであって、
そうでない人の存在というものは、偏向したものとして存在するわけであって、
反物質的でありすぎるという懸念を解消する事はできないのではないのか?
死を待たなければ、ギャザー・スタイムが完決しないとなったとき、
故意に殺人を犯すというプロセスが産まれ出よう。
劇的でいいのだが、そこにのみ焦点を合わせるという訳にはいかない。
大体、ギャザー・スタイムの概念の至る処は、愛なんだ、
という結論さえも用意する事ができるわけで、それでは"ヤマト"と同じでしかない。
この前提を回避する方法というものが、設定されなければ、
ゼーター・ガンダムの意味はないわけだ。
84.3.12
■ゼーター・ガンダム=逆襲のシャア=
これを置いた時のゼーター・ガンダムはどうなる。
これが第二のニュータイプ論。ギャザースタイムになるのだろうが、
この為には、もう少し時間が必要な気がする。
手をつなぎあう人の共感論なのだから。
現実と照らし合わせた場合のシリアスなアピールがどの部分にあるのか?
ドラマナイズしてゆく場合の、共感はどこにあるのか?
なにが、一般受けするものなのか、という原点の模索は、注意深くされなければならない。
しかし、ここまで吐き出した時に、俺はどこに行くのかという不安がある。
大丈夫だという安心感は、所詮自慰なのだから…。
84.5.21
ΖガンダムLDBOX富野メモより
まちがえた((=-_- =))ウツダシノウ
アロムはギャザースイムに成れるだろうな
Zの初期案や企画書から判ることは
富野が物語の中心で描きたかった人物、主人公は明らかにアムロではなくシャアだったんだよね。
カミーユはZの物語での狂言回し的な立場。彼が視聴者とストーリを引っ張る役割を担う。
シャアは反地球連邦組織に所属はしていたが年齢とともにニュータイプ能力や気持ちは萎えていて
初代ガンダムの頃に描いていたニュータイプによる新しい時代を作ることをほぼ諦めかけていた。
が、新しきニュータイプの可能性、カミーユとの出会いでまた本来の目的を思い出し復活する。
一方アムロは情けない人生をおくり落葉の日々をすごしている。
この頃のアムロは完全な脇役。映画のような役割もない。
若く成長途中のカミーユはそんなアムロの姿に落胆し、ニュータイプは万能でないことを理解する。
視聴者の気持ちを代弁する狂言回しのカミーユにそういう経験をさせることによって、
視聴者にニュータイプの悲しみを伝えようとしたのだ。
そしてショックなのはアムロはそのまま死んでしまうということ。
それまでのニュータイプの象徴アムロという存在が消え、
ニュータイプの覚醒は更に新しきステージ(ギャザースタイム)へと移行する。
悩みから目覚めたシャアはハマーンを倒しジオンの残存勢力を取り込み、連邦に反撃すべく準備を進める。
そこに立ちはだかる正体不明の天才、パプティマスシロッコ。
彼はすべての能力において覚醒シャアを圧倒してゆく。
もうすべてを諦めかけたとき、新しい世代のニュータイプであるところのカミーユが捨て身でシロッコを倒す。
そしてシャアは願っていたニュータイプによる新時代を作るのは自分でもニュータイプという存在でもなく、
新しい世代の人類によって成されてゆく事を理解し物語は終わる。
>>6 ギャザースタイムな
というかカミーユだけだろギャザースタイムは
初期案Ζだけの話で没案だし
だがな、あれはどう見てもシロッコのサイコアタックだろ。
相手に同調して死ぬときに相手の意識も引きずり込んだ描写だろ。
あとから人類を背負おうとしたとか理屈つけただけなんじゃないのか?
自分のNT論にこじつけられるように
>>16 誤爆かも試練が、意見には同意。
シロッコが魂を一緒に連れて行こうとしなかったら
TVでもカミーユ狂わなかったようにも取れる。
ニュータイプだろうがギャザースタイムだろうが超能力者が人類の革新って考え方なら、
結局シャアは逆シャアと同じ事しそうだな。
シャアじゃなくても超能力者による独善的な世直しをしたがるヤツは出てきそう。
>>19 だから富野はそういう電波な意味じゃなく
隣の人を大事に出来る人が真のNTってことにしたんだろうな
まあ新訳のカミーユは十分超能力だったけど
ならシーブックが最高のNTだな。
つか既にF91で答えだしてるじゃん。
なぜ今更Zいじってまで同じことを
さも新発見のように?
NTって結局OTを殺すし
NT同士でもパイロットとして戦場の前線で戦って
戦争自体をを収める力もない。
所詮一パイロット。
アロムはギャザースリムか…
エスパーでいいじゃん。あとからなんか大層な意味を跡付け
するから反感かう。第一ゼータ自体物凄いNT批判の山じゃん。
自閉症の子供なんだ
大人と子供を使い分けて!
所詮戦争の道具に過ぎないんだ!
お前ほど人を殺しちゃいない!
ずかずかと俗物め!
隣人を大切にするとか分かり合うのに特殊能力なんて関係ない。
心を広く偏見の無くす方がよっぽど分かりあえる、大切にしあえる。
どうしてもキメ技に超能力使いたいなら別だが。
うーん、なんだかXみたいな論調になってしまった。
27 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/14(火) 20:03:51 ID:WQ96j26J
だからさ、富野はニュータイプ論に絶望して
Zをあのような物語にしたんだよ。
それが逆にNT論のファンの不安や錯誤を生み
NTとはなんぞや、という議論を煽り
長くNTにとらわれる歴史を作ってしまった。
「人と人とはわかりあえる」というテーマの
方便でしかなかったのにね。NTは。
また、わかりあえる大人になって欲しいというメッセージだったのだろうけど。
結果はNTという概念に縛られた、わかりあえない人々を量産してしまったね。
そういうのって、
80年代前半のアニオタの雰囲気を知らないとわかりにくいな。
どんなだったの?
当時の俺はガキだったからよくわからん。
トミーノ的にニュータイプの究極っつーか理想形は、多分ブレンの宇都宮比瑪だと思う今日この頃。
で最後に富野が出した真のニュータイプが
精神的に繋がり肉体的に体感を得て
隣の人を大事にできる人
>>29 新訳のカミーユらしいよ究極のニュータイプというのは
富野が言うには
>>31 つか劇場版Ζでやりたい事って、実質V→ブレン→∀で殆どやってるし。
というよりも、「究極のニュータイプ」とやらに必要なのって、別に「ニュータイプ能力」では無い、と思うんだけどね。
>>32 まあ新訳カミーユも思いっきりトンでも超能力展開やってるしね
>>32 その御大が今までやってきたことの集大成を
新訳Ζのカミーユにこめたんじゃねーの
だからNTに結論だせたとか言ってるし
NTなんて言ってる時点で選民思想になる。
ニューとオールドに分けるから。
どんな基準をもうけようと。
正当化のため言葉を費やすほどいびつになる。
NTを正当化したいんなら逆説的なようだが、まずNTという言葉を捨てなければな。
>>35 だから新訳Ζの三部での劇場でのシャア、シロッコ、ハマーンの思想の論争の時に
カミーユはシャアもふくめて否定したんだと思う
NTもOTもない
一番排除しなくてはいけないのは地球のことを考えれないあんた達だという
言葉に変わったんだと思う
そもそもなんで地球にいるとダメなの?
逆シャアとかで地球攻撃する理由がよくわかんないのだけど
>>37 地球にいるのがダメなんじゃなくて
地球にいることで宇宙の人々のことを考えないことがダメなんでしょ
自分たちはエリートと勘違いしてる人とか
39 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/14(火) 23:55:28 ID:PIlGEBGK
じ
>>38 すごいよく解った
他人のことを考えられない人間は革新できないという意味で
隣の人を大事にする人か
ハイパー化なんかより、ファーストのラストでのテレパシーの方が
究極のNT能力だと思ふ。
人と解り合うために一番大切なことが
隣の人を思いやったり、大事にする気持ちだからね
地球の経済能力なくして宇宙の民が自活できるのか?
「明日から東京なし」って言われるようなものだろ
安彦が富野に抱いていた違和感はほぼ解消されたんじゃね?
カミーユが真のNTならNTってたいしたことない
>>47 カミーユは究極的なニュータイプ
富野曰く
49 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/15(水) 14:01:02 ID:z0dGLWwT
>>48 くどいなぁ。禿の事だから3年後にはきっと前言撤回してるぞ
むしろ前言撤回しなくなったら富野の最期
それは言えてる
とにかくNTというものは、一番初めの定義では誤解なく分かり合える人のことだった
そのことから飛躍して、他人の思考の読める人、他人に思考を伝えられる人という目に見えてわかりやすい形になって
さらに人だけじゃなくて、物事に対する洞察力を高めた人、きわめて高度な判断力の持ち主になった
さらにそこから……という風な感じで超能力者になったんだよな
だから正確にはNTの真価は洞察力にあるというのは正しいし、それが多くの人の意志を自分の中で統合しうる力となる
情報を取捨選択して結論を出す、ということの発展とみていいんじゃないだろうか
それを機械的に補強するといったことも含めて
>>51 高い洞察力によって人の意思も含む多くの情報を集められるのがNTであり、
それによって人々は善い選択ができるようになる。
というのは禿に納得できるんだが、
ギャザースタイムでは、人との意思の同化までやっちゃうんだろ?
これやると、人類に同じ思想の人ばかりが増えて進化はできなくなるんじゃね?
数学的にはサンプル数が減ることで大きな変化が起きにくくなる。
だからその設定が没になったんだろ
>>51と
>>52はガンダムで感じたものをちゃんと自分の経験として焼直せているよな。
これができるのがNTなんだろ。
「禿が言ったからカミーユが(ry」とか言ってる香具師は単なる禿至上主義でOTそのもの。
でもOTがNTを生む土壌になっているのではなくて?
古きものの全てが悪しきものではないでしょう。
土壌になって無いよ
OTガノタの子供がNTガノタなわけじゃないだろ
それは間違いだ
OTはNTの土壌に成りうる
NTは超能力者ではなくてカンの良い人間だから、OT同士の交流の中でも洞察力が研かれていけば、NTにはなれるはずだ
NTがよりわかりあえる人ならば、戦場でのNT能力はその一端に過ぎない
このスレの始めの方でも言われているが、人とわかりあうだけなら別にNTじゃあなくても出来ること
ただNTの方がより誤解なくわかりあえるというだけでね
だからNTの発現というのは日常ではわかりにくい。OTならばなおさらだね
木星に行くとNT能力が高まると小説版ガンダムに書いてあったけどよくわかんなかったな
危険な作業からくるプレッシャーのおかげらしいけど
>58
木星圏に限らず、地球と違って
「宇宙服or外壁一枚隔てた先は死の宇宙空間」という環境では
人間は全身の感覚を研ぎ澄まさないと生きていけないから
自ずと超感覚であるNT能力も高まる。
NT能力者のほとんどがスペースノイドなのはそういう理由…らしい。
>>59 でもガンダムやΖの小説に木星の重力はNT能力を拡大させるとあるよ
>60
単に禿がそれっぽく書いただけで、木星ってのに大して意味はない。それで納得出来なきゃ
「地球の重力から完全に解き放たれた分NT能力が高まった」とでも解釈しときなさい。
黒本の敵も木星帝国だったし、それっぽくは聞こえるだろ。
>>61 木星の重力は緊張感をもたらすから
NT能力の拡大に繋がるみたいなこと書いてたぞ
確か
なんか木星の重力はいい重力
っていってるみたいだw
木製にはモノリスがあるからな
木星とはツァトゥグァが地球に飛来する前に棲んでいた星であり、
フジウルクォイグムンズハーをはじめとする、ツァトゥグァと縁を持つ神性が
未だに棲み、住民に崇拝されているという。
液体金属の湖、灰色の砂漠、サボテン状鉱物生命や菌類の林、山岳などの
地形が存在し、また、頭を持たないブフレムフロイム、翼のない鳥人ドジュヒビ、
おしゃべりな小人エフィク、地底に隠れ住むグロング、神々を熱心に崇拝する
イドヒームなどの種族が存在する。
木星行くとNT能力が高まる、ってのは木星行ってスターチャイルドになった2001年からとってるんでしょ。
じゃあなんで2001年では木星なのかというと、元ネタは西洋神秘主義だったりする。
カバラー(ユダヤ教神秘主義)起源でルドルフ・シュタイナーなんかに受け継がれてるが、
精神の上昇の各段階を天体で象徴し、「木星」段階まで登っていくのがひとつの大目標になってる
(そこから先、「木星」と「土星」の間には「大いなる深淵」があり、これを渡ると肉体を失うとされる)。
この手のオカルト的な象徴やそれらがもつ心理学的な意味は、富野もいろいろ勉強してるふしがある。
2001年宇宙の旅は最初土星のつもりが映像が難しいので木星にしたんだよ
木星帰りのNTなんてブル、シッコロ、ハーマンの三人だけじゃね?
シャリア大尉がお怒りのようです
NT論はもう袋小路にはいって進化できない生物のようなもの。
なにより上の人も書いてるけど、OTとNTに分けられた時点で人類始まっていらいの差別が勃発するだけ。
共感できる〜という夢は行き着けば他人と自分との癒着でしかなかったし、
しかもエヴァで人類補完計画という個の境界線までなくされた平和、という皮肉までされた。
分かり合うことは争いがなくなることではない。
なら、隣人という人を大切にできる、というコンセプトは普通すぎて
ロボットにのるエスパー達の立ち位置を説明できない。
所詮オサレなエスパーぐらいの認識でちょうどいいのかもしれない。
○主人公達はNTで、視聴者のカタルシスを得るために戦うエリートである
○NTは相手と共感し戦わない人である
○ガンダムでは主人公達が載るMSの戦いが視聴者の望むものである
もう矛盾してるじゃん
ここで議論するより心理学の本読んだ方がマシ
NT=洞察力の高い人間ならね
まあ人の気持ちがわかるようになってもファンネルは使えないけど
>OTはNTの土壌に成りうる
>NTは超能力者ではなくてカンの良い人間だから、OT同士の交流の中でも洞察力が研かれていけば、NTにはなれるはずだ
ジェリド特攻の描写を見る限りジェリドは相手がマウアー限定でNTだったわけだ
マウアーの事だけわかっても他の奴の事はわからないからシャア以上にNTの成り損ない
他の奴相手だとハマーンが毒ガス使うの予想してあらかじめ解毒剤飲むくらいがジェリドの限界
一番最初
アムロとララァの時から、NTは全然戦いを止められないのが証明されてる。
ララァは「できません大佐」じゃなくて「お手伝いします」って言ったのだから。
もし心が通じ合ったとしても戦いを止めるためじゃなく
戦いを止められない事実をお互いに確認しただけに留まる。
ZはNT達が勢揃いだがそろいもそろって殺す気満々だ。
Vガンダムの小説版にこんな事が書いてあった。狂ってた時期の富野の文だから当てにならんけど。
マーベットが、誤解していることがあるとすれば、ニュータイプがすぐれたものである、という理解である。そうではない。
ニュータイプとは、環境に共生できる、ごくふつうの生物の境地のことである。
人は、技術と文明をもったおかげで、素直な生物の種として、自然界と適合することをやめた変種なのだ。
その種としてもってしまった歪みを矯正するだけのこと・・・・・・。
それができた人こそ、ニュータイプであるはずなのだ。
>その種としてもってしまった歪みを矯正するだけのこと・・・・・・。
それはそれで面白そうだけど
ガンダムのNT達でそんな人は見あたらないからねえ。
むしろさらにひずんだ子どもたち(それはそれで魅力的だが)
宇宙空間の真空環境に適合したからテレパシー使えるようになったんだろ
真空じゃ音は伝わらないから会話はできないし無線でもない限り意思疎通は不可能
無線使うって行為が種としてもってしまった歪
俺もそう思ってた
宇宙空間に進出して人と人との距離が地球にいたころより拡大したから
それにともなって進化しただけだよな
コミュニケーション能力が進化したぐらいの設定にしとけばよかったのに
初期設定は素人のアムロがMSをエースばりに操縦出来るのはオカシイ!ってとこからだっけ?
>>81 金田正太郎や兜コウジに文句を言うのは少数派だよ
>>1 発案者の意見がころころ変わるんじゃどうしようもない。
NTはNEETの略。
これでいいじゃんw
>>75 それはVだけに限ったことじゃないね。
1stの小説にも、「NTは進化というよりも人類のルネッサンス(再生)」だと書いてある。
俺はNTというのは進化した人類ではなく、機械文明であっても昔のように自然や人を感覚的に捉えられ、
自分と他人、科学技術と自然とのバランスを正しく認識出来る人だと捉えているよ。
アムロはジェットストリームアタックをかわした時ぐらいからおかしくなったよ
カミーユのラストの異世界で死者との同化やシンクロみたいなのが異常なオカルトなだけだよ
カイさんを後ろから見つめるミハルがその元祖だよ
心象風景とオカルトの区別くらいはつけられますから
>>89 それって市原悦子にインスパイヤされたやつだろ?
やっさんキャラなら許せる描写も、
北爪だと許せなくなる香具師が多かった。
絵師の人徳の差、それだけだと思う。
俺は安彦より北爪の方が好きだよ
俺は安彦より北爪より小林の方が好きだよ
95 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/24(金) 23:44:03 ID:4hYfxybp
ニュータイプのせいでに書きこんだ者だけど
主題じゃないだろう。Ζではとりあげられてたよ。それはわかる。
でもあれは、ニュータイプにかこつけた中年が言い訳する話だろう。
1stで出てきたよ。当時の少なくない青年を惹き付けたかもしれない。敢えて多いとは言わない。多くないし。
要素の一つでしかないよ
日本語になってねえ
97 :
通常の名無しさんの3倍:2006/03/24(金) 23:53:50 ID:4hYfxybp
わかるやつはわかるんだよ。垣はだまってろ
どうみても論旨(があるとして)が混乱している。
ニュータイプウザイ、という気分だけが伝わってきます。
これではあなたが嫌いな富野文章以下です。
ていうかこのスレ使うな
新スレ立てろ
すまんかった
全ては新訳カミーユに詰まってる
論、ってw
そんな学問のように論ずるほど深みのあるテーマでもないだろ<ニュータイプ
シンプルに第6感でもいいんじゃね?虫の知らせでもいいし
このままだと「エスパーロボ ガンダム・サイキック少年アムロwww」
になっちまうぞw
ぶっちゃけ新約のカミーユをみてもなにがいいたいんだかさっぱり分からなかったが
大風呂敷を広げた割には、体感が大事って事だろう
だからF91でよかったのにね
F91抱擁と新訳Ζの抱擁は趣旨が違うだろう
新訳Ζは精神論(死者や他者との精神的な共感)だけでなく
体感という肉体の暖かさで包むというNT論の確定がテーマだし
F91はただ大事な人間を見つけれた喜びでしかない
同じような描写でもテーマみたいなのは違うでしょ
はぁ?同じだろ。
隣にいる人を大事に出来ないで、人生に意味はないってこと描写には違いない。
そもそもNT論の確定なんて言ったって、結局は今までのと大して変わってない。
富野は人類に絶望なんてしなくて良いと思っているから、
カミーユにシャアも否定させたなんてコメントしてたけど、
そんなのCCAでアムロが言ってることだし。
Zで失敗したラストを作り直しただけで、
今までのNT論と全く違うとか頭悪いんじゃないの?
>>106 ポイントは今まで人殺しの兵器だったMSやニュータイプが
人を不幸にしてきたんだけど、F91の場合、人や家族を救って
幸福になるっていうことが重要だったりするんだよね。
鉄仮面とF91の対比も印象的。
>>107 NTって作品ごとに描き方がちがうよ?
「肉体」に対する嫌悪というのがかつての富野にはあって、
「肉体」と「重力」というのが、表現としては密接な関係にある。
それが作中において「地球の重力に魂をひかれた人々」という言葉になり、
また非‐肉的な精神世界への接近という形になっていた。
それが鬱病とそのリハビリ、またオウムやエヴァに対する批判を通して
肉体の肯定とそこから遊離した観念論への反発となり、
「排除しなければならないのは地球の大きさと重さを想像できない貴方達だ」
とTV版とはまったく逆のことをいってる、というのが新訳Zのキモでしょ。
地球を大事にするなんてのは、ほとんどの作品で言ってることだし、
アニメだってセイラさんがOTがNTの土壌を生んだなんて台詞から、
人類に希望を捨てるな的なメッセージはあったよ?
肉体が大事ってのは、やはり小説でアムロが死んだ時に後悔するシーンでもある。
全ての作品の中で培ったものの延長上にあるのが
今回の新約Zであって、描写の違いは作品ごとにあっても、
根底にある富野の考えはそんなには変わってないってことが言いたいんだが、
何で新約Zだけを特別扱いしたがるのよ?
>>111 1stにおいては、素人のアムロが何故そんな強いのか?ってのに対して、他のロボット物と違った上で
特殊能力を付けた。それがNT
当時はエスパーと何が違うんだ?って事で安彦良和と一悶着
ZでNTの上を行くギャザースタイムを考えるも、個人の人権や主観が問題になって裏設定へ
人は他人である以上分かり合えない結末へ
CCAでガンダムを終わらせようとして、代表格の決着
お互いの考えを納得しながらも、自己の思考を優先
むしろ、OTが感化
どちらが正しいのか、どちらが間違ってるのか
いやむしろ善悪ではなく人の本能に従ったOT
F91は描かれてるものが少な過ぎる為、考察は無謀
取り敢えず、人を助けたいって思いは人を救う
Vはそれまでのガンダムを壊す為に作られた
広大な宇宙において、お互いを感じあう為のNTとしての力が地球にとって大事となる
前提を無視した上でしっかり練られてない為、消化不足
結局NTって何なのよ?
