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通常の名無しさんの3倍:
【特撮ムービー「キューティーハニー」で庵野秀明はDAICON FILM時代に戻ったか?】
小黒祐一郎
多くのファンにとって、かつての「キューティーハニー」は、原作の漫画版よりも、旧TVシリーズ
の方が印象が強いはずだ。
今回の映画版では、その旧シリーズの主題歌・BGMをリメイクして使用している。
さすが、わかっていらっしゃる(昨年の夏に庵野さんと話す機会があった時に「旧TVシリーズの曲は
使うんですか?」と聞いたところ「勿論!」と応えられた」。
中盤に、主人公のハニーが独りで街をさまようシーンで、TVシリーズのエンディング曲「夜霧のハニー」
がかかるのだが、これが実に良かった。
本当に「アニメが実写になった!!」という感動があった。
劇中にアニメーションが挿入されるのだが、それは今までのアニメの「キューティーハニー」と違い
原作の絵柄をそっくりに再現したものだ。
旧TVシリーズの傑作オープニングを、原作の画でリメイクするというマニアックな事もやっている。
(略)
ハニメーション以外の特撮は、今流行の「SFX」よりは、TVのヒーロー物の「特撮」に近い。
敵の怪人も、原作や旧TVシリーズの「ハニー」よりは、「仮面ライダー」やスーパー戦隊シリーズのノリだ。
観ながら「このあたりで大胆な合成が出るな」なんて思うと、だいたい予想通りになる。
ヒーロー物としての「ハニー」は、漫画や旧TVシリーズを原作にした、超豪華な特撮アマチュアフィルムだ。
かつて彼が作った「帰ってきたウルトラマン」や、同じくDAICON FILMが制作した「愛国戦隊大日本」などが、
プロの技術でパワーアップした作品なのだ。
昔から彼の作品を追っかけている身としては、それが非常に痛快だった。
「人というのは、そんなに変わるものではないのだなあ」と思ったのは、そこのところだ。
「漫画のような実写映画」、あるいは「実写映画のようなアニメ」が今の映画界の流行であるようだ。
押井監督の「イノセンス」もデジタル技術を駆使した、実写のような映像のアニメであるし、
「マトリックス」「キルビル」のアクションシーンは、どう見ても漫画かアニメだ。
3DCGで作られる劇場アニメーションの多くは、実写のような質感の映像を目指しているし、
今年の邦画は、これ以外にも漫画原作の実写がいくつも待機している。
「キューティーハニー」も当然、その1本になるのだが、実写やアニメのテイストを取り入れて、
今までになかったような斬新な映像を作るんだ、というような力みはない。
もっと気楽に作られている。
映画全体としても「ハニー」は、「トップをねらえ」や「キルビル」ほど、濃厚なわけではない。
マニアックなポイントはあるけれど、それは味付け的なものであり、マニアックさをキッチュなものとして
楽しめるように作られている。
むしろ、女優の健康的な魅力や、人間関係のドラマの方が映画の見所であるかもしれない。
一般的な映画に近づいているのだ。
10年後、20年後を振り返ってみた時に、この作品が作家としての成熟の始まりになるのか、
あるいは沢山作られた作品の中の変り種になるのかは、現在のところはわからない。
(略)
昨年、「エヴァ」のDVDリニューアルに関連して雑誌「ニュータイプ」で、彼のコラムが連載され、その最終回で彼は、
結婚を機に初めて自動車を手に入れた事を書いた。
そして通勤の為に毎日、自動車に乗り、自動車による道路走行が一種のコミュニケーションの場である事を確認した。
それは新たな世界の発見であり、自分はそんな変化を楽しんでいるのだ、と。
これを読んだときに、僕はようやく「エヴァ」が終わったような気がした。
そのコラムが書かれたときに、既に彼はこの「キューティーハニー」の制作に着手していた。
コミュニケーションを楽しめるようになった(という書き方は本人に対して失礼だが、これで進めさせていただく)彼の
最初の作品なのである。
だから、人間関係をポジティブなものとして扱い、主人公のハニーを人懐っこい女の子にしているのだ。
「エヴァ」は、コミュニケーションを不得手とする人間ばかりが登場する作品だったし、「式日」も同様だ。
「キューティーハニー」では、コミュニケーションが不得手なのは主人公ではなく、サブ主人公の秋夏子である。
あるいは、敵組織パンサークローの首領であるシスター・ジルも、ハニーと立場的に対立する存在として描かれている。
何でも良いけど、面白いの?<ハニー
聡明ではない(というか、ちょっとおバカなくらいの)女の子がその素直さで周囲の人間を癒し、その優しい心が、
物語の決着に関するキーになる構図は「キューティーハニー」ではなく、むしろ同じ東映アニメーションのアニメ版
「美少女戦士セーラームーン」のものだ。
クライマックスのハニーとジルの対立は、アニメ「セーラームーン」第一シリーズの最終回や、劇場版「セラムンR」の
クライマックスを彷彿させるものだった。
庵野監督は、アニメ「セーラームーン」を放映中によく観ていた。
意識的に「セーラームーン」的要素を取り入れたのか、無意識にそうなってしまったのか、気になるところだ。
「エヴァ」以降、彼の作品は深刻なものが多かった。
だから、気楽に観られる楽しいものとして「ハニー」を作る、という事もチャレンジであったはずだ。
詳しくは書かないが、本編中に、この作品が「コミュニケーションに関する映画である事」をはっきりと示している描写がある。
そうだと分からなかったとしても観客が「あれ。今のはどういう意味なの?」と思う描写である。
それを観た時に、申し訳ないけれど、苦笑してしまった。
一般的なエンターテインメントにしつつも、やはりそういった部分を押し出してしまうのだなあ。
それについても「やっぱりそんなに変わるものではないのだなあ」と思った。
(ライター・編集 おぐろ・ゆういちろう)