85 :
追悼として@:
筆者は、エディ・ゲレロというレスラーとしては小柄の部類に入る
陽気なメヒコのお調子者を延々と描いてきた。
今あらためて振り返って、このレスラーを書くに至ったのは、エディの持っている
ある種の不思議な面にふれたかったからだ、と自分で自分を弁解している。
その奇妙さの中でもっとも奇妙に思われるのは、デビューした段階でジュニアではなく
自分がヘビー級のトップに立つことをくっきりと予感していたことであった。
86 :
追悼として@:2005/11/17(木) 02:39:16 ID:EvMiHHG8
彼はアメリカ人ではないので、全盛期のハルク・ホーガンの予備知識は殆ど無く
ホーガンが『nWo』のTシャツを着けて現れてからこの人物を知った。
ホーガンは同世代の人々をすべて魅了した一大思想的人格、つまりはカリスマと
言ってよいが、エディ・ゲレロにかぎってはホーガンの電磁力には不導体であった。ブラザー。
(この男は、プロレスや観客より、自分自身が大事にちがいない)と、エディは一見して
見抜いた形跡があり、それがひるがえって考えるとエディの歴史的役割でもあった。
87 :
追悼としてB:2005/11/17(木) 02:40:44 ID:EvMiHHG8
エディはホーガンが全盛期を築いた時代のプロレスとはほぼ無縁で、変革期に突如出現した。
彼が成すべきことは、観客主体型のエンターテーメントとしてのプロレスを、緻密かつ高品質に
仕立て上げ、それを世界中に普及する仕事であり、もし『ズルして、いただき』というキャラクターが
観客を心底楽しませるものであるならば(エディはそう信じていた)、世界中の乾いた人々の心
― 言い換えるならば津々浦々の枯木に、笑顔という花を咲かせてまわる役目であった。
中国では花咲爺のことを花神という。
ラティーノ・ヒートは、プロレス界の『花神』のしごとを背負った。
故人の御冥福と、御遺族の方々の御健康を心よりお祈り申し上げます。 Viva La RaZa!!