1 :
お前名無しだろ:
馬場さんが500年早く生まれていたら・・・・・上杉謙信は馬場さんに
越後の国を譲渡したことだろう。無敵と言われた武田信玄の騎馬隊を16
文で打ち破り、織田信長の鉄砲隊を32文ロケット砲で迎撃したような気
がしてならない。
2 :
お前名無しだろ:2010/03/09(火) 22:28:12 ID:ykiJUcgt0
2
3 :
お前名無しだろ:2010/03/09(火) 22:59:07 ID:AIRDQ+ag0
馬場さんは1938年1月23日に生まれて1999年1月31日に亡くなっているので61年生きたわけだが
2010年の500年前に生まれるということは、1510年に生まれて1571年に亡くなるということだから
残念ながら1575年の長篠の戦いの前に亡くなっていたな。
4 :
お前名無しだろ:2010/03/09(火) 23:33:16 ID:HX9bK8GU0
このスレ、終わりじゃん。
5 :
お前名無しだろ:2010/03/09(火) 23:36:45 ID:I+hCjxnwO
馬場さん19の時脳腫瘍で死にかけてるから、当時の医療だと死んでた。
6 :
お前名無しだろ:2010/03/09(火) 23:52:32 ID:s07/glXm0
>>3 馬場死す!の報を聞いた武田信玄は満を持して上洛を開始するが、
彼の寿命はもう長くは無かった…
信玄が死ぬと信長が勢力を急速に拡大する。
しかし、神をも恐れず老人女子供まで虐殺する信長に
怒りを燃やす英雄が立ち上がる。
毛利水軍を蹴散らす織田の鉄甲船の前に
元馬場家臣の英雄豪傑達を乗せた一艘の箱舟が!!
そしてその先端に立つ馬場さんの意思を継ぐ緑備えの漢の正体は・・・!?
以降、
三沢さんが戦国時代に生まれていたら
開始!!
↓
7 :
お前名無しだろ:2010/03/10(水) 01:00:05 ID:9D6YtGoL0
>>1を良く読んだら、500年早く生まれていたらになっていたな。
ということは1438年1月23日に生まれて1499年1月31日に亡くなるということではないか。
武田信玄は1521年11月3日生まれだし、織田信長は1534年6月23日生まれだから
この二人と出会うことはなかったな。
足利義政が1436年1月20日生まれだから、そのあたりの世代の人ってことだ。
馬場さんが500年早く生まれていたら、慈照寺銀閣に銀箔が貼られていたかも知れない。
8 :
お前名無しだろ:2010/03/11(木) 12:52:59 ID:iGJaGrmm0
三沢さんが戦国時代に生まれていたら、斉藤道三の末っ子である彰俊に
首をはねられていたような気がする。
9 :
お前名無しだろ:2010/03/11(木) 15:13:31 ID:qTiPJPxX0
戦場で弓矢の的になって終わり
10 :
お前名無しだろ:2010/03/13(土) 11:19:20 ID:c4Y0iF140
馬場さんが足利義昭をランニング・ネックブリーカーで沈めて室町幕府を終わらせ
新潟に幕府を開く。新潟は日本の首都に。江戸は地方小都市で、多摩川は「最後の
清流」と呼ばれていたことだろう。
11 :
お前名無しだろ:2010/03/13(土) 11:30:58 ID:kGFj+R8q0
侍、村人から「ダイダラボッチ」として追いかけまわされる。
12 :
お前名無しだろ:2010/03/14(日) 00:35:27 ID:FOSXTuYS0
>>7 王道を歩む馬場さんが健在なら応仁の乱など起こらないから戦国時代はなかったかもな。
と思ったが当然のように猪木が下克上を目論見、日本中が争う大乱世は避けられないか。
13 :
お前名無しだろ:2010/03/14(日) 00:42:18 ID:7z2fj2Nw0
あんなデカイ奴種子島や弓矢の良い的ww
14 :
お前名無しだろ:2010/03/14(日) 22:16:51 ID:EXl3yIu90
出世しようと新潟を出ようとしたら
たちまち「巨人が出た」と弓矢で撃たれまくって惨死w
その死骸が今の佐渡島。
15 :
お前名無しだろ:2010/03/14(日) 22:22:47 ID:hyYu6aen0
>>8 斎藤道三ってのが、そもそもファンタジーのような気さえする
16 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 13:07:07 ID:gkb9P0Qf0
馬場が信長と同じ時代に生きてたら
松永弾正が焼き打ちにした奈良の大仏の替わりとしてスカウトされてたかも
17 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 18:15:36 ID:d9mHJQPo0
藤波は徳川家康級の武将になってただろうね。
18 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 21:37:36 ID:kJcb3A7j0
馬場さんが戦国時代の越後に生まれていたら
鬼小島弥太郎の妖怪退治伝説が1つ増えていたな
19 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 21:51:05 ID:y/IL/Zz80
馬場が幕末にいたら
井伊直弼よりも素早く日米和親条約を締結してただろうな
そして二言目には
「オレにはNWAがついてるんだよ NWAだよ NWA わかってるのか?」
を連発してただろうな
20 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 22:40:11 ID:ZutNEPsj0
馬場さんが戦国時代に生まれてたとしても…
正平や、武将なんて危ないことは辞めて、地味でも落ち着いた百姓をやっておくれ
と御母堂から諭されるんだろうな…
21 :
お前名無しだろ:2010/03/15(月) 23:03:51 ID:kJcb3A7j0
川中島の真ん中に寝そべり
「空は大きいポォ〜」とぼーっしていたら、いつのまにか昼寝し
およそ8000の武田軍が近づいているのに気付かず、
武田騎馬軍団を止めてしまい、飯富昌景(後の山県昌景)に叱られる馬場少年
22 :
お前名無しだろ:2010/03/16(火) 05:15:23 ID:ZbUEzPz40
明に珍獣として高価で売られる
23 :
お前名無しだろ:2010/03/16(火) 22:38:07 ID:mb3igi3K0
>>20 おっかあ、オラのこの大きい体生かすには侍になるしかないだ
つって、戦場に足軽と参戦するも、余りにデカイ体目立ちすぎて弓矢の良い的に・・・
百姓正平享年16歳
24 :
お前名無しだろ:2010/03/17(水) 19:24:00 ID:MDVSGOSx0
マジレスすると、奇形と分かった時点で間引きされるか、
ある程度成長した後なら見世物小屋に売られるだろう。
25 :
お前名無しだろ:2010/03/18(木) 17:45:56 ID:lgz1ukGd0
>>24 マジレスすんな!あまりにも現実的過ぎるぞ。
26 :
お前名無しだろ:2010/03/18(木) 20:50:05 ID:XiZBvqtC0
見世物小屋にいたところを信長が買って弥助と相撲で対決させるでしょうね。
弥助が組み付いてきたところを、もちろん耳そぎチョップを決めて
ヤシの実割りで弥助が吹っ飛ばす
信長公は大喜び。
27 :
お前名無しだろ:2010/03/18(木) 20:51:50 ID:XiZBvqtC0
弥助を、だ
28 :
お前名無しだろ:2010/03/18(木) 22:23:48 ID:rTUwTcRS0
みんな、武田四天王・不死身の鬼美濃こと馬場信春の子孫がその後、
越後に移り住んだことを忘れているな。
つまりまあ…そういうことだ。
29 :
お前名無しだろ:2010/03/19(金) 22:38:26 ID:kM5aWVLv0
どのみち風呂場でコケる。。。
30 :
お前名無しだろ:2010/03/19(金) 22:43:19 ID:G7QFbvdB0
ヤオ合戦で一旗上げて、次の覇者と日本中から思われる。
でも、ガチ武将の猪木に惨敗して終わり。
いつの時代でもヤオはガチに勝てない。
31 :
お前名無しだろ:2010/03/19(金) 23:00:17 ID:Ye7/AoOk0
そして馬場のやってるのはショー合戦。猪木のストロングスタイル合戦こそ本物と人気を博す。
しかしのちに総合合戦が隆盛しプロ合戦そのものが衰退するとはこのとき誰も思わなかったのだった。
弟子達が始めたU合戦も完全に時代の徒花だったしねえ。
32 :
お前名無しだろ:2010/03/20(土) 00:06:04 ID:6r0anDfJ0
とにかく無駄にデカすぎて合戦には邪魔
33 :
お前名無しだろ:2010/03/20(土) 12:23:18 ID:WHk4G4ii0
前田慶次と戦える
34 :
お前名無しだろ:2010/03/20(土) 18:58:45 ID:6r0anDfJ0
一夜城は馬場が作ったジオラマ
35 :
お前名無しだろ:2010/03/20(土) 21:13:11 ID:NmAZbiT70
三浦義意 227cm
風魔小太郎 216cm
源為朝 210cm
馬場正平 209cm
呂布 207cm
関羽 207cm
華雄 207cm
王双 207cm
石川五右衛門 207cm
平将門 200cm
戦場で猛将と恐れられる姿が容易に想像できる
36 :
お前名無しだろ:2010/03/22(月) 16:17:37 ID:5N1waNYq0
豪雪地帯の越後の人だから天下を狙うには余りにも場所が遠い。
しかしリーチの長い馬場正平武将だから本気になれば楽々京都まで届くし、
冬は雪に助けられて、他国の武将は容易に領内に攻め込めない。
37 :
お前名無しだろ:2010/03/22(月) 22:59:36 ID:xmF1IgxO0
西軍武将として関ヶ原で重要な位置に陣取るが家康から大金で買収され、
三成が『動け馬場』の狼煙をあげても動かない馬場隊。
38 :
お前名無しだろ:2010/03/23(火) 15:52:55 ID:A0sqRbsE0
>>29 理想のフロレスを旗印に、風呂のない社会を目指すから風呂場でコケない。
39 :
お前名無しだろ:2010/03/23(火) 15:58:41 ID:HUn2e5wR0
40 :
お前名無しだろ:2010/03/23(火) 20:33:52 ID:4WyON0uW0
>>36 馬場さんを味方に引き入れれば
海外から大量の種子島を一気に手に入れられる
これは何ものにも代えがたい!