∀においてNTなんて嘘なんですよ
そして結論の新約Z
隣の人を大事に思う事がNTなんです
今までのNTというのは精神的な共感ばっかだったけど
それ+肉体の体感ができる人という纏めはよかったと思う
今までのNT論は地に足が着いてないイメージだったけど
今回の新訳Zで地に足がついた感じはある
精神的な繋がりを肉体的な体感に活かせて隣の人を大事にできる人が真のNT
ということで結論という感じだし
Z厨が痛いって意見をよく聞くが、このスレを見ると良く分かるな
取り敢えず、新約Z見てないんだが流れ見て三作目でカミーユとファ(もしくはフォかロザミア?)とのSEXシーンがある事は把握した
うん、肉体で繋がるのはいいよ
精神的な高揚が得られるからね
ぶっちゃけ、SEXよりもオナニーの方がキモチイイ
自分で好きに出来るからね
でも、何故SEXの方がいいかって言うとやっぱり精神的なもんだもんね
あー、あれだあれ
一人で高い酒飲むのと、みんなで盛り上がりながら安酒カッ喰らう
これと同じだ
人は思い次第でどんな状況だって乗り越えられるんだ
新約Zのどこが究極NT論なのかねぇ
最後こそ隣人を大事にする的な描写はあるが、そこまでの過程が全く描かれていない
ただラストを変えただけで、そこに辿り着くまでの描写が旧作使った駄作だから余計薄っぺらな結論に見える
好き勝手やって、ムカツク奴を不思議パワーで殺し、隣人と抱き合うのが真のNT?
禿は終わったな・・・
とりあえず新訳を新約と書いてるヤツは基本的にアンチだなw
そりゃあカミーユは富野御大曰く究極の最高NTですからw
>>117 カミーユはNTのキリストなんだから新約でも間違ってないお!
というより、カミーユはNT論の犠牲者
アムロよりすばらしいNTという意味でNTとはなにか、という疑問に答えられず、
性格や行動さえ支離滅裂に。
彼は誰も救えなかった。命からがら救ってもらっただけ。
映画もただ狂わなかった、というのを最後に取って付けただけ。
>>120 つまりZの主人公はカツがやるべきだったって事だね
正確や行動が支離滅裂でも、あいつなら
「これでいいのだ!」
って言い切りそうな精神力の持ち主だし
カミーユの設定は
人間にどこまでNT能力を詰め込めるかみたいな実験体みたいなとこあったからな
劇場版では狂うわないからキラみたいな厨なキャラになってしまった
NT能力最高だから壊れるしかなかったというカミーユは儚さが出てて良かった
まぁ、隣人を大切にするってのも結局は
「僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない」
と、ほとんど意味が一緒だからね
精神よりも生きていること、体感が大事。傍にいる人達が大事という意味合いは1stで十分に出来てた
>>124 抱擁を入れたことによって1stのラスト以上に進んだNT論(体感)を強調したかったんだろ
まあ言ってる意味合いは同じだと思うけど
>>112 VはNT(サイキッカー)の力で逆に戦争を抑えようとする描写が
あるよね。いままでのNTでは人は分かり合えないから、
逆に幼児化してしまえば争うことはないって考えじゃない?
で∀は争うことを忘れてしまった人々が異文明人と触れ合うことで、
闘争本能を覚醒させるって話。
この世界でも人々はお互い手を伸ばしながらもわかりあうことが出来ず、
どう剣の鞘に収めるかっていうのが問題だったと思う。
いろいろと苦難を見せながらも共存の道に進んでいくのは今までと違うところだけど。
まあ今までやってきた集大成みたいな感じはあったな
今回の新約ZのNT論は
だから富野はこれで結論が出たと言ったんじゃね?
特に1st、ブレン、∀、F91、ZZ、Vの要素全部混ぜてる感じだし
本来は新約Zって∀みたいにしたかったと思うんだよね
∀は禿の中で究極系みたいな評価だし
旧画との兼ね合いさえなければ全面的に改良したかったろうな
>>126 幼児の方が残虐に思えて仕方の無い俺がいる
>>129 そりゃ、残虐だからウッソは否定したんでしょ。
>>130 なるほどね。確かに客観的に見てもTV版Zだけラストが失敗してる感があったからな。
新約Zは今までの総まとめであり、失敗作であるZの改訂なんだろうね。
まあなんにせよNT論はΖで終ってくれてよかった
もうNTはおなかいっぱいだから他のテーマの富野ガンダムが見たい
富野がガンダム作るかね?
∀でお腹いっぱいだし、ガンダムはもういいよ
ようはNTとは愛なんですよ
では1stをリメイクした愛・戦士を
ちょっと捻れた世界だからガンダムは面白かったのに、
素直なエンタメを求める輩がNT論を嫌うのだ。
ニュータイプなんてもう古い
じゃ、新しくミドルタイプで。
別に人類なんてどうでもいいんじゃねーっていう超穏健派。
それでいて無意味にバリアはったり、巨大化したりもする。
ニートタイプ
「学ぶということは、他者をとりこむことで、自己に他者を投影することである。
となると、自己はひとりではないし、また、他者が自己のものを学んでくれて、
吸収してくれるなら、そこにも自己がいることになる。
これは、多重人格論ではなく、このように統合されているという
認識が強固であれば、専制的な意志の統合とはちがうものになる。
これはかなり長いあいだ誤解されるだろうが、
統治論とか管理ではないかたちの
ニュータイプ化として認識される時代はくるだろう。」(「ターンエーの癒し」より)
ニュータイプは幻想だ。
富野も実際ニュータイプなんかどうでもいいやって思ってそう。
みんな本音はそうだろ
149 :
通常の名無しさんの3倍:2006/04/03(月) 16:01:00 ID:51ZK8jJl
あげ
>>102 そのとおりだな
作品としてガンダムを楽しむのは当然ありだが、NTとか政治思想は論じるほどのものじゃあない
フーコーでもラカンでもブーバーでもかじっていれば、御大の言わんとしていることがわかる
特に隣人を大切にする云々なんか、ブーバーの言う<ich-du>に介在する<und>とかまんまだし
ちょwww
その三人全員別物なんだが(一応本職ね)
あんたはブーバー好きなだけでは?
レヴィナスとか言うなら脈絡合うけど
今時代はOTのほうが人間的、というもんじゃないの?
ネットやら携帯やらなにやら
直接会わなくてもいい時代になって
テレパシーより、目の前にいることが大事になってきてさ
要するにNTは時代的に古いと
スペースノイドが宇宙にフロンティアを求めたアメリカ人ならば
ニュータイプは何故か妙に戦闘能力の高いヒッピーだ。
アメリカはわが国がヒッピーを産んだロックも産んだ、
歴史が浅いと馬鹿にすんな、アメリカ良いトコ一度はおいでと言う。
シャアはみんな旧大陸をおん出てアメリカに来い
そうすればヒッピーマインドが目覚めるという。
まあね、実際、身近な人を大事にして愛するためにも、一回は遠くへ行ったほうがいいよ。
自国から出ないで偏屈な人と、
一回他所の国を回って自国に落ち着いた人では全然違うからね。
例えば、イスラムの教えしか知らない人がイスラムの隣人だけ大事にしていたら
それがニュータイプなのかと。閉じてるだけじゃん
日本は今隣のアジアを愛せと言えるけど、大東亜共栄圏のままじゃ駄目だった。
アメリカ気分になったことがあるから言える。
一回遠くへ行くのが大前提だよ
多くを知った上で、その上で隣人を選んだって言えなきゃ駄目だよ
遠くへ行ったこともない井の中の蛙が、狭く隣人だけ愛そうなんて言えないんだよ。
ブバァッ
所詮空想絵空事
159 :
通常の名無しさんの3倍:2006/04/12(水) 13:12:38 ID:tppfx2Wu
禿の思考的には1stで人は分かり合えるってやったけど
イデオンで人は結局分かり合えない、死ぬまで殺しあうエゴの塊
ってオチをつけたんじゃないか?
数多の禿作品はその間の思考の揺らぎでしかないと。
それとも伝説の名作イデオンは気の迷い?
160 :
通常の名無しさんの3倍:2006/04/12(水) 14:04:52 ID:wgW/gvhS
分かり合う=殺し合わない、ではない。
お互いによく分かり合う故に、何が何でも相手を殺さなければ収まらない、という悲劇もある。
分かり合えれば殺し合いは必要ない、との発想は、戦いに疲れた少年兵アムロの短絡的な願望だ。
奴は兵士としてもNTとしても超一流だが、その他の部分は年相応の子供に過ぎない。
>>151 指摘あんがともっと勉強してくるお∧‖∧
富野由悠季全仕事【安彦良和インタビュー】
編集: 安彦さんが入院された時には、”ニュータイプ”は まだ出て来て
いなかったんですか?
安彦: 出始めていたんじゃないですかね、抜けたのが34〜35話位からだから。
編集: イメージとして どう表現しようかという事は考えていらっしゃったのですか?
安彦: いや、表現も何も ”ニュータイプ” というのは僕は分からないというか
あれだけは納得出来なかったから、表現もへったくれもないと思った。
編集: 納得出来なかったとは?
安彦: ”ニュータイプ”も”オールドタイプ”も ねぇや、というのが
僕の考えです。最後まで人間は等身大でいて欲しいと思ったしね。 ただ
それじゃあ幕が引けない。その時に、”ニュータイプ”のような どうとでも
取れるような概念を持ってきて幕引きに持っていくというのは、富野氏は上手いな
とは思ったんです。しかし続編以降は、そこから話が始まるようになってしまい
ましたのでね。リメイク版の映画もそうだし。それから後は、ハッキリ言って
富野さんとはそりが合わない。最初のガンダムが終わった時に、これは続編が
あるなと思ったんだけど、僕はやらないよという意思表示を早めにしたのは、
もうこれから先の富野氏の思想と、自分の考え方は違うと思ったからなんです。
編集: Zガンダム以降は、キャラクターデザインだけにするつもりだったのですね。
安彦: それも渋々、いろんな事情で断れなかった事が2、3あったので
おつき合いしたんです。でも、それはもう抜け殻ですから。ガンダムについては
最初のシリーズ以外、僕はやっていないようなものだと思ってます。
色んな意見が伴って論だからイインジャネ?(まぁ、一概に言うには乱暴だろうけど)
俺結構好きだな このスレ。
>>70とかにも共感持てるし、安彦良和氏の「最後まで人間は等身大で」てのにも頷ける。
スポンサーの商魂丸出しの玩具売りの為のTVアニメに「非戦」を謳うのは元から矛盾してるとは思うけど、
(非戦じゃないか)やっぱり戦争は悲惨だって事を言っていくのは間違ってないと思うし・・・
NTが後付ってのはファンにとってはそんなに拘る事じゃないのかもしれない。
事実その言葉と、原作者によるその定義に引かれてずっとガンダムを見てきた親父達がいる。
当時は、「覚醒」とか「分かる」って言葉にナニカ新しい響きを感じてよく語ってたなぁ
チラシの裏か・・・すまなかったな。懐かしくてな。大人気なかったか・・・
アムロ=AB型
カミーユ=AB型
シャア=AB型
シロッコ=AB型
NT=AB型
>>163 NTは後付じゃなく、放映開始前にすでに構想の中に入っていたよ。
別に後付けだから価値が下がる、最初から考えてたから偉いと言うわけでもないけど。
上記安彦インタビューの、「”ニュータイプ”は まだ出て来て いなかった」
ってのは、具体的な表現として本編に登場してなかった、ということでしょ。
安彦と富野の対立構図に固執してる香具師ってまだいたんだな
1st時はファンタジー的結論だったNTだけど、
あんまりつかみがよくてそこから客が離れてくれなかった。
とはいえ、「思想」としては論理が破綻してる。
お互いを同調すれば戦争がなくなるのはおかしいし、
同調すれば、それは個としての退化だ。
突き詰めた結果NTを否定した。
もとに戻っただけなんだわ。
Z〜CCAはまさにその否定のプロセスにある作品だよな
自己消滅を運命付けられた設定
ZZだけはNTのまがい物だしな
遠藤が勝手にやってる
個性も認め合って戦わないということができるのがNTでは?
経済では特化することで競争や全滅を防いでいる
自然界もそう。
そういう文化の進化が進化なのでは
どうしてトミーノは今になってそういう理想を放棄し
全てを諦めて保守的な縦社会に回帰しようとさせるのだろう
歳をとるというのは駄目だな
>個性も認め合って戦わないということができるのがNTでは?
実際には率先して殺し合ってるじゃんNT
通じ合っても殺し合い、
分かり合っても殺し合う。
>経済では特化することで競争や全滅を防いでいる
そうではない
まあ、本当はね、ロボットにのって殺し合わない主人公はいらないんですよ。ガンダムなんだから。
でも単に忠実に任務を遂行する優秀な軍人、てのもつまらんだろ
0083がリアル狙って滑っているのもそこだ。
でも軍務から外れていく08小隊もイマイチ。
つまり、軍人を主役にするのにはやや無理があるんだと思う。
>>171 つ∀
富野はNTの希望とその否定、そして退行をちゃんと描いている。
そして∀でどうしたら地球と宇宙とで生活圏の異なる人類が、
分かり合って生活できるようになるかちゃんと描いてるんだよね。
>>173 希望と否定と退行について具体的に述べておくれ
>>171 みんながゾウリムシだったら全滅するだろ
希望=1stのラスト(NTが争いをなくす)
否定=Z〜(シャアとアムロ、シロッコとカミーユなどNT同士でも争いはなくならない)
退行=V(革新でお互いに理解するよりも逆に幼児化することで戦争を無くそうとする)
で、∀で個性を認め合った特化と棲み分けによる平和を提示した。
その∀の後の新訳Zで、なんで保守的縦社会を提示してるのか?
旧Zは胎内回帰をイメージしていたけど、新訳は出産イメージだったように
明らかに∀以降の文脈でやっていて、今度はNTの希望を描いたというのに。
富野信者にありがちというか約一名かもしれないが
富野の言いたい事がわかれば僕は満足、僕はいい視聴者、わからない奴はバカ
そうじゃなく。
富野が言いたいことを理解してるのは初歩の初歩、
その上でその言いたいことがアヤシイじゃない、
言い方がオカシイじゃないという意見があるとゆうのをわかったほうがいいよ
>>177 それは段階的にはずっと後のことでしょ。
初歩が出来てないのに先のことを問題にしてもその意義は薄い。
新約は、どうにもならないよ。
新しく作ろうとしたってお金がなくて半分旧画を使わなくてはいけない時点で
どうやって新訳を作れるツーノ?
見栄えのいい画像をちょっと入れて、最後ちょこちょこいじるしかないだろう。
残念だったと思うねえ。
そりゃあ、表向き客に「最初からお金を集められない時点で失敗でした」とは口が裂けてもいえんのだけれども。
存在がかぶる(似た種の)生物達が個性を認めて共存って無理なんだ。
隔離されないと。
スペースノイドとアースノイドを(後月もか?)がお互い住めるには
行き来ができなくなるしかない。
宇宙船があるなら、どちらか一方を侵略虐殺して滅ぼすのが種の常。でないと自分たちが滅ぼされるからね。
または、宇宙は広いので、物理的に離れる手もあるわな。
真の平和はスペースノイドがとっと地球から離れることなんだわ
∀では共存できたってことで終わってるけどね
∀は見たこと無いんだけど、ロランが女装したのが美人で男でも構わないって意見なら
いっぱあい見たな
男が戦争を拡大させるんだから女が支配すればいい。
この考えの延長上にあるのがロラン=ローラで、
その境界線とこだわりを取り払った演出なんだけどな。
>183
シロッコも女がどうのとか言ってたよな
すぐアレはだめ、これは除外って言ってる時点でNTを語れないのでは?
人間を「支配する」という発想自体が、男性のものだ。
女性で支配者になった例はいくつもあるけど、
そいつらは、生物学的にはメスかも知れないが、やっている事はオスそのものだ。
メスの体でオスを支配するには、オス以上にオスである必要があると考えるのだろう。
>>186の言ってるオスってのは生物学的なオスとは違うのか
メタファーとしてのオスじゃね?
代表者が本来のメスとなるには支配するオスを凌駕し、
その血を肉を代償として骨となる。
ガリオスト=レイスの「それでもオスは動いている」は有名な言葉。
>メスの体でオスを支配するには、オス以上にオスである必要があると考えるのだろう。
違うでしょ。女性の場合は支配しようと思ってるわけではないのよ。
むしろカリスマ性とか神秘性に惹かれて大衆が「支配されたがってしまう」
ってのがあるんじゃないかなと。そういう霊媒的な力を持った女性と、
その時の大衆の要求がうまく重なると女性の支配が成立するんじゃないかな。
もっとも、そういうのを利用しようとするってケースもあるだろうけど…。
Vガンダムのテーマだな
則天武后とか、初代エリザベスとか、神宮皇后とか。
近い所ではサッチャーや、今のライス国務長官とかを想定したんだがな。
古い人はよく解らんけど、なんだか女を捨てて支配者になった人が多そうだ。
そういう意味ではクレオパトラなんかは凄いと思う。
女の部分を活用してカエサルをたらし込み、国内では弟を抹殺して権力闘争に勝利した。
つうか、軍のシステムそのものが男性の権力増加にほかならないので
(人を殺しても利権を奪い取る暴力の正当化だかんね)
最新兵器であるロボット物語で、それらの支配を否定してしまうと話が終わっちゃう
最強兵器は「支配の象徴」なんだし、だからこそ男の子が喜んでみてんだから
でも、否定しても終わらなくてVみたいなのが出来たんだよ?
ギャザースタイムやればよかったのにΖで
まあZのオカルトラストはそうなのかもしれんが
いちおうZのラストは、ガンダム世界の科学でなら説明がつくけど?
シロッコのジオが動けなくなったのは、異常なまでに強力なカミーユの脳波に、
機体をコントロールするバイオセンサーが外部から乗っ取られたから。
突っ込んでくるカミーユの周りに死者の幻影が見えたのは、
カミーユが想像しているシーンが、NTであるシロッコにも共鳴したから。
NT独特の「わかりあう」っていう状態の一種だ。
カミーユが頭の中で想像したシーンが、シロッコにも見えてしまったんだ。
こういう共同幻想ってのがNT同士ではありうるらしい。
CCAに登場する、シャアとアムロの脳内で美化されたララァとかもね。
ギャザースタイムは他者と精神的に一体化だから
最後のカミーユは死者だけど一体化してたわな
だから超電波なイデオンだし
197 :
通常の名無しさんの3倍:2006/04/26(水) 23:58:36 ID:VddAOHB6
すみませんがギャザースタイムはDBのフージョンとは違いますか?
エヴァの不要な体を捨てすべての魂がひとつになった状態とも違いますか?
フュージョンは全然関係ない。
人類補完計画は、同じ思想の系譜に乗っているといっていい。
人類が宇宙にあがって肉体を棄てて集合精神へと進化を遂げる、
というのはティヤール・ド・シャルダンという神父・生物学者の提唱した
「オメガ・ポイント」という概念が元ネタで、ここからいろんなSFやオカルトが派生している。
>シロッコのジオが動けなくなったのは、異常なまでに強力なカミーユの脳波に、
機体をコントロールするバイオセンサーが外部から乗っ取られたから。
それが厨設定でないの?というのが問題なんだと思う。正直はあ?だったし。
ギャザースタイムは人類補完計画で皮肉られるぐらいだからな〜。
(あれは上手な皮肉だ)
つまるところ、自分の都合のいいように自分にとって都合のいい他人と同化する夢みたいなもんだから
とても進化と呼べるものでは・・
>>199 他の粗雑な設定にくらべれば些細なことじゃない?
>>199 この場合はジ・オの方が厨設定機でカミーユ+Ζにその裏を突かれた形
そのカミーユもMk-2に乗ってた時の方が操縦自体は安定してたと言われることが多い
厨設定というイメージがあるのは二次創作でファンネル乗っ取りが乱発されてるせいだろう
NTいらない
乗っ取られたというのは言い過ぎ。
せいぜい、カミーユの脳波を拾ったバイオセンサーが、
誤動作を引き起こして操縦系統が狂った、くらいだろう。
なんでかと言うと、NT専用機はパイロットの脳波の特性に合わせて調整されている。
シロッコに合わせて調整されたジオを、カミーユが乗っ取って外部から操るには、
シロッコと同じ特性を持つ脳波を出す必要がある。それは、あまり考えられない。
厨設定のファンネル乗っ取りは、クローン兵どうしでの事件か?
量産されたクローン兵どうしなら、ありえない話でもないのかも知れない。
>>204 そのありえない現象を幽霊の力がやったんじゃね?
ヤザンのハンブラビのモニターまで錯乱させてたし
カミーユはハイパー化で
>>204 二次創作というより俺ガンな
オリキャラ主人公がNTな場合は大抵やってる
バイオセンサーはあくまで簡易サイコミュだから
キュベレイとかのサイコミュほどパイロットとの波長の
チューニングしてないしな
キュベレイやサイコガンダムはパイロットの脳波との連結が大事だから
パイロットの脳波が乱れたりしたらファンネル使えなくなったりするが
バイオセンサーはあくまで操縦補助的なもんだし
ヤザンのハンブラビにも搭載されてる
ヤザンはOTじゃないの?
>>210 OTだけどNT的素養は見せてる。まあヤザン自身が完全に否定したが
ただバイオセンサーはあくまで簡易サイコミュだから
本当のサイコミュみたいにNTじゃないといけないもんでもない
あくまで機体操縦補助だし、サイコミュみたいに脳波で完全にコントロールできるもんでもない
と思う。
>>211 ただヤザンもレコアのとことか見てるとちょっとはNTっぽい感性は
ありそうだけどね。まぁヤザンはOTだろうね。
バイオセンサーだって別に使えないなら操縦テクでカバーすればいいだけ
のことでしょ。むしろヤザンにはそうあって欲しいかな。
トミノ自体がサヨだからなんとも。
古今東西、エスパーとか退魔士とか吸血鬼とか特殊能力者や異種族が新しい世界を作るとか言ってて上手くいった例は1度も無い。
日本のアニメや漫画は例外を除けばほとんどそう。
FFとかドラクエ等のRPGはみんな該当するんだけどな
一度も無いってのと例外を除けばって矛盾しね?
