943 :
お前名無しだろ:03/12/16 20:44 ID:CZHdQyvx
>>942 たぶん79年冬のデビリッシュファイトシリーズ
木村への挑戦権をめぐって、モンゴリアン・ストンパーとアレックス・スミルノフが
争いになり、そういう場面があったと思う
ストンパーのシューズには鉛が仕込まれているのではないか、
という噂があった
944 :
お前名無しだろ:03/12/16 21:01 ID:6EEEWL4n
ttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/1977/s46.html ◎1月30日 アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス/会場名不明
☆AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
◎2月4日 アメリカ、ウイスコンシン州ミルウォーキ/会場名不明
ストロング小林(勝ち)エドワード・カーペンティア
◎3月8日 アメリカ、イリノイ州モーリーン/会場名不明
ストロング小林(時間切れ引分け)クラッシャー・リソワスキー
◎4月10日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(反則勝ち)ストロング小林
945 :
お前名無しだろ:03/12/16 21:02 ID:6EEEWL4n
◎4月16日 アメリカ、コロラド州デンバー/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(反則勝ち)ストロング小林
◎4月24日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
ストロング小林(リングアウト勝ち)ディック・ザ・ブルーザー
◎4月29日 カナダ/マニトバ州ウイニペグ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
◎4月30日 アメリカ、ウイスコンシン州ミルウォーキ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
ストロング小林(反則勝ち)バーン・ガニア
◎5月14日 カナダ/マニトバ州ウイニペグ/会場名不明
ジン・キニスキー(反則勝ち)ストロング小林
◎5月15日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
ストロング小林(無効試合)バーン・ガニア
◎5月19日 アメリカ、イリノイ州モーリーン/会場名不明
ストロング小林(リングアウト勝ち)クラッシャー・リソワスキー
◎5月22日 アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
ガニアの王座に何度も挑戦してて、一度は反則勝ちしてる。
ブルーザーやリソワスキーにはリングアウト勝ちしてる。
これって十分トップだったと思うんだが。
947 :
お前名無しだろ:03/12/16 22:17 ID:J9rJyJe2
私の親は、「小林の対戦相手が馬場、猪木と比べるとちょっとなぁ・・・。」
などと言ってましたが。
944−946
乙です。
これが事実なら海外の実績では
小林>藤波、長州、前田ですなあ。
昭和55年頃、月刊ゴングの増刊として
発売された「ザ・レスラー・ベスト100」
には、小林は入れて貰えなかったんだよね。
日本人枠10人に限定されてけど、下手な
2流外人よりは小林入れるべきだった…と今更ながらw
>>948 日本人10人って誰だったっけ?
力道山、豊登、馬場、猪木、大木、坂口、鶴田、木村、藤波と
あと一人だったような気がするが。
>>948 その三人の海外の実績と比べるのは小林に失礼。
951 :
932:03/12/17 11:34 ID:BySUpMDQ
>>950 その三人の中でもさらに
藤波>前田>御小とランクがあるよw
マイティ井上の海外遠征って、ヨーロッパだけでしたっけ?
954 :
お前名無しだろ:03/12/17 16:30 ID:73M1+95j
小林の海外実績ならむしろ
小林>猪木、坂口、木村
と表現してあげるのが適当かと
プロモーターのブルーザーに、シカゴのアンフィシアターで
リングアウト勝ちって、下手すりゃキラー・カーンより上じゃないか?
