1stΖ】大河ドラマ「劇場版ガンダム」を考える【CCA
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ガンダム→Ζガンダム→逆襲のシャアの三部作?:
■『機動戦士Ζガンダム―星を継ぐ者―』完全ドキュメント Ζ BIBLE
富野由悠季総監督ロングインタビュー
リズムとテンポを重視した事件展開
―――それは(『星を継ぐ者』が)カミーユではなくクワトロから入っているということですね。
富野 はい。もちろんその理由も当然あります。たとえば「ガンダム」をシリーズでとらえたとき、「実はシャアが本線かもしれない」という想定があるということです。
《中略》また「ガンダム」というシリーズを三部作ととらえれば『Ζ』は『ファースト』と『逆襲のシャア』の真ん中にあたるシリーズ」であるため、シャアから入るのが良いという考え方も入っています。
実在の第三者としてのシャア
―――クワトロがカミーユの肩を抱いたりレコアさんのお尻の話が出たり、意外にスキンシップが見えます。クワトロはそういうタイプではないと思っていたので驚きました。
富野 クワトロがカミーユを触るという行為は、寛容という人の度量みたいなものでしょう。シャアはクワトロという名で過ごす日常の感覚の中で、「シャアだけでいたらまずいな」という努力をしていたのでしょう。
カミーユみたいな少年がいて、ましてや自分についてきてくれたとき、その子に対して寛容さを示すということは、もうあのマスクのシャアではないということです。
それともうひとつ意識したことは、制作順は逆だとしても『逆襲のシャア』を意識したとき、シャアにこういう部分がないとナナイにしがみついて泣いてしまうシャアにはいけないということです。キャラクターをぶつ切りにしない最大限の努力の結果です。
変節するキャラクターなら、その変節なりに芯の部分があります。今回の『Ζ』の仕事で痛切に思ったのは、「ファーストガンダム」から引きついでいるキャラクターは、ぼくにとってはもうフィクションのキャラクターではなく、実在の第三者だということです。
その彼を次にたどりつけるように作ることは、『逆襲のシャア』を制作当時以後見ていないにせよ、キャラクター造形として大事だと思います。