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以前に書いた文を増補改定しました。
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・初代ガンダム放映の時代 1979〜1982年
テレビ版と劇場版、シャアの生死の改竄と存在の変化
1979年に放映されたオリジナルテレビ版では、アムロ達主人公側の一時的な障壁としてしか考えられていなかった
赤い彗星こと「シャア・アズナブル」。
しかも最初期の設定では、彼はストーリー途中のガルマ殺しで左遷させられたまま再登場させない予定もあったという。
ジオンの落とし子だったという裏エピソードはあったにしろあえて生かしておく必要は特に無い、という判断だったそうだ。
今なら「あのシャアが?」と考えづらい話だが、当時のインタビューでは富野氏はそうハッキリと答えている。
なぜなら初代ガンダムという物語はあくまでも主人公アムロと連邦少年たちのサバイバル青春群集劇だった所以である。
つまり当時のシャアの存在意義は、物語全体に厚みと説得力を持たせるためだけの存在であったわけだ。
最終的にザビ家への復讐が成されなくとも問題はない。「ガンダム」の主軸はアムロである、ということ。
今でこそファン達が初代ガンダムの魅力の一つとして挙げる、
連邦とジオン、双方ともどちらが正義か悪かなど言い切ることが出来ないリアルな物語、という点は
当時から設定としてはしっかりとあったが、それが大々的にピックアップされだしたのは
ファンやメディアによる考察がなされた後のことである。当時はあくまでも正義は連邦にあるとして映像は描かれていた。
その後初代ガンダムブームを受け1981年から製作された劇場版は、総集編というスタイルをとりつつも、
テレビ版とは微妙にストーリーを見直しが図られ、シャアの存在意義が富野良幸の中で変わっていった。
→ 一年戦争後の新たな時代を創るのは、誰でもなく彼(シャア)ではなかろうか?
そのあたりの変更点は、劇場版におけるテキサスコロニーでのセイラとの会話シーンや、
キシリアとのマスクを外しての会談シーンのシャアのセリフの改定部分にもはっきりと現れている。
テレビ版では親の仇に人生を捧げていたとも見れるシャアだったが
→ オールドタイプ(地球人)は殲滅して、ニュータイプによる新時代を見たい。とセリフを変更。
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:03/08/30 06:25 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・初代ガンダム放映の時代 1979〜1982年 2
そして初代ガンダムは劇場版3作目「めぐりあい宇宙」編をもって完全に終結。
今でこそたくさんの続編を生んだガンダム「シリーズ」だが、当時はあくまでも単品のアニメ作品であった。
たとえ大ブームが巻き起こってサービスとして劇場版が作られたとしても、基本的にその考えは変わらない。
ガンダムの物語に、続編を製作するなどということは富野氏や安彦氏は猛反対していた。
それは「めぐりあい宇宙」のラストシーンの富野による英文コメントがその意義を表している
And now…in anticipation of your insight into the future.
『そして、今は皆様一入一人の未来の洞察力に期侍します』
→ この物語のその後は視聴者の皆さんの想像力にお任せします。という意味。
だから劇場版のシャアをア・バオア・クーで生かしたのは、決して続編製作を意図したものでは無かった。
→ニュータイプという概念を人類の希望と想定した場合、その希望をかなえられるのはシャアではなかろうか?
