スパイロス・アリオン

このエントリーをはてなブックマークに追加
1お前名無しだろ:05/01/15 15:13:19 ID:KoqwXwAQ
 
2お前名無しだろ:05/01/15 15:14:43 ID:NGI+dezu
ミル・マスカラスとの関係でしか語られないな
3お前名無しだろ:05/01/15 15:36:02 ID:kizEcfxK
国際来日発表したのに日プロが横取りした。
4お前名無しだろ:05/01/15 17:46:39 ID:o6DeXVmm
  。
5お前名無しだろ:05/01/15 21:52:33 ID:NKIOEHDf
スパーイロース!
6お前名無しだろ:05/01/15 22:29:22 ID:eOBVBVrK
星野勘太郎
7お前名無しだろ:05/01/18 20:34:20 ID:MoDK7/dp
前評判すごかったけど、
馬場さんにあっさり負けたなあ。
8お前名無しだろ:05/01/18 21:48:26 ID:hCm62kh4
色気出さずに素直に国際に来ていれば日本での評価は全く違ったものになっていたろうな。
9お前名無しだろ:05/01/20 22:01:21 ID:7Jpcubcz
同感。R木村やS小林とは結構スイングしたんじゃないかなー。
10王道16文
昭和46年は、実にいろいろなことがあった年だった。
2月にミル・マスカラス、スパイロス・アリオンが初来日し、3月2日蔵前国技館でインタータッグ王座に挑戦して来た。
マスカラスは、この初来日で人気爆発したが、正直言って私は、この手のタイプが好きではない。
力道山から教わり、アメリカで覚えた私のプロレス理念とは、全く別のところにマスカラスはいた。
キンキラキンに着飾り、きざなポーズでファイトされたんじゃ、例えは悪いかもしれないが、振袖を着た女性に喧嘩を売られたようなものだ。
こっちの方がてれてしまう。国技館での防衛戦でも、マスカラスのドロップキックを手ではたき落とし、蹴っ飛ばしたのが記憶にあるくらいで、
「寛チャン、こいつは頼むよ、俺はアリオンを引き受ける」
 と猪木に任せてしまった。そのマスカラスを、全日本プロレスを旗揚げしてからは常連として呼ぶようになったのは、
プロモーターとしての私がその人気を認めざるを得なかったからだ。レスラーとしての私は、やはり対戦するのはご免だった。