富野関連の対談や発言を書き込むスレ2

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庵野   時期が遅いですよね。放映中にこの手の企画はやるべきでしょう。

富野   だけど『Vガンダム』に関してはしょうがないとも思っています。本当にごった煮
    になってしまって、よくわからないシリーズになっちゃったから。手紙も少ないし、
    視聴率も上がらないし……。

庵野   あの時間帯は小さい子しか、テレビを見ていませんからね。

富野   でも本当にぼくに力があれば、どんな時間でも見てもらえるハズでね。心掛けと
    しては、いつもそのつもりでやってるんだけど(笑)。

庵野   でもやはり、小さい子どもにはつらかったと思いますよ。

富野   それは最初はゴールデンタイムといわれて、その予定で製作に入っちゃったから。
    もちろん時間帯の変更が決まった時点で軌道修正はしましたが、やはり直しきれなかった。
    ただ軌道修正自体は決して悪いことではなくて、それがあったからこそ、最初の頃の
    わかりにくさから、少し抜け出せたんだと思います。
     本当はもっといい形にして見せたかったんだけどできなかった。それはプロとして、とても
    悔しいことだ。―――というのがありましたので、今の『Gガンダム』に関しても、確かに
    『ガンダム』という名前にこだわるなら問題はあるんだけど、今後もサンライズが、夕方5時で
    番組を作っていくなら、名前にとらわれないで時間帯を考えた路線変更をしていくべきだ、と
    思いましたので、むしろ積極的に押しました。だから『Gガンダム』は他人の作品なんだけど、
    まったくわきの作品でもない。どういう風に見えてくるか、フォローしていきたいと思って
    います。
庵野   『Gガンダム』は期待してるんです。子どもには受けるんじゃないかと思って――。
    だけど『Vガンダム』のようなドロドロした作品は、今の子どもは受けつけないんじゃない
    かな。20歳くらいでもクリーンなものばかり好んで、汚い部分が見えるものは、嫌悪される
    ようになってきていると思います。

富野   ぼくもそう思います。まさにそういうトレンドの時だと承知しているからこそ、ゴールデン
    タイムでやらせてもらえるとなったときに、視聴者層の幅を想定して『Vガンダム』の初期
    設定を押し切った。だから後でどれだけリメイクしようと思っても、根が深すぎて、それを
    抜き取ることができなかったんです。
     それは『Vガンダム』にとって不幸なことだったけれども、ぼく自身にとっては、その
    リメイク作業を通して5時台のルックスを身に着けようとしたことは、ムダではなかったと
    思います。その上で、もし次の機会があったときには、『Gガンダム』の成果も踏まえて、
    トレンドとしての今のマーケットにどう対応して、作品を作っていくか。勉強させてもらい
    たいと思っています。
     ただそれは、今の視聴者がクリーンなものが好きだからといって、それに合わせて商品を
    作っていけばいいのかといったら違うと思う。だってそのマーケットに合わせた作品は、既に
    いっぱい出ているわけだから。そこにスタンスを置いてしまえば、ぼくが作ることの意味は
    なくなってしまう。表現とかのハウツーは学ばせてもらうにしろ、コンセプトに関しては、
    そうそうすり寄れないようにと。
     それに今のマーケットの性癖は、さらに極端な方向へ突き進むだろうとは思うけど、それを
    病的な現象として反省する時代も近々くると思うので、そのときにアニメの世界にもこういう
    作品があった、という部分はあっていいんじゃないかな。

