終始中国戦線で戦闘機乗りとして戦った若松幸禧少佐(戦死後に中佐)は,
中国・ビルマ・インドにわたる戦域において,日本陸軍航空の馬車馬である隼
以外の機種で撃墜戦果をあげた数少ない操縦者であった。
若松少佐の空中射撃術は抜群で,そのおかげで,彼は18機以上もの撃墜
を果たした。獲物は,全て戦闘機であった。彼はP-51B/C狩りの専門家で,
戦果の半ばがマスタングであったと信じられている。
彼の搭乗機は尾部とスピナーキャップが赤く塗られており,敵からは「赤鼻」
と呼ばれ恐れられていたという。(「日本陸軍航空隊のエース」より)
「アカハナ」ってエースだったのか!