41 :
お前名無しだろ:2010/03/24(水) 19:51:19 ID:HnkAhgzq0
村々のうんこが食べつくされ肥溜めが枯れ作物が育たず未曾有の大飢饉が起こる。
42 :
お前名無しだろ:2010/03/24(水) 22:56:59 ID:3TH6PhfU0
43 :
お前名無しだろ:2010/03/24(水) 23:31:28 ID:lHDC8xz30
左下の力尽きたバルタンw
44 :
お前名無しだろ:2010/03/25(木) 03:20:29 ID:oHInl9hm0
海外から鉄砲と共に外国人も大量に輸入し配下に引き入れる。
アブドーラザ・ブッチャー武将を織田信長に引き抜かれ(いかにも信長がやりそう)
報復としてサル(羽柴秀吉)を引き抜いてしまう馬場さん。
45 :
お前名無しだろ:2010/03/25(木) 05:34:13 ID:6zOU8Quv0
外人武将ばかりに加増するやりかたはどうかと思う
46 :
お前名無しだろ:2010/03/25(木) 14:54:20 ID:vkRHnyC+0
戦に勝つためには仕方なかろう
馬場が泣いて馬謖を斬る
47 :
お前名無しだろ:2010/03/26(金) 00:17:16 ID:V6dfGgzJ0
馬場さんは、皆さんが先刻ご承知の通り、その気になれば初代タイガーマスクの
ような動きも出来る。たとえば日本海を飛び越えて朝鮮半島の平壌に向けて
ブランチャをかますのは、それほど難儀ではない。地図で見ればお分かりの通り、
日本海を挟んで、新潟と朝鮮半島はあんがい近い。敵に反撃されても、日本海に
向けてダイブし、手を伸ばせば、馬場さんならば新潟まで手が届く。言わば、好きな
時に一方的に相手を攻撃出来るわけだから戦いに負けようがないのだ。
48 :
お前名無しだろ:2010/03/26(金) 02:30:42 ID:ZLbRnTfl0
>>9 ちょ、おまw
馬場さんに弓矢が利くわけないだろうがw
ジャイアント台風(現在で言うバリア)で跳ね返すよ
49 :
お前名無しだろ:2010/03/26(金) 23:49:12 ID:EBuM8Hd90
動かざること馬場の如し
50 :
お前名無しだろ:2010/03/28(日) 22:37:54 ID:8dOmWYPT0
馬場さんに弓を引いても空手チョップで打ち落とされるし、槍で突いても空手チョップで
真っ二つにされるし、正直、対抗策がない。
51 :
お前名無しだろ:2010/03/29(月) 00:00:43 ID:SqHVlHfr0
馬場さんが戦国時代に生まれていても八百屋の倅じゃ武将になれないだろ。
おそらく、その体格をいかして、上杉家のお抱え力士になるだろう。
そして、連戦連勝で全国にその名を轟かすが、実は全て八百長試合だったというオチ。
52 :
お前名無しだろ:2010/03/29(月) 02:20:35 ID:wtIKAeci0
>>馬場さんが戦国時代に生まれていても八百屋の倅じゃ武将になれないだろ。
こいつは斎藤道三すら知らないらしい
おまえは生涯にわたって戦国時代を語る資格がない
いや、生きている資格さえない
53 :
お前名無しだろ:2010/03/29(月) 23:45:44 ID:0EVoyjlR0
馬場さんは野心家じゃないから、戦国時代には、不向き。
猪木ならイメージにピッタリだが。
しかし、相手に領内に攻め込まれたら、嫌でも戦わざるを得ない状況に
追い込まれたとしたら、やっぱり強いのではなかろうか・・・・・
54 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 09:57:36 ID:44pF/9QY0
攻城戦のときに破城槌の代わりとして使われる
55 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 11:17:19 ID:XvuBFQD60
>>52 お前も勉強不足だなw
大昔の俗説を未だに信じてるのか
道三はもともと武士の一族だし、何のコネもなく成り上がったわけではない
56 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 13:07:53 ID:maauQAm70
>>もともと武士の一族
日本中の家で家系図を作ると
必ずどこかで天皇家とつながるしなあw
そして平時の武士は農民だった
農民が武装したのが武士の始まり
馬場が名武将になるのは当然のこと
57 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 13:55:57 ID:cLYHorzy0
城のお堀で用を足す巨神
58 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 22:15:45 ID:JdT4swEw0
>>55 えーと。じゃあ秀吉は?
>>56 その歴史認識はさすがに素朴すぎるw
でも階層移動が可能なのは確か
59 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 22:23:53 ID:44pF/9QY0
60 :
お前名無しだろ:2010/03/30(火) 22:55:26 ID:JdT4swEw0
なるほど
61 :
お前名無しだろ:2010/03/31(水) 00:11:52 ID:dDV6a/ft0
みんなが上洛に走るので、越後を独占させていただきます
62 :
お前名無しだろ:2010/03/31(水) 17:31:33 ID:GfIryUyN0
川中島で馬場と猪木の一騎打ちが見たいな。
63 :
お前名無しだろ:2010/03/31(水) 17:49:45 ID:hzM/BCN40
巌流島でなら・・・別に見たくないな。
64 :
お前名無しだろ:2010/04/01(木) 17:49:42 ID:CKPnsvW10
硫黄島でなら?
65 :
お前名無しだろ:2010/04/01(木) 18:00:06 ID:nEk9CXFk0
八丈島で島流しされる
66 :
お前名無しだろ:2010/04/01(木) 19:08:55 ID:RQipCZcw0
だが八丈島から歩いて本土に戻ってくる
濡れたのは着物の裾だけで帯から上は乾いたまま
67 :
お前名無しだろ:2010/04/01(木) 20:22:55 ID:7AI3rTj30
68 :
お前名無しだろ:2010/04/01(木) 23:37:54 ID:9mMmkHEC0
硫黄島は東京都だからボボ・ブラジルは大丈夫だな。
九州だったら大変なんだよな。
69 :
お前名無しだろ:2010/04/02(金) 12:10:49 ID:L/1R3rUY0
ババ 対 ボボ
70 :
お前名無しだろ:2010/04/02(金) 12:19:37 ID:JaAy8/Er0
グレート・カリの名前聞いたとき、ジャイアント・ババ思い出した。
絶対日本人だろリングネーム考えたのって思ってた。
71 :
お前名無しだろ:2010/04/02(金) 15:26:56 ID:THnHf6iS0
川中島は60分引き分け濃厚だな
硫黄島は両者壮絶な消耗戦の末完全敗北か。
72 :
お前名無しだろ:2010/04/06(火) 12:09:08 ID:J/nKKWGi0
竹島で大木金太郎と決戦だ
73 :
お前名無しだろ:2010/04/10(土) 10:00:55 ID:0Tr4W2bA0
新潟レスリング・アソシエーション(略称・NWA)を旗揚げした馬場さん
74 :
お前名無しだろ:2010/04/11(日) 03:27:25 ID:npAobrv30
複数の妾を囲っている馬場さんを想像してみた。
75 :
お前名無しだろ:2010/04/12(月) 00:19:31 ID:imANSpHQ0
ジャイアント馬場○12分28秒ランニングネックブリーカードロップ徳川家康○
三条幕府成立
76 :
お前名無しだろ:2010/04/12(月) 00:20:14 ID:imANSpHQ0
両方勝たせちゃった
77 :
お前名無しだろ:2010/04/12(月) 01:18:07 ID:8xcZLGLe0
騎兵隊ではなく畸形隊を指揮する
78 :
お前名無しだろ:2010/04/13(火) 00:47:59 ID:VI6C5ZqJ0
兵糧はうんこ
79 :
お前名無しだろ:2010/04/15(木) 22:32:04 ID:gTK29zbI0
馬にまたがり、鎧兜を身にまとう馬場さんは、きっと絵になるぞ。
80 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 05:52:20 ID:1I/1nZNiO
多分、各地の戦で時間切れ引き分けを連発して、民衆の不満を買ってた。
81 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 12:17:49 ID:UNzzC8Sw0
それに合戦場外乱闘多発で田畑が荒らされ農民の怒り爆発
82 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 12:39:32 ID:2EwKQFev0
>>80>>81 地方の合戦でも常に全力で挑む天龍を取り立てて何かが変わるかと期待されるも……
小田原の商人に援助された天龍がまさかの独立!
