夏も終わりを告げ、深まる秋の声の聞こえてくる10月の初め。
ガンダム兄弟の通う学園では「勉学の秋」に追われる生徒たちが、
授業の合間にバタバタとノートを写し合ったり、範囲を確認したり、
どうせ間に合いっこねー、と不貞寝したりとそれぞれの形で、
目前に迫った統一模試の対策を練っていた。
そんな泥縄な一週間のある日、その日最後の授業が休講になったシンは、
ドモンの試合をTV観戦していたせいでできなかった、昨日の分の問題集を片付けようと、
学園の中央図書館に向かっていた。
9月の終わりごろに台風が通り過ぎてからこの方、朝夕は急に冷え込むようになり、
制服姿のシンも、朝ロランが用意していたベストを
素直に着ておくべきだったと少々後悔していた。
「クシュッ!……ち、ちくしょう。何で急にこんなに寒くなるんだ。
いくら天気が悪いからって、あんまりじゃないか。
……早く行かないと風邪引きそうだ……。」
中央図書館は普段授業の行われる中央校舎、南館及び東館からはそう遠くは無いのだが、
先程の体育の授業で汗をかいてきたシンには、この秋を通り越して初冬を思わせる寒さは
思いのほか堪えたようで、足取りは自然に小走りになり、
途中購買に向かうトマーシュとビーチャに会って少し話をした後は、
100m走並みの全力疾走で図書館の自動扉を駆け抜けていた。
(どうでもいいがビーチャのスキヤキパン好きはどうにかならないものだろうか。)
個人認証用のIDカードをゲート脇の機械に通すとシンは、
同じように勉強しに来た他の学生たちの行き交う1階のホールを左に通り抜けて、
エレベーターを待つ列に並んだ。自習室があるのは4階からである。
ポーン、と軽快な音を立てて、階を示す表示が2Fから1Fに変わり
ちょっと古めかしい装飾の施されたエレベーターのドアが開くと、
見知った声がシンを見つけた。
「ああ、シンも勉強に来たのか、……あれ?確かこの時間は……
……ああ、確か休講になってたな。」
「シン君、こんばんは。」
「シーブック兄さんにセシリーさん。……お久しぶりです。」
エレベーターを降りてきたのはシンの兄、シーブックとその彼女のセシリーである。
「家だとちょっとうるさくて勉強できないしな。シンもそうだろ?」
「兄さんはもう卒業単位は大体満たしてるし、
今更勉強する必要ないんじゃないですか?」
「バカ言うなよ。そんなことじゃ受験戦争は生き残れないぞ?」
軽く会話を交わしながらシンはエレベーターに乗り込む。
シンの後に男子学生が1人、駆け込んできたが、
ブザーが鳴ってバツが悪そうにドアの外に出る。
ドアが閉まる直前、セシリーが思い出したようにシンに言った。
「そういえば、さっきステラちゃんを見かけたわよ。確か412号室だった。」
「あ、そうなんですか?ありがとうございます。」
シンがお礼を言うと同時にドアが閉まり、
満員のエレベーターはじれったいほどゆっくり動き出した。
ガンダム兄弟でもっとも恋人と仲の良いのは?
