季節は夏の終わり。ガンダム兄弟の学校でも新学期が始まり、
うだるような残暑の中、兄弟たちも学校で勉学に勤しんでいた。
そんなある日の放課後、ガロードはジャンク好きの仲間とひとしきり
マニアックな技術談義をした後、いつものようにティファのところに向かっていた。
「今日は金曜日だから美術室だな……。階段、階段っと。」
特別教室の集まる中央校舎でも最上階にある美術室に行くには途中
職員室の前を通らねばならないため、日ごろの行いの良くないガロードには
なかなかスリリングなミッションではあるのだが、本人はどこ吹く風で、
「ん、今日も楽勝、楽勝。」
デュオも感心する手並みで柱の死角から死角をすり抜け、
職員室の前をあっさりクリアしてしまった。
実際には後ろに目が付いているとしか思えない某H先生や、
グラサンがトレードマークな某J先生は気が付いているのだが、
ガロードの嬉しそうな顔を見ると怒る気が失せてしまうのである。
――つくづく、愛は偉大である。
「お、いー匂いだな。」
途中家庭科室の前に来ると、
ガロードは廊下まで漂ってきた甘い匂いに気が付いた。
「確か、今日はマドレーヌとか昼休みに言ってたっけ……。」
ガロードが軽く開いたドアの隙間から中をうかがうと、
ファ、エル、ホーク姉妹、クランスキー姉妹、ソシエ、ミーアら洋菓子部のメンバーが
制服にエプロン姿でちょうどおいしそうに焼けたマドレーヌを
オーブンから取り出しているところであった。
「あ、相変わらずいいタイミングで来るわね。」
「今日も暑いから紅茶はアイスにしておいたの。どーぞ。」
「いつもながらわりぃな。もらっちゃってばかりで。」
「いいのいいの、お熱いお二人さんにはサービスってことでさ。
あ、メイリン、そこの奥のが焼き色がうまく付いてるからそれにしといて。」
ガロードが来たことにソシエが気付き、そう声を掛けると、
ミーアが備え付けの冷蔵庫からよく冷えた紅茶のペットボトルを取り出してくる。
エルに言われたメイリンは熱々のマドレーヌを2個、紙皿の上に載せてくれる。
ミーアから紅茶と紙コップを受け取ったガロードは軽くお礼を言うと、
またてくてくと階段のほうに歩いていった。
しばしガロードの出て行った扉のほうを見ていた洋菓子部のメンバーたちは、
やがていつものようにため息をつくと
「いいわよね……、あれだけ愛されてるって。」
「ほかの子なんて完全に目に入ってない感じよね。ガロード君は。」
「あたしもあれぐらい愛されてみたいものねー。」
「ほんとに惜しいわよね。
ほかの男どもにもあれの千分の一くらい懸命さがあればいいのに。」
「そうそう、この間なんてね……。」
自分もそうだったらなーとうらやましそうにつぶやくエル。
優しいけれど女難の相があるとしか思えない彼氏を想うファ。
ファンはたくさんいるけど恋人はNGなミーア。
どいつもこいつも……と憤るルナマリア。
恋人未満な男のへっぽこな一面をこそっとばらすエリシャ。
こんな感じでやっぱりいつものように情けない男どもの文句を言い始めるのだった。
……まぁ半分以上は自業自得な上、
ここで鬱憤を晴らしているからこの世は平和なわけであるが、
噂好きの彼女たちの情報網は恐ろしく、結構な人数が犠牲になっていたりする。
そして、その監視網にまったく引っかからない、
ガロードの評価はただでケーキがもらえてしまうくらいなのであった。
そんなちょっとしたサバトの繰り広げられる家庭科室を後にして、
調子はずれな管楽器の音の漏れ聴こえてくる音楽室の横を通ると、