>例外を除けば
種の事か
ドラゴンボールの事でしょ
>一度も無いってのと例外を除けばって矛盾しね?
ぶっちゃけ、漫画やアニメのストーリーは神(作者)次第だろ。
>>213 鈴木敏夫いわく「あの人右翼だよね」。
まーウヨサヨで括るの自体がばからしいが、
学生運動時代もなりゆきとはいえ日大の体制側にいた人よ。
富野自身は、作中で極端な思想同士を相殺させて、
その結果バランスが取れていると思う。
福井とかあきまんとか、
弟子筋には右翼志向の香具師が多いから、サヨクってのはあり得ない。
ウヨサヨの上司の下では働けないとか言ってるほど、皆さん子供じゃないと思いますよ。
ウヨサヨって何を基準に決め付けてるわけ?
自分の思い込み以外に何がある?
ニュータイプは幻想だ。
>>223 やっぱりそうなんだ。
思い込みで話してもものすごいくだらないから、
ひょっとしてなにか基準があって話してるのかと思った。
ちょっと違う。ニュータイプは幻想を共有できる人だ。
バイオセンサーが簡易サイコミュってのは解ったが、
操縦者の脳波と、外部から来たノイズ脳波の区別がつかんのでは、余りに危険だ。
兵器以前にMSコントローラーとして失格なのではないかな。
カミーユ級のガイキチはそうそういないから実用化は無理だと思うけど、
一時的に強烈なノイズ脳波を発射して、バイオセンサーを麻痺させる兵器が作れそうだ。
そう言えば、NTの脳波ってのはコンピュータでエミュレーションできるんだっけ。
>>227 基本的にラストのカミーユのジオ金縛りは
そういう科学的に証明するのは不可能だろう
あの時シロッコは女の声を聞いたり、死者とカミーユが一体化してるという
超常現象が起きてる
シロッコ用にチューニングしてるわけだから
本来機能を麻痺されること自体がありえない
要ははラストにカミーユがトンでもないNT能力でジオの機能を停止させたでいいんだよ
ちなみにカミーユはヤザン戦のハイパー化でもヤザンのハンブラビのモニターを混乱させてる
>>227 ZZの時代になるとサイコミュの性能が格段に上がって
NTのサイコウェーブを機械的に作り出せるようになってる
カミーユはアナハイムのバイオセンサーとの同調性の実験体だから
カミーユのハイパー化のデータも色々調べられてるはず
カミーユは富野認定のニュータイプ能力最高だからなんでもあり
禿は「覚醒したシャアが最強」とのたまわっているわけだが。
でシャアは覚醒したの?
アムロに負けちゃったけど?
禿の言葉を額面どうり真に受けて踊らされる信者たち。
アンチが一番踊らされていると思う
禿曰く、シャアはその人格ゆえに、最後まで覚醒できなかったそうだ。
でも、禿はシャアの方がアムロよりも好きなんだと。むかし何かの新聞で読んだ。
>>227 まず、そんな前例がないからどのようなサイコウェーブが相手の機器を
狂わすかわかんないよね。何より誰もその事を知らないしねw
あと、相手がバイオセンサーを搭載しているかもわかんないでしょ。
味方と区別できるかもわかんないし。あんまり意味ないと思うけど。
>>228 シロッコ用にチューニングしたかどうかわかんないよね。サイコミュは
その必要があるみたいだけど、バイオセンサーはむしろチューニングし
なくても使えるのがバイオセンサーだと思うけど。
だからジオもハンブラビもカミーユの思念通りの「金縛り」になったん
じゃないかと。そもそも論で微弱なサイコウェーブを拾おうとしてるバ
イオセンサーだから、遠くから電波が飛んでくるなんて考えてなかった
だけでしょ。まぁ、ハマーンのキュベレイを「金縛り」にしたら別なん
だろうけど。
>>236 バイセンサーも搭乗者の波長に合わせてチューニングしてるから
他のパイロットが乗っても起動しないとMS大図鑑にあるぞ
もう少し勉強しような
正論6月号
ガンダム「ニュータイプ」27年目の帰結
「覚醒」という言葉は魅力的な響きを持つ。人の進化形として「ニュータイプ」
という概念を提示し続けるアニメ「機動戦士ガンダム」のファンの心に「覚醒」への
憧れが潜んでいることは疑いようがない。かつてオウム真理教信者も、
修行で覚醒したとする自分にニュータイプの姿を重ねたという。
今年三月に公開された劇場版「機動戦士ΖガンダムV星の鼓動は愛」で昭和54年に
始まったガンダム一連のシリーズが一つの区切りを迎えた。
第一作の登場人物が活躍する物語が計七本の映画にまとまったのと、
ニュータイプの概念に作者の手で変更が加えられたという二つの意味である。
後者はもしオウム信者が十年前にこの映画を見る機会があったら、相当困りそうな変更だ
人の意思を感知して、物事をあるがままに理解できるのがニュータイプの能力だが
それに加えて「身近な人を大切にできる」という要素も加わったから。
これではサリンは撒けなくなってしまう。
発狂から抱擁へ
第一作が主人公・アムロの覚醒の物語だったのに対し
続編の「Ζガンダム」は既に覚醒した少年、カミーユが主人公。
そこで原作・総監督の富野由悠季はニュータイプの行き着く先に
「発狂」という結末を用意した。
物語は政治抗争を絡めて複雑に展開するが、ここではニュータイプ
の描き方だけに注目する。
仲間が次々と死んでいく残酷な戦場で、鋭敏すぎるカミーユは、
最後に死者たちの霊と一体となり、最強の敵を倒す。
同時に、心は死者の側に行き、精神崩壊してしまう。
駆けつけた幼馴染の少女・ファが幼児退行したカミーユを発見して物語は終る。
今年三月公開公開の映画版はTV版の内容を「新訳」と称して再構成したもので
ほぼ同じ展開にもかかわらず、富野は「発狂」ではなく「抱擁」をラストに置いた。
カミーユは死者の側には行かず、ファを抱きしめ、霊魂ではなく現実に抱きしめられる
女性がいてくれることの喜びに溢れるのだ。
この改変の意味するところを考えるに当たって、少し回り道をしてみたい。
子供向けアニメで「発狂」という展開はありえないが富野は「伝説巨人イデオン」でも
女性キャラクターをの一人は発狂させている。
理知的な科学者だったシェリルは、同じ宇宙船に乗っていた妹が流れ弾で死んだことを
契機に精神のバランスを崩す。目立たない妹をほとんど無視してきた彼女は
死なれた後に「姉らしいことを何もできなかった」と泣き、酒に溺れるのだ。
身近な人間を抱きしめられるときに抱きしめなかった後悔が、シェリルを苦しめる。
更なる悲劇で発狂に至るのだがここでは触れない。
カミーユに視点を戻すと「新訳」の「抱擁」はおそらく多くの人間がシェリルの悔恨を
カミーユなら回避できるという希望が映された描写であると気づく。
ニュータイプの能力によってである。
消えた台詞
単なるラストの差し替えではなく、この「抱擁」に至るまでに
富野はテレビ版の台詞を細かく改変している。
面白いのは、カミーユが戦場で敵に向けた「呪詛」と「自嘲」が
ことごとく削られていることだ
「暗黒の世界に帰れ」 「お前は生きていてはいけない人間なんだ」
「ここからいなくなれ」
「NTも結局何もできなのさ。できることといったら、人殺しだけみたいだな」
これらは全て消えた台詞である。
呪詛と自嘲のないカミーユは発狂せず、優しいラストにたどり着く
ニュータイプそのものの発想について富野は、素人にいきなりロボットを操縦させる
理由付けだったことをインタビューで明かしている。
いわば作劇上の方便だが、宇宙でロボットの操縦席に一人いるという絶望的に孤独
な状況で、離れた人の意思や声が自分の中に流れ込んでくるというニュータイプの
能力描写は、絵空事の超能力とは一線を画す説得力と、啓発する力があった。
しかし「Ζ」以降の作品は、第一作で見事に登場したニュータイプという概念を、
作り手とファンが引きずるような格好で制作されたきた。
後続の作品で第一作を超える評価を得たものはない。続いた背景はプラモデルなど
「ガンダム」の名前だけで一大産業に膨れ上がったスポンサー事情である。
富野が「新訳」で見せた改変は作家としての意地だ
発狂という結末に比べ「新訳」の結末は一見、凡庸である。「覚醒」に憧れる向きには、
この結末をどう受けとめればいいのか戸惑いもあるだろう。
しかしニュータイプの能力が物事をあるがままに理解する能力ならば、生きてる理由も
分からず生きてる私たちの、身も蓋もない姿もはっきり見えるはずだ。
その隣人を抱きしめて肯定することは、決して凡庸なことではない。
オウム腐してオチ付けるのは、
戦争の狂気を全部ナチにかぶせるのと同種の幼稚さを感じる
このスレちょぴり狂気を感じてきました
2D振ってSANチェック
>>237 それ「グリプス戦争」編でいいの?ちょっと見てみるわ。
NT能力がなければ起動しないって話だったと思ったけど、
違ったか…。
てか、そもそもNTによってまったく波長が違ったらNT同士で
交感できるかどうか疑問。
>>244 ZZのは簡易サイコミュはパイロットごとに脳波パターンを入力してるとある
Ζとかは不明だがパイロットとの波長あわせやってるだろすがに
あとNT能力が高くないと起動できないも本当
>>228 >シロッコ用にチューニングしてるわけだから
>本来機能を麻痺されること自体がありえない
あり得ないと言い切るのはいいすぎだろ。どっかに書いてあるの?
実際に機能に影響が出てるのジオとハンブラビだけだよね。
>トンでもないNT能力でジオの機能を停止させたでいいんだよ
ジオのバイオセンサーが反応してジオの機能を停止させただけじゃ
ないの?ちょっと意味が違うと思うけど。
>ヤザン戦のハイパー化でもヤザンのハンブラビのモニターを混乱させてる
ハイパー化はバイオセンサーもしくは別のサイコミュ(?)のおかげだろ。
>>247 ハイパー化自体が本来の機能じゃないからなバイセンの
あくまで機体制御だし
>>248 だから「別のサイコミュ(?)」と書いたのよ。バイオセンサーが本格
的に起動してハイパー化したと読み取れる記述もあるし、別の本には、
それとは別のサイコミュが実験的に搭載されていたみたいな話があるみ
たいなんだよ。
>>249 >別の本には、
>それとは別のサイコミュが実験的に搭載されていたみたいな話があるみ
>たいなんだよ。
そんなの観たことも聞いたこともないがソースは?
Ζのバイオセンサーがパイロットにも極秘で搭載されてたというのは知ってるが
Ζには試作型のバイオセンサーしか搭載されてないが
ZZは改良型バイオセンサーだが
それよりそろそろすれ違いじゃね?
>>250 ソースはあいまいだから、ハッキリしないんだよ。
そこら辺を知ってれば聞きたかっただけなんだが…。
Ζのバイオセンサーが極秘ならそれかもしれない。
>>252 言っとくけどΖにはバイオセンサーしか搭載されてないぞ
極秘というのは結構有名だが
何と勘違いしたんだ?
だとしたらバイオセンサーの記述の問題だろうなぁ。
バイオセンサーは機体の追従性を上げるものでしかない
しかしその性能を超えた性能を発揮したのはカミーユのNT能力によるところが大きいとは
ジアニメのΖ設定集に書いてる
これはシネマブックのバイセンの説明だが、ちょっと意味が違って
ないか?これ見るとハイパー化はバイセンの本格起動と解釈する事も
できると思うが。
「このシステムを完全に稼動させたのはZガンダムのカミーユ・ビダン
ただ一人であるそれも精神を崩壊させるほどのテンションをかけた場合
のみであった。」
>>256 というかサイコミュ自体が未知の部分があるんだと思う
基本は機体制御でしかないが
カミーかを見ると異常な能力を発揮させてる
アナハイムはバイオセンサーのデータを取るためにカミーユを指名してることから
カミーユのデータからサイコミュの性能についていろいろ研究が進んで
ハイパー化も機能の一つとして組み込んだ可能性もある
ZZでハイパー化のバーゲンなのはカミーユのデータの研究が生きてるからという可能性もあるかも
まあZZのハイパー化のバーゲンは子供向けの演出とは思うが
オレもそんな感じでいいと思うけどね。「サイコミュ自体が未知の
部分がある」ってのは確かにあったと思うし。まぁ、他になんかあれば
探してはみるけど。
>>257 今の後付け設定だとマジでそうなるかもな
バイセンやサイコミュの機能としてハイパー化は片付けられるかも
最近ではそんな感じだし
カミーユがバイオセンサーのデータ取りのサンプルみたいなのはよく書いてるし
ここはいっその事、公式設定よりも納得出来る旧シャア板設定を創り出すべきだ
>>257 ZZのNTならみんなハイパー化のバーゲンは
その説明なら納得できるかもね
アナハイムもカミーユの崩壊とハイパー化でのデータは研究してるだろうし
そのデータがハイパー化の実用に活きて
サイコフレーム開発につながるとかだったらもっと面白いな
NT能力がアニメのでっち上げ(ロマンス)だとしても
それなりにできることとできないことがあるわけよ、作中で。
NT能力で敵のロボット動けなくしたら、いかんわん。
ついでに兵士扱いとはいえ、殺人マシーンと化したカミーユが
突然隣人を大事にしま〜すですてきなNT人となりますた、じゃ、説得力のかけらもないわん。
カミーユは隣人を大事にできる究極のニュータイプ
ですから富野曰く
>>262 これだけバイオセンサーについて書き込んだスレで、
そんなレスかよw
富野に言え
根拠ある議論と根拠無い妄想の差だな
269 :
通常の名無しさんの3倍:2006/05/07(日) 20:49:06 ID:pR/QH6bq
そうだ浮上しよう
悲しいけど、富野もオヤジになっちまったんだろ。
俺は、悲惨な戦いの中でキレて基地外になり人を殺し、
そのあと幼児退行したカミーユの方が、より人間としてリアルだと思うし、好きだ。
これは、オヤジにはどれ一つとして許されない行動だな。
でも、人間が全てオヤジのような生き方をするわけじゃないんでね。
ニュータイプ能力にバランスをもたらすものはいつ現れますか?
ここまで一通り目を通してみたけど
Zはファーストを、新訳ZはZを観ても、人間として当たり前の
理解も成長も出来なかった人間の為に作られた作品
アニメやマンガやプラモやゲームとかを、観たり買い集めたり遊んだりして
逃げるな
ちゃんと周囲を知覚して、他人を思いやる事の出来る人間になれよ
セックスもその延長線上にある。気持ちいいぞ、子供も作れよ
そういうのがニュータイプなんだ
という理解でいいのかな?
そういう発想で行くと、
保守的な子持ちのオヤジ=ニュータイプ
という事になる。
ジャブローはニュータイプの巣窟だなw
初期の禿メモには、ニュータイプ能力として、心話やプレコグニション(予知)が挙がっている。
NT同士のMS戦闘は、純粋な読み合いがポイントとなる。
アムロは、あえて心をカラッポにして、心を読んだ敵パイロットを混乱させるという方法で、ブラウブロを撃破した。
つまり、大昔の禿の脳内では、NT=単なるエスパー(超感覚を持つ人間)だったのだ。
マチルダさん初登場時のアムロに対するセリフは、この布石だったんだろうな。
ニュータイプ能力持ってるだけじゃねぇ
隣人愛 これがはげの結論
役人同士の隣人愛を腐敗という
281 :
名無しさん:2006/05/29(月) 23:03:45 ID:h61fRuT6
このまま俺達は今まで通りガノタ道を突き進み、ことあるごとに「ガンダムを見てこういう大人になりました」的メッセージを発信し続けよう。
そうやって富野を苛立たせ続ければ、彼の寿命が尽きる前に新訳ZZと新訳Vが観れそうな気がする。
きっとすごくわかりやすいぞ。
ガノタがハマーン様にしばかれるZZや、ガノタがギロチンにかけられたりバイク戦艦に踏み潰されたりするVだ。
みんな、闘いはこれからだぜ。
戦場で隣人愛?富野もボケたな。
戦場で愛を育んだ連中の末路を、さんざん描いて来たくせに。
「戦場でラブロマンスか、ガルマらしいよ」
>>282 隣人愛の意味が違うだろ
隣人を大事にすること
現実には、戦場みたいな弱肉強食の場では、いいひとから死んでいくのよね。
「戦場」を、イコール「職場」と置き換えて考えてみると、
同じ「いいひと」でも、いいひとは結構強いような気もする。
ニュウタイプって、
NT=直感力=第六感=霊感=超能力=神通力
ではないだろうかなと単純に思うから、空想上の話ではなく、現実にある人間の能力に
「ニュータイプ」という名称を付けたにすぎない、と思っておりますどすよ。
ニュータイプは幻想だ。
NTが幻想でないとすると、今の富野みたいにおかしな事をいうしかなくなるんだよ。
いったい普通の良い人間というだけの者が、どうしてサイコミュを操ったり、
殺した敵の断末魔を聞いたり、宇宙の真空を隔てて意思疎通したりできるんでしょうね。
戦闘中の意思疎通は、
サイコみゅによってララァの思念波が増幅されたから、じゃないかと。
思念波って、誰でも出てるんですね。眉間から電磁波のたぐいのモンが。
ビットは、その増幅された思念波によって動いとるんじゃないかと。
あの不思議な意思疎通場面は、ほんの一瞬の時間のなかでのできごとなんですよ。
で、その超みじかい時間内にあれだけの情報処理、交換がなされてしまう。
NTって理解しあうのが手短かでいいね、って話。
>戦場で愛を育んだ連中の末路を、さんざん描いて来たくせに。
そうなんだよねえ。
その現実実?のある部分と(あくまでアニメの中で、という範囲でだが)
NTというファンタジーの部分を最後に合致させそうな?というところで
終わらせるしかないんだが、
それを1STで終わらせちゃった。
やっちゃいけない続きを商売の為にガチで作らされている訳。
後は逃げ回るしかない。
しかし禿は言葉遊びで子どもたちを煙にまく天才なので、また迷惑という話。
テレパシーを持ったって戦争は終わらない。
隣人(それも単に手近なお気に入りの人間じゃん)を大切にしたって戦争は終わらない。
当たり前のこと。
相手の事をあいまいに誤解しているが故に、対立せずに済む事もある。
むしろその方が多いような気がする。
NTどうしは思考を共有するので、嫌でもわかりあってしまう。
人類全てがNTに覚醒したら、たぶん互いに殺し合って短期間に絶滅するんだろうな。
車漫画の連中もNTの確立高いな・・・・
新訳カミーユがNTの答え
by富野
人類の革新がニュータイプだとするなら、ニュータイプは
作中に出てきた超能力者達のことではないと思う。
だから、人類は決して革新する事などないんだって。
歴史は必ず繰り返すんだよ。誰にもどうしようもないのさ。
繰り返しを止める方法は、CCAのシャアが見付けたね。アムロに邪魔されたけど。
僕はお釈迦様が思った悟りというのはこうじゃないかなと思うんです。
「菩提樹の下でって、日陰なんだよね」
って。風がスッと吹いてて、気持ちが良い訳です。ああ、みんながこれと同じ気持ちになったら、
仲良くちゃんとやっていけるんではないかなって・・・・これが悟りじゃないかなって気が凄くするんです。
僕の気持ちとしてよ。 つまり超能力的になって、霊視ができたり念力で物を動かしてっというところまで
行ったら悟りじゃないんではないかな?
で、すっとした気分になった時に、千里先にいる人が何をやっているのかが判るような−−−その時代の
人の有り様という物を見通す事ができたのではないかという気がするんです。これは洞察力という感じでは
ありません。ずっと昔から人間のやっている事だから千里離れた奴だってこういう風にやりたいんだろうと
思い込めたのではないでしょうか。そしてもっと重要な事は、お釈迦様のいわゆる超常現象的な表現ですが、
比喩ではないのかとひょっとしたら、確かにあったのかもしれませんよ。お釈迦様の教えを伝えようとする
各時代の人達の表現の中に精神そのものを描き、語るというロジックがどうもなかったらしい。ひとつの
精神的な物を表すために具体的に寓いかというと・・・・・少なくとも僕個人に関して言うことありますよ。
−−−続く水の上を歩いたとかいう表現を持ってその偉大さを描いたんでしょう。そしてそれは、お釈迦様の
気持ちを伝えようとしている彼らの心の中ではまさにそれ位のレベルの人間に見えたのではないんですか。
観念を表現する方法を知らなかったばかりにそういう説明をした、それが現代という時代にその部分だけが
写し絵的に写されたとしたらどうなるのかということですね。そして人の心の有り様というのはそういう物では
ないのかなと・・・・・。
>>294 あんな方法じゃ繰り返しは止められないって。
Xみたいな世界になってまたそのうち争いが起こる。
ドゥガチがしたかったみたいに地球を完全に滅ぼしても
スペースノイド同士で争いがはじまるだけ。
>>293 じっちゃ(レビル)が言ってた!
ニュータイプとはそもそも戦争なんかしなくても済む人間の事だって!
>>294 文明をリセットしても歴史を繰り返すって話が∀
でも、富野は少し賢くなった人類とも言っている
実際、初期プロットで文明を再リセットする事になっていたのに本編では
月光蝶の発動食い止めてるしね
>>295 長ェよ!!