という期待と余韻を視聴者に提示して閉幕したステキなラストだったわけだ。
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:03/08/30 06:26 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・空白の期間
一般世間のアニメへ対応とガンダム原作者富野氏の心境の変化
初代ガンダムブームはまさにお祭りだった、
少年を初めとしたファンのほとんどが全国的に例外なくガンプラやグッズを買い、ブームによる経済効果は大きく社会に貢献た。
もちろんその影響は日本のアニメの歴史に大きく刻まれた物であった。
ロボットアニメは幼児に玩具を売るためのコマーシャルではない。深い人間ドラマを埋め込むことさえ可能なのだと。
富野氏はその信念を元にその後、たくさんのロボットアニメを生み出す。イデオン、ザブングル、ダンバイン…。
それらの作品はそれぞれに根強いファンを生んだが セールスや視聴率面においては大成功とは言いがたいものであった。
けして失敗したわけでは無い。ただ大ヒットお化け作品「初代ガンダム」と比較されての世間からのツライ判断だった。
それとは別に、宮崎駿による劇場用アニメ「風の谷のナウシカ」がヒットしたのもこの頃。
アニメが子供だけの物では無く、一般大衆にもアピールできる娯楽であることを示した。
アニメ業界の中では「フリー」という立場の富野氏ではあったが、さすがに会社や世間からのプレッシャーもかかる。
「もう、ガンダムみたいな大ヒットは作れないの?」
また、スポンサーからの打診は以前からあった。
この頃の富野氏は業界内でも閉鎖的で変わり者なイメージで通っていた。
このとき、富野氏にもっと開放的で自由な創造をする心境や環境が整っていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。
だが残念ながらそれは出来無かった。富野氏はこの先のクリエイター人生に悩み、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
そして決断する。
「ガンダム」の続編を製作する。
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:03/08/30 06:27 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・続編ガンダムのストーリー構想について
実は続編の構想はかなり前から考えてはいたそうだ。
Zガンダムの一年前の作品「重戦機エルガイム」の企画時期からすでにストーリー構想の組み立てを開始していたという。
そうなると「エルガイム」を若手スタッフに任せようとした意図もまた想像すると面白い。
主軸はシャア。これはもう決定だった。彼を続編の屋台骨にしてストーリーを展開させる。
前作では、独立を叫んだ宇宙生活者と、それを許さない地球人の戦争を描き、その終結を持って物語を完結とした。
すべての人間は宇宙に出て、ニュータイプへの覚醒を意識しなければならない。
だが続編世界でも状況は変わっていない。だとすれば、その続きを継ぐのは彼しかいない、と考えたものだった。
ここで判ってくるのは物語上、シャアを初めとした反連邦主義者は「正義」として描かれるということ。
連邦政府や地球に住む人々は、愚かな「悪」として描かれるということ。
ただ彼(シャア)はそう簡単には重い腰を上げることは無いだろう。 7年間は彼の心をすっかりと閉ざしてしまった。
最後には彼を物語のヒーローとして盛り上げるにしても、それまでの経緯や心境の変化をジックリと描かなければならない。
でもそれでは、テレビのロボットアニメ作品というフォーマットに適さないではないか?という疑問も出てくる。
当然そんな小難しく地味なストーリーではスポンサーは納得しないだろう。
スポンサーが期待するのは玩具を売るための派手なロボットの戦闘シーンだからだ。
その問題を解決しつつ、富野が当時疑問に思っていた巷の少年達の不安定な感情を
続編ガンダムの物語に織り込んで突き詰めるために、続編作品として物語を牽引するための「主人公」が必要となった。
カミーユ・ビダンが誕生する。
つまり、初代や続編を通した「ガンダム」という歴史作品のなかで、シャアは物語全体の象徴的な存在として位置させる。
前作初代ガンダムでは少年アムロの成長を描き、続編ガンダムではカミーユを同じく成長させる物語と意図したわけだ。
当然その根幹としてシャア・アズナブルが鎮座ますこととなる。
さらに
初代ガンダムでは「正義」として描いた地球に住む人や連邦政府を、続編ガンダムでは逆に「悪」として描き
二つの物語のシンメトリックな構造と、全体を通しての見事な統一性を視聴者に提示したわけである。
続編ガンダムのサブタイトルが決まる。
機動戦士ガンダム「逆襲のシャア」
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:03/08/30 06:29 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・「逆襲のシャア」初期ストーリープロット
環境破壊と人口問題を解決するために全人類の宇宙移民計画が始まって宇宙世紀0079年。
権力を振りかざす地球残留者と増長した宇宙移民者の間で大きな戦争が起きた。