83 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 12:47:58 ID:paRDX95A0
叡山の僧侶になっていて、ザ・シークに焼き討ちされてる。
84 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 23:09:40 ID:BDZZaCfE0
↑ おもぴろくて、思わず吹いた。でも、その犠牲者はブッチャーだと思う。
甲斐の国出身の鶴田友美を配下に引き入れたのが武将・馬場正平の非凡なところ。
85 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 23:12:58 ID:BDZZaCfE0
そう言えば馬場さんの合戦て、取り巻きの人が乱闘に巻き込まれて
よく失神していたと、歴史の教科書で読んだような気がする。。。
86 :
お前名無しだろ:2010/04/16(金) 23:24:13 ID:r3m9krNRO
>>79 あんなにデカくて尚且つ馬に乗ったら
弓矢の恰好の的になっただろうな
目立つから影武者も立てられんだろうし
間違いなく天下は取れないだろな
その前に死んでる
87 :
お前名無しだろ:2010/04/17(土) 00:20:17 ID:cP5WDTD/0
海津城ホール
60分1本勝負
馬場正平(越後)vs馬場信春(甲斐)
88 :
お前名無しだろ:2010/04/17(土) 10:28:13 ID:BIDHc13FO
いつの間にか、馬場(全日)の歴史を戦国時代風に語るスレになってるwww
89 :
お前名無しだろ:2010/04/18(日) 07:57:28 ID:fUDt2uol0
男色武将
90 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 00:03:11 ID:VMzv4RX70
馬場さんは戦国時代でもめったに負けないだろうけれど両者リングアウト試合続出
だろうな。北条早雲も斎藤道三も毛利元就も強いし。
織田信長vs今川義元みたいな完全決着は本当に珍しかった。なんで義元は負け
ブックを飲んでしまったんだろう?
91 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 00:24:14 ID:p+C/uRhC0
あれは信長による一方的なブック破りで卑怯な奇襲だと言われているけど……
元々負けブックだったって説もあるよね。
甲相駿三国同盟ってのがあってさ、ようは三団体のテリトリーは侵さないって約束だったから。
41歳っていうといまだと若く聞こえるけど当時としてはいい歳だし。息子もデビューしてたし。
ちょうど別のテリトリーで寝ても良い頃合ではあるんだよね。
まあ、あの一戦で引退に追い込まれるとは思ってなかったろうしその後信玄があっさりダブルクロスってのは誤算だったかもね。
92 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 00:25:06 ID:XEWHuA8SO
てか武将がどうたらこうたらで逸話があって…勇猛で…とかあるけど
結局戦国武将って後ろで座って指示してるおっさんでしょ?
なんで後ろで指示してる方が有名になんの?
前で敵をポコポコ斬りまくってた奴の方がすげーと思うんだけど…
スレチですが歴史に対する素朴な質問でした。
93 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 01:15:49 ID:LOO6if9i0
前で敵をポコポコ斬りまくってた奴は有名になる前に
敵に斬られることがほとんどだから。
94 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 01:26:09 ID:WcKzCqEEO
>>92 伝説の農民が一部では有名だよ。リアル戦国無双だったらしい。
そいつの家には戦で倒した相手の首級を飾ってた。
信長があまりの強さに直接部下にすると言った時もアッサリ断る。
95 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 01:30:42 ID:WcKzCqEEO
名前は何だか忘れたけど本当に無敵だったらしい。武器は農工具の鎌を好んで使って最後には笹の才蔵とのタイマンで負けたらしいけど。
96 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 02:08:28 ID:p+C/uRhC0
あこれはマジレスして良いところだったかwじゃあ回答パターンAで
現職アメリカ大統領の名前はすぐに挙げられるでしょ?
で海兵隊の分隊長って何人もいるし全員猛者だと思うけど何人知ってる?
そういうこと。
97 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 02:56:43 ID:SF8NOgxh0
>>96 そりゃ普通に考えれば、戦国時代の武士は人殺すことが仕事だったもんな。
農民も戦になれば駆り出されるけど、普段は農業しないと飢え死にする時代。
毎日刀や槍持って鍛えてる奴のが強いんだろうって思うのが当然。
>>92の疑問は想像力のない貧しい質問。
98 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 10:02:04 ID:8JZRjwfp0
馬場さんが平安末期に生まれていたら、ちゃんと一騎打ちとかできたのじゃないかと思う今日この頃。
99 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 15:48:54 ID:priZgzyY0
想像してごらん・・・
続々と襲いかかる武者たちを空手チョップでバッタバッタとなぎ倒す
赤パン1丁のジャイアント馬場を・・・
100 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 21:00:07 ID:79IIpIRe0
馬場家は屈強な南蛮人を多数召抱えてたから相当合戦が強かったんだろうな
101 :
お前名無しだろ:2010/04/19(月) 23:36:14 ID:LOO6if9i0
16文キックを打つと、延長線上にいる全ての敵が倒れる。
新田義貞軍に加勢したときは、稲村ヶ崎から海に向かって
16文キック放ったところ潮が引き、海上の北条軍もはるか
遠くに流されたため、稲村ヶ崎を突破できた。
馬場の領内は年貢に糞を納める。
口減らしのため間引かれる
太亞山というキチガイが書いた瓦版を真に受け馬場を名君と思い込む奴現れる
105 :
お前名無しだろ:2010/04/20(火) 15:53:33 ID:wwQZl57i0
馬場さんは源義経みたいに飛んだり跳ねたりするのはプロレスではないと
批判すると思う。
ちょっとスレの趣旨とは著しく違うけれど、馬場vs義経というシングル
カードが組まれた場合、やっぱり馬場さんのほうが強いだろう。
義経の、初代タイガーマスクのようなスピーディーな動きは確かに脅威
だが、動きに合わせる必要もなく、最後は重厚な馬場さんが勝つ。
209メートルの馬場さんの底知れぬ実力は、いつの時代にも通用する。
そういうことだ。
106 :
お前名無しだろ:2010/04/20(火) 16:48:35 ID:p+c+cF550
戦国時代は男色が当たり前だったらしいから
馬場さんにとっちゃいい時代かもね
馬場さんは、だいだらぼっちという名前で知られている。
もののけ姫にも登場した。
108 :
お前名無しだろ:2010/04/20(火) 17:26:51 ID:WZ5Vm6xb0
>>105 そう考えてみると堺の国の名物タッグ秀吉&政宗といえども、
ハンディ戦でまとめて相手しそうな風格が馬場さんにはあるよな。
でも実際に実現してみると案外野放図に暴れまわる209メートルの馬場さんを、
足元から好連携で撹乱してなかなか面白い合戦になりそうでもある。
馬場さんが小兵のいくさ人を信用しなかったのは時代がそうさせた面もあるかと。
109 :
お前名無しだろ:2010/04/20(火) 21:27:28 ID:82EO9m360
209メートルってwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウルトラマンよりデカイじゃん、そりゃ戦国最強だよ、世界統一も出来そうだ
110 :
お前名無しだろ:2010/04/20(火) 21:59:39 ID:1sOYqBaC0
身長209m、体重140000トンの巨体から繰り出される1600文キック、3200文ロケット砲は凄い。
鉄砲はもちろん大砲が当たってもびくともしない。
なにより凄いのが、高さ3m、長さ30mの巨大ウンコ。
上から降ってきたら敵は即死だし、一種の城壁にさえなる。
>>110 お前のせいでチンコは何メートルだろう?とか考えたじゃないか。
ジャイアントな馬場さんの精液で溺れたい
馬場が209メートルあったら、馬場の神経伝達速度、脳の情報処理速度をからして
一歩歩進むのに45億年かかるとみた。
114 :
お前名無しだろ:2010/04/21(水) 23:48:23 ID:Bq0fPoKh0
馬場さんが209メートルの身長ならばマラソンで世界記録が出せると思う。
5歩も踏み出せば1km地点到達だ。日本が確実に金メダルを取れる。
走る必要もない。歩いて金メダリスト。当然ながら走り高飛びも金メダル。
飛ぶ必要もない。またぐだけ。100mは1歩で金メダル獲得。
史上最大の超人・馬場さんならば三段跳びを数回やるだけで種子島に到達
し、鉄砲を自国に持ち帰ることが出来る。京都と四国がとんでもない地震に
見舞われ壊滅状態に。室町幕府と長曽我部氏が滅亡してしまう。
普通の人間なら1歩は身長の半分以下なのに、209mの馬場さんは1歩が200mもあるのか。
足が身長の割に異常に長いのか、股関節が柔らかくて開脚の角度が大きいのかどちらなのだろう?