>>952 大して差があるとも思えんが。
>>955 藤波=ハノーバートーナメント勝ち越し
フロリダ地区でグレート・マレンコと抗争
ミッドアトランティック地区でTウッズ(Mレスリング)フレアーらと引き分け
メヒコでトップルード(後にリンピオ転向)
新日のお膳立てとはいえWWFジュニア・インター奪取
前田=イギリスで世界王者
新間のごり押しとはいえWWFインター(二本目)奪取
長州=ドイツ・オーストリアのレスリング・トーナメントでそこそこ活躍
フロリダでゴッチから逃げて干される
カナダ・モントリオール地区で前座
「北米大陸」での実績ははっきりと違う
ちなみにブルーザーは当時まだプロモーターじゃないし
テリトリーはインディアナポリス
まあ全盛期のブルクラとアメリカで当たって勝ってるというのは確かに凄い
>>957 その時は一回華々しく凱旋帰国してから泣かず飛ばずに
なってからの島流し遠征だから評価が難しい
横浜の鶴見あたりでやってる国際プロレスとIWAは関係あるのですか?
960 :
お前名無しだろ:03/12/18 21:33 ID:mp2U0Q13
ない
>>957 長州が勝ったと言っても反則勝ちでしょ?
疑問なのは、長州如きにベルト取らせて
面白いストーリーが作れるとでも思ってたのか?
とこだと思うんだが。
ちなみにカネックが国際に来てたらどんな戦績に
なるのでしょうかね?
>>945 すばらしい活躍ぶりですね。AWA、WWWF、欧州と
まさに世界をまたに駆けたのですね。
小林選手は海外を主戦場にすれば人生も変わったかもしれませんね。
964 :
お前名無しだろ:03/12/20 10:15 ID:tUFtUaGA
そういえばハンセンが自伝で「小林は一番アメリカ向きだった」って
言っていたっけ。
>>963 本人もそう言ってた。AWA遠征から国際プロレスに帰るときに
ガニアとブルーザーに残留を勧められたらしい。
アメリカじゃゲイへの偏見も少ないしな
男色蔓延の江戸時代なら良かったのに、大力士として名を残したかも
でも小林は新日へ移籍してどんどんランクを下げられて
行った。当然、不満はあったと思うが、それを表に
出せなかったのはガチで弱かったと言う事?
外様だからね
移籍した時点はいい扱いでも次第にそういう扱いになっていくことを
予想できなかった本人が悪いんだが
>>967 う〜んセメントの強さがすべてじゃないから。
国際でも人間関係で問題があったわけだし。
セメントといえばイワン・ゴメスには手も足も出なかったね。
>>969 このスレまだ続いていたのか・・・・
猪木との初対戦は俄然小林の試合じゃん
カナディアンからのジャーマンからの流れは小林が主役
>>971 そうですねσ(^_^;)?
イワン・ゴメスがシュート試合しかけてきたので
小林ビックリしたんじゃない
猪木も滅茶苦茶なするなぁ〜
973 :
お前名無しだろ:03/12/21 13:58 ID:lh6BiFQV
小林の男らしい顔(?)と筋肉美は
外国のファンに受け入れられやすかったと
聞いたことがある。
アメリカで割りに扱いがよかったのも
そのせいかもしれない。
でもボディビルダー出身で、格闘技の経験がないから
ガチの強さはなかっただろうね。
性格的にもおとなしいタイプだったようだから
そのあたりがプロとして大成できなかった要因かもしれない。
>>967 >>968 新日に正式に入団した後、最初の頃は坂口と同格扱い。
でも主な見せ場はほぼ坂口との北米タッグに限られていて、
シングルではエース外人の噛ませ犬的な役どころだった。
でそのうち藤波、長州にも抜かれて、
国際と新日の交流戦では、かつての格下木村にピン負け。
でも国際がつぶれて木村たちがはぐれ軍団で乗り込んできたときは、
昔のよしみかなんか、噛み切りマッチで猪木の髪きったりして
木村たちの助太刀してたよね。はぐれ軍団加入アングルを組めば
最後の一花咲かせられたかもしれないのに、そうはならなかったし。
あの頃はもう腰がダメダメだったのかな。
小林は金剛になった時点ですでにだめだめでしょう
小林が最後にリングに上がったのは11〜12年くらい前の
新日のレトロ企画で、坂口とのタッグでシン+上田組との北米タッグ戦が
再現されたときだったっけ?