庵野   ぼくも強くそう思いますね。
富野   実は今の日本でいちばん問題なのは、企業の偉い人とか経済人、大人たちが、商売のために
    若者にすり寄り過ぎてることだと思うんですよ。若者に対してアンチテーゼを示すべき大人が
    いなくなってしまっていることが問題なので、実はそれは若い人の問題だとは思っていないん
    です。
     別にぼくは学者ではないから、どうしてかという説明はできないけれど、ぼくが具体例とし
    てあげられるのは、ビートルズのことなんです。
     なぜビートルズはイギリスから生まれたのか、というのはとても大事な点でね。だってイギ
    リスなんて、それこそ大人の伝統だけでガチッと作られた国で、その中でもリバプールなんて、
    涙が出るくらい悲しい田舎町なんだよね。そんな陰々滅々としたところで、エレキギターは
    弾いてきたんだけど、パッとしない連中がいて、このまま田舎町にいてもどうしようもないん
    だけど、何をどうしたらいいのかわからなくて……。結局、反発しつつも、具体的な活動を
    はじめていくキッカケは、ドイツでなければつかめなかったというのがね。この問題を考え
    るのに大事なことだと思う。あのイギリスという重しがあったからこそ、ビートルズが生まれ
    たのであって、アメリカでは決して、彼らのような人たちは出なかったでしょうね。
     ところが今の東京はどうかというとね、ちょうどぼくくらいの年齢のおじさんたちが、高校
    生を集めてきて、商品企画会議をやって、彼らの好みに合うように、一生懸命、商品を作って
    いる。仕事のため、会社をつぶさないため、というまさにそれだけを金科玉条にして、大人の
    正義を何も見せないという部分が、いちばん今の日本を狂わせていると思う。
     それが本当に正しいか正しくないかはわからないけど、齢をとってきたことの価値という
    のは、そういうところにあると思うわけ。若いやつらから"古い"だの"おじさん"だのいわれた
    ときに、"だけどもオレたちは、これで生きてきたんだ。それがなぜ悪い!"となぜいえない。
    自分たちが生きてきた価値観を、若い人にぶつける方が正しいのではないか。おじさんたちが、
    若いやつの好みにあわせた商品を作って、"わあ、おじさんすてき!"と若い子から好かれて、
    おじさん気持ちいい、それで会社も繁盛するという社会は、やはり構造的におかしい。

庵野   やはりマーケティングと大量消費が原因ですかね。あと、テレビ。
富野   データ論の持っている正義が、本当の正義なのか、といったら、それはまさに効率論の正義
    でしかなくて、人を育てるための正義ではないということだ。
     社会差別が厳然として残っているイギリスという国で、その重圧の中から反発して出てきた
    ビートルズの、そのポリシーとか価値観というのは、絶対に老人たちが参加して作ったもの
    ではない。そういう社会構造がいいのか悪いのか、というのは別にして、老人と若者の関係と
    いうのはまさにそうであるべきだ、ということはまちがいなくいえる。
     だから、ぼくの場合、さっきいったように表現論の問題で、ぼくの下手な部分というのは、
    作家として反省しなくちゃいけないし、もっと洗練させたいと思う。だけどポリシーに関し
    ては、オレはいまさら変えようとは思わない。絶対間違ってないと思うもの。そうでないなら
    隠居するだけだものね。
     だけど、今の日本の大人たちが作った社会構造というのは、若い人たちに対してアンチテー
    ゼを設定する大人というのが、もろにいなくなってしまった。ところがこの不気味さを、経済人、
    企業人という人々は感じていないんじゃないか。すべて経済効率だけでできている。
     アニメーションに近い例でいえば、乗用車のデザインがそうです。マーケットリサーチをして、
    いちばん売れるものをとやってきたら、この10年くらいは各社とも同じようなものになってしまっ
    て、2年前の大きなモデルチェンジでは、それがもっとひどい形で出てきて、みんな"オレの趣味
    じゃないよね"って感じてるのにみごとにそればかりになってしまった。これだけのメーカーが
    日本にはあるんだから、ほんとうはとんでもなく違うものがでてきてもいいのに、各々のデータ
    ベースが全部、今の若者の指向であって、同じ基盤。それをおじさんたちが一生懸命調べてきて、
    そのマーケットに合わせて作るから、みんな同じものになってしまう。
     これだけの数の車が、街を走っているのに、車を見る楽しみがなくなってしまったというのは、
    すさまじいことだと思いませんか?