と、聞かれるとたいていの人はガロードだと答えるものだが、
シンだって負けてはいない。
むしろ、人前でも無邪気に抱きついてくるステラは、
他の人から見ればうらやましいことこの上ない恋人であると断言できる。
この日もシンが412号室のドアを開けると、
察しの良い彼女は嬉しそうにシンに飛びついてきた。
「シン…来てくれた……ステラ…嬉しい…。」
「ここにいるってセシリーさんから聞いたんだ。
ちょうど勉強しようと思ってたし。それなら一緒にしたほうがいいしね。」
「うん……ステラも…シンと…勉強……したい……。」
412号自習室は4階の角にある小さめの自習室で、
フローリングの部屋の中央に大きなテーブルと椅子が6脚あって、
正面と右側面に窓、左側面は落ち着いた風合いの壁で囲まれた
いかにも、というような部屋である。
階下の人の多さが嘘のような静かな部屋は、よく集中でき、
シンはテスト前などよくここを利用していた。
もちろんそれはステラもよく承知しており、放課後相手を探す場合は、
とりあえずここに来る、と言うのが定番となっていた。
「あらあら、見せ付けてくれちゃって〜。」
「……二人の世界に浸ってるわね。」
ステラに頬をすりすりされていると、
テーブルの向かい側で参考書とノートを開いているプラチナゴールドの髪のおねーさまと、
その隣に座ってこちらを観察している
同じく金髪の、どこかで見た覚えのある白衣を着た女性が声を掛ける。
知らない女性から声を掛けられてシンが硬直していると、二人はこう続けた。
「あら〜、照れ照れしててかわいい〜。ああ、っとそういえば初対面だったわね。
私はトニヤって言うの。ステラからい・ろ・い・ろ・と聞いてるわ。」
「……一つしか変わらないじゃない、あなたは。まあ照れた顔がかわいいのは同意だけど。
私はサリィ・ポゥ。見ての通り保険医よ。」
「トニヤ…ステラの友達……サリィ…ステラの先生…。」
「シン君も勉強しに来たの?ステラ頭いいもんね。」
どうやら、トニヤとステラが勉強しているところにサリィがやってきていた、
と言う状況らしかった。
(そういえば、ステラの面倒を見てくれてる先生だったっけか……。
でもこんな子とステラが友達だなんて思いもよらなかったな。)
と、シンが思っていると胸元に顔を埋めたステラから、
とんでもないおねだりが飛んで来た。
「ね……いつもみたいにだっこ……して……?」
――部屋の時計が見事に止まった。
文字通り真っ赤になって、今度こそ本当に硬直したシンと、
はやくして欲しい、と言うような顔でシンを見上げるステラを見て、
トニヤはきっちり3秒間固まった後、思いっきり容赦なく爆笑した。
「アハハハハハハハハハ、すごーい、人間ってあそこまで赤くなるんだ!
初めて見ちゃった!ひー、おなか痛い!」
「……からかい過ぎよ、本当に。」
たしなめるサリィも完全に表情がセリフを裏切っている。
(ああ、明日には学校中に広まってるんだろうな。)
心の中で滝のような涙を流すシンだった。
「まあ、抱っこどころかもっと先まで進んでるって話だからいまさら驚かないけどね。
私らのことは気にしないでべたべたしちゃってくださいな。」
「そうそう。そう言うのを診るのも仕事のうちなのよ。」
気を取り直した女性二人のあんまりといえばあんまりな言葉に、
シンはがっくり来つつも、両腕にぐっと力を入れてステラを横向きに抱きかかえる。
「よっっと…。ほら、手はこっち。」
「うん……。シン、好き……。」
手馴れた様子にサリィが少し驚いた顔で話しかける。
「結構力あるのね。それにすごく慣れてるような……。」
「うん……、いつも…してくれるの……。
それでね…足でお布団…めくった……んんんんー〜。」
……今度はトニヤが真っ赤になる番だったようだ。
(今度、そう言う時のことは秘密にしておくように言わないと!)
とっさに口を塞いだシンは心中でそう叫ぶのだった。
急に口を口でふさがれてちょっとポヤッとなったステラを抱えたまま、
シンはそれまでステラの座っていた椅子に座り込む。
「うーん、話には聞いてたけど実際に見るとすごいわね……。」
「かなりありえなーい、ってな感じねー。とゆーか、正直シン君よく耐えれるわね〜。」
ご機嫌そうに恋人の胸元に、やや華奢だけれども出るところは出た、
柔らかすぎる躯をぎゅっと押し付けてくるステラの感触の心地よさとは対照的に、
向かいの女性二人からは絶対零度の視線と手加減0のお言葉が
シンにぐさぐさ突き刺さっていたが、
とりあえずそれには気付かない振りをして、シンは持ってきた参考書と問題集を広げる。
……正直、こんな状態でできるはずも無く、広げただけで終わりそうだったが。