まだ現役だった相手組や引退して間もなかった坂口がちゃんとレスラーとしての
コンディション維持してたのに比べて、小林はリング上がるのも辛そうだったな。
持ち前の怪力技も使えず、ただ上田をコーナーに叩きつけるだけしか
できなかったように覚えている。
正式な引退試合はやってない?
>>977 やってないよ。
長州がジャパン結成して新日から去り、
代わりにマシン軍が登場した頃、ひっそり辞めたはず。
えーっそんな時期まで現役だったかなあ? 維新軍のころにはすっかり過去の人だったなあ
980 :
お前名無しだろ:03/12/22 00:48 ID:2A1dHpNL
引退試合はやっているよ。
確か故郷の青梅のリングだった。
猪木もリングに上がっていたよ。
新日本はとやかく言われているけど
こういうところは、割合キチンとしている。
982 :
お前名無しだろ:03/12/22 09:25 ID:JWVKlbuH
>>961 カネック、国際だったら良いポジションになったと思う。
木村や井上は正統派とも良い試合しますから
金剛が猪木の髪の毛切った時は笑った
そういや小林は81年春頃にメヒコ遠征に出されてた時、
短期遠征してきた坂口を襲ったりもしてたね。
帰国してから抗争するのかと思ったら国際軍団の登場
やらでうやむやに…。
小林の最後の試合はIWGP出場権をかけてのvs坂口戦(昭和56年)だったと思う。
986 :
お前名無しだろ:03/12/22 20:57 ID:JWVKlbuH
>>985 >>小林の最後の試合はIWGP出場権をかけてのvs坂口戦(昭和56年)
それはかの名高き86・9・23田園コロシアム決戦の1カード
(ブラディ・ファイト・シリーズ最終戦)IWGPアジア予選
小林は次の闘魂シリーズ途中まで出て欠場、そのまま引退した
最後の試合は同年10月16日の
小林、藤原対ホーガン、マードック戦のようだ
987 :
お前名無しだろ:03/12/22 21:43 ID:BlVNw/w6
昔観た第一試合。デビル・ムラサキ対高杉正彦。国際の選手って背はそんなに
高くはなかったけど、胸板が厚いいい体してた。その日のメインが木村対ジョー
の金網。ザ・UFOなんてのもいたな。
新日時代は小林と当時のスポンサー、小松フォーク
リフトがやけに俺の中ではカブッている。
それはきっと“馬力”というコンセプトが結び付けて
いるからなのだろう。
ちなみにTBS時代はどんな会社がスポンサーだったのでしょうか?
小松のロゴはリングにもあったから団体そのもののスポンサーだったのかもね
990 :
お前名無しだろ:03/12/22 22:48 ID:U8Rv1VH+
>>986 と言うことは自分は長期欠場1週間前の試合を見ていたことになります。
10/10 東戸塚駅前特設リング
ホーガンvs小林でした。
小林が水噴き攻撃をしたことだけ印象に残っています。
国際勢もこのシリーズから参戦していました。
事前に知らされていなかったので得した気分になりましたね。
浜口&寺西組はビリー・クラッシャー&ディノ・ブラボーと対戦。
結果は忘れましたが木村さんが腕を吊ってセコンドに付いていたのは
覚えています。
その2日前に猪木に逆十字を極められて、この日は欠場ということでした。
でも駅から歩いて会場に現れた木村さんは腕なんか吊っていなかったし、
試合前も堂々とトレーニングしていました。
しかしトラックの荷台が控え室だったのには悲哀を感じましたが・・・
早22年前のコトですが今でも忘れられません
991 :
1:03/12/22 23:15 ID:IgkSXkAj
Part2は必要でしょうか?
国際スレは少し期間を置いた方がいいのか、このまま続けたほうがいいのか、
もし要領を熟知していらっしゃる方がいたらご教授を。
このペースだとネタ切れで次スレの250あたりでグダグダになる可能性があるからいったん
終わらせてもええような・・・。