富野ってEVAを否定したのに

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749通常の名無しさんの3倍
【特撮ムービー「キューティーハニー」で庵野秀明はDAICON FILM時代に戻ったか?】
小黒祐一郎

多くのファンにとって、かつての「キューティーハニー」は、原作の漫画版よりも、旧TVシリーズ
の方が印象が強いはずだ。
今回の映画版では、その旧シリーズの主題歌・BGMをリメイクして使用している。
さすが、わかっていらっしゃる(昨年の夏に庵野さんと話す機会があった時に「旧TVシリーズの曲は
使うんですか?」と聞いたところ「勿論!」と応えられた」。
中盤に、主人公のハニーが独りで街をさまようシーンで、TVシリーズのエンディング曲「夜霧のハニー」
がかかるのだが、これが実に良かった。
本当に「アニメが実写になった!!」という感動があった。
劇中にアニメーションが挿入されるのだが、それは今までのアニメの「キューティーハニー」と違い
原作の絵柄をそっくりに再現したものだ。
旧TVシリーズの傑作オープニングを、原作の画でリメイクするというマニアックな事もやっている。

(略)
ハニメーション以外の特撮は、今流行の「SFX」よりは、TVのヒーロー物の「特撮」に近い。
敵の怪人も、原作や旧TVシリーズの「ハニー」よりは、「仮面ライダー」やスーパー戦隊シリーズのノリだ。
観ながら「このあたりで大胆な合成が出るな」なんて思うと、だいたい予想通りになる。
ヒーロー物としての「ハニー」は、漫画や旧TVシリーズを原作にした、超豪華な特撮アマチュアフィルムだ。
かつて彼が作った「帰ってきたウルトラマン」や、同じくDAICON FILMが制作した「愛国戦隊大日本」などが、
プロの技術でパワーアップした作品なのだ。
750通常の名無しさんの3倍:04/05/16 15:42 ID:???
昔から彼の作品を追っかけている身としては、それが非常に痛快だった。
「人というのは、そんなに変わるものではないのだなあ」と思ったのは、そこのところだ。
「漫画のような実写映画」、あるいは「実写映画のようなアニメ」が今の映画界の流行であるようだ。
押井監督の「イノセンス」もデジタル技術を駆使した、実写のような映像のアニメであるし、
「マトリックス」「キルビル」のアクションシーンは、どう見ても漫画かアニメだ。
3DCGで作られる劇場アニメーションの多くは、実写のような質感の映像を目指しているし、
今年の邦画は、これ以外にも漫画原作の実写がいくつも待機している。
「キューティーハニー」も当然、その1本になるのだが、実写やアニメのテイストを取り入れて、
今までになかったような斬新な映像を作るんだ、というような力みはない。
もっと気楽に作られている。
映画全体としても「ハニー」は、「トップをねらえ」や「キルビル」ほど、濃厚なわけではない。
マニアックなポイントはあるけれど、それは味付け的なものであり、マニアックさをキッチュなものとして
楽しめるように作られている。
むしろ、女優の健康的な魅力や、人間関係のドラマの方が映画の見所であるかもしれない。
一般的な映画に近づいているのだ。
10年後、20年後を振り返ってみた時に、この作品が作家としての成熟の始まりになるのか、
あるいは沢山作られた作品の中の変り種になるのかは、現在のところはわからない。
751通常の名無しさんの3倍:04/05/16 15:43 ID:???
(略)
昨年、「エヴァ」のDVDリニューアルに関連して雑誌「ニュータイプ」で、彼のコラムが連載され、その最終回で彼は、
結婚を機に初めて自動車を手に入れた事を書いた。
そして通勤の為に毎日、自動車に乗り、自動車による道路走行が一種のコミュニケーションの場である事を確認した。
それは新たな世界の発見であり、自分はそんな変化を楽しんでいるのだ、と。
これを読んだときに、僕はようやく「エヴァ」が終わったような気がした。

そのコラムが書かれたときに、既に彼はこの「キューティーハニー」の制作に着手していた。
コミュニケーションを楽しめるようになった(という書き方は本人に対して失礼だが、これで進めさせていただく)彼の
最初の作品なのである。
だから、人間関係をポジティブなものとして扱い、主人公のハニーを人懐っこい女の子にしているのだ。
「エヴァ」は、コミュニケーションを不得手とする人間ばかりが登場する作品だったし、「式日」も同様だ。
「キューティーハニー」では、コミュニケーションが不得手なのは主人公ではなく、サブ主人公の秋夏子である。
あるいは、敵組織パンサークローの首領であるシスター・ジルも、ハニーと立場的に対立する存在として描かれている。
752通常の名無しさんの3倍:04/05/16 15:43 ID:???
何でも良いけど、面白いの?<ハニー
753通常の名無しさんの3倍:04/05/16 15:43 ID:???
聡明ではない(というか、ちょっとおバカなくらいの)女の子がその素直さで周囲の人間を癒し、その優しい心が、
物語の決着に関するキーになる構図は「キューティーハニー」ではなく、むしろ同じ東映アニメーションのアニメ版
「美少女戦士セーラームーン」のものだ。
クライマックスのハニーとジルの対立は、アニメ「セーラームーン」第一シリーズの最終回や、劇場版「セラムンR」の
クライマックスを彷彿させるものだった。
庵野監督は、アニメ「セーラームーン」を放映中によく観ていた。
意識的に「セーラームーン」的要素を取り入れたのか、無意識にそうなってしまったのか、気になるところだ。

「エヴァ」以降、彼の作品は深刻なものが多かった。
だから、気楽に観られる楽しいものとして「ハニー」を作る、という事もチャレンジであったはずだ。
詳しくは書かないが、本編中に、この作品が「コミュニケーションに関する映画である事」をはっきりと示している描写がある。
そうだと分からなかったとしても観客が「あれ。今のはどういう意味なの?」と思う描写である。
それを観た時に、申し訳ないけれど、苦笑してしまった。
一般的なエンターテインメントにしつつも、やはりそういった部分を押し出してしまうのだなあ。
それについても「やっぱりそんなに変わるものではないのだなあ」と思った。

(ライター・編集 おぐろ・ゆういちろう)