ガロードは美術室の前に着いた。
手馴れた様子でちょっとがたが来ているドアを足で開けると
中で絵を描いているティファに声を掛ける。
「ただいま、今日はマドレーヌだってさ。」
「お帰りなさい。そろそろ来るころだと思って……。」
「お、描きあがった感じだな。
……ここから見える風景か、相変わらずうまいよな。」
「ふふふ……。焼き立てだからおいしそうね……。早く食べましょう。」
「ああ。机、こっちでいいかな?」
はじめて「ただいま」と声を掛けた時は
真っ赤になったティファがぽかぽかと胸板を叩いて大変だったが、
今では自然に「お帰りなさい」と返してくれるようになり、
そんなティファがガロードには愛おしくてたまらないのだった。
ガロードが机を日が軽く差し込む窓際まで運んでくると、
ティファが二人で並んで座れるサイズのベンチを引っ張ってきて外が見えるように置く。
それなりに広い美術室の片隅で、夏の終わりの夕焼けが赤く染まるころ
こうやって二人だけのお茶会を催すのが最近の二人の日課だった。
お茶会と言っても女性同士の姦しいそれと違って、
二人の間で会話が交わされることはほとんど無い。
並んで、一緒に見晴らしの良い外を眺めて、
それから気がついたように隣の恋人の顔を眺めるだけ。
たまに音楽室から明らかに外れた音が聴こえてきて顔を見合わせて笑ったりもする。
ガロードが目で、何かオレの顔についてる?と言うと、
ティファはにっこり笑ってちょっとお行儀の悪い彼の口元に手をやり、
こぼれたマドレーヌの生地をぬぐってそれから指をペロッとなめる。
それを見たガロードが、ん、ありがと、とつぶやいてお返しに唇に甘いキスを贈る。
――そんな愛しい、大切な時間。
スクープ好きな新聞部の連中すら、邪魔する気になれないほど、
濃密な恋人同士の刻を二人はほとんど毎日過ごしていた。
それはまだ15歳の二人にとっては
ちょっと濃密過ぎる気がしないでもない時間ではあったのだけれど、
ガロードもティファもそれ以上にお互いを大切に想っており、
……全てを捧げてもいいと想い合っていたから、
この世に二人っきりのこの時間を、仮に誰かに見咎められたとしても
手放す気などさらさらなれなかった。
やがて日が沈み、辺りも暗くなってくる頃、
ガロードは肩にまわしていた手を戻すと、軽く辺りを見回しながら立ち上がった。
「そろそろ暗くなって来ちゃったな……。帰るか。」
ティファの顔を優しげに見つめながら、いつものようにそう言うと、
しかしティファは珍しく、首を横に振った。
「ん、どした?」
ガロードが尋ねるとティファはちょっと恥ずかしそうにしたが……すぐこう答えた。
「あのね……。私、またガロードの絵が描きたい。」
お茶を飲んでいた机をとりあえず奥のほうに動かすと、
ガロードはイーゼルを用意しているティファの見やすい位置に椅子を置き、
ちょっと角度を調整してから座ろうとして
時計がもう7時近くを指していることに気付いた。
「おっと、家に連絡しねーと。飯がなくなっちまう。……ちょっと電話してくる!」
ガロードはチャコールを画材入れから取り出したティファにそう言うと、
いったん美術室から出て家に電話を掛ける。
2コールで電話に出てきたのはロランだ。
「あ、ロラン兄さん。ちょっと今日は遅くなりそーなんだけど。……うん、そー。
だから飯は取って置いて欲しーんだけど、
……あ、アムロ兄さんも今日は遅いからその分と一緒にって?
そんなら確実だ。うん、うん……。いやそんなことはしねーから!