庵野   確かにどの車を見ても今は区別がつきませんからね。

富野   楽しくないんですよね。何で今の若い人たちが、車を好きでいられるのか、ぼくにはわからない。
富野   『Vガンダム』の作品的な問題というのは確かにあって、それは制作者としてちゃんと了解し
    なければならない。だけどソフトの世界というのは、自分のオピニオンをかなり露骨に出していけ
    る部分もあるんだよね。それでなぜ悪いとは言わないし、言えない。結局、上手に表現できなかっ
    たわけだからね。でもぼくが『Vガンダム』でやろうとしたことで、20代、30代の人間ではできな
    いことが、絶対にあるはずだ。ということはいえると思う。
     だけど"なぜ悪い!"という部分も含めて、気にいらなければ、おまえら徹底的にこれを否定して
    くれて構わないんだ。いや、むしろ全否定してほしいのよ。庵野さんなり、あるいは他の若い人でも、
    全否定するだけのパワーを持ったときに初めて、本当に新しいものがでてくる。なぜ今のアニメが
    こうもボルテージが上がらないのかといえば、やはりお父さんたちのマーケティング論、今のトレ
    ンドに合わせて作ろうとする部分で、その渦中にはまっちゃってるから。

庵野   そうなんですよね。

富野   バリエーションということも、"ユーザーの要求に応えて"とか、"お客様のご希望に沿うように"
    とか、ということでよくいわれるんだけど、実は今いわれているバリエーションというのは、ものす
    ごい幅の狭いところで、差別化しているだけで、本当のバリエーションとは違うと思える。

AM   5月号で、庵野さんにお話をうかがったときにも、多様化しかないんじゃないかとおっしゃってま
    したが。

庵野   逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになるんじゃないか、と思うんです
    けどね。

富野   これはアニメに限らないんですけど、一時期、特殊化、多様化をやったの。個性が大事ってね。
    それから日本語になってしまった"アイデンティティーを大切にする"ということがある。でもそれも
    結局は、やはりごく狭い幅のものでしかない。もう少しみんな、外へ出て行って、違う人間が寄り集ま
    っているところを知ってほしいな。話がわきへ行きすぎるねぇ……。『Vガンダム』の話をするように
    努力します(笑)。
庵野   これはぼく個人の感想なんですけど、結局『Vガンダム』って、土と女の話だな、と思ったんですが。

富野   そうですよ。実はぼく自身もフィルムの試写を観るたびに、"あっ、そうか!"と思うことが何度も
    あって、特に"女"の部分に関しては、今回ようやく、おれ"女"を描けるかもしれない、と思えるように
    なった実感がある。

庵野   今回、ようやくですか!?

富野   ようやくです(笑)。それほど自信なかったもの。
     そういう意味では、おれも捨てたもんじゃないな、という――それはアニメのレベルでいえば描けて
    いるといえるかも知れないけど、やはりそんなもんじゃないからね。本当に女の性を描けるかな、と
    いうところまできたというのは、ものすごくうれしかった。

庵野   自信がないというのは、それだけ女にこだわっているということですね。

富野   全くそういうことです。それで実際にやってみて、あれっと思った。かなりずけずけと(フィルムの
    中に)女の気分が見えてきているんだよね。これはちょっと自信を持って、もう少し女を描いていいん
    じゃないのか。初号を観て、そう思ったことが、2、3度あるの。

庵野   今回が初めてですよね。地球から出て、地球に帰ってくる『ガンダム』は。

富野   深く意識したわけではないんですけれども、最終的にカテジナの落としまえをどうつけていくか、
    ということを考えていったときに、ああしました。ただ、あれで良かったのか、というと決して全面的に
    いいとは思ってないし、ロボット物ということを考えた場合、あそこまでうっ屈してほしくなかったよね、
    というのはちょっとあります。だけど一度やってみたかったんだよね(笑)
庵野   女に比べて『Vガンダム』では、いい男が出てきませんでしたね(笑)

富野   だから今回は女を描くことにすごく集中しちゃって、男に対する興味をほとんど持っていなかった。

庵野   なかったですね。初めてじゃないですか、全編を通して何かひとつのことに、こだわり続けたのは。

富野   今、こうやって話していてわかったことなんだけど、13歳のウッソを描くために、男を描くことへの
    興味を全部ウッソに吸い取られちゃったんだね。他の男にふり向けられなかった。あの年齢の男の子を
    本気で描こうというのは、ぼくの年齢ではものすごく大変だった。そうしたら他の男に全然手が回らない。

庵野   かろうじて老人くらいですね。若いのは全然だめでしたね。

富野   あの老人達はぼくの同世代でしょう。自分の気分をそのまま移せばいいだけのことだったから、実は
    何も考えないでできた。いわゆる壮年を描くことができなかった。

庵野   クロノクルは今の若者をそのまま反映しているんですか?

