>>323 882 名前:お前名無しだろ 投稿日:04/05/29 01:01 I1GYI8OV
IDアレ
昨日の東スポだが、「西村修が語る私の師匠」で御小に触れているね。その部分だけ抽出。
前略
私とマツダさんは、長州力さんの気まぐれによって出合うことになった。1990年4月に新日
本プロレス入門したが、なかなか太れない。
天山広吉や小島聡、大谷晋二郎、永田裕二、中西学といった後輩が、次々と立派な体格
に成長していく中、いつまでもガリガリのままな私を心配した長州さんは、雑務の少ない
リラックスした環境が必要だと、フロリダのタンパにあるマツダ道場での海外修業を命じたのだ。
中略
ところが、マツダ道場で基礎トレーニングを開始したところ、そんな夢(←ムタのように米で活躍)
は消えて去った。ロックアップやヘッドロック、ブリッジワーク一つとっても、マツダさんは「プロの
形になっていない」「一体、日本で何を教わってきたんだ」と厳しい言葉の連続だった。
早速マツダさんに、プロレスの基本を叩き込まれることになる。当時の新日道場では長州
体制の下、馳浩、佐々木健介がコーチを務め「気迫と声の大きさ、そして若さを前面に押し出せ」
という指導が主とされてきた。
若手から卒業したつもりの私だったが、結局、新日道場では何も学んでいなかったのだ。
マツダさんは「プロレスとは何か」と考えるきっかけを与えてくれた。(来週木曜日につづく)