別に遅くならなくってもいっつも送って……、いや何でもねーって。んじゃ!!」
妙に察しの良いロランに冷や汗をかかされながら、ガロードは電話を切ると、
美術室に戻る。戻ってみるとティファはガロードの置いた椅子の前で
しばらく構図がなんだの背もたれの角度がなんだの悩んでいたようだったが、
声を掛けたガロードに気付くと、
結局何のひねりも無い構図で座ってくれるようお願いしてきた。
「ああ、いいぜ。でも構図がどうとか言ってなかったか?」
とその通りに座りながらガロードが聞くと、ティファは、
「なんだか考えても仕方ない気がして……。」
と少しだけ微笑んで自分もイーゼルの前に座った。そして手を動かし始める。
シャッ シャッ シャッ
しばらくの間静かな美術室に生成りの紙をこするチャコールの音だけが響いた。
気がつくと時計はとっくに8時を過ぎており、
すっかり日の落ちた外からは虫の鳴く声が聞こえてくる。
学校からも人影がなくなり、
しんと静まりかえった校舎はコンクリート造りの無骨な姿を闇にさらしている。
デッサンがほぼ出来上がり顔を上げたティファは、
ガロードがいつの間にか寝息を立てているのに気付いた。
……いくら指示されたポーズが自然体に近いものだったとは言え、
ティファが気が付かないうちにその格好のまま眠っているのがちょっと可愛くて、
ティファはガロードを起こさないようそっと椅子に近付く。
しばらくガロードの顔を見ていたティファだが、
ガロードが起きそうにないのを確認して、それからちょっと周りを見渡してから、
そっと椅子に座るガロードのほうに体を預けて、ガロードの膝の上に腰掛ける。
そのままそーっとガロードの
同級生のほかの子に比べてちょっとだけ厚い胸板に頬を寄せる。
ガロードの心音がたまらなく心地よい。
(こんなにあなたをそばに感じる。)
2、3分ほどそうしていたティファだがその格好のまま顔を上げ、
ガロードの首筋にそっとついばむようなキスをする。
一瞬ガロードが軽く身じろぎしたような気がしたが、迷わずさらに顔を上げ、
手を彼の頬に当てて唇と唇を触れ合わせる。
最初はやはりついばむように、次は柔らかく、そして次は深く。
そうして深くつながったところで、ティファは普段は抑えているチカラを開放する。
精神感応能力。
かつてはそれを疎ましく思ったこともあった。
今でも事故や事件のニュースを見ると、それを感じてしまって
寝ていたガロードに電話を掛けたこともある。
(さすがに夜の3時は迷惑だろうと思ったのだが、
電話に出たヒイロはまったく気にすることなくガロードを起こしてくれた。
――夜中の3時にヒイロが何をやっていたのかは不明だったが。)
でも今はもう不用意に人の心に触れてしまって
騒動を巻き起こすようなことは無くなった。
でも、ガロードだけは違う。
彼だけは、彼の心だけは、どこにいても、どんな時でも飛び込んでくる。
かつて彼と戦った兄弟がそんな能力を持っていたと聞いたことがある。
その話を聞いたときはこれがこんなにいいものだとは気が付かなかった。
今は知っている。知ってしまった。
もう彼なしでは生きられないと知ってしまった。
手が触れるだけで、そばにいるだけでそれだけで彼の心が分かる。
自分はもう狂ってしまった。そう思う。
でも、まったく後悔する気にはならないのだった。
だから実はガロードがどんなことを考えているか、ティファはほとんど知っている。
我慢しているのも知っている。幸せな生き地獄なんて言われているのも知っている。
本当は言ってしまいたい。
3年なんて待たなくても、今すぐにでも左手の薬指に永遠に外せない鎖を付けてくれたら、
すべて許してあげるのだと。
けれどこの、後数cmしか残っていない距離をすぐに0にしてしまうのが惜しくて、
ティファは後3年間、意地悪だけれども黙っているつもりだった。
そしてティファはそのチカラを開放する。
深くつながりあったまま、抑えていた分を最大出力で開放する。
――世界が広がる。ガロードが自分の中を満たすのが分かる。
彼の想いを胸にいっぱいに吸い込む。
それは麻薬にも似た甘い快楽。
初めて試したときは彼にばれないようにするのでやっとだった。
家に帰ってから慌てて下着を洗った。
たぶん今日も念入りに洗わないといけないだろう。
それはNT同士でしか成し得ないとされた魂の交歓。
でも彼はOT。
卓越したティファの能力がそれを可能にしたのか、
それともそれが人の強さなのか。
いずれにしろ自分が誰かさえ思い出せないほど
まっしろになったティファには関係の無い話だった。
気が付くといつの間にかガロードの腕がしっかりと自分を抱きとめていてくれて、
ガロードはしっかりと自分を見つめていてくれて。
そんなガロードの名前をティファは呼ぶ。
「ガロード……。」
ガロードはティファの呼ぶ声に応えて、優しいキスを贈る。
何度も何度も。夜が闇の色を濃くするまで。
その日、ガロードが何回彼女に口付けをしたか、
二人と、それを見ていた昇ったばかりの月だけが知っていた……。
fin