富野   そうじゃない、本当にちゃんとしたロボット物の敵役にしたかったの。だけど、それこそワタリー・
    ギラのあたりでクロノクルがすっぽぬけてしまった。ワタリーみたいなキャラクターで振りぬけちゃいけ
    ない。あれを全部クロノクルに持ってこなくちゃいけなかった。それにまだあの頃、ウッソのことがよく
    わかっていなかった部分があったために、ウッソに集中したまま、12、13話までいってしまったので、
    クロノクルが完全に抜け落ちてしまった。
庵野   ピピニーデンも余計でしたね。本来、クロノクルに集中すべきキャラクターが分散しすぎて、結局、
    若い男はどれも立ちませんでしたね。
     クロノクルには期待していたので残念です。でもクロノクルがああいう男だったから、カテジナさんも
    ああなってしまったのかな、とも思いますけども。

富野   それに関してはちょっと違うんです。カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で
    構想があったんです。スタッフにもまだ1話のオンエアが始まる前に、キャンセルするかもしれないけ
    ども、といいながら話している。ところが、みんなかなりそのラストを気に入ってしまったのね。ちょっ
    と映画っぽすぎて、いやかなとも思ったんだけれども……。それがずーっとスタッフの間に残っていて、
    クロノクルはあれでいいという風になってしまった部分が、どうもあるみたい。

庵野   カテジナの、あのラストシーンのために犠牲になってしまったわけですね。

富野   それで2クールに入ってすぐ、もう最終回をどうするか、決めなくちゃいけないという時に、ぼくが
    「もうカテジナは盲目にするしかないね」といったらみんなもそれだけで、「そうですね、落としどこ
    ろは他にありませんね」って答えて、そのままポンといってしまった。

庵野   カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由というのが、ぼくには今ひとつわからないのですが……。

富野   それはカテジナとクロノクルの関係が、あまり上手に描けてないのでわからなかった、ということだと
    思います。その辺、もうちょっと描けていれば、それはあり得ることなんだ、ということはいえるんです
    けど、結局その部分を触っていないので何をいってもしょうがない。
     ただ、こういうことはあります。カテジナは何としても殺したくなかった。では殺さない代償として
    どうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の
    整理はあった。
AM   そのペナルティというのは?

富野   あのカサレリアのウッソを勝たせるためのペナルティとして、うそでも敵になってしまったということ
    で、カテジナだって、自分の中で疑問に思っている部分があるわけだから。それがわかるから、原作者と
    しても、そう簡単に"おまえ死んでくれ"といえないシチュエーションにしちゃったんだから、殺しはしな
    い。けれども敵になったんだから、申しわけないけどひとつペナルティ。だけど、それで劇としては飾ら
    せてもらうから、かんべんしてくれと、そういうことです。

庵野   いやあ、いいのかなあ。

富野   「いやあ」というんだったら、教えて下さいよ。

庵野   盲目にする必要はあまり感じなかったんです。逆にそちらの方が目立ってしまって。むしろ生き残っ
    た以上は手がないとか、足がないとか……。

富野   それらのことについては、すべてテレビコードに引っかかるから却下したんです。だからカテジナも
    見えないかもしれない、という以上の表現はいっさいしていない。
     もう少し言えば、ウッソたちの側にもペナルティはあるわけだから、ウッソだって手がなくなって
    いるとか、話としては当然そうだったけども、どうせやるんだったら、きちんとした絵を作りたい。で
    もそれは許されないだろう。他にもいくつかあったんだけど、どれをやっても今の視聴者には生理的に
    受け入れられないだろう。

庵野   引っかかるでしょうね。

富野   だけど、本来は引っかからせたいんだよね。それがあれば、カテジナがああいう形で出てきても、お
    互いがそうなら、庵野さんが感じている"カテジナだけああなの?"という違和感は……。
庵野   作為を感じるんですよ。

