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お前名無しだろ:
一回戦は、ポーランドの選手だった。さすがに共産圏の選手だ、強い。
二回戦は、レバノンの選手。動きがすばしっこくて、つかまえることができない・・・・。
あっという間に試合が終わった。
成績は七位だった。
『リングより愛をこめて』ジャンボ鶴田 1981年講談社 p39
・ミュンヘン五輪7位→捏造。五輪では2戦2敗 2警告失格負け=審判に注意されても前に出ないビビリ負け
・大学一年(1969年)でバスケ全日本入り→虚言。1969年のバスケ全日本メンバーに鶴田の名前はない。
・バスケチームが弱くて五輪に出られないのでレスリングに転向した→捏造。バスケ全日本チームは
1969年のアジア選手権で2位。1971年のアジア地区予選で優勝しミュンヘン五輪に出場している。
・ジャンボ鶴田公式に発表されている鶴田論文のなかでアマレス時代のライバルだった磯貝選手の戦績を
実際には一勝しているにも関わらず全敗と捏造。二戦二敗で失格の自分は「二回戦敗退」とだけ強調し、
さりげなく全敗をぼかす。
・鶴田論文で、東スポ桜井康雄氏の記事を盗用。
・プロレス引退会見で発表したポートランド州立大学教授就任は自費による留学説濃厚。
・中学から6年バスケを続けて全日本入りできず。柔道は選手層が厚いので層の薄いアマレスへ転向
・アマレスの社会人選手権3位入賞は3位決定戦の相手が棄権したタナボタ。
・71年度全日本選手権グレコ優勝は出場者が鶴田一人。なんと一試合もせずに日本一!
・71年度全日本選手権フリー優勝は出場者3人。なぜかレスリング経験のない柔道部員が2名と鶴田だけ。
・国体優勝は出場者が4名。学校の先生が2名と自営業者が1名と鶴田。
・174pの矢田選手にフォール負け
・181pの磯貝選手に一度も勝てず
・世界選手権は4戦4敗。 アジア大会等の出場記録はなく、国際試合には0勝!