初代タイガーマスクとライバル列伝5

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213山崎一夫・談 1
佐山さんの付き人をやり始めたのは、確か僕がデビューする前からだったと思います。
それ以前は、「付き人っていうのは、こういうことをするんだ」っていう勉強の意味で付き人の
補佐をやってたんです。藤波さんの付き人が仲野の信ちゃんだったんですけど、仲野さんの下に
付いてやったり、新倉さんが坂口さんの付き人で、その補佐をやったりしてました。あと猪木
さんの付き人が前田さんから高田さんにバトンタッチする時にも、自分がずっと補佐みたいな感
じで付いてました。
それで、81年の春に佐山さんがタイガーマスクとして帰ってきて、一番最初のダイナマイト・
キッドとの試合は、僕らにとってもすごく衝撃的でね。実はその頃、僕らもタイガーマスクの正
体を知らなかったんです。まぁ、知ってた人は知ってたんでしょうけど、僕は知らなくて、「す
ごい人がいるもんだなあ」と思いましたね。最初は一試合だけっていうことだったみたいですけ
ど、新間さんの命令で「もう日本に帰ってきて、タイガーマスクとしてやれ」ということになっ
たらしいんです。その時、たまたま僕がフラフラと補佐をやってたんで「じゃあ、お前がちゃんと
付き人に付け」って言われたんです。
ほかの人の補佐に付いている時に「付き人っていうのは大変なんだなあ」と思ってたんです。洗
濯したり、背中を流したり、いろんな世話をしなければいけないですからね。でも佐山さんの場
合は、非常に楽な付き人で、お金も儲かるんです。
超人気者のタイガーマスクの付き人で、みんなからうらやましがられたんですけど、洗濯とかい
ろいろ世話をすると、たまに小遣いをくれるんです。たぶん当時、タイガーマスクのサイン会の
ギャラは30〜50万円ぐらいだったと思うんですけど、付いて行くと佐山さんは必ず、
僕と司会をするケロちゃんに1万円ずつくれるんです。あの人から貰ったお金で1万円札以外、
見たことなかったですから。「シャンプー買っといて」って1万円、「洗濯頼むね」って1万円、
「今日はありがとう」って1万円。