富野   すっと受け入れられたんだろうね。だけどそれは、きっとどれをやってもヤバイぞ、というのと、上手
    にできないだろうというためらいがあって、カテジナだけで収めさせたんです。

庵野   小説ではカテジナが火傷を負いますよね。あれが好きなんです。

富野   本当はそうしたいんだけれども、でもテレビでは絶対にタブーだから。それにクリーンなことが好き
    な観客に対して、そういう表現がどこまで許されるのかといったときに、ちょっとね……。

AM   マスコミにおける表現のタブーとして問題になる以前に、視聴者側が生理的に、それを受け入れるか
    どうかということですね。

富野   全くそういうことですね。そういう意味では、確かに折衷案でありすぎたということは事実です。

庵野   やはりそうでしたか。
富野   昨日たまたま、TVで『ロードス島戦記』ですか?やっているのを観ていたんですよ。技術的にい
    えば、やっぱり"りんたろうさん、上手だなあ"と思うよ。演出以降の処理も"これでいいんだよなあ"と
    思う。だけど実際に、制作者としてあれに足を踏み入れたら、その瞬間に全面否定しちゃうんだよね。
     あれはどうなんですか、評価としては。

AM   絵はきれいだし、商品としては大ヒットしましたね。

庵野   あの作品が売れるというのはよくわかります。でも面白くないな、とぼくは思ってしまうんです。

AM   受け手もある種、予定調和的なものの方を、安心して受け入れていくところがありますね。

富野   それは本当に気持ちの悪い部分とか、いちばん自分が見たくないものを、なにもビデオとか、ア
    ニメのレベルで突きつけられたくないもの。

庵野   代償行為ですから、金を払ってまで気持ちの悪いものを見せてほしくはないでしょうね。
     『Vガンダム』でもやはり、ウッソのお母さんが死んだときに"もう見るのやめる"とか、いった子が
    いましたからね。"こんなアニメは見たくない"とか。人の死に予想外に反応してるんですよ。

富野   そういう子はいるでしょうね。

AM   でも今、バブルが終わって、不況になって、社会がだんだんシビアな方向に変わってきたら、また
    違ってくると思うんですけどね。
庵野   いや、そうなったらますます閉じこもるだけだと思いますね。

富野   今の子どもたちには、まさにそういう時の活力がないですからね。本当の意味の自閉症の人というのは、
    そうなったら生きていけないんでしょうね。でも一寸先が闇でも、死ぬまでがんばってみたいというの
    がぼくの立場だから。何で生きるのかわからなくても、生きることはそう悪いことじゃないですよ、と
    いうことだけは伝えていきたいなと思います。

庵野   人は生きようと思わないと、生きていけないと思うんです。口を酸っぱくして言わないと、人間って
    生きていかないですから。何で宗教が、人は苦しいことがあっても生きなければならない、なんて当た
    り前のことをいうのか。それは言われて自分がそう自覚しないと、多分生きていけないからだと思うん
    です。

富野   全くそうです。そのぐらい世の中というのは、うまくいかないものなの。だからね、もう少し覚悟を
    持ってやろうよって、単純にそれだけでね、ぼくらの伝えたいことというのは。
     でも今の子たち、特に中高生にとっては学校生活そのものが、うまくいかないものなのかも知れない。
    だからアニメを見るときくらい、そういう話も含めて、見せられたくないんだろうね。
     でも、もうひとつ重要なのは、その程度のことを過酷に感じちゃう子どもがいる、ということなんだ
    と思う。

庵野   そうなんですね。
富野   最近、お米がなかったりするでしょ。とてもいいことだなあと思ってるのね。食うものが本当になかっ
    たら、どうなるか、ということをちょっと真剣に想像させてくれることができたからね。
     そういったときに、ソフトを作っている人間の強いところは、そのようなシビアな部分も、申しわけな
    いけど、皆さん方がお楽しみにしている、アニメの中でもやっておくよ、といえることですね。10年後、
    20年後に効くように(笑)。

庵野   やはり作品には毒を混ぜておかないと(笑)。特に子どもには毒を見せるべきだと思いますね。

富野   絶対そうです。

AM   わかりました。本日はどうもありがとうございました。

(新宿・中村屋にて)