116 :
お前名無しだろ:2010/04/22(木) 09:13:01 ID:PWCDX2tz0
>>114 すでに鉄砲を持ち帰る必要さえないと思うんだが……
馬場さんが209mだと、東京ドームの天井を突き破ってしまうから巨人への入団はないな。
投げるときにテイクバックでセンターを、フォロースルーで、バッター、キャッチャー、審判を
殴ってしまうだろうから危ないしな。
118 :
お前名無しだろ:2010/04/23(金) 03:14:25 ID:Lx9fLDLS0
馬場さんの場合、ジャイアントな身体をコンパクトにまとめて手渡しの要領で投げても
捕手のミットに届いてしまう。打撃妨害とみなされてしまうかも。
戦国時代は飛脚としても重宝されたことだろう。本能寺の変が起きた時なんか、
(1582年6月2日未明)その日の午前中に秀吉の所に報せが届いたそうだから
尋常でない速さだ。
119 :
お前名無しだろ:2010/04/23(金) 10:24:18 ID:pJKaGfYO0
うむ、あの時は播州姫路にいた馬場さんが、
摂津に手を伸ばして受け取った書状を、
備中高松の秀吉に直接手渡したらしいぞ。
馬場さんの最強のフィニッシュホールドであるスモールパッケージホールドをかえした戦国武将は一人もいない
原哲夫が「BABA」とか描いたら滅茶苦茶怖そうだな。
122 :
お前名無しだろ:2010/04/23(金) 17:06:21 ID:pJKaGfYO0
>>121 絶対女性は片手でキングコング握りだ。子どもは指二本で摘むね。
間違いない。
123 :
お前名無しだろ:2010/04/23(金) 17:50:41 ID:AccT9sKUO
燃え盛る本能寺をおしっこで消す馬場さんイカス!
おお巨大な馬場さんにアナルを掘られたい!
125 :
お前名無しだろ:2010/04/23(金) 23:28:55 ID:/LqJ/VpU0
「いつでもどこでも誰の挑戦でも受けて立つぜ、この野郎」と大言壮語していた
のがたたって本能寺の藻屑と消えてしまった信長。
やはり馬場さんのように、デカイことは言わずにリング上でデカイことをやってのける
人がいいね。
馬場なんてただののっぽ
俺のチャカでザクロにしてやるぜ!
と信長が言ってました
馬場さんにアナルを犯され快感にのたうち回る信長
128 :
お前名無しだろ:2010/04/24(土) 11:03:58 ID:tg9z8ekJ0
三方ヶ原の戦いではシュートな馬場さんを確かに見た。
馬場さんの領内に勝手に足を踏み入れた武田信玄にお仕置きの空手チョップを乱打。
信玄は額から大流血。
「他人のリングに勝手に土足で踏み込んで・・・・・・・(領民に)皆さん!
私は必ず信玄と決着を付けます!」みたいなことをマイクを持って喋っていたのを
youtube で見たような記憶がある。
馬場さんに刀狩は必要無い*
馬場さんに太閤検地は 無意味だ☆
130 :
お前名無しだろ:2010/04/28(水) 16:37:56 ID:nSEXjpJu0
馬場さんは実はマリポーサ殺法の高度な使い手。
32文ロケット砲がその片鱗なんだけど、
”あえて”飛び技は封印してる。
ブレーンバスターを封印してるのと同じように。
うんこを影武者に置いといたら見分けがつかなくなり
いつのまにかうんこが殿様になっていて
しかも名君として名を馳せていた
132 :
お前名無しだろ:2010/04/29(木) 22:26:16 ID:65smbypp0
>>130 馬場さんの河津掛けからの河津落とし。
アレ、別名「サイド・ブレーンバスター」いうそうです。
馬場正平(ばば ただひら):生没年月日不詳
生母は甲斐の名家・馬場氏某女。
越後に生まれたとされ、幼少の正平が残した
ホモ小島弥太郎伝説が越後各地に残る。
134 :
お前名無しだろ:2010/05/01(土) 00:18:17 ID:9PiW4GP40
馬場氏の家系図をたどって行くと、たぶん先祖は源氏になるだろう。
意外と源氏ではなく、仕方なく関白になる馬場さん。
馬場さんに大政奉還は必要無い*
馬場さんに尊皇攘夷は 無意味だ☆
ところで
モコは「怪物くん」を見た。
面白かった。
だけど
フランケン役の チェ ホンマンが ダメだね。
体はデカいけど 動きが軽過ぎる。
フットワークが良過ぎる。
だから 小さく見えてしまう。
それに比べて
ジャイアント馬場は 偉大だった。
馬場は 動作がスローモーだから
大きく見えた。
だいたい ゴジラにしても ガメラにしても 大魔神にしても
大きいものは 動きが 遅いんだよ。
そのほうが 大きく見えるんだヨ。
その辺が チェ ホンマンは まだ何も分かっていない*
137 :
お前名無しだろ:2010/05/01(土) 14:02:15 ID:ihwLaBDb0
138 :
お前名無しだろ:2010/05/03(月) 02:34:08 ID:Uxg8gkmp0
>>137 へーえ。感心した。その時々の時勢を読んで、源氏の末裔を名乗ったり
平家の末裔と称したり出来るわけだ。天下を取るのに実に都合のいい。
NWAも馬場さんならば後押ししてくれるだろうし?
>>1 それよりそもそも馬場は存在したか?について考えようぜ
140 :
お前名無しだろ:2010/05/04(火) 10:21:29 ID:/+kH2ujj0
>>138 「馬場」っていかにも武門の家って感じの名前だからね。
他の流れもありそうだし。越後の馬場氏ってのがどの流れなのかは自伝とかで出てないかな?
戦国時代で馬場って言うと馬場信春が真っ先に思い浮かぶな。
全然地域違うけど。
戦国時代には巨人症の手術なんて無かったからメクラになってあんまになっていた
はず。
144 :
お前名無しだろ:2010/05/07(金) 22:30:58 ID:3Qs1x1XX0
馬場が10人いたら日本は戦争でアメリカに勝利していただろう
モンハンみたいに
猪木10人で馬場1人を狩る姿をみたいな
脳天唐竹割で三人くらい吹っ飛んだり
大方苗字が平民でも許されるようになった時に馬場氏に便乗したてとこだろ。
148 :
お前名無しだろ:2010/05/10(月) 17:35:20 ID:Fl/Dnu9t0
馬場氏って便乗するほどの名前なのか?
149 :
お前名無しだろ:2010/05/10(月) 19:12:01 ID:t1VkoT9mO
武田の名将の1人だからな有るよ
150 :
お前名無しだろ:2010/05/10(月) 19:56:59 ID:Fl/Dnu9t0
大方うんこが関西弁でババであることに着目して馬場氏に便乗したってとこだろ
馬場正平(ばば ただひら)
正平の最古の動向が公文書上に現れるのは『美濃国斉藤家諸日記』である。
土岐氏を追放し美濃国主となった斉藤力道三が
稲葉山城下を視察中に糞売り行商をしていた正平を見て、
その巨躯を買って150石という破格の待遇で雇い入れたという。
また『正平公記』によると、
美濃に移り住む以前は、武蔵国で勢力を広げていた読売党に加わり
後楽園砦の投石衆として活躍していたとある。
153 :
お前名無しだろ:2010/05/19(水) 22:19:50 ID:ODplySzw0
川中島特設リングにて、5回に亘り抗争を繰り広げた武田信玄と上杉謙信。
『名勝負数え歌』などと言われているが、結果は毎回お決まりの『両者リングアウト』
だった。当時のプロレスファンも『またどうせ最後は引き分けだろう』と醒めた目で
見つめていた人もきっといたことだろう。
しかし、4回目の対決は1561年のプロレス年間最高試合に選ばれるほどの名勝負
だった。この試合は、良く出来たブックで、山本勘助の引退試合であったとも記憶している。
クライマックスは、謙信の、突然の武田陣への乱入。信玄に斬り付ける謙信も見事だが、
謙信の攻撃を軍配扇で受け止めた信玄の受けの巧さもまた見事であった。
154 :
お前名無しだろ:2010/05/19(水) 22:29:33 ID:ODplySzw0
信玄vs謙信の4回目の対戦は、1本目を謙信が取り、2本目は信玄が取り、1対1のイーブン。
3本目は両者リングアウトだった(やや信玄が最後は優勢とのプロレス評論家の声)。
信玄と謙信は、馬場さんと猪木の関係と同様、一見敵のように見えて、実はかけがえのない戦友だから
謙信が信玄を本当に斬る事など有り得ない。そこには『我々は殺し合いをやっているのではありません。
分かってください!』の願いが込められていたように思われる。
4回目の川中島大会、
あの時、馬場さんが途中で乱入してなかったら
信玄はフォール負けしてたよね。
156 :
お前名無しだろ:2010/05/19(水) 22:50:35 ID:T39YdxMR0
川中島の4回目の激闘は、いつもの引き分けブックだったのを
甲州プロレスの山本勘介がブック破りしてガチしかけようとしたことを
事前に察知した越後プロレスのリーダー上杉謙信が先にガチ仕掛けたのが原因だな
これで、いきなりセコンドも交えた大乱闘になったもんで
あれだけ殺伐とした戦いになってしまった
最大の見せ場は甲州プロレスの武田信玄と越後プロレスの上杉謙信の一騎打ちだな
アレはさすがにションベンちびったと馬場さんも言ってたよ
第四次川中島合戦は武田信繁はじめ何人もの名レスラーを引退に追い込む壮絶なデスマッチだったな
まさかあれほどのビッグマッチが行われるとはな
ブック破りといえば桶狭間大会だろ
金ヶ崎の退き口はいい試合だったな。
織田方が優勢だったが浅井長政がまさかの裏切りという展開。
一見ド派手な織田の敗北だが、怪我をした選手がほとんどいない。
お市の小豆袋とか、秀吉が殿軍に名乗りを上げたとか、ファンが妄想を膨らませやすい試合だった。
160 :
お前名無しだろ:2010/05/20(木) 14:59:10 ID:eLN5sJSt0
当時の合戦はガチみたいに思ってる人もいるけど、
実際は事前の交渉や根回しが非常に大事。
リングに上がるときには勝敗は決していると言うからな。
その点今の試合と変わらないんだよね。
川中島もそうだけど甲州プロレスはのちの長篠大会でも引退続出の大敗北と宣伝してたね。
ぶっちゃけあれって甲州プロレスお得意のブックだったんじゃないの?
