こいつ、動くぞ!!!!!!
うんこ
停止しますた
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その時の時が刻じゃない時点で駄スレ
1979.4
「機動戦士ガンダム」放送開始。この年のアニメ映画は夏に「銀河鉄道999」冬に「ルパン三世カリオストロの城」
放送開始とともに各アニメ誌はこぞってガンダム特集を組んだ。ネット局が少ないことが、それらの雑誌の販売部数に拍車をかける。
筆者もそうだが、この時期、まだ見てはいないがファンであるという者が多数いたことは特筆しておきたい。
ガンダム打ち切りの原因は、ターゲット層の購買欲を刺激するアイテムをスポンサーが提供できなかったこと。
逆に言うとガンダムが、玩具を求めるような年齢層にアピールする作品でなかったことに尽きる。
1980.2
放送終了直後に徳間書店アニメージュが富野喜幸・ガンダム映画化案を特集。
全四部10時間半のプランを発表する。これはあくまで試案で実現性は皆無だった。
この頃放送のなかった地方でも放送が始まり、また再放送などの局側の対応も迅速だった。
しかし、ガンダムの凄さを当時実感できたのは、何より凄まじい出版ラッシュだったと思う。
放送中からプッシュしていた雑誌はアニメージュ、OUT、アニメック。
ブーム便乗で創刊された雑誌はジ・アニメ、マイアニメ、アニメディア。
老舗模型雑誌だったホビージャパンの変貌や、講談社の関連本出版など枚挙に暇がない。
1980.5
「伝説巨神イデオン」放送開始。富野氏は「イデオン・ライナーノート」をアニメージュにて連載。
1980.6
おそらく一般誌への初の露出として雑誌ポパイでガンダム小特集
1980.7
1/144ガンダムがバンダイよりリリースされる。同じ頃「ヤマトよ永遠に」公開。
1980.10
ガンダムの映画化が正式に決定。同じ頃ヤマトの第3TVシリーズ放映開始。
やや遅れてイデオン39話での打ち切りが決定される。「ライナー・ノート」誌上で映画化の意向が示唆される。
(後半へつづく)
1981.2
いわゆるアニメ新世紀宣言を新宿で行い、一万五千の観衆を集める。
1981.3
「機動戦士ガンダム」公開。イデオンの最終四話の製作が見切り発車で進められる。
同じ春にヤマト「新たなる旅立ち」「ヤマトよ永遠に」のリバイバル公開があり
ヤマトプロデューサー西崎義展よりヤマトファンに「新作公開のガンダムとリバイバルのヤマトを比較してヤマトを貶める人がいます。
映画館に行ってヤマトファンの力を見せましょう」というような内容の書面が送付される。筆者は実際受け取った。
1981.7
「機動戦士ガンダム 哀戦士編」公開。同じ夏に「さよなら銀河鉄道999」が公開されている。ヤマト&松本零士ブーム終息。
1981.12
「THE IDEON 接触篇/発動篇」の公開が正式決定。
1982.2
「戦闘メカザブングル」放映開始。以後名古屋テレビ系のこの時間帯は87年1月にZZが終了するまで実質「富野枠」になる。
1982.3
「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙編」公開。同じ春に「1000年女王」が公開された。
1982.7
「THE IDEON 接触篇/発動篇」公開。
1983.3
「ヤマト完結編」公開。同じ春に「クラッシャージョウ」「うる星やつら」「幻魔大戦」など。
翌年春には「風の谷のナウシカ」「うる星やつら2 BD」が公開されている。
不動戦士Zガンダム
いまーはうごーけーなーいー♪
それーがさだーめだけーどー♪
あきーらめーた♪