レスラーの日記を変わりに書いてあげよう

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899三沢光晴
2000年7月15日

全日本プロレスへの参戦。その2回目。
再び午後便、朝9時55分のフライトで小松空港へ。
昨日の帰りのフライトは朝9時だろ。
しかも俺だけ野じゃなくノアのスタッフ全員がそう。
これ、嫌がらせじゃないですか?
チケットの用意は全日サイド。
舐めてるなーと感じる。
だいたい、松山から石川までに2泊すればいいじゃない。
どっちも午前便移動が続いて、ただ東京にトンボ帰りして
選手は疲れるだけでしょ。
何か隠された意図があるんでしょうか。誰に聞いたらいいんでしょう(笑)
会場の七尾総合市民体育館は恐ろしく暑かった。
空調がなく、雨が降ったせいで湿気も一杯。
お客の呼吸が集まってきて、リング上の空気がこもるような感じだった。
試合は俺、小川、丸藤に秋山、泉田、金丸の6メン
秋山が俄然元気だったなー。
きっちり仕上げてきてる。
反対にフジマル(丸藤)は死んでたかも。
試合はセミだったが専門誌から
「メインの川田の試合を見てるところを撮りたい」
と注文を受ける。
それ風の写真が乗ったかもしれないけど、実はウソ。
サービスで振りだけー。
自分の試合が終わったら、さっさとバスに乗って帰った、というのが真相。
 昨日の夜、馳選手から電話があって、今夜会えないかとのことだった。
ホテルに戻ると馳選手はすでに待ち構えていた。
高校の頃からセンセイ(俺は馳さんをこう呼ぶ)
が通っていたという、思い出の居酒屋に向かう。
料理が旨かった。
新団体のいきさつなどを話したが、こちらからは誘ってない。
どこの団体に上がるかを決めるのはセンセイ。
ノアニもしも来るのならば、
一レスラーとして頑張ってくれればそれで良いし。
センセイ次第です。
午前2時頃まで飲み、センセイはどこかへ消えた。
その後、俺はフジマルのいる居酒屋に合流し、4時まで飲む