「準、これを見ろ」と、颯爽とTシャツを脱ぐ。
女性の太ももほどはある、太い右腕。すでに何人の相手を葬ったか、数も覚えていない。
「これは豪腕だ」と言った。小橋の口ぶりの熱っぽさは、相手は秋山と見ていない。
自分に言い聞かせているような様子であった。
「準、見てくれ。これこそが、豪腕である」
「…太っといですね」 仕方なく、微笑した。
「豪腕とは、レスラーが、レスラーを薙ぎ倒す目的のためにのみ作り上げたものだ。
豪腕の性分、目的とは単純明快なものだ。敵を破る、という思想だけのものである」
「はぁ」
「しかし見ろ、この単純の美しさを。豪腕は、豪腕は美人より美しい。
美人は見ていても心が引き締まらぬが、豪腕の美しさは、粛然として男子の鉄腸を引き締める。
目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。
プロレスラーはプロレスのみに生きるべきである」
(なるほど、それを言いたかったのか) 秋山は、微笑をつづけている
「そうだろう、秋山準」
「私もそう思います」 これだけは、はっきりとうなづいた。
「準もそう思ってくれるか」
「しかし小橋さん」と、秋山はちょっと黙ってから、「プロレス界はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」 小橋は、からからと笑った。
「どうなる、とは漢の思案ではない。婦女子の言うことだ。
漢とは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」
「では、どうするのです」
「孫子に謂う」 小橋は、ちからこぶを作りながら、
「その侵略すること火の如く、その疾きこと風の如く、その動くこと雷神の如し」
小橋はあくまでもプロレスファンのために戦う覚悟である。
総合格闘技が人気を博そうとどうしようと、小橋建太の知ったことではない。
小橋は、プロレスラーになるために生まれた。プロレスラーとして死ぬ。
(男子の本懐ではないか)
「なぁ準、俺はね、世の中がどうなろうとも、たとえ世界中の団体が潰れ、消滅して、
最後の一人になろうとも、やるぞ」
事実、こののち小橋建太は、世界のプロレス団体が解散・破産、もしくは総合に鞍替えする中
最後の、たった一人のプロレスラーとして残り、世界をまたに駆けて活躍するのである。
これは更に、この物語の後の展開にゆずるであろう。
「おれたちが ― 準、」 小橋はさらに語り続けた。
「いま、新日のようにふらついてみろ。今日に至るまで、プロレスの灯を守るためと称し、
幾多の先人達を倒してきた、スタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス…
彼らを何のために乗り越えたか、ということになる。
彼らまた俺の豪腕に伏する時、プロレスラーとして立派に倒れていった。
その俺が今ここでぐらついては、地下で彼らにあわせる顔があるか」
「プロレスラーの一生とは」と、小橋はさらに言う。
「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」
「私も」、と秋山は明るく言った。
「命のある限り、小橋さんに、ついていきます」