カテジナ・ルースを擁護してみるスレ

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926孤独の果て 1/12
 目が覚めると、自分がベッドの上にいる事に気付いた。
 居場所を確認しようと、カテジナ・ルースは上体を起こし、頭を左右に振る。
だがすぐに、自分の目では部屋の中も窓の外の景色も確認出来ない事を、思い
出した。
 エンジェル・ハィロゥの中心で見た、命の光。その輝きが、カテジナの視力
を奪った。彼女の目には、周りが明るいのか暗いのかを感じる程度の力しか、
残ってはいない。かつて無垢な少年の気を引いた長い金髪も、戦いの中で血に
染まっていった両の掌も、光を通じて感じる事が、彼女には不可能なのだ。
 悲しいが、涙は出ない。それが自分でも不思議だった。
 キィ、という小さな音を立てて、カテジナのいる部屋のドアが開く。木製の
ドアらしい。今の彼女は、音だけでそんな事が理解出来る様になってしまった。
「あら、起きてらしたの。」
 女性、中年の女性の声だ。
 か細い声で、カテジナが呟く。僅かな物音ででも消えてしまいそうなカテジ
ナの呼び掛けは、聞こえなかったのだろう。その女性は、入って来たばかりの
部屋から出て行こうとする。
「少し待っててね。今、主人を連れて来るから。」
 婦人の気配が消えた後、カテジナはなぜ自分がここにいるのかを、思い出そ
うと努力していた。
927孤独の果て 2/12:03/09/06 00:07 ID:???

 アーティ・ジブラルタル。地球と宇宙を結ぶその場所に、カテジナはいた。
多くのザンスカール帝国の元兵士達と共に。
 カテジナの目から力を奪った最後の戦いの後、ザンスカール帝国は崩壊した。
その後、捕虜となって地球に取り残された帝国の兵士達の運命は、アーティ・
ジブラルタルに集められ、そこから魂を引く重力を持たない宇宙へと、連れ戻
される事に決まる。
 だか、カテジナだけは解放された。彼女が正式な地球居住権を得ている事が、
判明したからだ。連邦軍の支給品の着替えが詰まったトランク、僅かな金、旧
式のワッパと共に、彼女はアーティ・ジブラルタルから放り出された。彼女の
目が役に立たない存在である事が、分かっているにも関わらず。
928孤独の果て 3/12:03/09/06 00:08 ID:???
 U.C.0133年に起きた木星動乱が一応の終結を見た後、地球居住者の権利は、
大幅に拡大された。コスモ・バビロニア戦争とそれに続く木星動乱の時に、地
球連邦軍の秘密警察マハが、行き過ぎたスパイ狩りを行った為だ。
 木星帝国は戦争を仕掛けるに当たって、かなり周到な準備をしていたらしく、
地球にも木星帝国のスパイや協力者が多数いた。そういった木星側の人々を、
マハは有無を言わさず狩り、宇宙へ上げる。
 その中には、正式な地球居住権を持つ人も多数含まれており、中には木星帝
国に関係のない人すらも含まれていた。マハの活動や存在に否定的な人達を、
木星帝国のスパイだというレッテルを張り、宇宙に送り込むという破廉恥な行
為すら、マハはためらわず行った。
 そうしたマハの暴走が、地球に住む連邦政府の政治家や高官達を刺激する。
自分達はもちろん、有力な支持者やスポンサー達の関係者が、マハの暴走の被
害を受けるのではないかと危惧したのだ。
 U.C.0135年。連邦議会で、マハの規模と権限を大幅に縮小する法案が可決。
同時に、地球居住者の居住権も強化された。以後、マハは目立った活動をする
事もなく、治安の悪い地域の不法居住者を、思い出した様に取り締まるだけの
存在となり、現在に至る。
929孤独の果て 4/12:03/09/06 00:09 ID:???
 そうした事を知っている連邦の役人と宇宙引越公社の職員は、カテジナを解
放する事に決めたのだ。正式な地球居住権を持つ人間を、下手に独断で宇宙に
上げてしまっては、後々面倒になる。
 だがカテジナにはそんな役人達の思惑など、どうでも良かった。自分の居場
所が消えてしまった事が、悲しかった。これで、何度目の事だろう。そう思い
ながら、カテジナはワッパを走らせた。
 ウーイッグへ帰ろう。家へ帰ろう。ルース商会を大きくする事にしか興味を
示さない父と、外に男を作り遊び歩く母のいる、あの家へ。小さな頃から一人
で食事をするのか当たり前だった自分の家の記憶さえも、すがるに値する存在
だと、彼女には思えた。
930孤独の果て 5/12:03/09/06 00:10 ID:???