実際あんだけ引退に追い込まれる団体なんてほかに見たことねえよ。
その割にマスコミは甲州は層が厚くて戦国最強とか言って意味わからんw
161 :
お前名無しだろ:2010/05/20(木) 23:49:15 ID:RI5BYxaE0
1582年はブッカーが変わったのか、まさかの名レスラー(大レスラー含む)引退が続出した。
@武田勝頼引退試合の天目山・野外特設リングでの試合。甲州プロレス倒産。
A本能寺での特別試合。織田信長、驚天動地の引退試合(息子も二条城で引退)
B『戦国時代のキラー・トーア・カマタ』明智光秀の引退試合(天王山/または山崎の戦い)
名勝負続出だったけど、年間最高試合は、やはり信長の引退試合・本能寺興行だった。
162 :
お前名無しだろ:2010/05/20(木) 23:57:20 ID:RI5BYxaE0
1582年度の年間最高試合授賞式には、織田信長氏も明智光秀氏も欠席した。
約400年後(1978年)の、馬場さんがカマタに反則負けを喫して虎の子の
PWFもベルトを失ったことよりは意外ではない出来事だけど、信長が簡単に負け
ブックを飲んでプロレス界から去ったのは永遠の謎だ。
カマタも明智光秀も天下を取っていたのは僅か11日間(カマタ→1978年6月1日
〜6月12日/明智光秀→1582年6月2日〜6月13日)だった。
>>162 信長は「人間五十年」がポリシーの人だったから、衰える前に引退しようと思っていたんじゃないかな。
そんなわけで光秀に自分を襲うように言い含めるが、実は光秀もウザイから引退させようと思っていて
お気に入りの秀吉に本当の話をしておいて、秀吉が山崎で光秀にシュートを仕掛けたと。
まさか羽柴プロモーションが大型プロから地方インディーまで統一するとは思わなかったな
活躍するとしたらうん国時代の方だろう
166 :
お前名無しだろ:2010/05/21(金) 05:25:59 ID:xyZMZwdN0
>>159 姉川での興行の前フリ宣伝効果がありましたな。
で、結果は当然、織田&徳川軍が浅井&朝倉に勝利、と。
姉川は、馬場さんがブックを考えたら、もっと面白い戦いに出来たのかも。
羽柴プロは斬新な興行が得意だったからな。
高松大会での水攻めは今でも語り継がれている。
キタノタケシプロ所属の上島竜兵氏の得意技
熱湯風呂もあれがヒントといわれている。
168 :
お前名無しだろ:2010/05/21(金) 15:39:13 ID:khhMZzN60
>>163 信長の全盛期での引退を敢行した美意識は凄いと思うよな。
でもその後の秀吉エース路線が信長による禅譲みたいに言うのは当時を知らない若い人なのかな。
実際にはリング内外で熾烈な勢力争いがあったんだよ。
秀吉はライバルだった光秀だけじゃなく大先輩の柴田勝家や滝川一益、
前社長の息子・信孝まで引退に追い込んで自身の地位を確立した。
一益に至っては引退試合もやらせて貰えなかったのは可愛そうだったよ。
169 :
お前名無しだろ:2010/05/21(金) 17:13:02 ID:e576m9OrO
確かに(笑)
信長プロが全盛期で身を引いたのは立派だった
その点秀吉プロは晩節汚しまくったな…
弟子の加藤等に煽られた部分はあるにせよ、中国インドまで大阪プロレス根付かせようとしたのは無茶しすぎ
>>168 丹羽長秀も引退試合がなかったよね。
信長時代の末期からはジョバー扱いだもんな。
頼朝ファンクJrと義経ファンクの兄弟喧嘩シリーズも面白かったな。
最終日の中尊寺大会のブッチャーの仁王立ちは今でも語り草。
172 :
お前名無しだろ:2010/05/22(土) 01:14:37 ID:ZihOhG4g0
>弟子の加藤等に煽られた部分はあるにせよ、中国インドまで大阪プロレス根付かせようとしたのは無茶しすぎ
確かにw
しかしろくなレスラーはいないと思ってた朝鮮半島に李舜臣みたいな選手が隠れてたのは驚いた。
亀甲船デスマッチで負け知らずの快進撃、島津義弘選手がのちの関が原大会で抜擢されたのも彼との名勝負あってかもね。
>>170 でも丹羽長秀ってあんまり名勝負が残ってなくない?
名レスラーとして身内の評価は高いけどあんまりパッとしない選手だったような。
でも本能寺大会直前のブックは久々に燃えたな。
信長ジュニアの一人信孝とタッグで四国プロレスに殴りこみってヤツ。
結局社長交代でウヤムヤになっちゃったけど。
>>172 丹羽長秀はどっちかっていうとフロントとして重用されてたんじゃないかな
当時の一等地だった安土に本社を構えられたのも、丹羽の手腕だったらしいし
信長社長の電撃引退がなかったら、後任社長にすらなってたんじゃないかと
俺は思ってるんだけどな
織田四天王プロレスの一員で江戸プロレスの時代まで家名を存続できたのも丹羽家だけだな
>>173 光秀に関してもそうだがフロント業務っていうのは地味だし、
なかなか多くを語られることはないから、思わしい評価というのは得られにくいのかもな。
176 :
お前名無しだろ:2010/05/22(土) 03:15:20 ID:aTejzSy60
頼朝ファンクジュニアと義経ファンクの抗争を考えたのはたぶん後白河法皇、って
戦国プロレスの話じゃないし・・・・
丹羽長秀は一応、木下藤吉郎が新しいリングネームに変えた際に一字を取って
羽柴秀吉としたくらいだから、セメントではかなり強いレスラーだったのではないか?
177 :
お前名無しだろ:2010/05/22(土) 06:04:16 ID:iJ65K9XNO
秀吉プロ亡き後の大阪プロレスのフロントと現場のレスラーの対立はヒドい(笑)
178 :
お前名無しだろ:2010/05/22(土) 06:57:30 ID:PyAUb+cU0
島津義弘をロープに振ったら戻ってこないで薩摩までリングアウト負け
しちゃったよ、と家康さん、ぼやいていたな。
179 :
お前名無しだろ:2010/05/22(土) 08:13:54 ID:ZihOhG4g0
>>173-176 なるほど、そういうタイプのレスラーはファンには判りにくくても団体には絶対必要なんだろうな。
実際丹羽長秀悪く言う人とか見たことないし後輩の面倒見とか良かったんだろうな。
ところで
>>173が言ってる後任社長の噂ってのはマジ?
オレはてっきり信長ジュニア・信忠が社長って線で固まってたと思ってただけに本当ならショックだわ。
親父から王座も引き継いだり長年ライバルだった甲州プロレスとの決着戦も一人で戦い抜いたし。
親父とはくらぶべくもないけどなかなかの名選手だったよな。
あの後継者二代目エース路線ってブックだったわけ?
