ここは人里離れたある山奥の山村の一角。その村に長身で無精髭の男とその男を夫にもつ育ちの
良さそうな女の夫婦が住み始めてからもう5年になる。今では二人とも村の人気者で、男は木こり
仲間と山に出かけては、一人で何本もの大木をなぎ倒す蛮勇ぶりをみせる一方では、寡黙ながらも
真面目なその性格が買われ、村の青年団の若頭として活躍。一方の女は最初の方こそ派手な生活ぶ
りが抜け切れずに毎週のように届けられる通信販売の品々に村の人々の注目を集めていたが、最近
では都会でのお嬢様生活も抜け、以前に習得していた介護師としての資格を活かして村のお年寄り
達の家を一軒一軒廻り、老人達の世話をしては村の人々からありがたやと感謝されていた。二人は
もはや村にとってかけがえの無い存在となっていたのだ。
そんなある日、村への唯一の交通手段である一日に2本しか出てないバスからある男が
降り立った。その男は、かつては新日本プロレスというメジャープロレス団体に所属しながら
も、WJプロレスという団体に移籍した大物レスラーである。村には新日本やWJの興行が
きたことは無かったが往年のプロレス人気時代、まだプロレスがゴールデンで放送されていた
時代にその男を見ていた村の者がその正体に気づき、「有名人が村にきただ」という噂は瞬く
間に村中に広がった。そんな騒ぎを知ってか知らずか、木こりの仕事を早めに切り上げて
帰ってきた無精髭の男は、友人達との遊び(といってもたいした娯楽も無いこの村では飲んで騒ぐ
ぐらいしか楽しみも無いのだが)の誘いを断り、家に帰って採れたてのきのこや山菜を使った汁を
作ったり、釜で飯を炊いたりしながら妻が戻ってくるのを待っていた。
(今日でこの村に移住してきてからちょうど5年目だ。思えば俺も妻には苦労ばかりかけてきた。せめて
今日ぐらいは楽させてやらねば。)その体躯に似合わず心の優しいこの男は結婚記念日や誕生日など、
そうした心がけを忘れたことが無かった。そんな男の心遣いを知ってか知らずか運命を狂わそうとしている
その刻は少しずつ近づいてきていた。そして・・・。