 ワッパが盗まれた事に気づいて途方に暮れているカテジナに、その男は声を
掛けた。俺に一晩付き合ったら、金を恵んでやると言う台詞を吐いて。
 スピードを出した男のワッパに乗って、カテジナはその部屋に辿り着いた。
辿り着く迄に聞いた男の話によると、その男はこの辺り一番の商人で、郊外に
持つ自分の別荘にカテジナを案内するという。
 男の話にカテジナは、父の持つ冷たさと、母の持つ汚らわしさを感じた。
 男を軽蔑しながら、カテジナは久しぶりのシャワーを浴びる。人工的な温か
い雨を気の済むまで浴びた後、バスタオルに体を包んで、カテジナは浴室から
出た。
 男は服を着たまま、バスタオル一枚のカテジナをベッドに押し倒す。悪臭の
するキスと、不快感しか生まない愛撫。それにカテジナは耐えた。クロノクル
の次に体を開く男が、こんな汚らわしい存在だとは。
 自分の巣に育てようと、体と言葉を使って懸命に赤毛の青年を励まし続けた
日々が、思い出された。悲しみの涙も、情けなさの涙も、使い物にならない自
分の目からは出て来はしない。私の涙は全て、光輝く命の翼が奪ったのだから。
931孤独の果て 6/12:03/09/06 00:10 ID:???
 人工的なゴム越しに、男の存在を感じる。その時にカテジナの発する苦しみ
の声を、男は勘違いして、卑猥な動きで腰を振り続けた。しかも二度も。
 自分勝手な二度の快楽に溺れ、全裸でだらしなく横になっている男の方に、
カテジナは顔を向ける。見えはしないが、男への軽蔑が正確な居場所を教えて
くれるのだ。
 顔を背け、ベッドから離れようと出した足に感じた、異様な感触。右足の裏
から伝わるそれは、無造作に放り出された、男の精の残骸の入れ物から感じる
物だった。
 何かが、弾けた。
 立ち上がったカテジナは、先程の行為を反芻しながら夢を見ている男の腕を
掴んで、引き起こした。目を覚まし、何が起こったのか理解出来ない男の顔に、
カテジナの拳が飛ぶ。男の腹に、カテジナの爪先が入る。
 男は床にうずくまろうとして、膝を付き、頭を下げた。しかし、先程汚らし
い憎悪で黒く染まったカテジナの右足が、男の顎を蹴り上げる。蛙の死骸の様
に、男は仰向けに倒れた。そこに表情の無い視線を、カテジナは向けた。
932孤独の果て 7/12:03/09/06 00:12 ID:???
 牛のいななきに似た男のうめき声が、耳に入る。カテジナはそのうめき声に
近づき、右足を上げた。そして、毒虫を踏み殺す様に、うめき声の発生場所を
踏みにじった。二度、男が自分の中を汚そうとした回数程。
 ガッ!
 二度目の鉄槌が振り降ろされた時、その音が、足の裏で踏みつけている物の
何処かから生まれた。男の黄色い歯が折れた音なのか、男の肺の奥から発せら
れた断末魔なのか。カテジナは、そんな事には興味は湧かない。ただ、足元の
毒虫の意識が完全に消えている事を示す音なのだという事が、分かれば良かっ
た。
 カテジナは、もう一度シャワーを浴びる。毒虫と、それが生んだ汚らわしい
精の残骸の入れ物を踏み付けた右足を、幾度となく洗った。
 埃臭い自分の衣服に再び身を包み、身支度を終えたカテジナは、脱ぎ散らか
された男の衣服から、財布とワッパのキーを抜き取る。部屋の隅に置かれた自
分のトランクを持ち上げた後、気を失っている男の股間があるであろう方向に
向かって、カテジナは唾を吐き、部屋から出て行った。
933孤独の果て 8/12:03/09/06 00:13 ID:???

 谷に架かった橋を渡り切った直後、カテジナの耳が、バッテリー切れの不快
な警告音を捉える。
 ワッパを止め、内ポケットから財布を取り出し、指先を財布の中で動かす。
カテジナの指は、あと一回ワッパの充電が出来るだけの金額を確認した。
 男から奪ったワッパはスピードとパワー重視の道楽品らしく、充電の度に、
なけなしのカテジナの財布の中から、大金を奪っていくのだ。充電をしたいが、
金を使い切ってしまえば、安全な水を買う事が出来なくなる。
 アーティ・ジブラルタルを放り出されてから今迄の間、わずかなパンと水だ
けでニ週間ほど生き延びたカテジナは、ワッパを諦める決意を固めた。
 荷台からトランクを降ろした後、ワッパに乗らずにエンジンを掛ける。ワッ
パのそばに立ったカテジナが左手でアクセルを押すと、ワッパが少しづつ動き
始めた。今越えた谷に向かって。
 それから、どれ程歩いただろう。晩秋の日差しと夜風は、弱り切ったカテジ
ナの体力を容赦無く奪ってゆく。目の前にウーイッグの町並みが見えたその時、
彼女はまるで大地に還るかの様に、うつ伏せた。
934孤独の果て 9/12:03/09/06 00:13 ID:???