悟り、は「真実」への到達。
何度も何度も、繰り返し「悟る」と、
生きている人は「菩薩」
死んだあとだと「仏」になれますよ。
仏=真実=極楽浄土
>新訳カミーユがNTの答え
>by富野
二部、三部、・・・観てない・・・。だから分からん・・・。
まぁ富野の語り口が長いのはいつものこと。
しゃーない。
ヲタを大量に生み出しといて結論がヲタ否定
え!・・・これ富野監督の言葉だったの?・・・
あらー・・・こらまたしつれい千万。
長くないです。長くないですよ。長くなんかないです。
まあ、いいじゃん。それが禿の答えなら。
でも、そんな新約Z、いったい誰が見るんだろうな。
旧約Zはあの基地外じみた所に惹きつけられたファンも多いというのに。
たまに基地外が事件を起こす社会よりも、
基地外の存在は一匹たりとも許さんという社会の方が、おぞましいと思うな、オレは。
>>303 すくなくとも100万人は見てるから心配スンナ
>つまり超能力的になって、霊視ができたり念力で物を動かしてっというところまで
>行ったら悟りじゃないんではないかな?
いや、修行を極めた高僧(モノホン)は、たいてい出来るんです。
ショウや見世物じゃないから、やたらめったら見せないし、見せちゃダメなんで。
そういうのをネタに信者を勧誘したらいかんのですな。
念動力や千里眼や、そういったことより
「自分事より、他人の為に尽くす。」が僧の本分ですから
超能力使えるからって自慢したり、キレて超能力を脅しに使ったりしては、怒られます。
ホントかなあ?
超能力は実在するって?
>>295読むとやっぱりNT論にとって超能力云々は方便で本質は違うとこに
あったんだなぁと思うよ
超能力の実在云々は別板でw
超能力云々は、もうしませんw
でもオリジンのララァの描写がすごく自然で良かった。
「心をよむ」という感じでいいんじゃないかな、と。
NT「論」がガンダムの社会で、どう言われてるか、でも、実際のNTとは、
論理や噂や実際とのギャップはどうか、というリアルさが堪らん堪らんタマランチ会長ですね。
新訳ΖではNTの答えを隣人愛にしたじゃん富野
カミーユは思いっきり超能力者だったけど
だから方便だと
総ての人と分かり合えりゃって良い、っていう理想はあるけど
簡単に到達しえるものではないので、今を生きる我々は
とりあえず隣人を理解することから始めましょう、ってこと
ある意味後退だがそれがいい
>>310 別に後退はしてないみんなが隣人愛もてれば理解し合えるよってこと
>>309 その超能力の部分も最後の隣人愛繋がってるってことだろ
NT論の答えは
だから究極のニュータイプとカミーユのことを言ったんだし富野
そんなアグネスチャンみたいなこと言われてもなぁ・・・
世界で戦争してる軍人さんは家族愛も隣人愛もキチンと持ち合わせてますよ
家族や恋人や友達を満足させてあげたいって気持ちが戦争の根源だし
物質やエネルギーの限界は限られてるんだから
土地とかも
でも愛する事だけはやめられないんだって結論でしょ
人間の業は「隣人」と「それ以外」を区別しちゃうことだからなぁ
>>313 隣人つうのは家族だけを指してるんじゃないんじゃね
なに?そのプラネテス
>>315 自分が意識できる「隣人」を想像してみればいいよ
家族とか友達、(いれば)恋人、親戚、先生、会社の同僚それくらいだろ?
「世界がみんな輪になって理解しあえればみんなハッピーでユニヴァース!」
あのハゲオヤジがそんな単純なタマかw
>>317 NTの隣人っていうのはまた違うんじゃね
>>318 今は丸くなってそんな感じもあるあのハゲ
まぁ新訳って旧作のシーンとマゼコゼだから多少混乱するけど
新作のシーンでは一貫してカミーユは実際に「話して」「触れ合って」「観察して」
人間を理解しようとしてるから
>>321 ちゃんと解り合おうと努力してるよな
ちゃんと観察して
究極NTになったら訳隔てなく隣人愛を持ててハッピーになれる、じゃ
結局云十年まえと変わってねぇ
>>323 根本なことは変わってないべ
ただ隣人愛という答えが強調されただけで
だからそういう努力する態度を富野は究極のNTって表現したんじゃね?
一番カミーユが変わったなと思ったとこは
シロッコに対して
テレビ版のように全否定じゃなく
ちゃんと諭してる感じなんだよな他者を利用するなと。あの場面で敬語だし
まあそれでもシロッコが受け入れる気持ちがなかったから
倒すしかなかったようだけど
>>325 究極の意味は隣人愛に辿り着けたという意味とは思うが
ちゃんと観察して理解しようとする姿にはロランがダブったな新訳カミーユ
『「ニュータイプ」は間違いだった』〜トップランナーから
簡単にいっちゃうと人間ってのはいつまでもこのままで無いだろう、
もうちょっと上等になってくんじゃないのか?もうちょっと良くなってくんじゃ
ないだろうか?その良くなるって意味はどういうことなのかという事をホントに
考えました。で、完全に誤解無く理解しあえる人々っていうとこまで高みにいく
んじゃないのかってことも思いつきました。
で思いついた結果、だけどこの考え方は基本的に間違いなんじゃ?
・・・間違いとは言わないんですけども、これを物語の芯にすることは
基本的に間違いだっていうことは気が付いたってことはありましたんで
∀の時に「ニュータイプ」って言葉を基本的に使わなかった。
で、どういううことかというと人間ってのはもともとこういう風に進化論を
肯定する、否定する、ではなくて順々にこういう風に歴史を刻んできたじゃないか?
この営み自体を大きく捉えていくべきであって、意識的にもう一つ上に行きたいとか
もっと人間ってのは上等になるんじゃないのか?って期待をするのはむしろ危険だと
思うようになりました。
---それは1stガンダムは前向きな感じで終わっていく部分もありましたよね?
その後にそれを気付いたんですか?
結局10何年かした後に気付いた事だっていうのが本当のところです。
その意識的につまり性急に代わる必要は無い、性急に代わる事の方が危険だと
いう風にも分かるようになってきた、というのはあります。
---じゃあ今ガンダムを完結するとしたらニュータイプってのは逆に出てこないかも
しれない?
出てきて終わらせるときと、今我々が想像できる程度のエンディングしか
手に入れられないだろう。だけど人間の歴史ってそんなつまらないエンディングで
ある訳ないっていう風に思ってますし、それこそ思いたいですから。そういうことを
物語上でもなんですけど簡単にピリオドを打つっていうのはいかがなものかって
言う風に本当思うようになってきました。
新訳ゼータは基本的にはターンエーの延長線上にはあるわな
画面上じゃオーラバトルしてるから分かりにくいけど(苦笑
隣人愛なんて普遍的で手垢まみれな結論に辿りついたとこが
結局人間臭くて良い。
オーラとはの旧来のNTのオカルト部分もちゃんと肯定して
それを体感と隣人愛に繋げたということがNTの完成なんでしょ
今までのNTが精神論どまりだったのを∀やブレン、キングゲイナーで手に入れた
体感や触れ合い、話し合いなどをプラスして描くということができたとは思う
新訳カミーユはNTの集大成みたいなもんだと思う。
今までの作品がなければ答えも出せなかったと思うし
ΖダムA三号
質問者…Ζ三部作を通して観て、人の人との会話だったり肉体的な接触
肌と肌のとの触れ合いということをもの凄く大事にしてると思ったのですが
逆にNTという言葉が出てきません。これは監督自身の「Ζ」における
精神的な触れ合いから肉体的な触れ合いに変化したのではないでしょうか?
富野…おっしゃるとおりです。だからそれ以上説明する気がありません。
ただ、だからと言ってNT論から距離をおいたということではないんです。
むしろNTとはこういうものなんだと確定できました。
僕は旧作Ζはお化け映画みたいでイヤだなという印象があったんですが
今回の映画はお化け映画にはなってないはずです。
実際にはお化けのシーンは旧作の量をそのまま使ってるのにもかかわらず
印象は違うはずです。それはNTというお化けの部分をポジティブに転化
できたからなんです。
その辺はガンダムをこれから作るかどうかは分からんけど
ニュータイプに限らず人の有り様を常に描いてきたと思うんで、
今後の作品に注目かなぁと。
やっぱ20年前の思想と今の思想の対比だとか融合だとか、
新訳って特殊すぎる作品だと思うし。
∀から新訳を通過したことで変化がまた変化があるのか?とか。
ニュータイプに関しては精神的、体感的な繋がりを生かした隣人愛という答えは
いい結論だとは思う。正直これ以上弄ってもこれ以上にしっくりくる結論はないと思うし
正直、一人のNTである指導者が人類全体を導くとかそんなのがおかしいと思う
NTの本質から見れば
ま、富野自身のNT論の結論がどうあれ結局は参考にしたうえで
観客各々がどう生きていくかってことでしかないからな。
当然のことだが。
>>333 でも富野作品で一番NT論突っ込んでやってたΖという素材を使ったからこそ
体感や隣人愛の大事さに行き着けたんじゃないかな
説得力もあったし
まーそうなんだけど表現が制約上なのか積極的に残してるのか
ワカラン節はあるのでキチンと正確に読み解いてるか俺は絶対の自信はないよw
>>328 まあ富野がNT論に答えだせたのはこの一、二年で山折哲雄の日本文明とは何か
って本読んだからと言ってたからな
それ読んだから一時は否定的だったNT論を再起動できたんじゃないか?
それが新訳Ζだっただけで
>>337 >>332とか読む限りは幽霊とかオーラとかの過剰なNT描写はわざと残したと思うけどね
ダムAでテレビ版の死者の声は気持ち悪かったけど、今回はうまくできて
こんなに死んだ人間の声が気持ちいいものとは思わなかった。
いい意味で供養になったとか言ってたし
ヘーゲルが神学生時代に書いた「キリスト教の精神とその運命」という論文があるが、これはけっこうNT論とリンクしてて面白い。
旧約的な「正義の宗教」であるユダヤ教から新約的な「愛の宗教」であるキリスト教への変遷を論じているんだが、
ここでユダヤ教的な「正義」に対し、「正義を求めるこの生き方は世界と他者に対する憎しみと恐れと孤独から生じている」と、
まるでシャアに対するような言葉を投げかけ、結局不正義を罰する事によってしか成立しない正義は
(アクシズ落としたり毒ガス注入したりバグを巻いたりといった)テロルを生むだけだとしている。
このユダヤ=シャア的な「正義」を超えるのがキリスト教的な「隣人愛」であり、NT論でいう他者への理解と共感という事になるんだが、
ここでヘーゲルは「愛」の限界にぶつかってしまう。
「愛」はその親密度が高いほど、その外部に対しては排他的に振舞うものであり(愛国心が排外主義と結びつくように)、
純粋な愛は世俗を離れた小集団の中でしか成立しないからだ。正義と同様、愛も世界を救うには弱すぎる。
一方、富野も20年前「Z」に取りかかる際、NT論を推し進めた精神の融合「ギャザースタイム」を描こうとしてNT論の限界にぶつかってしまう。
もっとも、ここで問題になったのはむしろ他者と結びつく事それ自体の暴力性だったが
(肉体を越えた精神の融合は相手を殺す事でしかできないとしたらそれは許されるのか、とほとんどオウムのポアの理論に接近してしまう)。
結局ヘーゲルはこの後神学をはなれ哲学に転じ、「精神現象学」で弁証法的な歴史の発展過程の必然性を問題にすることになる。
そして富野もまたこれ以上NT論を先鋭的に追及して行く事は断念して、「∀」では直線的な時間における人類の進化から、
円環的な時間における(超人なき永遠回帰とも言うべき)繰り返しへと大転回を果たす事になる。
・・・という過程を振り返ると、やっぱり新訳Zの「隣人愛」という結論は随分後退しちゃったな、という感が否めないのよね。
他にどうしようもないというのは理解できなくはないけど。
そうそう、そういう事が言いたかったw
おまい頭いいなw
他のどうしようもないけどねえちゃんの尻触ると気持ち良いわけです
気持ちいいと生きていけるんです
だからねーちゃんが尻触らしてくれるように生きるべきなんです
邪淫はイクナイ、らしいw
性欲を殺さず正しく制御、行使するのが理想的らしいっすよ。
だからねーチャンのケツはがまん。おくさんのケツだけにしときましょうw
>>340 俺は後退したとは思えないな
NTの先鋭化しすぎた描写である死者とカミーユが精神的に融合するという
ギャザースタイムの流れから生まれた描写はちゃんと残してるわけだし
ただそういう先鋭化したNT能力を持つ人間でも体感と隣人愛は大事だよってことが一番言いたいんだと思う
正論6月号
ガンダム「ニュータイプ」27年目の帰結
「覚醒」という言葉は魅力的な響きを持つ。人の進化形として「ニュータイプ」
という概念を提示し続けるアニメ「機動戦士ガンダム」のファンの心に「覚醒」への
憧れが潜んでいることは疑いようがない。かつてオウム真理教信者も、
修行で覚醒したとする自分にニュータイプの姿を重ねたという。
今年三月に公開された劇場版「機動戦士ΖガンダムV星の鼓動は愛」で昭和54年に
始まったガンダム一連のシリーズが一つの区切りを迎えた。
第一作の登場人物が活躍する物語が計七本の映画にまとまったのと、
ニュータイプの概念に作者の手で変更が加えられたという二つの意味である。
後者はもしオウム信者が十年前にこの映画を見る機会があったら、相当困りそうな変更だ
人の意思を感知して、物事をあるがままに理解できるのがニュータイプの能力だが
それに加えて「身近な人を大切にできる」という要素も加わったから。
これではサリンは撒けなくなってしまう。
発狂から抱擁へ
第一作が主人公・アムロの覚醒の物語だったのに対し
続編の「Ζガンダム」は既に覚醒した少年、カミーユが主人公。
そこで原作・総監督の富野由悠季はニュータイプの行き着く先に
「発狂」という結末を用意した。
物語は政治抗争を絡めて複雑に展開するが、ここではニュータイプ
の描き方だけに注目する。
仲間が次々と死んでいく残酷な戦場で、鋭敏すぎるカミーユは、
最後に死者たちの霊と一体となり、最強の敵を倒す。
同時に、心は死者の側に行き、精神崩壊してしまう。
駆けつけた幼馴染の少女・ファが幼児退行したカミーユを発見して物語は終る。
今年三月公開公開の映画版はTV版の内容を「新訳」と称して再構成したもので
ほぼ同じ展開にもかかわらず、富野は「発狂」ではなく「抱擁」をラストに置いた。
カミーユは死者の側には行かず、ファを抱きしめ、霊魂ではなく現実に抱きしめられる
女性がいてくれることの喜びに溢れるのだ。
この改変の意味するところを考えるに当たって、少し回り道をしてみたい。
子供向けアニメで「発狂」という展開はありえないが富野は「伝説巨人イデオン」でも
女性キャラクターをの一人は発狂させている。
理知的な科学者だったシェリルは、同じ宇宙船に乗っていた妹が流れ弾で死んだことを
契機に精神のバランスを崩す。目立たない妹をほとんど無視してきた彼女は
死なれた後に「姉らしいことを何もできなかった」と泣き、酒に溺れるのだ。
身近な人間を抱きしめられるときに抱きしめなかった後悔が、シェリルを苦しめる。
更なる悲劇で発狂に至るのだがここでは触れない。
カミーユに視点を戻すと「新訳」の「抱擁」はおそらく多くの人間がシェリルの悔恨を
カミーユなら回避できるという希望が映された描写であると気づく。
ニュータイプの能力によってである。
発狂から抱擁へ
第一作が主人公・アムロの覚醒の物語だったのに対し
続編の「Ζガンダム」は既に覚醒した少年、カミーユが主人公。
そこで原作・総監督の富野由悠季はニュータイプの行き着く先に
「発狂」という結末を用意した。
物語は政治抗争を絡めて複雑に展開するが、ここではニュータイプ
の描き方だけに注目する。
仲間が次々と死んでいく残酷な戦場で、鋭敏すぎるカミーユは、
最後に死者たちの霊と一体となり、最強の敵を倒す。
同時に、心は死者の側に行き、精神崩壊してしまう。
駆けつけた幼馴染の少女・ファが幼児退行したカミーユを発見して物語は終る。
今年三月公開公開の映画版はTV版の内容を「新訳」と称して再構成したもので
ほぼ同じ展開にもかかわらず、富野は「発狂」ではなく「抱擁」をラストに置いた。
カミーユは死者の側には行かず、ファを抱きしめ、霊魂ではなく現実に抱きしめられる
女性がいてくれることの喜びに溢れるのだ。
この改変の意味するところを考えるに当たって、少し回り道をしてみたい。
子供向けアニメで「発狂」という展開はありえないが富野は「伝説巨人イデオン」でも
女性キャラクターをの一人は発狂させている。
理知的な科学者だったシェリルは、同じ宇宙船に乗っていた妹が流れ弾で死んだことを
契機に精神のバランスを崩す。目立たない妹をほとんど無視してきた彼女は
死なれた後に「姉らしいことを何もできなかった」と泣き、酒に溺れるのだ。
身近な人間を抱きしめられるときに抱きしめなかった後悔が、シェリルを苦しめる。
更なる悲劇で発狂に至るのだがここでは触れない。
カミーユに視点を戻すと「新訳」の「抱擁」はおそらく多くの人間がシェリルの悔恨を
カミーユなら回避できるという希望が映された描写であると気づく。
ニュータイプの能力によってである。
上のトップランナーの発言でも匂わしてるけど先鋭的な人間に肯定的な
気持ちはずっと持ち合わせてるとおもうんだよねぇ(結局本人が先鋭的だし)
「間違いとは言わないんですけども、これを物語の芯にすることは
基本的に間違いだっていうことは気が付いた」の辺り。
オウムとかエヴァとか通過してどう映像に出力してくかで慎重になったって
とこだと思うんだけど。
まあΖ以降はイデオンっぽい過激なニュータイプの描写もだんだん控えめにはなるからね
遠藤ZZのスーパーロボット物的なのは除けば
Ζの時点で人類全て共感できる世の中なんて間違いとは気づいてるでしょ富野は
だからカミーユとハマーンの邂逅でも結局分かり合えない現実をやったんだし
でもイデオン見ると解るけどΖはイデオンに凄く似てる、思想とかそういうのが
カミーユはNTのキリスト的受難と評してたなそういえば
共感できる人間が少しでも増えればいいね^^
自我を開放し他人の意思を共有することは
けして幸福ではない。人はそこまで他人の介入に耐えれない
それでもカミーユはNTの才能を先鋭化させ続け
死者の魂とまで感応し、自分の精神に取り込んでいってしまう
無制限に他者を取り込んでいけば、必然的に自我の枠組みは軋み、揺らぎ、崩壊する
人はNTであることに耐えられない
カミーユ・ビダンはNTとして正しく能力を拡大していったため崩壊した
Ζヒストリカ11号
まあ「人の器」の大きさ、ってことでしょうな。許容量。
>>352 新訳は肉体の体感と隣人愛に気づけたから崩壊せずにすんだんだろうな
1stの時点でも「人類全て共感できる世の中」なんか結構疑問符付きで提示してるけどね。
ただ、あの時点じゃアニメファンと言われる人種が今ほど本性を露にしてなかったから、
マジメに作った作品に反応してくれる若者や子供たちがいるってことで、希望の方向に傾いて
終わらせたのはあるんじゃなかろうか?
ゼータの時点ではアニメオタク、プラモオタクに対する信頼とかはもう・・・w
ファンレターの内容に幻滅したらしいからな。富野監督。
>>354 そういうことだな
力の方向性がちゃんと正しく向けることができなかったから
テレビ版カミーユは崩壊したんだよ
そういう先鋭化した能力でもちゃんと観察して学習できれば
崩壊もせず大事な人間を抱くことができる
最近の白富野化はガンダム見て育って他の業種で活躍してる若者(?)に
尊敬されたり助けられたり怒られたりしたのも大きいんだろうな。
カミーユは本当に富野のニュータイプ論に振り回されてるな
いい意味でも悪い意味でも
>怒られたりしたのも
んなことあったの?
