>>23のつづき
■ 売春の様子
他に生活の術の無い戦争未亡人や子女が多かった時代背景もあり、東京都内だけで約1600人、全国で4000人の慰安婦が
働いており、RAA全体では5万3000人の女性が働いていたとみられる。
収入に関しては、ドル高もあり実入りは良く、大森海岸の小町園の慰安所では、当時の金額で月収が5万円にのぼる売春婦
もみられた]。慰安婦は一日あたり30人から50人の客を取っていた。
■ 廃止までの経緯 [編集]
1946年1月21日、前アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト夫人エレノア・ルーズベルトの反対、性病の蔓延を理由として
GHQにより特殊慰安施設は廃止された。 特に性病に関しては慰安婦の6割が梅毒など何らかの性病に罹患していた。
■ オフ・リミッツ令
1946年3月26日には連合国軍東京憲兵司令官官房「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)と通達され、
RAA施設は閉鎖された。
RAA閉鎖後、職を失った女性はパンパンと呼ばれる街娼になったり、風俗街に移動した。
■ 成果と進駐軍の対応
国を挙げて売春を行う目的は「日本女性の純潔を守る」ことにあったが、実際にはその目的は果たせなかった。
9月5日に武装した米兵が鳩の街に来ている。この時女性達が怯えたため、業者は彼女らにウンと言わせ、客を取らせた。
この後、これに続くように進駐軍の兵士は吉原や新宿二丁目の遊郭へ行き始めることとなる。