>>177 オレもあの頃のゴタゴタで急速に興味が失せたよ。
選手のスケールもどんどん小粒になってせいぜい7本槍5奉行あたりまでかな。
結果的に大阪プロの最終興行になった大阪城夏秋二連戦とか義務感で見てたけど酷いもんだった。
その後江戸幕府プロレスの三代家光とか知恵伊豆とか出てきたけどどんな試合してたかも覚えてないわ。
180 :
お前名無しだろ:2010/05/23(日) 23:49:30 ID:kJAHJMU30
織田信忠は父親には劣るけれど、かなりの実力者。当然ベルトを巻けるものと思っていた。
信長の唐突の引退の影で目立たなくなってしまってるけれど、全く同じ日に息子まで引退
してしまったのは信じられない思いがする。この息子が健在ならば、サル(シングルでは
全く弱い筈)もあそこまでのさばることもなかっただろうに。
秀吉自身はガチはあまり強くないだろうな。
しかし勝ちブックを得るためのブレーンは優秀。
派手で見栄えがいいパフォーマンスやインサイドワークに長けた試合運びはメインイベンターに相応しい。
経営者としても人材の育成にも勤しみ、セメントに強い若手や優秀なフロントを輩出したが、
結局は業界お得意のお家騒動が起こってしまい、そこを徳川プロにつけ込まれて団体を潰すことになってしまったな。
182 :
お前名無しだろ:2010/05/25(火) 20:52:31 ID:myA1TuCh0
ガチ云々どころかけしてシングルでの勝率は高くない。でもやっぱりプロレス頭は群を抜いていたよ。
当時NO.1の実力者徳川とは時間切れ引き分けで良いって発想は他のレスラーにはできないよ。
その一戦を経て徳川と最強タッグ結成で自分を徳川以上の実力者と位置づけた。
もっともその所為で最強論が根強い徳川の独立に後継者達はなすすべなかったのは確か。
>>179 当時No1の会場である大阪城を使ったのに、イマイチだったな。
夏の陣はラストで大阪プロレス側フリー達が頑張って盛り上がったけど。
184 :
お前名無しだろ:2010/05/26(水) 03:30:30 ID:pK8waDoO0
セメントでとんでもなく強かったのが意外にも足利義輝(13代室町プロレス社長)。
松永久秀軍の強襲を受けて「もはやこれまで」と覚悟した義輝は、ありったけの刀を集めて松永
の手の者を斬りまくった。刀というのは、刃こぼれや、相手の身体の脂などで、時代劇のように何人
も一つの刀で斬りまくれるものではない。そのことを熟知していた義輝こそは究極のガチレスラーだった。
惜しむらくは、義輝はシングルでは鬼のように強いが、優秀なタッグ・パートナーに恵まれなかったこと。
最後は力尽きて、不本意な形での引退試合となったが、一対他の究極のハンディキャップマッチで「勝て」
というのが酷な話である。のちに猪木も1対3というハンディキャップマッチを敢行しているが、義輝から
すると「カワイイ」レベルである。負けても「ハンディキャップマッチだから」と言い訳が利き、猪木には
最初から傷が付かないのだから、ラッシャーさんも遠慮せずに猪木をボコボコにしてしまえば良かったのだ。
185 :
お前名無しだろ:2010/05/26(水) 21:18:13 ID:T5tE9XNM0
>>184 たしかに二条御所の引退試合は見事なブックだったけどガチとかセメントとかw
昭和プオタは本当にそういうの好きだね。
戦国の世でも今も名レスラーの条件はそんなものではないよ。
186 :
お前名無しだろ:2010/05/27(木) 03:36:00 ID:D7iOPuQo0
柴田勝頼、じゃなくて柴田勝家の引退セレモニーは、カッコ良かった。
10カウントゴングが鳴り響く中、己が腹を十文字に掻っ捌いての切腹
パフォーマンス炸裂だ。この時、主君の妹に当たる、お市の方も勝家と
運命を共にしたのは実に興味深い。秀吉は、お市争奪戦では永久に敗者
となってしまったのだ。
>>186 そういう意味では茶々が激しく憎むはずの秀吉に嫁いだのは、
浅井の血を引く物を天下人にするための、ある意味リベンジブックと書いていた小説があったなあ。
188 :
お前名無しだろ:2010/05/27(木) 10:45:11 ID:cnuGgUVW0
こう見ると当時のレスラーにとって引退セレモニーっていかに重要かって判るよね。
柴田勝家と先に出た丹羽滝川あたりとの知名度の差って結局良い引退試合出来たかだし。
>>184も引退試合一発で足利義輝を名レスラー扱いしてるし。
(彼は傘下団体に全て独立され近畿ローカルだった室町プロを切り盛りした点はもっと評価されて良い)
もこっちです*
えー、 ととのいました!
ジャイアント馬場と かけまして
ハイギョ(肺魚)と とく。
そのこころは
どちらも手足が細い☆
もこっちです*
7月11日になりそうな3年に1度の参議院大会が楽しみになってきたな。
191 :
お前名無しだろ:2010/05/27(木) 22:31:46 ID:QhhqTN9S0
室町プロは各地のプロモーターによる連合政権でしかないからな。
頂点に立つ足利会長家のテリトリーは後の徳川プロとは比べものにならないほど小さく、
中央集権的な一元支配には遠く及ばない支配体制だったな。
足利会長家の権威の失墜に合わせるかのように、古参のプロモーターらも落ちぶれていき、
いつのまにかテリトリー制が崩壊してしまったな。
192 :
お前名無しだろ:2010/05/28(金) 00:18:18 ID:AxdTAs1o0
天下統一の最後の戦対家康の長期戦の最中
謙譲された人魚の肉を食べた不老不死となった馬場正平長顔は突如悟りを開き
加賀の山奥に隠棲し、八百馬場尼と呼ばれるに至りここに伝説中の
人となる。事ある毎に時の政権にその巨体を利用され、黒船来襲時は
横浜沖でことごとく撃沈し、日露戦争では対馬沖で待ち伏せしていた馬場が
当時世界最大のバルチック艦隊をおもちゃ同然に蹂躙し、日本帝国に
勝利をもたらした。先の太平洋戦争では東京の防空兵器として配置され
飛来したB29の大編隊を片っ端から馬場チョップで叩き落とした武勇伝
は有名。彼の功績によって東京は第三の被爆都市となることを免れた
壮絶なゴジラモスラ連合軍との死闘の跡しばらく休養をとっていたが
風呂場でコケ、使用不能になった
193 :
お前名無しだろ:2010/05/28(金) 00:31:58 ID:kNCHaWq70
>>192 あれ?オレの聞いたのとちょっと違うな。
戦後すぐまでも記録はほぼ聞いたとおりだけど。
故郷越後で休養中の馬場に巨人軍が対メジャーリーグの切り札として声をかけたんでしょ。
でも合宿所の風呂場でこけてプロレス入りしたって聞いた。
1960年に風呂場でコケたときは巨人軍を自由契約になって大洋の練習生だったんだよ。
あれぐらい大きいと巨人という枠には入れなかったようだ。
こけたときの衝撃がチリ地震を引き起こしたと言われている。
195 :
お前名無しだろ:2010/06/01(火) 23:55:59 ID:9Xs2r7vl0
1600年という、節目の年に、関が原野外特設リングで行われた徳川家康と石田三成の
一戦は、結果だけを見れば「予定調和」というか、家康の順当勝ちに終わったが、私は、
石田三成の底知れぬ実力者ぶりに舌を巻いた。
家康と三成と言えば、相撲で言えば横綱と関脇、将棋で言えば竜王・名人とB1指し分け
クラスくらいの格の違いがあるだろう。てっきり家康が圧勝するものと思っていたら、三成
の、賞賛に値する大善戦だった。この勝負は、勿論、この年の年間最高試合だが、半分以上
は、三成の大善戦に対しての『ご褒美』の意味合いがある。
あと、小早川秀秋が偉い! 世間では、未だに小早川秀秋のことを『裏切り者』などと批判
しているようだが、小早川秀秋は、既に決戦開始のゴングが鳴る前に徳川プロレスへの移籍
が決まっていたのである。ただ、ハンセンが新日から全日へ移籍した時と同様、世間が知ら
なかっただけだ。小早川の徳川プロレス移籍の手応えがあったから、もっと言えば、勝算が
あったから、家康は、徳川プロレス跡取り・三男秀忠の到着を待たずに試合開始のゴングを
鳴らしたのである。
「小早川の裏切りがなければ、三成は家康に勝てたのではないか?」という世論が巻き起こ
ったということは、つまりは、小早川が三成のレスラーとしての評価を高めてくれたのである。
引退試合で、最高のパフォーマンスを発揮出来た三成。彼は草葉の陰で己の商品価値を高めて
くれた小早川秀秋に感謝しているに違いない。
196 :
お前名無しだろ:2010/06/02(水) 08:01:46 ID:0AjU/WpW0
家康と言えば、馬場さん、将棋の大山康晴と並んで『忍』という言葉が似合う人
だったけれど、関が原の時は「らしくなかった」。長期戦になればなるほど持ち味を
