週プロ ヤスカクコラムから
老犬になったワカを三澤トレーナーが道場から引き取る事になったのは、
ワカの世話をする者が誰もいなくなったからだ。
ワカは道場の裏に設けられた柵の中で飼われていたが 、
いつの間にか散歩も連れて行ってもらえなくなり、体も洗ってやらないので、
皮膚炎で毛が抜け落ちてしまうほどだった。
道場の誰もが面倒を見なくなったワカ。
それを見かねて近所の人が食事の世話をやってくれていたらしい。
そんなワカが、ストレスが原因なのか骨肉腫になってしまった。
近所の人が医者に連れて行ってくれてわかったのだ。
左足が腫れ上がって、その激しい痛みで鳴くワカがあまりに不憫だったという。
時折、柵から逃げて近くに住んでいた三澤の家にやってきた。
しかしその三澤が横浜市に引っ越した事で、ワカは行き場を失ったようだ。
このままワカをほおっておくこともできない。
近所の人が「治療費もかかるからどうしたらいいか」と相談にきた。
もともと道場の飼い犬なんだから、その方に申し訳ない話だ。
三澤は選手会で対策を考えたほうがいいんじゃないかと提案した。
だがなんと選手会から出た意見は
「保健所にもっていけばいいんじゃないか」
というものだった…。
「そんな馬鹿な… これが今の新日本なのかよ!」 三澤は愕然とした。
獣医によれば「ワカは余命半年。
できるなら外ではなく家の中で飼ってあげてほしい」ということだった。
…
当初、道場にはワカの散歩当番もあった。
聞けば2002年くらいまで散歩番があったらしいが、
それ以降は忘れ去られたようにほっておかれたらしい。
要するに「見捨てられた」のである。
三澤はワカを看取ってやろうと決意した。ワカはもともと道場で飼われていた犬だ。
だからみんなで治療をしてやろうじゃないかとカンパを募った。
西村、吉江、カシンが快くカンパ金を渡した。
新日を退社した上井氏もワカには思いがあったようだ。
直接道場には関係が無いのにわざわざ三澤の家までカンパ金を届けにきたという。
さらに天山、平田、田山、小林邦明さんも協力してくれた。
人間というのは口ではかっこいい事を言うが、我が身に関係が無いとなにもしない。
それを責めている訳じゃなくて、それが人間なのだ。
三澤はワカと一緒にモモ(雌犬)も引き取ることにした。
これまでワカとモモは一緒に暮らしていた。
ワカがいなくなってしまうと、モモが一人ぼっちになる。
それはかわいそうだと思ったからだ。
ワカの世話は大変だった。夜中の痛みで「ク〜ン ク〜ン」とよく鳴いた。
しかし薬で痛みがやわらぐとワカは幸せそうに寝そべっていた。
三澤家の家族はワカの事が心配で寝不足になっていたが、
安心して眠っているワカを見てホッとした。
最初の頃は、まだ散歩も出来たが、そのうち歩けなくなっていた。
2月に入って老犬ワカは「ク〜ン」と鳴く元気もなくなって
静かにリビングに寝そべっているだけとなった。
3日夜8時過ぎ
三澤夫人の由紀さんが風呂から上がった時、すでにワカは息をしていなかったという。
ワカは火葬された。道場には直接関係ないがワカの世話をしていた近所の人が参列してくれた。
しかし、道場関係で参列したのは三澤夫妻、吉江夫妻のみだった。寂しい別れだった。
本来なら、ワカを通じて絆が強まっていたはずなのに…
ゴングに載ってた三澤トレーナーのミニコラム
ワカと出会ってから14年になる。地方の体育館で西村が見つけ、拾った子犬を橋本さんが
飼うと言い出し、それからワカは新日本プロレス道場の一員となった。
最初は皆に可愛がられ室内で飼われた。僕が巡業を休んでいたこともあって、面倒を
見る事が多く、一緒の部屋にも寝ていた。成長してからは外で飼われるようになった。
一年遅れてモモという子犬が別の体育館から同じように連れてこられた。ワカとモモは
二度子供を産んだ。 当時、道場生には散歩当番があり、元気のいい成犬だった頃の
ワカはよく散歩に出かけていた。そのうち僕は巡業に復活し、部屋も引越し、ワカから
遠ざかっていった。脱走したワカが何度か部屋の前で待っていることもあった。
時が経ち、橋本さんが辞め、ワカを知る者が少なくなり、世話をしていた太さんも退職した。
ワカは合宿所の裏の人目のつかない所にただ閉じ込められてるだけの身になった。
近所の布施木さんという方が唯一世話をしていた。新日本プロレスにとってワカとモモは
ただのお荷物だった。二匹は歳を重ねた。そしてワカは骨肉腫になった。選手会から
聞こえた声は保健所送り。冷酷。無常。プロレスラーとは心優しき力持ちでは
無かったのか。ここに愛は存在しないのか。
ワカとモモは今、僕の家にいる。心ある何人か、西村、吉江、カシン、上井さんが援助して
くれた。歩けなくなった介護状態の老犬を前にして、僕にあるのはワカを見捨てた