「で、行き倒れてるあんたを、配達帰りの俺が見つけたってわけだ。」
 パン屋の主人と名乗る、婦人に連れて来られたその男性の話を、小さな皿に
盛られた具の入っていない薄いスープを口にしながら、カテジナは聞いていた。
長くまともな食事をしていない彼女を気遣って、そんな食事を婦人は用意した
のだ。
「悪いけど、あなたが眠っている間に荷物を調べさせてもらいました。あなた、
軍人さん?」
 婦人の問いに、カテジナは戸惑った声を返す。
「いえね、トランクの中の着替えに、連邦軍の支給品だと書いてあるタグが付
いていたものだから。」
 元ザンスカールの兵士だと分かるのはまずいと咄嗟に思ったカテジナは、婦
人に曖昧な返事を返す。ただ、故郷のウーイッグへ帰る途中だという事だけは、
はっきりと伝えた。
「そう。だいぶお疲れの様ですし、うちでしばらく休んでおいきなさい。」
 早くウーイッグに帰りたいと理由を付けて、カテジナは遠慮する。
「そんな、遠慮なさらなくても。ウーイッグはこの町から、それほど離れては
いないわ。目もご不自由な様ですし、いいんですよ。」
 婦人はカテジナの意思を押し切った後、主人と共に部屋を出た。
 涙が出た。枯れ果てたと思っていた涙が。空襲で故郷を離れた後、初めて彼
女に与えられた無償の優しさが、そうさせたのだ。その涙が、薄いスープをさ
らに薄めている事に、カテジナは気づかなかった。
935孤独の果て 10/12:03/09/06 00:15 ID:???

 アーティ・ジブラルタルで支給された物と同じ型の旧式のワッパのそばに、
カテジナとパン屋の夫婦が立っていた。カテジナのこけていた頬は丸く変わり、
埃まみれだった長い金髪は、かつての美しい輝きを取り戻している。そして何
より違うのは、冬物の衣服を身にまとっている事だ。婦人が若い頃に着ていた
古着を、カテジナにくれたのだ。
「私はもう着ない物だから。お似合いですよ。」
 それを知る方法を持たないカテジナは、一瞬、下を向く。
「セシリー。」
 パン屋の主人は小さな声で婦人の名を呼び、咎めた。
「あ……。ごめんなさい、ルースさん。気が利かなくて……。」
 僅かな沈黙の後、パン屋の主人がカテジナの腕を取り、ワッパの存在を教え
てくれる。カテジナは自分の腕の持たれた部分から、無機質な冷たさを感じた。
主人の右腕が義手であることが、今になってわかった。
「このワッパ、あんたにやるよ。古い物だけど、一応は動く。元気な姿を、早
くご両親に見せてあげるんだな。」
 カテジナは、義手の事を尋ねる。木星動乱の時に右腕を失ったのだと、パン
屋の主人は教えてくれた。私と同じ境遇なのだ、この人は……。
936孤独の果て 11/12:03/09/06 00:16 ID:???
「生きていれば、いい事があるさ。」
 そう励ますパン屋の主人の声から、カテジナは自分にはない命の強さと優し
さを、親切な夫婦が持っている事を理解した。
「それと、これ。少ないけど、取っときな。」
 パン屋の主人はそう言って、彼女にお金の入った財布を渡す。主人の右手か
らそれを受け取る時、カテジナはその義手を暖かく感じた。また、涙が出た。

 何かおかしい。オートコンパスが壊れたので手動でワッパを操作していたが、
どうやら道に迷ったらしいのだ。足元から、川のせせらぎが聞こえる。
 人の温もりを求め、カテジナは川伝いにワッパを動かす。しばらくすると、
赤ん坊の笑い声と、それをあやす少女の声が聞こえてきた。その楽し気な雰囲
気に近づき、以前よりも僅かに生気を帯びた声で、人がいるであろう場所に向
かって、尋ねる。
「ワッパのオートコンパスが壊れてしまって、方向が分かりません。ウーイッ
グは、どちらでしょう?」
937孤独の果て 12/12:03/09/06 00:17 ID:???

 親切な少女がオートコンパスのスペアをくれたお陰で、カテジナの乗るワッ
パは、確実にウーイッグへと近づいている。肌寒い。あの少女と出会った頃か
ら、雪が降ってきたのだ。
 涙が出た。次に流す涙は嬉し涙にするのだと、あのパン屋の夫婦の優しさに
向けて、誓ったはずなのに。今自分の頬を伝う涙が、嬉し涙ではないのだと気
付いたカテジナは、頬を濡らし続ける事をやめなかった。
 カテジナの頬にある涙の川に、雪が落ち、解けて、交じり合う。その感触で
すら、今の彼女を支配する感情を、強くするのだった。

−完−