発揮するマラソンランナータイプの家康が短期決戦に出て、一日で決着をつけてしまった
のは、まったく意外。相手の手を殺してからジワジワと優勢を拡大するのが本来の家康。
やはり59歳という年齢からくる衰えを考慮したのだろうか。
馬場さんや家康には、ジャンボ鶴田の持つ『鳴かぬなら そのうち鳴くよ ホトトギス』
の精神は宿っていない。艱難辛苦の末に頂点にたどり着いた家康。しかし、レスラーと
しては下り坂にさしかかったことを自分自身では分かっていたのだろう。幕府を開いてから
僅か2年で息子にベルトを禅譲している。
関ヶ原興行は面白かったなあ。
試合開始早々の島左近の負傷でビックリ。島津の不穏な行動。
小早川の裏切り直前、誰もが忘れかけていた「爪を噛む」というムーヴを家康が久々に見せたのも地味にワロタ。
198 :
お前名無しだろ:2010/06/02(水) 09:03:50 ID:8WfphVg8O
関ヶ原興行は良いね
七将による石田三成大阪屋敷襲撃事件や直江兼続の家康に対するスキャットとか、前興行から素晴らしい
199 :
お前名無しだろ:2010/06/02(水) 09:18:57 ID:0AjU/WpW0
大谷吉継なんて人もいたような。ハンセンにやられちゃった人。
関が原直前に伏見城で寝た鳥居元忠も捨て難い。この人、家康よりも3歳くらい年長
で、まだ家康が「竹千代」なんてリングネームだった頃、自分はまったく悪くないのに
癇癪を起こした竹千代にブン殴られたことがある。自分のほうがセメントでやればずっと
強いのに「家来だから」と悔しさをこらえて我慢したらしい。元忠の父親は「勇ましいこと」
と笑っていたようだが家康の祖母(家康の生母・於大の母)は激怒して激しく竹千代少年を
叱り付けたらしい。元々は癇癪もちだった家康が我慢強い性格に変化したのだが、関が原の時は
昔の片鱗がチラッと出てしまったということだろう。
鳥居ファンク元忠は、終生変わらず、家康の影に徹して生涯を終えた。その献身ぶりに感謝の
気持ちを抱いていた家康は息子の鳥居ファンク・ジュニアをたいへん厚遇して、父・鳥居ファンク
の生前の恩に報いたらしい。
200 :
お前名無しだろ:2010/06/02(水) 23:37:11 ID:kE7PQtHU0
関ヶ原興行は大津城興行、長谷堂城興行、上田城興行、田辺城興行等前興行も含めて各地で名勝負が行われてるのがすごいよな
大谷吉継の見事な引退試合は、ハンセン病に苦しむ人々に大きな希望を与えただろうな。
昔は差別や偏見が半端じゃなかったから。
でも『小人プロレス』が人権団体に潰されてしまったように
ハンセン病関連団体からの批判を受けて
今は大谷さんも自分がハンセン病だっておおっぴらに言えないんだってね。
203 :
お前名無しだろ:2010/06/07(月) 22:36:31 ID:kxx/C0jh0
何しろハンセンは戦国時代も凄まじく猛威を振るったからなあ。。。
斎藤道三の息子(実はかなり怪しい)義龍もハンセンにやられてしまって。
『マムシの道三』と言われた悪党レスラーの道三が「ハンセンは恐ろしい」
と漏らしていたのも本当らしいし。
204 :
お前名無しだろ:2010/06/08(火) 17:40:09 ID:dqji3+7u0
ハンセンも凄かったが、砲丸も凄かっただろ。
205 :
お前名無しだろ:2010/06/10(木) 10:40:31 ID:BGMM/r990
>>184 マジレスになるが、剣道段持ちの作家津本陽が豚を試し切りして
試した話によると別に脂で切れ味が落ちることはなかったとのこと。
ただ、血だの脂だのを放置しておくとあとで切れ味が落ちることはある。
206 :
お前名無しだろ:2010/06/11(金) 00:08:51 ID:baiD0D2Q0
>>205 脂は嘘なんだよね
何本も刀を用意するのは
曲がったり折れたりするからなだけで
近藤だって池田屋の後の手紙で曲がった折れた刃こぼれした言っても
脂で切れなくなった言ってないしな
207 :
お前名無しだろ:2010/06/15(火) 23:10:21 ID:L5NUwKgR0
血のりで切れなくなるんじゃ?
試し切りした豚って血抜きしてあったりして。
どんな名刀も馬場さんが持っていた名刀・唐竹割りには敵わないな。
2mの長身から相手の脳天に振り下ろしてバッサバッサと切り倒しても、
サビるなんて事は一切なかった。
209 :
お前名無しだろ:2010/06/18(金) 22:31:04 ID:uKvCRlPy0
耳にも打ち下ろすことがありましたからね(俗に言う「耳そぎチョップ」)
馬場さんもデカイが斎藤義龍も六尺五寸の大男だったらしい。時代背景を考慮
すれば(平均身長160センチくらいの時代?)馬場さん並に凄い筈。
二人がシングルで対戦すれば恐らく馬場さんの反則勝ちに終わるだろう。
210 :
お前名無しだろ:2010/06/30(水) 12:24:43 ID:zqSkPbHT0
いい加減、ネタが尽きてきたようなので、ここから先は
「幕末に生まれていたら」で。
>>206 高校時代に肉屋のバイトしていて血や脂部分も切っていたので、歴史ヲタの自分は
「肉屋の包丁ですら血や脂がいくらついても平気なのに、日本刀はそんなにダメなのか?」と思った。
212 :
お前名無しだろ:2010/06/30(水) 22:16:21 ID:Tp0vt7g+0
戦中の軍刀を補修してた人の記録でも日本刀は一回実戦を経ると補修が必要だそうだ。
ただそれは切れ味が鈍るからではなく
>>206が言うように折れたり曲がったりらしい。
そこまで行かなくても柄の目釘が緩んだりして連戦は出来ないみたいよ。
213 :
お前名無しだろ:2010/07/02(金) 10:05:48 ID:vmhiLUEv0
214 :
お前名無しだろ:2010/07/02(金) 10:07:39 ID:vmhiLUEv0
>>212 その軍刀を補修した人の著書らしい
成瀬関次「戦ふ日本刀」より
或る暑い日であつた。開封城内の修理班へ時目といふ変つた姓の少尉が
自身刀を持つて修理にやつてきた。苗田藩槍一筋の家に生れたと云つて
ゐたから、加賀百万石か、それとも支藩大聖寺、富山、上州七日市の
前田かそれは聞き漏らしたが、無銘古刀の武家伝来らしいよい刀を持つて
ゐた。それで南京攻略の軍中三十七人を斬り、徐洲戦で十人、都合四十七人を
手にかけ、縛り首は一つも斬らなかつたといふ。少尉の物斬り話には、
傾聴に値するものがあつた。
馬場さんが戦国大名だったら
駕籠での御忍びの移動でも
駕籠のサンルーフから頭を出ちゃうな
216 :
お前名無しだろ:2010/07/13(火) 10:51:19 ID:qmKcKeEO0
美人女子プロレスラー・細川ガラシャ夫人の引退試合は美しすぎて
多くのファンの涙を誘ったものだ。
馬場の政所・元子君にもガラシャの半分くらい品性があったら・・・
218 :
お前名無しだろ:2010/08/21(土) 04:43:55 ID:MNgvawV70
ガラシャの父親はなんと明智光秀なのだな、これが。
あの信長が大絶賛して
『ハゲ、そちには過ぎたる娘じゃ』
と光秀に言ったらしい。
219 :
お前名無しだろ:2010/08/25(水) 19:33:26 ID:JslGbVz50
220 :
お前名無しだろ:2010/08/25(水) 20:29:01 ID:8ewEjTtx0
>>36 3歩で新潟から琵琶湖まで行けるよなwww
221 :
お前名無しだろ:2010/08/26(木) 01:41:39 ID:1eelZfjG0
信長は明智にピンフォールを許さなかったよな。
永久場外リングアウトで 因縁を残しといたからな。弟子の秀吉に
222 :
お前名無しだろ:2010/08/28(土) 23:40:10 ID:n5ZAbgzD0
その明智は秀吉にリングアウト負け。
場外で、土民に『三股の槍・アックスボンバー』を食らって場外憤死。
たぶんリングアウト負けでもタイトルが移動するPWFルールを採用していたんでしょうね。
223 :
お前名無しだろ:2010/09/12(日) 03:00:30 ID:5lU1jXAg0
不透明決着が大好きな私としては、あっさり完全決着してしまった
桶狭間や長篠や山崎や関が原のブックには納得がいかない!
プ板の懐かしい臭いのするスレw
225 :
お前名無しだろ:2010/09/12(日) 16:23:15 ID:wZ+No4Ow0
桶狭間は信長によるブック破りか怪我によるブック変更の線が濃厚。過去ログにも有ったはず
長篠は信長軍団最強を印象付ける為のスカッシュマッチ。
社長を失った甲州勢への信長の仕打ちは猪木新日の国際軍団への扱いと同じか。
関が原は毛利吉川の露骨なタッチ無視とか小早川の唐突な裏切りとか結構不透明じゃなかった?
