70年代のアントニオ猪木 5

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434お前名無しだろ
>>431
いや、こういうことだよ。日プロ時代は、力動山対木村戦のような、あと味の悪い試合があったので
日本人対決というか同門対決はしないようにしてた。
それは全日プロの初期も同じだった。トーナメントでも別グループで大熊対小鹿なんかの試合があるはずの時でも一方が棄権とかで試合を避けたりしていた。

同門対決のタブーを破っていたのは国際プロが最初だけど、新日も猪木対坂口戦など同門対決を普通にやって名勝負を作ってた。
猪木にしてみれば、せっかく馬場と同時代にいながら試合のないまま避けるなんて
プロとしてどうか?日本のプロレスをもっと盛り上げれるのにと?と思っていただろうわけだよ。

のちの時代になると、新日の藤波vs長州戦だけじゃなく全日でさえ鶴田や四天王で同門対決として名勝負が生まれるようになる。
猪木の馬場への挑戦は、それをもっと早くに時代を開けたかっただけだろう。
もし馬場戦が実現していたらハプニングが好きな猪木なら壮絶な反則負けとかやったかもしれない。
迷わず行けよ行けばわかるさ!の精神を持っていた猪木と、石橋を叩いても渡らない馬場だったというだけだね・・・。

>>428
それまではタッグで相手側につかまり血まみれになるのは吉村の場合が多かったように思う。