2006世界男子カーリング選手権総合スレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
38雪と氷の名無しさん
【フィンランド】(チーム ウーシパーヴァルニエミ)
スキップ:Markku UUSIPAAVALNIEMI (39)
サード:Kalle KIISKINEN (30)
セカンド:Jani SULLANMAA (24)
リード:Teemu SALO (32)

スキップのマルック・ウーシパーヴァルニエミは、兄のユッシの指導でカーリングを学んだ。
ユッシ自身が世界選手権に6回(88,90,91,92,97,98)出場経験のある一流カーラー。このうち、
92,97,98の三大会はユッシとマルックの兄弟出場である。
マルックは、この三回を含めこれまでに9回世界選手権に出場(92,97-03,05)しており、今大会で10度目。
92年大会でセカンドだった以外は、すべてスキップを努めている。
成績は、97年(8位)、99年(10位)以外はすべて5位以内であり、98年と2000年には3位となっている。
また、五輪も連続出場であり、2002年のソルトレークシティは5位だったが、
先般のトリノ五輪における銀メダルの活躍は記憶に新しい。

今回の世界選手権では、>>16氏が書いておられるように、トリノ五輪でサードを努めた
ヴィッレ・マケラが2月いっぱいでカーリングから引退したらしく、残りの4人でチームを組んでいる。
(引退理由をネットで調べたのですが不明でした。ご存じの方は教えてください)

(以下、カーリングにはあまり関係ない話題です)
マルック・ウーシパーヴァルニエミは話題に事欠かない人物である。
彼は、80年代の中頃にいったんカーリングから離れている。どうもチーム編成がうまくいかなかったためらしい。
それで何をしたかというと「飛び込み」である。1987年、すでに二十歳になっていたマルックは、
今から始めるのは遅すぎるといわれながらともかくトレーニングを受けると半年後には、
なんと国内ランキング3位の選手になっていた。さらに上を目指すため、マルックは大学をやめ、
カリフォルニアのロングビーチに渡る。ここで、元五輪金メダリストのサミー・リーの指導を受けるなどして、
ついに1992年のバルセロナ五輪の飛び込みの代表選手に内定するのである。ところが、運悪くその後試合中に
全治半年以上の重傷を負い五輪出場の夢は潰える。さらには経済的事情もあり飛び込みはあきらめざるをえなくなったのである。
この挫折がなければ、カーリング選手としての現在はなかったであろうことを思うと、まさに禍福は糾える縄の如しである。
フィンランドに戻ったマルックは、カーリングに復帰し、その後上述のような快進撃をみせることになる。
大学中退ではあるがもともと理数系に強かった(高校時代に数学の全国テストでトップをとったこともある)
マルックは、コンピュータプログラマーとして生計を立てる一方、現在は私財を投じてカーリングホールを建設しその経営に携わっている。

極めて特徴ある名前を巡るエピソードもいろいろある。
彼のニックネームとして、フィンランド国内では、姓を縮めた"Uusis"という呼び名が使われることが多いのだが、
昨年の世界選手権では新しいニックネームがつけられた。それは"M-15"。MはMarkkuの頭文字。
15はUusipaavalniemiの文字数である。名付け親は米国のピート・フェンソンらしい。
もちろん、フェンソンもUusipaavalniemiが発音できなかったのである。
"M-15"のヴァリエーションとして"U-15"が使われることも多い。
また、トリノ五輪ではカナダチームが彼のことを"Uusialphabet"と呼んでいたそうだ。
身長180cm強、体重95Kgとかなり大柄なので、個人的意見としては「丑」か「牛」でいいと思うのだがどうだろうか。

名前を巡るエピソードをもう一つ。
2000年の世界選手権で観衆がspelling cheerで応援をしていたときのこと。
spelling cheerというのは、選手の名前の綴りを一文字ずつ叫んでいき、最後に選手の名前を叫ぶという方式の応援。
(例えば、「小野寺」なら"O!""N!""O!""D!""E!""R!""A!"と一文字ずつ叫んだ後、
 "What does it spell?(何て読む?)"のかけ声に続けて、声を揃えて"ONODERA!!!"と叫ぶ。)
選手の応援が順次進み、マルックの番になったときも、観衆は"U!""U!"S!"....."M!""I!"と15回叫び終わった。
そしてお決まりのかけ声。"What does it spell ?" 次の瞬間、会場は静寂に包まれたそうだ。