その中で発現した「ニュータイプ」。
宇宙にて新たな進化を迎えた人類は言葉を発せずとも判りあえる。
すべての人類は宇宙で新たなルネッサンスを体現すべきかもしれない。
そんな戦争から7年。歳月を経ても争いは無くならず、
地球の人々は宇宙を支配しようと画策し、宇宙移民者は独立を叫ぶ。そんな終わりの無い争い。
宇宙生活者の独立を叫んだジオン共和国大統領の息子シャアアズナブルは
クワトロと名を変え反地球連邦組織エゥーゴに所属してはいたものの、
7年の歳月は彼を確実に萎えさせていた。
そんな彼を、新たなニュータイプ、カミーユビダンが目覚めさせる。
「ニュータイプによる人類の新時代を築くリーダーとなれるのはシャアしかいない。」
シャアは目覚める。
父の夢。ニュータイプの未来。宇宙人類の未来。もう地球の人々をのさばらせてはならない。
目覚めたシャアはクワトロの偽名を捨て、
シャアもしくはキャスバルダイクンとして宇宙の人々の前に立つ。
反地球連邦組織エゥーゴの代表者となり、アクシズに住むジオンの残党をもエゥーゴに取り込む。
だがそれは過去に心と目的を通わせていた恋人ハマーンカーンを殺すことにもなる。
地球連邦軍とティターンズへの反撃を開始したシャアの前に、
正体不明の天才パプティマス・シロッコが立ちふさがる。
シャアにとってシロッコは最大の脅威だった。すべての能力においてシロッコは上だった。
シャアがすべてを諦めかけたその時、若きニュータイプ、カミーユがシロッコを倒す。
シャアは理解する。新時代は新たな世代に任せるべきだと。
そして新たな時代が始まる。
237 :
:03/08/30 06:30 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・公式に製作決定
正式タイトルはアルファベット最後の文字「Z」を付けた「機動戦士Zガンダム」と決定した。
これにはガンダムはこれが最後、究極なのだ、という意味も込められたものだった。
サブタイトル&ストーリー「逆襲のシャア」もそれに即したもので。
「ガンダム」という歴史作品はシャアの逆襲と再興をもって完結する、という意味であった。
富野にとって戦友とも言うべき、安彦良和の協力が得られないのは残念なことだった。
安彦には、富野のシャアへの偏執的なこだわりは理解する気にもなれなかった。
また、シャアにこだわるのは勝手だが、そんな話に乗る気はまったく無い、というスタンス。
アムロの脱出をもって「ガンダム」という物語は終わったでは無いか?
なぜ「ガンダム」をあのまま眠らせておいてあげられないのだ?
というのが安彦氏の考えだったからだ。
製作にあたって
スポンサーからの要求は「可変モビルスーツの登場」「主役メカ交代劇」「派手な戦闘シーン」
ストーリー重視の作品を目指していても、ロボットアニメである以上スポンサーの要求には逆らえない。
富野氏は逆に開き直ってその要求を楽しんだという。
放映前のアニメ雑誌の特集が大々的に組まれた。
あの大ヒットアニメ「機動戦士ガンダム」の続編ということで誰もが驚き期待した。
今でこそガンダムはシリーズ続編過多に陥って、新作!といっても、喜ぶのはファンだけで
アニメに興味の無い一般人は気にも止め無い状況だが当時は違った。
それだけ前作がお化け作品であったことの証拠だろう。
でも何かが狂い始めていた。
238 :
:03/08/30 06:32 ID:H/28asGK
1985年テレビ版「機動戦士Zガンダム」の誕生経緯について
・放映開始
前作とは正悪逆転の難解で地味なストーリー。キャラクタ達が発する文章になってない小難しいセリフ。
駄目押しともいえる稚拙で説明不足な映像演出によって、物語の把握は混乱を極める。
アニメ雑誌のフォローが無くては視聴者はストーリーやキャラクタがまったく理解できない。
一言で言うと「厄介な」アニメだった。
スポンサーが一番期待した新規ファンの子供たちを置いてきぼりにした。
確かに初期プロットの段階で地味な展開になることは予想できていたことではあったが
ここまで判りづらい難解な展開になるとはスポンサーといえど予想出来なかったのかもしれない。
そして前半クライマックスの地球編でストーリー脱線は決定的となる。
カミーユの存在が物語を埋め尽くした。シャアの居場所がなくなってしまったのである。
また、活躍させる気は無い、と富野が明言までしていたアムロレイが地球におけるカミーユの指南役として大活躍。
多分この頃に富野は
→初期プロット「逆襲のシャア」を、Zの1年間の放映期間に織り込むことはもう出来ない。
と腹をくくったと思われる。だからと言って当時の富野の心境として微妙な部分なのが、
「逆シャア」プロットを捨てて、カミーユメインとしてZを終わらそうとしたのか?
もしくは延長してでも「逆シャア」プロットでケリをつけようとしたのか?
という判断だ。
そんな状況のままZは後半の宇宙編に突入し、本命メカ「Zガンダム」も登場する。
物語の大事な要素のジオン残党を率いるハマーン・カーンも登場し、三つ巴の戦いはさらに混乱を極める。
マニアは熱狂的に支持したこの作品も、前作のような国民的なブームを起こせずにラストに向かっていった。
そんな中、スポンサーであるバンダイは決定を下す。
「今のような難解で暗いストーリーはもう止めろ。明るく判りやすい内容で仕切りなおせ。」
スポンサーの指示は絶対だ。たとえ総監督富野でさえそれに逆らうことは出来ない。
そしてZガンダムは最終回を迎える。
更なる続編を模索しながら。