>>36のつづき
■ 日本人婦女子凌辱事件
進駐軍の不法行為は慰安所の開設後も数多く発生した。
最初に米軍が横須賀に上陸した1945年8月30日に早くも強姦事件が起きている。
特別高等警察はこれらの不法行為を解散命令が出た1945年10月4日まで調査を続け、内務省警保局外事課より
「進駐軍ノ不法行為」として文書化された。この米軍にとって不名誉な文書は一旦没収されたが、
1973年12月に日本へ返却、翌年1月より国立公文書館に所蔵されていた
日本共産党は米軍の不法行為を追求してきたが、特高が作成したこの文書には触れていない。
■ 板橋事件
1946年11月15日には池袋で、MPと日本の警察により、通行人であった女性たちが無差別に逮捕され、
吉原病院で膣検査を強制された板橋事件が発生している。
女性のなかには日本映画演劇労働組合員だった女性が含まれており、同組合は抗議運動を展開し、新聞などでも報道され、
加藤シヅエら議員もGHQに抗議の手紙を送るなどした。
こうした抗議に対してMP側は「狩った女たちをどんなふうにしようとこっちの勝手だ。
それに対してお前たちは抗議などできない」「日本の警察は現在全然無力である。之は自分たちの命令に絶対服従すべきである」
と発言したといわれる。
なお、CIE(民間情報教育局)やユナイテッドプレスなどはMPでなく日本の警察による仕業として人権侵害であると非難した。