後悔と懺悔、そしてワカが戻ってきた喜び。ワカは今、懸命に生きている。
橋本さん、あなたは今どこでどうしてるのですか。
ゴング 三澤コラムから…
道場で飼っていたワカが骨肉腫になった時、これはかつていた人々も含む道場のみんなに
対するメッセージではないかと考えた。老衰で静かに死んだのなら、僕もみんなもそれなりに
悲しんで、時がワカの記憶を風化させただけであろう。しかしワカはそうはならなかった。
ワカは最期、みんなに振り向いて欲しかったのではないか。最初はそう思った。
今は違うような気がする。ワカは一匹で取り残されるモモが心配だったのではないか。
犬生の殆どを一緒に過ごした二匹である。ワカが老衰で亡くなっていれば、モモはそのまま
道場の裏でひっそりと残されたであろう。しかし病気になったことにより、いろいろな過程を得て
モモは我が家に引き取られた。新日本プロレスへの問題提議だけでなく、ただワカはモモが
心配だったのではないか。
皮膚炎で毛のないモモの背中を愛おしそうに舐めるワカの姿が目に浮かぶ。
ワカ、安心してくれ。モモは今、リビングのカーペットの上で家族に囲まれ、寝ころんで
暮らしているよ。 本当は意味のないかも知れない世の中に意味を考える。
それはただの自己満足。それは今を生きる力。それは明日への希望。
小島のコラムから…
新日本時代に道場で飼っていたワカという雄犬が亡くなりました。
トレーナーをしている三澤さんからのメールで知らされました。
自分とワカは『同期生』でした。1990年2月20日、新日の合宿所を初めて訪れた時に
玄関で出迎えてくれたのが、生まれて間もないワカでした。当時橋本さんが巡業先から
拾ってきたそうで、まだ合宿所に来たばかり。ピョンピョン走り回るワカを見るのが、
厳しい練習と私生活の苦しさから唯一解放される瞬間でした。
合宿所内での生活が始まり、それと平行してワカの面倒を当時の練習生でもあった
三澤さん、山本さん(天山)、金本さん、西村さん、そして自分が見る事になりました。
道場近くの多摩川の土手を散歩したり、ご飯をあげたり、お風呂に入れてあげたり(これは天山の仕事)
ご飯もドックフードだけでなく、ちゃんこ鍋の残りをあげたり結構自然児みたいな感じで育てられました。
散歩は一応交代制でしたが、自分はこの散歩が最も楽しみでした。理由はまだ一番新米だった為、
道場の息苦しい空気から解放されるのが嬉しかったからです。(プライベートでの外出禁止の為)
新日本を退団する時にワカに最後の別れを言ったのを覚えています。
そんな思い出が三澤さんからのメールで走馬灯のように思い出され込み上げてくるものがありました。
何ヶ月か前に三澤さんからガンになっていた事は聞かされていましたが…
これで本当のお別れになってしまいました。自分は世話らしいことも出来ずにこの世を去って
しまったけど、どうか天国で安らかに眠ってほしいと思います。
我が家でも現在、犬を飼っていますが、幸せに育ててあげたいです。
人間の何分の一しか生きられないって分かっていても、ほんの少しでも、一分一秒でも
長生きしてほしいから…
吉江コラムから…
私は動物が苦手だ。可愛いとは思うのだが触ったりすることが出来ないのである。
しかし、こんな私にも思い入れがある動物がいる。長年、新日本の道場で飼っていた犬の
ワカとモモである。私が新弟子の時には散歩当番があった。外に出る事が出来ず、
自由な時間が無かったので、少しでも寮から出られる散歩当番のひとときで息抜きしていた。
やっぱり犬もつながれていてジッとしているよりも自由に走り回れるお散歩が好きなんだな〜。
2匹ともシッポをブンブン振ってシャカリキに前へ前へ進んで行く。
そんな事からつい、ワカのお散歩ヒモを離して逃げちゃった事も度々ある。
そんなワカが病気になってしまった。はじめは足を引きずるようになり、そしてだんだん歩行も
ままにならなくなってしまった。しばらくは近所の方が面倒を見てくれていたが、あまりご面倒も
かけられないので三澤トレーナーが2匹を引き取る事になった。
しかし生物には寿命がある。寂しそうな三澤トレーナーの顔はいつもの酒飲みトレーナーの
面影はなかった。 そして先日のOFFにワカを天におくる葬儀に参列した。
三澤トレーナーの奥様、久々にお会いするが、ワカが亡くなるまでの数日間は寝る時間を割いての
看病で、少しやつれていた。命を看取る大切な役目をしてくれた。
固くなってもう動かないワカ。体を洗うのに水を嫌がって逃げるから太さんに怒鳴られていたっけ。
不思議と懐かしい思い出がいろいろ浮かぶ。楽しかったり、懐かしかったり、辛かったり、別れだったり。
ワカは私のことを天から見ても「誰?」と思うだろう。頭すらなででやらなかったからな。
でも手を合わさずにはいられないんだよ。 じゃあなっ! ワカ。