【さようなら】wj総合1009【丸井乙生】

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33今朝の丸井乙生
記者手帳から'04 格闘技担当丸井乙生
〜“先生”と出会い知った戦いの意味〜
 プロレスなんか大嫌いだった。
00年末に仙台支局から東京本社に転勤した際、プロレス担当を命じられた。
名前を知っていたのは猪木、馬場、長州だけ。
取材に出かけてもチンプンカンプンだった。
なぜ彼らはすぐ対立し、殴り合うのか。
大歓声が飛ぶ会場で1人、首をかしげていた。
 "先生"に出会わなければ、まだ首をかしげていたかもしれない。
54歳で第一線に立つ天龍源一郎だ。
1メートル89、120キロの大男はほぼ不機嫌、角界出身者独特の低音かすれ声。
地震、雷、火事、天龍の順に恐れられ、ヘタな質問をすると逆水平チョップが飛んでくる。
それでも、酒席のたびに戦いの意味を教えてくれた。
 大一番では初公開の仰天技をやってのけ、挑発する言葉には時事ネタを忘れない。 (※くせ〜んだよ!消臭力!!かな?)
柔らかな発想に毎回驚かされた。
01年5月に2試合しか出場予定がなく、理由を聞くと
「福井県の実家に帰る。田植えで忙しいから」。
あんなイカした言い訳は聞いたことがない。
 おっかない人の涙を1度だけ見たことがある。
私の姉が02年6月、がんのため32歳で他界した。
その話をした時、鬼の目が赤くなった。
ハッとした瞬間「あっちへ行け」。
その昔、恋人を病気で亡くしたことがあるという。
人の痛みが分かる鬼だった。
 仙台から旅立つ際、仙台育英野球部の佐々木順一朗監督が
「僕もプロレスは嫌いだけど、プロレスラーは好きだよ」
と送り出してくれた。
この言葉に4年間支えられ、実感してきた。
私は今年でプロレス、格闘技担当を終えて、来年から野球担当へ移る。
一流は一流を知ると教えてくれた野球界でまた、人間くさい一流に会いたい。