シンが筆箱から愛用のシャープペンシルを取り出したところで、
トニヤが参考書をパン、と勢いよく閉じて立ち上がりながら言う。
「さて、と…。まあ、今日の分は大体終わったし、お邪魔のようだから帰るわね〜。」
サリィも軽く肩をすくめながら立ち上がりステラに言う。
「そうね。だれか部屋に来ていたらまずいでしょうし、お先に行くわね?ステラさん。」
「じゃーねステラ、また明日〜。」
トニヤはさっさと荷物をまとめるとドアを開けて部屋から出て行く。
サリィのほうは特に何も持ってきていなかったらしく、そのままドアノブに手を掛けたが、
思い出したようにシンに言う。
「ああ、そうそう。男の責任はちゃんと付けなさいよ。
もしものことがあったら放送で呼び出しますからね。」
「ブッ!!」
わりと止めを刺された気分であった。
学園からの帰り道、いつもの駅までの通り道を、
二人で腕を組んで、他愛の無い話をしながら歩くその途中、
シンはステラが何か言いたげなのに気が付いていた。
(ちなみにあれほどシンの頭を悩ました問題集は、
ステラが全部解いてしまいあっさり終わった。
正直あの複雑なイヨネスコ方程式を宿題に出すのは勘弁して欲しい。)
しぐさの端々から分かるそれは……、
はっきり言うと、「抱いて欲しい」という内容だったりする。
まあ、確かに彼女の躯は相変わらず柔らかかったし、すごくいい匂いもしていたし、
シン自身、テスト前だということで結構我慢していたりもする。
しかし、あれだけ釘を刺されると、欲望のまま突っ走るのもどうかと思うわけで…。
(財布のほうは心配ないし、今日はそもそも夕食自体遅くなるって言ってたし…。
条件自体は揃ってるんだよなぁ…。)
などと埒の明かない思考ばかりがぐるぐると頭の中で回転する。
けれども、身体は正直……、と言うかいくらなんでもこれで我慢できたらまずいだろ、
と言うわけで、気が付くと二人は表通りから少し離れた
行きつけのシティホテルのエントランスに佇んでいた。
またやってしまった……。
と自分のうかつさを悔やむシンにステラが囁くように言った。
「シン……早く…ステラ………滅茶苦茶にして……?」
シンのなにか大切なものが真っ白い光とともに消し飛んだ……気がする。
ちなみにゴムは買っていない。
断言しよう。
シンは上手い。
大体、足で布団をめくれるやつに下手なやつがいるわけが無い。(偏見)
そういうわけで早々に「滅茶苦茶」になったステラをつながったまま抱きしめながら、
シンは考える。電気を消した暗い部屋の中、自分の腕の中の愛しい少女のことを。
それは彼女を抱いた後の儀式のようなものだった。
彼女をめぐるさまざまなこと……。
特に、いわゆる「ブロックワード」について思いを寄せる。
激しく怯え、暴れる彼女を守りたいと思った。それが今、彼女の隣にいる自分。
一体どのようなことがあったのか、彼女は何も語ろうとしないが、
詳細な記録、裁判資料を見せてもらったシンは知っている。
それを見せてくれた彼女の義父……、ロアノーク氏も彼にこう言った。
「ステラを頼む。」と。
暴れる彼女を押さえつけるためだけに武術も習った。
(師事したガンダムファイターの老人は非常に厳しかった。
見ていたドモンは笑っていたが。)
医者に相談しに行ったら、コーヒーを10杯も飲んでしまって
おなかが痛くなったこともあった。
やっとここまで来た。と思う。
怯えるのだけはどうしても治らないかもしれない、と言った医者が目を見張っていた。
既に自分と一緒にいれば暴れることはなくなっているのだ。
自分の胸の中で激しく震えるのが治るのはまだまだ先のことだろうと思いつつも、
シンは確かな手ごたえを感じていた。
だから、こうして今日もそうする。たとえ、彼女の手で背中が血まみれになっても。
「ステラ、死なせない……。オレが……守る。」
「……!!!!!!!!!」
どこにそんな力があるのか分からないほどに、身体がこわばる。
彼女の爪が背中に食い込む。彼女の震えが、彼だけでなくベッドをも震わせる。
骨を折られないよう身体に力を入れる。
それでも痛いほどに彼女の腕、躯がシンを締め上げる。
その痛みを無視して、シンは繰り返し続ける。
「俺が守る。」と。
気の遠くなるような時間の後、ようやく震えが止まり、安らかな寝息に変わる。
それを見届けてから、シンは背中の傷を確かめる。
またアムロ兄さんに怒られちゃうな……と思いつつ。
それでも彼女とともに過ごす時間、ずっとこれをやめることは無いだろう。
彼女の震えが怯えから、全てを預けられる人を見つけた歓喜のそれに変わるまで。
明けない夜は無いのだ。そう思いながらシンは刹那のまどろみに身を任せる。
約束が果たされるのはそう遠い日のことではない……。
fin