「監督が書くと全部ガンダムにしかならないんですよ!」とか
要は等身大で付き合ってくれたってことかと
いいひとだ・・・
>>360 そりゃあ最もニュータイプの酸いも甘いもを全て経験させた存在だからな
精神崩壊させられたり、NTの結論の体現者であったり
>>358 アムロカワイソス…
酷い言われようだ地球救ったのに
酷いか?今も昔も一貫してだたの人間あつかいしてるとこは
全然酷くないと思うんだけどな
ニュータイプは幻想だ。
>>347 消えた台詞
単なるラストの差し替えではなく、この「抱擁」に至るまでに
富野はテレビ版の台詞を細かく改変している。
面白いのは、カミーユが戦場で敵に向けた「呪詛」と「自嘲」が
ことごとく削られていることだ
「暗黒の世界に帰れ」 「お前は生きていてはいけない人間なんだ」
「ここからいなくなれ」
「NTも結局何もできなのさ。できることといったら、人殺しだけみたいだな」
これらは全て消えた台詞である。
呪詛と自嘲のないカミーユは発狂せず、優しいラストにたどり着く
ニュータイプそのものの発想について富野は、素人にいきなりロボットを操縦させる
理由付けだったことをインタビューで明かしている。
いわば作劇上の方便だが、宇宙でロボットの操縦席に一人いるという絶望的に孤独
な状況で、離れた人の意思や声が自分の中に流れ込んでくるというニュータイプの
能力描写は、絵空事の超能力とは一線を画す説得力と、啓発する力があった。
しかし「Ζ」以降の作品は、第一作で見事に登場したニュータイプという概念を、
作り手とファンが引きずるような格好で制作されたきた。
後続の作品で第一作を超える評価を得たものはない。続いた背景はプラモデルなど
「ガンダム」の名前だけで一大産業に膨れ上がったスポンサー事情である。
富野が「新訳」で見せた改変は作家としての意地だ
発狂という結末に比べ「新訳」の結末は一見、凡庸である。「覚醒」に憧れる向きには、
この結末をどう受けとめればいいのか戸惑いもあるだろう。
しかしニュータイプの能力が物事をあるがままに理解する能力ならば、生きてる理由も
分からず生きてる私たちの、身も蓋もない姿もはっきり見えるはずだ。
その隣人を抱きしめて肯定することは、決して凡庸なことではない。
貼り間違えた3つ目はこれね
インドで修行するのと木星で修行するのとどっちが速く悟りを開けるやら・・・
370 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/20(火) 12:52:16 ID:EpCazgXt
ありゃあ理想論さ。
新約Z自体がNTを否定してるもんね。
自分の体を超え、時を超え、場所を超え、一体化する志向の元祖NTと
まったく逆のベクトル。
隣人を愛せよってのはOTじゃん。
>ニュータイプそのものの発想について
>富野は、素人にいきなりロボットを操縦させる理由付けだったこと
NTって何? っていえば、やっぱりこれに尽きるんだね。
NT=理由付け。
確かに新訳の答えじゃNTである必要は無いな。
そうなると高松が10年前に出した答えと全く変わらなくなる。
でも漏れは隣人愛は戦争の原因でもあると思うがな
汝の隣人を愛せよって教義の宗教が
一番人殺してそうな気がするw
宗教って響きになると何か大きく変わるな
>>371 そういう当たり前のことができてない人が多いです
別に新訳はNTの否定はしてないと思うがちゃんと見れば
今までのオバケの部分である旧NT論を
肉体の暖かさの体感論で包んだことによって隣人愛という結論を持ってきただけのこと
377 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/20(火) 16:32:16 ID:DqDUnptf
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
ジュリアン ジェインズ (著), Julian Jaynes (原著), 柴田 裕之 (翻訳)
内容(「BOOK」データベースより)
3000年前まで人類は「意識」を持っていなかった!古代文明は、意識を持つ前の「二分心」の持ち主の創造物。豊富な文献と古代遺跡の分析から、意識の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱。
目次
第1部 人間の心(意識についての意識
意識
『イーリアス』の心 ほか)
第2部 歴史の証言(神、墓、偶像
文字を持つ「二分心」の神政政治
意識のもと ほか)
第3部 「二分心」の名残り(失われた権威を求めて
預言者と憑依
詩と音楽 ほか)
8 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち5 旅路の果てに見た世界, 2005/09/15
レビュアー: mitsumata (東京都) - レビューをすべて見る
異色の一冊である。
動物行動学から出発して意識の根源を探った著者は
意識の原点をもとめて古典世界へ分け入った。
そのいわば旅路の果てに見た世界を世に問うたともいえる本書で、
意識とは人間の知性が構築してきたものであるという。
「意識」が登場しない「イーリアス」などの
ギリシアの古典世界で神々の声に従う人々、
古代世界で広く見られる語る神のモチーフ、
神の言葉を聞き、それを伝える旧約聖書の預言者たち、
デルフォイの神託やトランス状態の巫女たち、
「使徒言行録」に現れる使徒たちの語る「異言」、
脳に直接電流を流したペンフィールドの有名な実験、
「神の声」を聞く現代世界の統合失調病の患者たち。
一見無関係なさまざまな破片がくみ上げられ、
「二分心」(Bicameral mind)というキーワードによって
完璧に統合されていく。
トンデモ本というのは簡単だが、私はむしろ納得することの
方が多かった。
意識からもう一度自由になってみよう。
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隣人愛を分け隔てなく持てるってことじゃないのか
究極ニュータイプのカミーユは
カミーユのことをキリスト的受難と言ってたけど
これってNT=隣人愛=キリストの教え
と架けてたのかね
怨親平等(おんしんびょうどう)、ですな。
キライな相手、好きな相手、と分け隔てせず、
共に同じ態度、気持ち、で全員が接すれば
自ずと闘いが無くなり、平和になる、という。
>>379 やっぱり「隣人愛」っていうとキリスト教を連想しますね。
>>378 確かに新訳カミーユはちゃんと対話して触れ合って解り合おうする姿勢は見せてるからな
シロッコ相手でさえも
そういうわけ隔てなく隣人を大事にしようとしたことは評価すべきではないか
まあロランの二番煎じだが
05年ダムA7月号で富野が言ってたけど
今までの旧NT論は進化ではなかったと気づいたと言ってる
NTつうのは戦争をしない状態を保てる人
絶対平和を維持でき、詫び寂びを自分の行動に取り込んでいける人
とも言ってるから
そういう物事を観察してちゃんと争いをしないでするように学習できる人がNTと言いたいんじゃないの
その究極が隣人愛であるというのが結論で
旧NT論が精神的な観念ばっか先鋭化しすぎて地に足がついてない印象だったから
その観念に肉体を追いつかせたのは間違いではないと思うけどな
肉体、精神そろわない説得力ないし
>>384 精神的な観念の先鋭化の象徴がΖのイデ発動ばりの幽霊描写だからな
新訳はその幽霊たちとの繋がりだけでなく抱き合える現実の隣人はもっと大切にしろよというのが
富野が本当に描きたかったNTの姿
人間はそもそもが好戦的な生き物だと思うがねえ。
生物は発情期になると好戦的になる。繁殖の相手と縄張りを排他的に確保するために。
動物は、日頃自分と同種を殺すことはほとんど無いんだが、発情期だけは殺し合いになる。
で、人間がサルのネオテニーであり、年がら年中発情している異常な動物だという事は周知の事実。
だから、肉体論を持ち出すと、人間が人間を殺すのも、
戦場とセックスが密接な関連性を持つのも、しごく当然という事になるよ。
人間をセックスと戦争の無限地獄から逃避させてくれるのが、
精神や魂といった虚構の世界なんだけどねえ。
>>386 その好戦的な生き物である人間もNTになればそういう争いを回避できると考えたんじゃないの?
そういう現実逃避しないで嫌なことや地獄も
目線を変えれば崩壊しないですむよと禿は言いたいわけで
テレビカミーユはその精神や魂の世界に逃げ込んでしまったわけだし
テレビカミーユはシロッコに魂を引っこ抜かれたのかと思ってた
>>386 まぁそれを虚構世界に行ったまま帰って来れなかったカミーユで
失敗と気づいたんだろその精神論だけのNT論では
だからNTにも肉体の必要性があるということ
まあこれは∀の癒し読めばわかるが御大が鬱状態になったとき
周りの人間の支えや奥さんの肉体の体感が自分を救ってくれたと言ってたから
精神論だけのNT論の間違いに気づいたんでしょ
だから新訳では精神的な共鳴だけでなく
ちゃんと触れ合って、会話してというコミュニケーションの原点を重点的に描いてる
うむ、俺は肉体論を持ち出すと、
どうやっても人間は戦争(とセックス)から逃れられなくなるんじゃないかと思っているんだが。
博愛的な隣人愛の精神が非現実的なのも、けっきょくそれが精神世界でしか成立しないからじゃないか。
邪魔な奴は殺したくなり、いい女を見ると襲いたくなる肉体を持つ限り、
人間には、博愛的隣人愛は、実現可能性がゼロに近いと思う。
けっきょくそのへんをゴマ化したのが宗教のいう来世なんだろう。
来世には肉体は持って行けない事になっているからな。
目線を変えたくらいで博愛が実現できるなら、誰も苦労はせんよ。
はっ、もしかしてNTとは、「発情期を脱した人間」なのか!?
「学ぶということは、他者をとりこむことで、自己に他者を投影することである。
となると、自己はひとりではないし、また、他者が自己のものを学んでくれて、
吸収してくれるなら、そこにも自己がいることになる。
これは、多重人格論ではなく、このように統合されているという認識が強固であれば、
専制的な意志の統合とはちがうものになる。
これはかなり長いあいだ誤解されるだろうが、
統治論とか管理ではないかたちのニュータイプ化として認識される時代はくるだろう。」
ターンエーの癒し
>>390 肉体論だけでなく精神論があるから肉体論が活きてくるという図式だと思う
だから争いを回避できて
わけ隔たり無い隣人愛に行き着けるんでしょ究極的には
カミーユのセリフにもあるように
ファだけは幻覚でもなければ意識だけの存在でもないこうやって抱くことができる
というのは死者との共鳴によって学習した答えが現実に生きてる隣人をもっと大切にしよう
死んだ人間と繋がれた経験が隣人を守るための糧になってるんだと思う。
ニュータイプ論は新訳Zが答え、っていうことだけど、
時間が経過するとNTの拡大解釈などがでたりして曲解していったりするんだろうか。
>>368 が原典ってことだよね。
>>393 これと
ΖダムA三号
質問者…Ζ三部作を通して観て、人の人との会話だったり肉体的な接触
肌と肌のとの触れ合いということをもの凄く大事にしてると思ったのですが
逆にNTという言葉が出てきません。これは監督自身の「Ζ」における
精神的な触れ合いから肉体的な触れ合いに変化したのではないでしょうか?
富野…おっしゃるとおりです。だからそれ以上説明する気がありません。
ただ、だからと言ってNT論から距離をおいたということではないんです。
むしろNTとはこういうものなんだと確定できました。
僕は旧作Ζはお化け映画みたいでイヤだなという印象があったんですが
今回の映画はお化け映画にはなってないはずです。
実際にはお化けのシーンは旧作の量をそのまま使ってるのにもかかわらず
印象は違うはずです。それはNTというお化けの部分をポジティブに転化
できたからなんです。
これだろ
富野監督が言うには
ニュータイプとは隣の人を大事にできる人らしいです
北里大学講演会まとめ
http://char.2log.net/archives/blog20051022.html 富野が考えてるNTとは
>>393 一応富野が新訳ΖでNTを確定できたと言ってるダムAや北里講演で
ありがとうございます。しっかりメモりました。
すごいすよ。プロですか? 書いた人。正直、読んでて感じ入りました。
こっそり職場の掃除をしているやつがいるとする
ある時いつもしている掃除をしない日があったとする
なのに掃除された形跡がある
この事に気づくのはこいつだけ
NTの秀でた知覚力はこんな些細な事の延長線上で描かれているように思える
『頭が良い』『人が良い』は合理的に突き詰めていくと同じところに行き着くんじゃない?
言葉足らずスマソ。
『NTだからってそんな事まで分かりませんよ。でもそうとでも言わないと…。』みたいなアムロのセリフとか、エマが心配(危機を察知するあたりね)なカミーユとか。
チラ裏だな。
>>399 本来NT能力は予知能力じゃなくて
洞察力や状況把握が凄まじいから予知能力並みに的中するということだからね
新訳でエマがカミーユがマーク2に乗った時に
この子は一瞬で全ての状況を理解できる能力を持っていると言って驚いてる
まあ全人類の思考が統一された共感とかのエヴァみたいな気持ち悪い答えにならなくて
良かったと思う。人類全体が共感したら個人も糞もなくなる
エヴァの結論に納得なんかしたくもない
糞喰らえだ
エヴァもごった煮は嫌だという結論じゃないか
あれは精神だけでなく肉体まで巻き込んだギャザースタイムだから
映像的なインパクトは凄かった
エヴァ、ほとんど知らん・・・
エヴァはガンダムよりも遥かに劣った存在だった、という事でいいじゃないか。
ガンダムは30年経っても生き残っている。エヴァは10年生き残れなかった。
時の審判とは冷徹なものよ。
NTの進化系はエヴァだろ(皮肉をこめた)。
新約もエヴァも、
NTはうそでした〜と表明しちゃったもんだからな。
カミーユ達がたくさん生まれても戦争が終わるとはぜんぜん思えないし
実際戦争は終わらない。
上でも書いてあるけど「主人公がつおい理由付け」を美化したNT論は
「NTは戦争をしない人」にした時点でガンダムを続ける理由付けを奪ってしまうからな。
NTがえんえん殺しあわないとガンダムにならない。
平和を愛するといいつつロボットで若い主人公達が殺しあうのをお客は見たいんだよ。
貞本さんには、もっといい作品を描いて欲しい・・・エヴァじゃ勿体無い
>ロボットで若い主人公達が殺しあうのをお客は見たいんだよ。
なんか違う気がする・・・
抱擁や隣人への愛=NTだなんてお茶をにごしましたって感しかない。
当たり前のことができてないっつーのはなんにでもつけられる台紙だし
「今の若者は●●ができてない〜みたいな」
NTの終焉を自分の手で下したかったんだろ。あまりにもインフレ化したNT表現は今見ると奇怪だし。
しかし、もちろん映画を出す時点でそんなことは口が裂けてもいえん。
ガンダムではNTはロボット戦と同様「見えない力にあこがれる」若者の売り物のひとつだ。
後はわかる人だけわかってくれと。
本当は戦争を起こさないような人間は最大殺戮兵器である新型MSなどに乗る前に解決できる人のことだから。
結局禿は精神も肉体もおいしいところだけしか見えていないんだな。
精神のどす黒い暗黒の淵、わかっちゃいるけどやめられない肉欲の無間地獄。
そういう部分も含めて成り立っているのが人間だろうよ。
もっとも、そんな部分はフェチアニメでしか見る事はできないんだけどね。
おいしい所だけの存在って、所詮アニメキャラで、人間味を感じない。
ま、若者向けの一種のプロパガンダとして意味はあるんだろうけど。
最終的には、こんな人間になりなっさ〜い、社会と国家に尽くしなっさ〜い、みたいな。
どっちかっつーと旧来のNTの方がおいしいとこ取りの人間像だけどな。
『醜さ』を受け入れられずに排除してしまう潔癖症的なところがないではない。
>>409 >NTの終焉を自分の手で下したかったんだろ。あまりにもインフレ化したNT表現は今見ると奇怪だし。
まあその最もインフレしたNTの描写があったΖだからこそ体感の暖かさで包んで
NTというのは気持ち悪いものじゃないと言いたいでしょ
>>406 別に新訳はNTはうそでしたなんか言ってないだろ
■ギャザー・スタイムという概念の導入
(注:ギャザー・スタイムとは、ニュータイプという概念を一歩進めたもの。
他者との共鳴だけでなく、精神的に他者と完全な一致を見ることを表現しようとしていたようだ。
この概念は、結局「Z」では採用されず、わずかにZのバイオセンサーに名残をとどめる。)
しかし、人と同化すると言うことが、人の能力の拡大であるとは思えないという反論に対して、
どのように対処するのか?
他者をとり込む技術的な解決策がどこにあるのか?
とり込まれた側の主権というものがどのようになるのか?
主権論で言えば、肉体を持った人であるからこそ、任意の認識を具有する事ができるのであって、
そうでない人の存在というものは、偏向したものとして存在するわけであって、
反物質的でありすぎるという懸念を解消する事はできないのではないのか?
死を待たなければ、ギャザー・スタイムが完決しないとなったとき、
故意に殺人を犯すというプロセスが産まれ出よう。
劇的でいいのだが、そこにのみ焦点を合わせるという訳にはいかない。
大体、ギャザー・スタイムの概念の至る処は、愛なんだ、
という結論さえも用意する事ができるわけで、それでは"ヤマト"と同じでしかない。
この前提を回避する方法というものが、設定されなければ、
ゼーター・ガンダムの意味はないわけだ。
84.3.12
■ゼーター・ガンダム=逆襲のシャア=
これを置いた時のゼーター・ガンダムはどうなる。
これが第二のニュータイプ論。ギャザースタイムになるのだろうが、
この為には、もう少し時間が必要な気がする。
手をつなぎあう人の共感論なのだから。
現実と照らし合わせた場合のシリアスなアピールがどの部分にあるのか?
ドラマナイズしてゆく場合の、共感はどこにあるのか?
なにが、一般受けするものなのか、という原点の模索は、注意深くされなければならない。
しかし、ここまで吐き出した時に、俺はどこに行くのかという不安がある。
大丈夫だという安心感は、所詮自慰なのだから…。
84.5.21
ΖガンダムLDBOX富野メモより
精神的な他者と同化のギャザースタイムはカミーユの
俺の身体をみんなに貸すぞの現象だよな
それだけじゃあやっぱエヴァだから
体感と隣人愛を足してニュータイプの結論に持ってきたと
>>400 レスTHX
そうそう、その洞察力とかが鍛えられる過程の話をしたかったんだわ
掃除の例で言うなら、『そうだったのか、あの人がやってくれてたんだ』って直接的な情報で分かるようになるのが、繰り返すうち『あの人がやるに違いない』と直感的に分かるようになる というような…。
ここでおもろいのは相手も似たような行動をする人なら同じように直感が鍛えられるだろうって事
そんな人同士が出会ったら?ってのがNT同士の共感だったり
宇宙移民からNTが生まれるって設定もこの論を裏付けたりしないかな?
みんながしなくてもいい、望んでしたくはない事。それをやる人 やらない人。の対比
チラ裏2
人類全てが共感するというのは
一人のNTがやろことではなく
人類一人一人が物事を洞察しようとする。隣人を大事にしようとする
それが繋がれば人間は一つに繋がれるよという意味だと思う
けしてNTの指導者が独りよがりな奇跡で起すような類いではない
>>418 一人残らず同タイミングで『せーの』ってやらないとって事だな
特定の指導者は反対勢力を生む事に繋がるし
『せーの』を能動的に個々がやるしかない
それは人類が社会を造って特別な種族としての『人類』って自覚を持つ前の、動物だった頃(退化ではなくて)のやり方を思い出すって事かもな
『重力に魂を引かれる』→『既存のシステム/従来通りのやり方から抜け出せない』か?
まあ独りよがりな指導者きどったNTって結局NTのなりそこないだしな
本当のNTはそんなこと超越してるだろ
それを考えての結果がクワトロを名乗るシャアじゃないか?
しかしNTの理想があるとして、現在の状態との間に途中の段階があっても良い
そこを埋める事を自身ではなく次世代に期待した
富野はシャアに自身を投影しつつカミーユ,カイ,ハヤトらにそれを否定させて作品としてのバランスを取ったんじゃない?
信者を募るような指導者ではなく、独りよがりではない主観で一歩先をゆく存在であらば必要だと思う
と、NTは人を表現するのじゃなく、人の状態を表現しているとした方が自然だと思う
特定のキャラがNTであったとして、波もなく常にNTとして振る舞えるわけじゃあないんじゃないか?>超越した存在
連投ゴメソ
ここ、「NT しゃべり場!」みたいな雰囲気でいいな。
この2chも、見ず知らずの人同士が意見交換できるという意味で、
「サイコミュ」っぽくないか?
>>421 でも結局シャアが最後に取った行動は
独りよがりなNTの世界じゃん
ようはシャアは地球の重さと大きさを想像できなかったNTのなりそこない
シャアが一番ニュータイプ、ニュータイプいいながらその本質が見えてない
>>424 そそ、つまりそれ以前のクワトロ時代のシャアの話ね
結局シャアがあんだけ求めた
ニュータイプの究極の形がカミーユの見せた隣人愛と知ったら
シャアは幻滅するんだろうな
だからアクシズ落しかw
まあ、NTって完全無欠人間のことじゃないわけだしね。過剰美化したい気持ちもわかる。
NT=隣人愛って究極て言えば究極だわな
人と解り合うことってここから始まると思うし
本当はわかったつもりになっているだけなんだけどね。
OTと言うかノーマルな人間どうしでは、脳神経が繋がっているわけではないんだから。
人間同士がわかりあっているというのは相互妄想なんだよ。
わかりあっているといいな→そうにちがいない、ってな感じで。
自分の精神に相手を投影して、自分だったらこう感じるから、あいつもこう感じるに違いない、って妄想する。
人間と言うものは、違っているようで同じ部分も多いから、たまたま妄想した内容が事実に近いと、ウマが合うと言う事になる。
で、ウマが合う者どうしは仲良くなる。
しかし、違っている部分が多いと、妄想した内容と事実に、頻繁に差が出てくる。
それは妄想者にとっては不愉快だ。だから、ウマが合わない者どうしは仲良くなれない。
NTみたいな超感覚や思考の共有を行えないOTには、NTの真似はできない。
やっぱりNTは超能力者なんだよ。
旧版しか見てない俺が言うのもなんだけど、
カミーユには、自分が普通にできるNT独特な思考の共有が、
OTには絶対に真似できない、スペシャルな超能力だって事をわかってないのかも知れない。
隣人愛はOTが行う哀しい妄想。
絶対にわからない相手の思考を、愛に基づく善意の解釈をして、わかりあったつもりになっている。
NTは妄想じゃなくて現実にわかりあえるんだろう。羨ましい事だ。
でも、わかりあう事を拒絶するNTや、
わかりあった上で、この世に並存する事を拒絶するNTもいるんじゃないかな。ハマーンみたいに。
そういうのは殺すしかないんだろうか。だとするとOTもNTも大差無いな。
人の意識というものは、体験や経験から形作られる物だから
体験や経験の共有を積み重ねていけば
OTでも相手の全てが分かる所まではいかなくとも
相手の言動に合点がいく、息が合う、という程度の事は出来ているはず。
ま、その確認のためには言葉や体を使ってコミュニケーションを取らなければならないのがOTなわけで。
>本当はわかったつもりになっているだけなんだけどね
アオリか。って俺もアオってるけど。
極論が多すぎて、刺激的な理論展開なんだけど、なんだかな、という。
理論に推論が重複しまくっとるんですな。
要は、話がごちゃごちゃな印象なんです。迷ってるのか、言いたいことがなんなのか。
「複雑な話」というところだけは分かる。
>>429 ハマーンは新訳の流れからいくと
地球の重さと大きさを想像できないオールドタイプですよ
ニュータイプだから解りあえるという考えは富野は今は否定的でしょどっちかというと
富野の今考えてるニュータイプは
ちゃんと物事の状況を観察し感じたことを学習してそれを自分の行動に反映させて
言葉だったり、触れ合いだったりそういうコミュニケーションの能力を全て使って
隣人を大事にしなさいよってことだよ。
今までの旧NT論が状況を観察、感じたことといった精神的なものだけで押し付ける
独りよがりな共感、相互理解じゃなく
観察したこと感じたことを学習してちゃんと自分の言葉だったり触れ合いだったり
そういうものでもっと解り合おうよってこと
上のほうで言ってた精神的な共感+肉体的体感がないとダメだってことなんだと思う
今の富野の真のNT像は
ニュータイプ論ってどうしても宗教ぽくなってしまうよね
特にΖでは宗教色というか超人願望というかそういうのが強い
とてもアニメの設定とは思えんw
このまま新興宗教になれそうだし
>>434 Zはニュータイプの中のニュータイプつうぐらい
富野のニュータイプ論にどっぷり浸かってるからな
主人公も作品も最後はそれに疲れて現実逃避だし
他の作品はNTという概念を外してもなんとか作品語れそうだけど
ZだけはNT論を切り離すことができないと思うし
スターウォーズでは「ジェダイ」
ガンダムでは「ニュータイプ」が宗教っぽいw
ジェダイが東洋的で、ニュータイプが西洋的、
っていうとこなんかも面白いね。
TN版Ζの時にNTが解りあえるというのは否定的だったよね富野は
カミーユもNTも強化人間も何もできない、できることと言ったら人殺しぐらいだな
と自嘲してるしてるけど
やっぱ一人のニュータイプが人類全てを導くとか希望を見せるとかやれっこないんだよな
それを個人がやろうとがんばっても崩壊するしかないし
新訳ΖはNTも無力な存在かもしれないけど、その力を人殺しに使うんじゃなくて
その力で隣の人を抱擁して大事にしようというのがNTの本当のテーマ
富野はΖの時点でNT個人の世直しには否定的だったと思う
人は依り所を求めて宗教を生み出し、それにすがる。
その意味で、人と人とが解り合える事の象徴として
NTがあり、それにこだわり続ける人々の姿は宗教そのものだ。
だが、NT論や宗教の両方に言える問題点は
テキストを作り、それを遵守する事に終始して
初めに求めた事を忘れてしまう事だ。
だからこそ、相互理解の思想も、救済の理想も
歪んだ形でしか伝わって行かない。
歪んだ結果がオウムのような異物を生み出してしまったと言える。
現在最もポピュラーな宗教は資本主義なり、民主主義という名の要は多数決じゃない?
