プヲタはなぜ奈々ケーキに悉く言い負けてしまうのか?
では、三国志の張飛の字は?
などと意味不明なやり取りをしていても仕方が無い。
人の社会的活動というのは、外部からの評価と内面の自己評価に
いかにして折り合いをつけるかという点に集約されると言っても過言ではない。
外部評価と内面評価とはまず一致しないものだし、その一致しないものを
いかにして折り合いをつけられるかというのが社会的な適性というものであると
いえるだろう。
キミたちにはその適性がまったくない。
外部からの評価を全く受け入れようとせず、それによる内面評価の修正も
しようとせず、何か気に入らない事があると全ての責任を他人に押し付け、
私は悪くない悪いのはこいつらだとわめき散らす。
稚児かね、キミらは。
小橋スレを荒らしているのがキミである事はIDから判別している。
その荒らしている人間が、何ゆえ「工場長が謝らないから小橋スレは荒れる」
などとのたまえるのかね? その辺りの事を、とくと「自分の言葉」とやらで
聞かせていただきたいものだ。
別に答えるのがキミの分身であっても構いはしないし、逃げようがどうしようが
構いはしない。ただ、その手法については多少の創意工夫を望む。
でなければ、キミはキミ以下にはなれてもキミ以上にはなれない。永遠にな。
気付いているのかな、キミは。
キミの望む者も望む物も、最早キミの中にしか存在しないという事に。
孤独な神が孤独を紛らわす為に分身を作ったが、
その分身も神にとっては自分以外の何者でもなく、
やはり神は孤独だった、という説話がとある小説にある。ライトノベルだが。
キミがいかに望むモノを手に入れているつもりになれているのだとしても、
それはキミの中にあるモノをキミ自身が抉り出しているだけに過ぎない。
上の説話の神とは違い、キミは全知ではないから、思いこめるのだろう。
何もかもがなくなった後、ようやくキミはそれが自分自身である事に気付き、
その時に至ってようやく孤独を嘆き始めるのだろうな。
その時が来るまで改めないのならば、それもキミの選択だ。
誰もそれを責めることはない。ただキミを誰も見なくなるだけだ。
キミ自身の選択がキミ自身の孤独を招いている事に、できるだけ
早く気付いてほしいものだな。