櫻の木の下の土は、まるで溶けかけたゼリィのようにひどく柔かった。SとAは、手を使って、黙々と掘った。
爪の先に土が食い込んでいくが、二人は一向に気にした様子はなく、ただ純粋に木の根に沿って掘り進んでいった。
一メートルも掘ったころ、手が止まった。
―――そこには、一人の少女が、まるで殉教者のように、胸のところで両手を組んだまま、樹の根に絡まるように埋まっていた。
どれだけ埋まっていたのかはわからないが、身体はまるでつい先ほどまで生きていたかのように美しく完全な姿のままだった。
この辺りの寒さでは、微生物の活動もあまり活発ではないからだろうか。それにしてもあまりに完全だった。唇にはまだ赤みが差していた。
二人は、全身を掘り出してしまうと、少女をそのままにしておいて、穴から這い上がり、酒を飲みながらじっと其れを覗き込んだ。
真っ暗な穴の中に、木の根が絡まるようにして、少女は埋まっている。SとAは、それを地上から飽きることなく眺めた。
Aがいった。
「この櫻の美しさは、彼女の生命を吸っているからであらう」そして、続けた。「櫻と彼女は繋がつている」
「美しい櫻があるわけだ」と、Sがいった。
櫻の根がときおり、ニンゲンの肺のように、ゆっくりと動いているのがわかった。貪欲に少女を吸っているのだ。樹液を蝉が飲むように。
そして、その少女の命が木の根から維管束をとおって、櫻の枝をとおり、末端の花弁に鮮やかな色をつけているのだ。
そうでなければどうしてこんなに鮮やかな、息が詰まるような美しい色を櫻がつけるだろうか。それが彼らがだした結論だった。
AとSは、かい出した土を再び戻した。少女は、再び冷たい地面の下に埋まり、すぐにみえなくなった。
二人はまた櫻をみながら、酒を飲んだ。もう大分時間は経っているはずだが、朝は一向にこなかった。
月は依然として彼らの頭上高くにありぴくりとも移動していない。何もかもを洗い流すように白い波のような光をそそぎこんでいた。
櫻は時折、風に揺れて、葉が擦れたかさかさとした音を立てていた。
それからまた、長い時間が過ぎた。静謐とした空気が辺りを支配していた。
「あの少女は、君が殺して埋めたんだらう?」と、Aがいった。
「いや。君さ」とSは答えた。「けれど、今更どちらでも構わないかもしれない」と続けた。
彼らは、櫻を見上げた。月の光を浴びた其れは、仄かに白く、そして紅く霞んでいるようにみえた。
「…そうだな」と、Aはいった。「美しい櫻だ。きつと、とこしえに咲きつづける」
二人はそれきり一言も喋らなくなった。ただ、櫻だけを愛しそうにみつめていた。
月は相変わらず同じ場所に、微動だにせず、二人の頭上に在った。ここでは刻すら凍り付いていた。櫻だけが、凍った刻の中を生きていた。
雪は、限りなく降りつづけやがて二人を静かに飲み込んでいった。彼らは其れを黙って受け入れていた。
暫くすると、見渡す限りに降り積もった雪原に彼らの姿はなくなっていた。後には変わらず櫻だけが残った。
そして、その櫻の木の下には新たな屍体が二つ埋まっていた。
アオリ 「 さくらはさくらでも、櫻をみるのは夜。桜をみるのは昼」