2ちゃんに例えれば、過激な新興宗教はそれに対してアンチが荒らしてるようなもんだよ
宗教も法も言葉に頼る限りいずれにせよ個々の解釈によってズレが起きる
このズレから目を背けなければ存在意義そのもの(確定したガイドラインとして)が成り立たない
そのギャップに気づいた上で、人の数だけ法も宗教もあるべきだと認識する事が必要なんだと思う>型の模倣にしかならない
作中のNTに理解を示す人達は軍の規律を曲げてもNT個人の意見を尊重しようとしてないか?
宗教ぽくなるのが嫌だから
肉体とか体感とかをプラスしたんだろ富野は
442 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/22(木) 10:52:48 ID:FydS6N+K
>>433 確かに今までのNT論だったら
NT同士じゃないと解りあえることは無理だもんな
精神的なアプローチを共鳴できる能力がないとダメだし
新訳の考え方ならNTとOTだって理解し合えることも可能なんだと思う
NTが感じたものをOTに言葉や触れ合いによって伝えていくことで
NTとOTも解りあえるのかもね
解り合える事の一つの形としてNTがあるのであって
NTでなければ解り合えないというのは
曲解と言う他ないな。
それにも関わらず、NTの能力とは何か、と
延々と論議し続けた結果、NT能力=超能力という解釈を生み
人と人とが解り合うためには何をすべきか?といった
建設的な意見が出る事もなく「オタク」を増長させるに留まったと言える。
人と人とが解り合うためには何をすべきか?
その答えがまず隣人を大事にしろってことだと思うけどね
NTって当たり前の事を当たり前にやれる人ってニュアンスかもよ
特別な事はやってないんだけど、大多数は当たり前の事をやってない
出来ないんじゃなくやらない
アムロやカミーユが『NTなんかじゃありませんよ』って、NTと呼ばれた時鬱陶しそうに否定するのはそんな気持ちでは?
NT NT言われて特別扱いされるのって孤独だろうな
NT同士の共感にしっくりこない人が多いのはそれが優越感に浸る者同士の傷の舐めあいに思えるからじゃないだろうか?
>>445 そういう側面はあるだろうね
隣人愛も当たり前だけどそれを隔たりなくできる人間なんて存在しないし
宗教ぽくなるのは嫌だけど
「隣人愛」って、普通にキリスト教っぽいよなw
ニュータイプは幻想だ。
ていうか演出だ。
ど素人がMSを操縦するための方便だ。
>>450>
それだ!!
>>446 >隔たりなく出来る人間なんて存在しないし
同意。でさらに進めて、じゃあそれを当然の事として出来る人間に出会ってしまったらどうなるか?
そんなやついるわけないっていう先入観に現実の方をすり合わせる努力をしてしまう
目の前の現実を認められない→もどかしさ/苛立ち→ライラの言う『反感に変わる』
なんかやっぱニュータイプ論て自然とZの話になるなw
訂正
○基本的に同意
×同意
>>451 まあΖはニュータイプ論の核だからね
どうしてもΖの話は多くなると思う
隣人愛なんて言ってみても
自分の理解を越えた物事には否定しかしないのが
普通の人間だろうな。
だから、たいていの人は自分の興味のある事だけに
のめり込んで、オタク的な人間になる。
インテリが世捨て人になるんだろ
456 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/22(木) 19:10:57 ID:mzuqkxqQ
戦争などせんで済む人間。レビル将軍曰。
「たぶん、
アーティストとは引き算の魂を持つ人なのだ。
不要なものをどんどん省いていって必要なものを絞り込み
『真実』に辿り着く。
凡人は、それが出来ないから足し算で行動する。
何が正しいのかわからないから数多くの要素を画面 につめこんでいく。
そうしないとアピールできないのだろう。」
NT=芸術家、かい?
最終的に発狂するタイプは芸術家と言えない事もない。
ただ、周囲には迷惑をかけまくるだろう。
従って新約ZのNTは、芸術家であってはならない。
イヤミたれるのだけ上手いのは?
このスレ見てると、シャアが隕石落としをしたくなる気持ちが
なんとなく解るな。実際にやられたらとても嫌だが。
カミーユが一番、天才ぽい感じはあるよな
発狂することか
>>461 カミーユが一番『ニュータイプ』を意識せずにいたからじゃないか?
恋愛に忙しくてw
>>462 カミーユって基本的にフォウ以外は
恋愛感情で動いてる感じじゃなかったけどな
なんでもかんでも救おうとせず結局何もできなかったけど
それが隔たりない隣人愛なのかねカミーユの
まあ相手が男じゃないからスケベに見えるのかもな
新訳ではカツのことを説得したりしてるシーンはよかった
隔たりない隣人愛って難しいよな
やりすぎると女好きに見えるし、男相手だとホモにも見える
>>463 年頃的に憧れとか含めてごちゃごちゃするだろってニュアンス
やたら接近してくるエマも気になる(誰か一人しか救えない瞬間にはカミーユはエマを助けてしまう気がする)し、レコアには男として認められたいし、ファだったら背伸びせずにすむし、フォウの場合シチュ萌え&親近感だし
スレ違い気味スマソ
トビア「俺は人間だ・・・!人間でたくさんだっ!!」
NT論はXで結論が出たんじゃねーのかよ?
>>469 Xのニュータイプ論は富野NTとはまったく別物だろ
別じゃないだろ。イルカと意思疎通するとかUCにはない要素もあるだろうけど。
異能力を追い求めることは人類の革新とやらには繋がらない、てことを言っている。
誰でもNTに覚醒できるんなら、人類の革新にもなろうけど、
現実には素質のあった人間しかNTに覚醒できないわけだ。
これでは、覚醒したNTは、その他大勢の凡人たるOTから迫害されるか、
あるいは、NTの方が、自分は神に選ばれたスーパーマンだと思い上がってしまう。
これは何ら人類の革新をもたらさない。
で、特殊な素質が必要なNT論ではなく、誰でもできそうな隣人愛に落ち着いたんだろう。
ただ、隣人愛なんてのは、それこそ数千年前から宗教家が説いてきた事なんで、
これも人類の革新とは無関係な気がする。
隔たりない隣人愛できる人間なんて存在しないと思うけどな
身近な人間さえ愛せない人達に隣人愛を説いてもねェ・・・。
どうでもいいが、おまえらオ◯ムには入信するなよ
あ、今はア◯フだっけ
オシムですか?
日ごろから当たり前のささいなことも大事にする、
隣人を愛する
これってOTそのものじゃないのかなあ。
結局こちらに落ち着いたんだね。
それから、カミーユはその理想系のOTでもないと思う。どう考えても
もちろん人類の理想系とされたNTでもない。
超能力もちの青年にNTという誤解されやすい名前をつけて
最新先頭兵器にのせましたが、なんとか生き延びました、という話
別に現実でも感性の鋭い人と鈍い人って居るじゃん
他人が不機嫌なのを態度で理解して気を使える人と、そうじゃ無い人
前者の能力が更に鋭敏化したのがNTなんだろう
旧約ではそれなのに人の思いやりを感じられない所に落ち込んでしまった為に
気狂いになるしかなかったけど
今回はその他人の思いやりも愛もカミーユ自身感じられ信じられたから
それを与える事も耐える事も出来た
ちゃんと思いやれるという心に触れたかどうか
極端に言えば性善説に基づくかどうかという所だろう
>>477 >日ごろから当たり前のささいなことも大事にする、
>隣人を愛する
これができない人がOTということ
これって簡単なようで常にやることは無理
>>477 >もちろん人類の理想系とされたNTでもない。
てかこれがどういうもんかわかって無い時点で比べようがない
はっきり言って人類の理想のNTなんか今まででてきてないし
今回の新訳でカミーユが富野の考える理想のNTにはなったが
>>480 なんかそういう解釈がよくワカラン
とりあえず新しいNT像を提示はしたけど
そういうおめでたい事だけで済むものでもないから
こそのEDの「デバーッ」なんだろ?
>>481 富野が言ってるのは
体感を持って隣人を大事にできる人がNTだよってことだけだろ
要はNT一人で世界が変わること自体がおかしい
それを考えれないNTのなりそこないがシャアなだけ
>>481 EDのデバックはララァの悪霊から前へ進めないシャアという印象
「体感を持って隣人を大事にできる人」だらけじゃ隣人の為に結局世界を
食いつぶすだけで究極のNTなんて呼べないよ。
ただ世代を重ねるうちになんか目からウロコの大転回もあるかもしれない、
ただの夢想かもしれないけど。
現代の「体感を持って隣人を大事にできないビョーキの人達」ではその世代を重ねる
ことも不可能。
んだからそういう真のNTに繋がるかもしれないNT像を提示した。
カミーユは精神的な今までの旧NT的な感覚を学習して体感に繋げてるから
その隣人愛が究極的なNTってことじゃないのか?たぶん富野の言いたいことは
ものごとを観察して学習する姿勢を持って
精神的だったり体感的だったりそういう繋がりを手に入れれる人
=NTなのでは?
488 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/25(日) 12:31:27 ID:CpPyGzB6
キラ・ヤマトは、ニュータイプですか?
489 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/25(日) 12:39:24 ID:x8GUnqym
コーディネーターどす。
ニュータイプにわ−思考な奴ばかりです。
490 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/25(日) 12:54:23 ID:CpPyGzB6
コーディネーターと強化人間の違いは?
ナチュラルの中にニュータイプはいますか?
>>487 作中に出て来た超能力的要素はNTと無関係になっちゃうような?
>>491 超能力要素はまあアニメの演出もあるだろうけど
観察することがNT的な感知なんじゃね
そのNT的な観察を学習して自分に取り込むことが重要というか
超能力要素もそういう学習が出来てるから起こる現象と認識してる
NT能力はテレパスかエンパスかテレキネシスか
サイキックだべ
ア「サイコボール!」
>>494 車か、飛行機か、と聞かれて「乗り物だべ」と答えるのか?
正論だべ
文盲だべ
頭の悪い争いだな
500 :
通常の名無しさんの3倍:2006/06/25(日) 19:31:20 ID:CpPyGzB6
490 :通常の名無しさんの3倍:2006/06/25(日) 12:54:23 ID:CpPyGzB6
コーディネーターと強化人間の違いは?
ナチュラルの中にニュータイプはいますか?
世界が違う
>>484 隣人を守るために敵をたたきつぶすってこともあるよな。
隣人を守りたい者同士の利害が対立したら…結局行き着く先はOTより過激な
つぶし合いになる気がしてならんわ。
隣人愛って分かり合う事みたいに語られてるけど、分かり合うって何?
って考えた時、旧Zと新Zのカミーユの違いから
旧Zで敵を徹底的に否定してたカミーユが否定する言葉を使わなくなった
と言う事から察する事ができると思う。つまり、違いを認める事なんじゃないかと思う。
それでも、思想の違いからカミーユとシロッコは対立して戦ってしまうわけだが
隣人愛を持っても戦ってしまい、いつかは∀に行き着いて文明をリセットされてしまうが
そして、リセットされるたびに人が賢くなっていつかは戦争が止められるんじゃないかというのが
ガンダムと言うお話だったんじゃないかと思う。小生は・・・
>>503 富野の中ではNTだから解りあえるじゃなくて
全てを否定せず受け入れる姿勢を持つということになってると思う
特にシロッコとカミーユの戦いは
全ての人間を受け入れ隣人愛を持つまで成長したカミーユに死んでいった人間が集まり
全てを拒絶し他者を利用しつづけた一人ぼっちの独善思想の持ち主を倒す
という図式だし
カミーユはシロッコをテレビ版では否定し続けてたがちゃんと諭すように、
他者を道具にするなと呼びかけてる。結果的にはシロッコの独善思考と
他者を利用するのは当たり前という考えに倒すという方法しかとれなかったが
そういう姿勢を持てる人、それを持って隣人を大事にできる人がいれば
戦争は越えれるよと言いたいんだと思う。これが本当のNTというか
オレが思うに隣人愛というのはNTの結果論だと思うのね
>>487の人が書いてるように
>ものごとを観察して学習する姿勢を持って
>精神的だったり体感的だったりそういう繋がりを手に入れれる人=NT
これがちゃんと土台になってるからNTは究極的には隣人愛に辿り着くよということだと思う
あくまで物事をよく観察して洞察して、学習する。それを自分の中にちゃんと受け入れて
精神的、肉体的(体感)にも繋がれる人が真のニュータイプなんじゃないかな
ニュータイプは幻想だ。
洞察力に優れても隣人愛に辿り着かなかった人が多々居るようです
>>508 それがシロッコだったりハマーンだったりシャアのような地球の重さと大きさを想像できない
ニュータイプのなり損ないなんだろ
しかし・・・成り損なったわりには強い!
>>510 本当のNTつうのは
能力だけでなく行動や思想も伴わないとダメかと
>>511 ,. -一……ー- 、
/::::{:/::::‐-:、:::丶:\
/:::::/´ ̄ ̄__\、::::l,. -―、
/::::// /:: ̄、:\::::ヽヽ≦、ス=、、
/::::/::|,.イ:l::丶::::::::\:X:::',:::ヽ、 ヽハ ',ヽ
f´ ̄!:::::l:_|_|\::\--/,r=ミ|::::::lヾく:l::', | |
ヒア_|:l::::|::N,≧ミ、トゝ ハ心}!::::::K:ヾニ二ヽ
,r=ヽレ|:|::::l::|{ ト心 `'" !::::::|::!',::|ハ::! ` 働きなさい!
// |:|:::::ハ!、::ヾゝゞ'′ _'_,.ヘ /::::/:::|_!:l リ
// !ハ//|:|::ヽ::::丶、__丶 _ノ/|:::/イ::ハヘ!ヽ_
L! /ヘ |:|ミニ='⌒ (⌒ヽ´ _ !イノl/ |:! ! !L_
〈_{ ヾ.,!/ , ´ \ ∨,.‐、| l:| |ノ !
__!\ / __ム V⌒! !:! ! ハ
/__レ-〈 / f´ ヽ. '. __! //./-‐ '´ /
ヽ! |r' \l__ V/ /-‐ /
「 ! { `\_f_ノ∠ミヽ! /
/ ヽ`ヽ.二ニァ'V∠二ハ }},!-'
/ ヽ---/´/レ!ト--'/‐'
/ / ̄ヽ二ノ´l:ヽノ_
r‐! / l:/ `ヾ==、ー-- 、
/ ̄| ヽ./ 〃 /人 `ト、::::\
', / ,!\ |l \ / \:〈
| ′ / | ` |:! / `
L.__ / ! !:ヽ / !
` iー---一'Tー-∨-r‐''´ |
>>513 2chに入り浸ってると将来も重力に魂を縛られるぞ
現実と対決する為にヴァーチャルに赴くと言うのも富野の教え
辛い現実にどっぷり漬かって死ぬまでただ耐えるだけの人生と、
あっちの世界にイっちまって心の中だけは幸せな人生。
あなたが選ぶのはどっち?
やべ、ニアイルの世界になってきた
「戦争をしないですむ人間がニュータイプ」って完結しちゃう人間よりも
「戦争をしないですむ人間とはなんだろう?」って思考する人間の方がNTに近いとおもう
>>519 NTも変化してるよな昔に比べたら
今は解り合おうとする姿勢だったり、争わないですむために考えたり
そういう仮定のほうがNTの重要な要素になってる
精神論だけでなく肉体論もプラスされたし
交通事故を起こさない人間
宇宙に進出した人類の進化というビジョンを提出し、
「サイボーグ」という言葉を史上初めて使用したことで知られる科学啓蒙書
J・D・バナール『宇宙・肉体・悪魔』(原著1929、邦訳1972)の文中で、
人類の中から新たに進化した形態が出現する可能性について述べた個所に
「新しい変種(type)」という表現がある。
原文ではおそらく「new type」だろうし、このテーマでは古典といっていい有名な本なので
富野がこれを読んで「ニュータイプ」という造語を思いついた可能性はありそう。
ちなみにこの本に出てくる未来の人類は、宇宙に進出して球殻型のコロニーを形成し、
宇宙空間に適応できるよう肉体を改造し、機械的手段で精神を接続し集団知性をなす、
というもので、スタートレックのボーグの元ネタと言ったほうが近い。
人類がさらに進化するという話はよくあるけど、実際はNT
のような進化はしないと思う。これはあくまでも願望でしょ。
進化よりもむしろ科学によってNTのようになるという意味で
はこれは合ってると思う。
戦争しないで済む人間になるよりも、戦争して勝てる人間になるべきだと思うがね、俺は。
>>522 >機械的手段で精神を接続
これってサイコミュみたいなもんだしな
>>524 そんなこというと究極NTのカミーユさんに
地球の重さと大きさを想像できないと批判されますよ
結局、富野もジョンレノンに落ち着いたわけだ
>>527 ジョンレノンの思想は最高だよ
あれこそどの宗教より上
タチ悪っ 草加みたい
レノンの思想なんて、原始共産主義にすぎない。
どの宗教よりも上なんじゃなくて、宗教の発生まですすんでいないだけ。
NT論自体が共産主義っぽいとこがあるだろ
理想論の塊というか
まあ理想で終らせないのがNTなのかもしれんが
らぶ&ぴ〜す
533 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/06(木) 11:49:09 ID:dBs3Dh5m
みんながニュータイプなれれば不倫や浮気はなくなるぞ
それもつまんないな
確かにニュータイプってそういうものから開放されるかもしれないけど
そんな人生ってつまんないだろうな
ただ死ぬのを待つ人生になりそうだ
別の楽しみがあるんだろうよ
要はパンドラの箱?が開かれなかった世界みたいになるんだろうな
むしろ「生物都市」みたいな世界じゃね?
富野が言ってるNT=隣人愛といのは
相手のことをちゃんと考えて行動ができる人なのではないだろうか?
それが嫌いな人好きな人関係なくそれが出来る人
相手のことを考える→相手のことを理解しようとする→相手を受け入れる→ほらニュータイプ
フィルムが全てが
↓
映像上ではNTはどう見ても超能力者
↓
つまりNT=超能力者
新人類最高!老人氏ね!
という話なわけだ
それなんてイデオン?
イデオンは幼児ですら見捨てられちゃうでしょ
嘘は良くない
544 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/11(火) 23:06:18 ID:BWM1knLo
「ルウが超能力を持っているのではなく、イデに近い存在なんです。
話のキーポイントになっているのは事実ですが、最終回近くになると
ルウにも自意識が出ちゃうわけです。
で、もっとイデに近い人間が必要になるわけ(富野監督アニメック53号インタビュー)」
っていうか、劇場版みてるなら最終的に皆死んじゃうんだから、
人類全体が見捨てられたって事だろうな
カミーユが富野が描きたかった本当のニュータイプ
548 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 16:27:22 ID:BwJQZgA7
隣人愛
世の全ての人を、隣人の如くに愛せよ。
それ隣人愛とちゃうで
550 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 16:44:50 ID:BwJQZgA7
キリスト教の隣人愛は、これ。
ユダヤ教の隣人愛は、普通の隣人愛。
551 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 19:03:25 ID:pXH9r+tL
>>550そうすると、大方の白人種はキリスト教信者であって
キリスト教信者でないと言えるな。
553 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 21:19:21 ID:BwJQZgA7
そうだね。
原爆に祝福を与えたりするんだからね。
汝の隣人を愛せよ か 隣人を汝の如く愛せよ だよ
555 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 22:01:06 ID:BwJQZgA7
で、その後に、汝の敵を愛せよ。でしょ?
556 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 22:03:14 ID:boOQ6WuM
( ^ω^)モバゲータウンで遊ぶお
うはっwwwwおkwwwwww把握wwwwwwwうぇwwwwwwwwうぇっwwwwwwwww( ^ω^)☆を抜くお
( ^ω^)おっおっお
h☆ttp:☆//mb☆ga.jp/AFm☆bb.Cs☆Zg110208/
NEET
559 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/24(月) 23:43:52 ID:BwJQZgA7
世の全ての人を、隣人の如くに愛せよ。
博愛とは、こう言う事だよ。
肉体論にこだわると
ジュドーやカツの「今ある肉体だけ〜」の下りと矛盾がでてこない?
