司馬遼太郎著「コロニーを行く」(六)

このエントリーをはてなブックマークに追加
170誇張の夢
 ヤザン・ゲーブルが去ったあと、それまで凍りついていたようなジュピトリスの空気が
一時にゆるやかになった。サラは、まだ血の気のもどらない顔で、艦橋に入ってきた。
「いい男だったよ」
 シロッコがいったが、サラはうなずかない。フェミニストのシロッコを盲目的に崇拝し
ているだけに、ヤザンのように動物的に好んで人を殺す型の男を好まない。
 さらにいえば、この若者は天成の理想主義ともいうべき性格をもっていて、最後にいた
るまでシロッコの苦しみを思うと涙をこぼすところがあり、シロッコが理想を実現するた
めに戦っているのに、一方で「快楽」で人を殺すという人物がいることがよくわからない。
 サラはシロッコがすきであった。
 孤児の境遇の自分の苦労と、シロッコによって人になったと自分でも思っていたほどで、
その証拠に、思想までシロッコのまねをした。シロッコは今後の宇宙圏をつくる人は自分
にちがいないと思っていて、近年はすぐれた行動家やニュータイプをひいきにしたが、サ
ラもそのまねをした。サラのように嫉妬深い女が、当人は決しておもしろくなかったはず
のシロッコの人材集めを手伝ったというのも、シロッコの影響であった。
 しかしヤザンについての好悪ばかりはどう仕様もない。
「パプテマス様、ああいう人物を信頼するというのは、いかがでございましょう」
 と、めずらしく顔をこわばらせていった。
 シロッコはサラの性格や物のかんがえ方がわかっているだけに、奇異には思わない。
「軍曹(サラ)、あれは大豪傑だよ」
 と、いった。
 シロッコというのは内懐のおおきすぎるほどの男だが、その内景は雑としていて、人を
ありもしない純粋な尺度で測るところもなく、あるいは人を皮肉と冷笑でみるという性癖
や能力がない。
 サラは人殺しのことをいった。
 シロッコは、あの男がやっているのは相手と対等の立場で斬り結んでいる。人をわなに
かけて殺したり、無力な人間を斬ったりせず、自分も殺される条件のもとで闘い、辛うじ
て生き残っている。つまりは勇というものだ。勇とは結局は自分が死ぬという覚悟の上に
あるもので、その精神がいま俗人どものティターンズや連邦にあるか、というのである。