【恍惚と不安】前田日明Part12【二つ我にあり】
今は亡き父と見に行った最初で最後のプロレス。
それは忘れもしない1984年4月11日、
大宮スケートセンターの旧UWF旗揚げ戦だった。
前田日明を生で初めて見たのも、この時だ。
この興業の告知ポスターには猪木の参謀だった新間寿が
レスラーよりもデカデカと載っていた。そして「私は既に
数十人のレスラーを確保した」の文字と共に猪木や
タイガーマスク、長州、アンドレ、ホーガンらの顔もあった。
当時俺は、前田よりも初代タイガーや長州のファンだった。
電柱に貼ってあるそのポスターを見て、父親に頼み込んで
連れていって貰ったのだ。
初めてのプロレス観戦。入り口付近では、パンフレットと共に
「アントン・ナッツ」も売っていた。俺は両方買い、早速パンフに目を通した。
スタンプで押された試合予定には、長州の文字もタイガーマスクの
文字もなかった。
それでもメインでは、若大将「前田日明」の名前があった。
俺と同じように、期待した選手の名前がなく不満に感じていた客も
多かったのだろう。前田の試合中、猪木コールや長州コールが起きた。
初めは数人が始めた悪意のコールも、面白がって会場全体がやり始めた。
もちろん俺も会場の雰囲気に飲まれて同じように長州コールをした口だ。
これには前田も相当頭に来たようで、後の雑誌のインタビューなどで何度か、
「長州コールには、ふざけるなと思ったよ」と語っていた。
その後、前田の暴れっぷりを見てファンになった俺は、
そんなインタビューを見るたびに、なんだか気まずい感じがしたものだった。
それから10年以上経ったある年末。
RINGS恒例の「餅つき大会」の会場で前田に会うことが出来た。
クマのような巨体の前田に近づき、UWF旗揚げパンフにサインを
もらおうとペンと一緒に手渡しながら、思い切って言ってみた。
俺 「・・・あ、あの。この時自分も『長州コール』しちゃったんです。」
前田「?」
俺 「いや。あの〜。雑誌のインタビューで『あれは頭きた』って
前田さんが言ってるのを見て。…すんませんでした」
謝る俺に前田は微笑んで言った。
「あぁ。もういいんやそんなこと。来てくれてありがとう。ありがとうな」
そしてグローブのような手をさしのべ、がっちり握手してくれた。
俺の中で、ひかかっていたものが取れた瞬間だった。
その後、雑誌等で前田が「長州コール」の話をするのは読んだことがない。
おまけ
パンフにサインをし終わると、「ちょっとこれいいか」と言いながら前田は
パンフを持っていってしまった。「おい!山本、成瀬。見てみろ!
(パンフの俺は)若いだろう!」と子供がオモチャを自慢するように言いながら。
(でも数分後には返してくれたのでホッとした)
そんなとこも好きなんだよな。