>>560 だからカミーユ以外はNTにまだまだなれてないってことになるんじゃねーか?
今の体感も必要な富野NT論では
新訳カミーユは
旧NT論(1st〜CCA)までの精神論重視のNT論に
F91〜∀、ブレン、キングゲイナーで描いた体感論をプラスして
NT論を完結させただけ
まあ新旧のNT論を繋いだカミーユは富野NTの集大成的なキャラなのは間違いない
ニュータイプの究極がカミーユ・ビダンそういうことか
ニュータイプは幻想だ。
567 :
通常の名無しさんの3倍:2006/07/25(火) 17:43:04 ID:Iz0qNaLI
OTだ、NTだと分け隔てしない、ガロードこそが真のニュータイプ。
クロボンもNTが人類の進化だという解に対しては否定的だったな
その可能性は否定していなかったけど
Vガン外伝の嘘を付くNTの話は興味深かった。
>>569 外伝などはともかくクロボン本編は文字通り原作として
長谷川と富野のディスカッションによって出来てるらしいぞ。
富野の復活期の考えとして押さえとくべきだと思う。
とりあえずシェリンドンへのトビアの手紙にあった
「あなたは一日に12kmの山道を歩く事ができますか?」は
富野の案らしい。
>>571 違うぞ
富野の案じゃなくて富野の山登りの話し聞いて
長谷川が閃いたとオタクの遺伝子で言ってる
稲葉 ぼくが気になっているのが主人公トビアは本当にNTなのかどうかわからないとこなんです
長谷川 NTかNTじゃないかというのは本当にスレスレだと思うんです
進化というのはそういう速度でしか起こらないと思いますし
だからトビアはその境目、真ん中くらいなんです。
能力を伸ばしていけばアムロみたいになったかもしれない。
でもそちらにもいかないよという立場のキャラクターだったということです。
稲葉 NTについて富野監督は何かおっしゃってましたか?
長谷川 原作を頂いたときにNTに対する記述がなかったので
どうしますかと訊いたら、気にしないでいいですよという返事だったんです。
NTについては様々なところで語られいじくりまわされていたということもあって
触れられたくなかったのかもしれません。ただ長年のガンダムファンである私は
NTという札を切らないでは通れない。それでいろいろ考えてNTになる前に人間として
やるべきことがあるんじゃないかという話をしたら監督はそれは大変正しい考え方です
じゃあこれで行こうとなったわけです。
とりあえず長谷川のNT論はオリジナル的な要素もやっぱり入ってるらしい
これはオタクの遺伝子より
しかしある程度富野公認でもあるわけか
KINO vol.2 思考としての『ガンダム』
掲載の富野インタビューでNTに関して語っている部分があったので抜粋。
今でこそニュータイプという言葉は、ガンダム用語のなかで"才能"という意味合いに落ち着いていますが、
当時は、ヒーローをエスパーにしちゃえばいいんだけれども、超能力者という設定にしたら、
それは普通の子供ではなくなっちゃうというジレンマを解決できないまま、製作に入ったわけです。
人の魂に触れるニュータイプ、これをエスパーとは言いたくない、しかしそう言わないとスポンサーも視聴者もわからない。
見ている子供も絶対にわからないだろう。オンエアしながらの3ヶ月間、周囲のスタッフのリアクションは気をつけて見ていました。
ただ結局、テレビ漫画だから子供が主人公なんだっていう以上の解決は別にないんです。
だったら、もうそれに乗っかっちゃって走らせようということになりました。
そこで、超能力者にしたくはないけど、ニュータイプではあってほしいというこだわりだけは残りました。
これは戦争物にするという企画を考えている段階でこちらが考えついたことだから、なんとか最後までに劇中で言葉を定着させたい、
でもどうしたらいいんだろう? これは僕にとっての『ガンダム』を製作する中での持続力になりました。
けれど、残念なことに定着ができないままに進んでしまい、もうすこしわかりやすい、超能力者的な存在理論やプロットになっていきました。
これは結局放送が打ち切りになったためで、そこを本気で考えないですんでしまったことが、僕にとっては心残りではありました。
どんなに戦争ものらしく作ったにしても、しょせん基本構造は、毎回新しい敵が出てきてやっつける、というかたちになってしまうわけですから。
でも、戦争もの、つまり戦争というものを体感できる物語としては、まあいいかと思いながら作っていました。
でも、それでは結局実写レベルのものでしかない。
僕はアニメというファンタジーを最大限に使って、あの「エスパー」という言葉が定着していた時代に、
それに代わる「ニュータイプ」という言葉を突きつけたかったんです。
それはもちろん僕だけの思いですが、少なくともそういうモチベーションはありました。
その動機づけがなければ、たぶんニュータイプっていうのは浮上せず、捨てていたアイディアだったと思います。
だけど、打ち切りになったおかげで、ニュータイプのことに触れないで終わらざるを得なかったということが、
ニュータイプ論をお蔵入りにさせたのだと思っています。
『Z』の企画の時に、もう一度ニュータイプっていうものをやってみようと思いながらも、これはさらなるリアリズムの物語になっていきました。
これまで、『ガンダム』を他人に任せたりもしてきた中で、ただ「ニュータイプ」というものが物語として完結していない、
ということが『∀ガンダム』のモチーフになりました。
つまり、ニュータイプの構築理論もわからない、でもニュータイプの行き着く先は?
というふうに、時間を1万年、二万年と飛ばしても、結論だけは僕の中に間違いなくあったんです。
なお、この本には上のレスでも言及されている『オタクの遺伝子』の一部を抜粋・加筆修正した稲葉振一郎〈亡霊の戦場 「ニュータイプ」とは何か〉、
1979年という時代の社会状況からNTを論じた藤津亮太〈「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」〉も掲載。必読。
>>575 なるほどテレビΖでNTを完結させようと思ったけどできず
∀の経験を経て新訳Ζでニュータイプは完結できたという
流れなのかな
ほしゅ
∀の劇中でNTって言葉を使わないようにしてたそうだけど
モチーフって言ってるし∀の中でNTってのは重要なテーマだったんだろうね
初期設定でアグリッパは自分達こそNTだと自負してるみたいな記述があったが
妙にムーンレィスは穏やかでなければいけないって思想してたり
床に落とし穴仕掛けて、訪問者の勘を確かめたりしてたのはその名残だと思う
あとNT論的に見るとアデスカの民とかギンガナム理論とか結構面白い
富野の中ではNT論というのを意識した作品は
1st、Ζ、∀、新訳Ζだけなのかも
ZZ、CCA、F91、VもNTは出るがあくまで要素だけのようだし
CCAはむしろNT論的には、Ζで意図的に取りこぼした
1stのNT論と同一の作品じゃないかな。
アムロとシャアというNTのエゴの相克のはてに
戦場でOT・NTの壁を越え一瞬だけ共感現象のようなものがおきる。
1stがポジ、CCAがネガなだけで根底のNT論は
名も無きOTこそがNTを生む土壌であるという
NTが生み出される時代のNT論だと思う。
Ζは1stの先にあるNTをうちだそうとして
結局、人間はまだそこまで行けないという作品になった。
じゃあ、NTという個は何が出来るのか?って
とりあえずNTが生まれた後としてのNT論なのが肝だと思う。
ΖΖもこの系譜でΖとは切り離せない。
地味にF91はこの問いかけのポジな結論の一例になってる。
∀と新訳が体感としてのNT論とでも言うべき分類で
Vにもその芽があると思う(NTという個から
集団に帰っていけばいいという、新旧の理論の繋ぎが見える)。
NTになるとは個を表すものではなく、こういう状態こそNTですよって
集団から生まれた個が、個からまた集団に帰ってく話。
個人的には、富野ガンダムが作品毎のテーマとは別に
根底として置いてる「人としてのあり方は?」って問いかけがNT論で
全作品の理論は繋がってるし、積み重ねなんだと思う。
馬鹿スレage
まだエスパーのほうがいいね
超人ロックって最近はまってるけど面白いな
新訳Zは今までのNT論を繋いだNT完結編
初期案Ζのギャザースタイムを映像で見たかったな
それこそエスパーだろうな
カミーユの幽霊と合体ラストはギャザースタイム状態だよ
種も愛そうな
ん?嫌だよ
590 :
通常の名無しさんの3倍:2006/08/10(木) 08:05:38 ID:dbB0Zkbb
ニュータイプそれは隣の人を愛すること
だから種にはNTいないだろww
よって愛してもらえない
隣人愛の限界点こそがNTという思想の出発点だと思うんだけどな。
>>592 永遠に思い続けてください。
応援してます。
はぁーーーん
隣人愛なんてのは平和な時にやってればいいのだ。
戦場で隣人愛などやっていたら死んでしまう。戦場で必要なのは殺し合いだ。
戦場で隣人愛、平和な日常で殺し合い。これを「空気が読めない奴」と言う。
>>594 それを戦場でやろうとしてその隣人がみんな死んでいくのに
絶えれなくなったのがテレビ版カミーユってことなんでは?
(・с_・`)ソウナノ?
ニュータイプなんて禿の独り言だ
やっぱNTって先天的なものなのか
NTとかもうどうでもいいし、お前らもそろそろ、人生設計とかに頭使え。
二次元美少女に萌えてないで近場の適当な女捕まえてガキ作って俺らの年金支えろ。
でも、ちょっとはガンプラとか買ってマージンも来たら嬉しいなあ。これが富野の本音。
先天も何も、みんなNTだよ
それに気付いて無いだけ
この「Z」で監督のNT論は反映されてるんでしょうか?
富野
今までのガンダムの中で使われていたNTという言葉の意味ではそれは進化していません
むしろ退歩してるかもしれません。
それはニュータイプの最終的な形がけして進化ではないと思えるようになってきたからです。
絶えず人と人とのコモンセンスを持ち得る集合体であればいいこれがNTなのだと思います。
そのNT論が行き着く先が、日本の侘び錆びに代表されるような感覚を自分自身の感覚に投入
できる高みにまで到達させる必要がある。
まあ今こんなことを活字にしても全然わからないという話になると思います。
これを解らせていく方法を僕は死ぬまでのテーマにしていきたいと思っているんです。
今、なぜそれがNTなのか、ということを一つだけ言えるとしたら、侘び寂び論で本当の自分の感性を
自分の生活に実践していくことができたなら、戦争はありえないんです。
基本的にはNTが目指してることは絶対平和なはずです。
絶対平和を完遂して戦争をしないで暮らしていくためには、実はハイレベルな美学が必要なんです。
そのハイレベルな美学が侘び寂びなんです。
ガンダムエース05年7月号
富野はノウミソ大丈夫なのか?
NT・ワビサビ・絶対平和という、方向性が全然別々なものを、一緒くたに統合しようとしているぞ。
就職試験で三題噺の作文書いたことないか?
富野は、人間が根本的には好戦的な生物だという現実を無視しているようだな。
人間は戦争や殺し合いが嫌いなのではなく、敗北と死が嫌いなだけだ。
そして、人間は退屈も嫌いだ。平和とは退屈なものだ。
それに、戦闘への渇望は性欲にも直結しているから、人間がNTに進化して好戦性を失ったとしても、
けっきょくそいつらは一世代のみの変種に終わる可能性が高いだろう。
絶対平和を実現しようとしても、人間自体が平和よりも戦いを好む存在なのだから、
けっきょくそれは相手に平和を強制できるだけの軍事力を備え、それを行使するという手段による事になる。
今のアメリカが一生懸命にやっている行為が、それだ。
崇高な理想はたびたび人間を盲目にさせる。十字軍の昔から繰り返されて来たことだ。
>>605 日本列島に人類が住み着いたのは10万年ほど前と言われている
対人防衛設備たる環壕集落が生まれるのは2000年程前の弥生時代
98000年は争いと無縁の平和な時代だったわけだ
人間て好戦的なのか? あまりに短絡すぎないか?
とりあえず∀見てから語って欲しいと思う
98000年間が、本当に「争いと無縁の平和な時代」だったと言い切れるか?遺跡や遺物が残っていないだけだろう。
共同体どうしの距離が離れていて、物理的に共同体同士の戦争が不可能だったという可能性もある。
しかも、共同体内部で闘争がなかったとは、およそ考えられない。
>>608 ないものを証明しろと?
お前さんが闘争があった証拠を持ってくれば
>>606を一撃粉砕できっぞ
がんがれ、超がんがれ
争いがあったから環壕集落が作られるようになったんじゃないか
いやいや、争いがあったからじゃないだろ。自然や環境に対抗するためにだろ。
とりあえず∀見れ
見たら何が分かるのさ?
猿でさえ身内で喧嘩すんのに、争いと無縁であるはずがない
喧嘩と組織的な戦争を同列に語るw
喧嘩する=争いはあった=好戦的というのは
あまりといえばあまりでないか?
親は子供を守るという事実から、人は本来
好戦的ではないという結論を導くのも可能だ
生存本能と闘争とは別物に考えれ
ニュータイプは幻想だ。
生存本能あるいは生殖という面にしても、我々は少子化・避妊によるプレイ感覚のセックス・ウホッ・妖精さんというような様々なアプローチにより
その本来の目的に反して精子をムダにし続けており、本能行動からはこれらは説明できない。
本能が我々の行動を支配し続けているとはとても言えないだろう。
>>618 性欲なんざ本能そのものでないのか?
お前さん異性とセックスしたくないんか?
>>616 ∀は闘争本能を否定してるわけじゃないよ、ロランだってギンガナムを倒すためには
闘争本能を使ってる。要は引き際と使い方だとギンガナムを破滅させることで表現してる
ちなみに∀は、人は好戦的で理性的に抑制なんてできないとする前提からスタートしてて
∀のラストは結局、月光蝶を発動させて破滅しまうハズのストーリーだった。
>>620 言われてみりゃそうだな。それで、人の英知が生み出したものなら〜につながるのか
どっちにしろ、富野が人の闘争本能知らないはずがない
でなきゃ、あの黒トミノの時代を説明できない
ぶっちゃけ本能って言葉自体、もはや死語じゃない?
人間行動を本能で説明する試みで、まともな言説聞いた事ないけれども。
されど感情や論理的思考だけでも人の行動をすべて説明することはできない
富野
身体性というものに知がきちんと包み込まれて
つまり理が身体に収められてその上で、
これまでずっと言ってきてるように「誤解無く理解できる」
という知力が持てるのがニュータイプだと思ってます
生まれたばかりの赤ん坊といえどピュアにNTじゃあないんです
でもまだ本人の理が働いていなくて、外界から受けたものがほとんどないような
生まれ出てくる瞬間まではその子は健全なNTと思える素地は持ってるんだと思います。
生まれてから寒いとかあったかいとか驚いたりして偏見がはじまっていく
赤ちゃんが生まれる瞬間まであったはずの感覚を知や理を肉体の中に
きちんともてたまま大人になれたら、そんなふうに素直に外界を感じれるセンサーを
持ててたら僕はそれはニュータイプだと思います。
富野
我々は「おぎゃー」と第一声を上げた以後のところで、もう偏った人生に歩む方向へ
ダーとまっすぐ行ってるだめでなのであって(笑)
-必ず何かに染まっていくわけですよね
富野
そうです。でもおまたの間から出てきた瞬間までの、あのピュアのセンサー
というものを獲得することは、決してオール・オア・ナッシングなわけじゃないんです。
僕はこれから死ぬまでしていっていい話じゃないかなという気がしています。
-キングゲイナーを作った今の富野さんは、ほとんどNTですね
富野
ええそれは自覚してます。こういうふうに考えれば、少なくとも窮屈に考えないですむ
ということが、自分の中でわかってきました。だからこそ、なんです。そうすれば何かひとつ
改めて学習することができるだろう。勉強することができるだろう。自分の偏りを修正できるだろう
そういうところには行き着き初めているんです。
それがVガンダムだより
まだー?
禿の台詞だけ並べられても、何が言いたいのかサッパリわからん。胎児信仰か?
胎児は100%母親に寄生して生きており、だからこそ生きる糧を得る戦いを免れているに過ぎない。
人間は、平和よりも、戦争して勝利して支配するのが好きなんだよ。
そして、戦いに勝った後の状態を指して「これぞ平和だ」と言うのさ。
で、平和にはすぐ飽きて、次の攻撃目標に襲い掛かる。力尽きて他の者に食われる日まで。
これ以外にはどうしようもないのさ。食い付くのをやめたら、他の者に食われるだけだ。
だから「戦争は人間の本能だ」と言うんだ。
中学生語り場?
っていうかニヒル詩人?
世界中で、戦死した人間と戦死しなかった人間の数を比べてみるといい
人間がいかに戦っていないかわかるだろう
戦いは戦争だけじゃないと思うが。
632 :
通常の名無しさんの3倍:2006/08/31(木) 07:18:23 ID:wNZbRRFg
あげ
「人の意識の源には、戦いを好む癖があるのか」
Zの放送予告CMで流れていた台詞だ。
地震だ。
>>627 「貴方はそれを素顔(2ch以外)で言う勇気がなかったでしょう?」
勇気って言うかね、こういうのはチラシの裏とか便所の壁、あと2chに書くべき事だと思うんだよね。
「王様の耳はロバの耳」って、街中で言い触らすのは痛いだろ?たとえそれが事実でも。
人類の誰もが他者への思いやりに満ちていて常に平和を願っているとしても戦争はおこると思う。
誰もが満足して暮らし好きなだけ子孫を残せるほど世界は豊かではない。
人の知恵はそんなものだって糊肥て
>>627のような認識ってある意味当然で、カッコつけて書くようなこと
でもないんだけど、悲観してるだけじゃなく実現しないかもしれないけど
その先を考えましょうよ、ってのがNT論だしなぁ
悲観じゃなくて肯定的に捉えたらどうよ。
平和な時代が続くと、惰弱な生きるに値しないクズが増殖する。
>>640 その意識は右翼と買わんないのぉ・・・・
ていうかかファシスト?
狼は生きろ豚は死ねと、狼のつもりで豚が言う。
カッコ悪いとはこういうことさ
645 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/09(土) 19:59:15 ID:GSIBCZ2t
さむいじだい
このていどのサイキックで…!!!
647 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/10(日) 00:59:46 ID:gODTHKdh
シロッコは未来予知のNT
自分にはNTな友が何人かいる様な気がする、
親友はNTじゃない様だけど
>>1 儒教の国の人は、最もニュータイプから遠い人々な訳だ。
NTから最も遠い者は、隣人を含めあらゆる人間を拒絶する引き篭もりだ。
ニュータイプの考え方は脳の自然性の発展的思想なのかもしれない。
人間は自然界の現象を人工的に強化しながら、「あつかえる」モノに作り換えてきた。
だとすると、携帯やインターネットに届かないまでも
感情の共有やイメージの共有をしてきたのかもしれない。
個人差は在るにせよスポーツなど集中が高まった状態で、その脳力が発揮されている様に思う。
だから、人間も含めた自然界をより智(法則的なモノの体感的実感?)として知る努力を、
科学者・運動選手は追求していく方向に歩むのであろう。そこに新たなひらめきの種がある?
そう考えつるにニュータイプとその他に分類されていた人類に明確な区切りはなく、
ニュータイプに成りうる「だろう」人類は、オウムのような特別な修行ではなく
日常生活に集中力を使い日々その脳力を高めた者なのだろう。
その日々の集中力の使い方は、スポーツ(団体競技・多人数であれば有るほどいい)の常用化である。
例えば大切な物をワザと捕られやすい処に持っておき、その上で周りの人がどうしてくるのか予測しながら生きる・・・・
位しか思いつかねえぇorz
その上で儒教は都市(正確には城壁都市)の理論である。
つまり「カベ」をワザと作って自然性(男女 ets....)の排除を行い、
「そういうもんだ」と納得させ考えさせなくさせる。
そこからは智は生まれない。
たしかにそうすることで都市生活は円滑に進むようになるが、
人間の可能性の排除にもつながる部分はあるのだろう。
解りやすく言うと、箱に押し込め豚にする わけである。
>>643はそういう訳である。だから
>>649は正しいのである。
どこを縦読みするんだ?w
>>651は「他人の思念を直接感知したらどうなるか」を実演してくれたんだよ。
それってデムパを受信したんじゃん
>>650 その考え方は新鮮で面白い。
普通はアムロの存在やら
色々な国の仙人の存在で忘れられてしまう。
また日本国では村八分の状態が
好んで創られる文化があり
そうなる前に自らその状態を生んでる可能性もある。
歴史を見ると引きこもりから新しい文化が生まれる場合もありましょうや。
じつはあらゆる人間を拒絶している人間は
自分自身をも拒絶するはずなのでその時点で死を選択するだろう。
文章をわざと削った。
だから、NTにはなりにくい。
強靭な精神とより深いやさしみをもった人がNT。
>>656 語るまでもなく主人公達は、戦いの中でそれを身につけた。
あと「一日一善」も追加してくれ
奴らがやっている事は「一日百滅」に近い
660 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/20(水) 22:33:40 ID:afWXSLeB
シーブックのようなNTに成りたい。
カミーユがNTとしては最高さ
DQNだけどな
>>1 儒教の国の人は、最もニュータイプから遠い人々な訳だ。
665 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/29(金) 23:20:07 ID:YwEC/Qma
昨日、久しぶりにTV版ファーストみてて恐ろしいことに気がついた
伊勢里奈タン、なにげに凄いんですよ彼女。たった二話しか出てきてねーのに
そこまでアムロをおいつめるかアンタ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おれはここで
「伊勢里奈タンNT説」
を提唱する。ガイシュツ?気にするな
1 ガルマが最後の出撃をするとき、別にガルマにとっちゃ普通の任務
に出ただけなのに、伊勢里奈タンは親父の飛行機かっぱらってガルマ
に会いに行こうとしていた。ガルマが出撃するたびに毎度毎度ガルマ
に会いに行こうとして親父に殴られてるわけでもないだろうから、もしか
してガルマの死を「予感していた?」
2 ガルマの敵討ちでガウ編隊を率いてWBに肉薄する伊勢里奈タン。
2機まで落とされるものの、最後の一機の操縦桿を握って、あの鈍重な
ガウでガンダムに体当たりして、ガンダムを作動不能に追い込んでいる。
ご存知のとおり、伊勢里奈タンはただのお嬢様。とーぜん軍用機の操縦
なんぞできません。そら、おやじの飛行機かっぱらおうとしてるんだから
自家用機くらい飛ばせるのかもしれないけど、それにしたって、被弾した
ガウをいきなり操縦してアムロにぶち咬ますなんざタダモンじゃござい
ません
伊勢里奈タンも大怪我をしたがそれでも、至近距離からアムロに拳銃を
突きつけている。伊勢里奈タンにあとすこしヒットポイントがあったら来週
から「美少女戦士伊勢里奈タン」がはじまっていたはずだ・・・・・・・・・・
ぶっちゃけ、ガルマやシャアなんぞよりアムロを追い詰めてます。
そろそろ黒歴史い埋もれた伊勢里奈タンをNT認定してあげたい
んだがどうだろうかね?