挙句試合が終わって大将の三成が退場した後も島津が怒り狂って大暴れ。
制止する徳川方に当り散らしながら控え室じゃなく明後日の方向へ退場したのは意味不明だった。
関ヶ原で豊臣本隊に引導を渡した家康率いるTEAM 1600だけど、
次期エースの秀忠だけは
控室そばの通路で真田昌幸組長にボコられててリングに上がれなかったんだよな。
周りに榊原康政や本多正信といったレスラーもいたのに一方的にボコられたなんて
なんかキナ臭いんだよなぁ。
テレビには映ってなくて、週プロの記事だけってところも。
ミスター忠隣あたりがその辺の裏事情を語ってくれないものか。
227 :
お前名無しだろ:2010/09/16(木) 03:34:39 ID:zT0N8rXn0
しかし、その5年後には、しっかりエースの座を継承されていた秀忠。
そんなにレスリング・センスもなさそうだし、セメントでも強いとは思えない
のに、何故かベルトを巻いた。プロモーターの意向に従順なので、使いやすい
王者なのかも知れないが、いささか腑に落ちない部分がある。
228 :
お前名無しだろ:2010/09/16(木) 09:45:19 ID:l8naZvlj0
徳川プロ次期エース争奪ランブルの不透明さは異常。
長男信康 母築山殿の大技・信玄に内通が誤爆→KO
次男秀康 養子縁組からのオーバー・ザ・トップロープ
ろくに防衛戦もせずに王座に20年間君臨、息子に王座を譲ってからもフロントとして事実上団体を支配した。
>>226 上田城をシカトしなかったのが、不穏すぎだよな。
スルーしたら真田軍が奇襲かけてくる可能性があるにしても、だからどうしたと言う位の戦力差だったし。
230 :
お前名無しだろ:2010/09/17(金) 03:03:54 ID:ds9i3eJo0
家康と築山御前の対立はアングルかと思ってたらガチだったみたいで驚いた。
身分の高い(家柄のいい)女に懲り懲りした家康は築山を反面教師にして
以後、女でつまずくことはなかったようだ。
十六文銭の家紋か
真田家を軽く越えてるな
232 :
お前名無しだろ:2010/09/17(金) 06:45:50 ID:olQkKN6KO
武田騎馬軍団はプロレス最強幻想と似ている。
>>232 ベテランレスラーが酒の席で若手に語る自身の武勇伝なんて、信長の三段撃ちとか鉄砲三千丁とか
そんなレベルの話なんだろうな。
234 :
お前名無しだろ:2010/09/18(土) 11:39:24 ID:CeLimEty0
2メートルのホモなんてキモいだろ
ナタで頭割られてクタバレ
デカいだけで使えないから盾にでもなってもらってさっさと死んでもらう
236 :
お前名無しだろ:2010/09/18(土) 13:15:21 ID:KZNZOeZF0
>>232 冷静に戦績見るとそんなに勝ってないけど当時からやたら評価は高かったらしいね。
武田家だけはガチとか道場伝説とか言われてたんだろうな。
>>233 三千丁は明らかに加筆だが、多段撃ちは中国の弩、西洋のクロスボウの時代から
それなりに使われた極めて現実的な方法だぞ。
>>237 いや、現実的な方法というのは分かるが、単に長篠の闘いで多段撃ちは使われていないと言うだけの話。
思いっきり板違いになるが、三段撃ち(確か佐々成政)と鉄砲三千丁のどちらの虚構がいつ頃作られたのか
今度図書館行って調べて見ようと思う。なんとなく
>>232の武田騎馬軍団という虚構と関係ある気がする。
スレ汚しスマン。
239 :
お前名無しだろ:2010/09/18(土) 23:43:11 ID:368ZkfQj0
馬場さんとも戦国時代ともぜんぜん関係のない書き込みで申し訳ないのだが、
1274年と1281年に起きた「元寇=蒙古襲来」のブックは、なかなか
秀逸。当時恐らく実力世界一と思われる蒙古軍が負けブックを飲んだのが
意表を突いている。敵地での戦いなので、日本に花を持たせたのか。
台風によるアクシデント的な負けを強調することで、蒙古の商品価値を損ねる
こともないし、なかなか、このブックを考えた人は偉大だと思う。
本当にスレ違いで申し訳ないのだが。
240 :
お前名無しだろ:2010/09/18(土) 23:51:56 ID:ThsZn5ob0
百姓の家とかに生まれてたら、それこそ24が書いたように
間引きされるか見世物小屋か、村でいじめられながらひっそり
暮らしたとかだろうけど、ある程度身分のある家に生まれてたら、
性格的に戦場で大暴れするタイプじゃないと思うけど、人柄から
周りから信頼を寄せられ、上杉家の重鎮になっていたような気がする。
猪木はどんな身分に生まれてても、
姑息にしぶとく下剋上を成し遂げてそうイメージ。
最強はやっぱり、ここでもジャンボ鶴田が幻想を抱かせる。
笑顔で敵兵を殺戮し、そして勝ち鬨のオーッ!
>>240 猪木と秀吉とゴキブリの生命力はハンパではないよな。
242 :
お前名無しだろ:2010/09/19(日) 10:04:05 ID:jvab339Z0
当時、中国大陸南部の海岸線で暴れまわった倭寇が
馬場さんのわらじとウンコを借りていったのは有名な話
脅しにつかわれた馬場さんのわらじは、村人が持ち去って
家のやね代わりに使ってしまったので、さほどの効果は無かったが
海岸に置かれたウンコはやがて腐り、四方50kmの草木鳥獣が
死に絶えたそうな
マサさんは野武士集団の頭
熊の毛皮を被った100人力の喧嘩自慢
立身出世の機会を求め全国を旅している途中の猪木に対し
追い剥ぎをしようと山道で襲いかかって返り討ちにされ
泣きついてくる副頭領かつ弟役をヒロさん
あっ、ヒロさんは少しランクが落ちるので、
熊じゃなくて、猪の毛皮を被ってる
応仁の乱は、@両者リングアウトでもなく、A時間切れ引き分けでもなく、
B両者レフェリーストップでもなく、C両者同時ギブアップでもなく、
D無効試合、が正式裁定だったと、私は思います。
>>245 同意。組む相手が途中で入れ替わったり意味不明な闘い。
結局室町幕府を衰えさせただけの誰得な闘いだった。
247 :
お前名無しだろ:2010/10/01(金) 00:44:10 ID:BTbtX2Hs0
あんなショボいカードを京都みたいな大会場を使用して行ったのがそもそも間違い。
観客は500人程度の小規模会場で行って、関が原のように短期決着というブックを
書くべきだった。
私個人は、ブルーザー・ブロディ武将とジミー・スヌーカ武将との合戦に突然ジャンボ
鶴田武将が乱入したような不透明決着は大好きなのだが。要するに応仁の乱は5流レスラー
同士の塩試合でスターが絡まないから、個人的に嫌なのだ。
>>247 基本コンセプトとしては大将に細川勝元、山名宗全というトップレスラーを据え、
両軍の代表は将軍家が絡むお家騒動というスケールの大きい物だったが
勝元、宗全以外のレスラーがイマイチな上に、道楽将軍義政、銭ゲバ富子というギミックも
生活の苦しいファンには受けなかった。
当時の名記者である興福寺別当尋尊も
「いくら頭をひねっても応仁・文明の大乱が起こった原因がわからない」
と書くぐらいイミフな闘いだった。
249 :
お前名無しだろ:2010/10/08(金) 23:49:08 ID:roe4kCL60
どっちも負け役を拒否したのが間違いの1つ。
細川・山名の相打ち→両者壮絶な引退、という絵を描いたら少しはマシだったのかも知れないが。
250 :
お前名無しだろ:2010/10/10(日) 03:29:49 ID:Zhz26eUw0
信長は秀吉相手に寝るのは嫌だった。また、信長と秀吉を直接戦わせたら、師匠に反逆する弟子
という構図になってしまい、秀吉が大ヒールになってしまう。王座を手にしても大衆の人気は得
られないだろう。
そこで信長→光秀→秀吉と王座を動かした。光秀はワンポイント・リリーフであったが、信長が
光秀相手ならば、と寝ることを承諾した高評価ぶりが興味深い。
>>250 光秀もあの働き盛りの時に、良く引退をOKしたよな。
あの人は抜群の力量の割に地味だったから、敢えて稀代の大ヒールとなってド派手に引退する方が
レスラー冥利と思ったのかも知れない。
チラ裏だが、太閤立志伝2をやったときに、突如今までにないような危機感溢れるBGMが流れ出したときは一発で
本能寺の変キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!って思った。
400年以上後のゲームでも、こんなゲーム中で最大のイベントの主役として扱われるんだから
成功したと言っていいだろう。