復活!!司馬遼太郎風にプロレスを語るスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
35『胡蝶の夢』より
小橋は休まなければならない。
疲れてしまった。
かれはプロレスリング・ノア設立以来、常にメインイベンターの責務を背負い、
さらには文字どおり万難を排してプロレスリング・ノアの興隆を求めつづけてきた。
たったひとりでGHCヘビー級王者13度防衛という、未曾有の偉業をなしとげただけでなく、
プロレスラーとしても、毎日殺到してくるファンやマスコミにいちいち心を配った。異常なことであった。
これほど身を粉にして働いたプロレスラーはひょっとするとどの国においても類がなかったかも知れない。
「自分がやったことはひとびとからすぐ忘れられるだろう」
と、小橋はかねがね思っていた。小橋は、一プロレスラーにすぎない。一プロレスラーの努力など、
世間はむしろ積極的に忘れようとするものだということを、長期にわたる欠場経験のある小橋はよく知っていた。
たとえその時期に功績が評価されたとしても、いつのまにか他のレスラーの功績にすり替わっている。
36『胡蝶の夢』より:2005/10/29(土) 22:19:30 ID:Jd3fPCfd
ある夜、武道館から帰宅するとき、秋山は小橋を介助するためにつき添って小橋の自宅まで送った。
途中、小橋は「ジュン」とよび、しばらくだまってから上記のことをつぶやくようにしていったことがある。
秋山は驚いてしまった。かれは小橋を尊敬するあまり、このプロレスファンのために
無償の努力をする男がなにか神に近い魂をもつ人のように思え、
ひとびとがその功績を記憶するかどうかという、そういう意味の見返りを期待していないと思いこんでいただけに
小橋の言葉は意外だった。しかし思い直してみると、小橋はただ俺のことなど忘れられるだろう
と感傷的に言っているに過ぎないことがわかってきた。
さらには人間の努力というのは大方そういう処遇を受けるものだし、それでいいのだ。
という一種の哲学を自分自身に言いきかせている気配のようであった。
37『胡蝶の夢』より:2005/10/29(土) 22:21:32 ID:Jd3fPCfd
秋山は数秒黙っているあいだにそれがわかると、
(いま僕はこのひとによる荘厳な一瞬を経験している)
とおもった。ふたたび小橋はジュンの名を呼んだ。
「ジュン、世の中でいちばん愚劣なことは、プロレスを立身の道具にすることだ。
それ以上におろかなことは、プロレスを道具に無用の金儲けをすることだ」
小橋はときに冷徹な面構えを見せ、秋山でさえその精神の内部がうかがえなくなることがあったが
しかしプロレスラーとは武士のようなものだと信じてそれを精神の核にしているあたりが、
うたがいもなく小橋の重要な部分だと、秋山は思っていた。