666 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/29(金) 23:25:39 ID:oyEmuLaN
ぞろ目をゲットした僕がニュータイプだ
ぞろ目をゲットできなかった俺はニュータイプのできそこないと言うことかー!
俺はめんどくさいタイプ
>>665 禿げ同・・・しかも偶然とはいえ、主人公アムロに仇と言い放ったのは素晴らしい
ニュータイプは幻想だ。
ニュータイプは夢だ。
Xは月を象徴的意味でもちいている。
科学の世界では長いこと、月に足を運ぶ事を夢としてきた。
また、東洋では・・・・・・・
>>672 それをいうなら、本家富野ガンダムでも太陽や月を象徴的に使用しているな。
そもそも元ネタでもある「2001年」では月→地球→太陽で、無生命の世界→生命の世界→神の世界を意味し、
主題である人類の精神的(霊的)進化を表してるわけだが、
ファーストのラストでもコアファイターが太陽に向かって人類の未来を暗示する。
一方ファーストのテーゼを逆転させたTV版Zのラストでは百式の残骸が画面を横切ったあと
太陽は地球の裏に隠れてしまい、地球(世界)はその影の部分を観客に示して幕を下ろす。
そしてさらにTV版Zをポジティヴに裏返した新訳Zのラストでは、Zの股間(生殖のシンボル)から再び太陽が生れ落ちる。
富野作品は世界観や物語、せりふ、ネーミングなどの文芸的側面ばかりが語られるが、
実はこういった映像的象徴による仕掛けを随所に施している。
まあ元々映画監督になりたかったらしいからな
>>673 考え過ぎだろ。
仮に禿がそこまで考えていたにしろ、見ている方に伝わらないなら、単なる「深読み」だよ。
そりゃ伝わらない人もいるだろうな。
禿が誕生のシーンを映像に織り込む、って話はたまに聞く。
>>675 象徴表現というやつは見る人間にすべて伝わる必要はないし、
あえて言うなら、むしろあまり伝わりすぎちゃいけないのよ。
作品をあっさり消費されないために重層的に構成する(つまり深みを与える)ためで、
観客の無意識のレベルに訴えて何らかの印象を与えられればそれでいい。
単純に太陽が沈めば暗い印象を受けるし、出てくれば明るい印象を受けるでしょ?
ただし、作る側はそれ相応の知識とロジックに基づいて作りこまなくちゃいけないし、
逆に言えば見る側にもある程度の知識があれば、そこから逆算して作り手の意図を推測することが可能になる。
深読みといわれるかもしれないが、解釈とはそういうもん。
ハゲに実写映画創らせりゃいいのよ
実写ガソダムは勘弁して下さい
安彦作品を映画化したりして。
虹色のトロツキー三部作とか王道の駒とかナムジとか・・・
富野は発言するたんびにコロコロ内容を変えるから、もうイヤ!!!><
つーかそもそも富野のおっさん、精神的に分かり合う、感応するとかよく言うけど
その言葉の意味そのものが結構あやふやだと思う
まあ何かを共有するって事なんだろうけど一体何を共有するんだろう
感覚、感情、意思、思想、価値観、それともすべてか?
人間の精神自体、規定できないあやふやなモンだ。
NTと我々OTは、精神の構造自体が多少違うのかも知れんよ。
完璧なNTになってしまった人とOTとは、会話すら成立しないんではないか。
>>684 今の富野は精神的に分かり合うだけでなく
触れ合いや体感をもてないと本当のNTではないと言ってるぞ
F91で「お肌の触れ合い回線」の単語が出たが、
深い意味があるんだろうか?
690 :
通常の名無しさんの3倍:2006/10/21(土) 02:33:23 ID:8M6lkUuc BE:645096858-2BP(123)
>>38 権利とか責任とかの概念が、人同士の関係をギスギスさせるんだよね。
因果や道理をないがしろにするから…。
だれとしゃべっている!!!
権利や義務ってのは人間関係における紛争を減らすべく編み出した人類の知恵だぜ
権利ってのをウルサイ左翼が喚くもの
義務ってのを嫌なお上が押し付けてくるもの
こういう考えをしている限りは理解できないと思うがね
693 :
通常の名無しさんの3倍:2006/10/21(土) 19:39:25 ID:YsbyZh4K BE:677351467-2BP(123)
>>692 いや、目で見て、もしくは耳で聞いて、あるいは匂いをかいで、または手で触れて、簡単に無理だと解ることを、権利という概念で強引に押しきろうとする人、多いでしょ?
見て解らんのか!、みたいな。
694 :
通常の名無しさんの3倍:2006/10/21(土) 19:46:46 ID:YsbyZh4K BE:1306319999-2BP(123)
義務については、近年顕著なのがクレームを言う人がいやらしく利用している様があるでしょ?
義務という概念にとらわれすぎて、赦すという優しさを欠いたまま、強者による攻撃を徹底的にやっちゃう。
最近すごく思うのだが、肉体的交流と精神的交流は等価であり、隣人愛に帰結した(と俺は理解した)NT論を見るに、
その程度の結論を出すのに何年かかってんだこの禿は?
今時そんな当然のこと、道徳の時間でも言わんぞ。
今時そんな「当然の事」をやらなくなってきてるから
富野がNTを使って表現して見せたって事じゃないのかな。
>>695 その理解の当否はさておいて、思想の結論とは往々にして凡庸なものだ。
重要なのはむしろそこに至る過程。
凡庸というより、何の目新しさもない結論だったな。
言い尽くされた、とでもいうか。
お前らアニメごときの思想に何を期待してんだよwww
…と不毛な煽りはさておき、エスパーから始まって続編が次々作られるにつれて
設定としてお荷物になり、最終的に誰でも受け入れやすい形の思想へと変質した、
という感じがする。
ようするに投げやり。
グノーシス主義という、古代キリスト教の周辺に発し異端とみなされた思想がある。
キリスト教的一元論では説明できない悪の存在を善悪二元論によって説明しようと試み、
この世は至高神より劣った創造神によってつくられたものであり、至高神に由来する魂は牢獄としての肉体に囚われている、とした。
正統教会から敵視され滅ぼされたが、その影響は異端ボゴミール派やカタリ派、ユダヤ神秘主義(カバラー)、錬金術などを経て、
近代におけるオカルティズムからニューエイジに至る西洋神秘主義思想の伝統に多大なる影響を与えている。
また、キリスト教的伝統において霊魂を束縛する現世的・地上的な負の力は重力のアナロジーで表現される。
さて、ニュータイプ思想もまた近代オカルティズムに発する霊的進化論に属し、ニューエイジ運動の影響下にあるが、
TV版Zの最終回における「本当に排除されるべきは地球の重力に魂を引かれた人たちだろう」
「現実の世界の生き死ににこだわるからひとつの事しか見えないんだ」といった台詞は、
まさしくグノーシス的な現世・肉体否定を受け継ぐものであり、カミーユの精神崩壊はその当然の帰結だった
しかしその後、現実に現世・肉体否定を掲げ、霊的進化論を信奉する集団が現代日本に出現する。
いうまでもなく、オウム真理教だ。
オウムはチベット密教の説話に登場する「ポワ」の概念から、救済的殺人という「ポア」の理論を発展させ、実行した。
オウム事件は、教団がガンダムを含むアニメ・漫画から大きな影響を受けていたことも含め、当時うつ状態だった富野に衝撃を与えた。
当時、宮崎駿をはじめとするクリエイターが沈黙する中、アニメ界からは唯一富野だけが積極的に発言し、責任を背負おうとした。
そして新訳と銘打たれた劇場版において、前掲の最終回におけるカミーユの台詞は
「本当に排除しなければならないのは、地球の重さと大きさを想像できないあなたがたです」と、正反対の意味に変えられ、
嫌悪の対象だった現実の肉体性の最たるものであるセックスを露骨に意識したラストシーンを迎える。
・・・という程度の手間はかかってるのよ、この「凡庸」な結論までには。
701 :
通常の名無しさんの3倍:2006/10/22(日) 05:52:34 ID:JEUUSmOf BE:225783672-2BP(123)
>>700 シャアのアクシズ落としとか、Vガンダムのエンジェル・ハイロウみたいなのは、まるっきりオウムだもんな。
仏教が、発祥地であるインドから消えていった理由は
哲学的、学問的になりすぎて、本来の民衆の救済から離れていったかららしい。
思想を練り上げるのも結構だが、現実に正面から向き合う事を忘れたら
自分の心一つ、救えなくなるんじゃないか?
>>695 NTの答えが隣人愛という普遍的で凡庸な答えと言えばそうだけど
回り道してその答えに辿り着いたということは
ただ簡単にNTの答えが隣人愛だと辿り着くよりはよっぽど意味が深いと思う
20年以上かけて導き出した答えは簡単に出した結論以上に重みがあるとは思うけどね
>>700 今思うと少年カミーユのNTのキリスト的受難っていう
新訳Z第一報の大分合同新聞でのキャッチコーピーは言い当て妙だった気もするな…
>>700 霊的進化論を否定したんじゃなくて
その霊的進化論を体感の暖かさで包んだら
隣人愛という答えに繋がったということではないだろうか?
ラストのカミーユは精神的な存在である死者を否定せず受け入れつつ
なおかつ生きてる大事な人間と抱き合えることがもっと大切なことという
答えを手に入れたことからみると
ニュータイプ=新人
トミノは単に自分が作り出したZの重みに耐えられなくなって逃げたんだろ
てめえの作ったアニメを見たやつの中のガイキチが事件を起こしたからって
そのアニメ自体を自己否定するってのは創造者としてクソレベルだな
新約Zは世の中の凡俗には受け入れられるだろうが10年と持たずに消えるだろう
>>703 単に「昔言っていたことは全くの間違いでしたごめんなさい」と自己否定した、
本末転倒な結論のようにしか思えないが?
それにNT論がもてはやされるのは「ガンダム」の中の思想だからであって、
隣人愛や自然回帰なんて現実には原始仏教や老荘思想など、取り分けて
特別なものではない。
つまるところ、受け売りをガンダムの中の思想に取り入れただけで、独自色は薄いんだよ。
別に間違いでしたごめんなさいじゃないだろ
分かり合うために大切なことそれが隣人愛だったということだろ
>>708 > つまるところ、受け売りをガンダムの中の思想に取り入れただけで、独自色は薄いんだよ。
思想ってのは、常に先行する他者の思想のうえに積み上げられるものでしょ。
世の中にもともとあった受け売りをアニメの中に取り込んで、
その結果として描かれるものが平凡な日常マンセーになってしまったら、
教育委員会みたいな面々は喜んでも、娯楽作品としては大失敗ではないか。
我々がガンダムに対して求めるものは、非日常的な娯楽であって、聞き古された訓話ではない。
それとも、反社会的(狂気は反社会だろう)な非日常性は、
アニメという非現実の中ですら存在を許さないというのか?
ぶっちゃけ、トミノは年老いて、つまらん保守的なオヤヂに成り下がったのか?
ニュータイプねぇ。
相手の脳波の微妙な動きをキャッチして、先回りするのか。
脳の動きが無意識に身体の反応としてでるから、それで読み取っているとも言うし、
訓練された兵士ならある程度できるんじゃないかなぁ。
「作中、ニュータイプと呼ばれたキャラクターが見せた能力」
についてあれこれ語ってると必ず、
「いや、ニュータイプってのは『戦争をしないで済む人たち』
の事なんだから、そんな超能力じみたスキルは関係ないでしょ」
と話ぶった切る人が出る印象があるな、どのスレでも。
「先読み」に必要な情報を、五感からだけ得てるのかそれ以外からも
読み取ってるのか、それだけでも意見分かれるねー。
戦争にも平和にも応用がきく能力
非日常にも日常にも応用がきく能力
しかも超能力とは一線を引かれている
そして物語を創る上で、誇張された部分を差し引くと・・・・
なんだろ?わからん
当初の51話構想では、先読みを行う予知能力だった。
アムロがジオングを撃墜した45話辺りでは、30分先まで読める。
そこまで未来がわかるんなら、勝敗もわかりそうだがな。
716 :
通常の名無しさんの3倍:2006/11/04(土) 04:00:16 ID:UhvRvqeM
あげ
ニュータイプを宗教的に論じたり、富野を教祖のように祭り上げるのは
違うんじゃないか?たかがアニメなんだから。富野自身が言ってるように。
トミノが作り出したニュータイプという概念は、もうトミノが消えて欲しいと願っても消えない。
こっちは消費者として、ニュータイプ概念やトミノ自身を、こね回し弄ぶ。それを楽しむ。
作り手の意思はたいして重要じゃない。たかがアニメだからこそ、遊びの対象として最適なんだよ。
禿はニュータイプってのを作劇上便利な言葉以上には
思ってなかったが色々ペラペラ語って自分でもどうしたら
いいかわからなくなっただけ
いやまじめには考えてただろう
まじめに考えすぎてわからなくなっただけだ
つか答えが出せたらキリストどころじゃないけどな
ニュータイプは幻想だ。
>>721 正解。「論」と呼べるほどのものでさえない。
723 :
通常の名無しさんの3倍:2006/11/16(木) 23:55:16 ID:sxacFTfB
>>720 答えは出せるがキリストに成田区ねぇぇィ!
カミーユはキリスト的受難
シロッコはゼウス的ジャミトフ殺し
>>724 ほほう!では
売り奈良やら姦酷と言われる
国にいったら
ジュナン・カンですかな?
初代ガンダムを見ていて思ったのだが、回が進むごとにつまらなくなっている。
前半のように、素人集団のWBチームが悪戦苦闘しながら敵と戦い、
なんとか生き残っていく方が共感が持てるし、見ているこっちも応援したくなった。
ジャブローを出てからのWBチームは、無敵にして不死身だ。
理不尽に強い化け物にしか見えない。あれでは感情移入のしようがない。
むしろ、相手をするジオンのMSや兵たちが可哀相になって来た。
CUT2006年12月号より禿インタ
〜中略〜
ニュータイプの概念がこの1ヶ月でようやくつかめた
――ガンダムに大きな謎を残した「人類の革新“ニュータイプ”」という考え方は、結局なんだったんですか。
「さっきもいったように、作家じゃないから初めから規定なんてできるわけないので、“ニュータイプ”という言葉だけ放り投
げたわけ。それがこの30年間、自分を縛ったのも事実だけど、この1ヶ月でようやく“ニュータイプ”の概念がつかめた。それ
はすごくつまんないことで申し訳ないんだけど、『総体を見ることができる人』。宇宙があって地球があって、地球のなかに
我々がいてってことを、パッとわかる人。最近のニュースを見ていると、大人たちの反応は自分のいまある立場を安定的に維持
したいという、各論から発想されているでしょ? 総体論で見ていけば、すべての物事が紐解けると思いはじめてるところがあ
るんです」
――へえ。遂に辿り着いたと。
「個別のツラだけ見ててもなにもできない。ツラさえよければそれで済むと思わせる媒体が、アニメであり映画という媒体。映
像媒体っていうのは、どうもそのクセがある。やっぱり総体の作業ではなくて、個人の意志があまりにも作品全部にいきわたっ
ていると、世代を超えて受け入れてもらえない。僕の場合、自己の主張を持っていなかったので、自己主張しないで済んだ。フ
ァーストガンダムには子供の頃からの思いの丈が吐き出されてるけど、僕のあのときの好みだけで作ったものでは決してない。
やっぱり時代が作らせたから。時代性は絶対に背負ってる。僕は社会的な位置関係でいえばガンダムの原作者で、間違いなく監
督もやってるんだけど、ガンダムの作者ではないんですよ。自分が作り込んだというより、作らせていただけたという意識が強
い。そうでないとあと50年残りませんよ。俺、あと50年ガンダムを生き残らせたいから(笑)」
富野
身体性というものに知がきちんと包み込まれて
つまり理が身体に収められてその上で、
これまでずっと言ってきてるように「誤解無く理解できる」
という知力が持てるのがニュータイプだと思ってます
生まれたばかりの赤ん坊といえどピュアにNTじゃあないんです
でもまだ本人の理が働いていなくて、外界から受けたものがほとんどないような
生まれ出てくる瞬間まではその子は健全なNTと思える素地は持ってるんだと思います。
生まれてから寒いとかあったかいとか驚いたりして偏見がはじまっていく
赤ちゃんが生まれる瞬間まであったはずの感覚を知や理を肉体の中に
きちんともてたまま大人になれたら、そんなふうに素直に外界を感じれるセンサーを
持ててたら僕はそれはニュータイプだと思います。
富野
我々は「おぎゃー」と第一声を上げた以後のところで、もう偏った人生に歩む方向へ
ダーとまっすぐ行ってるだめでなのであって(笑)
-必ず何かに染まっていくわけですよね
富野
そうです。でもおまたの間から出てきた瞬間までの、あのピュアのセンサー
というものを獲得することは、決してオール・オア・ナッシングなわけじゃないんです。
僕はこれから死ぬまでしていっていい話じゃないかなという気がしています。
-キングゲイナーを作った今の富野さんは、ほとんどNTですね
富野
ええそれは自覚してます。こういうふうに考えれば、少なくとも窮屈に考えないですむ
ということが、自分の中でわかってきました。だからこそ、なんです。そうすれば何かひとつ
改めて学習することができるだろう。勉強することができるだろう。自分の偏りを修正できるだろう
そういうところには行き着き初めているんです。
それがVガンダムだより
ニュータイプは結局のところ人類の進化において
何の役にも立っていない
それは∀で証明されている
所詮、宇宙世紀時代の人類が思い描いた幻想なる
産物で、モビルスーツ乗りとして優能な者としての
意味でしかない
ニュータイプとは平和な時代には全く役に立たない
戦時に優秀なパイロット乗りという特別な扱いを受けるだけ
の者たちで、到底、歴史を変えるようなものではなかった
宇宙世紀時代のニュータイプと呼ばれた者たちが後世で
全く評価されていないのはそのせいであろう
>>730 母星を離れて外宇宙へと広がって行った人類って事になってるぞ∀では
平和の時代があればNTという人々が
めだたないのも当たり前だろ
平和維持がNTの本質なんだjから
戦争が生み出した人類の悲しい変種
735 :
通常の名無しさんの3倍:2006/11/28(火) 19:37:16 ID:ZEGBQXz4
意外にもニュータイプって地球生まれ、もしくは地球育ちである場合が多いんだよね。
アムロ、シャア、セイラ、カミーユ、ララァ、ハサウェイ、ウッソ等。
これは地球から宇宙という劇的な変化を体験するからなのだろうか?
ディファとジャミルもね!
確かに。
コロニー生まれのコロニー育ち・ただし一般市民で
他のコロニーと行き来する必要なし、なんて生活じゃ
「宇宙の広さ」なんぞ実感できる筈もないし。
(地上と変わらん生活だもんな)
広い宇宙に「放り出される」というか、自分が生まれた場所、
生活している場所を「広い宇宙の中の一点に過ぎないと認識する」
強い衝撃がニュータイプの要素として必要なのかも。
これだとティファが説明できんけど、彼女自身は自分を
「進化した人間」だとは思ってないし、GX本編で連邦軍は
「ニュータイプ=フラッシュシステムに対応したサイキック」
位にしか思ってない(人材を「釣る」為に甘い言葉をちらつかせはしても)
>>738 ティファとかはUCの富野NT論とまた違うと思うけどね
740 :
738:2006/11/29(水) 01:30:33 ID:???
うん。彼女はかなり明確に「超能力者」で、
ニュータイプは超能力者ではないんだよ、と
言ってる富野つーかジオン・ダイクンのNT論
とはある意味相容れない存在。
宇宙に出た経験もなかったし。
しかしUC世界の「軍」は……ニュータイプ達が
垣間見せる未来ではなく、ニュータイプ故の
(様々な意味での)能力に目を奪われてた感はあるけども。
741 :
通常の名無しさんの3倍:2006/12/01(金) 20:12:38 ID:llii9pO+
俺はオーラの泉の2人がNTだと信じてる。
>741
他人の弱みに付け込んで金をまきあげることが目的の人間と、
男娼として有名作家を利用して世間に出たオッサンがNTとはこれいかに。
ユリ・ゲラーとMr.マリックとプリンセステンコーはNT
大國主とジャンヌ・ダルクはNT
>>744 ジャンヌ・ダルクは統合失調症だったらしいぞ
まあカミーユ見ればわかるがNTも覚醒しすぎると統合失調ぽいが
ニュータイプの代表者はアインシュタイン
いいや坂本竜馬
てずかおさむっちはどう?
ニュータイプはマザーテレサだと思う
人の感性がわかりすぎるために不幸になるという点で
なんか
>>1を読んだら解決しちゃった。。。
もう話す事無くなっちゃったよ。
さすが富野だな。